「覚悟はいいかしら、菜々ちゃん」
「いつでもどうぞ」
ひゅっ。きんっ。ざざざっ。しゃりーん。ざっ。
「なかなかやるわね」
「お見事です。支倉令さま」
「でも、これからが……………………あああああああー?」
「?」
「か、欠けてる。お姉さまのロザリオ」
「…それは日本刀ですが」
「ロザリオなのよ!」
「そうですか」
「早く発明部に…よ、由乃」
「江利子さまからもらったロザリオって、それだったんだ」
「う、うん」
「何でそっちをくれなかったのよ」
「ええ?」
「そっちのほうがいいじゃない。ずるい。換えてよ」
皆さま、ごきげんよう。
私は松平家に勤める、名もないメイド。家政婦でございます。
さて、本日私がお話しするのは、私が偶然目撃したある恐ろしい事件のこと。
ええ、分かっております。家政婦たるものお勤めするお家で起こった出来事は、見ず・関わらず・他言せず。それこそ空気のようなものと心得て、存在を主張しないのが正しい家政婦です。どこかのおばさん家政婦のように「あら」とかのんびり呟いて、御主人様方の醜聞を盗み見た挙句、得意げに事件解決するのは、家政婦としては大いに失格と言うべきでしょう。
それなのに本日私がこの事件をお話しするのは、私が目撃した事件が、私の心の中だけに収めておくには、あまりにも衝撃的すぎたからです。
どうかしばらくのお時間をお貸し頂いて、私の心にかかる暗雲を取り払って下さいませ。
それはバレンタインデーを3日後に控えた、2月11日のことでした。
毎年、瞳子お嬢様はこの日一日をかけて、バレンタインデー用のチョコレートを手作りなさいます。お料理の腕は時々大ポカをしでかす愛すべき才能をお持ちのお嬢様ですが、もう何年も続けているチョコレート作りだけは、うちのパティシエも太鼓判を押す程に上達しております。私たちメイド一同も、お嬢様から頂くチョコレートを、毎年楽しみにしているくらいです。甘さは控え目で、ピリッとした苦味が効いていて、後味は爽やか。市販のチョコレートなんて、それはもう目ではありませんとも。
今年も瞳子お嬢様は、朝からチョコレート作りに取り掛かりました。業務用のチョコレートの塊に、お砂糖、カカオパウダーなどなど。うちのパティシエが取り揃えた、一流の材料をででんとお嬢様専用の台所に並べて、花柄のエプロンを装着なさいます。
「彩子さん、髪の毛やって下さいませー」
「はい、お嬢様」
お嬢様に呼ばれて私は瞳子お嬢様の髪の毛を料理仕様にして差し上げます。ご存知のようにお嬢様の髪型は大変可愛らしいものの非常に特徴的で、料理に専念するには些か不適当なものであります。くるくると伸びた縦ロールが、溶けたチョコレートに垂れでもしたら大変です。
私は両脇の縦ロールの端を摘むと、それを頭の上に持って行き、先端をクリップで留めました。くるくるの巻き毛が頭の脇をこう、ぐるっと回って頭頂部でドッキングしている様は、それはもう可愛らしいものです。
「……ぷ」
「な、なんで笑うのです!?」
「いえいえ、とても可愛らしゅうございます。あ、そうです。こうしたらもっと可愛らしいですよ」
私は髪を留めたクリップを隠すようにして、大きなリボンを結んで差し上げました。元々縦ロールの根元をリボンで縛っているお嬢様ですから、上・右・左と3つのリボンが咲き誇ったということになります。ええ、それはもうとても可愛らしいお姿です。
「……ぶふぅ!」
「ちょ……我慢できないほどですの!?」
「い、いえいえ。とてもお似合いです、お嬢様。ぐふっ」
「……今日は誰が来てもお通ししないように。良いですわね!」
お嬢様は顔を赤くしながらそう宣言し、それではとお料理に取り掛かりました。お嬢様が動く度に、頭の上の大きなリボンがふわふわと左右に揺れて、きっと私が猫だったら真っ先に飛び掛っていたことでしょう。
「……くすくす」
その様子を見守る若いメイドたちも、小さな笑い声を漏らしています。当然、私はそんな若いメイドたちを嗜めましたとも。
「あなたたち、何を笑っているのぐふぅ!」
やはりメイドたるもの、主人を笑うなんてことをしてはいけません。
瞳子お嬢様は手際よく業務用の大きなチョコレートの塊を刻むと、ゆっくりと湯煎にかけ始めます。かつて銅鍋で直接火にかけたのが、懐かしく思い出される光景です。
チョコレートを丁寧に溶かしながら、メレンゲを作ったり、ココアパウダーに薄力粉を混ぜたり。どうやら今年はチョコレートケーキのようです。お嬢様の流れるような手際を追いながら、私もついついこれから出来上がるであろうケーキの出来に思いを馳せます。
祥子お嬢様の好みに合わせて、瞳子お嬢様の作るチョコレートケーキは、ビターな大人の味。最近、こってりと甘いお菓子は胃にもたれる私としては、祥子お嬢様の味覚に感謝です。いえ、私まだまだ若いですけど。
さて、事件はこの直後に起こりました。ええ、ここまではただの前振りなのです。いやそんな、もう少しなので帰るとか言わないで下さい。
事件は、お嬢様が甘みを整えるために加える砂糖を量り始めた時に起こりました。瞳子お嬢様が慎重に秤にかけながら、砂糖を盛っていきます。
1匙・2匙・3匙・4匙……。
11・12・13・14……。
21・22・23・24――
「――ってお嬢様、ウェイト・ア・ミニッツ!」
こんもり山積みになった砂糖の山に顔色を変え、私が瞳子お嬢様の腕を抱きとめると、瞳子お嬢様が胡乱げな視線を私に向けてきました。
「彩子さん、何をするのですか。邪魔をしないで――」
「いや、いやいやいや! お嬢様、気付いてくださいっ! なんかもう1匙盛るごとに山が崩れてるくらいにチョモランマですよ!?」
「あら、本当ですわ。ありがとう、彩子さん」
「いえいえ」
瞳子お嬢様がお砂糖のチョモランマを脇へ置くのを確認し、私はほっと胸を撫で下ろしました。ちょっと驚きましたけど、瞳子お嬢様も人の子、時にはぼんやりとしてしまうこともあるのでしょう。
「えーと。25、26、27――」
「なんで続きから盛るんですっ!?」
再び私が腕にすがりつくと、お嬢様はそれはもう胡乱げな視線をパワーアップさせて私を見ました。
「なんで邪魔をするんですの!?」
「いやお嬢様現実を見てください! どこの料理本に砂糖・大匙25杯なんてレシピが載っていますか! 最近は小学生でも成人病になるんですよ!?」
「レシピはレシピですわ。これで良いのです。いえ、むしろまだまだ足りないくらいですとも。にじゅうはち」
「ぅわそんな手掴みではしたない! 瞳子お嬢様は水戸泉ですか!?」
「失礼なにじゅうきゅう。瞳子は撒いていませんわさんじゅう」
「さりげなく盛らないで下さい! こ、この大量な砂糖を、どうするおつもりですか!?」
「愚問ですわね。砂糖はチョコレートに溶かすものですわ」
澄ました表情で瞳子お嬢様がズザーと砂糖のチョモランマをチョコレートに流し込む。その様は正にナイアガラの滝。わー、チョモランマとナイアガラですね、世界一周旅行みたいですぅ、なんて感動するには、私には少々理性があり過ぎました。
「あ、あああ……」
「ふんふんふ〜ん♪」
愕然とする私の前で、お嬢様は鼻歌交じりにどろどろのペースト状に変化したチョコレートをかき混ぜています。徐々に砂糖も溶け込んで、ペースト状の物体は滑らかになったものの、近付くとむわ〜んと甘い匂いが立ち上り、私は「うっ!」と思わず口元を押さえましたとも。
「こんな感じですわね。彩子さん、そこのメレンゲを取って下さいませ。気を抜くと焦げてしまいそうですわ、これ」
「……分かりました」
いっそ焦げてしまえと思いつつも、メイドとしての責務を思い出してメレンゲを手渡します。お嬢様が手馴れた手付きでメレンゲを混ぜ始めるのをしばし眺めてから、私はふらふらと甘い匂いの満ちる台所を後にしました。
2月14日、バレンタインデー。
かくして私の目の前には、一口だけ口にした瞳子お嬢様のバレンタイン・チョコレートケーキが鎮座しているわけですが。
冷蔵庫でしっかり保存されていたケーキは、奇跡が起こって甘みが軽減されていました、という展開を希望していたのですが、奇跡は起きないから奇跡なのです。一口口に運んだ瞬間、口の中いっぱいに広がる甘み。くどくて重くて胃にもたれる保証120%。一口食べた瞬間、私はフォークを置いて思わず瞑想を始めてしまいましたとも。
これはもはやお菓子ではない、一種の兵器ではないでしょうか。たった一口で血糖値が跳ね上がった気がするのは気のせいではないでしょう。胃の中から湧き上がってくる奇妙な感覚――それが『甘み』だと理解した時、私は甘味料で人を殺せるのだと知りました。ええ、そうです! これはもう瞳子お嬢様による甘味毒殺未遂事件ですとも! 私を殺す気ですかお嬢様!?
「――彩子さん、彩子さん?」
「――ハッ!? 私ったら、今何を!?」
「彩子さん、トリップしたい気持ちは分かりますが、お嬢様がお紅茶を入れて欲しいと」
「紅茶? ああ、そうでした。お嬢様のお友達が来ていらっしゃるのでしたね」
私は一瞬視界に入った黒い殺人兵器に顔をしかめてから、紅茶の準備に取り掛かりました。
それにしても理解出来ないのは、何故ゆえ自身もビターなチョコレートが好みだった瞳子お嬢様が、こんな殺人兵器を作ったのか、ということです。祥子お嬢様もこんな殺人兵器をもらって大変でしょう。あの方も私に輪をかけて甘い物が苦手ですから。
「――お嬢様、紅茶をお持ちしました」
扉をノックしながら声を掛けると、中から「どうぞ♪」とお嬢様の弾んだ声が返ってきました。なにやら機嫌がよろしいようです。
「失礼いたします――」
静かにドアを開け――その瞬間、私は見たのです! その衝撃的な光景を!!
「ぅわ〜、瞳子ちゃん、これ美味しいね、ちょっと甘さ控え目だけど♪」
アマサヒカエメダケド……?
にこにこと殺人兵器を口に運ぶそのお客様を見た瞬間、私は叫んでいましたとも。
「あ、あなたが原因ですかーーーーーーーーーーっ!!」
以上が私の見た衝撃の事件の顛末です。
ええ、そうです。原因は既に分かっていますとも。私の心を覆い尽くす暗雲とは、お嬢様の奇行の原因がなんなのか、という問題ではありません。
一番の問題は、来年のバレンタインでも同じことが――いえ、あの方が『甘さ控え目』などという地獄の言葉を口にした以上、今年以上の惨劇が確実に待っているということなのです!
「あ、彩子さん、それは本当ですか!?」
「今年で既に致死量ギリギリなのに、これ以上!?」
「お、お嬢様は私たちを殺す気なのですか!?」
「わ、私、小笠原家に出向願いを出しますっ!!」
メイド一同、私の目撃した事件に、戦々恐々です。
どうか切に――切に!
私たちの未来を覆い尽くす暗雲を払って下さいませっ!!
【家政婦はミタ探偵 砂糖甘味大戦争 −未解決−】
先日行われた花寺の学園祭は、大成功の内に幕を閉じた。
花寺リリアン両生徒会の奮闘の甲斐あって準備や進行に大きな問題は無かったし、中々足を踏み入れる機会の無い花寺での経験は中々に新鮮で。
脇役だったとは言え、それらは祐巳や由乃さんに取っても総じて楽しく有意義なものには違いなかった。
ただまぁ。
とある一点において大問題が発生したことを無視すれば、と言う注釈が付くのだが。
でも、一歩間違えれば本当に警察沙汰になったかも知れないその大問題も、花寺前生徒会長である柏木優さんの奔走と祐巳自身の嘆願で事無きを得た。
元々が勘違いだし、動機も最終的な狙いも悪戯染みている。
反省もしているようだし、柏木さんに「けじめ」もつけられた。
祐巳からしてみれば、そんな彼らをそれ以上責め立てるのはあんまりにも可哀想だったのだ。
本音としては、何から何まで馬鹿らしくて怒る気になれなかったというのも、あるにはある。
勿論、部の存続を賭けていた彼らにとっては悪戯でも何でもない本気の大一番だったのだろうけれど。
しかしそれが結果的には良い方向に転がり、”あの”シーンが生まれたのだから祐巳にとっては寧ろ幸いなくらいだった。
颯爽と櫓を降りて、その麗しくも長い緑の黒髪を振り乱して駆け寄ってくる祥子さま。
汗だくの上から抱き締められる感触。
着ぐるみを通じて聞こえた、くぐもった祥子さまの声。
それらを思い出すだけでも顔がにやけてくる。
祥子さまの祐巳への愛情とか、二人の絆とか、幸せとか、本当に色々痛感できたシーンだった。
昨年のリリアン学園祭とかヴァレンタインデート、梅雨のすれ違いに夏の別荘での一時。最近では身内での花火大会も祐巳の心には残っているけど、あのシーンはその中でもトップクラスだ。
祥子さまに見られたら間違いなく注意されそうにだらしなく緩んだ頬を何度か叩いて修正しつつ、祐巳は今日も平穏無事にマリアさまの庭(マリアさまの像がある分かれ道の通称)まで辿り着いた。
マリアさまへのお祈りをさくっと済ませ、校舎に向けて歩き出した祐巳はふと鞄と一緒に持っていた一枚の紙を反対の手に持ち替える。
それは、リリアン女学園の数ある文化系部活動の中でも群を抜いてバイタリティ溢れる新聞部による、学園新聞”リリアンかわら版”の最新号。
正門前で一年生が盛んに配っていたので受け取った。
時事のネタやスクープ(主に山百合会幹部か、各部活動のエース級絡みの限定だけど)なんかを写真部と結託して学園高等部中に流布し続けているかわら版は、高等部の生徒にとって事実上流行の最先端だ。
時に面白おかしく時に真面目に、様々な話題を提供してくれるそれは、昨年築山三奈子さまが部長になった頃から大きく様変わりしたらしい。もっとも、祐巳にはその様変わり後のかわら版しか印象に無いので余り実感は無いけれど。
でもその所為で何度か山百合会――と言うより薔薇の館の住人と新聞部は揉め事を起こしている。
ほとんど新聞部側からの一方的な揉め事ではあるけど、それが後々にも禍根として薔薇の館と新聞部の間で見えない亀裂になっていたことは間違いない。
それも年度が変わり、新聞部の実権を祐巳らの同級生山口真美さんが握るようになってまた少し変わった。
初版の試し刷りは大体薔薇の館に回ってくるし、急な発刊になる場合でも記事の対象本人には必ず承諾の意志を問うようになっている。
勿論真美さんは口が上手いから拒否なんて出来ないように言い包めてくるのだけど、確認に来るのと来ないのでは印象が全く違った。
だから、なまじ自分が狙われる立場にいるという自覚から、去年は結構読むのに勇気が必要だったけど、今ではもうそんな事は無い。
素直に楽しんで読めるし、次号が毎回楽しみだ。
祐巳も今では結構なかわら版のファンだったりする。
ファンだったりする、のだが。
最近は大きなイベントもなく、リリアンの体育祭や学園祭までまだ少し時間もある。
祐巳たちにとって花寺の学園祭は大きなイベントだったが、それは山百合会幹部限定。
他の生徒の場合、自分が全く参加しない学園祭の話なんて聞いても面白くないだろう。
だから最近のリリアンかわら版にはパワーがちょっと欠けている。詰まらないとは言わないが、こう、パワーが足りない。
多分それはもう少し、体育祭の順位予想が出来るくらいになるまでは続くのかな、と祐巳は漠然と思いながら一面を観た。
今朝は先の妄想に取り付かれていたからほとんど機械的に受け取って、一面も何も読んでいなかったから。
幸運にも。
「うわーーーっ!!」
マリアさまの庭を抜けて銀杏並木の中程まで進んでいた祐巳のあげたそんな絶叫は、新聞を受け取った正門近辺であげるよりは人目を引かなかったに違いない。
〜 〜 〜
それはほとんど奇跡に近かった。
まるで世界がそこだけ完全に切り取られたかのような――写真だから実際に切り取られているんだろうけど――美しさ、儚さ、そして夢があった。
そう、写真である。
祐巳の声帯を朝一から活発に働かせてくれたのは、リリアンかわら版の一面をでかでかと飾った一枚の写真にある。
「しっかし凄いでしょう? アングル、タイミング、背景のぼかし方まで完璧」
差し込む朝の光の中で、令さまは紅茶を片手に呵呵と笑った。
場所は毎度おなじみ薔薇の館二階サロン。
明確な決まりがあるわけでは無いけれど、早期登校者が多い山百合会幹部の間ではHR前に集まって紅茶と余りものの茶請けで雑談を行うことが頻繁にあった。
特にリリアンかわら版の発刊日は話題に事欠かないこともあって、集まり方は良い。
今日も祐巳が薔薇の館に着いた時には、令さま、由乃さん、志摩子さんの三人が既にお茶を前にゆったりと寛いでいた。
そして各々の正面には件の一枚、リリアンかわら版最新号。
一面には、目が潰れんばかりにお美しい祥子さまの写真が大きく載っている。
写真の中で煌く祥子さまの表情を一言で表すなら”慈愛”か。
祐巳でも余り見たことは無いけれど、祐巳以外が目にするのは恐らくこれが初めてになるだろう。
優しさと暖かさと慈しみを、視線と頬の緩みから全開で発散させている祥子さまの横顔は、集会などで前に立つ時の凛々しさからすればまるで別人のようだ。
少し潤んだ瞳がきらきら輝いて、端正な顔の作りに微かな幼さを乗せている。そして、それがまた上手い具合に写真の幻想度を上げていた。
背景は完全にぼけて、人物像にだけピントがピタリと合っている。
装飾とも取れるその手法が示すように、写真の提供者は”有志”になっていた。蔦子さんの写真ではないと判って祐巳はほっとする。
だって。
だって、あの場所に蔦子さんが居るはずはなかったのだから。
「でも侮れないわよね。この分だと祥子さまだけじゃなくて、令ちゃんとか志摩子さんも隠し撮り結構されているんじゃない?」
集まっている面子が面子だからか、口調の砕けた由乃さんが腕を組んでテーブルの上のかわら版を睨んでいる。
でもそれは由々しき自体だ。
志摩子さんは困った風に首を傾げていたけど、こういう場合は多分に激写対象が自分以外の方が危機感とか嫌悪感は持ちやすい。
大好きなお姉さまの写真が勝手に撮られて、それが目に見えない場所で流通しているなんて想像するだけでも気持ちが悪い。
同じことはリリアンの学内でも起きているのだけれど、そこはそこ、女子の中で回るか男子の中で回るかの違いだ。
後者の方が圧倒的に嫌なのは言うまでも無い。
だから祐巳はそれに同調して頷こうとした――が、頷けない。
と言うよりも、写真から目を逸らすことが出来ない。
銀杏並木ではしたなくも大声をあげてから、写真を観ていない時間の方が間違いなく短いのだ。
薔薇の館に着いて自分の分の紅茶を入れた時間くらいじゃないだろうか、アレから離れられることが出来たのは。
そして紅茶が手元にある以上もう離れられない。視線が外れない。
「どうだかね。私はあんまり気にしてなかったけど、祥子は確かに結構撮られていたよ。祐麒くんが良く追い払っていたけど、とてもとても」
「なあに、それじゃ令ちゃん黙認してたの?」
「あんまり口煩く言ってもね。それに何て言うのかな、いやらしい視線は感じなかったから」
祐巳の耳に、どこか遠い世界から聞こえてくるような由乃さんと令さまの会話が届いた。
不穏な事を話している気がするけど、それに突っ込むことはやはり出来ない。
写真に写っているのは祥子さまだ。
でも祥子さまだけではない。
祥子さまが慈愛の瞳で見詰めて、全身から愛情を注いでいる対象もはっきりとその反対側に写っている。
そして、そんな限られた寵愛を一身に受ける対象と言えば世界で福沢祐巳ただ一人だ。
そう、祐巳もその写真に写っている。
但し問題は。
大きな問題は、そのシーンが花寺学園祭のクライマックスであることだ。
つまり祐巳が大いに感動して泣きに泣いて、衆目も気にせず祥子さまと抱き合った某シーンであることだ。
だから、祥子さまが優しく愛しそうに見詰める祐巳は祐巳でなく、人ですらなく、パンダだった。
祐巳がやんごとなき事情から着ざるを得なかったパンダの着ぐるみだったのだ。
祥子さまの普段からは想像も出来ないほど緩み、愛に満ちた表情 + 愛くるしいパンダの着ぐるみ + ピントをズラして意図的にぼかした幻想的な背景。
その相乗効果が齎す写真の微笑ましさ、祥子さまの可愛らしさ、そして夢見る乙女指数たるや空前絶後。
”あの”紅薔薇さまの小笠原祥子さまがパンダの着ぐるみに全力で愛情を注いでいるようにしか観えないその写真は、正に奇跡の一瞬を切り取っている。
勿論、祥子さまにそんなご趣味がある訳は決して無いのだが、写真にはそんな内部事情なんてこれっぽっちも写りこみはしないから。
誰がどう観ても、それは大きなパンタのぬいぐるみに心を奪われた麗しき紅薔薇さまの姿でしかないのだ。
一言で言うと可愛い。
二言で言うとメチャクチャ可愛い。
こんな事を言うと失礼に当たるのだけれど、祥子さまがもう本当可愛い。
記事にはちゃんと花寺学園祭のことが書かれて、パンダの中身が祐巳だとはっきり書かれているのだけれど、この写真の前ではどんな文章も記号の羅列でしかなかった。
写真のインパクトがあり過ぎるのだ。
インパクトのあるかわら版の写真と言えば真っ先に思い浮かぶのは真っ二つに裂かれた由乃さんと令さまのツーショットだけど、それでもこの見詰め合う祥子さまとパンダのコンボには及ばない。
「けれど、これを良く祥子さまが納得されましたね? これは流石にちょっと、試し刷りの時点で何か仰いそうなものですけれど」
絵になる仕草で優雅にカップを口元に運ぶ志摩子さんがそう言うと、祐巳も漸く会話に復帰できるくらいに気が戻った。
と言うより、言われて初めて気が付いた。
「そ、そうだよね。お姉さま、何考えてるんだろう」
普通に考えれば、祥子さまがこんな写真をお許しになるとは思えない。
いくら真美さんと言えども、頭が良くて弁も立つ上に、美人で詰め寄ると迫力のある祥子さまを言い包めることは並大抵ではないはずだ。
「ああ、祥子は知らないからね。これに許可を出したのは私の独断」
すると、令さまはさらりととんでもない事を仰った。
「ど、どどどど」
突然の道路工事で薔薇の館に穴を開けてしまった祐巳に、令さまは「まぁ、落ち着いて」と優しく宥めてから言われる。
「これも一環なんだな。私の考える、開かれた生徒会への」
自信満々に言い切られたその表情と言葉はミスターリリアンの面目躍如で格好良いのだけれど、残念ながら祐巳には令さまの言葉の意味が掴めなかった。
現国の成績も予定調和的に平均点だし、令さまの科白には「皆まで言わなくても判るでしょう?」なニュアンスが込められている。
判るでしょう、と言われてもなぁと祐巳が困り果てていると、こちらははっきり判ったらしい由乃さんが頷いた。
「ああ、そう言えば去年も前薔薇さま方が良く仰っていたわね」
するとそれに志摩子さんが添えるように言う。
「蓉子さまの仰っていた、薔薇の館が生徒で一杯になれば良い――のこと?」
それは質問と言うよりも判りきっている事を確認する、断言に近い問い掛けだった。
自意識過剰でなければ、それはきっと一人理解の追いついていない祐巳への助け舟。お陰で令さまの仰っていたことがはっきりと判った。
志摩子さんに視線で「ありがとう」と言うと、志摩子さんからも仕草だけで「どういたしまして」って返って来る。
「別格視されている薔薇さま方に親近感を持たせる。手始めにお姉さまから、と言うことですか」
祐巳がそう言うと、令さまは「そ」なーんて軽く答えて気楽そうに笑われた。
「でもこれは……確かにパワーありそうよね。祥子さまの何て言うのかな、鎧を剥ぎ取るには良い感じかも」
パワーとか鎧とか、どうにも物騒な例えを用いて由乃さんが唸る。
そりゃあパンダにこの表情を向けていれば、誰だって現生徒会長にして厳しくも美しい祥子さまに対する見方が変わってくるだろう。
祐巳は事情を知っているから、その写真には意外性だとか可愛らしさだとか言う以前に、”物凄いベストタイミングで撮られたなぁ”と言う感動だか呆れだかが先行する。でも事情を知らない、例えば一年前の祐巳なら間違いなく三部は貰って観賞用(学内)・観賞用(自宅)・保存用で使い分けたに違いない。
ん? 事情?
そうだ、事情だ。おかしいぞ、この写真がリリアンかわら版に載るはずが無い。
「でもこの写真って、一体何処から出たんでしょう? 花寺の学園祭にリリアンの関係者なんて私たち以外には――」
「蛇の道は蛇と言ってね」
物凄い事を発見した! と言わんばかりに興奮しながら言葉を綴る祐巳を遮って室内に投げられた言葉。
ああ、登場の仕方と良い第一声といい、悪の大ボスっぽい仕草が似合うようになってきたなぁ。もしかして新聞部の伝統?
なんて馬鹿な事を考えながらゆっくり振り向いたビスケット扉の傍には、ヘアピンで分けられている綺麗な七三がトレードマークの少女。
リリアンかわら版の発行責任者にして現編集長、山口真美さんがそこに居た。
「ジャーナリズムに国境は無いのよ。それこそ、性別の違いも宗教の違いも関係ない」
そんな科白を格好よく決めた真美さんが改めて「ごきげんよう、皆さん」と言って室内に足を踏み入れると、瞬間冷凍されていた館の住人たちは各々「ご、ごきげんよう」なんて慌てふためいた。
令さまだけは登場を予期していたように一人落ち着いて。
「薔薇の館へようこそ」
なんて貫禄の違いを祐巳たちに見せつけていた。
真美さんが朝も早くから薔薇の館に足を向けたのは単純な理由だった。
「どうせ呼ばれるのが判っているんだから、初めから談判した方が良いわ」
とのこと。
どうやら真美さん、問題がある写真だと理解しておきながらも令さまを懐柔して押し切る算段の様子。
いや、懐柔と言うよりも利害が一致したから協力関係になった令さまと一緒に、かな。
それは兎も角、祥子さまと全面対決の心構えなのは間違いがないようで。
「あんまり肩に力を張らないで良いよ。祥子も蓉子さまの意志は良く知っているはずだし、新聞部に全面的な非がある訳でもない。まぁ肖像権云々はあるかも知れないけどね」
そう言って楽しそうに笑う令さまの姿はちょっと意外で、実は結構イベント――と言うより悪役側が好きなんじゃないだろうかと思う。
確かに思い起こしてみれば、春から梅雨にかけて乃梨子ちゃんと志摩子さんの仲を取り持つ為に一芝居打った時は、結構生き生きと悪役を演じられていたような気もするし。
だん!
その時突然、決して優雅ではない大きな音が薔薇の館に響いた。
真美さんは驚いたように体をびくりと震わせただけだったけれど、それ以外の二年生三人組はその音が薔薇の館の正面玄関の音だと知っている。
そしてその扉を力強く閉められた方が烈火のごとく怒っておられることも良く判っている。
由乃さんと志摩子さんが顔を青ざめさせているのを横目で見る祐巳の顔色は、多分青を通り越して真っ白。
開始時点からかなりの危険レベルにまでお怒りゲージは上昇しているようだ。
それを知ってか知らんでか、令さまの顔から笑みが消えた。
真美さんも雰囲気から全てを察したようで、膝の上に乗せた掌をぎゅっと握る。
そして、怪獣の行進を思わせる階段を上る足音が猛々しく聞こえたかと思うと。
だん!
「何なの、アレは!」
低血圧で朝が弱いはずの祥子さまが、がなるような大声と共にいらっしゃった。
その夜叉のようなお顔は、写真のそれとはやっぱり別人なんじゃないかと祐巳をして思ってしまうほど恐ろしかった。
〜 〜 〜
結論から言うと、祥子さまは惨敗した。
令さま曰くの”開かれた生徒会”は本当に昨年からの懸念事項であり、それを最も阻害しているのが祥子さまのお嬢様オーラであることは間違いがなくて。
ほとんど四面楚歌だった祥子さまは、山百合会幹部はフォローする必要なし、新聞部もこれ以上煽らない代わりに放置すると言う条件に収束する話の流れを止められなかった。
祐巳は消極的ながらも「不満」の意志を表明することは出来たけど、それだけ。
可愛いお姉さまの姿が色んな人に観られるなんてちょっとヤだ。
くらいの気持ちで既に何十枚も流通している学園新聞の回収なんて申請出来るはずも無い。
話が意と反してかわら版の肯定に進む中、机の下で誰にも見られないようにハンカチを握り絞る祥子さまの御手がただただ恐ろしい。
真美さんが居るからヒステリックな声を上げることだけは堪えられているようだけど、それも何時まで持つか。
そんな風に内心冷や冷やしながらちらちらと祥子さまの様子を伺っていた祐巳は、ばん! と両手で机を叩いて祥子さまが立ち上がると「うひゃあ」なんて間抜けな声を出してしまった。
「結構。もう結構よ。これ以上話すだけ無駄ね、好きになさい」
祥子さまはそうびしっと言い放つと、ご自分の鞄を取ってビスケット扉に向かう。
ぷりぷり肩を怒らせて突き進む祥子さまの背を一瞬追いかけた祐巳は、でも掛ける言葉を見失って中途半端に立ち上がったままそれを見送った。
祥子さまを飲み込んだビスケット扉が閉じられる時、だん! と、三度薔薇の館がリリアンに有るまじき轟音を立てた。
〜 〜 〜
「はあ」
放課後。
薔薇の館での事務作業を切り上げた紅薔薇姉妹は、祥子さまの重苦しい溜息と共に銀杏並木を歩いていた。
溜息の理由は、遅々として進まないリリアン学園祭の出店・演目調整では勿論ない。
寧ろ、館では祥子さまは楽しげに書類整理などの仕事をされていたのだ。
「”パンダ”の単語が聞こえない環境は素晴らしいわね」
中途で嫌味ったらしく漏らしたその一言に、令さまだけが苦笑で返した。
聞くところによると、祥子さまは本日見事にパンダフィーバーだったらしい。
まぁあの写真を観て祥子さま=パンダ好き、と言うイメージが付くのは判る。
そして不満たらたらだったとは言え一応は流通の承諾をした祥子さま、言い寄ってくる同級生下級生を無下にすることも出来ずにそれなりに対応された。
それが拙かった。
祥子さまは元来、ヴァレンタインとかの乙女イベントの特別なプレゼントですら「貰う理由が無い」と突っぱねてしまう程厳しいお方なのだ。
それでも祐巳からのチョコレートは貰ってくれるし、ささやかなプレゼントもちゃんと通るのだけど。えへへ。
兎も角、パンダ好きの祥子さま(その見解からして大間違いなのだけど)には、同種の趣味を持つお姉さま方が殺到した。
そしてリリアンは女学園で、パンダと言えば愛玩動物の世界代表に選ばれるくらいの実力者だ。
可愛いもの大好き女の子がパンダを嫌いな訳はなくて、必然的に祥子さまは休み時間の度にパンダの話題を振られ続けた。やがてパンダに飽き足らず愛玩動物全般、遂にはヌイグルミの方にまで話が飛躍したそうだ。
それらに耐え切ったのは偏に、有言実行の祥子さまらしいプライドの賜物だろう。
「はあ」
とは言え、それが途方も無い心労を伴ったことは連発される溜息に表されている。
気を張っていると言う訳では無いけれど、祐巳の前では結構”お姉さまらしく”在ろうとする祥子さまがそうなのだから、余程のストレスだったのだ。
「お姉さま」
花寺学園祭を終えてめっきり肌寒く感じるようになった秋の風が吹き抜ける銀杏並木の下で、祐巳はそっと祥子さまの手を握った。
それでストレスが完璧に取れるなんて祐巳も思わないけど、少しでも気が楽になってくれたらなって思う。
力無く微笑み返してくれた祥子さまは、少し歩くペースを落として話し始める。
「今日は本当に災難だったわよ。これが明日以降も続くと思うと気が滅入るわ」
「……もしかしてお姉さま、パンダはお嫌いですか?」
首を振ってさもうんざり、と仰る祥子さまに、祐巳は幾分悩んだ後に恐る恐る聞いてみた。
もしそれが本当なら、これは祐巳とて静観している訳にはいかない。
確かに開かれた生徒会の実現は山百合会幹部内の夢であって大事なことだとは思うけど、それで祥子さまが心底に嫌な思いをするのは間違っている。
「しょうがないわね」って軽く苦笑うくらいならまだしも、傷付いたり、苦痛を感じたりするのは駄目だ。
他の誰が対象でもそうだけど、こと祥子さまに関しては祐巳だって断固戦う決意はある。
某写真は芸術的に美しくて犯罪的に可愛くて、結局祐巳はあの後かわら版を二部、追加で貰ったりもしたのだけど。
それはそれ。これはこれ、だ。
すると祥子さまは少し驚いたように目を丸くされたけど、すぐにくすくす笑って「いいえ」と首を振った。
「パンダ自体は嫌いでは無いわ。嫌うほど良く知らないし、純粋に可愛いと思えるものね。でも」
そこでぎゅっ、と祥子さまは繋いだ手に力を込めた。
それは祐巳へのメッセージと言うよりは――自然と力が篭ったように。
え? もしかして私の手、ハンカチの代わりですか?
「記事にはちゃんとあのパンダの中には祐巳が入っている、と書かれているのに私がパンダを観ていると判断されているのが気に食わないわ」
ぎゅっ、はぎゅぅっ、に変わった。
痛い痛い。痛いです、お姉さま。
「しかもそれが新聞部の扇動によるものではない、と言うのがまたね。文句の言いようも無い」
ぎゅぅっ、はもうどっちかって言うとぎりぎり、に変わっている気がする。
お姉さま。お姉さま。痛い痛い痛いです。痛いんです。いや本当。
「全く――」
そこまで言った祥子さまの手から、煙がかき消えるようにふっと力が抜ける。
万力に挟まれたように締め上げられていた祐巳の手が、取り戻した開放感に満ちる。
そして。
「私はあの時、パンダなんてこれっぽちも観ていなかったと言うのにね」
なんて。
あの写真と同じ、慈愛に満ちた祥子さま本来の微笑を浮かべて。
物凄い殺し文句をさらりと言ってくださった。
誰がどう観てもパンダだった、写真にも祐巳の姿は全く映っていない。完全無欠にパンダだったのに。
それでも祥子さまはパンダなんて観ていないって仰ったのだ。
あくまでも、祐巳を。着ぐるみの中の祐巳だけを観ていたって。
祐巳はもうあの時の感動がまざまざと蘇って、感極まって、言葉をなくして。
ただ無言で繋いだ祥子さまの手にぎゅって力を込める。
祥子さまも今度は優しく、ぎゅって握り返してくれた。
花寺の歓声が、耳の奥で聞こえたような気がした。
ここはリリアンの地下深く。人々の欲望渦巻くとある賭博場。
「はぐぅ!」
『おーっと!挑戦者、底力を見せ付ける!』
地下というリングの中で、金の為に戦う者達。
「…………」
『だがチャンピオン、無言でさらにペースアップ!挑戦者ももはや限界か!?』
そして、その戦いに巨額の富を賭け、楽しむ者達。
「ぐぶぉお」
『ああっと!ここで挑戦者が悶絶!!』
日々、欲望の為に行われる、闇の決闘、その名も……
「189…」
『おおっと!チャンピオン!圧倒的有利にも関わらず、更に食のペースを早める!』
「そ、そんな………うぷっ」
『ああっと!ここで遂に挑戦者、力尽きる!』
シュガーファイト
「私の胃袋は(甘い物に関しては)宇宙よ!」
食欲に群がる猛獣達と、それを金で持て遊ぶ人々の闇の闘食場である……。
そして、その試合の様子を眺めている影が一人。
「さすがは、チャンピオン。ローズ・レッド・ブロッサム……。だが次はこうはいかんぞ……!」
影は手元の書類に目を落とす。
「次は、こいつ。触れば触るほど食欲が増す、セクハラー・セイ。貴様はこいつを倒せるかな?フハハハ………」
誰もいない、名も無い闇室で、影が不気味に嗤った。
※この記事は削除されました。
この作品は壊れ系ギャグで、スールオーディションのifというネタがかなり古い作品です。
「ごきげんよう、ねえあなた、お姉さまはいる?」
「ごっ、ごめんなさい」
たったった
「あっ、ちょっ、待っ!」
残酷なお断り声が、切羽詰った由乃さんの耳にこだまする。
由乃さんのスール勧誘に逃げ惑う乙女たちが、今日も0円スマイルのようなひきつった笑顔で、由乃さんの魔の手ををくぐり抜けていくのだ。……うーん、みんなもう正体知ってるからなあー。
引くことを知らない心身に流れるのは、太いザイル並の神経。
江利子さまにつつかれてても乱れないように。……十分乱れてるけど。
いったん宣言したことは翻らさないように、つっぱって歩くのが由乃さんのたしなみなのだ。
もちろん、ギリギリいっぱいで暴れまわるといった、はしたない由乃さんはいつものこと。
島津由乃さん。
黄薔薇の蕾であるこのお人は、もとはおしとやかな令嬢を装っていたという、問題ある銀河系最強のはっちゃけたお嬢さまなのだ。
由乃株急降下! 手術前の面影をまったく残していない血の気の多いこの性格で、神をも恐れぬイケイケぶり。
幼稚舎から大学(予定)まで一貫して被害を受けている令さまの乙女心は悶絶ものなのだ。
キャラは生まれ変わり、信号が黄点滅(ゆっくり)から赤信号(イケイケ)に二回ほど切り替わったら平静ではいられない凶悪さで、うっかり逆らおうものならわがまま育ちのキケン度100%由乃爆弾が導火線に出火される、という仕組みがいつも燻っている危険な火薬庫であるのだなこれが。
「そうじゃないでしょ!」
ドコッ!!
(うん、ナイスパンチ)
祐巳の目の前で、由乃さんが体重の乗った見事なパンチを高田君に放っていた。
祐巳の親友でもあり黄薔薇の蕾である由乃さんが、高田君をビシバシと調教、ではなく指導しているのだ。
この光景は、高田君の嗜好がまっとうな道からドリフト走行イニシャルMにまっしぐら、というわけではなくて、これにはある理由があったりする。
それは、今から少し前に由乃さんが前黄薔薇の江利子さまから由乃さんが、自分の妹を紹介する、という、およそマリアさまでも不可能ではないだろうかと思うような約束をしてしまったことから始まった。
約束の期限は、十一月にある令さまの交流試合の日。ちなみに、今日から3日後の土曜日だ。
で、今日にいたるまでにオーディション等いろいろと試してみたものの、結局、妹を捕らえる事ができなかった由乃さんは妹を自力で捕まえる事を諦めある作戦を発動させることにした。
その作戦内容は、替え玉の妹を用意して江利子さまを騙す、という目を覆いたくなるようなトンデモ作戦だったりする。
ちなみに替え玉の高田君は、令さまの着替えプロマイドと限定版プロテイン(何が限定なのか祐巳にはさっぱりだけど)でこの役を受けたらしい。……安い男だ。
由乃さんから再度、高田君に指導の声がかかる。
「いい、返事は」
「ウッス。・・・・・・じゃなかった、はい」
「・・・・・・まあいいわ。じゃあ次、趣味は」
「身体作り」
どぼぅ!!
高田君が身体作りと言った瞬間、これまたいい音がした。
「そうじゃないでしょ!!」
鬼だ、由乃さん。
高田君はその目に涙を浮かべていた。気持ちはわかる、わかるよ高田君。でも、助けてあげないけど。
鬼教官から再度指導が入る。
「はい、もう一度。趣味は?」
「お、お菓子作りです。ビスケットからプロテインまでなんでもやります!」(涙声)
最後のはたぶん違うと思う。だが、由乃さんは満足そうに笑みを浮かべていた。……先は見えたな。
______________________________________
今日は運命の交流試合当日。祐巳の目の前には2人の美少女が火花を散らしていた。
美少女の二人は言うまでもなく、前黄薔薇さまである江利子さまとその永遠のライバルを自称している由乃さん。
祐巳は、その二人の向かい合う姿からバチバチッと火花が聞こえてくるような錯覚さえ受ける。
……そして、あまり言いたくはないのだが。もう一人、彼女らのとなりに怪物がいた。
それは、一言でいうなら「パッツンパッツン」だった。
おそらくは令さまの制服を借りたのであろうか? だが、女子高生の平均値の身長を遥かに上まわるだろう令さまの制服を着ても、その鍛えぬかれえた肉体を隠すことは出来なかったみたいだ。祐巳にはその全身からは「む〜ん」というようななんともいえない漢のオーラが湧き上がってくるように見えた。
むう、スカートのプリーツははちきれんばかりに、白いセーラーカラーは引きちがれんばかりに、ピッチリとフィットするのが高田君のたしなみらしい。……おえ。
「あなたが、由乃ちゃんの妹?」
「ウス……ぎゃっ」ぐりっ
なにかを踏みつけてぐりぐりする音が聞こえたのは祐巳の気のせいだろう。そういうことにしとこ。
「は〜い、江利子さま。そうですよ。この子が私のかわいいスール、高田まがね子ちゃんです」
全然かわいくないし、なんて嫌な名前なんだろう。
「素敵な名前ね」
だめだ、もう祐巳にはついていけそうにない。二人の間には目には祐巳には見えないなにかが見えてるのだろう。できれば、祐巳の目の届かないところでひっそりと幸せになってほしい。
「誉めてくださってありがとうございます。よかったわね、まがね子」
祐巳は思う。それは人として誉められていいのか、と。
「まがね子ちゃんは、母性本能をくすぐるタイプね」
祐巳としては、こんなのに母性をくすぐられるほど人生追い詰められたくはない。むしろ、くすぐられるのは野生本能あたりではないだろうか。
「うーん、まがね子ちゃんって少しいいづらいわね」
うん、確かに人として言いづらい名前だと思う。
「お好きに呼んでください、江利子さま」
「そうだ。じゃあ、まがちゃんて読んでいいかしら」
「ぶっ!!」
ま、まがちゃん。なんて禍禍しい呼び名なんだ。
「はい。喜んで」
喜ぶな、そこ。
「それじゃあ、まがちゃん。ちょっとお聞きしたいのだけど」
「ウ、はい、なんでしょう江利子さま」
「なにか趣味などあるのかしら?」
来た。がんばれ、まがちゃん。あの(無駄に)厳しかった練習を思い出すんだ。逝け逝け!GO!GO!
「お、」
「お」、お菓子のお? がんばれ。
「お菓子」
やったね高田君、死ななくてすんだね。……ちぇっ、ちょっとだけ残念。
だが、やっぱりまがちゃんは祐巳の期待を裏切らないでくれた。
「お菓子と身体を少々たしなんでおります」
びしっ!!
由乃さんがチョップをかました。少々おいたが過ぎたようだ。
江利子さまが目を丸くしている。
「身体??」
「ほほほほほ、なにを言ってるのかしらねこのバカチンは、このっ!このっ!」
びしっ! びしっ! と、由乃さんが高田君にチョップをかます。
さすがに祐巳は高田君が可愛そうに見えた。むろん、助けてあげないけど。
しばらくチョップを受けていたまがちゃんはおもむろに立ち上がり、真っ直ぐと江利子さまを見据えその口をゆっくりと開いた。
「江利子さま、お話があります」
祐巳には、まがちゃんからやる気のオーラが立ち上っているように見えた。
(おおっ、ひょっとして先ほどの失点を取り戻す気なのか? 頑張れ、まがちゃん!)
由乃さんも口を出す様子はない。どうやらやらせて見る気だ。
まがちゃんがやる気満々に口を開いた。
「ぼくのお姉さまになってください!」
・・・・・・あー、えーと、どうやらまがちゃんは命がいらないみたいだ。
ひゅっ!
次の瞬間、祐巳の隣にいたはずのまがちゃんがいなくなった。あれ?
ただ、気がつけば赤く輝く流星のようなものが壁に向かって飛んでいくのが見える。
一筋の流星は一直線に飛んでゆき。
ビタン!!
と、壁にヤモリのように張り付き。
ずるずる
と、緩やかに下に落ちていった。
まがちゃんに何が起こったのかはわからない。ただ、それを知ってるのは由乃さんの右手にある血のついた竹刀だけではないだろうか、と祐巳は思うのであった。
「ほほほほほほー!! 江利子さま、それでは失礼させていただきますわ。祐巳さん、いくわよ」
「う、うん!」
由乃さんはまがちゃんをひこずって江利子様の前から引き上げようとした。祐巳も慌てて由乃さんの後を追おうとしたとき、祐巳の背後から声がかかる。
「祐巳ちゃん」
「え、は、はい」
「あの子のことこれからもよろしくね。こうみえても可愛い孫だとは思っているのだから。あ、由乃ちゃんには内緒よ」
祐巳は思わず嬉しくなった。やっぱり江利子さまは卒業しても江利子様だ。
祐巳も笑って江利子さまに返した。
「はい。これまでもなんとかうまくやってこれたので、これからもうまくやれるとは思います……かなりギリギリですが」
「ふふっ。ありがとう祐巳ちゃん。由乃ちゃんに言っといて、確かにはいろんな意味で希少価値高かったけど、もう少し人間らしいのにしなさいって」
それはそれで、まがちゃんにあんまりじゃあないだろうか。まあ無理も無いけど。・・・・・・あれでは希少価値がある、というより故障個所が(かなり)あるといったほうが正しいだろう。
祐巳は苦笑を浮かべたあと、江利子様にお辞儀をして後にしたのであった。
「おそい!!」
由乃さんは案の定怒っていた。祐巳は慌てて言い訳をすることにする。
「えっと、江利子さまと話し込んじゃって」
「話し込んで? うっかり口をすべらせてボロをだしてないでしょうね」
あれ以上どうボロをだせるのだろう? 祐巳はそう思いながら由乃さん右の方を見る。
そこにはうっかり口をすべらせてボロボロになったまがちゃんがいた。・・・・・・哀れな。
「まあ、なんにせよ大成功だったわ」
・・・・・・なんだろう?今とても不思議な言葉を聞いたような気がするが?
だ・い・せ・い・こ・う・・・・・・ってなにが?? まがちゃんを吹っ飛ばした技のことだろうか?
「えっと、由乃さんなにが成功なの?とっても聞きたいのだけど?」
「もう、なにをいってるの祐巳さん。見事に江利子さまを騙しおおせたじゃない」
なにをイッてるのだろう由乃さん。見事に自分自身を騙しおおせている。あれが大成功と呼ぶならばこの世界から失敗という言葉はいらないんじゃないだろうか?
「・・・・・・そうでもないと思いますよ。あの人、見破っていましたもの」
ボロ雑巾のような、まがちゃんが口を開いた。
「何を?」とさっぱりわからない口調で由乃さんが聞く。
むしろ祐巳には、なんでそこで由乃さんの口調が疑問系なのかさっぱりわからない。
「自分に、資格がないってことを」
「資格が、ない?」
ある意味、今の由乃さんにピッタリの言葉だ。
「自分の顔はゴツイので、メイクをしてきたのですけど、失敗しました。いつのまにかメイクが落ちていたのに、気が付きませんでした」
ほら、と、顔をぬぐってみせるまがちゃん。その時、由乃さんの目に映ったものは。
「あ、あなた」
まがちゃんが顔をぬぐったその下から、あるものが祐巳たちの目に飛び込んできた。
「ヒヒヒヒ、ヒゲぐらい剃ってきなさいー!!」
と、いうわけで、それを見た由乃さんはリミッター解除、再び楽しいお仕置きタイムがまがちゃんを襲う。・・・・・・南無。
バキ!! ドカ!! ボコ!! ぷしゅー
「はー はー ふん! あきらめないわよ。どこかで私に恋焦がれている一年生がいるわ!」
コゲコゲになってる、のまちがいじゃあないだろうか?・・・・・・特に約一名。
そのあと由乃さんが、あなたのせいで、あなたのせいで、とまがちゃんにダウン攻撃をかましていた。・・・・・・殺さないでね。
おそらく、根本的な問題は「女装」がまちがいだったんじゃあないだろうか。
由乃さんのはっちゃけをみながら、祐巳はそう思うのであった。
これで本当に終わり・・・と思ったがさらに後日談があった。
ここは一年椿組、ジャンボ可南子、ドリル瞳子、ノリブッダの3巨頭を擁し、他のクラスから「グラップラーツバキ組」と恐れられているガチンコ系バーリトゥードゥなクラスである。
先生が教壇で口を開いた。
「ミナサン、大変嬉しいことがアリマス。今日から新しい仲間がフエマス」
みなざわついる、だがそれはワクワクといった感じではなくどちらかというと、みんな、なんで?といった感じだった。
生徒の空気を感じ取ったのか、先生が再度口を開いた。
「みんなの言いたいことはワカリマス。何でこの次期に転向生が?と思うことデショウ。実は彼女は最近あることに目覚めて、この学校に本人たっての希望で転入してまいったというコトデス。ですからみなさんもぜひ歓迎してあげてクダサイ、では入ってクダサイ」
そう先生が言った後、ガラッと扉が開き……怪物が入ってきた。
どすどすどす。
教壇まできたそれは、みんなの方に正面を向きとろけるような笑顔でこう挨拶した。
「高田まがね子です。前の学校ではまがちゃんと呼ばれてました。よろしくお願いします」
そして、クラスのみんなもこちらこそお願いしますわ、と返していた。
だが、だれも気が付かない。生徒の内3人が「ぶっ!」となにかを口からスクランブル発射してたのを。そしてその怪物は、スクランブルした3人ほうに笑顔をむける
「……きちゃった」
(きちゃったじゃねぇぇー!!!!)×3
終わり
連載が終わるまで他のSSをやらないつもりでしたが、新規の人にも読めるように&気分転換に初心にもどってこのようなものを載せてみました。こんな馬鹿作品を最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。
この作品は、スールオーディションが出た時にそのパロディのSSのオチだけをまとめ直したものです。ノリと勢いだけで書いただけのものですので、あまり細かいところは気にしないでください(汗
あ、高田まがね子ちゃんは、あるお方のSSから(勝手に)拝借させていただいております。
※この記事は削除されました。
※この記事は削除されました。
小ネタです。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「はぁ〜………」
「どうしたのよ、祐巳さん?」
「………恋がしたいなぁって………なんで額に手をあてるの由乃さん?」
「いや、”お姉さま命”の祐巳さんが何言い出すんだってつい…ねぇ」
「別にいいでしょ、私が白馬の王子様待っていたって」
「ぅぁ〜、”白馬の王子様”なんて久しぶりに聞いたわ〜」
「ぅぅっ、そう言う由乃さんだって………あ、いるんだっけね、彼氏……」
「ふふん、自分の弟のことを忘れるなんてね」
「うっ、なんか祐麒を人質に取られてる気分…」
「どういう意味よ! で、志摩子さん……なにお腹抱えてるのよ?!」
「ふふふ…だって……特等席で…”つぼみ漫才”なんか見せられるから…」
「「つぼみ漫才ってなに?!」」
「二人の会話」
「言い切ったよこの人は………で? 志摩子さんはどうなのよ?」
「なにがかしら?」
「殿方に興味はあるの? お付き合いしてみたいとか?」
「あ、それ聞きたいな」
「そうね〜、興味が無いと言ったら嘘になるかしら? でも、自分が殿方とお付き合いをしているのを想像出来ないわね。 乃梨子はどう?」
「……そうですね。 白馬の王子様に興味はありませんけれど…」
「『ありませんけれど』?」
「フェラーリかポルシェを国産車並みに走らせる人には興味があります」
※このSSは、祐麒×可南子な感じでお送りします。
だれもはけなかったガラスのくつをシンデレラがはくと、おうじさまは、こういいました。
「ああ、やっとめぐりあえた。シンデレラ、どうかわたしのつまになってださい」
シンデレラは「はい」とうれしそうにへんじをし、おうじさまのつまになりました。
こうしてシンデレラは、おうじさまといつまでもしあわせにくらしました。
シンデレラはずるい。
だって王子様のそばには、彼に気に入られたくて一生懸命お化粧したり、ダンスの練習をしたりした女の子が大勢いたはずなのに。
だから、綺麗なだけで王子様を射止めてしまったシンデレラはずるい。
幼い頃、少しませていた私は、そんな事が気になる子供だった。
そして、自分の身長が他の子よりもずいぶんと高くなりだした頃、私はシンデレラのまわりにいた「選ばれない女の子」なんだと自覚し出した。
秋も深まり、リリアンの学園祭が近付く頃、私はあまり機嫌が良く無かった。
そもそも花寺の男達と一緒に劇をするというだけでも抵抗があったのに、紅薔薇さまの一言で、自分がよりによって男役をやらされる事になったから。
お父さんのせいで男性が信用できなくなっていた私には、全てが苦痛だったが、一度引き受けた事を途中で投げ出す事も出来ず、淡々と与えられた役を演じていた。
私はつい、祐巳さまに「やっぱり、やりたくなかった」なんて愚痴をこぼしてしまった。こんなに困っている私に気付いて欲しいという『甘え』だったのかも知れない。
妹になる気も無いクセに、私は祐巳さまに何を求めているのだろう?
そんな私の気持ちをイラつかせる原因がもう一つある。
「細川さん、このシーンのセリフなんだけど・・・」
福沢祐麒さん。花寺の生徒会長で祐巳さまの弟。偽りの祐巳さまを演じる不愉快な『男』。
他の花寺生徒会のメンバーは、背の高く無愛想な私には近付かず、優しく応対してくれる祐巳さまや黄薔薇さまに話かけると言うのに、この人は何故か、平気で私に話しかけてくる。
「劇の事なら紅薔薇さまか黄薔薇さまに・・・」
他の男達は、こんなふうに無愛想に応じる私に恐れをなして話しかけなくなるというのに、この人は・・・
「うん。でもこのシーンで俺とセリフのやり取りするのは細川さんだし」
やんわりと拒絶する私に気付きもせずに、平気で会話を続ける。
誰にでも分け隔て無く接するところは、この人が祐巳さまの弟だと実感させる。でも私は、同年代の男の人にどう接して良いものやら判らず、劇の事など当たり障りの無い会話を無愛想にする事しかできなかった。
何故だか、そんな自分にもイライラする。
この人の事を良く見ていると、劇の練習の合間にも他の花寺のメンバーの行動に注意したり、花寺とリリアンの間で意思の疎通を取り持ったりで、おそらく一番忙しく動きまわっている。
生徒会長の責任を果たしているその姿は、素直に凄いと認めても良いかな・・・
「細川さん、このシーンの立ち位置なんだけど・・・」
忙しく動き回る合間に、また私に話しかけてくる。
私は少しだけ丁寧に応じてあげる。きっと、この人の疲労は私なんかよりも大きいと思ったから。
軽く立ち位置やセリフの確認を終わらせると、この人には珍しく溜息をつくのが聞こえた。
「・・・・・・大変ですね。劇の他にも色々とやらなければならない事が多そうで」
私は思わずねぎらいの言葉をかけていた。
・・・我ながら、珍しい事をするものね。
「ん? いやぁ、そんなに大変でも無いよ。奴らの面倒見るのは日常茶飯事だしね」
祐麒さんはそう言って花寺のメンバーに目をやる。
「そうなんですか?」
「うん。日光月光先輩は人の話を聞かないし、アリスは色んな意味で自由だし・・・」
苦笑しながらぼやく様子に、私も思わずクスリと笑った。
「小林はろくな事考えないし、高田はそもそも考えないし・・・ ああ、ゴメン。愚痴なんか言って」
「いえ、平気ですよ」
愚痴を言っている途中にまで気を使う祐麒さんに、私はまた笑いが込み上げてくる。
基本的に優しい良い人なんだな。
「でも、他の人より忙しく動き回ってますよね」
「それもいつもの事だし。・・・って見られてたのか」
自分がまるで祐麒さんを見つめていたかのような事を言ってしまったのに気付き、私は何となく恥ずかしくて祐麒さんから目をそらした。
「リリアンの人に気を使わせないように、密かに動いてたつもりだったんだけどなぁ・・・」
良かった。この人はただ、忙しく動き回る姿に気付かれた事に驚いただけみたい。
誤解されていなかった事に安心して、私はまた祐麒さんを見る。すると祐麒さんは心配されたと思ったのか「いや、本当に平気だから」なんて言ってくる。
「別に大変な事じゃないよ。・・・・・・・・・女装させられる事に比べればね」
「女装、イヤなんですか?」
「まあね。たいていの男はそうだと思うよ」
苦笑する祐麒さんを見て、私は自分の先入観を少し恥じた。
女装する祐麒さんを見て、テレビで見た『本人を小馬鹿にしたようなモノマネ』をする芸人を連想して、祐巳さまを侮辱されたような気がして腹が立ったけど、考えてみれば、祐麒さんも好き好んで女装していた訳ではないのだ。
もしかしたら、望まぬ男役を演じさせられている私と同じ境遇かも知れないわね。
山百合会でも、劇を支える裏方でもないのにここにいる私は、何となく部外者のような気がしていたけど、ようやく仲間に巡り合えたような気がしていた。
翌日から、私は祐麒さんと劇についての会話の他に、普通に雑談をするようになった。
祐巳さまの家での様子や、花寺のメンバーの事。昨日見たテレビや、最近寒くなってきた気温の事。そんな他愛無い会話に、ほっとしている自分に気付いた。
似たような悩みを持つ“仲間”がいるというのも悪い気はしないものね。
そんな事を考えながら祐麒さんを見ていると、紅薔薇さまにダメ出しをされていた。
「祐麒さん、もう少し女らしい感じでセリフを言えないかしら?」
「・・・・・・はあ、努力してみます」
そんな二人のやり取りに思わずクスリと笑っていると、祐麒さんが出番を終えてこちらに歩いてきた。
「お疲れ様です」
「いや、本当に疲れるね。『もっと女らしく』なんて、産まれて初めて言われるからなぁ・・・」
そう言ってお互いに笑いあう。
「私も男役なんてどうしたら良いのか良く解かりません」
「だよねぇ」
「でも私、この身長じゃあ、女らしい役にも向いてないですけどね」
私は思わず祐麒さんに愚痴をこぼした。
あれ?身長へのコンプレックスなんて、あまり人には言った事無いのにな・・・
「そう?でも細川さん、モデルみたいで綺麗じゃん。きっと舞台に映えるよ?」
いきなり真顔でそんな事を言われて、私は返す言葉に困ってしまった。
「な!・・・急に何を言い出すんですか。変なお世辞はやめて下さい」
「別にお世辞って訳じゃあ・・・」
「・・・ちょっと風にあたってきます」
私はその場にいるのが恥ずかしくなって、祐麒さんの前から慌てて立ち去った。
頬が熱い。まったく、あの人は何を考えてあんな事を言い出したんだろう。モデルみたいだなんて・・・
教室から出ると、ちょうど祐巳さまと出くわしてしまった。
「あれ?可南子ちゃん、どこ行くの?」
「・・・ちょっと外で涼んできます」
「中、そんなに暑いの? 顔真っ赤だよ?」
「ええ・・・まあ・・・ 失礼します」
祐巳さまに指摘されて、私の頬は益々熱くなってしまった。
・・・みんな祐麒さんのせいだ。
外へ出た私は、冬の到来を予感させる冷気にあたり、頬の熱をさます。
私は何となく、祐巳さまと初めて出会った頃の事を思い出していた。思えば祐巳さまも、私の身長など全く気にせず、私を一人の女の子として見てくれていたわね・・・
中学生になる頃から背の伸び始めた私は、何時の間にか身長のせいで偏見を持たれる事が当たり前になってしまっていた。そのせいか、急に普通の女の子として扱われると、どうして良いか解からなくなるみたいだ。
そうよ、きっと福沢家の人は、みんなあんな感じなんだわ。祐麒さんは別に私の気を引くためにあんな事を言い出したんじゃない。
私はシンデレラじゃなく、周りにいた“その他大勢”。一人でドキドキしたりして、馬鹿みたいじゃない。
そろそろ頬の熱も引いた。教室に戻って劇の練習に参加しなきゃ。きっと祐麒さんも何事も無かったように迎えてくれる。
・・・そう、今までどおり、ただの仲間として。
そんな事を考えていたら、何だか急に寒い気がしてきて、私は教室へと戻って行った。
教室に戻ると、劇の練習が続いていた。ちょうど祐巳さまがセリフを言うシーンだった。
私はそっと舞台を見つめる輪に加わろうとしたが、急に呼び止められた。
「細川さん」
祐麒さんだ。私に呼びかけながらこちらに近付いてくる。
・・・え? 何?
祐麒さんはいきなり、私の顔に手を伸ばしてきた。私が突然の事に固まっていると、祐麒さんは私の髪にそっと触れた。
何? どうしていきなりそんな・・・
あ、男が女の髪に触れるのは、かなり親密な間柄の証拠だって何かで聞いたような・・・
でも、そんな、私達まだ何も・・・
「髪に葉っぱ付いてるよ」
・・・忘れてた。
祐巳さまで思い知ってたはずなのに。福沢家の天然さ加減を。
また頬が熱くなったのを自覚しつつ、私はかろうじて「・・・どうも」とだけ返す事ができた。
・・・・・・何だかどっと疲れた。
最近、祐麒さんのせいで妙に劇の練習が疲れる。
例えば、台本を持ってセリフの練習をしている時。私の手をじっと見ていると思ったら突然・・・
「細川さん、指綺麗だね」
「・・・そうですか」
お願いだから余計な事を言わないで欲しい。幸い、そういった雑談は、周りに人がいない時に行われるので、変に噂されるような事は無かったけど。
・・・私もいちいち雑談に付き合わなければ良いのだけどね。でも今更無愛想に応じるのもアレだし・・・
私は祐麒さんの天然な発言に直撃される度に、頬の熱を冷ますために外で冷気にあたるはめになる。いい加減、自分はシンデレラじゃないって自覚できても良い頃なのになぁ・・・
祐麒さんの前から逃げ出して、しばらく外の空気にあたっていると、頬の熱が引いてきた。
でも何だか、体の芯が暖かいままだ。どうしてだろう?
そろそろ練習に参加するために教室へ戻ろうとすると、下足箱の影に二つの人影が見えた。
そのうちの一人が祐麒さんだったので、私は何となくそっと近付いた。二人はまだ私に気付いて無い。
「・・・だから、今度の日曜に付き合ってくれないかな?」
その言葉を聞いて、私は思わず足を止めた。良く見ると、祐麒さんはリリアンの生徒に向かって話しかけている。
・・・乃梨子さん? 間違いない、相手は乃梨子さんだ。
「判りました。私なんかで良いのなら」
「じゃあ、日曜にM駅に10時で良いかな?」
「はい」
何だろう・・・ 今日ってこんなに寒かったっけ?
寒すぎて少し振るえてきちゃったな。
私は歩き出す事ができず、去って行く二人を見送る事しかできなかった。
「そこ。大納言・・・・・・えっと可南子ちゃん。そこのセリフ、もうちょっとうれしそうに言えないかしら?」
「うれしそうに、ですか」
教室に戻った私の演技はボロボロだった。
「『私は何て幸せ者なんだ』」
「何か嘘っぽいわね」
紅薔薇さまのカットがかかる。私は何故だかイライラしていて、思わず「具体的に指示して下さい」なんて言い返してしまった。
こんな気持ちの時に、『私は何て幸せ者なんだ』なんて、上手く言える訳無いじゃない。こんな・・・
私はシンデレラなんかじゃないと判っていたはずなのに、何故こんな気持ちになっているんだろう?
祐麒さんはただ、劇の仲間と雑談していただけ。
私はそれに応えただけ。
そのはずなのに・・・
その後、私の出番はひとまず終わりになったけど、私の心の中のわだかまりは消える事は無かった。
週が開けて月曜日、私の心はだいぶマシな状態になっていた。
相変わらず祐麒さんは話しかけてくるけど、私は上っ面だけ応じてみせる。
そう、ただの仲間なんだから、全く話さないのも不自然だしね。
今は劇の練習に集中しよう。そうすれば余計な事を考えずにすむから。
昨日、祐麒さんが誰と過ごしたかなんて、気にせずに済むから。
文化祭が近付いた事で、練習は段々と密度の濃い物になってきている。出番を終え、少し時間の空いた私は、緊張をほぐすためにそっと教室を抜け出し、外の空気を吸いに行く事にした。
下足箱のあたりまで来たところで、私は二つの人影に気付いてしまった。
・・・祐麒さんと乃梨子さんだ。
私はまた、そっと二人の様子を見つめた。ここからでは二人の会話は聞こえないけど、何か楽しそうな雰囲気は判った。
祐麒さんがポケットから何かを取り出して、乃梨子さんに見せている。
それは、綺麗な青いヘアピンだった。あれならリリアンでも常に身に付けている事ができるだろう。祐麒さんも良く考えたものね・・・
青いヘアピンを見て笑い合う二人。
あれが乃梨子さんのガラスの靴なのね・・・ 私は何となくそんな事を思った。
そうね、お似合いかも知れないわね、あの二人なら。
私はそれ以上見ている事が出来ずに、二人に気付かれないように外へと駆け出した。
シンデレラはずるい。そこにいるだけで、王子様の心を射止めてしまうから。
そして私はシンデレラなんかじゃない。それは解かっていたはずなのに・・・
解かっていたはずなのに、涙が出るのは何故だろう。
この胸の痛みは何だろう。
「馬鹿みたい。こんな背の高いシンデレラなんて、いる訳無いのに・・・」
そんな事は解かっていたはずなのに・・・
こんな事なら、あの人を好きになんてならなければ良かった。
そんなどうしようもない事を思いながら、私は少しだけ泣いた。
秋に色付いた銀杏の葉が、私の涙の代わりに降り注いでくれているような気がして、ほんの少しだけ、私は泣いた。
さよなら、私のかなわぬ恋。
おうじさまは、ガラスのくつのかわりに、あおいヘアピンをもってシンデレラをさがしにきました。
いちょうのはっぱがまいおちるなみきみちに、せのたかいシンデレラをさがしにきました。
そのあおいヘアピンは、おうじさまがにちようびにいちにちかけてえらびぬいたいっぴんです。
おうじさまのおねえさんに「なんでのりこちゃんまでつれてきたの?」といわれたときに、「リリアンそだちのかんせいは、たまにオレのそうぞうをこえるからな。ふつうのおんなのこのすきなものがしりたかったんだよ」といって、おねえさんをふきげんにさせてまでえらびぬいたヘアピンなので、きっとシンデレラもよろこんでくれるでしょう。
なきむしのシンデレラが、おうじさまとおうじさまのもつすてきなプレゼントにきづくのは、ほんのちょっとだけあとのはなし。
さよなら『かなわぬ恋』。
こんにちは『素敵な恋』。
「青薔薇?」ふと耳に入った言葉にふりむく。
「そうなの。見て、ミュージカルのポスターなんだけどさあ、この人、見覚えない?」差し出したのは蔦子さん。ポスターの真ん中に映っている、わあ、華やかな美人。
「この人、リリアン出身なの?」
「あーあ、祐巳さんに聞くんじゃなかった。祥子さましか見てなかった頃だからなあ。静さまの名前も知らなかった祐巳さんが知ってるわけないか。」
「そう言わないでよお。どうして静さまが出てくるのよ。」
ほれ、と写真を差し出す蔦子さん。
「静さまの前の、合唱部の歌姫だったのよ。これは音楽室で撮ったんだけどね。静さまとは全然ちがったタイプの歌姫だったの。リリアンではめずらしいことにあだ名があったの。」
「へーえ、あだな?」
「マリリン。」
「マリリン!? マリリンってマリリンモンローのマリリン? そーゆータイプがお好みですのね、蔦子様。」
「ちーがうって。」
「本田美奈子って知ってる?」
「あ、えーと、ミュージカルの。」
「うん。あの人がアイドル歌手だった頃にね、1986年のマリリンってヒット曲があるのよ。セクシーアイドル、だったの。蓉子さまたちと同じ歳だから1986年生まれで、名前が美奈子さまでしょ? ミュージカル志望の歌姫、で、ついたあだ名がマリリン。」
「ふーん。で、青薔薇っていうのは? 静さまみたいに立候補した?」
「そうじゃなくて、どういうわけか青い薔薇がお好きで、青い薔薇のデザインのものばかり持っていらしたのよ。」
「ふーん。で、青薔薇さまと呼ばれることもあった、と。」
「それで、ミュージカルかあ。ミスサイゴンね。」
「行く?」
「撮りに行くんでしょ。場内は撮影禁止でございますよ。蔦子さん。」
「後輩だもん。入り込めばシャッターチャンスはいくらでも。」
「蔦子さんがそういうミーハーだったとは思わなかったわ。卒業生を撮りたいって言ったのも初めて聞いたわよ。」
「撮れなかったのよ、在学中に。」
「どうして?」
「三年生の学園祭の前の日に倒れたの。そのまま入院。」
「え?じゃあ、卒業は?」
「成績は良かったらしくて、もう推薦入学が決まっていたの。だから退院したらそのまま卒業して進学できたそうなのよ。」
「でも、病気は?」
「それがね……。」
†
「わー、よかったー。さそってくれてありがとう、祐巳さん。令ちゃんも来ればよかったのに。」
「うんうん。あの人が静さまの先輩だったのかあ。合唱部ってすごいんだねえ。」
「ステキでしたねえ、蔦子さま。サインもいただけたし。」
「だめよ、笙子ちゃん、蔦子さんはせっかく楽屋に潜り込めたのに、写真とれなかったのがこたえてるんだから。」
「そうそう、バックチェックされてカメラ預けさせられたのよねー。」
「そう言わないでよお。由乃さん、祐巳さん。うーん、次はお弁当箱にでも偽装して……。」
「蔦子さま、ミュージカルをおべんと持って見に来るんですか?」
「あれ、救急車。」
「なんか、裏へ入っていくわよ。」
「笙子ちゃん、行くわよ。」
「え? え?」
「もう、蔦子さん、新聞記者じゃないんだから。」
†
「わー、青い薔薇だあ。初めて見た。」
「お見舞いだもの。それに、これには意味があってね。祐巳さん。」
「祐巳さま、英語で青い薔薇、blue roseってどういう意味だかご存じですか?」
「え? 笙子ちゃん、どういうこと?」
「美奈子さまってね、白血病だったのよ。もともと、リリアンを卒業することもできないだろうって言われていたの。ほんっっとに祥子さましか見てなかったのね。」
「ふーん、由乃さんは令さま以外もちゃんと見てたのね。令さまに言っておくわ。」
「いいわよ別に。令ちゃんは由乃しか見てないから。」
「はいはい。」
「祐巳さま、blue roseって奇跡、でなければ、絶対にあり得ないことというのを意味するんです。」
「本来、薔薇には青い色素はないの。何世紀も品種改良がされてきたけれど、他の色の色素を薄めてなんとなく青っぽいかなあ、というような花や、染色したものしかつくれないのよ。だから青い薔薇はあり得ない奇跡。」
「それで、美奈子さまが青い薔薇が好きだったのって……。」
「奇跡はありえないから奇跡なのよ、祐巳さん。」
†
「意外に、元気だったね、美奈子さま。」
「蔦子さん、さすがに知ってたよ。気がついてたわ、美奈子さま。」
「うん、由乃さん、気づかれるってのはわかってた。でも、奇跡ってあると信じればあるじゃない。」
「なになになに、なんなのよ。どういうこと?」
「笙子ちゃん、この蚊帳の外に教えてやって。」
「はい。祐巳さま、あのあり得ないはずの青い薔薇。」
「そうそう、ありえないんでしょ? あれ、なに? 染めたの? 美奈子さま、一目見て、納得したみたいな顔して『ありがとう』っておっしゃったわ。」
「あれ、桔梗なんです。」
「はああ? だって、薔薇そのものだよ。」
「苗のメーカーが開発した、八重の薔薇咲きのトルコ桔梗なんですよ。本物の薔薇ではないんです。」
「それで……。でも、ちゃんとあったじゃない。桔梗でも何でもいいよ。奇跡は起こるよ。」
「そう信じたいわ、祐巳さん。」
†
「ごきげんよう。祐巳さん。」
「新聞、見たわ。蔦子さんの撮った写真が遺影になってた。」
「起こらなかったね、奇跡。」
「うん、祈ろう。」
BGM:グノーのアヴェマリア 歌唱:本田美奈子
彼女が戻ってきたら書くつもりでした。だから本当はもう一段どんでん返しがあるのですが、封印。
「明日出発だった?」
「うん」
「そう・・・」
2学期末の試験が終わり明日から試験休み。
その休みを使って新潟のお父さんのところに遊びに行く予定を入れていた。
しかし、その日が近づくにつれお母さんの様子がおかしくなって行った。
妙にそわそわしたりふて腐れたり、可南子もただただ戸惑うばかりだ。
今日も朝から私の予定を聞いてため息ついていたし・・・。
放課後、M駅前で旅行に必要なものを買い足す。
歯磨き粉や歯ブラシくらい貸してもらえるだろうけど、あまり迷惑をかけるわけにもいかないと思うから。
100円ショップで旅行用の洗面用具を買って、さて家に帰ろうと店を出た時。
後ろから「可南子ちゃん」と声をかけられた。聞き覚えのあるその声は。
「祐巳さま」
「へぇ、試験休みはお父さんのところに遊びに?
私もねぇ、お姉さまと遊園地デートなんだぁ。えへへ」
駅前のコーヒーショップに誘われて、テーブルを挟んで座る祐巳さまのころころと緩んだ笑顔が本当に幸せそうで、こちらまでほのぼのとした気分になってくる。
「楽しみですね、祐巳さま」
「うん!・・・可南子ちゃんは?」
私も笑顔でお答えできれば良かったのですが、自分でも表情が陰っているのが分かる。
「私も楽しみにしていたのですが、最近母の様子が気になって」
「どういうふうに?」
首をかしげつつ私を見つめる祐巳さまは、心配そうな表情で私の話を聞いてくれている。
姉妹でもないのに、ここまで私のことを気にかけてくださる優しさは私に隠し事をさせない。
「休みが近づいてきてからそわそわしたり、私の予定を何度も聞いてきたり、変なんですよ。
お父さんのところに遊びに行くだけだから心配しなくても良いのに」
私の言葉を聞いた祐巳さまはしばらく考え込んだ後、急に真面目な顔になると。
「ねぇ、可南子ちゃん。こういう言い方は良くないかもしれないけど・・・。
可南子ちゃんのお母さんは、夕子さんにお父さんを盗られたようなものだよね。
そこに可南子ちゃんまで仲良くなれば、お母さんは一人になってしまう・・・そう考えちゃうんじゃないかな」
と、びっくりするような言葉を口にされた。
「きっと寂しいんだと思うよ。
だから、可南子ちゃんがしっかり言葉にして伝えなきゃ。お母さんが好きだって」
「色々あったけど、今はお父さんも夕子さんもお母さんもみんな大好きなんだって。
心を込めて伝えればきっと分かってくれるよ」
そうか、自分のことばかり考えていて、また周りのことを考えていなかったのか。
「そういえば、母とちゃんとした時間をとって無かったような気がします」
お父さんと仲直りできたのがうれしくて、そちらばかり見ていたのかもしれない。
うんうん、と祐巳さまは頷きながらも。
「クリスマスやお正月はお母さんと一緒に過ごせば良いじゃない。
一緒にケーキ食べて、一所におせち作って、一緒におこたに入って、ね」
「はい、そうします。母と話して一緒に居られるように」
「よかったね」と言ってくださる祐巳さまと別れ、家路につく。
また、祐巳さまに救ってもらった。姉妹にはなれなかったけど、大好きな先輩が大事なことを教えてくれたってお母さんと話そう。
私は今、愛すべき人達に囲まれてとても幸せなんだって。
穏やかな日差しが差し込む、紅葉色付く秋の山。
ほんの少し冷たい風が、木々を揺らす。
リリアン女学園高等部生徒会、通称山百合会の面々は、連休の一日を利用して、日帰りハイキングに来ていた。
三薔薇さまと三つぼみの計六人は、秋を満喫するため、素材は現地調達での芋煮会を催す予定だ。
「さぁ、それじゃ紅黄白のチームで、食材探しだね」
音頭を取るのは、黄薔薇さまこと支倉令。
アウトドアに関しては、令にアドバンテージがあるのは言うまでもない。
「こんな山で何が採れるの?」
「そうだな、まずはキノコ類が主だね。あとは栗とか、他には山菜の類かな」
紅薔薇さまこと小笠原祥子の疑問に、丁寧に答える令。
なんせ真性お嬢様祥子には、社交界の知識は溢れんばかりにあっても、レジャーの知識は皆無と言ってよい。
「山菜なら、少しは分かります」
珍しく、自信あり気に主張する、白薔薇さまこと藤堂志摩子。
「とりあえず、目に付くもの片っ端から集めて、あとで選別しよう」
全員、令の言葉に頷いた…かと思ったら、一人だけ首を動かさない者がいた。
黄薔薇のつぼみ、島津由乃だった。
「令ちゃん、それじゃ面白くないわよ」
「どういう意味?」
「せっかく各薔薇姉妹でちょうど二人づつなんだから、料理対決にしようよ。素材集めも含めてね」
ニヤリと嫌な笑みを浮かべる由乃を、胡乱な目付きで見る紅白姉妹。
由乃が言いたいことは分かっている。
料理が得意な令にかかれば、即興アウトドア料理でもまずは失敗しない。
美味しくない料理を食べて困っている連中を笑ってやるつもりなのだろう。
「それ良いですね。そうしましょう」
涼しい顔で応じたのは、白薔薇のつぼみこと二条乃梨子。
不安げな志摩子に目配せするところを見ると、何か考えがあるようだ。
「ただし、対決ですから、出来た料理は別の姉妹にずらして食べるってことで」
つまり、紅黄白の料理を、黄白紅で食べるということだ。
必然的に、白薔薇姉妹が、黄薔薇姉妹の料理に当たることになる。
「ちょっと、それは…」
「いいアイデアね、そうしましょう。まさか言い出しっぺの由乃ちゃんが、反対するわけないわよね?」
物言いをつけようとするも、祥子に遮られる由乃。
「…はい」
結局自爆した形になってしまった。
ふもとに流れる河原に場所を取り、かさばる荷物は管理人に預けて、いざ、山に突撃する一同を、紅薔薇のつぼみこと福沢祐巳は、おろおろしながら黙って見ていることしかできなかった。
「もうこうなったら、食べられる食べられない無関係に放り込んでやるわよ」
「それは危険なんじゃないかなぁ」
「何よ、美味しい料理を作られる令ちゃんなら、逆に不味い料理も出来るでしょ?」
「いやー、失敗したならともかく、意識して不味い料理を作ったことはないなぁ」
「今それをやるべきなのよ。あ、禍々しくも毒々しい怪しいキノコはっけ〜ん♪」
「志摩子さん、どうするの?私あんまり詳しくないんだけど」
「大丈夫よ。とりあえず目標を山菜に絞りましょう。ついでにシメジあたりでも見付かれば御の字ね」
「自生の果物でもあればなぁ。柿とかリンゴとかブドウとか」
「それは多分無理だけど、あけびやむかごならあるかもね。ヤマイモもあるだろうけど、掘るのが大変」
「まぁ、食べられるものなら、それでいいか」
「お姉さま、私、さっぱりなんですけど」
「あら寄寓ね、私もさっぱりよ」
「じゃぁどうするんですか?」
「食べるのは私たちじゃなくて令たち。適当に拾って、適当に作ればいいだけの話よ」
「お姉さま、適当すぎます」
およそ二時間後、河原に戻って来た一同は、互いに火花をちらしつつ、早速料理に取り掛かる。
さすがに、いかにも毒があります、と主張して憚らないキノコは、令によって全て取り除かれたものの、実は由乃は一個だけ隠し持っていた。
紅薔薇姉妹が集めた食材は、適当だったにも係わらず全て安全な代物だったし、白薔薇姉妹も志摩子の知識が役立ったのか、変なものは一切混ざっていなかった。
慣れた手つきで、素早く調理する令に、それを見ているだけの由乃。
令ほどではないものの、やはり手馴れているのか効率よく進める白薔薇姉妹。
調理実習程度の技術で、たどたどしく調理する紅薔薇姉妹は二人とも指を切っていた。
40〜50分ほどで、ようやく全姉妹の料理が完成した。
一見まともに見える、三種の芋煮。
もちろん、令の最後の味見の後に、由乃は怪しいキノコを入れるのを忘れなかった。
「では、紅チームの料理は黄チームが、黄チームの料理は白チームが、白チームの料理は紅チームが食べるってことで」
乃梨子の言葉に応じて、交換が始まった。
乃梨子の意図としては、一番美味しいであろう黄薔薇芋煮を白が食べる、完璧だ。
由乃の意図としては、白薔薇に仕返しするため、怪しいキノコを入れる、完璧だ。
祥子の意図としては、どうせ自分が食べるのじゃないから適当でいいわ、完璧だ?
祐巳には、なんだか黒いものが立ち上っているように見えたのは気のせいか。
『じゃぁいただきまーす』
一斉に、内心ドキドキしながらも箸をつける。
「んー、あら?」
白芋煮を食べた祥子、これは美味い。
そこそこ料理が出来る志摩子と乃梨子が普通に作ったのだから、そこそこ美味くて当然だ。
「あー、美味しいですねぇお姉さま」
「そうね、これは当たりだわ」
「うーん…お?」
紅芋煮を食べた令、意外に美味い。
薄味だし、具の大きさがまちまちではあるが、一応火も通っているし問題はなさそうだ。
「へー、祥子もなかなかやるねぇ」
「くっ、祐巳さんが作った割には、まぁまぁね」
「く〜〜〜、え?」
黄芋煮を食べた乃梨子、ちょっと警戒していたが杞憂だったようで、さすがに美味い。
味付けも抜群、材料は全て綺麗に切られ、見た目も完璧、素材の味が完全に生きていた。
「想像以上の腕前ですね令さまは」
「ええ、リリアン一の噂は、伊達ではないのよ」
「美味しかったですねぇお姉さま。もっと怖いことが起きると思ってましたけど」
「そうね、普通に食べられて良かったわ」
「もうちょっと味があれば良かったけど、そこそこ美味しかったわね令ちゃん」
「そうね、どこかで味付けが破綻してると思ってたけど、そんなこともなかったし」
「ははは、志摩子さん、美味しかったねははは」
「うふふそうね乃梨子、さすが令さまうふふふ」
「また、機会があればやりたいわね」
「そうだね、結構面白かったし」
「そうですねうふふふふふふふ」
「由乃さん、結局見てるだけだったね」
「何を言うのよ祐巳さん、応援してたわよ」
「はははそれを見てるだけだったってわはは」
「じゃ、片付けようか」
「そうね、祐巳、由乃ちゃん」
「はーい」
「はい」
「うふふふふふ乃梨子うふふ私たちもふふふ」
「はははははははーいはははは」
『………』
とうとう沈黙した紅黄姉妹。
「志摩子?」
「うふふ何でしょうか令さまふふふふふ」
「乃梨子ちゃん?」
「ははははははは呼ばれました祐巳さま?あははははは」
「…何をさっきから笑っているの?」
「うふふふふ何のことですか祥子さまふふふ全然笑ってなんかいませんがふふふふ」
「乃梨子ちゃんも変よ?」
「はははは由乃さま自分を差し置いて人を変だなんてははははは」
「どーゆー意味よ!?」
「うふふふふふふ」
「ははははははは」
ついに、腹を抱えて笑い出した二人。
「待って由乃」
殴りかかろうとした由乃を引き止める令。
「あー、やっぱり…」
「どうしたの?」
「ほら、これ」
令が箸で摘み出したのは、退けたはずの怪しいキノコ。
「毒性は弱いし致死性ではないけど、笑いが止まらなくなるんだ」
「どうしてそんなものが?」
「調理前に確認したから、入っているわけないんだけど…、紛れ込んだか、誰かが入れたかどっちかだろうね」
「誰がそんなものを入れ…」
何かに気付いたのか、ギギギと祥子、令、祐巳の首が動き、ある人物を凝視した。
「ななななな、なんのことかしら(スヒースヒー♪)」
吹けない口笛を吹きながら、分かりやすく誤魔化そうとする由乃。
「はぁ〜〜…。元に戻るには、数時間はかかるなぁ」
「うふふふふそれじゃしばらくはふふふふずっと笑いふふふふふ続けるってうふふふふふ」
「そうなるわね」
「そんなはっはっは困るじゃないですかはっはっはっはっはわはははははあはははははは」
「でも、微妙に楽しそうなのは気のせいかな?」
『うふあはふはふはふはふあふそんなわけないでしょうふはふはふはふはふはふはふは!?』
結局効果が切れるまで、河原に並んで座った白薔薇姉妹から、謎の笑いが延々と響き続けたという…。
「祐巳さま、こんどの調理実習時、このキノコを由乃さまの材料に入れてください」
「いやあの、私由乃さんと同じ班なんだけど…」
「大義の前に犠牲は付物です。タヌキの一匹ぐらい気にしてはいけませんくっくっく」
「黒いよ乃梨子ちゃん。それに、本人を目の前にして言うセリフじゃないと思うな」
No326 の『あれから志摩子さんとは順調に友情を深め』の一言ですませてしまった期間にあったエピソードの一つ。
それは祐巳が由乃さんに呼ばれてはじめて薔薇の館に行ったちょっと前のこと。
「……何を言ってるの?」
お昼休みに志摩子さんがもらした言葉を祐巳は聞き流すことが出来なかった。
「え?」
「どうして志摩子さんが私の重荷になるの? そんなわけ無いじゃない」
志摩子さんは祐巳にとってきっと重荷になると言ったのだ。
そんなわけない。その言葉は本心だし、そのときの祐巳にとってはそれ以上に『真実』でもあった。
でも、志摩子さんはこう続けた。
「でも、祐巳さんは私のこと全部知ってるわけじゃないわ」
「それは……」
きっと志摩子さんがお寺の娘だからってことを言っているんだと思う。
でも『知ってるよ』とはいえない。
だって言ったら、いつだれに、ってことになるし、それで未来から戻りましたなんて言ったら精神を疑われるだけだし。
でも祐巳の今の気持ちだけはなんとか志摩子さんに伝えたかった。
「……志摩子さん、私も私のことで志摩子さんに言えないことってあるよ」
そういったら、志摩子さんは驚いたように目を見開いて祐巳を見た。
「祐巳さん」
「なに?」
「『私も』って?」
「え?」
「どうして私が祐巳さんに話せないことがあるって思うのかしら」
「え、いや、その、なんとなく?」
祐巳が思わぬ指摘に焦っていると志摩子さんは続けた。
「いえ、そうよね。ごめんなさい正解よ」
ちょっとびっくりした。
志摩子さんって頭良いから時々祐巳の何気ない言葉に突っ込みをいれて祐巳をドキッとさせてくれる。
「……じゃあおあいこだよね」
そういって祐巳が笑うと、志摩子さんは顔を伏せた。
「志摩子さん?」
どうしたの? と祐巳が聞くと志摩子さんは顔を伏せたまま言った。
「それでいいの?」
「え」
「もしかしたら私が祐巳さんにとって我慢ならないような嫌な子かもしれないのに」
「そ、そんなわけないじゃない!」
志摩子さんは祐巳の声にびっくりして伏せていた顔を上げた。
「あ、ごめん。……でも私は志摩子さんのどんな話を聞いたって絶対志摩子さんのこと嫌いにならないよ」
「……」
志摩子さんは祐巳を見つめたまま黙っていた。
「ね?」
祐巳が見つめ返したままそう言うと志摩子さんは慌てたように口元を手で覆い、祐巳の視線を避けるように後ろを向いてしまった。
「し、志摩子さん?」
「……ち、違うの」
「え、違うってなにが?」
顛末を知っているとはいえやっぱり志摩子さんの行動はよくわからない。
祐巳が聞いても志摩子さんは背中を見せたままだった。
「ねえ、志摩子さん。 私また変なこと言った?」
そう言うと、志摩子さんの肩がビクッと反応した。
反応はしたけど答えてくれなかったので祐巳は続けた。
「私ももしかしたら志摩子さんが迷惑するほど変な人かもしれないもんね……」
『未来を知っている』祐巳の行動は傍から見れば『変な人』だということは、流石の祐巳も気づいていた。
そして、知っていることを知らないように完璧に振舞えるほど祐巳は器用でないのでこればかりはどうしようもないことにも。
それから志摩子さんはしばらく祐巳に背中をみせたままだった。
「……くすくす」
聞こえてきたのは笑い声?
「あのー?」
「どうしてかしらね」
志摩子さんは向こうを向いたまま顔を上げた。
「え? なに?」
「祐巳さんって不思議」
「不思議?」
狸顔とか百面相とかなら判るけど不思議といわれたのははじめてだった。
どうしてって聞いたけどなんか「うふふ」と笑うだけで答えてくれなかった。
祐巳に言わせれば、志摩子さんの笑うツボの方がよっぽど不思議だった。
なにがそんなに可笑しかったのか、涙まで浮かべていたのだから。
このところ、何かと(主にクラスメイト達のせいで)慌しくて乃梨子は昼休みの薔薇館でのお茶会がご無沙汰だった。
でもようやく瞳子たちの妙な行動も下火になって、いや見えないところでなにかしているのかもしれないけど、少なくとも乃梨子の目の前では大人しくしていて、今日あたりは志摩子さんとゆっくり出来るかも、なんて思っていた。
いや、薔薇の館には志摩子さん以外にも祐巳さまと由乃さまは来られるし、昼休みだと祥子さまや令さまも顔を見せるのは珍しくないんだけど、クラスメイトやら中坊たちに翻弄されるのと比べたらやっぱり『ゆっくり』なのである。
そんな乃梨子が昼休みになって乃梨子が薔薇の館へ向かおうと席かた立ち上がった時だった。
「かしらかしら?」
「友情かしら?」
乃梨子は思わず脱力しかけた。
でもここで敦子美幸のペースに巻き込まれたら負けだと思い、気力で復活した。
「ごめんなさい、今日はあなたたちに付き合ってる暇は無いの」
毅然とそう言い放ち足早に廊下に向かう。
「お待ちになって、乃梨子さん」
目の前に立ちはだかるドリルこと松平瞳子。
「待てません」
ここでひるんだらまた背後の二人ともに羽交い絞めにされてしまう。
「そんなこといわずに」
横をすり抜けようとする乃梨子に合わせて瞳子は移動する。
「させるかっ!」
しかし乃梨子は右に行くと見せかけてすばやいフットワークで反対側をすり抜けた。
その弁当箱を抱えているその様はまるでバスケットのカットイン。
だが、乃梨子はここで一つミスを犯した。
「乃梨子さん」
「はっ、可南子!」
廊下で待っていたのは両手を大きく広げ、乃梨子を止める気満々の可南子だった。
「なかなか良いフットワークです。でも私のディフェンスを破れますか?」
どうやら可南子のなにかに火をつけてしまった模様。
もちろん、部活でバスケットをやっている可南子に真っ向から挑むような愚昧な事はしない。
「悪いけど、あなたたちと遊んでいる暇は無いの」
というかバスケットじゃないんだから。
かがんで可南子の脇を抜ける。
「ああっ! トラベリングよ!」
後ろで叫ぶ声が聞こえた。
お弁当をドリブルしたかったら自分のでやりなさい。
今日は順調かもしれない。
ちょっと廊下を走ってしまったけど、可南子も瞳子もしつこく追ってこなかった。
でもここで油断するとまた何が起こるか判らない。
乃梨子が注意深く廊下から中庭に出ると……
「「乃梨子さま!」」
……居た。
「あなたたち……」
一人はいつぞやの青田「狩られ」隊の確かリーダー格の子。もう一人も見たことがある。
今日は二人だけだった。
「……あまり高等部に入り込んでると先生方に叱られるわよ?」
「それは大丈夫です。乃梨子さまが責任を取るといったら黙認してくださいました」
「黙認って……全然大丈夫じゃないじゃない!」
おっと、ここで取り乱したらまたいつものどたばたになってしまう。
「……とにかくもう中等部に帰りなさい。あなたたちと遊んでる暇なんて無いんだから」
いつぞやは放課後ずっと追い掛け回されたこともあった。
あのときは遅くなってしまって、乃梨子が中学生達を送る(バス停まで)ハメになったのだ。
「いえ、今日は乃利子さまにお伝えしなければならないことが」
「なあに?」
今日はまともそうなのでとりあえず聞く。
妙な方向に行きかけたらさっさと立ち去ればいいし。
「乃梨子さまは狙われています」
「……さよなら」
「ああっ、お待ちください!」
「ちょっと、すがりつかないで」
「本当なんです! 私たちはその陰謀を暴けっ! ってことでここまで……」
「あー、わかったわよ、わかったから、話を聞くから騒がないで!」
彼女達の話はこうだった。
なんでも乃梨子をこの際リリアン中等部・高等部交流の首謀者に祭り上げて好き勝手をやってしまおうという一派が活動しているとか。
彼女らは乃梨子信奉者なのでそんな乃梨子に迷惑をかけるようなことは反対なんだそうだ。
……あれ?
「ちょっとまって、あなたたち、先生に私が責任を取るようなこと言ってここに来たんじゃなかったっけ」
迷惑をかけないとかいって矛盾してるじゃん。
「それは……」
二人して畏まって俯いちゃった。
これじゃ乃梨子が中等部生を叱ってる構図だ。
「そう言わないと昼休みにここに来れなかったから……」
「乃梨子さまは中等部の先生方にも評判がいいんです」
どんな評判なんだかちょっと心配だけど、そういわれて悪い気はしない。
とりあえず信頼することにする。
「まあ、いいわ。とりあえす忠告ありがとうといっておくわ」
「は、はい」
聞いてくれたのがそんなに嬉しいのか。
顔を上げた二人は表情を輝かせた。
「お昼まだなんでしょ? 早く戻りなさいね」
「「はい!」」
可愛いなあ。
なるほど、青田買いに走る同級生の気持ちがわかる気がする。
そんなことを思いつつ乃梨子は中等部の方に去っていく二人を見送った。
それにしても、教室から薔薇の館に来るだけでとても疲れた気がする。
でもこんな疲れも志摩子さんの顔を見れば吹き飛ぶに決まっている。
はやる気持ちを抑えてビスケットの扉を開けた。
「あら乃梨子さん遅かったのですね」
「先にいただいてますわ」
「かしらかしら」
「お茶会かしら」
薔薇の館でくつろぐ四人のクラスメイトにがっくしと乃梨子は崩れ落ちるしかなかった。
(この体制→_| ̄|○)
----------------------------------------------
ごめん時間切れ。一応オチつけたけど消化不良。
だってこんなタイトルでるんだもん。
朝いつもより早く学校についた桂はお祈りをするためにマリア像の前で手を合わせる。
――祐巳さんに思い出してもらえますように・・・・・・
――苗字がつきますように・・・・・・
かなり切実のようだ。
(ム・リ・よ♪)
頭に響く声。
あぁ、疲れてるな、と思いながら目を開けるとそこには象がいた。
背中にド派手な布をかけて。
マリアさまがいらっしゃるはずの台座の上に、ちょこんと。
でも足場が小さいようで、かなりプルプルいってる。
――あぁ、まだ私寝てるんだ。起きないと・・・・・・
(ちょっとちょおおっと待って! 夢じゃないから、ね?)
――あぁ、夢見てる上に幻視幻聴までしてるよ。マリアさまが象さんになって、私が夢であうあうあう
(いや、アレはお隣に住んでるブッちゃんのペットを借りてきたのよ。ちょっと一日私の代わりに祈られてもらおうと思ってね。ま、そんなことは置いといて、体、借りるわね?)
――え?
そんなことをほざいた自称マリアさまの『やっほー、意外と簡単に成功したわ♪』とのありがた〜いお言葉を聞きながら、私の意識は暗闇に落ちていった・・・・・・
この作品は壊れ系ギャグです。読まれるさいは十分にお気をつけ下さい。
「ここが本堂よ」
「うわあ、なんか歴史っていうか、文化ってものを感じさせてくれるね、志摩子さん」
「ふふ。うちは大して歴史があるお寺じゃないけれどね」
「ううん、そんなことないよ。すっごく立派だと思う」
祐巳は本心からそう思った。リリアンに通ってる自分が言うのもなんだけど、やっぱりこういったお堂という清浄な場所に入ると日本人の本能にも似た記憶が刺激されるのか、自然と敬うような気持ちになってしまう。
むろん、祐巳の心の中ではマリア様を敬う気持ちも矛盾なく両立してる。常日頃から捧げるマリア様に対する敬愛する気持ちと、宗派の違う神聖な場所に入って自然と湧き上がってくる畏敬の念はまた別物だ。
欧米の人たちなどの敬遠なクリスチャンからしてみれば、こういった感性は理解しがたいのかもしれない。けど、こういった外人からみれば、いいかげんさ、もとい日本人から見れば、おおらかさ、は日本人特有の美徳だと思う。って、自分が言うのはずうずうしいけど。
「じゃあ、わたしはちょっとここを離れるわね」
「あ、うん」
志摩子さんはそう言って、本堂を後にした。
さて、と。
志摩子さんが居なくなって、この本堂には祐巳しかいなくなった。
このまま、ぽけっ、と志摩子さんが帰ってくるのを待ってもいいけど、それも何か芸がないような気がする。
そうだ、せっかくだから本尊を拝ませてもらおう。
うん、せっかく本堂に入ったのだから、ここの、というよりお寺の一番の家主さんともいえる本尊に挨拶しないのは罰当たりだと思う。
祐巳は、さっそく本堂の中央に鎮座している本尊に、挨拶を兼ねて拝むことにした。
「えっと、マリアさま、ならびに仏像さま。二股をかける様で恐縮ですが、やはり祐巳がいつも志摩子さんのお世話になっている以上、ご挨拶をせねばと思った次第でして。て、何を言ってるんだ、自分。・・・・・・えーと、すみません、まあ、不束者ですが、よろしくお願いします、ということで」
だめだ、我ながら訳の分からない挨拶をしてしまった気がする。
(て、あれ?)
気のせいだろうか? 今、祐巳の目の前の仏像が笑ったように見えた。
ふむ、流石に先ほどの挨拶は失笑ものだったか。・・・・・・と、そんな分けないないか。 自分で自分の馬鹿な考えに突っ込みを入れながら、祐巳は仏像にお辞儀をして元いた場所で志摩子さんを待つことにした。
ことっ
祐巳が正座をして志摩子を待っているところに、祐巳の背後で物音がした。
祐巳が、はて? と思いながら物音の振り向いてみたが何も変わった事もなく、ただ仏像が立っていただけだった。
うーん、気のせいだったのかな。祐巳はそう思おうとしたが、あることに引っかかった。
ん? いまさっき、おかしいところがなかったか?
祐巳は、さっきの自分の記憶を反芻した。
(えっと、何も変わった事もなく、ただ仏像が立っていただけだった、だったっけ。別におかしいことはないような)
・・・・・・いや、ちょっと待て?
いや、おかしいって。無茶苦茶おかしいって。「ただ仏像が立っていただけだった」って。
祐巳が慌てて振り向くと、祐巳の記憶が確かならさっきまで中央で鎮座していたはずの仏像が仁王立ちしていた。
(あ、あれって、確か座禅をくんでなかったっけ?)
ごしごし
祐巳は、自分の目を擦って見る。
だが、やはり仏像は立っていた。
再度、目を擦ってみる。
ごしごし
やっぱり立っていた。
(あ、あれっ、疲れているのかな)
しかし、いくら祐巳が目を擦っても仏像は座るどころか、さらに「常識」というものをどこかに置き忘れてきたとしか思えないようなことが祐巳の目の前で展開していた。
くねりひねり
さっきまで本堂の中心に鎮座していたはずの本尊は、立ち上がってだけではあきたらず今度は腰を振りはじめた。
祐巳は、泣きたい気分でもう一度目を擦ってみる。
ごしごし
くねりひねり
やっぱり振っていた。
ごしごしごしごしごしごしごしごし!
くねりひねりくねりひねりくねりひねりくねりひねり
なんか、腰を振りながらこっちに迫ってきてる。・・・・・・マ、マリアさま、助けて。
(な、なんなの、アレ!!)
残念ながら、仏像が祐巳の方に腰をくねりながら迫ってくる、などというファンシーな出来事に対して祐巳の危機管理対処プログラムはない。
祐巳がなすすべないままに、その仏像はどんどんと祐巳の方に迫ってくる。
くねりひねりくねりひねりくねりひねりくねりひねりくねりひねりくねりひねり
「ひ、ひぃぃぃぃー!!」
その仏像は祐巳の目の前に来ると腰をひねるのをやめ、ゆっくりと祐巳の方にお辞儀をしてきた。
「やあ、いらっしゃい、福沢さん」
「・・・・・・へ??」
「おや、忘れてしまったかな?」
「い、いや、その」
残念ながら、祐巳には腰を振るような動く仏像さんとお友達になった記憶はない。知り合いたくもない。
「あ、そうか、この格好がいけないのかな? この前文化祭でお会いした、志摩子の父です。いつも娘がおせわになっているね」
今、自分はどういう顔をしてるのだろう。ていうか、目の前のこの人は何を考えているのだろう。祐巳は激しくそう思いながら、なんとか志摩子さんのお父様に、はあ、とだけ返事をした。
(え、えっと・・・・・・)
だめだ、志摩子さんのお父様にあったらキチンと挨拶しなくちゃ、と意気込んで何パターン通りで挨拶を考えていたのだが、こんな、志摩子さんのお父さんが仏像の格好をして祐巳の方に腰をひねりながら迫ってくる、などという年末ジャンボ以下な確率のシチュエーションはうかつにもシミュレートしていなかった。
・・・・・・いや、ごめん。そんなシミュレート、人として無理。
「おや? 顔色がよくないな。どうかしたのかね?」
祐巳としては、どうかしてるのはあなたの方じゃないですか! と小一時間問い詰めたかったのだが何とか堪える。
「え、えっと、おじさまは、ここで何をなさってたのでしょうか?」
「ああ、今日はお客様が、つまり福沢さんのことだが、こちらにこられると聞いていたのでね。驚かそうと思って、つい、張り切ってしまったよ」
「はあ」
どうせ切るのなら腹を切ってほしい、と祐巳が思っているときに入り口の扉が激しく叩かれた。
どんどん! どんどん!
「ゆっ、祐巳さん! まさかとは思うけど、そこにお父様はいるかしら!?」
「え、えっと、それ・・むぐっ」
(しぃーっ)
恥ずかしい人は、祐巳の口を塞ぎながらひそひそと耳打ちしてきた。
「ゆ、祐巳さん、もっ、申し訳ないが、志摩子には私がここにいるのは内緒にしてくれないかね」
「なっ、何でですか?」
「う、うむ、実は志摩子には、友達の祐巳さんがうちにきますけど「絶対」に顔を出さないでくださいね、ってちょっとしたスキンシップを交わしていてね」
「は、はあ、わかりました」
どんどん!! どんどん!!
「ちょっと、そこにいるのですか! お父さまぁぁー!!」
どんどん!!・・・・・・バァーン!!
「ふしゅー・・・・・・祐巳さん、お父様はこちらにお見えになったかしら?」
「え、えーと、あれ?」
さっきまで祐巳の隣にいた恥ずかしい人は、何事もなかったかのようにもの凄いスピードで仏像に擬態して鎮座していた。
仕方がない、いくら恥ずかしくてもあれは志摩子さんのお父さんだ。祐巳はおじさんの芝居に乗ってあげることにした。
「えっと、こっちにはそんな恥ずかしい人は来てないよ、志摩子さん」
ごふっ!
あれ、後ろから何か噴出した音が聞こえてきた。なんで?
「そう、そんな恥ずかしい人は来てないのね。じゃあ、「動く石像」とかこなかった、祐巳さん?」
「ううん。動いたのは仏像だよ、志摩子さん」
ごぼっ、ごぼっ!
あれ、さっきから後ろからセキみたいなのが聞こえてくる。もう、せっかく祐巳がうまく芝居をしてるのにどうして邪魔をしてくるのかな? おじさんったら、ばれても知らないよ。
「そう、やっぱり」
「へ? なにがやっぱりなの、志摩子さん」
「いいえ、なんでもないわ。ねえ、祐巳さん、悪いのだけど人に案内させるからちょっとだけ離れに行ってもらえないかしら?・・・・・・あそこだったら悲鳴は聞こえないし」
「へ、悲鳴?」
「あら、何を言ってるの祐巳さん。悲鳴だなんて誰もいってないわよ。ふふ」
「え、いや、志摩子さん、さっき」
「うふふ、祐巳さんったらおかしいわ」
(気のせいだったのかな)
祐巳はとりあえずそう納得することにした。だが、祐巳の後ろから「がたがたがた」と震える音が聞こえてくるのは気のせいじゃないと思う。
まったく、せっかく祐巳が上手く志摩子さんを騙したっていうのにこれじゃあ台無しじゃないか。
祐巳がぷんすかと怒っていると、志摩子さんが続けて話し掛けてきた。
はて、気のせいだろうか? その志摩子さんからは日頃の菩薩の姿からは想像できない修羅のようなオーラが感じられる。
「祐巳さん、ちょっと私の話を聞いてくれるかしら」
「あ、うん」
「この前、檀家の方が見られたとき、檀家の方が「ほっ、仏が腰を振りながらパントマイムした!!」って、ファンキーなことおっしゃって以来、うちのお寺は怪奇と奇跡の狭間のような噂がたってるのよ」
「へえー、すごいんだね」
「で、しょうがないから、お父、いえ仏様にこう言ってさしあげたの」
「なんて?」
「仏様。今度、お客様を驚かすようなことをされましたら、天界に光の速さで送ってさしあげますわよ、って・・・・・・まったく、この前にあれだけ締め付けたのに、どうやら仏様は天界に帰りたいみたいね」
ふむ? つまりこういう意味かな。
「ゴーゴーヘヴン! ってやつ?」
祐巳がそう言うと、志摩子さんは壮絶な笑みをその顔に浮かべていた。祐巳にはまるで、その笑みは鬼女の笑みのように見えた。
「・・・・・・どちらかというとGO TO HELL!!ってほうかしらね。うふふ」
がたっ! ダダダ!!
そのとき、中央に鎮座していた仏像が立ち上がり、祐巳の横を物凄いスピードで駆け抜けていった。
そして、それに呼応するかのように志摩子さんの右手が動く。
「成仏ゥゥ!!」
ひゅん!! どかっ!!
「ブ、ブッダァァ!!」
ぱたっ
だが、手を伸ばして出口に届こうかといったところで、志摩子さんの右手に握られた木魚のバチが目にも止まらぬスピードで放たれ、それはものの見事に動く仏像の後頭部に炸裂し「動く仏像」は「物言わぬ仏像」になっていった。
ずるずる
見事に狩りに成功した志摩子さんは、GETした獲物をリング中央、じゃなかった仏殿の中央に引こずっていき何かいろいろな大きさや形をした「独鈷」みたいなものを取り出している。
「・・・祐巳さん、悪いのだけどしばらく離れの方に行ってもらえるかしら」
その志摩子さんの言葉は、有無を言わさない何かがあった。
祐巳は悟った。今、この瞬間から、この場所はお寺の敷地内でもっとも危険な場所になったということが。
「う、うん、わかった」
祐巳がこの部屋を出た瞬間、部屋の中から血の気の凍るような殺気が祐巳の身体を通り抜ける。
「成仏なさい! この生グサァァァァァ!!」
「しっ、志摩子、刺すのはやめてぇぇー!!」
あれ?
今、なんか変な悲鳴が聞こえたような?
「珍念さん(小間人)。さっき変な声が聞こえませんでした?」
珍念さんはゆっくりと首を振ってくる。
「全ては御心のままに、インシャラー」
珍念さんはそう言って両手を合わせていた。ここって何屋さんなんだろ?
とりあえず祐巳も拝むことにした。なんまいだぶなんまいだぶ。
チーン
終わり。
ええ、ごめんなさい。
ええ、すみません。連投させていただきました。
この作品は一体の連載ものの草案で書いてみたものですが、一応単品で読んでも分かるようになってますので載せてみました。
祐巳が、瞳子ちゃんの手伝いを祐巳が押しかける形で付き合あってから3日ほどが過ぎたある日、瞳子ちゃんがポツリと祐巳に言ってきた。
「どうして、祐巳さまはそこまでおめでたいのですか?」
これはまたずいぶんなことを言ってくるものだ。だが、祐巳はそのストレートな物言いに不快は感じなかった。だって、祐巳は知っていたから。瞳子ちゃんの「おめでたい」は決して悪い意味だけじゃないということが。
さて、どう返したものだろう。ふむ、祐巳は少し考えた後、瞳子ちゃんに答えた。
「困ってる人がいて、なおかつそれが知っている人を助けることはそんなに不思議なことかな?」
答えが分かっていたのだろうか、瞳子ちゃんはすぐに返してきた。
「祐巳さまのは、少々度が過ぎてると思います」
なるほど。そうなのかもしれない。でも、それは仕方がないんじゃないか、とも思う。
「瞳子ちゃんの言うと通りなのかもしれない。でも、瞳子ちゃん。その瞳子ちゃんが言う度って、いったい何処からきてるの?」
瞳子ちゃんは、意表をつかれたような表情を浮かべていた。
「そ、それは……」
瞳子ちゃんが口篭もると、祐巳は続けて口を開いた。
「確かに自分でも、めでたいな、って思うときがあるよ。でもね、その度ってのは人によってそれぞれ違うのだから仕方がないとも思うんだ。……それとも、やっぱり今回のことは迷惑だった?」
祐巳が言い終わると、瞳子ちゃんは少し顔を歪めながら祐巳に短く返してきた。
「……そうは言いません」
「じゃあ」
祐巳が、いいんだよね、言おうとした時、瞳子ちゃんが祐巳を口を塞ぐように続きを言ってきた。
「まだ話は終わってません。祐巳さま、この際ですからははっきり言います。確かに祐巳さまの考えは基本的は間違ってませんし、正論だと思います。ですが」
瞳子ちゃんはそこで一旦言葉を止め、祐巳の方に真正面に視線を向けてきた。なぜだか祐巳には瞳子ちゃんの視線の中に悲しみのようなものが見えたような気がした。
祐巳と瞳子ちゃんの視線がぶつかる中、瞳子ちゃんがゆっくりと口を開く。
「祐巳さまは、その時の相手の気持ちを考えたことがおありなのですか?」
「相手の気持ち?」
それはちょっと意外な言葉だった。いや、別におかしいことではないか。相手の気持ちを考えずに何かをするなんてただの自己満足にすぎないから、瞳子ちゃんの質問は至極当然なことなのかもしれない。
祐巳はよく考えて、瞳子ちゃんに返答した。
「えっと、考えてはいる、と思う」
「それじゃあ、今回はどうして瞳子の手伝いをしてるのですか?」
手伝ってる理由、そんなの決まっている。瞳子ちゃんが心配だったから。
「えっと、瞳子ちゃんが心配だったから、じゃ、だめ?」
「それは、どういう理由で心配だったのですか?」
どういう、ったって。心配なものは、ただ心配だった、としか答えようが無い。
「どういうったって、やっぱり後輩が困っているのだから、お節介かも知れないのはわかってるけど、助けなきゃ、って」
祐巳がそう言うと、何故だか瞳子ちゃんは祐巳から視線を逸らして地面の方に向けた後、ポツリと呟いた。
「後輩が、ですか」
祐巳には、その行動の意味が分からないまま瞳子ちゃんに肯定の返事をする。
「うん、瞳子ちゃんはかわいい後輩だよ」
「……そうですか、よく分かりました」
なぜだか祐巳には、その言葉からは氷のようにヒンヤリとしたものが感じられた。
祐巳は不安になって瞳子ちゃんに声をかける。
「どうかしたの、瞳子ちゃん?」
だが、祐巳の声が聞こえなかったのか、瞳子ちゃんは俯いたまま何かぶつぶつと呟いていた。
様子がおかしいので祐巳が声をかけようとしたが、瞳子ちゃんは地面に向けていた視線をその自慢の両髪をブルンと揺らしながら挑むような目で祐巳の方に向けてきた。
「祐巳さま、先ほどの話の続きですが、やはり祐巳さまは何にも分かっていません」
「分かっていない、って、さっき言った、人の気持ちってやつ?」
祐巳がそう言うと、瞳子ちゃんは日頃の姿からは想像もできない冷たい笑みを向けながら口を開いた。
「ええ、そうです。祐巳さま、これからちょっとかわった話をしますので聞いてもらえますか?」
瞳子ちゃんは祐巳の言葉を肯定すると同時に、突然脈絡の無いようなことを言ってきた。
だが、その言葉から言葉では言い表せない、何か、を感じ取った祐巳は、瞳子ちゃんの方へ自然と頷きを返していた。
「祐巳さま、ひとつ質問をします。例えばの話、ですが、一匹の子犬が寂しそうに鳴きながら祐巳さまの足元にいたらどうしますか?」
どうする、といわれても。
「えっと、頭をなでたり、餌をあげるなりしてかわいがると思う」
おそらくは大多数の人間がそうするのではないだろうか? 祐巳の答えに瞳子ちゃんは予想どうりというような顔をしながら質問を続けてくる。
「じゃあ、その子犬が懐いてきたらどうしますか? 例えば家までついて来たら?」
懐いて家までついてきたら? 祐巳の思考は一瞬止まった。そして、言葉の意味をゆっくりと考え、出した答えを瞳子ちゃんに口にする。
「……たぶん、家では飼えないから、だれか他に飼ってくれる人を探すと思う」
「ええ、そうでしょうね。それが普通の答えでしょう」
普通の答え、と言いながら瞳子ちゃんの顔は少し歪んで見えた。
「えっと、さっきの答えでおかしなとこがあった、瞳子ちゃん?」
「いえ、別におかしなところはありません。ですが、こうも考えられませんか? その子犬は祐巳さまに懐いて、つまり祐巳さまだからついて来たのかもしれないのに、その祐巳さまが他の人の飼い主を探す、という行為は子犬に対して裏切り行為になるということに」
「えっ」
裏切り行為、それはとても悲しくなる言葉だった。
「むろんこれは例え話ですので、現実の話でしたら子犬の心などわかるわけありませんし、本来でしたら祐巳さまの考えで間違ってないでしょう」
「でも、これは現実ではない例え話なんだね」
「はい、そういうつもりで聞いてください。では、はっきりといいます。もし、こういったとき最後まで自分の手で面倒が見れない場合は、初めから見捨てた方が自分のためにも相手のためにもなると思います」
相手のためにもなる、つまり、中途半端なおせっかいはやめろ、と瞳子ちゃんは言いたいのだろうか。確かに、それは正しいことかもしれない。でも、実戦するのは難しい。
「結構きついこと言うね、瞳子ちゃん」
祐巳が低い声でそう言うと、瞳子ちゃんは自嘲的な笑みを含んだような声で祐巳に返してきた。
「ええ。あとこれも分かっていることだから言います。祐巳さまはおそらく瞳子の忠告など聞かずに、これからもかわいそうな子犬に手を差し伸べるのでしょうね……だから瞳子は祐巳さまのことを、おめでたい、といっているのです」
祐巳は、確かにそうかも知れない、と思った。
たぶん瞳子ちゃんの言う通り、祐巳はこれからも余計なお節介を焼いていくんだと思う。
瞳子ちゃんは、相変わらず真っ直ぐと祐巳の方を見つめている。
「祐巳さま、これだけは憶えておいてください。確かに優しさは大切なものかもしれません。ですが、ときにそれはとても残酷なことになるということを」
祐巳は、その瞳子ちゃんの言葉をかみ締めるように心に刻み込む。
「うん、そうだね。ありがとう、瞳子ちゃん」
「礼などいりません。結局のところそれが福沢祐巳さまの祐巳さまたるゆえんなのでしょうから。……ただ」
「ただ?」
「それが自然にでたことなら仕方ないと思います。ですが、憐れみから相手に手を差し伸べるようなことはしないでください。それは思い上がりというものです。もしそうだったら、たぶん相手の人は祐巳さまを一生許さないと思います」
一生許さない、か。
祐巳はある種の決意を滲ませて、瞳子ちゃんに短かく返答した。
「うん、わかった」
祐巳がそう言うと、瞳子ちゃんは今日一番の笑みで笑っていた。
「さて、馬鹿な話をしてしまいましたわね。さっさと作業を続けましょう、祐巳さま」
終わり
祐巳と瞳子の会話を、自分なりに原作を意識して書いてみました。もし、おかしな所や違和感があれば指摘してくださればありがたいと思います。
※この記事は削除されました。
※この記事は削除されました。
祐巳・由乃・志摩子の三人は文化祭も終わりさほど急用もないからと祐巳の家に泊まる計画を立てた。
祐一郎とみきの二人は運悪く知人の家から招待を受けていた為不在である。このことを中に入ってから知った由乃と志摩子の双眸に怪しい光が見えたとかみえないとか…。
土曜の授業の後だった為、三人は簡単に昼食を済ませ、そして普段学校では話せないような内容の話をしていた。時間は折よく夕暮れ。夕食の買い出しにと三人は近くの商店街へと足を運んだ。買い物が終わり家へと帰ろうとすると、生徒会の仕事のあった祐麒と遭遇した。四人が家に着くと時間は六時を指そうとしていた。祐麒は部屋に行き祐巳ら三人は夕食作りに取り組んだ。楽しい食事の時間も終わり、女性三人を先に風呂に入れ、代わりばんこに祐麒が風呂に入った。
「私、祐麒さんが好き。」
「志摩子さんも?私も祐麒くん好きよ。」
「由乃さんも?私たち気が合うわね。」
「えっ、二人とも?いきなり何言っちゃうの?」
「ふふふ。祐巳さんったらとぼけてるのかしら?こういう時は好きな殿方を言い合うのがお約束でしょ?」
「そうよね。まあ私も初めてだから詳しくは解らないけどね。」
「ちょっ、ちょっと待って。確かにこういう時はそうかもしれないけどよりによって何で祐麒なの?」
「だって、祐麒さん優しくて、また私の心にすっと入ってきたのよ。」
「うんうん。志摩子さんの言うとおりね。そのあたりはさすが福沢姉弟というところだわ。」
「あの優しさに触れたら大抵の女性はイチコロだわ。」
「私はそれをモロに受けちゃった。劇で裾踏んだお詫びにとデートしたんだけど最高だったわ。」
「…由乃さん?いつのまにそんな羨ましいことをしたの?」
「数日前よ。まあデートと言っても平日だったから喫茶店でお茶してちょっと買い物しただけよ。」
「ちっ。先手打たれたか。」
「志摩子…さん?」
「何?由乃さん。」
「今何か舌打ちが…」
「由乃さんの空耳アワーよ。」
「そうよね。って祐巳さん?」
「渡さない渡さない渡さない渡さない…祐麒は私の!」
「「祐巳…さん?」」
「祐麒は私のものなの!由乃さんでも志摩子さんでも渡さない。勝負よ!」
その頃祐麒は…
「風呂はいいね。リリンが生み出した文化の極みだよ。」
今三人の女性による祐麒を巡る戦いが勃発した。
「提案があります」
桜の花が散り、並木道の緑が濃くなり始めた頃。
すっかり黄薔薇さまとしての貫禄が板についてきたよ〜な、そうでもなさそ〜な由乃さまが、真剣な表情で手を挙げた。
祐巳さまと二人、のんびりと窓の外を眺めていたとばかり思っていた由乃さまの、突然の真面目な表情に、薔薇の館でお喋りを楽しんでいた面々――志摩子さん、瞳子、菜々ちゃん、そして乃梨子は何事かと口をつぐむ。
「――最近、山百合会の秩序が乱れている……いえ、緩んでいると思うのよね」
溜息混じりに言う由乃さまの隣では、祐巳さまがうんうん、と頷いていた。
そんな二人の様子に、乃梨子は瞳子や菜々ちゃんと顔を見合わせた。二人とも、乃梨子と同様に戸惑いの表情を浮かべている。
「――お姉さま、緩んでいるとは?」
三人のつぼみを代表して、菜々ちゃんが由乃さまに尋ねると、由乃さまはそれはもう嘆かわしげな溜息を吐いた。
「自覚がないのね、菜々。良い、一昨年の蓉子さまたちが薔薇さまだった時代、そして昨年の祥子さまたちが薔薇さまだった時代。ちょっと思い出しただけでも、明らかに今年の山百合会には威厳がないわ。緩みきってる。もう、ダメダメ」
首を振る由乃さまに、やっぱり祐巳さまが「そうそう」と頷いていた。
「原因は何なのか――私と祐巳さんで考えた結果、一つの結論に辿りついたわ」
「それは何なのですか?」
「それはね、菜々。この山百合会には――ボケが多すぎるのよっ!!」
ズビシッと菜々ちゃんを指差して、由乃さまが声高に言い放った。
「まず志摩子さん! ポワポワし過ぎ! 天然ボケもいい加減にするように! 乃梨子ちゃん、リリアンの常識に不適合すぎ! い〜加減慣れなさいエセ常識人! 瞳子ちゃん、問題外! 髪型がボケだし、なによりその色ボケ! 春はもう終わったのよ! 菜々、あんたは分かっててボケを追及してるでしょう!? 一番性質が悪いっ!」
ビシッビシッビシッと順に指を突きつけつつ、由乃さまが叫ぶようにして言い放つ。
志摩子さんはにこにこと、瞳子は顔を真っ赤にして、菜々ちゃんはにまにまと笑いながら、由乃さまの断罪を聞いていた。ちなみに乃梨子はポカーンである。
「ここまでボケが揃って、何が威厳よ! そこで私は祐巳さんと考えた! そう、ここは私たちが鬼にならなくちゃダメなんだ、と!」
両手を広げて熱弁を奮う由乃さまの隣で、祐巳さまが厳しい表情でうんうん頷いている。
「これからは、厳しい山百合会で行くわよ! ボケ禁止! ボケたら容赦なく、私と祐巳さんが鉄拳制裁するから、覚悟しなさいっ!」
うおおお、と拳を突き上げる由乃さまに合わせて、祐巳さまが「おーっ!」と手を突き上げる。
しばしポカーンと二人の薔薇さま――いやもう、信じられないけど――を眺めていた乃梨子は思った。
これは、なんだろう。
盛大な……ボケだろうか?
「……まぁ、素敵ね」
「天誅ー!」
ほわん、と笑みを浮かべた志摩子さまを、由乃さまが拳でごっつん、と叩く。
「その価値観が既に天然ボケなのよ志摩子さんは!」
「ご、ごめんなさい……」
由乃さまの迫力に志摩子さんが涙目で謝る。
乃梨子は両隣で事態を見守っている二人の肩に、手を置いた。
「……瞳子、菜々ちゃん。ボケには天誅らしいわよ」
「そうですね♪」
「わ、分かりましたわ……」
菜々ちゃんが勢い良く、瞳子が躊躇いがちに立ち上がる。
「ジーク・山百合ー!」
「ジーク・山百合ー♪」
妙なシュプレヒコールを挙げている由乃さまと祐巳さまに――
天誅が、下った。
桜の花が散り、並木道の緑が濃くなり始めた頃。
山百合会の未来を憂いながら、涙目の志摩子さんの頭を撫でつつ乃梨子は思う。
山百合会……ダメかもしんないなぁ……。
リリアン女学園の敷地を出て、目の前の歩道を右に曲がって徒歩2分。
最寄り駅へ向かうバスに乗るには、もう2分ほど歩いて歩道橋を渡るか、信号を待って道路を横断する必要がある。体力のあり余っている高校生とは言え、人間というのは楽な方へ楽な方へと流されがちで、歩道橋をわざわざ渡る、なんて生徒はほとんどいない。信号待ちだって、ちょっとした立ち話タイム。車の往来は少ないけれど、信号無視なんてはしたないことはせず、ゆっくりとお喋りをしながら信号が青になるのを待つのが、淑女としての嗜みだ。
一見、どこにでもある横断歩道。
けれどそこは、知る人ぞ知る重要スポットだったりするのだ。
「――瞳子ちゃん、瞳子ちゃん」
「な、なんですか?」
久し振りに帰りが一緒になった瞳子ちゃんと並んで歩いていた祐巳は、瞳子ちゃんが難しい顔をして、すたすたと先に行こうとするのを慌てて呼び止めた。
「あ、うん。もしかして瞳子ちゃん、何か用事でもあるの?」
「用事ですか? いえ! 何もありませんわ」
もしかして急いでるのかな、と思って尋ねた祐巳だけど、瞳子ちゃんはぶんぶんと首を振った。ふぷるぷると震える縦ロールをぼんやり目で追いながら、祐巳は少し首を傾げる。
「そう? なんだか今日、早足だし。用事があるなら、遠慮しなくて良いんだよ?」
「ですから、用事などありませんから。きっと祐巳さまの気のせいですわ」
「んん……なら、良いんだけど」
あくまでも首を振る瞳子ちゃんに、祐巳は半信半疑ながらも頷いた。だって普段、瞳子ちゃんは祐巳よりもゆっくり歩くから。遠くから見ると普通に見えるんだけど、隣で歩いてみると、気を抜けば瞳子ちゃんを置いていってしまいそうになるくらい。瞳子ちゃんのゆっくりした歩みに合わせるのが癖になっている祐巳だからこそ、今日の瞳子ちゃんは何か変だぞ、って分かる。
「見当違いなことをおっしゃっていないで、早く参りましょう」
「う、うん……」
そうやって祐巳を促す瞳子ちゃんは、果たして急いでいるのか、急いでいないのか。全く、今日の瞳子ちゃんはどっちなのか分からない。用事はないと言うくせに、早く早くと祐巳を急かすし、早足だし。かと言って、祐巳を置いて先に帰るつもりはないみたいだし。
瞳子ちゃんは気紛れだからなぁ、なんて呟きつつ、祐巳は瞳子ちゃんと肩を並べて歩き始めた。
「祐巳さま、今日はバスですか?」
「うん、そうだね。瞳子ちゃんは?」
「私もバスですわ。最近は日も落ちるのが早いですし……」
言いながら、瞳子ちゃんは先にある横断歩道の様子を伺っている。バス停に行くにはあそこの横断歩道を渡らなくちゃいけないんだけど、あそこの横断歩道は通りの幅と車の量に対して、やけに赤信号が長いことで有名だ。
祐巳もちょっと視線を延ばして、信号を確認する。ちょうど信号が青に変わったところで、ちょっと急げば渡れるかもしれない。瞳子ちゃんも急いでいるようだし、祐巳は足を速めようとしたけれど、瞳子ちゃんは逆にぐっと歩く速度を落としてきた。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
「ううん、別に、大したことじゃない、んだけど……」
祐巳は首を傾げる。てっきり瞳子ちゃんは、この青信号で渡りたいのかな、と思ったのだけど。どうやら瞳子ちゃんには、今回の青信号で通りを渡る意思はないらしい。
案の定、のんびりと歩いた祐巳たちが到着すると、信号はとっくに赤信号に切り替わっていた。瞳子ちゃんと信号を待つ間立ち話をするのは全然構わないのだけど、どうにも瞳子ちゃんの考えていることが分からなくて落ち着かない。
「――赤ですね。ボタンを押さないと」
「あ、そうだね」
確かめるように言った瞳子ちゃんに、祐巳は慌てて指を伸ばした。
同時に、瞳子ちゃんがスッと指を伸ばして、信号の押しボタンを押す。
「――あ」
瞳子ちゃんがポチッと信号を押した瞬間、祐巳の指がその上からボタンを押していた。
思わず祐巳は動きを止める。瞳子ちゃんの指も、ボタンを押したまましばらくの間、動かなかった。
「――あの」
「な、なに?」
思わず互いに視線を合わせてから、瞳子ちゃんが困ったように口を開いた。
「祐巳さまがどけて下さらないと、離せませんわ」
「あ、そうだね。ご、ごめん……」
慌てて祐巳は手を引っ込める。
ボタンを押す指先が、ちょっと重なっただけなのに。なんでこんなにドキッとしたのだろう。
不意の接触に少し狼狽しながら、祐巳は瞳子ちゃんをチラリと見て。
なんとなく、気恥ずかしくて視線を逸らした。
「はい、ご注文の写真」
「あ、ありがとうございます!」
差し出された封筒を慌てて胸元に受け取って、瞳子はぺこりと頭を下げた。
それからそっと封筒を開いて中身を確認し、ほんのりと頬を赤く染める。
「でも、分からないなぁ。なんでそんな写真が人気なのかしら?」
「蔦子さまにはロマンがありませんわ。こういう、日常の触れ合いにこそ、ロマンがあるというものです」
「……やっぱり私には分からないけど、こんな風に頼られるのは悪い気はしないしね。また何かご入用の時は、遠慮なくどうぞ。瞳子ちゃんといると、祐巳さんも良い表情するからね」
蔦子さまはそう言って立ち去りかけ――そこで思い出したように振り返った。
「あ、そうだ。その写真、タイトルは『初めての共同作業』なんてどう?」
「……それはまた、無粋なタイトルですわね」
言うだけ言って返事を待たずに行ってしまう蔦子さまの背中に、瞳子は少し落胆したように呟く。
それから気を取り直したように、再び封筒を開けると、中に収められていた写真をじっくりと眺めた。
二人で信号のボタンを押して、思わず顔を見合わせているツーショット写真。
日常のようで、少しだけ日常とは違うその瞬間は、なんとなく心の吟線をつま弾いてくれる。例えそれが、多少意図された偶然だったとしても。
「家に帰ったら、どこに飾りましょう?」
口元を緩ませながら写真をしまい、瞳子は踊るような足取りで教室へ戻っていった。
そこは一見、どこにでもある横断歩道。
けれど今日もまた、お姉さまや親しい上級生と共に、赤信号に変わった直後の押しボタンを押す権利を獲得すべく、リリアン女学園の生徒たちは、足を速めたり緩めたりしながら、学園前の通りを歩いて行くのだった。
【前書き】
このお話は色々とご指摘を頂いた
No,807 祐巳ちゃんへアップサイドダウン作戦 (削除済み)
の改訂版です。
( ´_ゝ`)フーン 直ってるね、と言われるだけでは悔しいので(w)、オチも変えてみました。
「それじゃあ私たちは先に講堂に行っているわね。祐巳、しっかりね」
「はい、お姉さま」
「由乃、ほんとに大丈夫?」
「もう、令ちゃんは心配性なんだから。大丈夫に決まってるじゃない」
「志摩子さん、がんばってね」
「平気よ、今年は私たち三人だけだから」
三組三様に言葉を交わすとお姉さま、令さま、それに乃梨子ちゃんはビスケット扉を出ていった。
一月も末の良く晴れた寒い水曜日、今日は午後から来年度の生徒会長を選ぶ選挙の立会演説会が行われる日だった。
去年はお姉さま、令さま、志摩子さんの他にリリアン女学園の歌姫こと蟹名静さまが立候補なさったため、三つの席を四人で争うというリリアン女学園としては珍しい本当の選挙戦だったのだが、今年は祐巳たち薔薇の館の住人以外に立候補する人がいなかったため、選挙とはいっても実際には信任投票であった。
静さまのような強力な対抗馬が出なかったことに安堵していた祐巳に、しかし難題は別の所から持ち上がっていた。
二年生の三人だけが残り奇妙に静まり返った薔薇の館で、沈黙に耐えられず祐巳が会話の口火を切った。
「ああ、どうしよう。やっぱりちょっと緊張してきた。二人は平気なの?」
「当たり前でしょ。信任投票なんだから気楽なもんよ」
「そうなんだけど私、大勢の前でしゃべったことってあんまりなくって。それにほら、例の……」
「大丈夫よ。祐巳さんが一番人気なのは衆目の一致するところなんだから」
「そうそう。だから本当の勝負は私と志摩子さんなのよ」
「ねえ、あれ本当にやるの? やっぱり止めにしない? 私たち敵じゃなくて仲間なんだよ」
「やるって言ったらやるのよ! そうでしょ? 志摩子さん」
「由乃さんこそいいの?」
「悪いけど私自信があるの。絶対に負けないんだから」
「私も秘策があるの。だから勝つのは私」
「絶対勝ーーつっ!」
「ウフフフッ」
「……」
由乃さんと志摩子さんは何だかよく分からない暗いオーラを身にまとって、互いに牽制し合っている。
そう、例えて言うなら竜虎相討つ、……というより猫兎相討つといった辺りが順当か。
怯える子ダヌキ・祐巳はそんな二人の様子に身震いして、だからもう一度言ってみた。
「ねえ、やっぱりやめようよ。得票数で競争なんて!」
「「祐巳さんは黙ってて!」」
二人は同時に祐巳に向き直り、きれいにハモッて言った。
何でこんなことになっちゃったんだろう。
二人ともこんなに息がピッタリ合ってるのに、なんで勝負なんかするの?
由乃さんと志摩子さんの間の妙な緊迫感に耐えられず、演説会なんか放り出して今すぐ一人でどこかへ逃げ出してしまいたい祐巳だった。
ことの起こりは二日前、薔薇の館での志摩子さんと乃梨子ちゃんの不用意な会話だった。
立会演説会用の原稿を推敲していた志摩子さんに、乃梨子ちゃんがお茶をだしながら言った。
「いよいよあさってだね。なんだか私の方がドキドキしてきちゃった」
「乃梨子ったら心配性ね。大丈夫よ、今年は私たち三人しか立候補していないんだから」
「うん、そうなんだけど。でももし得票数が過半数に達しなかったらどうなるんだろう」
「そうね、どうなるのかしら。ねえ、由乃さん」
志摩子さんはいつものように柔らかい笑顔を浮かべて言ったが、それを受けた由乃さんはどこからかピキッと音を立て、こめかみには血管を浮かび上がらせて眼光鋭く聞き返した。
「……何で名指しで私に聞くのかしら?」
後で聞いたことだが実は内心、由乃さんは自分の得票数が最も少ないのでは、と危惧していたという。
祐巳自身は意識したことはないのだが、由乃さんによると一年生の間での祐巳の人気は絶大で、だから由乃さんの読みではおそらく祐巳は一年生票を大量に集めるだろうとのことだった。
一方二年生票なのだが仮にこれを三人が同等に得票できたとしても、一年生票による大幅なアドバンテージで祐巳のトップは動かし難い。
つまり実質的には由乃さんと志摩子さんの一騎打ちになるわけだが、志摩子さんには今年一年間白薔薇さまを担ったという実績があり、成績も優秀で、その上「表面上は」(由乃さん談)人当たりも良い、ときている。
片や由乃さんは一年生の冬に心臓手術を受けて以来、十五年間かぶり続けた可憐で儚げな美少女という巨大(あるいは誇大)なネコを華麗に脱ぎ捨て、本来の積極性を前面に押し立てているため一部の生徒、特に黄薔薇さまファンには必ずしもウケが宜しくない。(全て由乃さん本人談)
よって得票数は自分が一番少ない可能性が大である。由乃さんはこんな風に状況を分析していたという。
しかし得票数が少ないことなど由乃さんは実はさして気にしていなかった。
それよりも真に気掛かりだったのは得票数が少ないことを必ずどこからか聞きつけて、例の凸(由乃さん談)が自分をからかいに来るであろうことだった。
これは単なる懸念ではなく、かなりの高確率で起こり得る現実だ。
由乃さんにすればこれは何より耐え難いことだという。
何とかこれを回避できないかと、一人密かに悩んでいたところに掛けられたのが志摩子さんのあの言葉では、由乃さんに青信号が灯ってしまうことも祐巳には十分理解できることであった。
「つまり志摩子さんは私の得票が一番少ないかもって言いたい訳ね」
「ウフフッ」
ウフフッて志摩子さん、何でそんなに挑発するの?
もしも言葉が漫画のフキダシだったら、今すぐ修正液で「ウフフッ」を消してしまいたい祐巳だった。
「あ、あの、落ち着いてね、二人とも」
二人の間をなだめようとしてオロオロする祐巳だが、由乃さんも志摩子さんも全く聞いていないようだ。
「いいわ。じゃあ三人で得票数を競争しましょう」
「面白そうね」
「え? 三人って私もやるの?」
「当たり前じゃない。この際私たち三人の立ち位置をはっきりさせておくいい機会だわ」
私、いつの間に巻き込まれていたの? 泣きそうな顔がそう語っている祐巳にも容赦のない由乃さんだった。
「ちょっと由乃、いい加減にしなさい。選挙は遊びじゃないのよ」
それまで黙って聞いていた黄薔薇さまだったがついに我慢しきれなくなったという風に、ちょっと怖い顔を作って青信号全開の由乃さんをたしなめにかかった。しかしそんなことでおとなしくなるような由乃さんではないことはみんなが知っている。
「令ちゃんのバカ! 遊びじゃないわ、これは真剣勝負よ! それとも令ちゃんは私が負けるとでも思ってるの?」
「そうじゃないけど……。祥子も黙ってないで何とか言ってやってよ。ほら、祐巳ちゃんだって困ってるよ」
暴走機関車・由乃号の前にいつものようにヘタれてしまった令さまは祐巳をだしにして、隣で黙って優雅に紅茶を飲んでいるお姉さまに話を振った。
しかし振られたお姉さまから返ってきたのは意外なお言葉だった。
「あら、私は別にかまわなくてよ。面白そうだからむしろ見てみたいわ」
へっ?
由乃さんがどんなに頑張っても最後にはお姉さまが納めてくれる。半ばそう楽観していた祐巳は自分の耳を疑った。
「だって祐巳のトップは確実なんですもの」
……お姉さま、いつからそんな面白いこと好きになられたんですか? 一年前のお姉さまなら声を荒げて真っ先に反対なさったでしょうに。随分変わられたんですね。いいのか悪いのか分かりませんが。
祐巳がそんな感慨に耽っていると、今度は別のほうから新たな燃料を投下する人が現れた。
「紅薔薇さまのお言葉とはいえ、それはちょっと聞き捨てなりません。確かに祐巳さまは一年生の間では絶大な人気がありますが志摩子さ、いえ、お姉さまだって十分人気がありますし、何といってもこの一年間、二年生でありながら白薔薇さまを担ってきたという実績があります」
あくまで冷静に、しかし断固とした調子でいう乃梨子ちゃんにお姉さまは鼻で笑っていう。
お姉さま、まるで悪の女幹部っていうか、ヒールがとってもお似合いで素敵です。
「甘いわね、乃梨子ちゃん。生徒会長なんていっても結局は体のいい雑用係だってみんな知ってるわ。だから実績なんて関係ないの。生徒会選挙なんて所詮人気投票に過ぎないのよ」
「いいでしょう。ではこの際ですから志摩子さんの人気と実力を学園中にはっきりと示しましょう」
そんな、乃梨子ちゃんまで……。
祐巳なんかよりずっと大人でしっかりしている乃梨子ちゃんだが、こと志摩子さんのことになると別だったのを祐巳は今さらのように思い出した。
乃梨子ちゃんもすっかりリリアンの校風に染まったんだね。いいのか悪いのか微妙だけど。
「大体意見も出そろったようですね。ではここらで決を採りたいと思いますが」
よろしいですか、と由乃さんがお姉さまの方をチラリと見やる。令さまは無視なんだね。
よくってよ。お姉さまが頷くとにわか議長となった由乃さんは言った。
「では、選挙戦における得票数競争に賛成の方は挙手を」
「ちょっとお待ちなさい」
「何でしょう。今さら反対っていうのは無しですよ、祥子さま」
「もちろんよ。それより競争して勝ったらどうなるのかしら? 逆に負けたら何かあるの?」
「それは……、考えていませんでした」
「それじゃ競争し甲斐がないわね」
決を採る寸前で入ったお姉さまの一声に、ああ、やっぱり止めて下さるんだと安堵した祐巳の思いは一瞬にして消し飛んだ。
お姉さま、あなたはほんとにお姉さまなんですか? まさか背中のジッパーが開いて中から江利子さまが出てくるなんてオチじゃないですよね。
そんな様子を頭に思い浮かべていた祐巳の横で、乃梨子ちゃんがとんでもない爆弾を落とした。
「ではこういうのはどうでしょう? 最下位の人はトップ得票者の言うことを聞くんです」
え? それってなんだか何かに似ているような……。
祐巳が喉元まで出掛かった言葉を言う前に、由乃さんにあっさりと言われてしまった。
「つまり得票数で王様ゲームをやるってことね」
それを受けてお姉さまは祐巳たちの方を見て訊く。
「当事者はどうかしら?」
「私はそれで構いません」
「私は元より望むところです!」
志摩子さんはいつものようにゆったりと、反対に由乃さんは闘牛場の牛のように興奮気味に答える。
しかし争い事を避けたい祐巳はここが勝負所だと思い、お腹に力を込めるとビシッと右手を挙げて言った。
「はっ、反対!」
その瞬間、みんなの視線が一斉に祐巳に集まった。そんな祐巳にお姉さまがゆっくりと言う。
「祐巳」
「は、はい」
「あなた反対なの?」
「申し訳ありません。この件に関しては反対です!」
「でも私はあなたを信じていてよ」
「えっ? ……お姉さまがそうおっしゃるなら」
叱られるものと思っていた祐巳はお姉さまの思わぬ優しいお言葉に対応の仕方を見失ってしまい、なんだかうやむやの内に丸め込まれてしまった。
「私も反対よ」
「では改めまして、得票数競争に賛成の方は挙手を願います」
山百合会最後の良心・令さまの言葉は由乃議長の耳には全く届いていないようだった。
そして結局採決は議長票一を含む賛成四でうち切られた。
「賛成多数をもちまして本案は可決されました。いいわね、祐巳さん」
「ううっ……」
かくして全校生徒には秘密裏に、得票数王様ゲームの火蓋が静かに切って落とされたのだった。
「もうそろそろ時間ね」
志摩子さんの声に腕時計を見ると、立会演説会の三十分前だった。これから講堂に移動して選挙管理委員会と最後の打合せをした後、いよいよ戦いが始まるのだ。
最後の説得に失敗した以上、この不毛な争いに終止符を打つには戦って勝つしかない。
祐巳はもう迷わなかった。
「それじゃあ行きましょう」
由乃さんの言葉で三人は席を立った。
三人が講堂に着くと、用意された席はすでに一、二年生で全て埋まっているようだった。そればかりか後ろの方にはこの日出校していた三年生の姿まで見える。今年の選挙はなぜか例年より関心を呼んでいるようだ。
まさか王様ゲームの件が漏れたのだろうか。でもそんなうわさ話は祐巳の耳には入ってこなかったし、もちろん真美さんに追求されるようなこともなかった。
心に刺さった小さな棘のような不安を余所に、立会演説会の準備は着々と進んでいく。
そして三人が壇上に用意された席に着席すると、いよいよ運命の演説会は始まった。
「それでは来年度生徒会役員選挙、立会演説会を始めます。初めに二年松組、福沢祐巳さん」
司会者の声に促され、立候補届け出順一番の祐巳が先ず演台の前に立った。
「皆さん、ごきげんよう。ただいまご紹介に預かりました、二年松組、福沢祐巳です」
うん、よしよし。思ったより上がってないぞ。夕べ祐麒に上がらない秘訣を伝授してもらったのが効いているようだ。その秘訣とは。
とと、そんな場合じゃなかった。今は演説に集中しなきゃ。絶対トップ当選しなきゃいけないんだから。
「……。以上、ご静聴ありがとうございました」
最後にそう言って深々と頭を下げた祐巳に、聴衆からは暖かい拍手が送られた。
ふと後ろの方を見れば、令さまと一緒に見ているお姉さまも拍手してくれている。どうやら上手くできたようだ。
とにかくやれることはやった。後は結果を待つだけだ。心の中でそっと胸をなで下ろすと、祐巳は自分の席に戻った。
祐巳に続いて演台の前に立ったのは由乃さんだった。
茶話会の時も思ったけど、由乃さんってこういう場で堂々としててカッコいいなあ。貫禄だけならもう充分薔薇さまだよ。
最初はそんな風に見ていた祐巳だったが、自分の番が終わり緊張して夕べあまり眠れなかった分の睡魔がいつしか襲ってきていた。壇上で居眠りなどしないように目を開けているのが精一杯で、それで由乃さんの演説の内容まで頭に入ってこなかった。
そんなぼやけた頭の祐巳だったが聴衆のどよめきとともに、由乃さんの声の中に「紅薔薇さま」の名が含まれていることにふと気がついた。
「私がトップ当選した暁には皆さまからアンケートを取った上で、新学期にカラー刷りでリリアンかわら版・紅薔薇さま××××特集号を発行する事をここにお約束致します」
ほぇー、そうなんだ……。新学期に紅薔薇さまの××××。
由乃さんも色々考えてるんだ。
……ん?
紅 薔 薇 さ ま の コ ス プ レ !?
何 そ れ ーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
「これは既に新聞部・写真部と打合せ済みです」
由乃さんはそう言って舞台の下で取材をしていた真美さんと蔦子に目配せをする。二人はそれに答えてグッと親指を立てて応えた。
そ、そんな密約が! だから真美さん何にも突っついて来なかったのか!
「異議あり!」
一気に目の覚めた祐巳が叫ぶのと同時に、聴衆の中からも二人分の同じ声が聞こえた。講堂中に響きわたる声の主はお姉さまと瞳子ちゃんだった。
「由乃ちゃん、そんな勝手は許さなくてよ!」
「お言葉ですが祥子さまには選挙権がありません。 よって異議も認められません」
「お黙りなさい! 祐巳のコスプレは私だけの楽」
「令ちゃん!」
「祥子、ごめん!」
「ああ、お姉さま!」
由乃さんの合図(というか命令)で背後から令さまの手刀一閃、お姉さまはあっけなく気を失ったようだ。
祐巳は壇上から、令さまに抱えられて講堂を出ていくお姉さまを呆然と見送ることしか出来なかった。
それはそれとして、お姉さまが最後に言いかけた言葉はこの際聞かなかったことにしておくべきなのかな。
「由乃さま、横暴ですわ! 祐巳さまは瞳子だけが弄」
今度は瞳子ちゃんが立ち上がって叫ぶが、由乃さんは少しもあわてず指をパチン、と鳴らした。
すると瞳子ちゃんの後ろに座っていた可南子ちゃんとその他数人が、どこに隠していたのかむしろと荒縄を取り出してあっという間に瞳子ちゃんを簀巻きにしてどこかへ運び出していってしまった。
可南子ちゃん、いつの間に由乃さんに籠絡されていたの? 友達になれた可南子ちゃんはいつの間にか火星の可南子ちゃんと選手交代していたの?
でもそれはそれとして、瞳子ちゃんが最後に言いかけた言葉はあとで小一時間問い詰めなくちゃ。
それにしても恐るべきは由乃さん。何て用意周到な、……じゃない! 感心してる場合じゃなかった!
「そんなこと私聞いてません!」
あわてて叫ぶ祐巳だが、由乃さんは少しもあわてず不敵な笑みを浮かべて言った。
「だってこれは私の公約よ。祐巳さんには関係ないわ」
「そっか、そうだよね……。って関係大ありじゃない! 私そんなこと絶対に認めませんから! それにこんなの、何て言うの、ほら、その」
「買収?」
「そうそれ! ありがとう由乃さん。ってそうじゃなくて! こんなの選挙違反になると思」
「なりませんっ!」
「え? でも……」
必死の反撃を試みる祐巳に由乃さんはビシッと指さして、祐巳の言葉を断ち切った。
気勢をそがれた祐巳はその時点で既に負けていた。そんな祐巳に由乃さんは一転して優しく微笑んで語りかける。
「よく考えてみて。新聞部と写真部がコラボで特集号を出すなんて別に珍しいことじゃないでしょ? 私はそれにちょっと提案しただけよ。もちろん特集号のために別枠で予算を出す訳でもないし、誰に対する利益誘導でもないわ」
「そ、そうなのかな。うーん……」
何だか分かったような分からないような、釈然としないまま言いくるめられそうな祐巳に由乃さんは自信満々の笑顔でとどめを刺した。
「祐巳さん、ここは演説の場で討論の場じゃないのよ。だからその話はもうお終いね。皆さま、お騒がせいたしました。以上で私の演説を終わります。どうか皆さまの清き一票をお願いいたします」
清くない、絶ーーっ対清くないよ。そんな一票! ……多分。
しかし演説を終えた由乃さんには、祐巳の時以上の盛大な拍手が送られた。
蒼くなったり赤くなったり、祐巳が生涯最高の百面相を演じているとその横で志摩子さんが演台から戻ってくる由乃さんを睨みつけて、チッ!と小さく舌打ちをするのが聞こえた。
「志摩子さん! 由乃さんたらひどいの! 志摩子さんからも何か言ってよ!」
「やるわね、由乃さん」
「え?」
由乃さんを睨んだまま小さく呟いた志摩子さんの言葉に思わず祐巳が聞き返すと、志摩子さんは祐巳の方を振り返り、いつものように優しく微笑んで言う。
「安心して。祐巳さんを由乃さんのいいようにはさせないから」
「う、うん。お願いよ、志摩子さん!」
そう言い残して演台に向かう志摩子さんを、祐巳はすがるような目で見送った。
志摩子さんと入れ替わりに席に戻って来た由乃さんに、祐巳は小声でキビシク抗議する。
「ひどいよ由乃さん! 何で私に一言の相談もなくあんなこと!」
「だって相談したら祐巳さん断るでしょ」
「それはそうだけど……、って当たり前じゃない! とにかく絶対却下なんだから!」
「ポピュリズムの世の中、全ては選挙民の思し召しなのよ。それよりいいの? 志摩子さんも何か爆弾発言しそうだけど」
「え? まさか……」
今さら祐巳さんが凄んだって痛くも痒くもないわ、と受け流す由乃さんは、祐巳の抗議より演台の志摩子さんの公約の方が気になるようだった。
「単刀直入に申し上げます。私がトップ当選した場合、先日姉妹探しの機会として開催しご好評を頂きました茶話会を新年度から定期的に催し、紅薔薇さまがメイド姿で皆さまをおもてなし致します。ただし応募者多数の場合は抽選とさせていただきますので悪しからず」
茶 話 会 で メ イ ド !?
だ か ら 何 で 私 な の よーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
「ヲタじゃあるまいし皆さまは二次元とかで満足できるのですか? こちらは本物が皆さまをお迎えするのですよ。どちらがいいか聡明な皆さまなら明白ですよね?」
場内からは歓声とともに割れんばかりの拍手が巻き起こった。
メイド喫茶も十分オタクだって! それに『ヲタ』って志摩子さんこそオタクだったの? いや、それはこの際どうでもよくって!
「い、異議あり! それは選挙違反だと思います! 何て言ったっけ、あの、ほら」
「供応かしら?」
「そうそう! さすが志摩子さん、って違ーーーう! こんなの絶対違反だよ!」
「姉妹探しの機会を恒例化することのどこが供応なのかしら? それにね、みんなに親しまれる薔薇の館にするのは蓉子さまの願いだったでしょ? 祐巳さんはそれに反対なの?」
「そういう訳じゃないけど……」
「ウフフ、だったら構わないわよね。それでは簡単ではありますが私の演説を終わらせていただきます。皆さまの清き一票をお待ちしています」
だから全然清くないって!! ……多分。
やっぱり黙っていられない。このままでは来年度、由乃さんか志摩子さんのいいようにされてしまう。
そう思った祐巳は演台に駆け寄るとマイクを掴み、全校生徒に山百合会の秘事をうち明けた。
「皆さん聞いて下さい! 由乃さんと志摩子さんの公約に私は一切関与していません! 二人は得票数で王様ゲームをしていて、それであんな無茶な公約を言っているんです! あの二人の暴走を止められるのは私だけなんです! だからどうか私をトップ当選させて下さい! お願いします!!」
エーーー? ザワザワザワザワ。
祐巳の暴露発言を聞いて騒然となった場内だったが、その中のどこからか一人の生徒が大きな声で質問してきた。
「もし由乃さまか志摩子さまの得票が一番で、祐巳さまが最下位だった場合どうなるのですか?」
「その時は私が由乃さんか志摩子さんの言うとおりにしなきゃいけないんです!」
オーーー! ガヤガヤガヤガヤ。
さっき以上にどよめいた場内から、やがてさっきと同じようにどこからか声が挙がった。
「私たちみんな祐巳さまの味方です! だから祐巳さま、ご心配なさらないで!」
「そうですわ! ご安心なさって!」
「ありがとう、皆さんありがとう! 良識のある人たちばかりで私、幸せです!」
やっぱりマリア様のお庭に集うリリアンっ子たちはいい子達ばかりなんだね。由乃さんや志摩子さんの奸計に与するような子達じゃないよね。
祐巳は目に大粒の涙を浮かべて、リリアン女学園に通う幸せを噛みしめていた。
講堂中割れんばかりのスタンディングオベーションに包まれ、こうして波乱の立会演説会は終了したのだった。
演説会の三日後の土曜日、生徒達は各々の教室で投票し、およそ一時間後には選挙管理委員会によって集計された開票結果が掲示板に貼り出された。
お姉さまと一緒に掲示板に向かった祐巳を待っていたその結果とは。
「な、何で私だけが不信任なのよーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
掲示板の前で大勢の生徒たちに囲まれて祐巳が目の当たりにしたのは、祐巳にとってあんまりな開票結果だった。
祐巳の得票数はわずかに一票。自分の一票だけ。
一方由乃さんと志摩子さんはまるで示し合わせたかのように同数で信任されたのだった。
何でなのよ。半泣きでつぶやく祐巳に、いっしょに開票結果を見ていた由乃さんは半ばあきれ顔で言う。
「分かってないわね。志摩子さん、かわいそうな祐巳さんに説明してあげたら?」
「つまりね、祐巳さんが王様ゲームのことをみんなの前でばらしちゃったから、祐巳さんのファンはこぞって私や由乃さんに投票しちゃったのよ」
「じゃあ私は墓穴を掘ったってこと?」
「まあそういうことになるわね。それにしても祐巳さんって一年生だけじゃなく、二年生にも人気があったのね」
「ウフフ、うらやましいわ」
……うれしくない。全然うれしくないよ。
私の味方だって言ってくれた子たちは一体何だったの?
ひどいよ。もう誰も信じられない!
そんながっくりとうなだれる祐巳の肩をそっと抱いて、お姉さまは優しく言った。
「祐巳、しっかりなさい。こうなってしまってはもう仕方ないわ」
「お姉さま……」
「欠員が出た以上もう一度選挙が行われるわ。そこで当選すればいいのよ」
「でもこの結果を見ると、私もう自信ありません」
「バカね、これはあなたの人気の裏返しよ。それに思い出してご覧なさい。志摩子も由乃ちゃんも『紅薔薇さま』って言ったのよ。つまりあなたが紅薔薇さまにならなければ二人の公約は無効なの。だからみんなあなたに投票するに決まってるわ」
「でもそれならもう立候補しない方がいいんじゃ。そうすればコスプレもメイドもしなくて済みますし」
「もちろんそれでもいいわ。例え紅薔薇さまにならなくてもあなたが私の妹であることに変わりはなくってよ。でも私なら逃げるのはイヤ。絶対戦うわ」
立会演説会の時の怒れるお姉さまはもういない。だったら自分も前を向いて歩いていこう。
祐巳はそう決心して、精一杯の笑顔を作って言った。
「分かりました。私も戦います」
「それでこそ私の妹だわ。大丈夫、あなたには私がついていてよ」
「はい、お姉さま」
こうして祐巳は欠員選挙に再度立候補するために立ち上がった。
二月の最初の土曜日の午後。今日は再選挙の演説会と投票、開票が一日で行われることになっていた。
立候補者は祐巳一人だったので演説会は省略されるはずであったが、祐巳のたっての希望で催されることになったのだった。
「皆さん、今日は私のためにお時間を頂きありがとうございます」
ペコリとお辞儀をして、聴衆を前に演台で祐巳は言った。
「私の公約は先日の通りですが、不信任という結果を鑑みもう一つ追加することにしました。私が信任された時は、…………由乃さんと志摩子さんも私と一緒にコスプレとメイド茶話会をします!!」
…………。
ウォーーーーーーーーーーーーーッ!!
一瞬の静寂の後、講堂中にリリアン女学園にはあるまじき大歓声が巻き起こった。
キャッ!
花寺学院の選挙ももしかしたらこんな感じなのかな。
講堂を包み込むものすごい嬌声に耳を押さえながら勝利を確信し、祐巳は心の中でガッツポーズを取っていた。
「異議あり!」
歓声に半分かき消されながら上がった声の主は由乃さんだ。
ステージの下には壇上の祐巳を睨み付ける由乃さんと、困ったような笑顔を浮かべる志摩子さんがいた。
由乃さん、親友に今さら凄まれても痛くも痒くもないよ。だからそんな睨んだってダメなんだからね。
「何か?」
「王様ゲームはもう終わってるんだからその公約に拘束力はないわ!」
「でも由乃さんは民意に従うんだよね?」
「そ、それはその……。ほら、志摩子さんも黙ってないで何か言ってやりなさいよ!」
余裕の笑顔で応える祐巳に、形勢不利な由乃さんは目を泳がせて隣の志摩子さんに振るのだが、頼みの綱の志摩子さんはといえば。
「ウフフ、一本取られちゃったみたいね」
「もう、志摩子さんたら。のん気に笑ってる場合じゃないでしょ」
志摩子さんの邪気の無さに毒気を抜かれ、いからせていた肩を落として由乃さんも諦めモードに入ったようだ。
そんな由乃さんの大きなため息を確認して、祐巳は聴衆に向き直り締めの挨拶をする。
「二人とも異論は無いようなのでこれで終わります。皆さんの清き一票をお願いします」
万雷の拍手の中、祐巳はステージを降り由乃さん、志摩子さんの元へ歩み寄る。
「恨むわよ、祐巳さん」
「やられたわね」
祐巳はそんな二人の間に割って入ってクルッと向きを変えると二人と腕を組んで、満面の笑みを浮かべて言った。
「えへへ。だって私たち、敵じゃなくて仲間なんだもん♪」
年度が改まり祐巳たち三人が新しい薔薇さまとなってから最初の土曜日の午後、薔薇の館では志摩子さんの公約通り茶話会の準備が粛々と進められていた。
「真美さ〜ん、何なのよ、これ。メイド服じゃなかったの?」
「由乃さんと志摩子さんが同数でトップだったでしょ。だから二人の案を足し合わせて、衣装はアンケートで決めることにしたのよ」
「とっても素敵よ、祐巳さん」
「もー、蔦子さんたら他人事だと思って」
薔薇さまが三人とも当事者になってしまったため、公平を期すため茶話会の企画・運営はなぜか新聞部が担当することになっていた。
そして三薔薇さまコスプレ特集号の撮影のため、写真部のエースも当然薔薇の館に来ていた。
「でもこんなのどこから持ってきたのよ?」
「それはね」
真美さんが言い掛けたちょうどその時、バァーーンという効果音とともにビスケット扉が開いた。
「私が乃梨子さんと作ったのですわ!」
「瞳子ちゃん!? 何で瞳子ちゃんが?」
「立会演説会の後、由乃さまと志摩子さまにお手伝いを頼まれましたの。上級生のお姉さま方のご依頼なら断れませんわ」
……おかしいと思ってたんだよね。得意げに言う瞳子ちゃんを見ながら、今さらながらに祐巳は思い出していた。
演説会の時の様子からすると瞳子ちゃんは祐巳に投票してくれるものと思っていたのに、実際には自分の一票だけだったのだから。
「それにしても何だか胸の辺りが余るんだけど」
「そんなこともあろうかと、これを用意しておきましたわ」
どうぞお使い下さいまし、と言って瞳子ちゃんが差し出したのは祐巳にとって懐かしくも忌まわしき思い出の一品、肩パッドだった。
「こんなこともあろうかと思ってたんだ、瞳子ちゃん」
「採寸もしてないのに私のサイズがピッタリってどういうことよ」
緩くて凹んだり、ピッタリ過ぎて気に食わなかったり、人の不満は様々なようだ。
「作ってる最中、匿名希望『エリコ様がみてる』さまからお電話がありまして教えていただきましたの」
「くっ。あの凸、余計なことを。っていうか何でヤツが私のサイズ知ってるのよ!」
「でもスレンダーなお姉さま素敵です」
「そ、そう? まあ菜々がそう言うんなら……」
由乃さんったら頬を赤らめちゃって、菜々ちゃんのたった一言で黙っちゃうんだ。
それにしても菜々ちゃん、もう由乃さんの扱い方を覚えちゃったんだね。簡単過ぎるよ、由乃さん。
「私もピッタリだわ」
「それは乃梨子さんがモガッ」
あわてて瞳子ちゃんの口を塞ぐ乃梨子ちゃん。
「ち、違うの志摩子さん!」
「乃梨子ったら」
「志摩子さん」
ああ、志摩子さんと乃梨子ちゃん、見つめ合って二人の世界作っちゃってるよ。
「はいはい、姉妹で仲がおよろしいのも結構ですけど、そろそろものすごい倍率を勝ち抜いて幸運を射止めたお客さまたちが来るわよ。よろしくね、薔薇さま方。祐巳さんもチャッチャとそれ入れちゃって」
「えーん」
記念すべき第一回目の茶話会の衣装、それはバニーガールコスだった。
キシッキシッキシッ。
誰かが階段を上る音が聞こえる。ついにお客さまが来てしまったようだ。
バニーコスは顔から火が出るほど恥ずかしかったが、お姉さまに戦うと誓った以上一生懸命やるしかない。
そう腹を決めた祐巳は由乃さん、志摩子さんとともにビスケット扉の内側でスタンバイした。
ガチャッ。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。薔薇の館へようこそ、ってええーーーー!?」
深々とお辞儀をし、ニッコリ微笑んで顔を上げた祐巳の眼前にいたその人は。
「お、お姉さま!」
「とってもよく似合っていてよ、祐巳」
「何で!?」
「あら、聞いてなかったの? 私ね、茶話会にオブザーバーとして出席してほしいと演説会の後で志摩子と由乃ちゃんに頼まれたの。可愛い後輩の頼みじゃ断れないでしょ?」
涼しい顔をして言うお姉さまを前に、祐巳は思い出していた。開票結果発表の時お姉さまがヤケにあっさり結果を受け入れ、その上祐巳の説得までしたことを。
思えばあの時の、「あなたには私がついていてよ」っていうのはこのことだったのか。
「……お姉さま、もしかして騙してたんですか」
「だってかわいい祐巳のコスプレを見てみたかったんですもの!」
キツーク抗議しようとしたのだが「だって」なんて拗ねるお姉さまを初めて見た祐巳は、ついうっかり情にほだされてしまった。
「お姉さま……。言って下さればいつでも見せて差し上げますのに」
「祐巳!」
「お姉さま!」
きつく抱きしめられて、またしてもうやむやの内に丸め込まれる祐巳だった。
由乃さんと志摩子さんをキッと睨み付けると、由乃さんはVサインをしてニシシッと笑い、志摩子さんはいつもと同じマリア様のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
その横では瞳子ちゃんが恨めしげな目で見ていたみたいだけど、まあそれはいいか。
こうして薔薇さまによるコスプレ茶話会は大好評の内に行われ、その対価として祐巳たちは「山百合会史上空前絶後のあり得ない薔薇さま」という、よく分からない微妙な称号をリリアン女学園の歴史に刻むことになったのであった。
【おまけ】 コスプレ茶話会・その後
「祐巳さん。その衣装だけど、何もそこまでしなくてもいいんじゃないの?」
「そうかな? かわいいと思うんだけど。そうだ、由乃さんと志摩子さんもこれにしない?」
「遠慮しとくわ」
「そうですね。お姉さまにはちょっと無理だと思います」
「なっ、どういう意味よそれ! いいわよ、やってやろうじゃないの!」
「ウフフ、楽しそうね。私もそれにしようかしら」
「お願いだからやめてっ!」
「乃梨子がそう言うのならやめておくわ」
「え? いや別に、志摩子さんがしたければ私は……」
「乃梨子は見たいの? 見たくないの? どっちなの?」
「いや私は別にそんなほらあのその、……うん」
「祐巳さま、いい加減になさって下さい! 恥ずかしくないんですか!」
「えー何で? それより瞳子ちゃんも一緒にやろうよ」
「やめ、ちょっ、離してください! 離して、はなっ、……(キュウ)」
ノリノリな祐巳だった。
No.778→No.753 の続きです。
事件から一週間が過ぎた、昨日から祐巳の両親は山梨のおばあさんの家に行っていて、明後日水曜日に帰ってくる予定になっている。
『祐巳ちゃんにも関係あることだから』そう言って車に乗り込んだ母の表情と言葉に、今は違和感を覚えている。 それがどういう種類の物なのかは、うまく説明できそうに無い。
マスコミは学園側からの抗議により大々的な取材攻勢は控えているものの、テレコを持ったレポーターはまだ近所をうろうろしているし、新聞部のあの方が鼻息荒く校舎内を駆け回っている、真美さんも大変だ。
学校側が出した自衛策は早期帰宅。 一人での行動は控える、人通りの少ない場所には近づかない等が出されて、放課後は17:00以降になると部活も原則終了、帰宅が促される。 薔薇の館も例外ではない、残業が発生した場合は職員室に届け出に行かなければならない。 警備員が巡回するコースの変更などがあるため認められる可能性はほぼ無いと祥子さまが言っていた。
「志摩子さんの様子が変?」
「はい…」
「どんなふうに?」
「ええ、以前に比べて怒りっぽくなったようなんです。 あと、香水です」
「香水?」
薔薇の館のサロンで祐巳、由乃、乃梨子の三人で書類整理をしていて、そろそろ帰ろうかと準備を始めた時に、乃梨子が言い出し難そうに告げてきたのだった。
「以前は香水どころかコロンだって使っていなかったのに、ここ一ヶ月くらいから使い始めてここのところ…」
「あ〜、確かにかなりキツク付けてるよね。 この前ちょっと言ったことあるわ」
「え? そうなの?」
「うん、まあ『校則に禁止事項は無いでしょ?』なんて言われて強くは言えなかったんだけどね」
「う〜〜ん、確かに明文化されていないけれど、先生に注意されちゃうよね」
「周りに良い影響があるとも思えません」
「もう一度言っておいた方が良いか……OK、それは私が言うけど、祐巳さん援護射撃お願いね」
「うん、いいよ」
まだ不安げな乃梨子は、俯いたままポツリポツリと話す。
「…私も…言ってみたんです……香水のこと…すごい目でにらまれて……。 その時は『気をつけるわ』って言っていたんですけれど、でも……あの…なんかドロッとした目で…まるで別人…いえ………死人…みたいな目で……やだっ…わた……し…なに‥言ってる……んだろ……」
目から涙がこぼれ落ちそうになるのを必死で堪えている乃梨子。 大好きな姉を『死人』などという言葉で表現した乃梨子になんと声をかけたものかと顔を見合わせる祐巳と由乃。
「……そういえば、今日は志摩子さんどうしたの?」
「どう…したんだろうね?」
「え? 祐巳さまと由乃さま何か聞いてらしたんじゃあないんですか?」
「……なにも、聞いて無いけれど…?」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
三人が薔薇の館で志摩子のことを話している頃。
第二の犠牲者が出ていた。
まだ暖かい血の滴る小腸を咬み切った志摩子は薄笑いを浮かべて、もう光を失った女生徒に見せ付けるように咀嚼する。 辺りには錆びた鉄のような匂いが濃密に振りまかれ、地面には赤黒い水溜りが広がっていた。
ふと、その動きが止まる。 志摩子の顔には先ほどの美しくも悪鬼のような笑みは無い。 肩が小刻みに震え焦点のあっていない目には涙が浮かんでいた。
「……ご‥めん…なさ……いぃ……ごめ‥‥ん……な…さ‥ぃぃ……」
涙は次から次へとあふれ出し、頬に付着していた血を洗い落とす。 しかし、それもすぐに口角が上がり舌なめずりをしてから、手に付いた血糊をなめとる美しい鬼女へと変わり、右手を大きく開かれた腹の中に入れ肝臓をなでる、裏側に手を差し入れ引っ張り出すと太い血管がつかの間の抵抗をしたが、やがて大量の血を吐き出しながらちぎれた。
「くっくっくっくっ、ふふふふふふっ」
取り出した肝臓に頬擦りしてからまるでパンでも口にするように噛付いていく。
翌日、志摩子はリリアン女学園から姿を消した。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
「カ〜〜〜ット! はい、よかったよ〜〜、ご苦労様〜」
「今回はちょっと長かったわね」
「だぁ〜〜〜! もう、志摩子さん! 肝臓持ったまま微笑みながら来ないで! 血まみれでマジ怖いから!」
「でもこれ、本物じゃあないのよ、ちょっとなめてみてチョコレートみたいだわこれ」
「え?! そうなの?」
「祐巳さん、興味示さない! ちょ、ちょっと〜〜やめときなさいよ」
「…あ、本当だチョコだねこれ」
「ね、おいしいでしょ?」
「うん、いいな〜志摩子さん、こんなおいしい物食べられて」
「祐巳さん! いい、ちょっとそこに座りなさい! あのね、この話はあくまでも主役は祐巳さんなのよ! ケテルにしては珍しく紅薔薇家主役の話なのよ! 敵役ともいえる志摩子さんと馴れ合ってどうすんのよ?!」
「え〜〜? だって、敵対関係になるのが発覚するのって、お母さんが山梨から帰ってきて、私の封印を解いてからでしょ? まだいいんじゃないかな〜?」
「うう〜〜、いや…まぁ、そうかもしれないけれど、ってまたストーリーばらしちゃうし……」
「ほらほら由乃さん。 お人形もう一体増えたから『パペットマペットのショートコント』」
「「いや〜〜〜〜〜〜〜!!」」
「そんなグロいパペットマペットはいや〜〜〜!」
「ところで瞳子、あんたなんでここにいるの? 出番無いんでしょ?」
「そ、それは〜……(ちらっ)……も、もちろん! 撮影現場の見学ですわ!」
「ほぉ〜〜〜……(ちらっ)……。 ま、そういう事にしておこうか」
「なっ?! ちょ、ちょっと待ってくださいませ! なんなんですの、そのニヤニヤした笑い方は!」
「さぁ〜〜〜て、なんのことでしょうねぇ〜〜〜」
「の、乃梨子さん! ちょっとお待ちくださいな!」
〜〜〜〜〜〜〜まだ、続く〜〜〜
※この記事は削除されました。
「みつけたでつ!!」
リリアン女学園大学部には不釣合いな、どっから見ても三歳児が、校舎内の廊下で、ある人物にビシッと指を突きつけた。
「な、何ですの!?」
混乱するその人物は、勝気な目付きに、縦ロールというレトロな髪型。
松平瞳子は、何がなんだかワケも分からないまま、子供の視線をかろうじて受け止めていた。
「瞳子、何してるの?」
声をかけたのは、瞳子の親友にして元同僚、二条乃梨子。
「ああ、乃梨子さん聞いてくださいまし!」
これ幸いと、乃梨子にすがる瞳子。
「どこの馬の骨とも知れないクソガ…お子様が、いきなり私を指差すんですのよ?」
「アンタ今クソガキって言いかけたでしょ」
「そんな下品なこと、私が言うわけないではありませんか。とにかくこの子供を…」
「そこのおかっぱ、じゃまするんじゃありませんでつ!」
瞳子以上に勝気な目付きで、乃梨子を睨む子供。
まるで、かつて“リリアンの黄色い悪魔”と呼ばれ恐れられた、ある人物を彷彿とさせる。
「まぁ確かにおかっぱと言えばおかっぱだけど、安心して。邪魔はしないわよ」
「じゃぁどくでつ」
「ハイ、退きまつ」
「乃梨子さん!」
「まぁまぁ、精神年齢が近い者同士、腹を割って話し合いなさいよ」
「私の精神年齢が三歳児並だとおっしゃるの!?」
「いやぁ、三歳児ってことはないなぁ。四歳児ってところか」
「キー!」
「そんなことより、ほら、彼か彼女か…リボン付けてるところを見ると彼女かな?困った顔してるわよ」
「…仕方がありませんわね。それで、お嬢さんは私に何か御用かしら?」
「ごようもなにも、あくはほろびなければならないのでつ」
「灰汁…?確かに、灰汁はこまめに取り除かないと…」
「違う違う。その子はアンタを悪人と思ってるの」
「ああそう…って、どうして私が悪人なのですか!?」
「どうして?」
乃梨子が代わりに子供に訊ねた。
「おねぇちゃまがいってまちた。めつきのわるいたてろーるはみんなあくにんだって」
「ふむ…」
子供と二人して、まじまじと瞳子を観察する乃梨子。
「いや悪人というより、ステロな悪女ってイメージ?外観だけに限って言えば。ほら、縦ロール女って言えば、高ビーで性格悪いって言うし」
「あくにんゆるすまじ。とくにまったいらとかいう、らせんかいてんすぱいらるどりるおんなはめっすべし!」
「なんですの!?ドリル女って!」
「また難しい言葉知ってるなぁ」
「おねぇちゃまがいってまちた。まったいらとーこ、めっすべし!」
「ははは、瞳子がまっ平らだって。ははははは」
「何が可笑しいのですか!?私だって、今では結構なものですわよ」
「冗談はおいといて、お嬢ちゃんは一人?」
あっさりスルーして、子供に問い掛ける。
「いえ、おねぇちゃまがいっしょでつ」
「おねぇちゃまのお名前は?」
「かなこっていいまつ」
「それで、お嬢ちゃんのお名前は?」
「ちかこでつ。ほそかわちかこ」
「なるほどねぇ」
「なんてことあの針金女!自分だけでは飽き足らず、妹まで使って私を苦しめようなんて!」
「そんなわけで、まったいらめっすべし!ほそかわきっく!」
瞳子にケリを入れるも、バランスを崩し、その場で尻餅をつく次子。
「よくもやったな!はんげきだ!」
「何もしてませんわよ?って痛たたたた」
駄々っ子パンチで、次子は瞳子をポカポカ殴る。
「乃梨子さん、楽しそうに見てないで、助けてくださいまし!」
「いや、実際に楽しいし。それに、下手な口出しは出来ないわ」
たとえ三歳児といえども力は結構あるし、しかも手加減を知らないから、受ける打撃はかなり強い。
「ちょっと、もういい加減になさい!」
隙を突いて、乃梨子の背中に隠れることに成功した瞳子。
かなり本気で困っているようだ。
「にげるなあくとう!へいわなせかいをおびやかすあくのてさきにせいぎのてっついだ!」
「全部漢字で書くのは難しいだろうなぁ」
「変なところで感心しないで下さいませ!とにかく…」
「次子?」
乃梨子と瞳子の後から、聞き慣れた声で、誰かが次子の名を呼んだ。
「おねぇちゃま!」
パッと顔を輝かせ、次子が駆け寄ったのは、二人が予想した通り、かつての同級生、細川可南子だった。
「こんなところに居たのね?探したわよ」
「おねぇちゃま、いまあくにんをたいじしているところでつ」
「まぁ、えらいわね。で、その悪人って?」
「あれでつ。あのまったいらなとーこでつ!」
「ちょっと可南子さん!あなたですのねこの子に変なことを吹き込んだのは!?」
「吹き込んだとは人聞きの悪い。確かに三年前は、この子の枕元で『松平瞳子滅すべし』と囁いていましたけど」
「ほら、悪いのはあなたじゃないですか」
「でも、その一年だけで、他は何もしてません」
「じゃぁ、何で今頃?」
肩眉を上げて、乃梨子が問う。
「近頃次子、戦隊モノだかヒーローモノだかにはまっちゃってまして。多分、持ち前の正義感と以前の刷り込みが、今になって具現化したみたいね」
「なるほど。ヒーロー気取りで、悪人っぽいまっ平らな瞳子を退治しようとしてるわけか」
「そうなりますね」
「私はまっ平らでもなければ悪人でもありません!」
「諦めなよ瞳子。子供の純真な心は騙せないよ?」
「どーしてそうなるのですかー!」
「まて!まったいらー!」
叫びながら走り去る瞳子を、拳を振り上げながら追いかける次子。
「…大きくなったね。将来が楽しみでしょ」
「ええ。彼女なら、私がなれなかった薔薇さまになれるかも知れません」
「リリアンに入れるつもり?」
「私はそう希望してますけど…」
「面白い山百合会になりそうだわ」
「そうですね」
クスクスと笑い合う乃梨子と可南子は、廊下を疾走する瞳子と次子を、角を曲がって見えなくなるまで見つめていた。
「……この家ね。」
私は水野蓉子。現在大学一年生だ。
私は今、とある家の前にいた。というのも、先日、久しぶりに聖に会ってこんなやりとりがあったからである。
「やっほー、蓉子。久しぶり〜」
「相変わらずなのね、貴方は。」
「蓉子も相変わらずね。うん、よかったよかった。」
「…何がよかったのよ」
今、私は聖の私室と化しつつある加東さんのお宅にお邪魔していた。
「こんにちは、水野蓉子さん。」
「こんにちは、加東さん。ごめんなさいね。聖が迷惑をかけて」
私が謝ると、加東さんは苦笑する。
「いいわよ。お互い様だし。」
「そうそう。遠慮なんていらないって。」
「「貴方は遠慮しなさい!」」
私と加東さんが同時に怒鳴ると、聖は肩をすくめて小声で「蓉子が二人いる……」とつぶやいている。
「それで、聖。話って何なの?」
いつまでも加東さんに迷惑をかけてはいけないので、さっさと本題に入る。
私に急かされた聖は、白バラコーヒーを一口飲んでから話始める。
「あのね、今、家庭教師探してるの。蓉子、家庭教師やってくんない?」
「は?」
いきなり結論から入られた。急かした仕返しか?
「なんで、私が家庭教師なのよ?しかも、誰を教えればいいの?まさか、貴方じゃないでしょうね?」
「もちろん、私じゃないよ。」
「じゃあ、誰よ?」
「私の知り合いに頼まれたんだけどね、断ったら、せめて家庭教師が出来る有能な人を紹介して欲しいって頼まれて。」
なるほど。聖は本来は人見知りの激しい一匹狼だから、断ってしまうのは分かる。だが……
「なんで私なのよ?」
そうなのだ。私以外にも江利子…は除外して(性格破綻者だから)、加東さんもいるはずだ。
「江利子はさぁ、あのデコだから除外。カトーさんには頼んだんだけど都合がつかないって断られた。」
「……だから私なのね?」
「そうそう♪だから、お願い、蓉子!」
聖が手を合わせ頭を下げる。そんな必死(そう)な様子から、結局聖には甘いのよね、と思いつつ
「いいわよ、聖。」
「えっ?ホント?ありがとう、蓉子!」
引き受けたのである。
「よし!」
私はいまいちど気合いを入れる。今日は初日なのだから、気を引きしめていかねば。
ピンポ〜ン
「は〜い」
中から声が聞こえる。
「家庭教師ですが。」「あ、はい。今開けますね。」
扉が開かれる。と同時に、扉を開いた人物―小林くん―は固まっていた。
乃梨子の綿密な人生設計によると、今頃乃梨子はごく普通の友人たちと、ごく普通に恋の話などに一喜一憂しつつ、ごく普通の男性と清い交際などを続け、ごく普通に悩んだり喜んだりしながら、青春を謳歌しているはずだったのだ。
「乃梨子さん乃梨子さん乃梨子さん乃梨子さん! 一大事ですわ、事件ですわ、事件は現場で起こっていますわー!」
なんか物凄い勢いで頭の両脇のドリルをぶるんぶるんと震わせながら、突進してくる友人が一人。
「かしらかしら」
「驚天動地かしら」
その背後で、ふわふわと漂っている友人が約二名。
ドリル少女とふわふわ天使's。なんかもう「普通」なんて単語とは180度かけ離れた存在である友人たちに、乃梨子はちょっと溜息なんぞを吐いてみた。
どこで私、道を踏み外しちゃったんだろうな――なんて、密かに涙しながらも、ドリルの突進をドスンと受け止めてあげた。小柄な瞳子の突進は大したことない衝撃だったけど、ドリルの切っ先がちょっぴり頬に痛かった。
「――で、どうしたの? 頼むから分かりやすく簡潔に、脚色せずに手際よく教えてくれるかな?」
自由に喋らせると三日三晩喋りつくした挙句に、結局要点を伝えずに「疲れたのでまた明日お話しますわ、ごきげんよう」とか言い出しかねない瞳子に、ごくまっとうなリクエストをしてみた。誰かコイツに「普通」とか「常識」の単語を教えてあげてください。
「それが……志摩子さまが、浮気なのですわ!」
「な、なんですって――!?」
珍しく簡潔に事態の説明をしてくれた瞳子に、乃梨子は思わず色めき立つ。
「かしらかしら」
「修羅場かしら」
視線を向けた美幸さんと敦子さんが、瞳子の報告を肯定した。凄く分かり難い肯定方法だけど、慣れればこの二人の言いたいことも、なんとかまぁ、分かるような分からないような、微妙なところまでレベルアップ出来るのだ。いや、レベルダウンかもしれんけど。
「私、見てしまったのですわ! 志摩子さまが乃梨子さん以外の一年生と仲睦まじくお喋りしているところを!」
「かしらかしら」
「秘密の逢瀬かしら」
瞳子のみならず美幸さんと敦子さんも目撃者ということで、乃梨子はちょっと血の気が引くのを感じていた。
「うそっ! 志摩子さんが、浮気だなんて……!」
信じたくない、けれど3人の様子に、乃梨子は少し不安になる。
「相手の子はどなたか分かりませんでしたわ。あまり見覚えのない方でしたわ」
「どこ!? どこで見たの!?」
「かしらかしら」
「家庭科実習室の前かしら」
「ありがとう、美幸さん!」
美幸さんの答えを聞いて、乃梨子は瞳子を適当にその場に放り投げて(瞳子は文句を言ってたがもちろん無視だ)駆け出していた。
志摩子さんが浮気――だなんて!
そんなの、信じられない!
ちゃんとこの目で確かめてやるんだから――!
そんな思いで廊下を駆け抜けた乃梨子の視界に、家庭科実習室の前で一年生と仲良くお喋りをしている志摩子さんの姿が飛び込んできた。
「し、志摩子さん――!?」
廊下を駆けながら、思わず呼びかけた乃梨子の耳に。
志摩子さんのセリフが飛び込んできた。
「――まぁ。銀杏にはそんな料理方法もあるのね!」
銀 杏 談 義 で す か ーーーーーー!!
にこやかに一年生と話を続ける志摩子さんの背後を、乃梨子は「あっはははー!」なんて笑いながら、爽やかに駆け抜けて行った。
乃梨子の綿密な人生設計によると、今頃乃梨子はごく普通の友人たちと、ごく普通に恋の話などに一喜一憂しつつ、ごく普通の男性との清い交際などを続け、ごく普通に悩んだり喜んだりしながら、青春を謳歌しているはずだったのだ。
だが現実では、乃梨子はごく奇特な友人たちと、リリアン特有の姉妹の浮気話などに一喜一憂しつつ、ごくあっさりと志摩子さんとの姉妹関係を受け入れ、こんな些細なことに狼狽したり空回りしたりしながら、青春を謳歌しているわけで。
ホント、どこで道を踏み外したかな私――なんて思いつつも。
これはこれで、乃梨子は今、とても幸せな毎日を過ごしているのだった。
No.767 → No.785 これです。
「さあ、このアホ話も3話目ですわ」
「自覚あったのね……ちょっと安心したよ」
「票数が少なかろうがコメントがいつも同じ人達だろうが勢いだけで行かせていただきますわ!」
「その勢いを、滞っている自分のHPの更新に向ければいいのに……」
「…………それはスルーの方向で……。 さあ、ここは文化部の部室が集まっている部室長屋です」
「呼び名を忘れたとはっきり言えばいいのに…」
「こ、こ、ここでは、夜な夜な呟く様な声が聞こえるのだそうですわ」
「………ここは、そんな感じはしないけど……だいたいこんな夜中にそんな声誰が聞いて噂話にしたのよ」
「し〜〜〜〜〜っ! 静かにしてくださいませ。 では、奥へ突入してみましょう」
「たいしたこと無いと思うけどな〜……」
「乃梨子さん、そんなたらたら歩かないでくださいませ……あっ…」
「ん? どうしたのよ?」
『……、………………。…………』
「な、なにか……聞こえませんでしたか?」
「んんっ? なんにも……」
『……ま、そ……めて……ああっ……』
「…………聞こえるわ……」
「お、奥へ行って……行きま…行ってくださいませ…」
「日本語変だし……もう、ほら袖引っ張らないで」
『ふふふ………ここ………わよ』
『あ…っ……ずか…い……』
「………なんか…ニュアンスが違うような気がするんだけど…」
「あっ、乃梨子さんもそう思われますか? え〜と、お姉さまと…妹で……その〜〜な、な、な、仲良く…」
「そんな感じだね……ホントに、リリアンって同性愛者養成校?」
「いえ、そんなことは……無いかと…思い……たいですわね…」
『かわ…い…よ、祐巳。 ……』
『お、お……さ…〜』
「祐巳…? 祐巳さま?!」
「あっ、ちょっと瞳子待ちなよ! なんか変だよ。 思い出してみてよ、祐巳さまと祥子さまとは一緒に帰ったでしょ? 私達は一旦家に帰ってから戻ってきたけれど…」
「た、確かにそうですわ私達みたいな暇人くらいですわね、こんな夜中に学校へ来るのは…」
「自分で言うなよ情け無い……。 あそこの部室みたいだよ」
『あ…っ、お姉…ま。 …たし、わ…し。 そ、そこっ』
『ここ…いいの? こ…なのね? いっ…いしてあ…るわ』
「……新聞部? あ、瞳子」
「『いいです! ああ、お姉さま!』 いや〜〜、やっぱ祥子さんと祐巳さんの絡みを書くと萌えるわ〜〜」
「天誅ですわ! 三奈子さま!!」
「えっ? あ〜? と、瞳子ちゃん?! そ、そんな、いきなり電源…コンセント切って……。 あ〜〜〜〜!! 私の傑作が〜〜〜」
「どこが傑作ですの?! 根も葉もない妄想小説ではありませんか!? ひょっとしてこのディスク類は全部…」
「ぎくっ」
「没収させていただきますわ!」
「そんな〜〜、受験の息抜きに書いた傑作郡が〜〜」
「息抜きのほうが多いのではありませんか? こういう事はお家でやってくださいませ。 さもないと真美さまにばらしますわよ?」
「ふぇ〜〜ん……一年生にいじめられる〜〜〜」
「アホですかあなたは……しょうもない終わり方するけど、いいの? これで?」
〜〜〜〜〜〜 続く? たぶん…… 〜〜
最近、志摩子さんの元気がない。
「志摩子さん、何か悩み事とか、ない?」
「どうしたの、急に? 別に何もないわよ?」
乃梨子がストレートに尋ねてみても、もちろん返って来るのはそんな回答。首を振って笑いながら、その場はしゃんと立ち直るのだけど、すぐにまた、どことなく寂しそうな目になってしまう。
そんな志摩子さんを見ていると、乃梨子の心は苦しくなる。志摩子さんを苦しめている原因に比べて、乃梨子の存在なんてちっぽけで、何の助けにもならないのかも知れないけれど。それでも、何かをしてあげたいって、乃梨子は思うのだ。
「……ねぇ、瞳子。瞳子には何か心当たりはない?」
こんな時に、この手の話題を相談できる親友は、瞳子くらいしかいない。なんとも心許ない相談相手だが、基本的に他の生徒たちから一歩引いた位置にいる乃梨子には、瞳子くらいしか『親友』と呼べる相手がいないのだ。もちろん、友達はたくさんいるけれど、お姉さまのことを相談する相手となると、ちょっと仲が良い相手くらいでは躊躇ってしまう。
「そうですわね。私も白薔薇さまの様子がどこかおかしい、とは思っておりましたけど」
瞳子が一つ頷いて、乃梨子が気付いた志摩子さんの変調に同意する。
「私の見立てですと、どうも三年生になられて以来、物思いに耽ることが多くなったようですわ」
「やっぱり……。私もその頃から変だな、って思い始めたんだよね」
「最上級生となり、そろそろ卒業後の進路など決断する時期ですから、そのことにお悩みかもしれませんわ。実際、瞳子のお姉さまは随分とお悩みの様子です」
「うーん……でも、祐巳さまや由乃さまと違って、志摩子さんは将来シスターになりたいんでしょう? だったら、このままリリアン一本なんじゃないかな?」
「それもそうですわね」
乃梨子の指摘に瞳子が首を捻る。
「志摩子さまは、なんとおっしゃってました?」
「何も。大丈夫だって笑ってたけど……」
「そこで乃梨子さんは引き下がってしまったわけですわね? ダメですわ、乃梨子さん。志摩子さまは我慢することが習慣になってしまっている方です。そこは押しの一手で攻めなければ」
「う……でも、なんか悪いし」
「何を言うのですか。良いですか、乃梨子さん。姉妹の間に遠慮は無用ですわ。少々言い辛いことに突っ込まれたからといって、それで怒るようなお姉さまなら、いっそのこと捨ててしまえば良いのですわ!」
「か、過激なこと言うわねぇ」
「瞳子はその点、お姉さまのことを信じておりますので」
涼しい顔で言い切る瞳子に「ぅわノロケだよ」とげんなりしながら、それでも乃梨子は瞳子の言葉にかなり勇気付けられた。
「でも、そうだよね。何かしてあげるには、まずは志摩子さんの気持ちを聞かなくちゃ。こういう時に一緒に悩めるのが、姉妹ってもんだもんね」
「ついに乃梨子さんも分かって参りましたわね」
うんうん、と嬉しそうに頷く瞳子に、乃梨子はちょっと苦笑する。
一応、乃梨子の方が瞳子よりも遥かに姉妹歴は長いはずなのだ。でもまぁ、姉妹のあるべき姿を語らせたら、多分乃梨子よりも瞳子の方がよっぽど雄弁だろう。
「よし――じゃあ、一つ気合い入れて聞いてみるか!」
「その意気ですわ、乃梨子さん!」
瞳子に見送られながら、乃梨子は志摩子さんの気持ちを聞くべく、気合いいっぱい出発したのだった。
聞いてみれば、それはなんとも可愛らしい悩みだった。
「――なんだか少し、祐巳さんと由乃さんを見ていたら、羨ましくなっちゃったの」
乃梨子の説得でようやく口を割った志摩子さんは、そう言うと恥ずかしそうに俯いた。
「一応、私も白薔薇さまなんだけど、祐巳さんは私よりも由乃さんを頼ることが多いでしょう? 祐巳さんから見ると、やっぱり私は頼りなく見えるのかなって」
「そんなはずないって!」
志摩子さんの悩みを聞いて、乃梨子はむしろ安堵した。確かに祐巳さまは志摩子さんよりも由乃さまと一緒にいることが多いけど、それは二人が同じクラスだったり、キャラクターが重なる点が多いからであって、祐巳さまが志摩子さんよりも由乃さまの方が好きで、頼りにしているなんてことはないと思う。
「分かった。じゃあ、私が確かめてきてあげる」
「そんな……。ダメよ、乃梨子。こういうことで乃梨子を頼るなんて間違ってるわ」
「でも、志摩子さんは祐巳さまの気持ちを確かめたいんでしょう?」
「それは……。ううん、やっぱりダメよ、乃梨子」
「志摩子さん、逃げちゃダメだよ!」
「乃梨子……分かってる。分かってるわ。そうじゃないの。私がダメって言ったのは、ここで乃梨子に頼ってしまうこと。今はきっと――私が、自分で祐巳さんにぶつかって行かなくちゃいけないところなのよ」
「志摩子さん……!」
きゅっと口を結んで決意のこもった目を見せる志摩子さんに、乃梨子はちょっと感動して目頭が熱くなった。
大丈夫だよ、志摩子さん! だって志摩子さんはこんなにカッコイイんだから! 仮に祐巳さまが由乃さまを取っても、私は志摩子さんの味方だからね!
心の中でそうエールを送って、乃梨子は力強く歩き始めた志摩子さんを見送った。
頑張れ、志摩子さん! 負けるな、志摩子さん!
私が付いていてあげるから……!
声援を送り続ける乃梨子は、この時は最後まで気付かなかった。
志摩子さんが由乃さまには一切触れず、ひたすら祐巳さまのことばかりを気に掛けていたことに――
志摩子さんは復活した。それはもう、劇的かつ華々しく、復活の狼煙を天高く上げていた。
「――んもう、志摩子さんてば可愛いんだから」
「祐巳さん……」
「私が志摩子さんのこと嫌いなはずないでしょう? だってほら……私、こんなにドキドキしてるよ」
「祐巳さん……」
「ねぇ、志摩子さんもドキドキしてる……?」
「ええ、してるわ」
「ね。触っても良い……?」
「ええ。祐巳さんになら……」
「うん……!」
憂鬱な表情なんてどこへやら、緩みまくった表情で、祐巳さまとなにやら互いの動悸を確かめ合っている姿は、徹頭徹尾幸せそうで。
乃梨子はそんな志摩子さんを見て、頑張って悩みを聞いて、応援してあげた甲斐があったなぁ……なんて。
これっぽっちも思えるわけがなかった。
江利子様の様子がおかしい、そう感じるようになったのは3日ぐらい前からだった。
なにか悩んでいらっしゃるのか、はたまたとんでもないことを考えているのか。
だけど、この事に首を突っ込んでんはいけないと皆が分かっている。一言でも話し掛けたら、江利子様のペースに流される。
そう、それは最初からわかっていた事だった。そしてそれは山百合全員に広がって止まらなくなる。
===放課後薔薇館にて===
私はいつもどうり薔薇間に一番にやってきた……つもりだったがビスケット扉の前に立つと中から
「はあ」
ドア越しでも十分聞き取れるほどの大きなため息。
ガチャ……ドアを開けるとそこには……………
「ごきげんよう、江利子様」
「……ごきげんよう祐巳ちゃん」
そう言って江利子様はまた窓のほうを見て「はあ」とため息をついた。
今江利子様は窓の外を眺めている、あそこからどこか見えるのかぁ?とりあえず、椅子に座って皆を待とう。椅子に座ってしばらくすると、階段がきしむ音がした。
ガチャ
「ごきげんよう、祐巳ちゃん、お姉さま」
「ごきげんよう、令」
「ごきげんよう、令様」
そういって令様は椅子に座った。江利子様がなんでおかしいのか令様に聞いてみようかな。そう思って私は令様の隣の椅子に移動した。
「どうしたの祐巳ちゃん?」
「あの最近江利子様の様子変じゃないですか?」
令様は少し驚いた顔をしている、単刀直入すぎたかな?
「…それは私にも分からないんだけど……」
「だけど?」
「どうも最近遠くを見ているような………」
遠くってなんか嫌な言い方だなぁ。
「そうですか。ありがとうございました」
「こちらこそお姉さまが迷惑をかけちゃって」
そうって自分の席に戻るとまた階段のきしむ音がした。今度はたくさん来たみたいだ。
ガチャ
「ごきげんよう」
そう言って私と江利子様と令様以外の山百合会メンバーが来た。
志摩子さんが皆の分のお茶を入れに行って、皆が書類整理をし始めた、いつに無く静かだ。皆で江利子様を避けてるみたい。そうだ他の人にも聞いてみようかな。江利子様は一人で窓辺でたそがれていた。
私は右隣にいるお姉さまに尋ねることにした。
「お姉さま」
江利子様に聞こえないように私は小声で話す事にした
「なに?今は集中しなさい。私に愛の告白するのは後で良いでしょう?」
「え?あ、はい。…じゃなくて!江利子様最近変じゃないですか?」
「告白じゃなかったの。残念だわ」
「お姉さま!」
「分かってるわよ。江利子様の変貌についてでしょ?」
変貌ってそこまで変わっては無いような気がしますお姉さま。
「はい。まあそんな所です」
「そう言えば前なんか屋上からグランドを見て私ももうすぐ…とかなんとか言っていたわよ」
なんかまた意味深な言葉を…
「あ…ありがとうございました」
「祐巳、あの人に近づいて今まであなたは良いことがあったのかしら?」
「い……いえ」
「だったら、放って置くのが一番よ」
そう言われてもまだ気になる。
「ちょっと、祐巳さん。少し静かにして欲しいんだけど」
そうだ。私にはまだ親友の由乃さんがいたじゃないか!
「由乃さん」
「なに?愛の告白なら後にして頂戴」
「あ、それもそうだね。じゃあ後に…ってそうじゃなくて!」
「じゃあなによ」
なんで逆ギレされてるんだろう。
「最近の江利子様ってなんか変だよね」
「そう、静かになって言いと私は思うよ」
ああ、そうだった、由乃さんと江利子様は天敵だったんだ、けどいくら嫌いだからってこれは無いと思う。
「由乃さん!そんな酷いこと言っちゃダメだよ!」
「祐巳さん」
その声は1オクターブ低く世間で言うドスのきいた声だった。
「ひゃい」
「江利子様に近づいて祐巳さんは今まで良いことがあった?」
「い…いいえ」
「なら放っておくのが一番よ」
ああ、どうして私の両隣はこんなドライな人なんだろう。頭に手をあてて悩んでいると
「祐巳さん、どうぞ」
と、紅茶を運んできてくれた天使が…じゃなくて志摩子さんが微笑みながら私に紅茶を運んで来てくれた。そうだ!私にはもう一人友達がいるじゃないか!
「志摩子さん!」
そういって私は志摩子さんの手を握った。
「どうかしたの?愛の告白なら二人だけの時にしましょう」
「そうだよね。そのほうがロマンがあるもんね!ってちがーーーう!」
なに?なんなの?最近リリアンで流行ってるギャグなの?
「違うの?」
「違います!最近の江利子様様子変だよね。なにがあったか知ってる?」
「ああ、江利子様ね。確か前廊下を歩きながら、するなら痛くないほうがいいわね楽なのはないかしら。とか言ってたわ」
「…それホント?」
「ホントよ。マリア様に誓うわ」
「江利子様になにがあったか聞いたほうがいいよね」
「祐巳さん」
ビクッ!ああ、何だかデジャブ。体が条件反射を起こしてる。志摩子さんの顔は相変わらず天使の様な笑顔で私に微笑みかけて来てくれている。が、顔は笑っていても声が笑っていないってヤツだった。
「江利子様に近づいて祐巳さんは今まで良いことがあったの?」
「…いえありませんでした」
「つまりはそういうことよ」
ああ、もう!こうなったら江利子様の親友である蓉子様に!
「蓉子様……」
「どうしたの?祐巳ちゃん。人生に疲れたような顔して」
「そんな事どうでもいいんです!」
「まさか私への愛の告白なの?」
今日1日でかなりのカロリーを消費した気がする。
「いえ……違います」
「あらそう、残念ね」
「それより…最近江利子様の様子がおかしくありませんか?」
「確かにそうね。……祐巳ちゃんは優しいわね」
そう言って蓉子様は私の頭をなでてくれた。うう、涙が出そうだよ。
「けどね祐巳ちゃん」
たしか、「けど」って意味逆接だったよね。
「江利子に近づいて祐巳ちゃん今まで良い事あったかしら?」
「……無かったです」
「じゃあ、あまり関わらずに放っておくのが一番よ」
そう言って蓉子様はまた書類と向き合った。
なんだか、今の心境を言うと絶海の孤島に遭難して先住民と会話をしている気分。
「どうしたの祐巳ちゃん?」
振り向くと書類整理がよほど暇なのかはたまた私が蓉子様と話しているのが気になったのか、聖様がいつの間にか立っていた。まだ、そうまだいたんだ!江利子様の友達が!
「聖様!」
「な…なに?祐巳ちゃん。そうか!私に愛の告白を「しません!」」
「そんな邪険にしなくても…じゃあ何なの?」
「最近の江利子様についてです!」
「…いつに無く元気だね」
「早く言ってください」
「江利子ねえ、ごめん分からないや」
「そうですかありがとうございました」
「祐巳ちゃん」
ああ、デジャブっていうかもうパターン化されてるよ。これは
「江利子に近づいて祐巳ちゃんが今までいいことが「ありません!」」
「祐巳ちゃんなんか冷たいよ」
あぁ〜〜もう。なんで令様以外は江利子様に冷たいの?これじゃあ江利子様があんまりだ確かに江利子様は度が過ぎる事が時々あるけど、捨て身覚悟で江利子様に聞いてみよう。
私は窓辺に座っている江利子様に話し掛ける事にした。
「江利子様」
私がそういった瞬間に皆の視線が私に向いた。
(祐巳ちゃん。迷惑かけてごめんね)
(祐巳!死ぬ気なの?)
(祐巳さんそんな人のことは放っておきなさいよ!静かなんだし)
(あらあら、人がいいのね祐巳さんは)
(今の江利子は危ないのよ。祐巳ちゃん!)
(飛んで火にいる夏の小狸……だっけ?)
「どうしたの?祐巳ちゃん」
「どうしたの?じゃないですよ。最近元気が無いですよ。相談でもなんでも乗りますから言ってください」
好きな人が苦しんでいるのはあまり見たくないんです。と続けるのはさすがに恥ずかしかったからやめた。
「ありがと、祐巳ちゃん。じゃあ、身内話だけどきいてもらえるかな?」
家で何かあったのかな?
「ええ、聞きます」
「実を言うと、ウチの兄貴達とお父さんが………」
「お兄様とお父様が?」
「部活に入れって言うのよ」
「はあ?」
「江利子ちゃんがテニスをする姿が見たい!いややっぱり弓道部だろ!とか何とか言って」
証言1遠くを見ている窓からはグラウンドが見えるし。証言2屋上からグラウンドを見ていつか私も……つまり、部活をしてる人を見てた。証言3するなら痛いのはいやで楽なのがいい、つまり部活を選んでた、か。
「けど、誰に相談するか悩んでたのよね。ありがと、祐巳ちゃん」
頭をなでられた蓉子様の時とは違って何だかくすぐったかったけど、それはそれで幸せだった。
「ところで、さっき相談でも何でも乗るって言ってくれたわよね」
「え?はい。いいましたけど」
江利子様の顔が満面の笑みになった。江利子様が笑うのは面白い事を思いついたときだけ………嫌な予感がする。
「じゃあ、行こっか」
「ど……どこにですか?」
「もちろん仮入部をしに」
まずい。流される。
「私は山百合会だけで精一杯ですから!」
「私が手伝ってあげるわ」
「わ……私運動オンチだし」
「大丈夫私が手取り足取り教えてあげるわ」
江利子様と部活が出来るのはとてもうれしいのだけれど…
ビリビリッハンカチが破れる音と不気味な笑い声(複数)になにをされるのか分からない。
「という訳で、最初はまずテニス部から回ろうかしら」
「あ…あの江利子様……私の家ではテニス部に入ると不幸になると言う言われがあるんです」
「けど、やっぱり美術部でいいかしら」
「だから私は…って聞いてますか?江利子様!?」
「こら!でこちん!祐巳ちゃんが嫌がってるだろう!」
ああ、聖様信じていました!いつかあなたはやる人だと。
「でこちんと嫌っていう意味だから私と部活に入りたいって言う事でしょ!」
いや、それ違うでしょ!
「祐巳ちゃんは私と一緒に裁縫部に入りたいんだよね」
令様どこから出てきたんですか。
「そうだよね祐巳ちゃん!」
聖様肩をつかまないで下さい。痛いですから。
「祐巳さん」
そう言って私を二人の間から由乃さんが助けてくれた。
「ありがとう」
「いいのよ。それよりどう?私と一緒に仮入部しない?……」
あなたもですか!
「由乃ちゃん、祐巳ちゃんが嫌がってるじゃない。離してあげなさい。祐巳ちゃんは私と一緒に部活をしたかったのよ」
「あら、紅薔薇様はもう3年生だから無理して部活をする必要なんか無いんじゃないですか?」
何故かまたはさまれた形になってしまった。
「祐巳小笠原の力を使えば二人だけ部活を作るのは造作もない事だから安心しなさい」
「その必要はありません、祥子様私と祐巳さんは一緒にシスター部に入るんですよ」
そんな部活無いですよ、志摩子さん。
「ありもし無い部活言わないで!」
「今作りました」
それは思いついたって言うんだと思うよ。
うわ、皆が言い争ってる。
「祐巳ちゃん、祐巳ちゃん」
小さな声で誰かが呼んでる誰だろう。声のするほうを向くと、江利子様がいつの間にかビスケット扉から顔を出している。
「一旦外に逃げたほうがいいよ」
そう言って江利子様は手でこっちへ来いと招いている、逃げよう。
私は外にでた。
「江利子様の所為で大変だったんですよ!」
どうやら他の皆は言い争いで私が出たことに気付いてないみたいだ。
「ごめんなさい、祐巳ちゃんと一緒に部活がしたかったの」
「えっ?」
「だから、祐巳ちゃんと一緒に部活がしたかったのよ」
今私の顔はトマトにも負けないくらい赤いだろう。
「私とじゃ嫌だったかしら」
そういって意地悪そうに微笑みながら聞いてくる。全くこの人は
「知りません」
「あ、ちょっと置いていかないでよ」
そういって、江利子様がついてくる。
「それでどこに行くんですか?」
私は江利子様から顔をそむけて言った。だって今の私の顔は真っ赤だから。
「そうね。なるべく部員が少ないほうがいいわ。二人だけで部活でも作ってみる?」
「え…江利子様がしたいならしてもいいですよ」
「ふふっ、ホントは祐巳ちゃんと二人ならどこでもいいんだけどね」
「変なこと言わないで下さい」
「変じゃないわよ。私祐巳ちゃんの事好きだし」
「もう!ホントに知りません!」
明日からちょっと大変だろうけど、二人なら大丈夫だと思う。だって
「山百合会の仕事が追いつかなかったら手伝ってくださいね」
「ええ、手伝うわ」
「じゃあ、運動が苦手でもちゃんと教えて下さいね」
「そりゃ、手取り足取り」
その意地悪な笑顔が今はとても愛しい。どんなことがあっても大丈夫。
なんて言ったって支えてくれる人が出来たと思うから
==了==
「ああ、祐巳…」
「由乃ぅ…」
「………」
二年生が修学旅行のため、生徒数が1/3減っているだけだと言うのに、妙に寂寥感漂うリリアン女学園高等部。
薔薇の館には、三年生の紅薔薇さまこと小笠原祥子と黄薔薇さまこと支倉令、一年生の白薔薇のつぼみこと二条乃梨子の三人しか居なかった。
まだ一日目だというのに、祥子と令は、まるでこの世の終わりとばかりに嘆いている。
それを、ひたすら無言かつ冷ややかな目で見る乃梨子。
寂しい気持ちは分からないでもないが、いくらなんでもコイツらは度を越している。
力づくで黙らせようかと思うものの、後が面倒なので、思い切った手段には出られないのだった。
「ああ、祐巳…」
「由乃ぅ…」
「………」
このままでは、乃梨子の苛立ちは募るばかり。
なんとかして、この二人を静かにさせる手はないものか…。
「紅薔薇さま?」
「ああ、祐巳…」
聞いちゃいねぇ。
「黄薔薇さま?」
「由乃ぅ…」
まるで話にならない。
仕方がない、とっておきを出すか。
腹を決めた乃梨子は、とうとう行動に出た。
「『お姉さま』」
「は!祐巳?どこなの?」
慌てて立ち上がり、辺りをキョロキョロ見渡す祥子。
「『令ちゃん』」
「え?由乃?どこ、どこにいるの?」
ガバチョと身を起こすと、テーブルの下を覗き込む令。
「『お姉さま、ここです』『令ちゃん、ここだってば』」
『祐由巳乃!』
二人同時に目をやった先には、一人佇む乃梨子。
「『お姉さま、しっかりなさって下さい』『令ちゃん、しっかりしてよ』」
乃梨子は、祐巳・由乃とよく似た声で、二人を励ました(フリをした)。
「ひょっとして、さっきのは乃梨子ちゃんが?」
「『ハイ、お姉さま』」
「じゃぁ、由乃の声も?」
「『その通りよ令ちゃん』」
『へー凄いわねぇ』
乃梨子が持つ七つの得意技の一つ、声真似に、感心することしきり。
あまり知られたくなかったのだが、緊急事態?だから仕方がない。
予想通り、二人とも妹の居ない悲しみを忘れている模様。
「それにしても、良く似てるわね。もう一度呼んでくれないかしら?」
「『お姉さま』」
「ああん、祐巳ー♪」
紅薔薇さまらしからぬ緩んだ表情で、いきなり乃梨子のタイを直す祥子。
さて困ったぞ、実は地雷を踏んだんじゃないか?
「乃梨子ちゃん、私も由乃の声で呼んでちょうだい」
「『令ちゃん』」
「あうん、由乃ぅ♪」
身体をクネクネくねらせながら、乃梨子に抱きつこうとする令。
サッと身をかわせば、恨みがましい目で令に睨まれる。
「乃梨子ちゃん、もう一度お願いできるかしら」
「いえ、私が先ね乃梨子ちゃん」
「私が先なのよ。ヘタレはそこでヘタレてなさい」
「私のほうが先なの。祥子は信楽焼きでも撫でてなさい」
「何よ!」
「何さ!」
一転、掴み合いのケンカを始めた薔薇さま二人。
地雷を踏むどころか、広範囲破壊兵器のボタンを押してしまったようだ。
(ああマリア様ホトケ様、この変な二人をどうにかしてください。なんでしたら、天に召していただいても構いません。と言うより、早く帰ってきて志摩子さん祐巳さま由乃さまー!)
心の中で、思いっきり叫んだ乃梨子だった。
「はっ!」
(乃梨子!?)
機内にて、毛布を被っていた志摩子は、弾かれるように身を起こした。
「志摩子さん、どうしたの?」
「…いえ、何でもないわ。誰かに呼ばれたような気がしただけ」
訊ねてきた隣のクラスメイトに、誤魔化す志摩子。
(まぁでも、乃梨子なら大丈夫ね…)
窓の外を流れる雲を見ながら、言い聞かせるように心で呟く志摩子だった。
※この記事は削除されました。
*No.797の続き・・・かもしれません。
佐藤聖さまの結婚式から一月後、私福沢祐巳はまた結婚式にお呼れしていた。
ステンドグラスの窓も綺麗な教会で、隣には少し顔色の悪い聖さまと栞さまが座っている。
江利子さまは子供の世話があると言われ、令さまは剣道の試合が抜けられないと欠席だ。
いや、志摩子さん、乃梨子ちゃん、由乃さん、瞳子、蓉子さまやお姉さままでもが欠席している。
と、厳かな賛美歌が流れ、扉が開き新婦が入場して来た。
凛々しいタキシード姿の新郎が待つ祭壇へと、純白のウェディングドレスを纏った新婦が介添え人に手を引かれバージンロードを歩いてくる。
それを見ている後ろの席の当代の山百合会の薔薇さまたちが涙を流してる。がたがたと肩を震わせて。
新婦の顔を見たらしい保科先生の肩を鹿取先生が抱いてあげている。
神父様の宣誓と新郎新婦の誓いの言葉、指輪の交換が終わり契りのキスが終わると、最前列の数名が担架で運び出されて行った。
そう、これは感動的な結婚式・・・のはずだ。
そして喜びに満面の笑みを浮かべた新婦が新郎に付き添われて私達へと振り向いた。
あ、聖さまと栞さまが祈りを捧げるように椅子の陰に隠れた。
後ろの当代の薔薇さまの誰かが、うーんと一声あげると気絶したようだ。
ドレスはすごく美しいんです。美しいのですが・・・。
長年の夢が実って、隣の新郎春日せい子さまも嬉しそうなのはよろしいのですが・・・。
やっぱり、肩を出し、胸元まで露出した純白のウェディングドレスは無理があったのではないでしょうか?
満面の笑みで皺くちゃなシスター上村佐織さま・・・・・・。
No.778 → No.753 → No.825 の続きです。
「う、うそ……そんな、し、志摩子さんが……死んでいるって……うそでしょ? お母さん」
「…………」
祐巳の問いかけに、母、美紀はだまって首を横に振った。
両親が山梨から帰ってきて家事から解放される。 祐麒に食事のことで文句を言われることも無くなるとホッと胸を撫で下ろしていた祐巳は。 突然に、祖母が上京してきた時に良く使う1階の和室に来るように言われた。
めったに入らないその部屋で、細長い古びた木の箱を前に母から聞いたのは、志摩子は少なくとも半年前にすでに死んでいると言うこと。 いまの志摩子を動かしているのは魍魎の類であると言うこと。 そして、今リリアンで起きている猟奇殺人事件は志摩子が犯人であると言うことを告げられた。
「”死人憑き”と言ってね、実は誰もがその種を持っているの。 大抵の場合その種が孵る前に人間の方が死んでしまって死体は焼かれてしまうのだけれど。 極まれに、生きているうちにその種が孵ってしまう人がいるの。 でも、死人憑きの種が孵るということは、原因はともかくその人は寿命が来たと言うことなの。 でも、そのことに気が付かない。 やがて、体は腐り始める、意識は混濁してきて凶暴になっていくの」
淡々と話す母の言葉を、俯いたまま聴いている祐巳。 親友が死んでいる、それも半年も前に。 でも、その半年間、確かに志摩子と会って話をしたり、一緒に山百合会でがんばってきた思い出がある。 記憶がある。
「体の腐りを止める方法があるの……」
「じゃあ、志摩子さんを元に戻せるの?」
「元に戻すことは出来ないわ、自然の摂理に反することだから。 一時的に体の腐りを止める方法よ、……若い女の生き胆を食べるの…」
「!?」
「そうすれば一時的にだけれど腐るのを止められる。 でも、それもどんどん周期が短くなっていく…」
「そ、そんな……」
「祐巳…」
姿勢を正したまま語りかける美紀を、すがるように見つめる祐巳。 決定的な言葉は聴きたくなかった、しかし、美紀は娘を包み込むような優しい声で語りかける。
「これ以上、志摩子ちゃんに罪を負わせる気なの?」
「私には…私には出来ないよ! そんな方法なんて知らないよ!!」
「いいえ、祐巳。 あなたは知っているのよ、祈部の流れを汲むあなたは」
「えっ?」
「曾お婆さまに封印されているのよ、これからの時代に必要ないかもしれないって。 私よりも強いって言われたわよ」
「わかんない! わかんないよ、そんな事言われたって!!」
「また、犠牲者が出るわ」
「!? そん…な……」
「あなたと、もう一人の協力者がいれば、防げるかもしれないのよ」
逃げ出したい衝動にかられるが、その場から立ち上がることが出来ない。
出るかもしれない犠牲者、新たな罪を負う志摩子、知っていてそれを止めなかった自分。
「……封印を…解けば……志摩子さんを……次の被害者も……救うことが出来るの?」
「救える可能性はあがるわよ」
一時の間をおくように沈黙が部屋の中を支配する。
やがて顔を上げた祐巳の瞳に、ある決意を読み取った美紀は、古びた木の箱を開くと、中から全長30cm刃渡り20cm程の細身の銅矛のような剣を取り出す。 もう一本、形は同じでもこちらは全長で90cmの大剣。 どちらも赤金色に輝く見たことも無い金属で出来ている。
「こっちの小さい方を祐巳が使うの。 もう一本の長い方は協力者に使ってもらって、人選は任せるわ。 命を託すかもしれないから慎重に選ぶのよ。 じゃあ、封印を解くわ……」
美紀は小さい方の剣を手にするとその切っ先を祐巳の額に当てる。
『カタカムナ ヒヒキ マノスヘシ
アシアトウアン ウツシマツル
カタカムナ ウタヒ』
剣の切っ先と、祐巳の額の辺りが共鳴を起こしたように光を放つ。 それも一瞬だけだった赤金色の光が収まった時、祐巳の中に封印されていた物が渦を巻くように流れ込んできた。
* * * * * * * * * * * * * * * *
「はい、カット〜。 お疲れ様でした〜〜」
「ふふふ、孤立無援になってしまったのね私は…」
「志摩子さん、私はどんな時だって志摩子さんの見方だよ」
「乃梨子ちゃん『志摩子さん』になってるわよ。 まあいいか〜私も令ちゃんって言っちゃうし」
「でっかい、自爆です」
「いや、なんか日本語として変だし」
「でっかい、大きなお世話です」
「乃梨子、そのくらいにして、でないと私ゴンドラを漕ぎながらカンツォーネを歌わなければならないから」
「志摩子さんはどっちかと言うと『あらあら』『うふふ』っと言ってる人の方がにあいそうだけどね」
「はいはいはい! 私は姫屋の令嬢で『はずかしい台詞禁止!』って言う! っでノームの彼氏は祐麒君」
「……いや、あの脱線しすぎだから…」
「じゃあ、話を戻して。 あの呪文って何なの?」
「こういう使い方をするものじゃないのは重々承知しているんだけれど。 皆さん分かりますかね?」
「う〜〜〜〜ん、どうなんだろ?」
「ちなみに、あの赤金色の金属は ”ヒヒイロガネ”。 まあいわゆる ”オリハルコン”です」
「くわしいわね祐巳さんのくせに」
「はぅぅ〜、くせには無いよ由乃さん〜」
「もしかして祐巳さんってば ”ウィスパード”? いくら作者のHNに”ウィスパー”付けてるからって」
「暴走し過ぎだと思いますけれどね。 そうだ瞳子、出てみる気ある?」
「えっ? 出演者の都合でもつかなくなったのですか?」
「うん、まあそんなところ。 どう? 祐巳さまとも競演できるよ」
「い、いえ…こ、この際祐巳さまは関係ありませんわ! あ、あ〜、あくまでも女優として…」
「次の犠牲者役なんだって」
「……嫌ですわ、そんな役!」
〜〜〜〜〜〜 もう二、三回かな〜 続く・・・・・
このSSを書き終わった後、ん? そういえば何か同じような話が原作にもあったような、と探してみたところ「黄薔薇注意報」の内容をかなり無視して書いていることが判明しました。ですので、この作品はそういったのが気にならない人だけお読みになってくれたらと思います。(長々とすみません)
由乃が姉である令ちゃんがいる剣道部に入って約一月がたとうとしてた頃、由乃の機嫌はかなり悪かった。
その原因は、ここ最近、剣道部で展開されていることに原因がある。
元々、部活では令ちゃんは由乃に対してあまり相手を、もとい近づいてさえこなかった。しかも、最近ではそれは特に顕著になっていた。
むろん、ヘタレな令ちゃんのこと。下手に由乃に近づいて部活で由乃を甘やかしてしまうと他の部員に示しがつかない、ということからそうしていたのはわかる。
それは納得が出来る。
だが、納得できないこともある。
(どうしてちさとさんばっかりかわいがるのよ!!)
そう、由乃がどうしても納得出来ないのは、明らかに令ちゃんがちさとさんと一緒にいるのを見かけるからだ。
初めのうちは、ふーん、令ちゃんとちさとさんとがね、ぐらいにしか思わなかったのだが、こうも一緒にいるところを見せ付けられると流石におもしろくはない。
これがちさとさんだけではなく、色々な人と一緒だったらまだ由乃にも納得がいきようもの。しかし、現実には令ちゃんはちさとさんばかりとよく一緒だった。
(まったく! どういうことよこれは!)
と、由乃の信号が青に変わりそうなその時。
ぽか!
「ほら、由乃さん。手が止まってるわよ!」
と、よりにもよって機嫌を悪くしてくれる張本人から竹刀で頭を軽くだがこづかれたので、由乃の機嫌はすこぶる悪くなってしまった。
「何をするのよ! ちさとさん」
「何をするの、ですって? それはこっちのセリフ。由乃さん、さっきから手が止まっているけど素振り50回はもう終わったの?」
「お、終わったわよ」
嘘だ。まだ40回ほどしかやってない。だが、由乃の機嫌を悪くしてくれた張本人であるちさとさんを前にして正直に言えず、由乃はつい嘘をついてしまう。
「ふざけてんの、まだ42回でしょ」
「なっ、数えてたの!」
なんて意地悪なんだろう。由乃は嘘を指摘されたのもあって半ば逆恨み気味にそう思った。
だが、そんな由乃に対してちさとさんは追求の手を緩めない。
「あたりまえでしょ。わたしはあなたの指導役なんだから。いいかげんにされたらこっちも迷惑なんだけど」
由乃にとって大変不本意&腹立たしいことに、ちさとさんは由乃の指導役でもある。
そして今この広い道場には由乃とちさとさんしかいなかった。これも最近ではよくある光景。
それは何故かというと。
「まったく、居残り練習につきあってるこっちの身にもなって欲しいわね」
そう、その理由は練習後ちさとさんは頼みもしないのに由乃に補習という名の居残り練習を与え、それをずっと監視している。それはもう意地悪小姑のように。
初めに、それなら令ちゃんに見てもらう、と言ったが、ちさとさんは、ここではあなただけの令さまじゃないのよ、と鼻で笑いながら却下した。由乃はそういわれたとき思わず、んなことわかってるわよ! とキレそうになった。
そのようなことは言われるまでもない。だが、改めて指摘されるとやはり腹は立つ。
「どうしたの、だんまりして。なにか文句があるのなら言えばいいじゃない」
明らかにそれは売り言葉。そしてそのようなことを言われて黙っていられる由乃ではない。
「うっさいわね! どうせあんたも心の中では私のこと馬鹿にしてんでしょ!」
「ええ、思うわ。どうしてこんな人が令さまの妹なんだろう、って」
由乃はカチンときた。よりにもよって令ちゃんの名を出すとは。
「令ちゃんは関係ないでしょ! どうしてここで令ちゃんが出てくんのよ!」
「関係ないこと無いわ。由乃さんあなた、自分では意識してなかったかも知れないけど、自分が困ったときなんかに令さまに助けを求めるかのような視線を向けてるでしょ」
それは、なかなかに由乃にとって痛いところをついてくれた。でも、それは認めるわけにはいかない。特に目の前のちさとさんには。
「そ、そんなことないわ」
「絶対にないといえるの? わたしは令さまの妹なんだから大事にして、って一度も思わなかった?」
「そ、そりゃ、絶対にない、とまではいえないかもしれないけど」
「あなたが令さまに助けを求めようとするたびに、令さまがどれだけ困っているのか分かる、由乃さん?」
「ちょっと待ってよ、どうしてあなたにそんなことわかるのよ。だいたい令ちゃん、私のこと全然助けてくれないじゃない」
そうだ、そこがまた由乃の腹立たしさを増長する原因の一つでもある
令ちゃんときたら道場では由乃に対して厳しい、というより冷たい態度を崩さなかった。それどころか無視さえしてくるときもある。
そりゃ、令ちゃんはみなをまとめなきゃいけない立場だからから、わざわざぺーぺーである由乃のことを見てはいられないかも知れないし、初めに姉としても従妹としても庇えないと、クギを刺されたのも認めよう。でも、まさかあそこまで冷淡にされるとは思わなかった。
(ふん。確かに令ちゃんが剣道部に入部を反対してたのを無視して入ったのは認めるけど、だからといって意趣返しにかわいい妹を無視するなんて、いくらなんでも酷すぎない)
由乃がそうぷんすかと怒っていると、ちさとさんから冷水をあびせるような言葉を浴びせられた。
「違うわよ。助けられないから困ってるじゃないの」
「え?」
「あなたの入部することが決まった時、令さまはみんなの前で宣言したわ。みんな、もう少ししたら自分の妹である由乃が入部することになるのだけど、だからといって絶対に特別扱いしないで、って」
「そんなこと言ったの、令ちゃん?」
「ええ、わざわざミーティングの時にみなの前でね。私には、部員のみんなに言うことによって自分に制約をかけているように見えたわ」
「ふん、そんなわけないじゃない。令ちゃんがそこまで考えているもんですか」
由乃がそう言うと、ちさとさんはほとほと呆れたような顔を由乃に向けてくる。
そして溜息をついた後、ゆっくりと口を開いた。
「由乃さん、やっぱりあなた馬鹿ね」
「なんですってー!!」
どーん!!
この失礼極まりない対応。いかにこの由乃さんの慈悲の心が深かろうが許せるものではない。
由乃は体中から「怒」というオーラを発しながらちさとさんに迫った。
「上等じゃないの、ちさとさん。どうして私が馬鹿なのか納得させてもらおうじゃないの。言っとくけど、さっきのはなし、は出来ないわよ」
しかし、由乃のその剣幕にも肝心のちさとさんはまるで涼風を受けたぐらいの余裕うの表情を浮かべていて、それがまた由乃の癇に障った。
「ねえ、聞いてるの、ちさとさん!」
「聞いてるわよ。いいわ。ぐうの音が出ないくらい納得させてあげるわ」 」
(納得させてあげる、ほほう、なら納得させてもらおうじゃないの!)
「これを見て頂戴」
ちさとさんは、はい、といって由乃に何枚もの紙きれを渡してきた。
ひょい、と由乃は受け取る。
「ん、なんなのこれ?」
由乃はその紙を見て首をかしげる。
そこには剣道の練習方法が細かく指示されていた。
なんだこれ、意味がわからない。いや、その意味自体はわかるのだが、なぜここでこのような内容の紙がちさとさんから出てくる理由がわからない。
「ちょっと、ちさとさん。これってどういう意味?」
「あーあ、それを見ても何も感じないんじゃ令さまもかわいそうだわ」
「なっ! どういう意味よ」
「言葉どおりよ。もう一度その紙をよく見てみなさい」
よく見ろって、何度見ても変わらないわよ。
だが、その紙に書いてある内容を、いや正しくはその文字の書体を見て由乃はあることに気がついた。
「これって、これ書いたのひょっとして、令ちゃん?」
ひょっとして、などといってるが、由乃は確信していた。これは間違いなく令ちゃんが書いたものだ。
「そこまで耄碌してなかったようね。そうよ、それを書いたのはまぎれもなくあなたの姉である令さま」
「で、その令ちゃんが書いたこの紙と、さっきのちさとさんの話とどういう関係があるの?」
由乃がそういうと、今度こそちさとさんは呆れたような顔を浮かべていた。
「気がついたのはそれだけ、由乃さん? あなた、ほんとうに馬鹿?」
なっ!
完全に由乃の許容範囲をリミッターが漫画のメータの如く軽く3回転ぐらいブッチぎってしまった。
(いくら部活の先輩でお世話にはなっていても、そこまで言われる筋合いはないわよ!!)
「ちさとさんっ! ……」
今度こそ由乃は爆発しそうになったが、ちさとさんの表情を見て止めてしまう。
何故なら、由乃はちさとさんの表情に言い様もない悲しさを見出したから。そう、一度だけ見たあのときと一緒の悲しみをその顔に。
「どうしたの、由乃さん? そこで終わり?」
「う、うっさいわね」
(悲しいのはこっちなのに、どうしてあんたがそんな顔してんのよ!)
その顔に無視できないなにかを感じた由乃は、もう一度さきほどの紙に目を通す。
(なになに……○月○日 基礎練習もようやく形になってきたので、少し早いかもしれないがそろそろ素振りなどをやらせて見るのもいいかもしれない。まずは、素振り50回ぐらいが妥当か。が、これはもちろん基礎練習と併用してのこと。基本をおろそかにしては絶対にいけないからね、と)
そこまで読んで、由乃の動きは止まった。
(○月○日って、確か)
その月日を見たとき、由乃はあることを思い出した。
(たぶん、だけど、私がはじめて竹刀をもった日、だよね)
由乃は慌てて先を読む。
○月○日 少し竹刀に振り回されている、といった感じか。雑巾しぼりもよく出来てないし、少し先に進むのが早かったかもしれない。出来るだけ客観的に見てきたつもりだったが、まだ甘かったみたいだ。反省。ただ、あくまで慣れの問題だとも思うので、基礎練習さえ疎かにしなければきっとよくなると思う。なので、しばらくは基礎体力の向上に努めてもらって欲しい。まずはマラソン2キロ……いや、1キロぐらいで。
(○月○日って)
由乃は記憶の糸を引っ張り出す。
(そうだ、もう毎日、これでもかっていうくらい走らされた時のころだ)
せっかく竹刀を持てたのも束の間、いきなりちさとさんから、それじゃあ軽くランニング3キロいって来て、と言われ。毎日馬車馬の如く走らされた。
由乃は他のメモも目を通す。
(あれも、これも、やっぱりこれ全部)
由乃が全てのメモに目を通し終わりそうになった時、頃合を見計らったかのようにちさとさんが声をかけてきた。
「で、感想は?」
「感想たって……今のところ何も」
ウソだ。言いたいことは一杯ある。だが、あまりにもいろんなことが頭の中を渦巻いていて答えが容易にまとめれなかった。
ただ、ひとつだけわかったことはある。ちさとさんには口が裂けても言わないが、確かに由乃は馬鹿だったかも知れない。
そんな由乃をよそに、ちさとさんが話し掛けてきた。
「由乃さんが剣道部入るってきまったとき私令さまから、話があるのだけど、って呼ばれたの」
由乃は、その内容がなんとなく想像できた。
「ひょっとして、令ちゃんから私の面倒をみて、って頼まれたの?」
「要約すればその通りね。令さまからこういわれたの、今度、私の妹が入部するのだけど、ちさとちゃんよかったら面倒見てあげてくれない、って」
「あなたはそれを引き受けたわけね」
「初めは正直言って迷ったけどね。剣道のケの字も知らない素人のお守。しかもそれがよりにもよってあなたなんて」
ちさとさんは、剣道のケの字のケを強調して言ってくれた。
由乃はついそれに反応して、反論めいた事を口にした。
「ふん、なら何で引き受けたのよ。私だってあなたに面倒なんて見てもらいたくなかったわよ。って、そうだ! だいたいこのメモには1キロって書いてんのに、あんたいつも3キロって言ってたじゃない!」
「あら、1キロなんて今日日小学生でも鼻歌歌いながら走るわよ。せっかくだからサービスしといたわ」
サービスですって、こりゃまた言ってくれるものだ。間違いなく意地悪で言ったに違いない。
「ふん、おかげさまで体力は嫌でも上がったわよ」
だが、由乃が嫌味で言ったことに対してちさとさんから返ってきた言葉は意外なものだった。
「そうね、日に日にタイムが向上していたものね。令さまがすごく喜んでたわ。まあ、私も好悪の関係なしで教え子が頑張ってるのを見るのは悪い気はしなかったし」
(悪い気がしなかった? なんで? あと、タイムが向上ってどうしてわかるの?)
「タイムって、そんなのなんで分かるの?・・・・・・まさか、計ってたの?」
由乃がそう聞くと、ちさとさんは呆れたような顔をしていた。
「あたりまえでしょ。基礎体力がついかどうか確かめるのに、タイム見ないで何を見て確かめるっていうのよ」
「い、いや、てっきり意地悪でやったのかと」
ちさとさんは思い切り眉を吊り上げてきた。
「ふざけないで! いくらあなたが好きじゃないからいってそこまで人間落ちぶれてないわよ! だいたい一生懸命にやっている人間にそんな事やるなんて、人間のクズよ!」
流石に自分の暴言を自覚した由乃は、ちさとさんに謝罪を述べる。
「ご、ごめんなさい、ちさとさん。馬鹿なこと言ったわ」
「……いえ、こちらも興奮してごめんなさい」
本当に馬鹿なことを言ってしまった。でもまさか、ちさとさんと令ちゃんが由乃に対してそのようなことをしてくれたなんて。
先ほどの言葉で、もうひとつ気になることがあったのでちさとさんに聞いてみることにした。
「ひとつ聞きたいのだけど、さっき言ってた、一生懸命にやっている人間、ってまさか私のこと?」
由乃がそう言うと、ちさとさんはつっけんどんに由乃の方に一枚の紙を押し付けるように渡してきた。ただ、その顔は少し赤かった。
由乃はその紙を受け取り中身を見てみる。そこには約1月分の日付、そしてその隣には数字のようなものが記されていた。その数字は、最初の日付と最近とので見比べると明らかに短くなっていた。
「ちさとさん、ひょっとしてコレって?」
「ふん! 見りゃ分かるでしょ由乃さんの3キロマラソンの記録よ。どう、自分でもよくわかるでしょ。速くなった、って」
確かにちさとさんの言う通り、最初のころと最近のタイムでは約3分ほど短くなっていた。むろん、元々体力の無かった由乃なので最近のタイムでもまだまだ部員の平均値以下だろう。
でも、大切なのはそこではない。
「いい気にならないでよ。上がったとはいえタイム自体はまだまなんだから。・・・・・・でも、正直なところたったこれだけでここまで早くなるなんて想像も出来なかったわ。私も、そしておそらくは令さまも」
そう、大切なのは向上心。すなわち昨日の自分に、明日は今日の自分に打ち勝つこと。その上を目指す気持ち。そしてなによりも自分の頑張っていることを知ってくれている人がいること。
由乃は剣道部では自分のことなど誰も省みてくれてないと思っていた。でも、違った。いたのだ。こんなにも身近に意外な人物が、そしてなにより自分をずっと気にかけてくれた姉が。
「令さまが言ってきたわよ。道場に一歩でも入った時から、わたしと由乃はスールではなくただの部活の先輩と後輩に過ぎない。だけど、自分はまだそこまで達観できないから、その日の練習メニューをちさとさんに託すことでどうにか自分に折り合いをつけたい、って。……正直、物凄く妬けた。もう胸が張り裂けそうになったわ」
由乃は、先ほど答えが聞けなかった質問をする。
「なら、なんでその役目を引き受けたの」
由乃がそう言うと、ちさとさんは少し寂しそうにしながら自嘲的に笑ってきた。
「……やっぱり、令さまと少しでも繋がりがほしかったから、かしらね。自分でも未練がましいとは分かってるけど。ふふ、笑ってもいいわよ」
「そんなの、笑えるわけ無いじゃない」
笑えない。笑えるわけがない。
ちさとさんは由乃と立場が違う。ちさとさんは令ちゃんの幼馴染ではなく、妹でもない。けど、ちさとさんはある部分で由乃と共通点がある。それは、令ちゃんが好き、ということ。
そのちさとさんを笑うことは、鏡に映った由乃自身を笑うことに他ならない。
「ふふ、相変わらずそういうところは優しいわね。ごめんなさいね、グチみたいなの聞かせてしまって」
「ううん、いい」
それから二人は何も喋らなくなった。
静寂という世界が二人を包んでいると、ちさとさんがすっと由乃の方に右腕を差し出してきた。
どういう意味かと由乃が怪訝に思っていると、ちさとさんは由乃に意地の悪そうな笑顔を向けてくる。
「どうしたの、せっかく、これからもよろしく、ってこっちは思っているのに。いくら私の方が剣道が上手いからって遠慮することは無いのよ。これからも私の指導を受け入れる勇気があるのなら、だけどね」
その差し出された腕の意味を察した時、由乃も挑発的な笑顔をちさとさんに返す。
(ふん、いってくれるじゃないの)
がっ!
由乃は、力強くその差し出された手を握った。もうこれでもかっていうくらい力いっぱい。
「望むところよ。いい、言っとくけどね、わたしこれからもっともっと強くなって、ちさとさんより先にレギュラーになるんだから!」
由乃が決意の意を込めてちさとさんに宣言すると、ちさとさんは苦笑を浮かべていた。
「ふふ、由乃さんがレギュラーになったらうちの部もお終いね」
「なっ!?」
せっかく人がやる気を出して言ったのを茶化すだなんて。由乃が爆発しそうになると、ちさとさんが続けて口を開いた。
「でもまあ、その時は私が大将にでもなって不甲斐ない弟子の尻拭いをしてあげるから安心して」
由乃は、その言葉を聞いて目をまん丸にした。
(大将? まだレギュラーにもなっていない人が?)
冗談かと思ったが、ちさとさんの目は本気だった。由乃は悟った。先ほどの言葉は決して茶化したわけじゃあなかったということが。
ちさとさんは、由乃にこう言ってるのだろう。今のままではレギュラーなんて無理だからもっと頑張りなさい、と。そして同時に自分にもハッパをかけているのだと思う。自分も少しでも令さまの元に近づいてみせるから、と。
由乃は、ニヤリとしながらちさとさんに返した。
「そうね。仮にも私の師匠筋にあたるんだからそれぐらいなって当たり前よね」
「ええ、あなたも令さまの妹なんだからレギュラーぐらいならないとね」
「ふん、余計なお世話よ!」
口調はきついが由乃は笑っている。ちさとさんも笑っていた。
ここに、二人の誓約が交わされた。
一人はレギュラーを目指し、もう一人はさらにその上を目指す。
互いが互いを高める為の誓約。
もちろん、来年に由乃とちさとさんがレギュラーになっているかなんて保証なんて無い。いや、どちらかというとその可能性は今のままでは低いと言わざるを得ない。だけど、あきらめたらそれこそそこで終わってまう。
だから、頑張ろう。昨日より、今日を。今日より、明日を。
「よし、頑張らなくっちゃね!」
終わり。
本来でしたら、セリフ内の令ちゃんをお姉さまと言うのが正しいのかもしれませんが、令ちゃんの方が響きがよかったのであえてそうしました。
長くて申し訳ありません(汗
今日は2月13日世間で言うバレンタインデーの前日である。
私は薔薇館で仕事をしている。
明日は誰にチョコレートをあげようかな。由乃はあげないと何されるかわからないし、お姉さまはもちろん必須、後は祥子にもあげよう。それから志摩子にも、蓉子様と聖様は………あまったらで良いかな。本命のチョコレートは祐巳ちゃんにあげよう。
祐巳ちゃんのことは友達としての好きじゃなくて、恋人になりたいって言う意味で好きだから。けど由乃がいつも邪魔をして二人っきりになれたことが無い。
けど今は……
「皆さん遅いですね」
そう言って横に座っている祐巳ちゃんが話し掛けてきた。今この薔薇館には祐巳ちゃんと私しかいない。
「そうだね。掃除が長引いているのかな?」
私は適当にあいづちを打ちながら書類に集中している。何かに集中しないとすぐ隣に座っている祐巳ちゃんのことを意識してしまう。それなのに祐巳ちゃんは私にいろいろ話題を振ってくる。
例えば、好きな食べ物とか嫌いな食べ物、好きなTVの番組は?とか、ああ、少し静かにして欲しい。何でこんなに喋りかけてくるんだろう。
「あっ……すみません」
どうやら顔に出てたらしい。
「いや、違うよ。書類でへんな所があっただけだよ」
「そうですか。よかった」
祐巳ちゃんはホッとしたような表情を浮かべて笑いかけてくれた。………可愛いな……ハッ!ダメだダメだ!今は書類に集中しなくちゃ!
「あ、そうだ!明日バレンタインデーですよね」
ああ、今その話題は出さないで欲しかった。さっきから祐巳ちゃんは誰が本命なんだろう?とかさっきまで考えていた所為か急に祐巳ちゃんは本命のチョコレート誰にあげるの?と聞きたくなった。抑えるんだ!明日私が祐巳ちゃんにチョコレートを渡す時に聞けるじゃないか!何も今ここで無理に聞くことは無いよね。
「令様は誰に本命のチョコレート渡すんですか?」
「それはもちろん祐……じゃなくて!」
危ない危ない。あと少しで当たってないのに砕ける所だった。何とかこの話題をそらさないと!
「そう言う祐巳ちゃんの本命は誰なの?」
って私はアホか!ああ、今のはかなりやばい。
「山百合会みんなですよ」
………そうか。そうだった。祐巳ちゃんはこう言う子だったんだ。よく言えば純真無垢な天使、悪く言えば天然だったんだ。
「私も一応山百合のみんなにも上げるけどね」
そう言うと祐巳ちゃんの顔が小悪魔みたいな笑顔で
「にもってつまり他に本命がいるということですね」
「あっ」
しまった、口が滑った。祐巳ちゃんは誘導尋問です。とか言って自慢げに笑っている。それから私はもう喋らないようにした。
「令様……令様…」
いきなり私が黙ったから祐巳ちゃんが不安になったのだろうか。しつこく話し掛けてくる。
「すみません」
あやまらないで欲しい、そんな悲しい顔をしないで欲しい私が悪いのだから。
「すみません。……だから私を嫌いにならないで下さい」
「……嫌いになるわけ無いじゃない」
「えっ?」
「私は祐巳ちゃんのことが……」
ああ、私は筋金入りのアホなのか。すると、ビスケット扉が開いて祥子と志摩子がはいってきた。た……助かった。危うくとんでもない事を口走る所だった
それから4人でお茶を飲みながら、みんなが来るまで待った。祥子達が来て3分もしないうちに全員がそろって、仕事をした。その間祐巳ちゃんが何故か私のほうを見ていたのを視界のはしでちらちら見えていた。
「ふぅ、あら、もうこんな時間」
祥子が時計を見ながら言った。確かにもう下校時間だ。そうと決まれば、なるべく早くここから出よう。これ以上ここにはいたくは無かった。
「今日はこれで失礼します」
そう言って私はみんなより一足早く私は帰る事にした。
ちょうど階段を降りた所で後ろから声をかけられた。
「令様!、ちょっと待ってくれませんか?」
この声だけで胸の鼓動が早くなるのは多分あなたには分からないだろうね。
「なに祐巳ちゃん?」
振り返って祐巳ちゃんを見上げてみると、急いで追いかけてきたのか息が乱れながら階段を急いで降りてきた。
「危ないよ。そんなに早く降りてきたら」
「大じょう……キャ!」
祐巳ちゃんは階段から足を滑らせた。危ない何とかして受け止めないと!
まっすぐ祐巳ちゃんは私のほうへ落ちてきた。よしっ!何とか受け止めれたぞ。
しかし、祐巳ちゃんはよほど勢い良く降りてきたのか支えきれずに祐巳ちゃんに押し倒される形になった。
「っい……」
変な声を出しちゃったな、声にならない声とはこのことだろう。
「令様!大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫、祐巳ちゃんの体重が軽くて助かったよ」
と背中の痛みとは裏腹の精一杯の笑顔を作る。
「でも、ずっと上に乗られるのはきついかも…」
そう言うと祐巳ちゃんはすみませんでした!と急いで私の上からどいてくれた。
「す…すみません」
顔が真っ赤になってる。やっぱり恥ずかしいのかな。
「それよりどうしたの?何か用があってきたんでしょ?」
「あの、よろしかったら一緒に帰ってよろしいですか?と」
「いいよ。じゃあバス停まで一緒に行こう」
祐巳ちゃんの顔は満面の笑みだった。ズキッ!背中が痛い、変な所に当たったみたいだ、祐巳ちゃんにはさとられないようにしよう。
私と祐巳ちゃんはバス停まで一緒に会話をしながら、歩いた。
「あの今日はいろいろとありがとうございました」
「気にしなくていいよ」
そしてごきげんようと言って別れた。
家に帰っても背中の痛みは消えず立っているのもだるい状態だったので、ベッドの中に入って今日は早く寝る事にした。
翌朝、私は目を覚ますと同時に激しい痛みが襲ってきた。今日は…今日だけは私の思いを伝える日なんだ。だから意地でも学校に行く事にした。昨日は背中が痛くて1個しか作れなかったけどこれだけでも持っていこう。
学校についてマリア様にお祈りをしていると後ろから声をかけられた
「ごきげんよう、令様昨日はすみませんでした」
「ああ、ごきげんよう。でも大丈夫だから気にしないで」
背中の痛みで額から汗が出ている。でも、これぐらいならバレないはずだ。
「でも、顔色がすぐれませんよ?額から汗も出てますし」
「えっ?」
なんで分かるんだろう。朝学校に行く時も両親になにも注意されなかったのに
「保健室で休んだほうがよくないですか?」
確かにそうだ。だけどこの子は…祐巳ちゃんは……自分の所為で私が怪我をしたと知ったらとて
も悲しむだろう。私は祐巳ちゃんの笑顔を見ていたい。だから……
「実は……」
だから私は…初めて……初めて………あなたに嘘をつこう。
「朝の軽いトレーニングで家から学校まで走ってきたんだよ」
「そうですか。…でも、それでも顔が真っ青にはならないんじゃ……」
ごめんね祐巳ちゃん。
「大丈夫だって言ってるでしょ!早く教室に行って!」
こんなに声を荒げるのは多分リリアン入学してから初めてかもしれない。周りの生徒が驚きの視線で私を見ている。祐巳ちゃんに嫌われるだろう。だけど…だから…お願い早く教室に行って!
「全然大丈夫そうじゃないですか!」
えっ?
「なんでそんなに顔が青いんですか?なんでそんなに汗をかいてるんですか?」
ああ、どうしてだろう……
「さっきだって背中をかばってるみたいだったし…それに」
どうして、あなたはこう言う時だけ……
「それに、私令様の事がす……って令様!」
どうして、あなたはこう言う時だけ……人の痛みに敏感なんだろう。
祐巳ちゃんが倒れているように見える、でも、本当はきっと倒れているのは私だろう。周りから悲鳴が聞こえる。由乃が言うヘタ令にしては頑張ったほうだと思う。
「祐巳ちゃん、泣かないで…」
そう言って私の意識はそこで途切れた。
「…れ…ま………れい…さ……」
誰の声だろう。左手に少し湿った感じがあるけど、なんだかとても温かい。
「……令…ま……令様…令様……お願い……グスッ…目を覚まして…ください」
ああ、この声を聞くだけで…胸の鼓動が早くなる………この声を間違えるはずがない。この声は……
「……祐巳ちゃん…」
「令様!目を覚ましたんですか?」
祐巳ちゃんが目に大粒の涙を浮かべている。そしてここは…薬の匂いがする保健室みたいだ。
「あれ?私どうして……」
「周りに…いた人たちに……頼んで一緒にここまで運んで……グスッ…きたんです」
そう言って祐巳ちゃんは私に鞄を差し出した。
私は鞄を受け取って
「あの……ごめんね」
「いえ…それよりなんで黙ってたんですか!」
「えっ?だって祐巳ちゃんが悲しむと思「そんなの令様がいなくなっちゃうよりマシです!」」
「保健の先生は背中に少し重い打撲をしただけだって言ってたけど……放っておいたら、大変な事になるんですよ!」
「………」
「もう……私に隠し事は止めてください」
そう言って祐巳ちゃんは私の左手を強く握った。夢の中のあの温かい手は祐巳ちゃんの手だったんだ。
「うん。わかったよ、ごめんね」
「わかったのならご褒美です」
祐巳ちゃんの顔からもう涙は消えていた。ご褒美ってなんだろう?祐巳ちゃんは鞄の中から黒い包みを取り出した。
「これは?」
「今日は何の日ですか?」
ああ、そう言うことか確か山百合みんなに配るとか言ってたような…。まあ、私は祐巳ちゃんにとってはその他大勢って所だろう。
けど、もらえる事はうれしい。
「チョコレート?」
「はい、本命のチョコレートです」
一瞬祐巳ちゃんが何を言っているのか分からなかった。
ホンメイ……ホン・メイリンと言う中国人名を省略したものだろうか?
いや、そんなはずは無い!この日この状況このタイミングどう考えても本命と言う意味しか聞き取れない。
「私が本命?」
「はい」
「祥子とかじゃなくて?」
「もちろんです」
「山百合みんなが本命って言ってたよね」
「令様は特別注の特別です。さっき倒れた時も言いかけてましたけど」
「なに?」
「す…好きです」
夢だったら覚めないで欲しい。けどこの背中の少しマシになった痛みは間違いなく現実だった。
そう言えば確か私の鞄の中にも……
「はい、これ」
「えっ?私にですか?」
「時間が無かったから一つしか作れなかったけど。ただ確かなことはそれが本命ってこと」
「ええっ!でも…なんで」
「好きだからかな。友達としてのじゃなくてね」
「由乃さんじゃなくて?」
「もちろん」
「えっ?けど……あの…でも!」
相も変わらず百面相をしている。
「さっき隠し事をしないで下さいって言ったのは誰かな?」
「それは……そう…ですけど」
「だから、私はあなたのことを好きです。いや、愛しています」
祐巳ちゃんの顔は真っ赤になっていく、
「その……うれしいです」
「私もだよ」
自分でもここまではっきり言えるようになるなんて思っていなかった。いよいよヘタ令ともさらば、かな?そう思って横を見ていると
「令様こっち向いてください」
「えっ?なに?……んっ!?」
あれ、今なにされたんだ?もしかしてあれが噂に聞く…
「…キス?」
そう思った瞬間体中の血液が顔に集まっていくのが分かった。
「少し早いけどホワイトデーのプレゼントです」
「ゆ……祐巳ちゃ〜ん……」
情けない声が出てしまった。
「3月14日のホワイトデー楽しみにしてますよ」
少しホワイトデーが待ち遠しくなった。やっぱりそれは祐巳ちゃんが今隣にいてくれたおかげだと思う。作ったチョコレートはたった一つ。だけど私にとっては最高のバレンタインデーになった。
けど、やっぱり、さっきのは訂正です。私はまだしばらくはヘタ令のままだと思います。
「祐巳ちゃ〜〜ん…」
===了===
この作品は一体のNo.806「どこへ行くのか姉妹船バイヲ・ハザードォ」のおまけみたいなものになってます。あと、完全に壊れてますので読む際は気をつけてください。
「・・・・・・ねえ、祐巳。あれはなんなの?」
祥子さまが問いただすように祐巳に質問してくるが、祐巳はその質問に答えが返せなかった。
この場合、答えがわからないから返せない、と、分かってるけど返したくない、という二通りのパターンが考えられる。そして、今回の祐巳は明らかに後者だった。
だって、いくら祥子さまの質問でも答えたくない、いや、正しくはアレには関わりたくない。
「ねえ、もう一度言うわよ、祐巳。あれはなんなの?」
うっ、その言葉には明らかにヒステリーという名の香りが仄かに立ち上っている。・・・・・・仕方がない、祐巳はその重い口をゆっくりと開いた。
「・・・・・・まがね子ちゃんです」(ぼそぼそ)
「何? よく聞こえなくてよ」
「あ、あれは、あれはまがね子ちゃんです!!」
祐巳がそう叫ぶと、そのアレであるまがね子ちゃんが祐巳たちの方に表情をきょとん(こんな表現もったいないけど)としながら向けてきた。
「あら、呼びました、祐巳さま?」
「ううん、まがね子ちゃん、なんでもないよ」
「そうですか、いきなり名前を呼ばれたからびっくりしました」
どちらかというと、激しくびっくりさせられたのはこちらの方だ。あれは本当にびっくり、いや、そのような言葉では生温いにもほどがある。
それは、昨日のこと。
どすどすどす
なんだ? この怪獣の足音みたいな音?
祐巳は、何故か激しくいやな予感と今まで体験したことがない悪寒を感じていた。
「祐巳さまぁん!!」
!!!!!!
背後から祐巳を呼ぶ声が聞こえたとき、祐巳の体と心は激しく凍りついた。
祐巳は、自分が呼ばれているのに背後を振り向きたくはなかった。その声に聞き覚えがなかったからではない。いや、むしろ激しく聞き覚えがあった。ていうか、2度と聞きたくなかった。早く忘れたかった。
どす! どす! どす!
「うおおーん!! 祐巳さまぁん!!」
足音がどんどんと迫ってくる。祐巳の頭に最大限のエマージェンシーが鳴り響く。祐巳の頭は瞬時に一つの判断を下した。
逃げろ、どこまでも力の続く限り、と。
「とっ、とんずらー!!」
ぴゅー!!
「あっ、まってえぇぇー!! 祐巳さまぁん!!」
(だめ、だめよ、祐巳。振り返っては。逃げるのよ、どこまでも!!)
ぴゅー!!
「ああん、まってぇ・・・・・・さ・・ぁん」
どすどす・・・どす・・・・・・ど
やがて、その足音が遠くなっていく。やはりユニット的に機動性は悪いみたいだ。
(……ふう、し、死ぬかと思った)
だが、祐巳は心のどこかで分かっていたのかも知れない。ここで逃げても根本的な解決にならない、ということを。
そして、その考えが正しかったのを証明するかのように、次の日、薔薇の館にくると肉の壁が、むーん、と館の入り口に立ち塞がっていた。
肉の壁が、真っ直ぐに澄んだ目で祐巳を見据えてくる。
「・・・・・・きちゃった」
(くんな!!!)
と、いうわけだ。(どんなわけだ! ってお願いですから突っ込まないで。泣きたいのはこっちなんだから。くすん)
祥子さまが、再度口を開いてくる。
「で、そのまがね子ちゃんがどうしてここにいるのかしら? いえ、正しくは、どうしてリリアンにいるのかしら?」
それは、祐巳の方が知りたいです。
「えー、なにか話を聞く限りでは、目覚めた、とか、なんとかまがね子ちゃんは言ってましたが」
「・・・・・・いったい、まがね子ちゃんは何に目覚めたの?」
それは、激しく祐巳の方が知りたいです。いや、うそ。全然知りたくないです。
「はあ、イニシャルM、じゃなかった、なにか筋肉しか知らなかった自分に新しい世界を目覚めさせてくれた、とか言ってましたが」
「そう、あまり私には理解できそうにないみたいね」
「はい、まったくもって私も同感です」
祥子さまはため息を一つつくと、その美しいお顔をまがね子ちゃんに向けていた。その二人は、ありえないぐらいすごい組み合わせだった。
「あの・・・・・・高田さん、ちょっといいかしら?」
祥子さまがそう言うと、まがね子ちゃんはもじもじと少し照れくさそうにしている。
「あ、あの、紅薔薇さま。できれば、まがね子、って呼んでください。きゃっ、言っちゃった」(ぽっ)
ぎゃっ!!
・・・・・・ど、どちらかと言うと、やっちゃった、の間違いじゃないだろうか!?
かちーん
そして、その破壊力抜群の、やっちゃった、を真正面から受けてしまった祥子さまは凍りついていた。そりゃもう見事なまでにかっちんこっちんに。
「あ、あの、お姉さま? 大丈夫ですか?」
ぎいいい
祥子さまは器用にもその首だけを人形のように祐巳の方に向けてくる。
「・・・・・・ねえ、祐巳」
「は、はい、なんでしょう、お姉さま」
「アレは、あなたが責任とってなんとかしてちょうだい」
ぶっ!!
「えっ、わっ、私がですか?!」
そ、そんな、殺生な。
「だって、あなたに懐いてるみたいだし」
「えっ、でっ、でもアレの責任は由乃さんが・・・・・・」
そうだ、元はと言えばこの悪夢は由乃さんのトンデモ作戦のおかげでなったのだから、由乃さんがまがね子ちゃんの面倒をみないといけないと思う。
「由乃ちゃんが?」
「は、はい、アレは元はといえば由乃さんのせいで」
「・・・・・・でも由乃ちゃん、しばらく部活に専念したいから、アレの世話は全面的に祐巳さんにお任せしてます、って今日、昼休みに言ってきたわよ。そのときはアレってなんのことかわからなかったけど。アレのことじゃないの?」
「ぶっ!! ほっ、本当ですか、お姉さま!?」
ふきふき
「・・・・・・ええ、祐巳さん、そりゃあもう嬉しそうにしてましたので、っていってたけど」
「あ、あのイケイケ青信号!!」
江利子さま。残念ですが、もう由乃さんとはだめかもしれません。
「あ、まがね子ちゃん。これからは困ったことがあったら全部、祐巳に言ってちょうだいね」
「はい、よろしくお願いします。祐巳さまぁん」(くねり)
「ぎゃっ!!」
マ、マリアさま、助けてー!!
終わり
こんなもの載せてすみません。消してくれ、と言われたら速攻で消しますので。
ある日の薔薇の館
「はぁぁぁ。ダメね、私たち」
「お姉さま、どうなさいました。また江利子さまに弄られましたか?」
「またって何よ。そうじゃなくて、前から思ってたんだけど紅薔薇さんちは古い温室。白薔薇さんちは銀杏の中の桜の木。紅白にはそんな象徴的な場所があるのに、何で我が黄薔薇家にはそういう気の利いたモノがないのよ」
「黄薔薇は令さま以来武道館だと思いますが」
「ダメよ、あんな酸っぱい匂いのするところ。私はもっとこうロマンチックとかそういうモノが欲しいの」
「お姉さまがそれを言いますか」
「何か言った?」
「いえ」
「どこかにないの? いかにも黄薔薇黄薔薇したステキスポットは」
「キバラキバラ、ですか。考えてみます」
「頼んだわよ」
次の日の放課後
「どう、どこか素敵な場所は見つかった?」
「はい。お姉さまと私の思い出の場所で、しかもキバラキバラです♪」
「菜々と私の思い出の場所? どこだったかしら」
「ご案内します」
中庭を挟んで薔薇の館とは反対側に位置する棟の、とある一室
「……何でここが私たちの思い出の場所なのよ?」
「お姉さまと私の運命的な出会いを象徴する場所です」
「へー、そう。で、黄薔薇黄薔薇は?」
「気張ら気張ら、です」
「オマエハアホデスカ! 何が悲しくてこんな所でデートしなきゃならないのよ!」
「デート……。最初からそう言って下されば」
「何だと思ってたのよ、全く」
「お姉さまのことですから密談謀議の場所かと」
「あなた私のこと何だと思ってるの」
「でもほら、ここからだと薔薇の館がよく見えますよ」
「ほんとだ。丸見えだわ」
「誰か来たようです。あれは……紅薔薇さまと瞳子さまですね。はい、お姉さまの分です」
「あら、気が利くわね。……じゃなくてあなたいつもオペラグラスなんか持ち歩いてるの?」
「あ、ほらほら見て下さい!」
「うわっ! 誰もいないと思って何やってるのよ、あの二人は」
「……すごいですね」
「……すごいわ」
「どうです。お気に召しましたか?」
「う〜ん、でもやっぱりちょっとね。なんか匂いそうだし」
「そう思って各種取り揃えておきました」
「へー、こんなに色々種類があるんだ。あ、私これにしようっと。って芳香剤じゃない!」
「温室だって肥料の匂いが充満してますし、銀杏の中の桜の木はシーズンになればギンナン臭に包まれます。でもここなら掃除も行き届いてるから、深呼吸したって平気ですよ」
「しないわよ、こんなとこで! やっぱりイヤなものはイヤなの!」
「私はお姉さまと一緒ならどこでも楽しいんですが」
「だからって何もこんなとこ」
「お姉さまは私がキライですか?」
「な、何よいきなり。そんな訳ないじゃない」
「じゃあスキですか?」
「……スキよ」
「ならここでいいですよね♪」
「菜々がそう言うんなら……、
っ て い い 訳 あ る か ! ト イ レ な ん て !! 」
※この記事は削除されました。
祐巳さま。
今日は本当に申し訳ありませんでした。
もしあの時蔦子さまが居られなければ、私、祐巳さまに大変なご迷惑をお掛けするところでした。
もちろん蔦子さまが居られた実際でも、祐巳さまには多大なご迷惑をお掛けしてしまったと思っているのですけれども、それ以上に。
今思い返すと背筋の凍る思いです。
有るまじき失態、許されざる暴挙をどうかお許し下さい。
中々具体的な物品をお貢ぎする機会には恵まれず、今日のミルクホールでは正に千載一遇の機と張り切ってしまったのです。
手ずからみずからお渡しすることが出来なかったことは非常に悔やまれるところでありますけれど、どうか、寛大なるお慈悲にて合わせてお許し下さいませ。
かようなことを認めながらも、私は祐巳さまならば快く許してくださると信じております。
紅薔薇のつぼみであり、天使のような祐巳さまですから、私のような小さきものの振る舞いに憂苦されることとも思えません。
しかし小さきもの、と言う言い回しも私には少し間抜けですね。
大きもの、と言い換える愚挙こそ間抜けではありますけれど。
祐巳さまのご慈愛に授かることが出来る私達、今年度の一年生は本当に幸せなのだと思います。
私はこの幸福と幸運、そして祐巳さまの栄光を今まで欠かさずお祈りして参りましたが、これからも一層強くお祈りし続ける事をここにお誓い致します。
〜 〜 〜
はっ。
細川可南子は一度大きく息を吐き出すと、絶望的な夢想の詰まった眼前の手紙を放った。
ひらりひらりと宙を舞ったそれは程無く落ち、彼女が読み耽っていたそれ以前の手紙を重ねた紙山の天頂にふさりと乗る。それで少し山が崩れた。
崩れた山が滑稽で、書き記した己が無様で、可南子は薄ら笑った。
自室の机の上に積まれた紙の山は、その前で項垂れる彼女の過去履歴。
それまで――正確には数日前までに彼女が連日書くだけ書いては送る、或いは手渡すことが出来なかった同校の先輩福沢祐巳へ宛てた手紙だった。
毎日書いては封筒に入れていたため、殆ど日記に近くなっていた手紙達。
彼女の幻想が小笠原祥子さまと祐巳さま自身にて跡形もなく崩された瞬間、投函される瞬間を今か今かと待ち続けていたそれらの手紙は一斉に死滅した。
あらゆる意味でその存在意義を失ってしまった。
可南子が最もその件で腹立たしく思っているのが、その意義を失わせた一端をあの忌々しい祥子さまが担ったと言うことだ。
祐巳さまに対して分別も弁えず、姉であるというただ一つの事実に憮然と乗っかっていた彼女を可南子は認めることは出来ないでいた。
可南子はそれこそ心底に、祥子さまのことが嫌いだった。
出来ないでいた。嫌いだった。過去形。
祐巳さまが消えてなくなられて、可南子の羨望は行く先を無くしている。
今や手紙に記されているような天使はもう居ない。
突然別の人間に摩り替わってしまった今の祐巳さまになど、可南子は何の感動も持たない。
だから当然、それに紐付く金魚の糞にも等しい祥子さまにも一切の興味を失う、筈だった。べきだった。
けれど可南子は嫌悪に顔を顰めて口走る。
「忌々しい」
可南子の視線は以前として手紙の山に向いている、けれど見詰めている対象はそれではない。
脳裏にまざまざと蘇るは、前日彼女が学園正門前で受け取った学園新聞の一面写真。
花寺学園祭での一幕だと注釈が書かれていたそれは、祥子さまが祐巳さまを内包したパンダの着ぐるみを愛しそうに見詰めている光景だった。
昇降口に設置されていた公用のゴミ箱に投げ捨ててしまったので、今可南子の手元にそれはない。
無いけれど、あの写真だけは恐るべき再現性を持って頭の中に残っていた。
あの表情に見覚えがあった。
それは毅然とした紅薔薇さま、黄薔薇さまと並んで今年度の全校生徒を事実上先導している生徒会長としての顔では、ない。
小笠原、と言う可南子は勿論祐巳さまのお家とも歴然とした溝を持った場所にある家柄の娘としての顔でも、ない。
あれは姉の顔だ。
悔しくも長く祐巳さまとその周りを観続けていた可南子だから判る、祥子さまの安心し切って愛に満ちたあの顔は姉の顔。
祐巳さまに対して特定の瞬間にだけ見せる、傍の同性をも魅せるあの顔は一度観れば早々忘れられるものではなかった。
椿組のみならず、多くの有象無象は祥子さまがパンダに目を細めていると見ていたようだが、そんな事は決してない。
あの祥子さまが、潔癖と断固が制服を来て歩いているような紅薔薇さまが、パンダに心奪われるなどと言うことは天地がひっくり返っても有り得ないことだ。
だからあの写真に写った祥子さまが観ているのは、間違いなく祐巳さまだ。
パンダの着ぐるみに包まれた祐巳さま本人を、祥子さまは観ているのだ。
そこに存在するのは確かな絆。
祐巳さまと祥子さまの間に強く硬く結ばれた、信頼もしくは親愛と言う名の依存関係。
人間の祥子さまが、人間の祐巳さまと手を繋いでいる。そんな姿にもあの写真は見えた。
そしてパンダの内側から、きらきらした瞳を祥子さまに向けて泣き出しているような祐巳さまの幻視。
それが観えるくらいには祐巳さまのことが好きだったも可南子には、それが本当に堪えた。
だから。
だから。
「忌々しいっ」
だん、と机を叩いて可南子は再び漏らす。
温室で裏切られて理不尽にも叱責されたあの瞬間から祐巳さまは消えられ、祥子さまも殆ど同時に視界から消えた。
だと言うのに、この苛つきは何なのだ。
祐巳さまなんてもうどうでも良い。居ようが居まいが、そんな事は路傍の雑草の命運にも等しいのだ。
けれどあの祥子さまの顔が忘れられない。
あの顔は決して今の可南子には出来ないだろう。
恐らくは過去の可南子にもそれは叶わない。
どうでも良い人と更にどうでも良い人が信頼し合い、親愛を寄せ合っている。
その事実が酷く可南子の胸を穿った。
可南子は祥子さまへの興味を失うどころか、結局胸のうちにその嫌悪感だけをはっきりと残してしまっていた。
そしてそれは、祐巳さまのことがどうでも良い、と。
思うこと自体にも失敗している事を心のどこかが告げているのだった。
それもこれも、今日になって突然「話をしたいんだけれど」なんて祐巳さまが一年椿組に来たからだ。
不恰好にも上級生のお姉さまを気取ってありもしない威厳を何とか取り繕って。
あの姿に比べれば、昨日の放課後に昇降口で口論を演じた瞳子さんの方が余程毅然としていた。
そう、その姿に祥子さまの幻影を重ねてしまうくらいには。
〜 〜 〜
「あら可南子さん、今日はもうお帰り?」
放課後、昇降口を正門に向けて出たところで可南子の神経を逆撫でする声が背後から掛けられた。
振り返らずとも判る、明らかに修練を重ね得たのだろう発声の良いメゾ・ソプラノは可南子の知る限り一人しか居ない。
知りたくも無い相手でもあるけれど、と振り返った可南子は嘲笑った。
「ごきげんよう、瞳子さん」
笑みを張り付かせて顔を向けたことが気に障ったのか、腕を組んで踏ん反り返る松平瞳子さんは眉を寄せる。
小さな背に高圧的な仕草。
そのギャップはいつ見ても可南子の口元を歪ませた。
「薔薇の館へのご奉仕はどうされたのかしら? 今日は薔薇のお姉さま方、花寺学園祭の事後処理でお忙しい筈ですけれど」
可南子が山百合会幹部の妹でも無いにも拘らず、甲斐甲斐しく薔薇の館へ通っていることは一年椿組の者なら誰でも知っている。
正確には注目を浴びている薔薇の館のこと、一年椿組に限らず可南子の存在は良く知れていることだろう。
なれば、事務処理の忙しい今日こそお手伝いに向かわなければその意味も無い。
にも関わらず帰ろうとする可南子を詰るようにか、それとも愚直に薔薇の館へ向かっていた過去の可南子を貶すようにか、邪に笑って瞳子さんはそう言った。
「そうね、でもだから何だと言うの。もう私には関係ないことよ」
けれど可南子はそれを一言で両断する。
あの祐巳さまの居ない薔薇の館など可南子にとって何の意味もない。向かえと言うのは最早拷問の域だ。
「何ですって」
瞳子さんの綺麗に整った眉がきりりと吊りあがる。
組んだ腕も解かれて、余程意外な言葉だったのかいつもならポンポンと続いて飛んでくる皮肉の一つもなかった。
「用はそれだけかしら。私はあなたと違って暇じゃないのよ」
そう言ってくるりと踵を返すと、「ま、待ちなさい!」と制止する声が聞こえて顔だけ向ける。
目の前に落ちた横髪の向こうで、瞳子さんが手を前に差し伸べた仕草で固まっていた。
「関係ない、って何ですの。今まで散々紅薔薇のつぼみの賛美を暇があれば口にしていたのに」
「それこそそれ以外の言葉を知らないようにね」と嫌味たっぷりに続けた瞳子さんの口振りに、可南子はふうんと気怠げに息を吐く。
言った。
「紅薔薇のつぼみ……祐巳さまのこと? 別にもう」
そこで言葉を切って歩き出そうとした可南子だが、背後から突き刺すような視線と憎悪にも殺意にも思えた恐るべきオーラに当てられて足を止める。
一介の女子高生が向けることが出来る気迫ではなかった。流石は演劇部と言う所だろうか。
溜息を一つ落として、再び顔だけ振り返らせた可南子は続けた。
「もう、どうでも良いのよ。あんな人」
そう告げるや否や、だんだんと足音を高らかに響かせて瞳子さんは可南子の背を追う。
そのまま掴み掛からんばかりの勢いだったけれどそこは松平の瞳子さん、きっちり可南子の背から一歩離れたところで歩みを止めた。
「こっちを向きなさい」
顔だけ向けていることが気に食わなかったのか、瞳子さんは先ずそう言った。
当然の如く無視する。
「こちらを向きなさい!」
すると、一層荒げた瞳子さんの声が昇降口に響いた。
偶然にも人通りが少なくて安堵する。これがもし下校のラッシュ時間などであれば下らない、心から下らないかわら版の編集者が寄ってくるところだった。
勿論、ラッシュに揉まれながら帰るなんてことを可南子がするはずも無いけれど。
渋々ながら振り返ると、瞳子さんは満足したように改めて腕を組んでみせた。
「あんな人、ですって。失礼が過ぎるのではなくて? 紅薔薇のつぼみ信奉者だったあなたはどこに行かれてしまったのかしら」
嫌悪感を隠しもせずに言い切った瞳子さんに可南子は首を振る。
可南子がどこかに行ったのではない。どこかに行って消えてしまったのは祐巳さまの方だ。
「どこかに行かれてしまったのも、失礼が過ぎるのも、全て祐巳さまの方よ。あなたが何も知らないだけ」
「何を意味不明な……またあなたは被害者面しようと言うのね」
可南子の反論に即座に切り替えした瞳子さんの言葉には、積年の思いが篭っているように思えた。
恐らくは常日頃からずっと思っていたことなのだ。だから”また”なんて彼女は言ったのだろう。
けれども。
「被害者面、だなんて粗暴なお言葉だこと」
くすくす哂って突付いてやると、瞳子さんは烈火の如く顔を真っ赤にした。
「話を逸らさないで頂けるかしら。ええ、良い機会だから言わせて頂きますわ」
そう前置きして、一息ついて、きっと睨み上げて瞳子さんははっきり且つ滑舌に言う。
「あなたはいつもそう。自分が正しい、自分の意に反することは反する方が悪い。被害を受けるのはいつも自分だ、周りは敵で一杯だ。世界の中心は自分だと信じて疑わないその考え方にはほとほと頭が下がります」
可南子は相槌も打たずに呆と聞いていた。
「それであなたが勝手に閉じ篭ってうじうじするのは結構。それこそ私達や薔薇のお姉さま方の目の届かない場所で独り蹲っていてくださいませ。でもそれなら寂しがって表に出てこないで下さいませんか」
ぴくりと可南子の片眉が上がる。
「寂しがって、ですって」と思わず問い返すと、瞳子さんは勝機を得たと言わんばかりに捲くし立てた。
「だってそうでしょう? あなたはあなたの中だけで世界を完結させようとしているのよ。いいえ、あなたの中だけで世界が終わってしまっているのね。だからその世界にはあなたしかいない。狭くて、息苦しくて、暗い世界にはあなたしか居ない。それに我慢ならなくなって、寂しさに耐えられなくなって外に目を向けるけれど、結局は悪態だけを吐いてまた内に篭る。そんなもの、玄関先に繋がれている良く吼える犬と同じですわ。通り掛かる人間に対して無意味に吼えかける馬鹿な犬とね」
「犬ですって……っ! 瞳子さん、 失礼が過ぎるのは一体どこの誰よ」
聞き逃せない単語に可南子は我も忘れて噛み付いた。
一瞬、その様こそ自分自身で繋がれている犬のようだと思ってしまったことが可南子の苛立ちを倍化させる。
「言ったでしょう、あなたは何も知らないの。私の気持ちがあなたにわかると言うの? 私の苦しみがあなたにその一部でも? 弱っている人を無遠慮に叩いて何が楽しいのよ。あなたも。祐巳さまも。紅薔薇さまもっ!」
「弱っている、苦しんでいるのはあなただけではないわ! そんな事も判らないで何を仰るの、思い上がるのも大概になさいませ。愚かしいですけれども敢えて、敢えて言わせて頂きましょうか、可南子さん――」
即座に切り替えした瞳子さんは言う。
その時、口調も背格好も全く違う瞳子さんの背後に、何故だか可南子は祥子さまの姿を見た。
「あなたは決して、世界の中心などではありませんのよ! あなたの正義が世界の正義などではありません!」
『思い上がるのもいい加減にしなさい。あなたがこの世界の法律ではないでしょう』
ぎり、と知らず噛み締めた可南子の歯が鳴る。
冷たい氷のような温室での顔。
暖かいお湯のような写真の中の顔。
そして傍らに祐巳さまを置いた祥子さまが可南子の脳裏で不敵に笑った。
「あなたにこそ」
背を向けて可南子は告げる。
それは完全な敗北を意味することだったけれど、これ以上の口論を続ける事は可南子に出来ない。
だけどせめて一矢、報いたくて可南子は言った。
「その言葉、そっくりお返し致しますわ。紅薔薇さまにもね」
世界の中心はあなたではない。
あなたがこの世界の法律ではない。
可南子を攻め立てる彼女ら二人にこそ、その言葉は相応しいと思ったからだ。
瞳子さんはもう追ってこなかった。
代わりに何故か祐巳さまが追ってきたけれど、可南子は逃げた。
〜 〜 〜
とは言え、結局祐巳さまからは逃げられなかった訳だ。
もっとも同じ学園に通って同じ校舎で授業を受けているのだから、そもそも逃げ切ることが出来る筈も無いのだけれど。
しかし、それでもお互いに一線を引けば隔絶することは簡単。
学年が違う為に廊下ですれ違う確率が少ない上に、山百合会の仕事で忙しい祐巳さまと帰宅部で暇な可南子は接点がそもそも存在しない。
だから可南子は二度と祐巳さまと触れ合うことは無いだろうと思っていたし、少なくとも可南子本人は触れ合いたいとも思ってはいなかった。
けれど祐巳さまは追ってきた。
可南子の背を。追いつける筈が無いのに、一年生に取り囲まれても尚追ってきた。
日が変わってもまだ追ってきたのだから、その執念たるや驚嘆である。
それは天使のように優雅な祐巳さまの所作では決してない。ああ、本当にもう祐巳さまは居られないのだなと帰り道では天を仰いだ。
でも。
『天秤ばかりが釣り合うくらいの罰ゲーム希望』
と顔を引きつらせて笑った祐巳さまの笑顔は、もう居なくなってしまった祐巳さまのそれと何も違わなかった。
愛嬌のある仕草と余りにも可愛らしいお顔。透き通るようなお声。
それは、今可南子が目の前にしている手紙が届けられる筈だった祐巳さまに違いなかった。
元の祐巳さまは宇宙飛行士になって火星に行ってしまった、なんて今の祐巳さまは荒唐無稽な事を仰ったけれど、やはりそこに居たのだと今になって思う。
思えば、可南子が思いを込めて手紙を書き始めた祐巳さまはそんな祐巳さまではなかったか。
最近、祐巳さまはあんな笑顔を可南子に向けてくれていただろうか。
祐巳さまは本当に火星に行ってしまったのか。寧ろ火星から帰ってきたのではないか。
それを思い出そうとして過去の手紙を読み耽っていた可南子だが、そこに綴られていた言葉を追っているどんどんとまた”祐巳さま”が変わっていくのを実感する。
時折祥子さまや瞳子さんと一緒に現状を思い出さなければならない程に、手紙の持つ祐巳さまの化身は強烈過ぎた。
祥子さまが忌々しい。
瞳子さんが嫌いだ。
祐巳さまが――。
判らない。
判らないから手紙を読もうとしても、結局その手紙が向かう祐巳さまが判らない。
可南子はそこで溜息を一つ付いて、決心する。
判らないものは判らないのだ。
何時までも思い悩んでも仕方がない、目の前の手紙に答えがないならきっとどこを探しても答えはないのだから。
だから、もう一度書いてみよう。
手紙を書き始めた頃を思い出して。
今日の出来事と、今日の祐巳さまとのことだけを頭に描いて。
フラットに。
フラットに。
いつか、本当に手紙を渡す時が来るかも知れない。
その時に手渡す手紙に、恨み辛みが延々と続いているのか。
それとも過去のように賛辞が果てしなく刻まれているのか。
今の時点では判らないけれど、その時の事を思うと頬が少しだけ、揺るんだ。
祐巳さま。
罰ゲームの内容を考える以外にも、この先楽しみなことがまた一つ増えた気がします。
そんな書き出しから始まった新たなる手紙は、可南子にとって意外にもすらすらと書き綴ることが出来た。
それまでの手紙には殆ど全く乗っていなかった、祐巳さまへの不満や冗句が混ざったその紙面。
読み返して微笑んだ可南子の表情は清々しくも晴れ渡っていた。
「祐巳、今までありがとう。これからは私、新しいパートナーと共に過ごして行くから」
「いいえ、こちらこそありがとうございました。お幸せに」
「でも、私とあなたは、ずっと姉妹ですからね」
「はい、もちろんです」
ここは新婦の控え室。
純白のウェディングドレスで美しく着飾った小笠原祥子を、涙を浮かべて見つめる祐巳。
祥子は、祐巳をそっと抱いてやった。
「祥子、ここにいたのか」
新婦を迎えにきた新郎。
彼の姿は、坊ちゃん刈りに眼鏡という、今では滅多に見かけない優等生ルック。
「正念さん」
「へ?」
驚いた祐巳。
そう言えば、相手の名前を聞いていなかった。
てっきり銀杏王子とばかり思っていたのに、現れたのは意外な人物。
「あ、祐巳ちゃん。来てくれたんだね」
弟の祐麒と同級生だった、小林正念。
彼が祥子の結婚相手とは、これは夢か?夢なのか?
「あれ?祐巳ちゃん聞いてなかったのかな?」
「私、正念さんと結婚するのよ」
「なななななんですとー!?」
あたふたする祐巳。
「私、今日から小林を名乗るのね」
「そうだね祥子。君は今日から小林…」
「止めてーーーーー!!!!」
控え室に、祐巳の絶叫が轟いた。
「はっ!」
でろーと涎を流しながら、身を起こした祐巳。
ここは薔薇の館。
一人だけだったので、誰かが来るまで待っている内に、どうやら寝入ってしまったらしい。
「ああ、やな夢見たなぁ…」
「どんな夢なの?」
「お姉さまが、小林君と結婚する夢です」
寝ぼけているのか、周りの様子に気付いていない祐巳。
祥子以外も、みな興味津々と聞き耳を立てている。
「ふ〜ん、それで?」
こめかみに血管を浮かべ、冷たい声音で問う祥子。
「それでお姉さま、名前が変わってしまうんです」
オチは既に祥子にも読者にも見え見えだが、書かないわけには行かない。
「どんな?」
「こばやしさちこ」
※この記事は削除されました。
※この記事は削除されました。
※この記事は削除されました。
【No:843】朝生行幸さんにのせられて
「祐巳、今までありがとう。これからは私、新しいパートナーと共に過ごして行くから」
「いいえ、こちらこそありがとうございました。お幸せに」
「でも、私とあなたは、ずっと姉妹ですからね」
「はい、もちろんです」
ここは新婦の控え室の隣。小笠原祥子は純白のウエディングドレスを着付けている最中だった。
お姉さまを着替えを手伝ってあげながら純白のウェディングドレスで美しく飾られていく小笠原祥子を、涙を浮かべて見つめる祐巳。
祥子は、祐巳をそっと抱いてやった。
「祐巳、ここにいたのね。」
「桂、肝心な時にどこへ行ってたのよ。もう着替え、終わるわよ。」
「なに言ってるの。ほら、祐巳がベールを店に忘れていったからあわてて取ってきたのよ。」
「あーごめんごめん。」
「ふふふ、あいかわらずね。祐巳を置いて結婚してしまうのが心配になってしまうわ。」
「お姉さま、そんなことありません。桂さんがいてくれますから。」
「そうね。これからも祐巳をよろしくおねがいしてよ。桂さん。」
「は、はい、祥子さま。」
そう、祐巳と桂の二人は、一緒にウエディングドレスのデザイナーブランドを作って、このホテルに店を構えているのである。
各界が注目する小笠原家のお姫様の結婚式は、祐巳と桂の最初の大仕事だった。
「祐巳が作ってくれたウエディングドレスで結婚式なんて、夢みたいだわ。」
「ありがとうございます、お姉さま。」
「祥子さま、できました。それではまた控え室へ。」
「ありがとう、桂さん」
廊下へ出ると、すぐ前に祐巳と桂の店のガラスドアが見える。
店の名前は……
「はっ!」
気がつくと突っ伏して寝ていた祥子。
ここは薔薇の館。
一人だけだったので、誰かが来るまで待っている内に、どうやら寝入ってしまったらしい。
「ふう、私はだれと結婚するのかしら。せっかくだからそこまで見せてくれればいいのに、夢も気が利かないわね…」
なんか勝手な文句を言っている。
「どんな夢をみたの? 祥子」令が聞く。
「結婚式なんだけど、だれと結婚するかわからないうちに目が覚めちゃったわ。」
「花寺の小林君じゃないだろうね。」
「はあぁ? どうして小林君なのかしら?」
「いやその、なんでもない。」
「ね、祐巳が桂さんと一緒に店を開いていて、ウエディングドレスを作ってくれたのよ。」
「私がお姉さまのですか。それは夢でもうれしいですけど、桂さんと?」
あ、それって。オチは鈍い祐巳にもわかったけれど、お姉さま相手に怒るわけにはいかない。
「それで、そのショーウインドウに書いてあった店の名前は?」
「桂ゆみ ブライダルセンター」
※この記事は削除されました。
それは、私と祐巳さん、志摩子さん、由乃さんが楽しくお喋りをしている時の事。
祐巳さんが「そういえばビッグニュースがあるんだよ」と言いながら、私の事を話し出したの。
「え? 桂さんがテニスで都の代表に選ばれた?!」
由乃さんが大げさに驚いている。
・・・・・・ちょっと失礼じゃなくて?私が代表に選ばれるのが、そんなに不思議?
「そうなの。何でも首都圏の一都六県でそれぞれ何人づつか代表を出し合って、交流戦を行うらしくてね。そこに桂さんの名前が上がったんだって!」
祐巳さん、まるで我が事のように喜んでくれているのね。やっぱり私達、親友よね!
「へー・・・」
何よ由乃さん。リアクション薄いわね。もう少し驚くとか喜ぶとかしてくれても良いじゃない!
「桂さん、どこかの大会で優勝なさったの?」
志摩子さん、あなたやっぱり良い人だわ。どっかのイケイケと違って私に興味を示してくれるもの。
でも、せっかく期待の眼差しで見つめてくれてるとこ悪いんだけど・・・
「今回はテニス連盟が“将来性のある選手”に大舞台を経験させて、選手の成長を促す趣旨なんだって!」
そう、祐巳さんの言うとおり。今回は代表に“指名”されたのよ。
「じゃあ、別にトーナメントを勝ち上がったとかじゃないんだ・・・」
うっ! 痛いトコ突くわね由乃さん。・・・それを言われると・・・・・・ え〜と・・・
「もう! 由乃さんたら! 将来性があるって連盟に認められたって事は、“将来有望”って事じゃない! 」
そうよ祐巳さん! さすが紅薔薇の蕾! この「そんなんどうでも良いわ」って顔してる人に、もっと言ってやって言ってやって!
「ふ〜ん・・・」
・・・ふ、ふ〜んて由乃さん。
「まあ、頑張って」
“まあ”って? ・・・ 何か引っ掛かる言い方ね。でも一応応援してくれてる・・・・・・のかな?
「え、ええ。頑張るわ。応援してね?」
私は精一杯笑顔を作り、由乃さんに微笑んでみた。
多少引きつってたのは仕方ないわよね?
「うん。でも、過度の応援はプレッシャーになりかねないから、応援は祐巳さんに任せとくわ」
・・・・・・このアマ。遠回しに「メンドクサイからヤダ」って言いたいのか?
「大丈夫だよ由乃さん。桂さんならきっと大舞台で活躍してくれるよ!」
ああ! 祐巳さん! あなただけよ、私の心の友は。あなたは薔薇の館の住人になっても変わらぬ友情を持ち続けてくれると信じていたわ!
どっかのブレーキの壊れた軽自動車とはエライ違いだわ!
「そうね、応援するわ」
志摩子さん!あなたも心の友と呼ばせてもらうわ!
「・・・心の中で」
そう!心の中で・・・って、 え? 心の中だけ?
・・・何だか志摩子さんの微笑みが「嘲笑う顔」に見えるのは気のせいかしら?
気のせいよね?!
「もう、志摩子さんまで・・・ 一緒に大会見に行こうよぅ!」
「え、どうして?」
「どうしてって・・・・・・」
おいコラ銀杏。クラスメイトの応援に行くのがそんなに不思議か。
「だからそれは祐巳さんに任せるってば」
黙れ改造人間。さてはあなた、自分が剣道で活躍できないからってひがんでるわね?
「二人ともヒドイよ! 桂さんは絶対に活躍するんだから!」
祐巳さん・・・ ありがとう。たとえ根拠の無い発言でも嬉しいわ。
「何でそう言いきれるのよ。根拠は何?」
聞くな!三つ編み! 悲しくなるから!
「そうよ祐巳さん。絶対無理な期待は、桂さんのためにならないわよ?」
・・・・・・志摩子さん。あなたの崇拝してる神様って暗黒神か何か?
「根拠って言えるかどうか判らないけど・・・ 桂さんはね、紅薔薇の系譜に連なる人だと思うの」
・・・え?
祐巳さん、それ私も初耳なんだけど・・・
『はあ?ありえないわよ祐巳さん』
そこ! ハモるな!笑うな!呆れるな!!
「いいえ、私は桂さんを見て思ったの! 桂さんは・・・桂さんはロサ・キネンシスの資質を持つ人だって」
『えぇ〜?』
だからハモるなっつってんでしょ! そこの半笑い二人!
「桂さんは“ロサ・キネンシス・ビリディフローラ”なのよ」
『ビリ?』
イヤな部分だけ反応するな。
って、祐巳さん・・・
「その“ビリディフローラ”って何よ?」
そうよ、由乃さんが不思議がるのも無理無いわ。なんせ言われた私自身、初めて聞く名前ですもの。
祐巳さんは、由乃さんに優しく微笑むと、花壇の一角を静かに指差した。そこには・・・
『・・・・・・葉っぱ?』
そうね、葉っぱしか見えないわ・・・ 祐巳さんはいったい何を指差したんだろう?
私達3人の疑問の視線を受けて、祐巳さんは語り出した。
「ロサ・キネンシス・ビリディフローラ。グリーンローズよ」
『グリーンローズ?!』
緑色の薔薇なんてあったんだ・・・ ああ、良く見れば花弁らしき形の部分があるわね。
「ああ!」
え? 何?由乃さん、「ああ!」って。いきなりポンと手を打ったりして。
「目立たないって事ね?」
「な!・・・」
「なるほど。花が咲いたかどうかすら解からないほど地味だと・・・」
「志摩子さん?!」
『上手い事言うわね祐巳さん』
「二人とも何感心してるのよ!!」
何? 結局は祐巳さんも私を馬鹿にしてくれたって事?
「確かに目立たない地味な存在かも知れない」
肯定しやがったな?! このタヌ・キネンシス!!
「人の手があまり入っていない、原種に近いオールドローズだし」
・・・ほう? 古臭くて野暮ったいと言いたいのね? そうなのね?!
「でもね?このビリディフローラは品種改良に使われ、他の薔薇に四季咲き性をもたらし・・・」
判った、判ったわよ。良〜く判ったわよ祐巳さん。(もはや聞いてない)
「現在のハイブリッド・ティー・ローズ(四季咲き大輪)へと連なる・・・」
あ な た も 敵 ね ? (まるで聞いてない)
「言わば“縁の下の力持ち”的な・・・ って桂さん、どうしたの?いきなりラケット取り出して」
「祐巳さん」
「ん?何?」
「私ね、今度の交流戦のために、新しいサーブを開発したの」
「あ、そうなんだ。スゴイじゃない桂さん!」
「良かったら見てくれる?祐巳さん」
私の殺気に反応して、イケイケと銀杏が後退して行く。
・・・まあ良い。オマエラは後回しだ。
「うん!是非見せて!」
「それじゃあ、さっそく・・・」
まずはこの食肉目イヌ科タヌキ属タヌキを血祭りに上げてから。話はそれからだ。
「桂さん?こんな近くじゃ危な・・・」
私はタヌキの言葉に耳を貸さずにトスを上げる。
口元には自然と笑みが浮かぶ。今から獲物を仕留められる喜びを隠しきれなかったから。
「ちょ! 待って・・・」
喰らえ!! 渾身の・・・
『ん゙あ゙ぁっ!!!』
ゴ ッ シ ャ ァ ァ ァ ァ ッ ! ! !
私の真・必殺サーブ、ボールの後からラケットが飛んでくる「フルスイング☆死なばもろともDX」を喰らい、タヌキ・ザ・ツインテールはキリキリと鼻血を撒き散らしながら5mほど吹き飛んだ。
フッ・・・ 私の逆鱗に触れるからこうなるのよ? 祐巳さん。
「やあねぇ。何でテニスってサーブする時、野太い奇声を発するのかしらね」
「あんたに言われたくないわよ剣道部!!」
「きっと根が下品なんだわ」
「何だとぉ?この狂信者ぁ!!」
逃げ出した二人を追い、私はかつて無いスピードで追跡を開始した。
ぜ っ て ぇ 逃 が さ ね ぇ
この後、ロサ・キネンシス・ビリディフローラなんてふざけた仇名は定着しなかった・・・ いや、させなかったが、「タヌキ狩りの桂」というちょっとマタギちっくな二つ名が、卒業まで私に付きまとったのだった。
〜終〜
『ロサ・キネンシス・ビリディフローラ』
中国原産のコウシンバラと呼ばれるロサ・キネンシスの系統。18〜19世紀にヨーロッパへ渡ってきたチャイナローズ。
四季咲き性等のさまざまな優れた特質を園芸品種の薔薇にもたらした立役者。
現在のハイブリッド・ティー・ローズ(四季咲き大輪)の始祖とも言える、言わば“縁の下の力持ち”的な薔薇である。
姿形に派手さは無くとも、その資質はさまざまな薔薇に受け継がれている。
・・・別に地味で忘れ去られそうな薔薇の代名詞では無い。決して。
「かしらかしら」
「お暇かしら」
とある放課後、乃梨子が図書館で首尾よくゲットした『銀杏料理百選』を手に教室に戻ってくると、教室からそんなふわふわした声が聞こえてきた。
思わずドアに手をかけたまま、動きを止める乃梨子。正直、あのふわふわコンビは苦手だった。あの二人に瞳子と、中等部の子を加えると、化学反応を起こしてなんか手のつけられない集団に早変わりするのだ。
「ホラホラ、紅薔薇のつぼみの妹候補のお友達さま方、のんびりふわふわしている場合じゃないですよ」
「そうですわ、美幸さん、敦子さん。ところであなた、その、紅薔薇のつぼみの妹候補というのは止めてちょうだい」
教室の中からは、案の定中等部の子と瞳子の声が聞こえてくる。乃梨子は「あちゃあ」と額を押さえた。どうしよう、鞄は教室の中である。
「かしらかしら」
「ふわふわなんてしていないかしら」
「いえ、してますから。紅薔薇のつぼみの妹候補って呼ばないでと言っている妹候補のお友達さま方」
「ですから……いえ、もう良いですわ。話が進みません、お好きなようにお呼びなさい」
「了解です、紅薔薇のつぼみの妹(仮)さま」
うあ〜、あの子も言うわねぇ、と乃梨子は耳をそばだてて教室の中の様子を伺いながら苦笑した。瞳子がひとしきり騒いで、ようやく話が進む。
「――とにかく。青春の貴重な一日を無為に過ごすなど、人生に対する冒涜ですわ。私たちには無駄な時間などありませんのです」
「かしらかしら」
「瞳子さん素敵かしら」
「そう思うなら、とっとと紅薔薇のつぼみの妹に――」
「シャラップ! その議論はそれこそ時間の無駄ですわ! 時間は貴重なのですわ。さぁ、可南子さん」
瞳子の呼びかけに乃梨子はちょっと驚いた。瞳子が天敵である可南子さんと放課後に教室に残って仲睦まじくしている、なんて。一体どういった風の吹き回しだろう。
首を捻った乃梨子は、ふといや〜な予感に囚われた。
「ではこれより――第128回青田買い同好会ミーティングを開始します」
やっぱりか、と思いつつ。
乃梨子はがっくりとその場に膝を着いた。
「かしらかしら」
「スピニングターンかしら」
「ダメですわ! 美幸さん、敦子さん、そんなキレのない動きでは乃梨子さんのツッコミは引き出せませんわ! もっと鋭く! もっと優雅に朗らかに!」
「か、かしらかしら」
「め、目が回るかしら……」
教室の中からは、そんなやり取りが聞こえてくる。
「紅薔薇のつぼみの妹(未定)さま! これ、どうですか? 新しい団員ハチマキなんですけど」
「む……中々素晴らしいデザインですわ。この中央のハリセンロゴに『乃』の字なんて、センス抜群ですわね。会長、会長! いかがですか?」
「採用。乃梨子さんなら速攻でクルわね」
なにやら以前のタスキに引き続き、ハチマキが標準装備されそうである。
「か、かしらかしら」
「わ、わたくしたちいつまで回っていれば良いのかしら〜」
「後10分よ! 乃梨子さんのツッコミ待ちの道は険しいのですわ!」
「かしらかしら〜〜〜〜」
「頑張るかしら〜〜〜〜」
どんがらがっしゃん、と誰かが(恐らくふわふわコンビが)机をなぎ倒す音が聞こえてきたところで、ようやく乃梨子はのろのろと立ち上がった。
貴重な時間がどうのこうのと言っておきながら、放課後に集まって何をしているのか。
もっとこう、あるだろうに。正しい時間の使い方ってやつが。
しかもコレ、128回とか言ってたし。
「――ったく、アホかと」
呟きながら、乃梨子は付き合ってられないとばかりにドアを勢い良く開けた。
教室の中が、シーンと静まり返った。
わざわざ教室の隅に机を寄せて、練習場(?)を確保していた5人が、驚いたような表情で乃梨子を見ている。
さて、どうしようか……と乃梨子が思ったところで、先に動いた人物がいた。
「か、かしらかしら」
「出番かしら」
「かしらかしら」
「スピニングターンかしら〜〜〜〜〜!」
くるりくるりと回りながら、美幸さんと敦子さんが乃梨子に突進してきた。ところどころボロボロなのは、多分先程机に突っ込んだ後遺症だろう。
「かしらかしら」
「ぐるぐる回るかしら」
くるくる周囲を回る二人にげんなりしながら、乃梨子はそっと残り3名の様子を伺った。
3人は揃って美幸さんと敦子さんに「頑張れ!」みたいな視線を向けている。
「か、かしらかしら」
「三半規管が悲鳴を上げているかしら〜〜〜〜」
ふらふらしながらも回り続ける二人に、乃梨子は軽く溜息を吐いた。ここまで健気に回られると、なんか無下にも出来やしない。
「だったら止まれヨ……」
疲れたような乃梨子のツッコミに、二人がパァッと顔を輝かせる。
様子を見守っていた3人も同様だ。
「あら、乃梨子さん。珍しいですわね、放課後はいつも薔薇の館に直行ですのに」
瞳子が中等部の子に目配せをしながら乃梨子に話しかけてくる。合図を受けて中等部の子はハチマキをぎゅっと額に結び、こそこそと教室の後ろから出て行くと、そっと前の扉から入ってきた。
――って言うか、全部丸見えなんだけど、こいつらは気にしないのだろうか……?
「これはこれは、白薔薇のつぼみさま。ごきげんよう」
「……そのハチマキはなによ?」
「青田買い同好会のハチマキです」
「……それでなんで『乃』の字なのよ……」
「まぁまぁ、乃梨子さん、気にしてはいけません」
可南子さんの声に振り返ると、案の定可南子さんもしっかりハチマキを巻いていた。
「可南子さんもかよー」
ちょっと投げやりながらも、乃梨子は頑張ってツッコミを入れる。
まぁ、なんだ。放課後、せっせと練習しているバカ集団に敬意を込めて。
「なんだか今日の乃梨子さんはツッコミにキレがありませんわ……」
呟く瞳子に、乃梨子は思う。
無茶言うな、と――