黄薔薇革命もひと段落し、あとは二学期の期末テストを待つばかりとなった冬の事。
江利子は受験も控えている事だし、本来授業に集中しないといけない時期なのだが、どうしても一つの邪心を払うことが出来ないでいた。
―――もしも祐巳ちゃんが私の妹だったら―――
そう、もしも妹が祐巳ちゃんだったらまた違った楽しさがありそうで、最近暇さえあればそんな事を考えているのだ。
聖が夢中になるのも分かる。あのコロコロ変わる表情に、ぴよんぴよん跳ねるツインテールを眺めてるだけでなんだか和むのだ。
もうすぐテストに入る。テストが終われば冬休み。そして江利子も本格的に受験勉強に打ち込まなくてはならないだろう。
つまり、祐巳ちゃんを妹にするにはテスト前の今しかないという事だ。
(だったら今日しちゃえばいいじゃない)
という事で、江利子はついに授業そっちのけで今日の放課後のお茶会で、祐巳ちゃんを是が非でもゲットする作戦を立てだした。
成績上位の江利子が真面目にノートに何か書き込んでいれば、まず先生によそ事をしているのではないかという疑いはかけられなかった。これも日ごろの努力の賜物だろう。最も、努力した事なんてほとんどないのだけれど。
「よし」
完成。我ながら完璧な作戦だ。
今はまだ2限。放課後が待ち遠しくてしょうがない。
「ごきげんよう。あら?祥子だけ?」
「ごきげんよう黄薔薇様。今は私だけですわ」
「そう。丁度いいわ、相談があるんだけど」
「なんでしょう?」
髪を掻き分け、祥子は江利子に向き直った。
「祐巳ちゃん頂戴」
「はっ?」
よっぽど驚いたのか、祥子は目と口を大きく開いて少し上ずった声で反応した。
「だから、祐巳ちゃんを私に貸して頂戴」
「な、何故ですか?」
「祐巳ちゃんが可愛いから。一日でいいわ。私の妹としてレンタルさせてくれないかしら?」
「何を馬鹿な事おっしゃってるんですか。そんなの無理に決まってます!」
まぁそうなるだろう。でもこんなのは想定の範囲内。
江利子は今日考えた秘策1を繰り出すことにした。
「どうしても・・・駄目?私ももうあと期末テストを終えれば受験生になって受験勉強に本腰を入れないといけなくなるわ。そうしたらもう今みたいに祥子や皆とこうしてお茶会なるものを一緒に出来なくなるわね。残念だわ。私が自由でいられるのはもう今しかないのよ。だから、このリリアンに後悔を残したくないのよ。別に祥子から祐巳ちゃんを奪おうという気では無いのよ?私はただ、この去り行くリリアンを違った視野で、そして違った世界を味わってみたいだけなの。。私のわがままだっていうのは分かってるわ。でも、祥子さえよければ一日祐巳ちゃんを貸して欲しい。それだけなの」
さらにここで追い討ちとばかりに少し潤んだ瞳をしてみせた。
「・・・・・・まぁ、一日だけだったら・・・」
「本当に?」
ちょろいちょろい。いくら祥子でも、卒業生の最後のお願いには逆らえないだろう。
「ただし。祐巳がなんというかは分かりませんからね」
祥子は顔をしかめて悔しそうに言った。勿論これは、結果が読めているからであろう。
「えぇ!勿論その通りよ!」
これでもう祐巳ちゃんはゲットしたも同然だろう。
「ごきげんよう皆様」
そうこうしてるうちに、祐巳ちゃんと志摩子が入ってきた。
よし、最大の難敵が来る前にさっさと祐巳ちゃんも同意させるとするか。
「ねぇ祐巳ちゃん?」
「はい?何でしょう?」
ぴょこんぴょこん。今日も祐巳ちゃんのツインテールはぴょんぴょん跳ねている。
「お願いがあるんだけど。いいかしら?」
「はい。どうぞ?」
「私の妹にならない?」
「ふぇ?」
「一日でいいのよ。勿論祥子の許可も得てるわ。ねぇ?祥子?」
「えぇ・・・」
祥子はうつむいたまま返事した。それを聞いた祐巳ちゃんはどうしたらいいという感じで、さっそく百面相をしている。
その隣では顔色一つ変えず優雅にコーヒーをすする志摩子。
「何も気にしなくてよくてよ?祥子も祐巳ちゃんを嫌いになったとかじゃないの
。そうね、言うなら餞別という所かしら。去り行くお姉さまからの、最後のお願いだと思って聞き入れてくれないかしら?」
祐巳ちゃんはしばらく考える顔をし、その後祥子に目で合図を送った。
祥子は「仕方ないわ」という顔をし、祐巳ちゃんもそれに同意する形となり、敢え無く祐巳ちゃんの了承を得る事に成功した。
「いいこと?このことは蓉子や聖には秘密よ?」
それを言い終わった直後、残りのメンバーがぞろぞろ入ってきた。
ギリギリセーフというところだ。秘策をもっと考えておいたのだが使わずに済んだ。
最も、その秘策も蓉子相手には通用するかは不安だったから助かった。
「ごきげんよう黄薔薇様・・・じゃなくて江利子様」
「それも不正解。お姉さまでしょう?」
「さすがにそれは・・・」
祐巳ちゃんは周りをチラチラ見ながら言った。
「まぁいいわ。名前で簡便してあげる。さっ、いきましょう!」
校門で10分ほど待っただろうか。江利子の乗るバスとは反対方向のバスの中から、ゾロゾロと生徒が降りてきた。その中から祐巳ちゃん発見。
周りの生徒たちが、何事?という感じで皆こっちを見ているのだが、そんなものは無視して祐巳ちゃんの手を取り歩き出した。
「凄い視線を浴びてるような・・・」
「そりゃそうよ。本来私の妹は令で、貴方の姉は祥子なんだから。」
「はぁ」
「なーに?祐巳ちゃん?私が姉では不満なの?」
ため息をつく祐巳ちゃんに、江利子は足を止め向かい合い顔を近づけて言った。
「い、いえ!めっそうもございません!ただ、あまり注目されるのには慣れてなくってですね・・・」
「そう。時期に慣れるわ」
そういってまた祐巳ちゃんの手を取り歩き出した。
「ど、どういう事なの祐巳さん?ロ、黄薔薇様と一緒に登校してくるなんて!」
教室に入るや否や、桂さんが駆け寄ってきて聞いてきた。
それを見るや、クラスの皆もこっちをこっそり伺っている。
早速学校中の噂になってしまったようだ。
「ま、まぁ色々あって今日だけは江利子様の妹をしなくてはいけなくって・・・」
「色々って何?!」
桂さんは凄い勢いで聞き返してきた。そんな事言われても。
「あら祐巳さん。それに桂さんも。ごきげんよう」
「あ、志摩子さんごきげんよう」
「ご、ごきげんよう」
志摩子さんは同情するような笑みで
「祐巳さん。早速学校中の噂になってるわね」
「ええ。もう。こうして今も桂さんに尋問されてまして」
トホホ、とばかりに祐巳は答えた。
「なんだかよく分からないけど、祐巳さん自身困っているようだしこれ以上は聞かないでおくわ。ごめんなさいね、祐巳さん」
桂さんは祐巳に気を使ったのかはたまた冷めたからなのか、すんなり引いて、手でごめんってポーズを取って、他の友達の輪へと混ざって行った。
「どうなる事やら」
「頑張ってね。祐巳さん」
今回、唯一の被害者は間違いなく祐巳だろう。
「どういう事なの江利子」
「なんのこと?」
「しらばっくれないで、祐巳ちゃんの事よ」
「あぁ。今日は祐巳ちゃんが私の妹なのよ」
「あぁ。じゃないわよ。一体何を考えてるの?」
「別に。ただ楽しそうだったから?そんなに悪い事かしら?」
蓉子の尋問に対し、予想通りと相手にしない感じで答える江利子に、蓉子は痺れを切らして今にも怒鳴ろうかというときに
「まぁいいじゃない。聞くところによると、祥子も祐巳ちゃんも了承してるみたいだし。一日ぐらい変わってみるのもいいんじゃない?」
蓉子の肩に手を置き、ニコニコ笑って聖が割り込んで来た。
「あら?よく分かってるじゃない。次は聖がやってみるといいわ」
「言われなくてもそのつもりだよん。江利子も突拍子も無い事思いつくんだから」
笑い転げる聖と江利子。その姿を見て、蓉子は怒りを通り越して呆れた表情に変わり、「もう好きにしなさい」とぼそりと二人につげ、いそいそと自分の教室へと帰っていった。
「令!ちょっといいかしら?」
「なーに祥子?」
祥子は令を廊下の隅まで呼び寄せて話し出した。
「江利子様のことよ。令は平気なわけ?」
「あぁ。祐巳ちゃんのやつ?まぁお姉さまがそうしたいなら仕方ないわ」
「貴方江利子様の妹でしょう?もっとなんとか言ってやったらどうなの?」
「そういう祥子は何も言わなかったわけ?」
「そ、それは」
「一緒よ。私が何言っても無駄。お姉さまがやる気になったら、もう誰が何言っても無駄なんだからさ。私だって複雑なのよ。でもまぁ相手は祐巳ちゃんだし、一日ぐらいお姉さまが楽しめるなら黙って見ておくのもいいでしょ」
じゃ、もう授業始まるから。と令は立ち去っていった。
呆然と立ち尽くす祥子。妹の令がお願いしたら江利子様も考えを改めると思ったのだが、見事に当てが外れてしまった。
やっと昼休み。今日は周りの注目の的と成ってしまった祐巳は、新聞部の恐れもあるしそそくさと薔薇の館へと非難することにした。が、
「祐〜巳ちゃ〜ん!お弁当食べましょう!」
一足早く江利子様は祐巳の教室へやってきた。
「あ、あはは」
祐巳はもうただ笑うしかなかった。
祐巳ちゃんの手を引っ張って廊下を歩く。周りの一年生達が皆こちらを見ている。
今日は気分がいいので、サービスに手を振ってあげた。
恥ずかしがって隠れる子や、嬉しそうに手を振り替えしてくる子と色々いてなんだか楽しい。
「あの、江利子様・・・?結局どちらへ?」
「そうね、中庭でいただきましょう」
そうして、祐巳ちゃんと一緒にランチを頂くこととなった。
食べながら、祐巳ちゃんは家の事や弟の事、それから祥子との近況なんかを話してくれた。
二つ下の可愛い女の子と二人でランチをするなんて始めてだ。何もかもが新鮮で、なんだか晴れ晴れな気分になった。
でも妹を持ったという感覚とは何か違う。
「今日は楽しかったわ。ありがとうね祐巳ちゃん。」
「いえ、こちらこそ」
最初は祐巳ちゃんは笑っても引きつっていたのだけれど、今では満面の笑みで返してくれる。
「でもよく分かったわ。私の妹はやっぱり令以外にはありえないって。」
「はぁ」
「ごめんなさいね、勝手ばかり言って。別に祐巳ちゃんといるのが苦痛とかそういうわけじゃないの。ただ、やっぱり上手くいえないのだけれど、私の妹は令しかいないのよ。こうして祐巳ちゃんと一緒に行動しても、やっぱりそれは可愛い後輩でしかなくて。そうね、祐巳ちゃんもそうなんじゃない?貴方のお姉さまはやっぱり祥子だけでしょう?」
「はい。そうですね・・・」
そうなのだ。やっぱりこうして別の子と仮初の姉妹になっても、本当の姉妹ほど強い繋がりは生まれやしないのだ。
「お互いさらなる姉妹愛に気づけたって事で、今回は良しって事にしましょうか」
「あはは。そうですね。でもですね、私もこうして初めて江利子様と一緒に行動して今思えば随分楽しめましたよ」
「あら。嬉しい事言ってくれるじゃない」
江利子は笑いながら祐巳ちゃんの頭をなでてあげた。
「よし。それじゃあ教室へ帰りましょうか」
教室へ帰る最中、江利子はちょっと令に悪い事したかな?と思い、今日は久々に一緒に帰ってあげようと思った。というか、令と一緒に帰りたい。
残り少ない時間、江利子は彼女にとって素敵なお姉さまでいれるよう心に決めた。
令の事が大好きでしょうがないのだから。
それにしても、由乃ちゃんが手術明けで学校休んでいて助かった。
由乃ちゃん対策はいくら考えてもきっと出て来ないだろうから。
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――ごめんね、祐巳。
ボクは祐巳の小さなカラダを抱きしめた。
ボクに出来ることは祐巳を抱きしめて、その冷えたカラダを暖めてあげることくらいだ。
何も出来なかったんだ。
祐巳がその小さなカラダで、残酷な運命に立ち向かっている時、
ボクはただじりじりと、ただ焦燥感に身を焦がすことしかできなかった。
祐巳、ボクは最後までキミのそばに居るよ。
残された時間の最後まで……。
ああ、どうして世界はこんなにも美しく、
そして残酷なのだろう――。
α
あるよく晴れた日の放課後。
薔薇の館でお茶をしてくつろいでいた祐巳は、向かいで同じように紅茶をすすっていた由乃さんに話し掛けた。
「由乃さん」
「うん?」
「わたし、セカイ系になっちゃった」
由乃さんは、一瞬目を見開いてこちらを見た後、また目を伏せて何も無かったようにまたお弁当に箸を伸ばし、言った。
「なんの?」
「なんのって、セカイ系はセカイ系だよ? カタカナで三文字のセカイって書くやつ」
「ふうん」
口に運んだご飯をもぐもぐと味わいながらまた箸をお弁当にのばし、今度は花の形に加工された輪切りの人ニンジンを一切れつまんで、祐巳のお弁当のご飯の上に置いた。
「励ましの差し入れ」
「いらない」
「セカイ系が、好き嫌いしちゃダメでしょ?」
「信じてないでしょ」
それ以前に、祐巳の言葉の意味を理解する気もないようだ。
なにやらアンニュイな顔して弁当を味わうのに集中している。祐巳が、頬を膨らませて不満をアピールしてるのに完璧に無視だ。
祐巳は「ふぅ」とため息を一つついた。
まあいい。急いで信じてくれなくても。祐巳だって急なことで戸惑っているのだから。
由乃さんのくれた『差し入れ』を箸で摘み上げつつ言った。
「とにかくね、私もなったからには自分が何のセカイ系だか知っておきたいんだ」
セカイ系といっても『ポスト・エヴァンゲリオン』といわれた初期の『キミとボク』系から最近のもともと定義が曖昧なせいで無駄に適用範囲を拡大して何処がセカイ系なのか良く判らなくなってしまったのまで、世の中には、ありとあらゆるセカイ系がひしめき合って居る。
祐巳は、とりあえず『年端の行かないガキが、意図せずして世界の命運を握らされる』という説を支持したいと思っているのだけど……。
「でも、どうしたらいいのかな……」
窓の方に視線をやり、そう呟いた。
窓からは明るい午後の日差しが差し込んでいる。
降水確率は10%未満。今日もいい天気だった。
「とりあえず、」
由乃さんは、詰まらなそうな口調で言った。
「明日の小テストの予習でしょ」
「やっぱ信じてない」
明日は朝から小テストがあるという情報がクラスに流れていた。
先生がわざわざ前日に宣言してくれたのは、いい点を取らせようという親ごころからか、はたまたそれで勉強させようという教育テクニックなのか、まあやる人はやるし、やらない人はやっぱり直前までやらないので、あんまり効果は期待できないと思うのだけど。
そのとき、祐巳の横から声がかかった。
「今、セカイ系の話をしてたわよね? 祐巳さん?」
ちょっと離れて乃梨子ちゃんと一緒にお話をしていたはずの志摩子さんだ。
志摩子さんは、音も無く、いつのまにか祐巳の隣に移動していた。
「え? う、うん」
祐巳はちょっと驚きつつ返事をした。
志摩子さんは言った。
「わたしも気づいていたわ。今日の祐巳さんは一味違うって」
「え? わかったの?」
「志摩子さんの家、お寺だしね」
なんか由乃さんが興味なさそうに突っ込み(?)を入れたが、セカイ系とお寺はなにか関係があるのだろうか?
志摩子さんは、両手を胸の前で組んで回想するようにして言った。
「遅刻しそうになって廊下を走ってシスターに咎められていた祐巳さんは、昨日と違う!」
そして、目を見開いたかと思う上体ごと祐巳のほうを振り向いて続けた。
「なにやらエタイの知れないご都合主義的な設定で世界の命運を左右する力に満ちていたわ!」
やはり、わかる人にはわかるのだ。
祐巳は聞いた。
「ということは私は『キミとボク』系なら私、『キミ』の方?」
「私はそうだと思うわ」
「ねえ、由乃さん、そう思う?」
「……見ただけでそんなことが判る志摩子さんの方がエタイが知れないわ」
そんな事いってる。
「で、志摩子さん?」
「なあに?」
志摩子さんはマリアさまみたいに微笑んで祐巳を見ていた。
「『ボク』の方は誰なのかな?」
祐巳のことを的確に『セカイ系』の要素に当てはめた志摩子さんならきっと判るに違いない。
そう思ったのだけど、志摩子さんはきっぱりこう言った。
「わからないわ」
はあ、志摩子さんでも判らないんだ。
ちょっと期待しただけにガッカリ。
志摩子さんはそんな祐巳の手を取って言った。
「判らないから、調べましょう?」
早速だけど、会議が始まった。
司会、というか仕切り役の志摩子さんがまず言った。
「まず祐巳さんの定義によると、『年端の行かないガキ』が必要ね」
「というか必須。主人公だもん」
主人公が『世界の命運』に巻き込まれるのがセカイ系だ。
「つまり祐巳さんがヒロイン?」
「いやだ、由乃さんヒロインだなんて、照れるなぁ〜」
思わず頬に手を当てて顔をぶんぶん振り回してしまう。
「誉めてないわよ。それより、本当に祐巳さんが世界の命運を左右してるの? 私そこから疑問なんだけど?」
それはそうだ。その辺は見抜いた志摩子さんに聞いてみるに限る。
「ねえ、志摩子さん?」
「それはおいおい判ると思うわ。今は『ボク』役を確保することが最優先よ」
「そうなの?」
「ええ、ヒロインの秘密はストーリーの終盤まで明かされないものなのよ。場合によっては完結しても謎のままってこともあるくらいだから」
「なるほど」
「……そんなことで良いの?」
由乃さんはいかにも納得行かないって顔をしていた。
「それでこそ『セカイ系』よ」
「うん! そうだね」
「はぁぁ……」
由乃さん、なにやら疲れた顔をしてる。
そんな由乃さんの顔を、志摩子さんは見つめていたが、やがてなにかを思いついたように目を輝かせて言った。
「そうだわ、由乃さんはどうかしら?」
「え?」
「はぁ?」
ちょっと訳がわからず、祐巳はぽかんと、由乃さんは訝しげな表情をした。
「『ボク』役よ。別に男の子である必要はないのよ。“平凡な日常をむしろ流されるように送っていた少年あるいは少女が思いもかけずに、非日常に巻き込まれる”王道だわ」
「王道ってあなた、勝手に私を巻き込まないでよね」
「でも“勝手に巻き込まれる”のもセカイ系の特徴なのよ。由乃さんは山百合会で祐巳さんと出合った。それは紛れも無い事実よ。そして、知らなかった祐巳さんの真実に由乃さんは少しずつ巻き込まれていくの」
「ちょっと、勝手に決めないでよね。私は非日常なんてごめんだわ!」
「そう、それは主人公の条件なの。由乃さんは変わらない日常ってものにどこかで疑問を感じつつも、それが当然と思い込むことでそこから外れようとしなかった。“現実”という一種の“諦め”によって」
だんだん、志摩子さんの口調がナレーションっぽくなってきた。
「語りださないで! 私そんなのじゃないわ。そりゃ令ちゃんが卒業してちょっとは心細さも感じてるけど……」
「そう。最愛の令さまも卒業してしまった。いずれ自分もこの学園を去って、いつかは汚い大人社会に出て行かなければならないんだって、漠然とそれが当然なんだって思っていた。いえ、思い込もうとして思い込めないそんなどこか追い詰められたような閉塞感。そんなとき、由乃は彼女に出会った」
「やめて、って言ってるでしょ! 私は……」
「由乃さん、一人称は『ボク』にしましょ」
「は?」
「少女×少女のセカイ系では一方が『ボクっ娘(こ)』というのが今時のスタンダードなのよ?」
「知らないわよ! だいだい、私やるなんて言ってないし」
「由乃さん」
そこで志摩子さんは由乃さんの肩を抱くようにして、
「なによ?」
会議室の端に連れて行った。
なんだろう。
祐巳が見ていると、志摩子さんは由乃さんの耳に口を寄せ、何かを話している。
そのうち、由乃さんがビクっとなったかと思うと顔色がさーっと青くなった。
そして、由乃さんは人形みたいにガクガクと首を縦に振った。
何を言ったのだろう?
やがて満面の笑みを浮かべた志摩子さんは、魂が抜けたようになった由乃さんを伴って祐巳の所へ戻ってきた。
「由乃さん? どうしたの?」
祐巳がそう聞くと、まだビクっとなって由乃さんは言った。
「え? な、なに? “ボク”は何も聞いてないよ?」
「うふふふ……」
慌てたように早口で言う由乃さんの横で志摩子さんは微笑むばかりだった。
志摩子さんの笑みにちょっと怖いものを感じた祐巳は心にはこの言葉が浮かんだ。
『聞かぬが花』
「……例の実験は上手くいってる。発現は小規模だが確認した」
あれから、祐巳は由乃さんと薔薇の館を追い出されて、銀杏並木のあたりをぶらぶらしていた。
「観察を続ける」
さっきから木陰でぶつぶつ言ってるのは乃梨子ちゃんだ。
どうやら、祐巳の秘密の関係者役らしい。
やはりセカイ系だから世界の命運を左右する祐巳の秘密とやらを監視する世界的組織が必要なのであろう。
乃梨子ちゃんがエージェントではいささか小規模に見えてしまうのだけど。
「ねえ由乃さん?」
「な、なにかしら?」
「そんなに緊張しないでよ」
「え、ぼ、ボクは緊張してないよ?」
なんか、ボクっていう由乃さんは可愛い。
でも、志摩子さんに何を言われたのか、ガチガチに緊張しているから可愛さが三割方マイナスだ。
「いや、してるって。別に志摩子さんがなにかしなくても私セカイ系になってるから、普通にしててもいいんだよ?」
「だからー、そのセカイ系になったって何なのよ? わた、ボクはワケ判んないわ、いや、判んないよ?」
「とにかく普通にして」
「普通っていってもさ……」
そう言って由乃さんは木陰の乃梨子ちゃんの方へ視線を向けた。
なるほど、乃梨子ちゃんは監視も兼ねてるんだ。
「じゃ、言葉遣いは頑張ってもらうってことにして、ほら見て……」
祐巳と由乃さんの見ている前で、乃梨子ちゃんが何者かに囲まれてそのまま連れて行かれた。
「え? なに? あの黒服たち」
「多分祥子さまの家のエージェント」
「小笠原家の? 何やってるのよ?」
「それは私の口からはいえないよ……」
β
そして話は急激な展開を見せたのだ。
突然、祐巳と由乃の前の立ちはだかる小笠原祥子。
「由乃ちゃん、祐巳を渡してもらうわ」
祐巳はなぜか怯えている。
「祐巳、どうしたの?」
「い、いやっ!」
そして、走り出す祐巳。
「ちょっと!?」
「確保しなさい!」
祥子が命令を下し、武装したエージェントたちが祐巳を追う。
「な、何で銃なんか持ってるのよ! 祐巳をどうするつもり!?」
驚き、憤慨し唖然とする由乃に祥子は歩み寄り、言った。
「……祐巳をこのまま野放しにしておくわけには行かないの」
「え?」
「あの子を放っておけば大変なことになるわ」
「大変なことって?」
「そうね、ある意味、世界が滅びる、いえ、そのキッカケになりかねない」
「ええっ!?」
「だから、処分するの」
「処分!? 祐巳を? 何でよ!」
「私がそう決めたのよ。私は祐巳の姉である前に小笠原の人間なの。だからそうすることしかできない。祐巳が世界の敵になる前に確保して、そう、いっそ私の手で……」
由乃の目には、祥子が何かを堪えているように見えた。まるで泣いているように見えたのだ。
「いやー!」
遠くから祐巳の悲鳴が聞こえた。
やがて、黒服の男達に羽交い絞めにされて祐巳が連れ戻されてきた。
「祐巳……」
祥子がそう呟くのを聞いた。
由乃は黙って見ていることしか出来なかった。今聞いた事実に心が硬直して叫ぶことも走りだすことも出来なかったのだ。
いやいやをしながら大きな車に連れ込まれる祐巳。
体格の良い男達に囲まれて、祐巳の姿はいやに小さく儚げに見えた。
やがて祐巳の姿がドアの中に消え、祥子が車の助手席に乗り込んだとき、それは起こった。
その瞬間、由乃の目の前が真っ白に染まった。
なにが起こったか判らなかった。
だが、次の瞬間、由乃が目にしたのは、上部が抉り取られたように無くなった車のボディだった。
「祐巳っ!」
黒服たちは運転手も含めて皆倒れていた。助手席の祥子さえも。
祐巳は後部座席の中央に頭を抑えてうずくまっていた。
由乃は慌てて駆け寄って、もはや意味をなさないドアの欠片を蹴ってどかし、気絶してるらしい手前の黒服を押しのけて祐巳の手を取った。
「……よ、しの?」
「うん、はやく!」
由乃は逃げなくてはと思った。祐巳を逃がさなければと。
でも何処へ?
判らない。判らないけど、祐巳を守りたいって思った。
「……由乃ちゃん」
その時、搾り出すような声が前の座席から聞こえた。
「祥子さま?」
「行くのなら、お行きなさい」
「え?」
由乃は一瞬戸惑った。
次の瞬間、祥子が怒鳴った。
「早く! 早く行きなさい!」
「は、はい!」
反射的に祐巳の手を引いて立たせ、ほとんど下半分だけになった車を飛び降りて走った。
「祐巳を、お願い」
祥子の呟きは由乃の耳には聞こえていなかった。
γ
そしていろいろあって、ついに話は佳境に入った。
「由乃、今までありがとう」
「え?」
由乃はこのまま世界の果てまででも逃げてやるつもりだった。
祐巳と一緒なら世界がどうなってもいいって思っていた。
これ以上祐巳を戦わせたくなかった。
なのに――。
祐巳はその繋いでいた手を自ら解き、由乃から離れてしまった。
「ちょっと、手を離しちゃだめよ、ほら手を出して」
祐巳は手を出すことなく言った。
「私、由乃が好き」
「え、急になに?」
「この世界も」
「な、何を言っているの?」
祐巳の様子の変化に由乃は急に不安が押し寄せてきた。
「由乃の居るこの世界がすきだから」
「祐巳っ!?」
「だからこの世界を守りたいの。私、由乃に生きて欲しい」
「なんで、そんな遺言みたいなこと言うのよ!」
「私、行くわ」
「なんでよ!」
その時、由乃は知った。祐巳があの過酷な戦いに戻る決心したことを。
「どうして祐巳なのよ? なんで祐巳じゃないといけないのよ!!」
「私なら世界を守れる、私しか由乃を守れないから……」
「ま、待って!」
「さよなら」
その瞬間、光が溢れた。
青緑色の強烈な発光の中、必死に目を凝らす由乃の目に、祐巳の泣き笑いの表情が見えた。
そしてその口が、こう動くのを。
『い・き・て』
光が収まった時、由乃の目の前に祐巳の姿は無かった――。
「祐巳ぃぃぃぃ――」
δ
「祐巳さんの心を守っていたのは由乃さんだったのね。由乃さんが居たからこそ、言われるがままに戦っていた祐巳さんは初めて自らの意思で戦う決心をしたんだわ。でもその時既に祐巳さんの体はぼろぼろで、由乃さんが祐巳さんを見たのはそれが最後だったのね――」
失意のうちに薔薇の館に戻ってきた由乃は、何故か夜中になったというのに乃梨子ちゃんと紅茶を楽しんでいた志摩子さんに一部始終を報告した。
そう、あれは放課後から日が暮れるまでの出来事だったのだ。
「ううっ、祐巳さま、なんて健気な……」
話を聞いた乃梨子ちゃんが感動して思い切り泣いている。
「ちょっと、何落ち着いて解説なんかしてるのよ! 祐巳、消えちゃったのよ! あんなぼろぼろで戦いに行っちゃって!」
「そう、結局由乃さんは何も出来なかった。結局短い時間を一緒に過ごしただけで、祐巳さんが勝手に戦って勝手にぼろぼろになって、勝手に決心して勝手に行ってしまった。けっきょく心を乱されただけで由乃さんにはぶつけどころのない想いが残っただけだった……」
「そ、そうよ! なんだっていうのよ!」
「それが『セカイ系』よ」
「理不尽だわ!」
「でも、もう終わったわ」
「終わったって、祐巳は帰ってこないわ」
そう言って由乃は俯いた。
「そうかな」
「そうよ。あんな小さなカラダで世界の命運を背負って……。『私しか守れない』なんて何格好つけてるのよ!」
「格好良かった?」
「良くないわ。ただのバカよ。バカ」
「えー、由乃、私のこと嫌い?」
「嫌いよ! 私なんかの為に自分を犠牲にする祐巳なんか大っ嫌い!」
「はぁ、嫌われちゃった」
「………」
あれ、っと由乃は思うのだった。
「気にしないで、私は祐巳さんのこと好きよ」
「志摩子さん」
「あ、私も、志摩子さんの次にだけど」
「乃梨子ちゃんも」
なにやら背景に花を散らして見詰め合ってる。
「ちょっと待って」
「なにかな?」
「ゆ、祐巳?」
「祐巳だよ?」
何事もなかったように目の前でにこにこしているのは確かに祐巳だった。
「………」
由乃は俯いてぷるぷると震えていた。
「どうしたの?」
そして爆発した。
「祐巳ぃぃーー!!」
目を血走らせ、祐巳のむなぐらを掴んで思い切り迫る由乃。
「なんであなた、ここに居るのよ!!」
祐巳はこともなげに言った。
「え? 終わったから帰ってきたんだけど?」
これぞセカイ系?
注:この物語はオリジナルです
注2:この物語は一応フィクションであり、物語上存在する人物、団体はいないという勝手な判断によります。
「おはようございます。テレーゼ様」
「太守様。おはようございます」
「おはよう、みんな」
凛々しい笑顔を振り撒いて、朝の空間に薔薇を咲かすは一人の気高き女性。
優雅な足取りは蝶を思わせ、その笑顔は太陽よりも眩しい輝きを放つ。
行く人行く人に挨拶を交わす姿は、まさに聖母のごとき御姿。
しかし、その凛々しさは決して損なわず、まさに「紅の剣聖」にふさわしい。
帝国ランドリート太守、テレーゼ?テレジア。
若くして一国の王となった彼女だが、既に王の資質が開花してまばゆいばかりである。
ブロンドの金髪をなびかせて歩く姿は、男女とはず見るものを圧倒し、魅了する。
「テレーゼ様、今期の予算案です」
「それは、内政官庁に回して」
「太守殿、物資のレートが前期より上がっています」
「じゃあ、国単位での買い付けをやめて、武将単位で買い付けしていきなさい」
今日の朝も、食堂へ向かう道すがら、部下達が持ってくる、ありとあらゆる懸案事項を歩きながら片付けてゆく。
『あぁ、テレーゼ様……』
そんな凛々しく麗しい姿に女中達もみとれていく。
「あ、鯨ちゃん。襟が曲がってるわよ。副主なんだから、身だしなみはきちんとね?」
「あ、ありがとうございます〜////」
その極上の優しい笑みの前では、たとえ国のNo.2である副主であろうとも、いとも簡単に籠絡させられてしまう。
「テレーゼ様、お食事の用意が出来ました」
「うん、ありがとう」
優雅な仕草で席につき、身だしなみを整える様子は、まさに淑女の鏡。このようにありとあらゆる面で完璧である彼女、テレーゼは。
「じゃあ、今日の朝はプリンアラモード50個ね」
大のプリン好きである。
「う〜ん、困ったなぁ……」
ある日の昼下がり、帝国中央にそびえたつ城の東棟の三階にある内政執務室でとある女性が一人、頭を抱えて唸っていた。
「どうかなさいましたか?魔女さん」
「あ、ヴェイさん。うーん、ちょっとね……」
物音なく部屋に入ってきた男、副主ヴェイに呼ばれた彼女こと魔女は、困った顔して振り返った。
「この、今期の予算なんだけど、ちょっと見てみてよ……」
「どれどれ……、これはこれは」
魔女に渡された予算書を見たヴェイは思わず驚愕の声をあげてしまう。それもそのはず。
「まさか、テレーゼ様のプリン代に国家予算の1/3が使われているとは……」
「そうなのよ。テレーゼ様が一人で毎日毎日毎日、300個ものプリンを食べるからさすがに費用が重んで。特に最近は高いプリンばかり食べるからもう予算が……。うにゅー」
「はは、まさにプリンセスだな」
「笑い事じゃなーい!!」
少し涙目になって菷を振り回す魔女に、ヴェイも慌ててなだめる。
「すいません、余りに非常識な事態なものだったので」
「むぅー」
ヴェイの言葉に、なんとか収まった魔女は、少しむくれたまま、机に突っ伏してしまう。
「だけど、本当にどうしよう、今期の予算……」
「テレーゼ様には進言なさったのですか?」
「一応、何回もしたけどさ、予算は任せるって言われたっきりで……」
「……逃げておられるな……」
他の業務にはきちんとこなしている点からテレーゼが故意に避けているのが、まる分かりである。
「……ヴェイさんも副主なんだから、なんとかしてよー」
「なんとかと言われましても、多分、俺でも無理です」
「そんなぁ……」
ヴェイの頼りない一言に、魔女は思わず泣きだしそうになる。
「ああ、ちょっと待って下さい!方法が無いとは言ってませんよ。確かに俺一人では無理ですが……」
「何か方法があるの!!?」
「ちょっ!! 抱きつかないでくださいよ!」
いきなりの抱擁に、少しドギマギしながらも、ヴェイはその策略を話し始めた。
「な、何よ!これーー!!」
いつも通りの穏やかであったはずの朝の食堂で、叫び声が響き渡る。
「な、なんで朝のプリンが2個だけなのよ!」
その叫び声の原因が帝国ランドリートの全国民から絶大な人気をほこり、カードゲーム『俺とお前と罪と罰』(秀英社より発売中)の「紅の十剣」シリーズパックでは究極のレアカードとして(市場では数十万単位で取引されるぐらい)扱われている人物、帝国ランドリート太守テレーゼ様のものであると、誰が思えようか。
しかし、この状況を予め予測していた副主二人(一人はガタガタ震えているが、あえて言うまい)は、周りで驚いているコックやメイドと違って取り乱してはいない。
「ちょっと! これどういう事!」
さすがに頭脳明晰な彼女、テレーゼは取り乱していない二人の副主が元凶だと一瞬で見抜いて睨みつける。(この時、一人は小さく悲鳴をあげて、もう一人の後ろに隠れたのはあえて以下略)
「こういう事であります」
テレーゼに睨みつけながらも、平然としているヴェイは、無表情で一枚の書類を突きつける。
「この通り、予算の1/3が貴女のプリン代に消えてしまい、ここ最近の戦闘や内政にも影響が出ています。ですので、これから一食につきプリンは2個ずつとします」
その、一見なんでもないようなヴェイの一言にテレーゼは顔を真っ青にしてヴェイに掴みかかる。
「それどういう事よ! 誰が決めたの!」
「議会の結果、全武将一致で決まりました」
そう言って、もう一枚の書類をテレーゼに見せる。そこには、策略が使えない、斧が買えない、キャバクラへ行けない等といった様々な苦情がびっしり書き込まれている。
「へぇー、鯨ちゃんは『いい加減にして欲しい』とか思ってたのねぇ」
全く怯まないヴェイから、テレーゼは攻撃対象を変えて、その後ろで震えているもう一人の副主、鯨に向かって冷たい視線を放つ
「そ、それは、その、あの、えっと……」
もはや鯨はいっぱいいっぱいだ。
「テレーゼ様、無駄ですよ。もう既に決まった事です」
鯨が何かを言う前に、すかさずヴェイが入り込み、テレーゼに釘をさす。さすがのテレーゼも言葉に詰まる。
「わ、私は太守なんだぞ! 偉いんだぞ!」
「駄目です」
「せ、せめて10個だ!」
「2個です」
「8個が妥当じゃないかなぁ?」
「2個です」
「5個! もう譲れないよ!」
「2個です」
「4個とかどうかな?」
「2個です」
「もう! ヴェイの給料カットするからね!」
「1個です」
「えぇ!? ご、ごめなんさい、すいませんでした」
「一個です」
「何でも言う事聞きますから!」
「本当に?」
「嘘ですごめんなさい」
「…………」
「…………」
こうして、テレーゼの過酷(?)な日々が始まる事となった。
『オゥケェ〜〜イ! 今日はFendёяと一緒に、濃い〜ミルクのかかったプリンを作りま』
ブツ
現在午後三時。いつもなら、『FendёяでShoW!』の、「今日のプリンコーナー」を見ながら楽しく大量のプリンを食しているはずのテレーゼは、空っぽになった容器を秒速映像展開錬器(通称テレビ)に投げつけて無理矢理スイッチを切った。
「はぁ〜、プリンもっと食べたいよぉ」
禁プリン生活(と言っても食後に一個、おやつと夜食に一個ずつで一日5個だが) を始めて一ヶ月でもなく、三日でもなく、実はまだ初日。しかし既にテレーゼはグロッキー状態であった。
「プーリーン゛ーー、プーリーン゛ーー」
プリンを求めてはいずりまわるその姿は、まるでゾンビのようである。
「テ、テレーゼ様……、さすがにそれはどうかと……」
書類を届けに来たヴェイもさすがに引いてしまう。
「だってプリンが足りないんだもん」
彼女はすぐに姿勢を正すも、頬を膨らませてそっぽを向く。
「しかし、テレーゼ様。仕事が全然進んで無いじゃないですか」
「じゃあプリン頂戴」
「駄目です」
「むぅー」
無下なく却下されたテレーゼは、さらに機嫌を悪くする。
「それで、ここに来たという事は、何かようがあるのかな? ヴェイ君」
しかし、用件を聞いている分、仕事への誠意は一応あるらしい。さすがに、腐っても鯛と言うべきか。
「はい。今日の午後五時から道化師が謁見……、というか遊びに来ます」
「お客さんが来るのね!?」
用件の内容を言うや否や、たちまち、テレーゼの顔に生気が戻ってゆく。
「じゃあ、おもてなしにプリンを30個用意しなくちゃ!」
しかし、喜んだのもつかの間。
「一個です」
ヴェイの希望を打ち砕く一言に、遂にテレーゼは限界を超えた。
「なんでなのよ! 大事な友達をもてなす時ぐらいいいじゃない!」
「大丈夫です。すでに道化師殿には了承を得ています」
「こぉの、バカヴェイが……」
余りに澄ました顔で淡々と告げるヴェイに、遂にぶちギレたテレーゼは、全力で左手の蒼い焔の指輪に力を込め始める。
「ちょ、ちょっと! テレーゼ様! 城の中で遺産の力を使うのはやめて下さい!」
慌ててヴェイがなだめるも時既に遅く、左手に名剣ライオネルクロウ、右手に召喚された召剣スカーレットローズを構えて同時にふりかぶる。
「本当に、待って! 死」
「問答無用! ツインウイングエッジ!!」
テレーゼの必殺の一撃が決まり、いっそ天晴れな如く、ヴェイは斬り刻まれていった。
城の一部が崩壊してから約三週間。あれからも、ヴェイへの八当たりで軍事執務室が壊れたり、夜中にテレーゼがこっそりプリンを盗みだそうとして大騒ぎになったりと色々あったものの、何とか禁プリン計画が一ヶ月過ぎようとしていた。
「それで、魔女さん。内政費用の方はなんとかなりましたか?」
ここは内政執務室。もはや魔女の専用室(本当は一人部下がいるのだが最近は大道芸で忙しい、らしい)となりつつある部屋の中で、ほぼ全身を包帯やギブスで固められた男が、椅子に座っている魔女に話しかける。
「……ヴェイさん、後で報告しに行くから、来なくてもいいよ」
大怪我をしても、いつもと変わらず仕事をするヴェイに、さすがに魔女も呆れてしまう。
「……気にしないでください。それより、費用は大丈夫になりましたか? 騒ぎによる出費を除いて」
「あの騒ぎで、一時、国家予算が底を尽いちゃたからね……」
「臨時徴税は、本当に大変でした……」
過去の大参事よる出来事を思い出し、どんどん暗くなる二人。そんな空気をふっきるかのように、魔女が口を開く。
「テレーゼ様のプリン出費が無くなってから、ここ一ヶ月で国家予算は1.5倍になる計算になるね。だけど……」
「だけど?」
何故か続きを言いにくそうにする魔女に、ヴェイは首を(実際にはギブスで固められているので、上半身を僅かに)傾げる。
「プリン業者関係がいくつか倒産して、その辺りから徐々に税収が減っていってるの。プリンに使う材料関係も経営が苦しくなってるみたいだし、テレーゼ様ブランドを競って作っていた各所も、テレーゼ様が食べれなくなったから、一気に客足が遠のいて、このままだと、半年で前より悪くなる計算になったの……」
「…………」
その、あまりの結果に、ヴェイは言葉が出ない。
(お、俺がこの一ヶ月味わった苦難は一体……?)
「ヴ、ヴェイさーん?」
呆然とする、ヴェイを目の前に、魔女は、ただ見ている事しか出来なかった。
それから、禁プリン計画は廃止となったが、テレーゼのプリン暴食を防ぐ為に、一年に一回、プリン品評会祭を開く事にした。その効果かどうかは分からないが、テレーゼの食べるプリンは半分となり、前より財政は良くなったという。
end.
『がちゃSレイニー』
† † †
「あ」
乃梨子さんに突つかれて教室を飛び出し、階段に足をかけたところでチャイムが鳴った。
これは朝拝が始まる前の予鈴の鐘。
このあと本鈴が鳴って放送朝拝が始まるのだ。
さすがにこれでは、白薔薇さまに会うことは難しいと思われた。
どれだけ白薔薇さまと顔見知りとはいえ、瞳子は一年生。
その瞳子が。上級生、ましてや白薔薇さまを朝拝の時間に呼び出すなんて無作法、このリリアンでは出来ようはずもないのだ。
(仕方ないわ、よね?)
各階を繋ぐ階段に一段踏み出していた足を引き寄せて、くるりと方向転換。
先生方の移動する気配を察知したので、もと来た廊下を戻ることにした。
確か乃梨子さんは先ほど、これ以上ぐずぐずしていたら絶交してやるって言っていた。
それを聞いて教室を飛び出したのだから、間違いない。
(はぁ……)
ポケットの中のロザリオを確認して、瞳子は溜息をついた。
この瞳子の体たらくを見た乃梨子さんが何を言い出すか、恐ろしくていけない。
(の、乃梨子さんなら。こんなことくらいでイジワルしませんわ。……たぶん)
ふるふると頭を振って、嫌な想像を振り払った。
考え事をしながら、のろのろと歩いていると、後ろで先生方の話し声が聞こえた。
(急がなければ)
前門の虎と後門の狼。
状況がわかっている分、どちらかと言えば虎さんである乃梨子さんの方が許してくれそうではある。
小走りで瞳子は教室へと向かった。
瞳子は自分の教室、つまり椿組の後ろの扉から、おずおずと中の様子を窺った。
中というか、この場合は乃梨子さんの様子なんですけれど。
「「!」」
ずっとこちらを見ていたのか、乃梨子さんと瞳子の視線がピッタリと合う。
「あ、あの、乃梨子さん?」
教室の扉から顔を半分出して、乃梨子さんのご機嫌を伺う。
「……いつまでそんなとこに突っ立ってるの?」
「ですが、あの」
「わかってるわよ。そんなことで、いちいち揚げ足取らないから」
乃梨子さんは脱力して、頭を抱えていた。
先生が教室の前の扉から中に入ったので、瞳子は慌てて自分の席に滑り込んだ。
1時間目の授業を受けながら、瞳子は考えていた。
10分間の休み時間で、白薔薇さまを呼び出してロザリオをお返しすることは出来るけれど。
パタパタして、ご迷惑になるといけませんし。
やっぱり、お昼休みのほうが良いのかしら?
どうしようかと悩みつつ乃梨子さんの方を向いたら、睨まれた。
(ひっ……)
瞳子の考えていることなど、お見通しらしい。
や、やっぱり二時間目の前に、お返ししてきます。
今回の一件は瞳子の方が分が悪い。
まさか乃梨子さんに泣かれるとは、思っても見なかった。
〜 〜 〜
一時間目が終わって、素早く瞳子は移動した。
乃梨子さんの祈るような、それでいて強烈な視線に追い立てられた、というのもありますけれど。
そしてここは白薔薇さまのいらっしゃるクラス、二年藤組の前。
「あ、松平 瞳子さん?」
決戦を前に胸に手を当てて深呼吸をしていたら、声をかけられた。
「ごきげんよう。あの──」
「白薔薇さま? 少々お待ち下さいね」
取次ぎを頼もうと思ったその方は、私の事を知っていらして、言伝を頼む前にあっさりと中に入っていった。
(はぁ)
私も有名になったものですわね……。
多少困惑しつつ待っていると、白薔薇さまが楚々と廊下に出てこられた。
「ごきげんよう、瞳子」
白薔薇さまは瞳子の顔を見て、安堵したように、ふわりと微笑んだ。
「ご、ごきげんよう、白薔薇さま」
けれど瞳子は、そんな白薔薇さまを目の前にして緊張してしまう。
私のことを瞳子と呼ぶ白薔薇さま。
まだ私は白薔薇さまの妹という立場なのだ。
(でも、私の心は決まっています)
先週の金曜日に、祐巳さまが倒れられたときに、薔薇の館で伝えたこと。
昨日、祐巳さまのことで自棄になって、うやむやにしてしまったこと。
そして今日、祐巳さまの妹となるために。
瞳子はポケットの中の、白薔薇のロザリオを確かめた。
「どうかして?」
「あの……」
このままではいけないのです。
私の我侭から始まったこととはいえ、これではあまりにも悲しすぎる。
白薔薇さまに対する、みんなの誤解が解けてほしい。そう思っていた。
だから。
「これを」
そう言って瞳子は、ポケットから白薔薇のロザリオを取り出し、両手でそっと白薔薇さまに捧げた。
「瞳子……」
瞳子を見つめたまま白薔薇さまはそう呟いた。
私たち二人を見守っていた周りの二年生方が、にわかにざわつく。
白薔薇さま、ありがとうございました。
(でも、ごめんなさい)
瞳子は深呼吸をしてゆっくりと話し始めた。
「白薔薇さまは私のことを考えて、私を妹としてくださいました。そのために必要なロザリオを、乃梨子さんから返してもらってまで……。白薔薇さまのお心遣いが、とても嬉しかった。ですが以前にも言いましたけれど。私が姉と認める方は、お一人だけです」
白薔薇さまは静かに私の話を聞いていた。
「だからこそ、思わず受け取ってしまったこのロザリオは、お返しします」
「うわー、すごいすごい、真っ白ー」
昨日から降り続いた雪は今朝にはもう止んでいたけれど、それでも地面を覆うには充分だった。由乃は部屋の窓を開け庭を見下ろすと、足跡一つない綺麗な白が広がっていた。
「あーもう、何でこーゆー日にいないかな令ちゃんは」
受験する大学の下見に出かけた令ちゃん。おかげでせっかくの日曜日、しかも庭には新雪が積もっているというのに私は一人ぼっちだ。令ちゃんがいれば雪合戦して、『かまくら』つくって、その中でココアなんか飲んだりして、まぁ充実した一日を過ごせるはずだったのに。
「何しよう・・今日」
この雪を見た後では部屋で読書は有り得ない、外出したって一人で何をしたらいいのって感じするし。
「・・・令ちゃんの馬鹿」
考えていてもしかたない、とりあえずは1階に下りて遅めの朝食を取ることにした。
朝食をとり終えると玄関のチャイムが鳴った。令ちゃんにしては早いなと思いつつ玄関の戸を開けると、
「はい、ごきげんよう。」
「ごきげんよう、そしてご機嫌よう」
会った時にも、別れるときにも使える挨拶って便利だな、と由乃は開けかけたドアをすぐに閉めようと、
「ふぬぅっっ!」
鼻息を荒げドアをがっしり掴む江利子さま。・・・ちっ、しぶとい。
「何の御用でしょう、江利子さま」
しぶしぶ相手をする私に、何事も無かったかのように本題を切り出す江利子さま。
「遊びましょ?」
「・・・はい?」
「何してるんだろ、私」
「何、って雪だるま作っているんじゃない」
楽しそうに雪だまをコロコロ転がして雪だるまの胴体部分作成中の江利子さま。
「いえ、そーいう事ではなく」
「いいから作りなさい」
「・・・はい」
10分後、いいかげん飽きてきた。雪だまは腰ぐらいの大きさにまでなっていたが、江利子さまが一向に頭部分に掛からないので、由乃も胴体を大きくしつづけていた。だって負けるのくやしいじゃない。
由乃に背中を見せ、子供の様に雪だま転がす江利子さま。・・・無防備だ。由乃の心の中の悪魔が囁く。
「・・・てやっ」
小さい掛け声と共に手のひらサイズの雪だまが宙を飛び、江利子さまの背中ではじける。
にっこり笑う私。にっこり笑い返す江利子さま。そして・・・
「逃げるな由乃ぉ!」
とても楽しそうにニコニコ笑う江利子さまの手から、雪だまがうなりをあげて飛んで来る、ちょ、まって、洒落になんない。
「か、加減しなさいよバカ凸!」
「あはははは、楽しいわね由乃ちゃん」
聞いちゃいない、観念した私は応戦する事にした。だってホラ攻撃は最大の防『ゴスッ』
「あったりーぃ」
手を叩いて喜ぶ江利子さまと、顔面に雪だまをくらってくず折れる私。
「・・・・・」
「あら由乃ちゃん降参かしら」
「・・・・・ふっふっふっふ、そこを動くな江利子ぉー!」
雪だまを両手に突進していく私に江利子さまは満足そうに返す。
「そうこなくっちゃ」
「・・・由乃ちゃん、意外としぶといわね」
「・・・江利子さまこそ、年の割に動けますね」
肩で息をしながらへらず口を返すが、お互いにもう体力の限界が近い。どうしたら決着をつけれるかと辺りを見まわすと、直径60cmくらいの雪だまを見つけた。作りかけだったアレだ。私がソレを持ち上げて振り返ると、同じようにバカでかいのを掲げた江利子さまがいた。
「考える事は一緒のようね」
「江利子さま、大丈夫なんですか。そんな重いものもつとギックリ腰になりますよ」
お互いにジリジリと距離をつめる。武器が重過ぎて投げれないのだ。やがて二人は一メートルの距離を置いて止まる。そして空を飛ぶ二つの大玉。それと轟く地響き。そして沈黙。
「空が高いわね・・・」
大の字で地面に仰向けになっている江利子さま。江利子さまの上には雪の塊があり、起き上がるのは無理っぽい。
「冬だからですよ・・・寒くて天気のいい日はそう感じるらしいですよ」
江利子さまの隣で仰向けの私。まぁ状況は似たりよったりだ。
「ふぅん」
空をじっと眺めつつ返す江利子さま。その顔は真顔に戻っていて、さっきまではしゃいでいたのがまるで嘘のようだった。真剣な眼差しで空を見つづける江利子さまの横顔に魅せられ、しばらく黙って江利子さまを眺めていると、空に向かって小さく笑ったかと思うとこちらをゆっくり向く。
「由乃ちゃん、今日はありがとう」
キュッと私の手を握りながら言う。今までそんな弱さを見たことが無かった私は、少しドギマギしたけれど、素直に返す事が出来たと思う。
「私も楽しかったです」
江利子さまに何かあったのかはわからないし、本当に遊びたかっただけなのかもしれない。でも今は何も聞かない事が正解なんだって、きっとそう思う。だから私達は黙って空を眺める。手を繋いでスールのように寄り添い、高い高い空を見つめ続ける。
ーーおまけーー
※依然として雪だまにつぶされ起き上がれない二人
「・・・雪が降ってきたわね」
「・・・冬ですからね」
「・・・」
「・・・」
「由乃ちゃん、ご両親は・・?」
「旅行中です」
「・・・そう」
「・・・」
「令、まだかしら・・」
ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドン
ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドン
ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドン
ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドドドンドドドン ドドドドドドドド
……椿組に入れない。
松平瞳子は、教室の前で凍り付いていた。
ふと考え付いた事があったので、いつもよりかなり早めに学校に来てみれば、この仕打ちだ。
謎のドラム音と誰かが教室で暴れる音が響いている。警察を呼んでも問題ないと思われる。
(どうしましょう……。守衛さんを呼んで来ましょうか。それとも……)
それよりも、先を越されたのが悔しかった。1番だと思っていたのに、先客がいたとは。
と、その時。
「うさうさうさーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
瞳子はその場でずっこけた。
「ほ、細川可南子!?」
まごう事無き、細川可南子の声である。この雄たけびで、ますます瞳子の思考がおかしくなっていく。
「うっさーうさうさ うっさーうさうさ うっさーうさうさ ぴょんぴょんぴょん!」
(……うさぎ!?)
「ぴょんぴょんとことこ ぴょんぴょんとことこ ぴょんぴょんガブリッうさぁー!!」
「た、食べられた!! うさぎさん食べられた!!」瞳子は焦る。
「私が、私が死ぬ前に一言だけ……」
「なに、なんですの!」
「角の中華料理屋の冷やし中華……美味しかったうさ……ガクッ」
「うさぎさぁーーーーーーーーーん!!!!!」
瞳子は、廊下にひざをつき、絶叫した。
ガラリ、とドアが開く。
「……ごきげんよう」
不機嫌そうな、長身のクラスメートが、瞳子を見下ろしている。
「……ごきげんようですわ……」これ以上ない赤面っぷりである。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
「い、いえ、そんな!」
「それならいいんだけど。スカート汚れちゃうわよ」
「!!」慌てて立ち上がり、裾を手で払う。
よくよく見れば、可南子は全然汗もかいていない。それどころか、いかにも「さっきのバカでかい絶叫で起きました」な表情だ。
「あの……」
「なに?」
「可南子さんは、こんな朝早くから、なにを」
「……部活の朝練、明日に変更になったのを忘れていたのよ。だから、自分の席で仮眠を」
「そ、そうでしたの」
「そういう瞳子さんも、珍しいじゃない?」
「わ、私は、その!」
「私」
「はい!?」
「……トイレ行ってくる」
「は、はい……」
遠ざかる可南子を見てから、瞳子は教室に入った。
あまりにショックが大きすぎて、本来やるべきことを忘れていたのだ。
ドアを閉めて、自分の席の机に上り、マラカスを構える。
最近知ったおまじない。意中の相手と結ばれるおまじない。
可南子が戻るまでに、やらなければ。
深呼吸をして、瞳子は踊りだした。
ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドン
ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドン
ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドンドンドン
ドンドンドドンド ドンドンドドンド ドドドンドドドン ドドドドドドドド
「うさうさうさーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
……椿組に入れない。
細川可南子は、教室の前で凍り付いていた。
◆【No:1794】と【No:1798】のお返事です。
YHKHさん>不死身の可南子はよい可南子です(謎
ROM人さん>それはステージの合間のインターミッションで繰り広げられます(ゲーム?w ていうかそのネタいただきましたぁーw
xさん>アリガト
窓ガラスから差し込む光を、両方のまぶたが敏感に感じ取った。
その刺激はやがて脳に伝わって、起きろというメッセージを体に送る。
上下のまぶたは互いにまだ仲がよく、離れることをいまだ拒んでいるようにさえ見える。
「う〜…」
うなり声をあげながら目を覚ました1人の少女。
窓辺に向かい、朝の光を浴びると大きな伸びをした。
「…まさに絶好の洗濯日和ってやつかしらね」
太陽が自分の体を照らせば照らすほどに、心の中に重い澱のようなものが沈んでいく。
これから始まるいろんな家事仕事を思い、大願寺美咲は朝から憂鬱な気分になった。
リリアンに入学して1か月後のマリア祭。
確かこのイベントは、かつての白薔薇さま、藤堂志摩子さまと二条乃梨子さまが
姉妹としての関係を正式に認められたというエピソードのあるイベントだ。
あのときは相当な紆余曲折があったと純子さまから伺っているが、いったい何があったのか、聞くのはためらわれた。
純子さまといえば乃梨子さまの「孫」である。
その代になってまで伝わるくらいの話なのだから、かなり大変な話なのだろう。
気にならないといえば嘘になるが、今すぐ聞きたいと思う話でもない。
その年のマリア祭は、何のサプライズもなく、例年通りに行われた。
その帰り道。
「この1か月間、あなたをずっと見てきたの。
やっと分かったわ…私が『お姉さま』と呼んでほしいのは、あなたなんだって」
そう言って自分の目の前にロザリオを掲げる紅薔薇のつぼみ、瀬戸山智子。
「私の妹になってちょうだい」
美咲にそれを断る理由はなかった。
「はい…智子さま、いえ、お姉さま」
新たに自分の人生に現れたその人に連れられて、薔薇の館に向かうまでは。
「え…?家事、ですか…?」
目の前にいる新しい紅薔薇さまこと佐伯ちあきが、威厳ある態度で自分に問いかけている。
家事はどのくらいできるのか、親の手伝いはどの程度やっているのかと。
「その前に1つ質問してもよろしいですか?」
「何かしら?」
「なぜ、私にそのようなことを聞くのですか?」
ちあきの目がその瞬間、よくぞ聞いてくれたといわんばかりに光った。
「美咲ちゃん、あなたは初等部からリリアンなのよね?」
「はい、確かに私は初等部からずっとリリアンですが」
「ならば」
ひとつ呼吸したあと、ちあきは切り出した。
「あなたのおうちは、ある程度の財産があると見たけれど、どうかしら?」
「財産、ですか。あまり詳しいことは存じ上げませんが、少なくとも祐巳さまのお宅とほぼ同じかと…」
「そうするとうちともほぼ同じになるというわけね…誰か人を雇って家の仕事をやらせるわけにはいかない家だと」
「そうなりますね」
質問に1つ1つ答えながら、美咲はなんともいえぬやりきれなさを感じていた。
もしかしたら、ちあきさまは自分をいびり出そうとしているのではないだろうか。
だとしたら、あのとき断ってしまうべきだったのか。
しかし今頃ロザリオを返すほどの度胸もない。
由乃さまではないんだから。
美咲の動揺が分かったのか、ちあきは安心させるように微笑んだ。
「美咲ちゃん、私は何もあなたをいじめたくてこんな質問をしたわけではないのよ。
私なりにちゃんとした考えがあってのことなのよ」
ちあきはふっと、どこか遠くを見るようなまなざしを窓に向けた。
「今は女性もどんどん社会に出ている…それはとてもいいことだし、これからも社会に積極的に出るべきだと思っている。
たとえ女でも、昔のように男に頼ってさえいればOKなんて考えは許されない。
自分の身の回りのことはちゃんと自分でできないとだめだと思ってるの」
言いたいことはなんとなく分かる。
だが、先ほどの質問の理由にはなっていない。
美咲はいぶかしく思っていた。
「あなたのお姉さまになった智子だけれど…この子は自分の身の回りのことはみんな他人任せで、
一通りできるようになるまでにはずいぶん時間がかかってしまったわ」
「ちょっとお姉さま、そんなこと美咲の前でばらさないでください」
あわてる智子におかまいなしで、ちあきはなおも続けている。
「智子だけじゃない…リリアンに入ってみて愕然としたわ。
家庭科の授業はあるにはあるけど、どの子もみんなお嬢様ばかりで、基礎的なことさえ
ろくにできていない…今までご両親に何を教わってきたのかしら。
先代の紅薔薇さま、瞳子さまもそう」
美咲はついに、自分の疑問を口にした。
「ちあきさま、いったい何をおっしゃりたいんですか?私にはまったく話が見えません。
瞳子さまはご自分のお姉さまでしょう?なぜあの方のことを悪くおっしゃるんですか」
ちあきは動じる気配もなく答える。
「悪く言っているわけではないわ。私にとってお姉さまと呼べる方は、瞳子さまただお1人だもの。
でもいくら瞳子さまが相手でも、私がすべての面倒を見ることはできないし、いずれはあの方も自分で生きていくべき時がくる…だからこそ」
「だからこそ?」
ちあきは再び、美咲と智子にまっすぐ向かい合った。
「あなたには、家のことをきちんとやれる人でいてほしいのよ」
「ちあきさま…」
「どんなに時代が変わろうが、生きていくうえでは大事なことだから、ね?
いきなり質問されてびっくりしたでしょう?ごめんね」
(だから今度、あなたの家事の腕前を見せてほしい…)
ちあきの力強さに押されて、つい「はい」と返事をしてしまったが、
美咲はちあきの要求を満たす自信はまるでなかった。
そして美咲は今、自宅の洗濯物を干している。
「ほら、洗濯物を干すときはこうやってパンパンとたたく!」
濡れたシャツを手で挟み込んで、パンパンとたたいて見せるちあき。
「あと15分以内にすべて干してしまいなさいね。それが済んだらお掃除よ」
ちらりと見えたリビングは、生活感いっぱいのあらゆる物が床に散らばっている。
(鬼姑…)
聞こえないように言ったはずだったが。
「何か言った?」
「いいえ、何でも…」
とにかく急がなくては。
美咲は洗濯物の山と必死に戦った。
それからは戦争だった。
床に掃除機をかけ、窓ガラスを拭き、廊下を水拭きし、水周りも念入りに掃除。
「この床は拭き方が甘いわね」
これは何の嫌がらせだろうか。
いい加減にしてくれと怒鳴りたくなっていた。
でもここで怒鳴ればすべてが水の泡。
美咲は耐えるしかなかった。
リビングから軽快な音楽が鳴り響く。
その音楽は時計が奏でるもので、正午になったことを知らせるものであった。
「さて、と。ごはんにしましょうか。冷蔵庫には何があるの?」
「…たぶん何もないです。買い物してないんで」
野菜室にあったありあわせの野菜と卵、それに鶏肉。
ぶっきらぼうに美咲が答えたとおり、主だった食材はそれ以外になかった。
「これなら野菜入りオムレツができるかもね」
ちあきの目が期待に輝く。
「…私に作れというんですか」
「そういうことvv」
(こうなったら出たとこ勝負だ)
半ば諦め加減で、美咲は卵を割った。
「ふむ、なかなかうまく出来ているわね」
「恐れ入ります」
「欲を言えばもう少し味が濃くてもよかったんじゃないかしら。
あと形が崩れてる。鶏肉のソテーはOKね」
「……」
昼食後、今度は2階の掃除が待ちうけていた。
(いったいどんな育ち方をすればこんなに主婦も顔負けの女子高生ができあがるんだろう…
噂じゃあの祥子さまに家事全般を叩き込んだというし…)
一部生徒の間では、「世話薔薇さま」という称号が定着しつつあるらしい。
(さもありなん、ってやつね。これだけ完璧に家事ができるなら)
将来この人の息子と結婚する人はかわいそうだな、と漠然と思った。
ぞうきんがけをする手を動かしながら。
「さて、終了ね。お疲れ様」
ちあきのねぎらいの言葉も聞こえないほど、美咲は疲れ果てていた。
リビングには、きれいにたたまれた洗濯物が種類別に分けられている。
「美咲ちゃん、頑張ったじゃない。よくできているわよ」
「…ああ、そうですか」
今だこちらを見ようともしない美咲。
「ほら、こっち向いてよ」
そっと美咲の二の腕に手をかけると、ちあきはその体を自分の方に向けた。
「あなたの表情、とても一生懸命で輝いてた…私、本当言うと、少し不安だったの。
智子がどんな妹を連れてくるか…あの子は頼りないところがあるし。
でも今日の美咲ちゃんを見ていて、智子もなかなか人を見る目があると思った。
私、今日はかなり厳しくしたけど、美咲ちゃんは何も言わないできちんとやっていたでしょ?普通ならまずキレて投げ出すわよ」
言いたいことなら山ほどありますが、という言葉は喉元でどうにか押さえた。
「これからいろいろ厳しいことも言うかもしれないけど、あなたなら絶対にできる」
そう言うちあきの目に、いかなる嘘偽りもないのを美咲はきちんと見てとった。
美咲の返事はただひとつ。
「…くれぐれもお手柔らかにお願いしますね」
「さあ、それはどうかしら」
「ちあきさま〜!」
どうやら家事の実地試験は合格のようだった。
しかしこれで終わりとは限らない…。
うららかな午後の日差しを浴びた薔薇の館の中。その二階はアンニュイな空気に包まれていた。
楕円テーブルに向かい合い、由乃さんと二人でお弁当を広げて居るのはいつのも光景。
今は昼休み。お弁当の卵焼きを頬張る祐巳はその、好みの甘味に表情をほころばせつつ、もふもふと味わって、ごっくんと飲み込んでからその丸い瞳を正面で気だるそうにお弁当を食べている由乃さんに向けた。
「由乃さん」
「うん?」
由乃さんは視線はお弁当に向けたまま、気のない返事をした。
祐巳は言葉を続けた。
「わたしね、ご主人様になっちゃった」
「なんの?」
ちろっと視線だけ祐巳の方へ向ける由乃さん。目が半眼になってちょっとガラが悪い。
でも、いつもの事なので気にせず続けた。
「わかんない。昨日の夜、なったばっかだから」
こんな話をしても由乃さんは相変わらず気だるそうな目のまま。
「ふうん」
由乃さんはお弁当の中からおかずの仕切りのレタスを一切れつまんで祐巳のお弁当に乗せて言った。
「お給仕」
「いらない」
というか、何処がお給仕なんだ。
「ご主人様が、好き嫌いしちゃダメでしょ?」
「信じてないでしょ」
言ってることがめちゃくちゃだ。由乃さん、全然信じていない。
「ふぅ」
祐巳はため息をついた。
まあいい。すぐに信じてくれなくたって。わたしだって急な事でとまどってるんだから。
由乃さんのくれた『お給仕(?)』を箸で摘み上げつつ言った。
「とにかくね、わたしも、なったからには自分が何のご主人様なのか知っておきたいんだ」
ご主人様っていったら、誰かに仕えてもらう立場だって事くらいは祐巳だって知っている。
でも誰かって誰? もちろん人とは限らないから、『何の』と言ったのだ。
祐巳は『何かのご主人様』になった。それだけは確かなことだ。
「でも、どうしたらいいのかな……」
窓の外に顔を向けながらそう呟いた。
外は良く晴れていて、さわやかな風が並木の新緑を揺らしている。
「とりあえず、」
由乃さんは相変わらずの調子で言った。
「小テストの予習かな」
「やっぱ信じてない……」
午後の授業の小テストが目の前の問題で、お弁当を食べ終わったらのんびり過ごすわけにはいかなかった。
いつもイケイケ青信号な由乃さんが妙に詰まらなそうにしているのはそのせいだけではないのだけど、その辺が輪をかけているのは確かなことだった。
そのときだった。
「今、ご主人様の話してたわねぇ、祐巳さん」
ふわふわのロングヘアー。柔らかな微笑み。
「志摩子さん?」
同じテーブルでお弁当を食べていた志摩子さんだ。
志摩子さんはいつもは妹の乃梨子ちゃんと一緒なのだけど、今日はなにかクラスの用事で来れなくて一人だった。
ちょっと離れてお弁当を食べていた志摩子さんは、つつと祐巳の席の横に来て、興味深そうに目を見開き、優雅な口調で言った。
「私も気付いていたわ。今日のあなたは一味違うって」
そういいつつ、手にした食べかけのお弁当をテーブルに置いて、祐巳の隣の椅子を引いてそこに座った。
「わかったの?」
「ああ、志摩子さんってお寺の娘だから……」
由乃さんが思い出したように口を挟んだ。というか、お寺の娘、関係ないって。
志摩子さんは祐巳への答えを焦らすように、箸でお弁当からおかずのなにか――あ、あれは多分銀杏だ――を口に運び、至福の表情で目を瞑ってもふもふと味わい、飲み込んでから、こんどはそのまま何かを思い浮べるようにして言った。
「宿題を忘れて先生に注意されていたあなたは、昨日とは違う!」
そして目を見開き、祐巳に箸を持ったままの手を差し出して表情を輝かせた。
「主(あるじ)の威厳に満ちていたわ!」
わかってくれたんだ! 祐巳がご主人様になったことを。
というかクラス違うのに何処で見ていたのだろう?
まあそんなことは些細なことだ。これできっと由乃さんも信じてくれたに違いない。
「威厳に満ちていた? わたし?」
期待を込めて由乃さんにそう聞くと、
「まあ、堂々とはしていたけど」
由乃さんは相変わらずの表情で気だるそうに言っただけだった。
「えっと、で、志摩子さん……」
「なあに?」
志摩子さんのほうに振り向くと満面の笑みを浮かべていた。
「わたし、何のご主人様なの?」
祐巳のことをご主人様だとみぬいた志摩子さんならきっと判るに違いない。
そう思ったのだけど、志摩子さんはすげなくこう言った。
「わからないわ」
はあ、志摩子さんでも判らないんだ。
ちょっと期待しただけにガッカリ。
志摩子さんはそんな祐巳の手を取り、爽やかな笑顔を輝かせて言った。
「わからないから、調べましょう?」
「定番なところで動物のご主人様はどうかしら?」
私たちはお弁当を食べ終わり、中庭に出ていた。
「ゴロンタに飼い主はいないよ? 野良だし」
「そうね、反応もいまいちね」
お弁当の残りでゴロンタを呼び寄せてみたものの、ゴロンタは差し出したウインナーの切れ端を平らげると、もはや祐巳たちを気に留めないで芝生の上でのんびり毛づくろいなんか始めた。
「呼べばこっちむくけど、ゴロンタのご主人様って感じじゃないよ」
「そうね、じゃあ、ほかを探しましょうか」
そうやって、昼休みは、とりあえず校内を回って、各学年の校舎から、職員室まで回って、果てはごみ捨て場のカラスまで見てきたけど、たいした収穫は無かった。
一年生の教室へ行ったときは、ちょっとだけそんな雰囲気にもなったけど、祐巳が、というより対象は三人均等で、『山百合会の二年生トリオが何をしに来たの?』と、興味が集まったと考えた方が良さそうだった。
そして放課後。
またお昼に回れなかったところを回り、薔薇の館に帰ってきたところだ。
「こんなことしてて、何か判るわけ?」
文句を言いつつも、昼休みからずっと付き合ってくれた由乃さんが言った。
「そうね。『ご主人様』と言っても、ちょっと漠然としすぎて決め手に欠けるわね」
「ちょっと祐巳さん、その『ご主人様』になったって何か根拠はあるの? いやごめんね、無いんだよね? いきなり『なった』ことだけ判ったんだよね、あなたに期待した私が悪かったわ」
なにやら自己完結してしまった由乃さん。何気に失礼だ。
祐巳はこう言った。
「あるよ」
「へ?」
目が点になってる。
私だって根拠も無くそんなことは言わない。
ちゃんと物的証拠があって『ご主人様』になったって言ったのだ。
「祐巳さん、その根拠ってなあに?」
「ほらこれ」
そう言って祐巳は鈍い金色のなにかをポケットから出した。
「あら」
「ちょっと、何処から出したのよそんなもの?」
「え。ポケットから」
「……四次元?」
それは、金属製の水差しのような奇妙な形をした物体だった。
煤けていてちょっと年代物っぽい。
「ランプね?」
そう言って志摩子さんはそれを手に取り検分するように眺めまわした。
「これってランプなの?」
「ええ、ほら、『アラジンと魔法のランプ』に出てくるランプよ」
「ああ、そういえば」
たしかに、言われてみれば確かにそんな形をしている。ちょっと思いつかなかった。
志摩子さんの言葉に感心していた祐巳に、苛立ったように由乃さんが割り込んできた。
「ちょっと! どうしてそれを昼休みの時点で言わないのよ! 重要な手がかりじゃない!」
「いや、忘れてたから……」
「だいたい、それがランプだってことも判らなかったのに、どうしてそれが『ご主人様』になった根拠なんて判るのよ?」
「えー、でも判ったんだよ? 『ご主人様』になったってことと、これが『証拠』だってことしか判らなかったけど……」
そう言うと、由乃さんは渋い顔をして頭に手を当てた。頭痛がするなら保健室行った方がいいよ?
「はああ、非常識ね。まあいいわ。で、擦ってみた?」
「え?」
「つまり、“ランプの魔神”かなにかのご主人様になったんでしょ?」
なげやりに由乃さんはそう言った。
「ああ、そうか。そうかも」
確かにあの話では魔法のランプを擦ると魔神が出てきて主人公を『ご主人様』と呼ぶのだ。
でもね。
「でも擦ったよ? ほら、煤けてて汚いから布で擦って磨いたんだよ?」
更に、蓋を開けて中も見た。でもただの金属製の器でなにも変わったところは無かったのだ。
裏返したりしてそのランプを見ていた志摩子さんが、
「あら?」
何かに気づいたように声を上げた。
「なあに?」
「何か書いてあるわ。ほらここ」
ランプの側面だ。
「この落書きみたいなの?」
ミミズがのたくったような線と幾つかの点だ。
祐巳は汚れか傷だと思っていたのだけど。
「アラビア文字かしら?」
「アラム文字かその派生文字ですね」
横から口を出したのは乃梨子ちゃんだった。もちろん乃梨子ちゃんは放課後の最初から居た。
「あら、乃梨子読めるのかしら?」
「ええ、下に『∵』があるからこれを『p』として……」
志摩子さんに顔を寄せるようにしてランプを覗き込む乃梨子ちゃん。
「凄いな。読めるんだ」
「ええ、中学の時、友達と一緒に調べたことがあって。読み方は『ぺいぺい』とか『ぽいぽい』とかかな?」
「とか?」
「この系統の文字は子音しか表記しないんです。これは英語のアルファベットで表すと『pypy』ですから」
乃梨子ちゃんの解説を聞いた志摩子さんは頬に手を当てて、少し首を傾げて言った。
「……なにかの呪文かしら?」
「呪文?」
「そう、祐巳さんがこれを持って」
志摩子さんがランプを差し出したので、祐巳はそれを受け取った。
「うん」
「それでその書かれていた呪文を唱えてみて」
「え? でもどう読むの?」
母音が確定していないのに。
「じゃあ、祐巳さんが一番呪文っぽいって思う読み方で唱えてみて」
「呪文ぽいって言っても……」
ええと『ぱいぱい』じゃエロくさいし、『ぺいぺい』ってなんか違う。『ぽいぽい』じゃなにか捨ててるみたいだ。あとは『ぴいぴい』と鳴いてもしょうがないし。
あ! そうか!
祐巳は『呪文っぽい』その言葉を口にした。
「『ぷいぷい』だっ!」
ぼんっ! とその瞬間祐巳の目の前が白い煙で覆われた。
「きゃっ!」
「な、なにこれ?」
「……ごほっ」
『きゃ』は志摩子さんで『なにこれ』は乃梨子ちゃんだ。
最後のむせているのは由乃さん。どうも由乃さん、発生した煙の真ん中に居たようだ。
少しして、煙は綺麗に消え失せた。
「煙だけね?」
「うん」
部屋の中を見回したけど魔神らしき者は何処にも見当たらなかった。
「はぁ……、もう帰りましょ」
由乃さんが、さも疲れたようにため息をつき、そう言った。
「結局、判らなかったわね」
「うん、呪文の読み方間違ってたのかな?」
「もう少し研究の余地がありそうね」
「いいよ、別に急がなくても」
そして、今日のところは解散となった。
◇
「……由乃さん? なんで?」
「……こっちが聞きたいわ」
家に帰った祐巳が、はああ今日は疲れたな、でも結局何のご主人様かわからなかったと、ため息をつきつつ、自分の部屋で例のランプを取り出して、ちょっとふざけて『ぷいぷい』とランプを擦ってみたら、ランプからまた煙が湧き出して、それが晴れると目の前に由乃さんが立っていたってわけ。
「で、その格好はなに?」
由乃さんは面白い格好をしていた。
「なにって?」
よくわからないという顔をした由乃さん。
自分の手を見て、白い手袋をしているのにまず驚いて、それから頭の、レースのような素材のヘッドドレスに触れて『えっ!?』となり、
「な、なにこれ……」
うろたえながら自分の体を見下ろして、自分が纏っているそのミニのエプロンドレスを見てこんどは『げっ』っとなった。
エプロンドレスのスカートは何か入っているのかふわりと広がっていて、その下にニーソックスで覆われた細い足と露になった白い太ももが見えていた。
「な、なによこの服! なんで私がメイド服なんて!」
そう、由乃さんはメイドだった。それはもう憎らしいほど完璧に。
その時、後ろから声が聞こえた。
「なあ、祐巳帰ったのか? 古語辞典かしてほ……」
「あ、祐麒」
振り返るとドアのところに弟の祐麒が顔を出していた。ドア空ける前にノックしろって言ってるのに。ってそういえばドア開いてたな。
「うぇっ、祐麒君!?」
慌てた由乃さん、丈の短いスカートが恥ずかしいのか真っ赤になり、スカートの裾を両手で引っ張って少しでも太ももを隠そうとしてる。
「ご、ごめんっ!」
なぜか祐麒まで顔を赤くして慌てたようにドアから引っ込んで行ってしまった。
「あれ、辞書、いらないのかな?」
「うぅ、……祐巳さん?」
由乃さんはぺたんと絨毯の上に座り込んでいた。
「な、なに?」
なにやら恨みがましい顔で祐巳を睨む由乃さん。
「これ、どういうことよ?」
「どうって……」
由乃さんは、家に帰ってから着替えて部屋でくつろいでいたそうだ。
で、突然、薔薇の館で祐巳が『ぷいぷい』って言った時みたいに、目の前が白くなって、気がついたらここにいたそうだ。
「ねえ、もしかして、私、由乃さんのご主人様かな?」
「知らないわよ!」
「でもさ」
「でももストも無いわ! なんでいきなり私がっ!」
「うーん、そこまでは」
「もう、やってらんない! 帰るわ!」
そう言って由乃さんは立ち上がった。
その格好のまま帰るつもりだろうか?
「う、うん」
「じゃあ、履く物貸して!」
「あ、そうだね」
そして一緒に部屋を出ようとしたが。
「ぎゃああああっ!」
「由乃さん!?」
ドアの所で由乃さんだけ部屋の中に弾き返されてしまったのだ。
「……部屋から出られない?」
唖然として起き上がった由乃さんは、キッと振り向いて窓を見た。
「あっ、由乃さん?」
そして駆け出した由乃さんは窓を開けて身を乗り出そうとして、
「ぎゃあーーーーっ!」
また同じようにはね返されていた。なにか火花が散ってたけど大丈夫かな?
どうやら本気で部屋から出られないらしい。
「……どうなってるのよっ!」
憤慨しつつ、座り込んで、転んで打ったところをさする由乃さんだった。
そのとき、祐巳は由乃さんの着ているエプロンドレスのエプロンのポケットから何かがはみ出しているのに気付いた。
「ねえ、それなあに?」
「え?」
よく見るとそれは古い本のように見えた。
由乃さんはそれを取り出して、その表紙をしげしげと眺めて言った。
「ええと、『魔神の心得』?」
「日本語だね」
「うん」
◇
『魔神の心得』によると、
『一度ご主人様が決まったら変更はきかない』
『一度の呼び出しにつき一つご主人様の願いを叶えること。願いを叶え、ご主人様が満足するまで魔神は帰ることが出来ない』
『願いを叶えた満足度によって魔神は魔力を得る事が出来るが、このとき満足したご主人様が魔神の頭を撫でる事によってその供給がなされる』
『魔力が増えるにつれて魔神はだんだん多くの魔法を使う事が出来るようになる』
だ、そうだ。
この『魔神の心得』は魔神用メイド服の付属品で魔神がご主人様を得た時、現れるそうだ。
またこの冊子は、所有する魔神が魔力を貯めるにつれて、使えるようになった魔法の説明が浮かび上がるとのこと。
そして全てのページに魔法の説明が浮かび上がった時、『魔神養成コース』の卒業となり、呼び出されることから開放される。
そう書いてあった。
「なによ、じゃあこれは祐巳さんがご主人様になっちゃったというよりも……」
「そうだね……」
◇
うららかな午後の日差しを浴びた薔薇の館の中。その二階はアンニュイな空気に包まれていた。
楕円テーブルに向かい合い、祐巳さんと二人でお弁当を広げて居るのはいつのも光景だ。
今は昼休み。由乃の今日のお弁当は海苔巻きづくしと凝っている。由乃はそのバランスの良い味覚に表情をほころばせつつ、もぐもぐと味わって、ごっくんと飲み込んでからその猫科のような瞳を正面で幸せそうにお弁当を食べている祐巳さんに向けた。
「祐巳さん」
「うん?」
祐巳さんは視線はお弁当をつつく手を休めて由乃に向かい、返事をした。
由乃は言葉を続けた。
「私、魔神になっちゃった」
「なんの?」
そこで由乃はいったん俯いて、肩をぷるぷると震わせてから言った。
「祐巳さんのに決まってるでしょ!」
「ちがうよ、そこは『わかんない』だよ?」
「もう、どうしてこんな茶番劇しなきゃいけないのよ!」
「えー、楽しいよ?」
「楽しくないっっ!!」
(強制終了)
「お弓、お弓はおらぬか」
倖姫が障子を少し開けて、廊下に顔を出して声を上げる。すると音も無く、黒一色の装束の女性が現れた。
「お呼びで」
「おお、お弓!」
倖姫は嬉しそうにお弓を見て、障子をピシャリと閉めた。
「姫さま。某は影の者。呼び付ければ直ちに参りますが、こうも大声で呼ばれると」
「お弓は、わらわに呼ばれるのが嫌か?」
「……いえ」
「ならばよいであろ? さ、お弓。今日はどんな面白い話をしてくれるのじゃ?」
お弓は、苦笑いを浮かべてため息をつき、無邪気に微笑む倖姫を見て、言った。
「ならば、不思議な話をしましょう。ずっと、ずっと先の世の話を──」
@ @ @
「へぇ、随分と不思議な夢を見たものね」
「それが、夢じゃない気がするのよ」
祥子は箸を置いた。食欲がないようである。
「その玉子焼き貰っていい?」
「いいわよ。好きなだけ食べてちょうだい」
令に弁当箱を渡して、うつむいてしまう。
「……実はね、祥子」
「……なに?」
「私も、変な夢を見てるんだ」
* * *
「……と思ったのですが」
「なんじゃ?」
「姫さまはどこかにお隠れになった方がよいかと」
「え?」
お弓は倖姫を抱えて、天井裏に隠れた。
「お召し物が汚れますが、ご容赦を」
「よいよい。わくわくするのぅ」
天板の隙間から部屋を見ていると、声と足音が近づいてきた。
「姫さま! 剣の稽古の時間ですよ!」
「なんと。麗蘭じゃ」
「彼女は気配を隠すのが下手ですから」
異国の剣士・麗蘭が部屋に入ってくる。
「麗蘭は好きじゃが、稽古は嫌じゃ」
「まーた逃げられた……。お弓、お弓は?」
「ここに」
倖姫を天井裏に残して、お弓は部屋に下りる。
なんだかんだと麗蘭を言いくるめて、見事部屋から追い返した。
@ @ @
「もぅね、すっごく令ちゃんがかっこいいの!」
「へぇ。これあげる」
祐巳は自分のラーメンから美味しそうなチャーシューを一枚つまんで由乃さんのラーメンに乗せて言った。(C:まつのめさま)
「なによこれ」
「お祝い」
「ありがと」
麺食堂でラーメンをすすっていた二人は、昨日見た夢の話で盛り上がっていた。
なんでも、江戸時代かそこらへんの時代背景で、令さまがやけにかっこいい異国の剣士さまだったらしい。
「私もなんか変わった夢見てたんだけど。覚えてないのよね」
「残念」
「私がテキパキしてたというか、なんというか」
「あ、それはないわ」
「ちょっと、由乃さん」
「はい」
「なにこれ」
「慰め」
「ありがと」
祐巳のチャーシューが帰ってきた。
* * *
「遥か先の未来でも、わらわはお弓と一緒がよいのう」
「……某もです」
「わらわは自立しているのかのう。父上や母上の栄光を受けずとも、立派に生きていけるかのう」
「おそらくは」
「……お弓」
「はい」
「伴天連から贈られたものじゃ。これをお弓にやろう」
「これは」
「るざりおとか言うやつでの。首から提げておくものじゃ」
「よろしいのですか」
「これが、わらわとお弓を繋ぐ絆じゃ」
「姫さま……」
月明かりの下、少しおてんばな姫と表情豊かな忍が、絆を深めた。
@ @ @
「……詳細を聞いた私が馬鹿だった」
令は天井を仰いだ。祥子は笑顔で話を続ける。
「もうね、胸がいっぱいでご飯も喉を通らないのよ♪ ああ、きっとあれは祐巳なんだわ! 前世かしら? ねぇ、令?」
「知らないよ、そうなんじゃない?」
「そうよねぇ、私と祐巳ったら、前世でも一緒だったなんて♪」
「……助けて、由乃ぉ……」
異国の剣士の生まれ変わりは、随分とヘタれた声を上げた。
◆遥か昔から遥か未来まで、みんなつながってるのです。
【No:1798】のお返事です。
YHKHさん>原典というか、ラーメンズの「斜めの日」という芝居と同じ世界観です。とにかく斜めになる一日のお話なので、結構面白いですよ。
【No:1808】のお返事です。
xさん>ありがとうございますw
YHKHさん>だ、大丈夫ですか?
mimさん>俺の脳でしたら申し訳ありません。
良さん>安心して下さい。俺もです。
砂森 月さん>絶対に民明書房ですかね。このおまじないの本。
ROM人さん>ああ素晴らしき椿組。
※この記事は削除されました。
久々に原点回帰のイニGシリーズ。
【No:1779】ラストシーンと、ROM人さまのコメントに触発されて書いてみました。
「どういうことなのよ…ありえないわ」
島津由乃は眉間にシワを寄せ、腕組みをして考え込んだ。
それほど散らかっているわけでもない、むしろ女子高生の部屋とは思えないほど
殺風景で片付いているこの部屋に、どうして『それ』がいるのか。
「どこかから迷い込んできたのかしら…」
その問いの答えは部屋の中から聞こえた。
『迷う?私たちはここにずっと住んでいたのよ』
「ああ、そうなの…って、誰なの!?」
『ここよ』
声のするほうを見ると、机近くの壁にGがへばりついている。
「ひ…ひっ…」
『落ち着きなさいよ、まだ何もしてないでしょ?』
「これが落ち着いていられますか!だいたいあんたどうして私の部屋なんかに来るのよ!」
由乃は叫ぶ。
しかしGはそれに答えることなく、どこかへと消えてしまった。
『間違いない…以前パチンコショットで私たちの仲間を殺したあの女です』
『偵察ご苦労さま。それで?私たちが生きられそうな環境は整っていたかしら?』
『あいにくとそれらしいものは存在しないようで…どうにも片付き過ぎていて、
とても落ち着いては暮らせません』
『餌になりそうなものもなく、温度湿度も私たちの生存には向かない、というわけね』
『そういうことです女王様、ここを我々の拠点にするのは無理があるかと』
『あら、別にこの部屋でなくてもいいじゃない?普段はこの家の冷蔵庫あたりに潜んでおいて、何かの拍子に驚かせてやれば?
それを何度も繰り返せば、たとえ人間界最強レベルの兵士でも堪えるはずよ』
『女王様、ずいぶんと強気ですね』
『勝算大有りだからよ。この女は突発的な戦闘には強いけれど、持久戦には弱いから。
私もこの部屋に時々訪れて観察していたけれど、勢いだけで進んでしまうから、あとが持たないの。で、何かあると"令ちゃんのバカ!"で終わり』
『ずいぶん細かく観察してますね…』
『当たり前でしょ。私もだてにGの女王やってないわよ』
『ではそこを一気に攻めれば…』
『島津家での新たな拠点構築は可能よ。ベッド下は盲点だろうし、あそこには適度な暗闇と餌になるホコリやハウスダストもある。
忘れないでね、私たちは雑食性なのよ』
…なんか嫌な会話が聞こえてきたが、それを「疲れたせいね」と強引に結論を出し、
由乃はそのまま眠ってしまった。
翌日由乃の話を聞いた山百合会メンバーは表情を変えた。
「由乃さま…すぐミッションを発動しなければ、大変なことになりますよ。
岡本家や安西家の例もあることですし」
乃梨子は断言した。
そのあとをちあきが受ける。
「乃梨子さまのおっしゃるとおりです…特に『持久戦には弱い』のくだりなど、
これほど的確に由乃さまを分析しているとは驚きです」
「まさかうちがミッションの舞台になるなんてね…」
ふだんのイケイケからは想像もつかないほどしおれているのは、眠ったあとも聞こえてくるガサガサという音のせい。
そのおかげで寝不足なのだ。
「どうなさいますか?すべては由乃さましだいですが」
ちあきの最終尋問。
言外に「絶対にノーとは言わせない」という強い意志を見てとったのか、
由乃はついに決断した。
「…分かった。発動するよ」
ちあきは表情を和らげてうなずくと、恒例のミッション・コールを発した。
『今回のミッションは、島津家におけるG軍団の拠点構築阻止!
全員個々の役割を完璧に果たせ!』
『ラジャー!』
「と、意気込んではみたものの…これが普通の女子高生の部屋とは、
とても思えないのよね」
祐巳は素朴な疑問を口にした。
無理もない。
まずこのインテリアの色合い。
白一色の壁の下半分はダークブラウンの木の板でコーディネートされている。
カーテンは薄い黄色地に、濃い黄色と緑のチェック柄。
部屋にある家具は、ミニコンポにベッドに小さなテーブル、そして本棚。
それ以外には何もない。
それに壁にも絵の1枚もかかっていない、まさに殺風景を地で行く部屋。
先ほどのG軍団の分析どおり、片付き過ぎて逆に居心地が悪そうにも思えるが、
本人は気にはしていないらしい。
「確かに掃除のしがいはなさそうな部屋よね」
志摩子はのんびりした口調で付け加えた。
現に、主だった部分の掃除はわずか20分ほどで終わってしまったのだ。
その傍らで祐巳は厳しい顔をしている。
「どうしたの?祐巳さん」
由乃の問いに、祐巳は答えることはなかった。
先ほどから部屋の片隅をじっと見つめたまま、まったく動こうとしないのだ。
「祐巳さん?」
志摩子もさすがに心配になってきた。
普段は厳しい表情など見せることのない祐巳が、身じろぎもせず憤怒の形相でいるのだから。
「…出てきなさい。私たちは逃げも隠れもしないわ」
やがて1匹のGが、意を決したように現れた。
『また私たちの邪魔をしにきたのかしら?いい加減に懲りたらどうなのよ』
祐巳はその挑発を鼻であしらった。
「おあいにくさま、これでも私ってば頑固者だから…あんたたちのたくらみを確実につぶすまでは逃げたくないのよ」
『あきれた意地っ張りね、あなたも…そんなふうに言っていられるのは、今のうちだけよ』
言い終わるとGは配下の軍団を引き連れて、祐巳たちに対峙した。
『全軍出撃!』
「くらえ、怒りのパチンコショット!」
正義のパチンコ玉がG軍団を確実にしとめていく。
『おのれ、こしゃくな〜!』
Gたちは集団で由乃に襲い掛かり、体中を我が物顔に這い回る。
「ぎゃ〜っ!」
あまりの驚きとショックで腰を抜かしかけた由乃に、救いの手が差し伸べられた。
「蜘蛛の網(スパイダーズ・ネット)!」
由乃に群がっていたG軍団を一網打尽にした網。
その技の使い手は、最近力をつけてきた菜々。
「菜々…あんたいつの間にそんな技を…」
菜々は不敵な笑みを見せた。
「由乃さまには分からない場所で、私もいろいろとやっているんです」
育ちのせいかプライドが高く意地っ張りなところがある由乃は、
なかなかその一言が口に出せない。
「…一度しか言わないから」
由乃は耳まで真っ赤にしつつ、小さな声で言った。
「…ありがとう」
『ええい、何をしておる!支倉家からの援軍はまだか!』
『それが…全員トラップに捕まって、身動きできる状況ではないと連絡が…!』
『あの役立たずどもめ…こうなったら我々だけで勝負だ!』
G軍団の攻撃はさらに激しくなり、部屋中を縦横無尽に飛び回っては、
容赦なくミッションを襲撃する。
「いやぁぁぁぁっ!」
美咲が甲高い悲鳴を上げる。
その指先を、Gは渾身の力で食いちぎろうとしていた。
「美咲ちゃん、大丈夫!?」
持っていた強力ゴムでGを払い落とすと、祐巳は指令を出した。
「美咲ちゃんをいったん下がらせて!指をケガしてる」
「了解!」
菜々に連れられて別室に下がる美咲の姿が目に入る。
祐巳の怒りはその瞬間、頂点に達した。
「あんたたち、よほど私を怒らせたいんだね…分かったよ。
私たちの本気を見るがいい…」
激しい怒りの念をこめて、インセンスに火をつけ、そして吹き消す。
あたりに広がる、聖なる煙。
呪文詠唱が始まった。
『今やこの戦いの勝利は我らにあり…
この煙の立つところ、正義が必ず支配し、悪しきたくらみは無に帰する…
神聖薫香竜巻(ホーリー・インセンス・トルネード)!』
白い煙は強烈な竜巻となって、G軍団すべてを大気の彼方へ吹き飛ばした。
「祐巳さん、そしてみんな、ありがとう…ひっ」
そのとき由乃が見た祐巳は。
血走った目に、つりあがる眉。
真一文字に結ばれた口元に、かすかに震える両手。
先ほどまでの戦いの余韻が残る、壮絶な形相で立ち尽くしていた。
『これで終わりだと思わないでね。私たちは不死身だから』
戦いのあとの空間に、敵の最後の言葉が響いた。
「祐巳さま…大丈夫ですか?」
指のケガを治療してもらった美咲が、祐巳を気遣う。
「私は平気よ…美咲ちゃんこそ、大丈夫なの?」
美咲は祐巳の異変を鋭く感じ取った。
声にまったく抑揚がなく、感情がこもっていないのだ。
「祐巳さま!」
悲痛な声で叫び、祐巳の肩を揺さぶる美咲。
「お願いです、戻ってきてください!」
しかし祐巳は美咲の言葉に返事をすることなく、そのまま床にくずおれた。
「祐巳さま!祐巳さま!」
祐巳の体を抱きしめ、美咲は必死にその名前を呼ぶが、反応はない。
「志摩子さま、救急車を早く!」
志摩子は階下へ急いで降りていった。
病院での診察の結果、急激なストレスと疲労による一時的なものと診断され、
ミッションメンバーは胸をなでおろした。
「ごめんね、心配させて…」
「祐巳さま、お願いですからあまり熱くならないでください。
毎回倒れていたのでは身が持ちませんよ?」
ちあきはため息をつきながら忠告した。
しかしそれを一笑に付してしまう祐巳。
「あら、この間『なんなのこの家庭科のテストは!』って智子ちゃんや美咲ちゃんを追い回していたのは誰?
2人がメールで言ってきたよ、『何とかしてください!』って」
「祐巳さま〜…」
「熱いのはお互い様だよね?」
有無を言わさぬ笑顔。
(ねえ…祐巳さん、なんか変わったよね)
(もしかして逆らったらミッションから追放?)
どうやら祐巳がいる限り、ミッションは安泰…かもしれない。
「あっはっはっは」
「くすくすくす」
日付が変わるまであと数十分といった時間、リビングのテレビの前では、福沢姉弟がバラエティ番組を見ながら、笑い声を上げていた。
「だっはっはっは」
「うふふふふふふ」
弟の福沢祐麒─花寺学院生徒会長─は、腹を抱えて大声で笑い、姉の福沢祐巳─リリアン女学園高等部生徒会役員─は、口元に手を添えて笑っている。
「わはははは」
「はは………」
「うはーははは…は………?」
「………」
姉の笑い声が途絶えたことに気付いた祐麒は、彼女の方をそっと見やると。
「すー…くー………」
いつの間にやら、寝息を立てていた。
「おい、祐巳」
「くー」
「祐巳ってば」
「すー」
何度呼びかけても、一向に目を覚まさない。
それもそのはず、何故だか祐巳は、暢気なのか図太いのかは分からないが、一度眠りに付くと、なかなか目を覚まさないのだ。
「おーい、こんな所で寝ると風邪ひくぞ?」
無駄とは知りつつも、姉想いの祐麒は、声をかけずにいられない。
寝入っている祐巳の顔はとても幸せそうで、ほのかに想いを寄せている祐麒からすれば、何時までも見ていたい気になるが、そこは姉と弟という関係、血の繋がりが彼を現実へと引き戻す。
「仕方がないな。部屋に運んでやるか」
細身なのに肉感的で、ぷにぷにと柔らかく良い匂いがする祐巳を、若干頬を赤らめつつドギマギしながら彼女の身体に手を回し、お姫様抱っこの形で抱え上げた。
「う…ん………」
祐巳の首が動き、祐麒の肩にもたれかかる形になり、彼女が吐く息が、胸の辺りに暖かい感覚をもたらした。
そのせいか、さらに祐麒の動悸が早くなる。
このままでいると、理性が吹っ飛んでしまいそうだ。
惜しいと思う気持ちと、早く彼女を運ばなければという気持ちがせめぎあい、焦っているのに脚はゆっくりとしか動かないという、矛盾した状態に陥っていた。
祐巳を抱っこしたままリビングを出たところで、
「祐麒!?」
「父さん!?」
父の祐一郎が、姿を現した。
「なななななな何をしているのかね!?」
「なななななな何をって………。ゆゆゆゆ祐巳が寝ちまったから、へへへ部屋まで運んでやろうと思って」
なぜかお互いに動揺している、変な親子。
「ふぅ、なんだそうか。いやてっきり、祐巳ちゃんをだな、お前が………」
「父さんは俺をなんだと思ってるんだ?」
露骨に安堵している父を、ジト目で見やる祐麒。
「はっはっは、いやそのまぁなんだ。どうだ、父さんが代わってやろうか」
「いやいや、こんな機会は滅多にないからね。いくら父さんでもダメだよ」
本音を漏らしつつ祐麒は、祐巳を守るように腕に力を入れて抱き締めた。
「そう言わずに、父さんと代わりなさい」
「ダメだってば。祐巳は、俺が運んでやるんだから」
なんだか鼻息が荒く、目の色が変わっている父の言動に危機感を覚えた祐麒は、背を向けて、少しでも祐巳を遠ざけようとした。
「ととととと父さんと代わりなさい!?」
「だだだだダメだって!」
慌てて逃げようとしたが、祐一郎は肩を掴んで引き寄せようとした。
「祐巳ちゃんを………」
「だからダメって………」
ゴト。
『あ』
手元が疎かになったのか、祐麒の手を離れてしまった祐巳は、万有引力に些かも逆らうことなく、廊下に音を立てて落っこちた。
「すー…くー………」
結構鈍く大きな音がしたというのに、変わらず寝息を立てる祐巳に、呆れて正気に戻った祐麒と祐一郎。
「まーその、なんだ。………任せた」
「………うん」
頭を振り振り去って行く父の背中を見ながら、祐巳を抱え直した祐麒は、そのまま真っ直ぐ彼女の部屋に運ぶと、ベッドに横たえ、布団を掛けて、姉の部屋を後にした。
「むぅ、親父の気持ちは分からんでもないけど、ちょっとあれは異常だったよな………」
でも、会話中に微かなアルコール臭がしたことから、酔っていたのかもしれない。
「どっちにしろ、要注意ってことかな………」
父に対する不信感を抱きながら、自室のベッドの上、自分を差し置いて、警戒心を露にする祐麒だった。
【No:1054】、【No:1179】、【No:1194】、【No:1519】、【No:1671】、【No:1681】、【No:1710】と続いてます。
大変だった。
何が如何、とは言わない。
とにかく大変だった。
まさかこの代の薔薇様方が、ココまでぶっ飛んだ人達だったとは思わなかった。
うん、特に黄薔薇様。
さすが江利子様のお姉様。
ぶっ飛び具合は江利子様の比ではありませんね。
えぇ。
まさか自己紹介終了直後に
『白熱!! リリアン最強は誰だ!? 少女だらけの武術大会!!』
なるものにエントリーさせられる事になるとは思いませんでしたよ。
それも
「二人だし丁度良いか。
なかなか枠埋まらなくて困ってたんだよね〜」
なんて理由で。
……まぁ、詳細は省かせてもらいましょう。
一言だけ言うなら、負けませんでした。
とにかく凄かったんですよ。
午前中だけでも。
で、今昼食食べてます。
咲姫と。
そして、紅薔薇様と黄薔薇様。
「今更な気もするけど、三人とも私と一緒にいていいの?」
そのさなか、私は気になっていた事を問いかけてみた。
「ふぇ?」
間抜けな声を出したのは黄薔薇様だ。
口にホットケーキを含んだまま、首をかしげている。
行儀が悪い……とか注意するより、素直に可愛いといった感じだろう。
背が低く、童顔な彼女にはそういう仕草は似合ってる。
……問題は、その突拍子のない思考回路なのだけど。
「私たちは、私たちが居たいから祐巳ちゃんといるの。
何か問題あるの?」
うん。
言動見てると如何しても年下にしか見えない。
いや、実際の年齢考えたら確実に年下なんだけど。
今の状態からしても傍から見てどちらが年上か聞かれれば私だといわれるだろう。
「あぁ、妹たちの事?」
紅薔薇様が思い至ったらしい。
そう。
まさにその事を気にしてたんだ。
と、その事が表情に出たのだろう。
「いいのよ。時間はとってあるし、蓉子は祥子ちゃんとデートしてるから」
「聖もね、きょう栞ちゃんにロザリオあげるんだって張り切ってたし、色々あったから邪魔するのもね」
「うんうん。あぶれた物たちは新しい玩具に癒しを求めに来たんだよ」
……咲姫と紅薔薇様はともかく……黄薔薇様。
貴女は私の事そう認識してたんですね?
「あ、あはは……笑顔が素敵にバイオレンスだよ祐巳ちゃん?」
「まぁ、そっちがいいなら私は別にいいんですけどね」
実際、この人達といるのはそう悪い気分ではないし。
そもそも咲姫はこの世界で初めての友達だ。
色々知りたいと思う。
だから。
「実際、楽しいですし。
まぁ、今年の薔薇様がこんなにとんでもない人達だとは思いませんでしたけど」
特に黄薔薇様と咲姫。
と、笑顔で付け加える。
「そうよね!」
ガシッ!
っと。
紅薔薇様が私の腕をつかむ。
「何時も何時も何時も何時もこの二人は問題ばかり起こすのよ。
その度にいろんな所へ頭を下げにいく私の苦労……」
が、うんぬんかんぬん。
しばらく紅薔薇の愚痴に付き合うことになってしまった。
でも紅薔薇様?
そんな笑顔で楽しそうに愚痴ってもその境遇を楽しんでるようにしか見えませんよ?
ほら、咲姫と黄薔薇様も苦笑してるし。
でも笑顔。
食事中、皆笑顔。
良い人達だ。
この人達は。
……そうでなければ、あの蓉子様達がお姉様に選ぶはずもないのだけど。
うん。
安心した。
自分にとって大切であった人達が。
自分にとって大切である人達が。
自分にとって大切になるはずの人達が。
自分に合う前でも笑っていられる環境にあると知って。
自分の力で如何こう出来るなんて思い上がるつもりはないけど。
やっぱり大切な人達には笑っていてほしい。
だから、安心した。
「紅薔薇さまも、黄薔薇様も、咲姫も。
山百合会の皆さんの事が本当に好きなんだね」
つい、口をついて出た。
それは紅薔薇様が愚痴を言い終え、咲姫と黄薔薇様が紅薔薇様に抗議し、その言い合いが蕾やその妹の事まで及んだ時。
その間隙を縫って三人に届いた。
その言葉に。
「「「……もちろん!」」」
一瞬驚いたような顔をして、そしてまた笑顔で。
そう答えてくれた。
「祐巳、羨ましい?」
咲姫がそう聞いてくる。
そう、だね。
「少し、羨ましいかもしれない」
私は、失ってしまったものだから。
「だったら、祐巳も高等部にあがったらさ、山百合会に入ればいいよ。
私たちはもう居なくなっちゃうけど。
聖も、蓉子ちゃんも、江利子ちゃんも、きっと歓迎してくれるよ」
ふと、思い出す。
初めて薔薇の館に入った時の事。
明らかに場違いな私を、それでも誰もそこにいる事を拒まなかった。
そんな人達だから。
きっと、咲姫の言うとおりになるだろう。
だから。
「そうです、ね。
それもいいかもしれません」
なんなら紹介しとこうか?
いいえ結構です。
そんなやり取りも。
「だって、それはずるいですよ。
せっかく新しい出会いになるんだから、やっぱり自分で会いに行きたいじゃないですか」
それは、少し逃げが含まれている。
正直、まだ合うのが怖い。
でも、ね。
それ以上に信じてるんですよ?
きっと、また私はあの場所にいける、と。
だって、こんなに暖かい場所だから。
私の体の奥にある、この地獄の最奥のような恐怖という名の氷も、きっと溶かしてくれる。
そう、信じてるんです。
「「ええぇぇぇぇぇえ!?」」
「「きゃっ!?」」
あ、今の悲鳴は私と咲姫です。
……いや、私だって何時までも怪獣ではいられません。
これでも小笠原のパーティーに招待されたのは軽く三桁を超えてますから。
その場でそんな悲鳴、出せるわけもありません。
がんばって矯正したんです。
「な、何?」
「祐巳ちゃん、年下!?」
「はい、そうですけど」
「てっきり同い年だと思ってたわ」
……咲姫?
「あ、あはは……ついうっかり言い忘れてた」
何で貴女はそんな汗をかいているのかしら?
私の顔に何かついていますか?
「咲姫、栞ちゃんのことで相談に乗ってもらったって言ってたし」
「咲姫のこと呼び捨てにしてたからつい勘違いを……」
「いえ、別に良いんですけどね。
私、そんなに年取ったように見えます?」
もしそうならショックだ。
一応、この体は実際に中学生の時のものなんだから、老けて見えるなんて考えたくないし。
「う〜ん……見えるというか、感じる?」
「えぇ。雰囲気が……私たちと普通に話してるし、違う学校の友達なんだと思ってたわ」
「リリアンの生徒でなければ、薔薇様もただの生徒会長だしね」
……あぁ、そうか。
私が薔薇様前にして普通に接してた事が誤解をさらに助長してたのか。
「そうだよね。
初めてあったときから思ってたけど、祐巳って薔薇様前にしても全然緊張しないんだもん。
少し驚いた」
うんまぁ、それは仕方ない。
私の周りはそういう人ばかりだったんだから。
って言うか、異色だけど私も薔薇様そのものだったわけだし。
「まぁ、緊張してもしょうがないでしょ?
目の前にいるのは私と同じ人間でしかないんだから」
「そう、なんだけどね」
「祐巳ちゃん、凄いね〜」
うんまぁ、そういう事で。
「落ち着いてるしね」
「落ち着いてるよね」
「落ち着いてるからよね」
三人そろってそんなことを言い出した。
「いったい何が?」
「さっき言った年上に見られる理由」
「祐巳、落ち着きすぎなのよ」
「うんうん。きっと私と比べると祐巳ちゃんのほうが年上に見えると思う」
「「いや、それはあんたが落ち着き無さ過ぎなんだ」」
咲姫と紅薔薇様のダブル突っ込み。
ステレオで叩かれた頭を抱えて涙目で沈む黄薔薇様。
そんな様子に、思わず笑みがこぼれる。
「咲姫と紅薔薇様と黄薔薇様、本当に仲がいいね」
「もっちろん」
「生涯の親友だからね」
「だからさ祐巳ちゃん」
「「私達の事も名前で呼んでくれない?」」
え?
それって……
「ほら、私たち名前で呼んでるじゃない?」
「黄薔薇様って呼ばれるより、名前で呼んでほしいなぁ?」
あぁ、そうか。
ここがここちいのは。
もう、私の事を認めてもらえていたからなんだ。
「私的には、もう祐巳ちゃん親友なんだけどなぁ?」
「私だってそうよ。咲姫の友達は私の友達。
ほら、何の不思議も無いでしょ?」
「……だってさ」
心が温かくなる。
本当に、幸せになってくる。
私の中にあるわだかまりを、三人の笑顔が、少しずつ溶かしていってくれる。
だから。
「ありがとう」
そういおう。
「ありがとう、宮子、真雪。
そして、咲姫」
「感謝されるような事じゃないと思うけど」
「いいじゃない。私もありがとう、祐巳」
「そうそう。祐巳が感謝したいなら私も祐巳に感謝。
ありがとう祐巳」
「……咲姫、本当に変わったねぇ……これも祐巳ちゃん効果かな?
じゃあ私も、ありがとう祐巳ちゃん」
それから、四人で笑いあった。
三人が舞台の準備の為に別れる時間になるまで、四人で笑いあっていた。
後書き
……忙しかったんです。
……夏季休暇はあっという間でした。
……はい。
全然言い訳になってませんね。
復帰します。
よろしく。
因みに『白熱!! リリアン最強は誰だ!? 少女だらけの武術大会!!』はしゃれですので書きませんよ?
◆プチえってぃな可能性アリ。
その日、鳥居江利子は困惑していた。
「あら江利子。ごきげんよう」
目の前にいるのは、明らかに山口真美ちゃんだ。
新聞部の築山三奈子さんの妹で、新聞部のエース。
江利子は、ひたすらに脳をフル回転させる。
●ツッコミどころ、その1
誰もいない薔薇の館にいて、普段蓉子が座る席に座っている。
●ツッコミどころ、その2
仮にも黄薔薇さまである江利子を呼び捨てにしている。
●ツッコミどころ、その3
なんでスクール水着姿なのか。ていうかリリアン指定の水着じゃないし。
とりあえずこの3つが上がった。
「あ、あの……お姉さま?」
江利子は自分の発言に驚いた。すんなりと「お姉さま」と呼んだのだ。
「なぁに? 江利子」
「あの、どうして、今日は、その」
「江利子ったら、どうしたの? そんなに噛んじゃうなんて」
クスリと笑う真美ちゃん。その姿に、江利子は軽くときめいた。
少しだけおでこを出した髪形。
控えめな体つきによく似合うスクール水着。
普段は三奈子さんを嗜める印象しかないのに、初めて見た柔らかい笑顔。
自分のハートがズッキュンドッキュンときめくのが感じられた。
「お、お茶淹れますね!」
「ありがとう」
なんだか楽しくなってきた。
「ごきげんよう」
蓉子が入ってきた。すると、真美ちゃんを見て動きが止まった。
同時に、蓉子を見て江利子の動きも止まった。
「真美さま! 今日はどうして?」
「ごきげんよう、蓉子ちゃん」
笑顔で蓉子と真美ちゃんが話をしているが、その蓉子の衣類が問題だった。
アメリカ人でも着ないような際どいデザインの水着。
Vの形をしたそれは、大事な部分を隠してはいるが、後ろから見ればお尻が丸見えだった。
「蓉子、それ……」
「え? ああ、昨日買ったのよ。似合う?」
「似合うというか、素敵な目の保養だけれど、ちょっと……」
「おっはよー」
「聖!!」
江利子は三度驚く。
聖もまた水着姿で、というか水着っぽくて、というか一瞬全裸に見えました。
ビキニは着てるけれど、それは下だけでして。
「ちょっと聖、それは流石にこの掲示板ではやばい格好よ!?」
「えー、いいじゃんヌーブラ」
「それは絆創膏っていうの!!」
さすがにこればっかりは危ないと感じたので、無理やり体操着を着せる。
ちょっぴり逆効果でさらにえってぃな感じになったのは気にしない。
制服を着ているのは自分だけ。随分と奇妙な光景だ。
あれ? じゃあ三奈子さんの妹は誰になっているのかしら?
それともお姉さまって真美さんにそっくりだったんだっけ?
江利子の思考が崩れていく。
ていうか最初の時点で夢だってわかっていたけど、まぁ、これはこれで。
◆【No:1811】のお返事です。
YHKHさん>あのメンバーはいかなる時代でも繋がっているんですよ。きっと。
るんるん
「ごきげんでございますね、お嬢さま」
「キヨ、なんでここに?祐巳と遊園地へ行くのよ。楽しみだわ」
「お断わりなさいませ」
「なぜ?」
「お嬢さまはわたくしの別荘へ祐巳さまをお呼びするおつもりでございますね」
「ええ」
「わたくしには見えます。お嬢さまがぐずぐ…、機会をうかがっているうちにあのかたに予定が入ってしまうのが」
「そんな」
「ですから遊園地をおとりやめになって埋め合わせにお呼びするのです。そうすればヘタ…、おくゆかしいお嬢さまでもきっとお誘いできるでしょう」
「名案だわ…。でも大丈夫かしら」
「ええ。けっして遊園地では出番がないからとか思ってはございません。かならずうまくいくと思います」
「ありがとう、キヨ。そうするわ」
※この記事は削除されました。
初めまして、憐といます。今回がSS書くのも、投稿も初めてなんですけど
よければ感想お願いしますm(_ _)m
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夢をみた…
それはまだ私がちいさかった時の夢だった。
その時の私は、小学校1年生ぐらいで母に連れられ大きな公園で遊んでいた。
砂場で山やお城、トンネルとかを楽しく作っていたとき
「バタンッ!!」
と近くで誰かがこけた音がして、あわてて振り向いたら祐巳と同じか少し年上位の子が
泣きそうな顔をして立ち上がっていた。
気が付けば祐巳はあわててハンカチをかしてあげていた。
その時の祐巳は、その子が泣かないように必死に話し掛けたり、
綺麗な花で花束を作ってあげたりしているうちに次第にその子は笑顔になっていき最後には2人で笑っていた。
その子はよくみると、とっても綺麗な子だった。
そのことがきっかけで公園などで会えばよくその子と話すようになっていた。
その日も、いつもと変わらずその子と遊ぶつもりで公園に行ったけど、その子はまた
あの日のような泣きそうな顔で公園で待っていた。
「どうしたの?××ちゃん」
「祐巳ちゃん… 私、引越しちゃうからもうこの公園にはこれないの…」
「でもね、きっとまた戻ってくるから」
「うん…」
「あと、10才年をとった時にこの場所にきっと戻ってくるよ」
「「約束だよ」」
「「指きりげんま、嘘ついたら……」」
ここで夢から覚めた…
不思議な事にこの夢では相手の名前がどうしても聞き取れなかった。
そして、それが今から丁度10年前位の出来事だった。
それからその約束を思い出した祐巳はさっそくその公園に向かっていた。
そしてあのベンチに座ってずっとまっていたが一向に相手が来る気配はなかったので
仕方なくその日はあきらめて帰ったが、その翌日から約束を守るためにできるだけ公園に
かよっていた。
〜数日後〜
祐巳はあきらめずに公園で待っていたところ、
「ゆ〜みちゃん」
と呼ばれ振り返ろうとした瞬間、抱きつかれた。
「ぎゃう」
と怪獣声をあげながらもなんとか抱きついた相手を見た瞬間、
ニコーと悪戯が成功したのを喜んでおもいっきり笑顔の白薔薇こと佐藤聖がいた。
「こんな所で、きぐうだね〜」
「ほんとですね。」
「そういえばこんな所まで、今日はどおしたんですか?」
「まちあわせ〜」
えっ!!と思いつつ
「まさか、昔の約束とかいいません…よね?」
「そうだけど…なんでしってるの?」
とキョトンとした聖をみながら、祐巳はただ笑うしかなかった。
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[強制修了]
最後まで読んでくださって有難うございます。
あと、結構自分的なかってな設定になってますので。そこら辺は気にしないでください。
これはあえて、三人称で書かせてもらう。綿密な取材に基づいた創作であると考えてもらってもよい。
大変申し訳ないが、面倒な説明は省かせて頂く。
とにかく、小笠原祥子と細川可南子、そして松平瞳子は、凄まじい能力を身に着けてしまったのだ。
一番最初にこれに気付いたのは、細川可南子だった。
学校からの帰り道。近所の八百屋の店先で、とても美味しそうな柿を発見した。そして、それを購入したのだ。
その時の相手をした、八百屋「八百重」の大将・重野太市さん(62歳)はこう証言する。
「いやぁ、おっきい姉ちゃんが柿くれって言ったから売っただけだよ。ま、結構可愛かったから二つおまけしたがね、がはははは! あ、ちょっと母ちゃん、耳引っ張るなって、お客さんの前なんだから、すまんすまん謝るから」
とにかく、柿を3つとおまけ2つの計5つを手に、可南子は自分の部屋に戻ったのである。
「ただいま」
言ってはみるが、返事は無い。小さくため息をつき、私服に着替えてから、キッチンに立つ。買ったばかりの柿の皮を剥き、皿に載せる。
とりあえず、一口食べてみる。とても甘く、そして美味しい。
(祐巳さまにも食べさせたら、喜ぶかしら)
なんて考えたもんだから、さぁ大変。次の瞬間、可南子は自分の身体の奥が疼くのを感じた。
「な、なに!?」
身体が火照る。自分は柿アレルギーだったのか、などと考えてみたが、その思考も止まった。
視界が変化する。しゃがんでもいないのに、どんどん下へとシフトしていく。
自分が小さくなった、と分かったのはその直後であった。着ていた服がダブダブになっていたのである。
「こ、これは……」
ふらふらと歩きながら、可南子は自室の姿見の前に立った。
直後、悲鳴。
しかし、嬉しそうな。
「ゆ、祐巳さま!?」
可南子は、祐巳になっていた。
この時祐巳は、祐麒とプロレスごっこをして、弟の理性を無意識に破壊しかけていた。
「ちょっと令! 一体どういうことなの!!」
小笠原祥子の金切り声は、電話の向こうの支倉令に十分届いたようだ。
「祥子、耳鳴りした、耳鳴り」
「令の耳鳴りなんてどうでもいいのよ!」
「ひ、ひどくない?」
「説明して頂戴。どうして貴方から貰った柿を食べた私が、祐巳になるのよ!!」
「そんな事言ったって、ていうか意味が分からないよ、祥子」
「馬鹿!」
「ば、馬鹿……さちこぉ」
「ちょっと令、泣くのはよしなさい! 言い過ぎたのはごめんなさい、謝るから」
「うん……うん」
「だから、あなたは何ともないの? 柿、食べたんでしょう?」
「私は、なんともないけど……由乃にあげちゃったから……」
「ちょ、ちょっとそれって、不味いのではなくて?」
「……え?」
令の息遣いが止まった。すると、電話口の遥か向こうから、怪獣の鳴き声らしきものが聞こえてきた。
「れいちゃあああああああああああああん!!!!!!!」
「う、うあわああわわよしよよしよしのおおおお」
「なんでわたしが令ちゃんになるのよおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
「お、おちついてよしのおおおおおおお」
そこで電話が破壊されたのか、鈍い音と共に、令との通話は途絶えた。
とにかく、あの柿は普通のものではなかったようだ。
ため息と共に受話器を置くと、すぐにベルが鳴った。表示されている番号は、見覚えのあるものだった。
この時祐巳は、お風呂上りに随分とラフな格好でいたので、弟の理性を限界寸前まで追い込んでいた。
「祥子お姉さま……」
我ながら弱弱しい声だ、と松平瞳子は思った。
お風呂から上がってすぐ、下校時に祥子から貰った柿を思い出した。令からのおすそわけのおすそわけであったが、瞳子は嬉しかった。
普通に皮を剥き、普通に食べた。とても美味しかった。
そして、なんの意識もせずに、鏡を見た。
毎日見ている狸顔がそこにあった。瞳子は普通に通り過ぎる。ちょっと戻る。もう一度鏡を見る。うん、祐巳さまがいる。瞳子は再び通り過ぎる。慌てて戻る。鏡を凝視する。自分のいるべき場所に、祐巳さまがいる!
気付くのにイギリスのコメディアンみたいな行動を取ってしまった瞳子は、かなりパニックになった。
自分の身体は自分がよく知っている、と一旦裸になりかけたが、祐巳の裸を想像して鼻血が出た為にそれは中止。鼻にティッシュを入れた祐巳の顔に爆笑。普段の髪形をしてみたが、縦ロールが微妙な為に落胆。
三人の中で一番面白い動きをした瞳子である。
で、祥子に電話をかけたのだが、思いのほか祥子もパニックになっていたようだった。
何故なら「私、祐巳さまになってしまいました」と言ったら「あら、奇遇ね」と返してきたからである。
この時祐巳は、考え事をしながら、下校途中に祥子から貰った柿を食べていた。
そして、次の日の朝。
「……ごきげんよう」
瞳子は、祐巳が縦ロールに失敗したような外見だった。
「……ごきげんよう。二人とも」
祥子は、少し朝に弱そうな祐巳といった感じだった。
「……ごきげんよう」
可南子は、祥子以上に制服が大きくて、スケバンみたいになっていた。
「本当に、祐巳さまになってしまったんですね」
「可南子ちゃんまでなっているとはね」
「瞳子、これからどうしましょう」
「……見ました?」
「何を?」
「……黄薔薇姉妹」
可南子の言葉の直後、令と由乃が現れた。
「ごきげんよう、って、げっ! 微妙にどこかが違う祐巳さんが3人!!」
令の外見の由乃が驚いている。その横にいるのは……剣道部の部長である。
「剣道部の……?」
「れ、令だよ、祥子」
「令ちゃんに無理矢理柿を食べさせたんですけどね? 頭に浮かんだのが部長だったんですよぉぉおおおおおおお」
「ちょ、ちょっと由乃おちついへがぁっ」
振り回す手が顎にクリーンヒットして、令はその場にうずくまった。
「私は、近所の八百屋さんで買ったんですが、お二人はどこから?」
「私は祥子お姉さまから」
「私は令から」
「私も令ちゃんから」
「私は志摩子から」
「……志摩子?」
祥子が驚いた声を上げる。
「志摩子は、なんともないのかしら……?」
すると、全員の背後から、泣きそうな声が聞こえた。
「ごきげんよぅおぉ〜……」
「祐巳!?」
振り向くとそこには、モデルのような美人が立っていた。
「えっと……どちらさま?」
由乃が問いかけると、彼女は答えた。
「祐巳ですよ、令さま……」
「私、由乃」
「……え、はい?」
「祐巳、私はこっちよ」
「……私が、三人?」
一瞬の沈黙の後。
「きゅう」
祐巳はばったりと倒れてしまった。
「私、昨日お姉さまから貰った柿を食べてみたんです。そしたら、気が付いたらこう……」
「祐巳、その時、誰を考えてこうなったの?」
「そ、それが……お姉さまも食べたかなぁとか、可南子ちゃんと瞳子ちゃんにも配ってたなぁとか……」
「そ、それで、そんな身体に……」
祥子の黒髪。可南子の身長。瞳子の顔。そして祥子のゴイスなバディを元にしたバランスのとれた身体。ある意味でパーフェクト超人の誕生だ。
「とにかく、元に戻る方法を考えないと」
令はそう言っているが、実を言えば由乃も祥子も可南子も瞳子も、別に戻らなくてもいいかな、なんて思っていた。好きな相手の身体を好きにできるという神のような特権を手にしてしまったし、祐巳に至ってはなんかとってもすごいし。
そして、もう一個問題が。
「私の家で取れた柿がこんな事態を引き起こすなんて、ねぇ……」
「志摩子さん、でもこんな経験、普通はできないから大丈夫だよ!」
藤堂志摩子の外見の二条乃梨子と、二条乃梨子の外見の藤堂志摩子がそう言った。二人は目を合わせると顔を真っ赤にして、繋いだ指を絡めあうのだが……。
(二人とも……まさかとは思うけど、まさか!!)
全員がピンク色な想像をした。
最後に、八百屋「八尾重」の大将・重野太市さん(62歳)に話を聞いた。
「あの柿ね、実は俺の知り合いの寺の住職から買ったんだよ。藤堂さんっつってね、外見は生臭坊主だが中身はしっかりした人でね。それで、毎年大量に取れるからってんで格安で買ってるんだよ。値段的にはトントンってとこじゃないかね。どうだい? 美味かったろ? お、母ちゃんどうした。こないだのは謝ったじゃねぇか。え? 柿? 喋ってなかったっけ? いやははは、知り合いだし利益なくても、いた、いてぇってば母ちゃん許してお願いごめんなさい」
──今現在を以ってしても、元に戻る見込みは無い。
文責:築山三奈子 の外見の山口真美
◆【No:1816】のお返事です。
YHKHさん>江利子さまならフレディに勝てる気がします。悪夢は存在しなさそうです。
※この記事は削除されました。
朝は良く晴れていた空も、一転にわかに掻き曇り、遠い空から雷がゴロゴロと聞こえていて、今にも強い雨が降り出してきそうな気配だった。
薔薇の館の二階はそんな天気と裏腹にどういう訳かアンニュイな空気に包まれていた。
楕円テーブルに向かい合い、由乃は祐巳さんと二人でお弁当を広げて居た。
何の事は無い、いつのも昼休みの光景だった。
由乃は三色に色分けられたそぼろ弁当のひき肉そぼろの乗ったご飯をこぼさないように器用に箸で一口分すくい上げ、口に運んで、もぐもぐと味わった。そぼろは甘く味付けしてあって、これはどちらかと言うと祐巳さん好みの味付けだななどと思っていると祐巳さんがポツリと由乃の名を呼んだ。
「由乃さん」
「うん?」
由乃がなおざり気味に返事をすると祐巳さんは言葉を続けた。
「私、嘘つきになっちゃった」
「……なんだって?」
思わず眉間に皺が寄る。
「だから嘘つき」
「いつよ?」
「わかんない。今朝、気が付いたらなってたの」
由乃は俯いて、肩をぷるぷると震わせた。
いや、待てよ。
祐巳さんは『嘘つきになった』って言ったのだ。
しかも今朝は既になっていた。
ということは、今言った『嘘つきになった』って言葉は嘘つきの状態で言ったって事だ。
だからそれは嘘。即ち祐巳さんは嘘つきではないってことになる。
いや、それもおかしい。
嘘つきでないなら『嘘つきになった』って言葉が嘘じゃないから祐巳さんはやっぱり嘘つきって事になるのだ。
いやまて、だとすると……。
……というのは使い古されたジレンマだ。
真面目に取り合っているとバカを見ることは明らかだ。
由乃は力を抜いた。
「ふうん」
そして、緑色のピーマンそぼろを自分の弁当から取り上げて、祐巳さんのお弁当のご飯の白いところに撒いて言った。
「嘘つき記念」
「いらないー」
「ダメでしょ、嘘つきが好き嫌いしちゃ」
「……信じてないでしょ?」
「信じる信じない以前の問題。あなたが『嘘つきになった』ってことは言ってる事は全部、嘘なわけでしょ?」
「そうだよ」
「それじゃあなたが嘘つきかどうか定義不能よ」
「そうかな?」
「そうよ……って、ちょっと待って。今の『そうだよ』も嘘じゃないの? じゃあ言ってる事は全部が嘘って訳じゃないのね? それなら理解できるわ。あ、待って、全部が嘘じゃないって事は今の『そうだよ』も嘘じゃない可能性があるのよね? だとすると、嘘じゃなかった場合は言ってることが全部嘘だから、『そうだよ』も嘘で、じゃあいってる事は全部が嘘というわけではない。だから『そうだよ』は本当の可能性がある? 結局ダメじゃない! それでも定義不能だわ!」
「由乃さん難しく考えすぎだよ。私の言う事は全部、嘘になっちゃうだけだから」
いった事が嘘になる?
どこぞの青っぽいロボットがそんな道具を持っていたような気がする。でもあれも矛盾した存在なのだ。
「だから、それもおかしいわよ! だとしたらあなたが『私は嘘つきだ』と言った瞬間、あなたは嘘つきじゃなくなるはずじゃない!」
それを聞いた祐巳さんは平然と言った。
「そうだよ。だからもう嘘つきじゃないもん」
「うがー!」
「由乃さんが壊れた」
「うるさい黙れもうあんた喋るなっっ!」
「由乃さん落ち着いて」
志摩子さんが横から口を出してきた。
見るとその隣で乃梨子ちゃんが見下すような目で由乃を見ている。生意気だ。あとでシメる。
それは置いといて、
「志摩子さん聞いてよ祐巳さんが……」
「由乃さんよく聞いて、」
志摩子さんは言葉を遮って、でも言い聞かせるように丁寧にこう言った。
「実は私も嘘つきなの。私は嘘をつかない嘘つきよ。だから私が嘘つきだって事自体が嘘なの」
「がーーっ!!」
†
後日、由乃は関係者に、
『ついカッとなってやった』
『相手は誰でもよかった』
『今は反省している』
と、嘘をついた。
『桜の季節に揺れて』
【No:1746】act1〜act2
【No:1750】act3〜act4
【No:1756】act5〜act6
【No:1761】act7
【No:1775】act8
【No:1799】act9〜act10
act11 うそつき人魚
○月○日 私は人魚
私は陸に上がった人魚
海の魔女にヒレを足に変えてもらった
目的は人間のことを学ぶため
でも、地上に仲間は居ません
◇
いつもより少し早めに登校した私は、蛇行する銀杏並木を比較的ゆるい速度で歩いていた。
時間が早いせいか、他に並木道を歩く生徒の姿はぽつりぽつりとしか見えない。
やがて、二股の分かれ道が見えてきたところで、私は立ち止まった。
登校する生徒の邪魔にならないように道の脇に避け、今来た道を振り返る。
『なんだい、振られたのかい』
昨日の菫子さんの言葉が思い出される。
あのあと私はもくずと食べるつもりだったケーキを携えて家に帰った。
私がテーブルに置いたケーキ屋の箱を見て『おや、お土産とは気が利くねえ』なんてふざけた調子で言った菫子さんは『そんなんじゃないわよ』と答えた私の顔を見て、苦笑した。何もかもお見通しって顔だった。まあ、予告しておいたより、かなり早く帰ってしかも自分でもわかるくらい沈んだ表情をしてたのだから、判って当然だろう。『気が利くねえ』と言ったのだって約束が反故になったことを察して、和ますつもりで言ってくれたのだろう。
私はこの気を遣ってくれる人生の大先輩に敬意を表して、紅茶をふるまい、行き先を失ったケーキ達で一緒にプチお茶会と洒落込むことにした。
私が抹茶シフォンケーキを、私の四倍は生きているであろう菫子さんが苺のタルトと、他人が見たら逆だろうと突っ込みを入れるかもしれないチョイスをしたところで、私は菫子さんに訊いてみた。
「あのさ、どうしようもない嘘つきと上手く付き合う方法ってあるかな?」
菫子さんは、タルトをフォークで切り分けながら言った。
「なんだい、リコの友達のことかい?」
「んー、まあそんなところ」
私が、抹茶味のケーキを味わいつつ曖昧に答えると、菫子さんは、一口食べて、「んー、甘いねえ」とか言いつつ、こんな事を答えてくれた。
「まあ、嘘ったっていろいろあるけど、理由があるだろう」
「理由?」
「ああ、嘘を付かなければならない理由だよ。それが判ればその嘘つきとの付き合い方も判るってもんさ」
「そうか……」
それから、しばらく黙々と二人でケーキを口に運んでいた。
抹茶シフォンケーキは控えめな甘さが私の好みに合っていたが、もくずと食べられなかったのが心残りで、抹茶の渋みが妙に苦く感じたのを覚えている。
私はマリア像に程近い銀杏の木の下でもくずを待っていた。
高確率でマリア像にお祈り中に背後から現れていたもくず。
考えてみれば校門からマリア像まで結構銀杏並木が続いているのに、ここでしか会わないのは不自然だった。どこかで隠れて待ち伏せしてた、と考えるのが妥当であろう。
わざわざに私に会うためにもくずがそういうことをしていたという事実はどこか嬉しいと思う反面、そんなまわりくどいことをせずに素直に校門で待てばいいのに、とも思ってしまう。
それにしても。
「「ごきげんよう、白薔薇のつぼみ!」」
「ああ、ごきげんよう」
一年生が声を揃えて挨拶をし、通り過ぎていく。
そろそろ登校して来る生徒も増えてくる時間だ。
今日は裏をかくつもりで大分早く来たのだが、今日に限っていつも私が登校する時間を過ぎても、もくずは現れなかった。
「まあ、約束したわけじゃないし……」
増えてきたカラスの黒い制服たちを眺めつつ、ため息混じりにそう呟いた直後だった。
「乃梨子っ!」
「きゃあっ!」
いきなり背後から腰に手を回されて、何者かがそのまま腰に抱きついてきたのだ。
驚いて飛び上がった私は、その何者かが預けてきた体重で押し倒されそうになったが、何とか踏みとどまった。
「な、なに!?」
「おはようー」
情けない格好で木にもたれる私の腰に、しがみついていたのは、
「も……」
「えへへ」
「もくずっ!」
もくずだった。足を引きずる音が聞こえなかったので気づかなかった。
「うーっ」
どうやら私に忍び足で近づいてきて、もくずは直前でコケたみたいだった。なにやら痛そうな顔をしている。
一応、聞いてみた。
「どうしたの? 痛いの?」
「痛いよ」
痛いのは、コケたからなのか、無理して足を引きずらないようにして歩いてきたからなのか?
「ほら、立てる?」
私はそう言って、腰につかまったまま膝を付いてしまったもくずの腕を掴んで立たせようとしたが、
「痛くて立てない」
そう言ってもくずは座り込んでしまった。
「ええ!? ちょっと、全然立てないの?」
もくずは『うんっ』と頷いた。
私はもくずの足のことは良く知らない。知らないからこそ不安になった。コケた拍子でなにか不味い事になったのではないだろうか、と。
「我慢できないほど痛いの?」
そう訊くともくずは首を横に振ったので少し安心した。
(どうしよう。早くお医者さんに……)
そう思いつつ、私は辺りを見回した。
通学中の生徒に注目されていた。
とはいっても、もうすぐ始業時間なので立ち止まって見ている者はなく、興味深げにこちらを伺いつつ友達となにやら話している生徒や、単純に視線を向けて私の顔を認めて(白薔薇のつぼみと気づいて)頭を下げる生徒が通り過ぎていくばかりだった。
(しょうがないな……)
「人、呼んで来るからここで待ってなさい」
見知らぬ生徒に遅刻の危険を冒すようなお願はできない。いや、声をかければ子羊達の善意を集めることも可能だろうけど、もくずを任せるのはまたトラブルになりそうで不安だったから、私は保険医の先生を呼んでくる事を選択したのだ。
非常事態だからと、私が走り出そうとすると、制服がぴんと引っ張られた。
振り返るともくずが私の制服の裾を掴んでいた。
「なあに? すぐ戻るから心配しなくて良いわよ?」
「乃梨子、連れてって」
「え?」
もくずは、置いていかれるのを寂しがる子犬のような表情(かお)をして私を見つめていた。
こんな表情のもくずは初めてだった。
(連れてってって言っても……)
おんぶは出来ない。
となると、この前みたいに抱えていくしなかないのだけど……。
もくずはじっと私の目を見つめていた。
――もくずが私を頼っている。
私は選択を迫られた。
平坦とはいえ、一年の教室から保健室よりはるかに長い距離、もくずを抱えて歩いて行くか、もくずをここに放置して、まだ居ないかも知れない保険医の先生を呼びに行くか。
「よし、しっかりつかまりなさい!」
選ぶまでも無かった。
「う、うん」
もくずが私に望んでいるのだ。後から考えたら私はどうかしてたとしか思えないことなのだけど、このときはどういう訳かその選択肢しか思いつかなかった。
私はもくずに足を伸ばさせて、背中と膝の下に手を回して抱えて、もくずには私の首の後ろに手を回させた。
そして、力をいれて持ち上げようとした時、
「白薔薇のつぼみ?」
皆が歩いている道の方から声が掛かった。
見上げると沙耶子ちゃんが不思議そうな顔をしてすぐ近くに立っていた。
「あら、ごきげんよう。いま取り込み中だから話はまたね?」
「いえ、鞄をお持ちします。藻屑さんのも」
「あっ……」
どうやら、どういう状況なのか察してくれたようで、そう申し出てくれた。
「もくず、鞄、沙耶子ちゃんに預けな」
ちょっと驚いたように沙耶子ちゃんの方を見たもくずだが、すぐに私の首に回していた手を解き、たすきがけにかけていた中学生が使うような肩掛け鞄を外して、沙耶子ちゃんに手渡した。
「ありがとう。お願いするわ」
沙耶子ちゃんがもくずの鞄を肩にかけ、木の根元に置いてあった私の学生鞄を拾い上げたのを見てから、私は再びもくずを抱えた。
もくずはまた私の首に手を回し、私は力をいれてもくずを持ち上げた。持ち上げられる事は前に経験してわかっていたので躊躇はしない。
背後の通学中の生徒達からなにやら驚きと羨望とも取れる声が聞こえたが、とりあえず無視した。
本来、私はこういう目立ち方をするのは好きではない。普段だったらこんなことになる行動は避けるはずだ。なのに、あまり悩まずこんな事をしてしまう私は相当舞い上がっていたに違いなかった。そう、私は“もくずに頼られた”ということに舞い上がっていたのだ。
軽いとはいえ、人一人抱えて歩くのはなかなか大変だった。ましては私は特に体を鍛えているというわけではない。
道程の半分くらい歩いたところで足に来た。抱えている手も相当に疲労を感じる。
「あの、少し休まれた方がよろしいのでは?」
沙耶子ちゃんが心配そうにそう声をかけてくれた。
「まだ、大丈夫よ」
まだいける。ちょっとよろけるけど気合を入れればまだ。
もくずは私にぴったりしがみついていた。
校舎が見えてきたところで、沙耶子ちゃんが訊いてきた。
「あの、何処までこうして行くのですか?」
「保健室よ。足診てもらうつもり」
「えっ!?」
知らなかったのか。てっきり会話を聞いていたと思ったのだけど。
私は歩きながら言った。
「痛くて歩けないって」
「あ、あの、私、先生呼んできましょうか?」
「ああ、そうしてくれると助かるわ」
というか何で思いつかなかったんだろう。
私としたことが。
このとき、初めて私は自分が“舞い上がっている”らしいことを自覚した。
沙耶子ちゃんは私ともくずの鞄とともに、ようやく見えてきた校舎に向かって走って行った。
そのとき、もくずが私にしがみつく手にぎゅっと力が入った。
「はぁ、はぁ、……」
私は校舎の手前で力尽きた。
保健室まで、抱えたままで行きたかったのだけど、どうにもならない。腕が痛くなって、もくずを抱えつづける事が出来なくなってしまったのだ。
私は道の途中で座り込んでもくずを地面に降ろした。
程なくして保険医の先生が沙耶子ちゃんと一緒にこちらに向かってくるのが見えた。
もくずは、私とバトンタッチして先生に抱き上げられる直前、私に言った。
「乃梨子、ごめんね」
「え?」
ちゃんと返事をする前に、先生に「あなたたちは早く教室に行きなさい」と言われてしまい、もくずとの会話はそれが最後だった。
私は朝っぱらから人ひとり抱えて数百メートルを歩くという、私にとっては結構な重労働をしてしまったわけだが、もくずを抱えて歩いている時、その疲労は不快ではなく、むしろ心地よくもあった。なぜならそれが、もくずの為に何か出来たという実感につながっていたから。
でも最後に聞いたもくずの『ごめんね』という言葉には、どういう訳か違和感を感じた。
◇
休み時間になって、私はもくずの所在を確かめる為に教室を出て保健室へ向かった。いや、もともと悪かった足がどうかなったのなら保健室じゃなくてちゃんと主治医のところへ行くだろうから、保健室にもくずがいる可能性は限りなく低い。というか、別にもくずに会いに行くのではなく、保険医の先生にあれからどうなったか聞きに行くのだ。
あれからといえば、今朝の私の行動は武勇伝として早速、噂になっていた。
我ながらバカな真似をしてしまったと半分後悔しているのだけど、まあ、いまさらだ。
いままで耳にしていなかったのだけど、今日の噂で私ともくずに関する噂はかなり飛んでいる事がわかった。
なんでも、もくずは中学の頃からどうしようも無い不良で、そんな彼女を私が身体を張って更生させたんだそうだ。今朝の騒ぎは不良仲間に単身で決別を言い渡しに行ったもくずが、傷つきながらも私に報告する為に学校に来て、そこで倒れたもくずを私が抱き上げて保健室に走ったことになっていた。
なんだか、妙に凝った設定の美談になっていて笑ってしまった。
まあ、関係者なら嘘だって判るような害の無い噂なので、わざわざ否定したりとか対策をするまでもないと判断した。
「あの子なら帰ったわよ」
保険医の先生には職員室前の廊下で会った。
「あの、帰ったというのは家にですか?」
「本人はもう大丈夫だって言ってたのだけど、何かあるといけないからずっとついてたのよ。詳しくは知らないんだけど、あの後すぐ、学園長の所へ行って、それからタクシー呼んで帰ったわ」
学園長の所というのは反省文の提出であろう。
そのあと速攻で帰っちゃったんだ。
どうなっているのだろう。まだ謹慎が続くのだろうか?
すぐに確かめたいと思ったけれど、校内で携帯を使うわけには行かないから、早くても昼休みをを待たなければならない。事務室前の公衆電話まで行って電話して、となると、とても通常の休み時間では足りないからだ。
学園長に聞くという最強の手段もあったが、私にそこまでの勇気は無かった。もっとも、それも「この時点では」と断らなければならないのだけど、その理由となるちょっとした出来事は私が電話をかけようと思っていた昼休みに起きた。
四時間目の授業が終わり、私は弁当などは持たずに教室を出た。
とりあえず、電話をしてきて戻ってきてお弁当は教室で食べようと思っていたのだ。
だが、教室を出たところでいきなり捕まった。
私を捕まえたのは黄薔薇さまである由乃さまだった。
「お弁当も持たないで何処へ行く気?」
私の腕を捕らえる由乃さまは何処となく険悪だった。
「離して下さい」
「ダメよ。私の用事の方が大事なんだから」
「どうしてそんなことが判るんですか。すぐに済みますから後にしてください」
由乃さまの手を振り解こうとしたが、絶対逃がさないって感じで逆に腕を組まれてしまった。
「すぐってどのくらいよ?」
「電話をしてくるだけです。五分、いえ、十分もあれば戻りますから」
「じゃあ、一緒に行くわ。お弁当持ってきなさい」
「何でそうなるんですか」
「そうしないと乃利子ちゃんが逃げるからよ」
「逃げませんよ。薔薇の館ですか?」
弁当を持ってこいというのだから多分そうだ。
由乃さまはこう言った。
「電話って何処によ? それって、志摩子さんより優先することなわけ?」
やっぱり、志摩子さんか。
実は教室の前で由乃さまの顔を見たときからそう感じていた。
でも由乃さまが動くってどういうこと?
言いたいことがあれば志摩子さんは直接私に言うはず。教室にだって自分で足を運ぶはずだ。
そんなことを考えていたら、由乃さまが言った。
「って、あの子ね?」
まあ、由乃さまなら判るか。
「……そうです」
いまさら隠す事でもないのでそう答えた。
「それなら話が早いわ。今日のことも志摩子さんが知ってるから」
「え? どういうことですか?」
「聞けば判るわ。早くして」
納得がいかない。
でも、由乃さまが苛立ってきてるようなので、私はとりあえずお弁当を取りに一旦教室に入った。
早く、もくずに話を聞きたいと思っているのだけど、志摩子さんが今日の件に関して何か知っているというのも気になった。
由乃さまの話は、私を志摩子さんに会わせるための嘘の可能性だってある。でもここで逆らって時間の浪費をするより、直接、志摩子さんの話を聞いてみるのが得策だと思い、私は大人しく由乃さまに引っ張られて薔薇の館へ行った。
「今朝、あの子に関して学園長からお話を聞きました」
今朝というのは午前中、志摩子さんは授業中に呼び出されたそうだ。由乃さまの言う事は本当だった。
「あの、その前に聞いていいですか?」
「いいわよ、なあに?」
「どうして学園長は志摩子さんに話をするんですか?」
ちょっと考えれば判る事だった。学園長がもくずの話を志摩子さんに話す理由が判らない。
志摩子さんはちょっと考えるように間を置いた。
そして、
「そうね、ちゃんとお話しなくてはいけないわね」
そう言って話をはじめた。
「学園長、シスター上村は、愛子(ちかこ)さんが乃梨子と親しくしているって早いうちからご存知だったの。前にも話した通り、愛子さんは素行に問題があってここで上手くやっていけるか懸念されていたわ。でも学園長は学園に残って欲しいと思っていた。入試の面接で学園長は彼女と話をしているのだけど、先入観抜きに見れば決して悪い子ではないとおっしゃっていたわ。でも学園長という立場上、そういった問題を無視できない。独断で彼女を留まらせる決定は学園長には出来なかったのよ」
ここまでは前にも聞いた話だった。だから上手くやっていけるか様子を見るということだった。
「だから私に話が来たの。愛子さんが乃梨子と親しいのは本当かって聞かれたわ。私はもう姉妹みたいに見えるって答えたの。そうしたら、乃梨子と良い関係が結べれば彼女を変えられるかもしれないって。だから二人を応援してやってくれって言われたわ」
「え? でも志摩子さん『反対』って……」
私はもくずと付き合うことを反対されたから薔薇の館に近寄りにくくなったのだ。
「私は不安だったの。乃梨子はあの子の問題を軽く考えてるんじゃないかって。私は乃梨子が愛子さんと付き合うのを妨げるつもりじゃ無かったのよ。ただ、ちゃんと彼女と向き合う覚悟があるのか知りたかったからそれを聞こうとしたの。でも乃梨子は話の途中で行ってしまったから。あんな言い方をした私も悪かったのだけど」
そうだったんだ。でももくずの問題ってそんなに大げさに考えるようなことなの?
「乃梨子には話さないようにってシスター上村は仰っていたのだけど、もう良いわよね……」
その後の志摩子さんの話を聞いて、私は薔薇の館を飛び出した。
『今日の話はね、今までありがとうってお話だったの。愛子さんは今週いっぱいで学園を辞めるそうよ』
向かう先は学園長の部屋。
(どうして?)
志摩子さんの話が頭の中でリフレインされる。
『あの子はね、小さいころからずっと、父親の虐待を受けていたのよ』
虐待? そんなの信じられない。
だってもくずは『お父さんのこと好き』って言っていたのに。
『父親も問題のある人だったらしいわ。激しやすくて女子供相手でもすぐに暴力を振るうような。そんな父親と物心つくまえから一緒に暮らしていたのよ。乃梨子、“ストックホルム症候群”って知ってる?』
被害者が犯人に必要以上の同情や好意などをもってしまうことをそう言うらしい。
でも、虐待が本当だとしたら、もくずのはこれとは違う。
暴力を振るわれ、場合によっては生命の危険にまで晒されながら、それでも相手が好きだといったのだ。
『離れたきっかけは、あの子、父親に殺されかけたそうよ。お友達が飛び込んでこなければ本当に殺されていたって』
これは警察の調べた情報だって言っていた。
『それでもあの子は父親のことを庇ったのよ。判る? あの子の中には“好き”と“暴力”が同居してしまっているの。“好かれること”と“憎まれること”の区別がつかないのよ。あの子自身は自覚していないかもしれないけれど、相手を傷つけることに対して歯止めがないの』
知ったようなことを言う志摩子さんが憎らしかった。
私に『憎らしい』と思わせてしまう志摩子さんが。
『乃梨子があの子と仲良くしてくれたことを学園長は感謝してたわ。彼女に大変良い影響を与えてくれたって』
ちがう!
私が聞きたいのはそんな話じゃない!
『彼女はリリアンを止めて、専門のカウンセラーが居るところへ移るそうよ』
どうしてそんなことをするんだよ!
もくずはちゃんと私と付き合えていたじゃないか!
父親に殺されかけた? 虐待?
そんなの関係ない!
今のもくずを見ればそんな過去は全然問題にならないことくらい判るはずなのに!
「学園長!」
飛び込むように学園長執務室の扉を開けてそう叫んだ。
部屋の中に居たのは学園長、シスター上村だけだった。
「……元気が良いわね。でも礼儀を三つほど飛ばしているわよ」
学園長は驚かず、落ち着いた調子でそう言った。
「あっ、し、失礼しました」
「まあいいわ。扉を閉めなさい」
「え? あ、はい……」
頭に血が上っていた私は学園長の何事にも動じない物腰にすっかり勢いを削がれてしまった。
でも、おかげで冷静な思考が帰ってきた。
私はまず扉を閉めて、それから部屋の正面の学園長が座っている机の前に相対して立った。
「二条乃梨子さんでいいのかしら?」
「は、はい」
面識は無かったはず。でも白薔薇のつぼみの顔と名前くらい知る機会はいくらでもあっただろうから、別に驚かなかった。
「それで、用件はなにかしら?」
「その、もくず、あいえ、海老名愛子さんの処分に関して申し上げたいことが」
学園長は、乃梨子が部屋に入ってきたときに手にしていたペンを机に置き、机の上で両手を軽く組んでまっすぐ乃梨子の方を見た。
「いいわよ、話して御覧なさい」
私はごくりと唾を飲み込んでから話し始めた。
「海老名愛子さんは、今週いっぱいでリリアンを止めて他のところへ移されると聞きました。でもその処分は適切でないと思います。なぜなら、私が愛子さんと……」
「二条さん」
学園長は私の言葉を途中で遮って言った。
「あなたは何か誤解なさっているようですけど」
「え?」
誤解って?
「海老名さんはご自分の意思で学校を移られるのですよ。私は彼女の希望に添うように姉妹校を紹介しただけ。今回彼女が学校を移るのは処分ではないの。そこを間違わないで」
もくずが、自分で?
まさか。
「彼女は頭の良い子です。自分の問題点をちゃんと認識していました。だから私は彼女に道をいくつかの道を示しました。ここに残って自分でその問題を解決していくか、専門家の元に行って治療をうけるかと。彼女は彼女自身で考えて選択したんですよ」
でも、もくずは。
――「えへへ」と笑うもくず。
もくずは、
――手を繋いだとき握り返してきた感触。
もくずは!
――抱き上げた時、しがみついて来たもくずの匂い。
もくずはっ!!
「……うそ」
「二条さん?」
「嘘だ! もくずが危険に見えるからって、厄介払いしたんだ! 選択なんて言ったって、言い方で幾らでも縛れるわ! そんな自由意志なんかじゃない!」
落ち着いていたかに見えた私の頭に一気に血がのぼっていた。
私は学園長に詰め寄るように執務机に両手をついて声を荒げた。
「大人はいつもそうやって、大人の都合のいい方ばっかり! もくずは病気じゃない! “治療”なんかいらない! 私が知ってるわ。もくずはもう大丈夫よ!」
「乃梨子!」
後ろから志摩子さんの叫ぶ声が聞こえた。でも私はかまわず続けた。
「先生も話は聞いていたんでしょ! もくずは私と普通に付き合えていた、何も問題なかった! もくずは普通の子よ!」
もくずを“精神病”扱いする学園長が許せなかった。
もくずと居た私の時間を否定されているようで許せなかったんだ。
「乃梨子、もう止めて!」
志摩子さんは執務机から私を引き剥がすように後ろからしがみついてきた。
「治療しなきゃならないことなんて何もないじゃない!」
私は、志摩子さんに引き戻されながら、その力に抵抗して叫んだ。
「お願い、シスター上村の言うとおりなのよ! 愛子さんは自分から」
「志摩子さんまでそんなことを言うの!?」
「お願い判って! 一番愛子さんに残って欲しいって祈っていたのはシスター上村なのよ!」
志摩子さんが涙を浮かべているのを見て、私は抵抗するのを止めた。
「志摩子さん……」
学園長は私が落ち着いたのを見て静かに言った。
「二条さんは少し頭を冷やす必要があるようですね」
「シスター上村?」
志摩子さんが不安そうに呟いた。
学園長は厳しい表情をしていた。
「もう、授業はいいから今日は帰りなさい。担任の先生には私から言っておきますから」
「……」
不満は残った。
でも、これ以上学園長になにか言う気にはなれなかった。
私は一日半の停学処分となった。
【No:1692】で完結した『祐巳姉ぇ』シリーズが『祐巳姉ぇがガン見』シリーズとして復活☆
詳しい事情は↑を参照されたし。乃梨子と祐巳姉ぇがリアル姉妹なラヴラヴ?ものの予定。
「お帰りなさいませ〜☆お嬢様♪」
…あれ、私なんか頭おかしくなっちゃったのかな。
やばいやばい。菫子さーん、私ちょっと風邪引いちゃったみたいなんだけど〜。
「ちょっとノリ。無視?無視なの?」
「…疲れてるのにいちいちツッコんでられないっての」
祐巳姉ぇがガン見
Vol.1「メイドな祐巳ちゃんを見かけた方は」
帰宅したら祐巳姉ぇがメイド服を着ていた。以上、終了。さ、夕飯食べようかなー。
「ノ〜リ〜!!!」
「あぁもう、五月蝿いなぁ。なにしてんの祐巳姉ぇ」
ええい、足にまとわりつくな鬱陶しい!!そして上目遣いで涙目になるな!
「買ったの。ノリが喜んでくれるかな〜って」
どんな思考回路ならそうなるんだろうか、この人は。
相変わらず足にまとわりついていた祐巳姉ぇは、菫子さんの「ご飯できたよ〜」の言葉であっさりと
私から離れて、そのままの姿で歩いていった。ほんとに何したいんだこの人。
「あれ、祐巳ちゃん面白い格好してるわね」
「でしょ?この間ノリが志摩子さんのメイド服見てもだえてたから参考にしたんだ〜」
ブッ!!!!
「な、な、なんで知ってんの祐巳姉ぇ!?」
なんだその不適な笑みは!
志摩子さんから直接聞いた?いや、それはないだろうな。じゃあ瞳子?ありえるかもしれないけど、違うだろう。
信じてるぞ瞳子。というか、祐巳姉ぇならそういうの分かってしまう気がする。リリアンの影の権力者(妄想)な祐巳姉ぇなら…
それは、昨日の出来事。
薔薇の館に入った私の目の前には、なぜかメイド服で階段に立っている志摩子さんがいた。
「……………」
私、混乱中。妄想中。OKOK。だいじょうぶ。ぜんぜんへーき。
「あ、の、乃梨子。ご、ごきげんよう」
「し…まこさん、なにやってるろ?」
あぁ!もう呂律も回らない。やばい。なんだろうかコレは。クリティカルヒットです隊長!!
「乃梨子?どうしたの?」
ッ!!いつのまに私の近くに!!
くぅ!後光が!志摩子さんから後光だ出てるよ!!ヤバい。志摩子さん、それ以上近づいたら……
「あ、乃梨子さん。ごきげんよう」
「ぐっ…と、瞳子?」
瞳子は満面の笑みをしながら、会議室から出てきて私の元へ歩いてきて、コソコソと耳打ちを始めた。
「感謝してくださいね。私が白薔薇さまに頼んだんですのよ」
「!瞳子の仕業か!!なんであんな服が!?」
「うふふふ。それは企業秘密ですわ。あ、白薔薇さま。お姉さまが来たらなにを言われるかわかりませんので、早く着替えてしまいましょう」
じゃあなんの為に着替えたんだよ瞳子GJ!!あとで祐巳姉ぇの写真をあげよう。
「え?あ、そうね。でも私1人じゃあ…」
「大丈夫ですわ、乃梨子さんが手伝ってくださいますので」
えぇ!?そ、そんな事言ってな…
バシッ!
「…白薔薇さまの、生着替え……」
「……うん、志摩子さん。私手伝うよ」
後で瞳子が言うには、そのときの私はとても輝かしい笑顔だったらしい。否定はしない。
まぁ、そんなことがあったわけで。その後の展開は省くとして、なんでそれを祐巳姉ぇが……
というか、なんでそれに便乗するんだこの人は!
そんな、どこか落ち着かない夕飯が終わって私がテレビを見ていると、祐巳姉ぇはソロソロと近づいてきて
私の隣に座った。相変わらず、メイド服だ。
「……なに」
「べっつにー。ただ、お姉ちゃんはちょっとがっかりしたなーって」
いつもの祐巳姉ぇらしくもなく、拗ねて遠まわしな発言だ。
恐らく、私が志摩子さんに言った一言を言って欲しいんだろう。
いや、言うのは構わないんだけど、それで祐巳姉ぇが調子に乗ると後でどんなことになるかわからないのが怖い。
でもなぁ。なんか拗ねつつも期待してる目で私見てるもんなぁ。
はぁ、察しがいいってのはやだなぁ。
「ほらほら、ノリ。なにかいう事あるんじゃない?」
「……」
だから、そんな期待の眼差しで、上目遣いで、うるうるした目で、頬を赤らめながら、近づいてきながら、言うな。
……ほらみろ。私まで、なんか変に顔が赤くなってくるじゃないか。
「ねぇ〜ノリィ〜。の〜り〜こ〜」
「……わかったわかった。似合ってるから」
私のたった一言で、祐巳姉ぇはまるで自分の好きなものがいっぺんに目の前に現れたみたいな満面の笑みになった。
やれやれ。忙しい人だ。
「じゃあ、さっそくこの似合ってる服でコンビニまで行ってくるね!」
「それはやめようよ」
…今回の結論。祐巳姉ぇは褒めると調子に乗る。
メイドな祐巳姉ぇを見た人は注意してほしい。ヘタに褒めると、後で自分が疲れることになるのだから……
で、次の日。
「あ、乃梨子さん。約束した昨日の祐巳さまのメイド服の写真とってくださいました?」
「やっぱりお前が言ったのかよ!!!」
しかも、そんな約束した覚えないし!!
「でも祐巳さまの写真くれるって…」
「だからさー、人の地の文読むのやめようよ!」
終われ
今日の福沢祐巳は〜…
「志摩子さんごきげんよう。」
「ごきげんよう祐巳さん。」
「珍しいわね。祐巳さんが髪を括ってないなんて。」
「ほぇっ?」
祐巳は不思議そうに首を傾けて志摩子をみていた。
「髪?」
「えぇ。」
「あぁ!!!ついうっかりしてて髪括るの忘れてた!」
「そうだったの」
いつもみたいに優しそうに微笑んでいたのだが、内心結構本気で笑をこらえていた。
〜昼休み〜
弁当を持ち薔薇の館に行く道すがら3人は楽しそうに話していた。
「そういえば今日は祐巳さん髪括ってないわね?」
「えっとこれは…」
明らかに馬鹿にされるのがみえて思わず言いかけて詰まってしまう。
それを見た志摩子は
「今日の祐巳さんはうっかり屋ですものね。」
そう言い楽しそうに志摩子はクスクスわらってた。
「し、しまこさん!!」
今にも言ってしまいそうな志摩子を必死にとめてると
「志摩子さんは知っているのに私には教えてくれないのね…」
今にも泣きそうな顔をして由乃が祐巳をみながら訴えていた。
「そ、そんなことないよっ!!」
わたわたしていた祐巳がそういった瞬間、由乃は一瞬で泣き顔をひっこめニヤッとした顔
をするとまんべんの笑みで聞いてくる。
「どうしたの祐巳さん?」
「うっ…!!実は・………」
話し始める祐巳の話を聞いたとたん
「あっはっはっは…」
まるでどこかの○薔薇様みたいに豪快に笑いだし
「祐巳さんらしいわ」
の一言。
「ひどー「そうそう由乃さん、良かったら今朝からの祐巳さんのうっかり武勇伝をの話をどうかしら?」
「きくきく〜!!」
祐巳の抗議をさりげなくさえぎり祐巳の武勇伝を語ろうとしていた志摩子と、きく気満々の
由乃のを止めようと頑張ろうとした時、運が良かったのか薔薇の館に到着。
とりあえず話は中断され祐巳は、
「はぁ〜」
とため息をつきながらも結構うれしげに2階にあがっていく
そんな祐巳の後姿みて2人はやっぱり笑っていた。
2階に上がった祐巳は
「ごきげんよう」
と言いつつ入ろうとした瞬間
「ゴンッ!!」
凄い音がしてあわてて2人が駆け寄ると
「ついうっかりしてて…」
赤いおでこを隠し、ぼやきながらごまかし笑いをしてる祐巳が居た。
とりあえず無事に?自分の席に着きようやくご飯って時には
「うっかりお弁当の中身忘れたぁぁぁぁ!!」
あまりにもショックで大声で叫びすぎて学校中に響いてたとか…
祐巳談)それをみながらも志摩子と由乃は黙々と弁当を食べ続けてました。でもあまりにも
かわいそうだったみたいで2人とも1口ずつくれました。ひとくち…
〜今日一日の授業感想〜
(友人K談)
授業中もうっかりしてたらしくみているこっちがひやひやしたらしです…はい…もう、危うく呼び出されるところだったとか…
〜薔薇の館〜
「祐巳ちゃん、祐巳ちゃん」
「祥子と一緒にこの書類職員室にもっていってくれない?」
「わかりました」
「お姉さま」
「ええ」
姉妹仲良くでていったのに
数十分後…
「ただいまもどりました。」
「あれ?祥子は?」
「ああ!!!ついうっかりしてて2人で帰ってくるの忘れてた!!!」
その瞬間薔薇の館では
「なんでやねん!!!!!!」
と本場顔負けなぐらいのみごとなつっこみがその日薔薇の館から響いてたらしい。
いろんな意味で凄かった〜…
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{あとがき}
こりずにまた投稿してみました今回はでだしからギャグっぽいやつで。(ぇ)
ぐだぐだですがよかったら読んでいってください。
※この記事は削除されました。
『がちゃSレイニー 行くべき道』編
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〜 最初から読まれる方 〜
『筋書きのない人生の変わり目 【No:132】』が第一話です。
くま一号さまの纏めページ
http://homepage1.nifty.com/m-oka/rainyall.html
確認掲示板をご参照ください。
http://hpcgi1.nifty.com/toybox/treebbs/treebbs01.cgi
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『カウンター黄薔薇革命症候群電撃戦 【No:1806】』の続きです。
「それはちょっと難しいわね」
志摩子さまは私の差し出したロザリオを見ながら少し困ったような表情を浮かべてそう言った。
「え?」
「ちょっと難しいと言ったのよ」
教室の喧噪もいっそうざわついたものになる
「ど、ど、ど」
まさか白薔薇さまがそんな風に言ってくるとは思っても見なかった私は、あわてたときの祐巳さまの様に、道路工事をしてしまう。
「どうして? それはあなたも知ってると思うけど? 忘れちゃった?」
「え?」
「それに、あなたが乃梨子を通さずに、こんな風にロザリオを返してきたら、やっぱり今は受け取れないわ」
「どうして、乃梨子さんだとよくて私だと駄目なんですか?」
「あなたが直接ロザリオを返しに来ると言うことは、あなたが私の妹だと少しでも思ってくれているってことでしょ。だからこそなの。姉妹の問題であるならば、こんな短い時間でそんな重要な話をしたくないの。それはわかってもらえるわよね」
まあ、確かにそうだろう。私も乃梨子さんにつつかれるまでは、昼休みした方がいいのではないかと、考えた位なのだから。まあ、それは半分以上逃避だったけれども。
「お昼休み。みんなで、お昼を食べましょうか。中庭で良いかしら。瞳子から、乃梨子と祐巳さんに伝えてくれる?」
白薔薇さまは、横を向き外の天気を確かめながらそう言った。
私はその言葉に困惑しながらも、首を縦に振るしかなかった。
キーのリロードを繰り返すうちに、「野上純子の溜息」という言葉が出てきたので
「これは書かねば!」と思って執筆。
キー登録してくださった方、まことにありがとうございます。
朝晩は涼しくなったが、それでも日中はまだ暑さが残る。
日差しは今だに夏のものだし、空気も昼中だと湿気が多い。
「ふぅ…」
大量に買い込んだレアチーズケーキの材料の袋を前に、白薔薇のつぼみこと野上純子は大きなため息をついた。
胸のうちに広がる、なんともいえぬ満足感。
我ながらよくこれを1人で運んだものだ。
「クリームチーズ20箱、ドライクランベリー2kg、飾り用のピスタチオが100g×12袋、オレオとマリービスケットダンボールに各1箱…
さっすが瀬戸山グループ系列。スケール大きすぎだわ。こんなに買っても1万円しないなんて」
幼馴染で遠縁の紅薔薇のつぼみ、瀬戸山智子の家が経営する業務用スーパー。
いい品物が安く大量に手に入ることで、一般の客にも大人気。
さすがに買い込みすぎかとも思ったが、これから何十個とレアチーズケーキの試作をするのだから、このぐらいはあったほうがいい。
むしろ10トントラックで乗り付けて、店ごと買い占めたかったくらいだ。
しかし智子の家とは違って、純子の家はごく普通の庶民。
それほどの財力はさすがになかった。
それではなぜ、こんなに大量の買い物をしたのか。
その答えは、自身が所属するお菓子同好会の会長と昨日交わした会話の中にある。
「ごきげんよう純子さん、同好会ではお久しぶりね」
「ごきげんよう会長、すみません、ご無沙汰してしまって」
「いいのよ別に。押しも押されもせぬ白薔薇のつぼみなんだし」
「恐れ入ります」
「ところで純子さん、これに出てみる気はある?」
「『高校生お菓子コンテスト』ですか?」
「そう。かつて支倉令さまも出られた由緒あるコンテストよ」
「確かあのとき令さまは優勝なさったのですよね」
「令さまのシュークリームは、パティシエをめざす高校生の間では伝説になっているとか。次の伝説を作るのはあなたよ」
「やだなあ、そんな大げさな。私はただ趣味で作っているだけです」
「趣味だなんて。あなたほどの腕前になればもう趣味の領域なんてはるかに超えているわ。あなたが出れば優勝間違いなしよ。出なさい」
「うわ、いきなり命令形ですか」
「いい結果を待っているわ」
「ちょっと、会長…!」
こうなったら、もうあとには引けない。
何度も練習してみて、一番ベストなレシピを自分のレシピとして残すのが純子流。
今回レアチーズケーキの材料をこれほどたくさん買ったのも、自分の体にレシピどおりの動きを覚えさせるのと、
試作を繰り返してベストを見つけ出すための2つの目的があったからだ。
「さて、始めますか」
この後起こる災難をまったく知らず、純子はケーキ作りにとりかかった。
1作目。
「うん、OK。おいしいわ」
2作目。
「う〜ん、これはいまいちかな…甘さが物足りない」
3作目。
「ありゃ。今度は砂糖入れすぎた」
「そう?別に私はこれでいいと思うけど」
4作目。
「…全体的に味薄い」
「言われてみれば確かにね」
5作目。
「おおっ、今までの中では」
「「これが一番ベスト!」」
「そうよね、やっぱりあなたもそう思う…って、ええっ!?」
なんといつからいたのか、純子のお姉さまと幼馴染と後輩がなぜか3人そろって
作る端からつまみ食いしているではないか。
「お姉さま!何してるんですか!智ちんも理沙も!」
「何って、試食だよねえ?」
のんきな調子で真里菜が言う。
「そうそう、純ちゃんが今度お菓子コンテストに出るっていうからさ、できる限りの
協力をしてあげようと思って」
それは協力というのか、智子。
「純子さまがスーパーを出られたあたりから、あとをつけていたんです」
「…あんたらはストーカーか」
純子はがっくりと肩を落とした。
これだけの人間がいながら、5作目になるまで気づいていなかったとは。
我ながら鈍感さにあきれてしまう。
お菓子を作っているときは、他人や周囲の状況などまるで見えなくなってしまうのが
純子の弱点。
それは彼女自身よく分かっているだけに、落ち込みぶりはハンパではなかった。
疲れ切った口調で純子は言った。
「お姉さま、この2人を連れてお引取り願えませんか…?」
「あらどうして?」
相変わらず真里菜はのんびりとした口調だ。
「もう充分試食なさったでしょう。私はあと20個は作るつもりなんですから、
あんまり食べるとおなかをこわしますよ」
しかし真里菜はまったく動じていない。
「だから何?あなたはこのお菓子コンテストで優勝を目指しているんでしょう?
そのためにこんなにたくさんケーキを試作している」
「確かにお姉さまのおっしゃるとおりですけど…」
力強い、まっすぐな瞳が、純子の心の奥まで射竦める。
「それほどの意気込みで作るケーキで、どうしておなかをこわすのよ。
たとえ何かがあったとしても、私たちはそれで本望よ。
大切なあなたの作るケーキなんだから」
大きいが、繊細で色白な手が、そっともう1人の両手を包む。
「お姉さま…」
やがて真里菜は手を離すと、6作目の純子のケーキに手を伸ばした。
「Buonissimo!」
とってもおいしいわ。
真里菜は母の故郷の言葉でその白いケーキをほめた。
夕暮れ迫る調理実習室。
あまりにもお姉さまの帰りが遅いため、涼子は心配になって迎えに来た。
「お姉さま、もういい加減で帰りましょ…うわっ、なんだこれ!」
涼子が驚くのも無理はない。
なぜならそこには、チーズケーキの食べすぎでおなかを押さえてうずくまる白薔薇さまと、
紅薔薇のつぼみと、黄薔薇のつぼみの妹がいたのだから。
「おい理沙、どういうことなんだ!」
「う〜…涼子さん、あんまり動かさないで…うぷっ」
理沙が口を押さえて流し台に駆け込んだ。
「うおえぇぇぇ!!!」
そんな後輩に内心ため息をつきながら、純子はことの次第を話した。
みるみるうちに涼子の額に青筋が浮かび上がってくる…。
「きさまら…人のお姉さまを何だと思ってやがる…」
涼子は右手の中に持っていたパイナップルのようなものを、いきなり真里菜めがけて投げつけた。
お姉さまに絶対の忠誠を尽くす涼子は、もしものときのために常に武器を持ち歩いている。
もちろんこれはお姉さま自身にも内緒である。
その封印を、涼子はついに解除してしまった。
「ちょっと涼子ちゃん、そんな爆弾なんて物騒な…!」
「話せばわかるわ、冷静になって!」
必死に止める真里菜と智子だが。
「問答無用!」
ドッカーン!!
がれきと化した調理実習室に、真っ黒こげの山百合会メンバーズ。
純子はただ一言、こうつぶやいた。
「…だめだこりゃ…次いってみよう…」
『桜の季節に揺れて』
【No:1746】act1〜act2
【No:1750】act3〜act4
【No:1756】act5〜act6
【No:1761】act7
【No:1775】act8
【No:1799】act9〜act10
【No:1823】act11
act.12 魔女と人魚
○月○日 学校
陸の世界には学校というものがあります。
そこには同じ歳の子供が集められていて、
価値ある人間と価値の無い人間が選別されます。
私は人間の振りをしている人魚なのでどちらの振りもできますが、
とりあえず価値の無い人間の振りをしています。
本当に人魚だとばれてしまってはいけないのでその方が都合が良いのです。
−−−−
先入観を持たないで付き合って欲しかったから、志摩子さんは学園長に虐待の話とかを口止めされていたそうだ。
学園長の話を志摩子さんから伝え聞いた。
もくずは、私と付き合った、たった一週間あまりで劇的に変化したそうだ。
それまでもくずは殆どコミュニケーションを拒否した態度で、話をしても聞いているのか判らないような受け答えしかしなかった。
なのに、先日の騒ぎで呼び出して話を聞いて、学園長は、これが同一人物かと目と耳を疑ったそうだ。
もくずは非常に理性的に自分を分析していて、言われたからでなく、はっきりと意志を持ってクラスメイトと喧嘩したことを素直に謝ったそうだ。そのとき学園長の目の前には何の問題も無い、むしろ知性的で優秀な一生徒がいた。
学園長は私ともくずのめぐり合わせを神さまに感謝したそうだ。
それがそう呼べるものなか私には判らないが、シスター上村はそれを『奇跡』と形容したという。
−−−−
○月○日 学校の魔女
私の通っている学校には魔女が居ます。
彼女はまだ新米の魔女です。
だからあまり魔法がつかえない
でも油断できません。
彼女は私が人魚だと見破ってしまいました。
−−−−
もくずは私のことを気にしていたそうだ。
いつか、もくずが私を傷つけてしまうかもしれないと恐れていたらしい。
私の前では決して過去の話をせずに、人魚の作り話ばかりしていたのは、もくずの過去が私を傷つけてしまうことを恐れていたからなのかもしれない。
果たして本当に私はもくずに好かれていたのだろうか?
それは私には判らない。
もくずから真摯に言われたことといえば、私が「友達になりたいの?」と聞いたときの、「なりたい」という答えだけだった。
もしかしたら、私が側にいたことで、もくずに余計な苦しみ与えていたのかもしれなかった。
−−−−
○月○日 怪獣
人間はどうしようもないことがあると怪獣になることがあります。
怪獣は暴れることしかしません。
暴れて周りのものを破壊しつくします。
どうしようもないことでなるから、
怪獣が暴れるのもどうしようもないんです。
−−−−
帰ってすぐ、もくずに電話をしたけど繋がらなかった。
携帯の電源が切れているようだった。
夕方、志摩子さんから連絡があって、もくずも明日は自宅静養だってことを教えてくれた。
私はもくずの意思を確認したかった。
どういうつもりで学校を移ることを決めたのか。
私と離れることをどう考えているのか――。
謹慎処分になったことを菫子さんに伝えたら、両親に合わす顔が無いと嘆かれた。
何をしたのか追求されたので、学園長とタイマンを張った、と答えておいた。
それを聞いた菫子さんは目を丸くして驚いた後、なぜが苦笑して「血は争えないねぇ」なんて言った。菫子さんもリリアン時代に何かやったのだろうか?
残念ながら詳細を聞き出すことは出来なかったけど、菫子さんにも大人のやり方に憤慨した時代があったんだ、なんて想像したらなんか可笑しくなった。
−−−−
○月○日 人魚と怪獣
人魚は怪獣がどうしようもないことを知っています。
だから怪獣が周りのものを壊しても放っておきます。
壊すだけ壊したら元に戻ることを知ってるからです。
海の怪獣が現れたら人魚は海の底に潜って、
じっと怪獣が物を壊し尽くすのを待つのです。
−−−−
私はインターネットでいつぞやの“バーチャルネット人魚”のサイトを見ていた。
このサイトでは日記のことを『人魚日記』と呼ぶようだ。
最新の人魚日記はなにやら、長い物語を髣髴させる内容だったのだけど、
過去ログを見るとそうでもなく、本当に短い日記が続いていた。
それは人魚の周辺の紹介だったり、本当に日記だったり、ぱらぱらと情報を断片的に出しているものだった。
−−−−
○月○日 魔女とのつきあい方
魔女は人魚を滅ぼす力を持っています
だから人間の中に魔女をみつけたら彼女を怒らせないように、
細心の注意を払って付き合わなくてはいけません
接触してきたらできるだけ友好的にして、
人魚のもつ知識が彼女に有益だって思わせなくてはなりません。
そうしないときっと不老不死の薬の材料にされてしまいます。
○月○日 クラスの男子
同じクラスの男子が怪獣になった
彼は魔女が好きだったのだ。
でも魔女は人間の恋愛なんかに興味は無い
それはどうしようもないことだ。
魔女が迷惑しているので、
私はそいつにどうしようもないってことを教えてあげた。
そうしたら彼は怪獣になった
その怪獣はあろうことかこの私を破壊の対象とした
教室は海の底と違って隠れるところがないから、
私は殴られながら、彼が私を破壊し尽くすのを待った
でも私は破壊し尽くされなかった
魔女がたすけてくれたのだ
魔女が泣きながら私を庇ったら、怪獣はもとの男子に戻ったのだ。
私が魔女の為にしたことだから、
魔女が助けてくれたのかもしれない。
○月○日 人間、嫌い
人間は嫌いです。
自分勝手で傲慢で、世界は人間だけのものだと思っている
それにとっても愚かです
訳の判らないもののために争ってます
人間同士でも殺しあいます
他の生き物に迷惑ですから、
そのまま殺しあってみんな死んでください
○月○日 魔女の学校
私は魔女の学校に通うことになりました。
保護者をしていた人間が怪獣になったからです。
次の保護者は魔女でした。
魔女は私が人魚だってことを知っています。
隠していても見抜かれてしまいます。
魔女は人魚の敵ではありませんが、味方でもないのです。
−−−−
人魚日記の内容は、時々、もくずを髣髴させる内容があってどきりとした。
もくずは私と会ってる時はへらへらしてて、よく判らない子だけど、学園長が言っていた通りもくずは頭が良い子だ。それは学力的に、と言う意味だけでなく、ちゃんの物事の道理の理解する力があるっていう意味で。
だから、もくずがこんなサイトを作って運営していたとしも不思議は無いって思えた。
そういえばインターネットをやっている(EメールとかWebサイト閲覧とかのことだ)かどうかは一度も聞いた事が無かった。
私は、人魚日記の著者である『海野桃子』宛てにメールを出してみることにした。
メールアドレスは無料メールのアカウントを一つ作ってそれを返信先とした。
ハンドル名は『学校の魔女』。
題 名:人魚日記読みました
送信者:学校の魔女
海野桃子さま、はじめまして、私は“学校の魔女”といいます。
人魚日記、興味深く拝見させていただきました。
内容がとてもユニークですね。
実は私の友人にも「私は人魚だ」って主張している人がいます。
彼女も陸に上がったのは勉強の為だって言ってます。
それから魔女の呪いのせいで早く親友を作らないと、
泡になって消えてしまうとも言ってました。
どうして人魚の話にはこんな悲しい設定が付きまとうのでしょうかね?
私は人魚の桃子さんには幸せになってもらいたいと思っています。
この内容なら、この『桃子さん』がもし、もくずなら送信者が私だって判るはずだ。
私は少しの期待と共に、このメールを送信した。
◇
題 名:Re:人魚日記読みました
送信者:海野桃子
学校の魔女さん、はじめまして。海野桃子です。
お手紙ありがとうございます。
ユニークといっていただけて大変光栄です。
『海野桃子』から返事が来た。
私は返信がもらえることをあまり期待していなかったのだけど、翌日の朝、メールをチェックしたら返信が来ていたのだ。
お友達の話ですがその方は本当に人魚なのかもしれません。
断言できないのは、人魚はみんな個人的理由で陸に上がるので、
陸にいる人魚同士ではとくにつながりが無いからです。
でも魔女が人魚に呪いをかけるのは本当です。
学校の魔女さんは『友人』ということですが、
まだ『親友』ではないのですか?
彼女の為に、是非親友になってあげてください。
魔女が人魚を呪うのは、もしかしたら、
人魚と人間が仲良くして欲しいからなのかもしれませんね。
なるほど、メールの返事も人魚の立場で書くんだ、と私は感心した。
妄想入っているものの、返事自体は丁寧に書いてくれているので、
私は『海野桃子』なる人物に好感を持った。
と、同時にこれではもくずかどうか判断がつかないな、とも思った。
PS.違っていたらごめんなさい、学校の魔女さんは本当に“魔女”なんですか?
謹慎中はやる事が無いので(とくに反省文を書けとも言われていなかった)、私はメールの返信を書くことにした。
題 名:Re[2]:人魚日記読みました
送信者:学校の魔女
学校の魔女です。
お返事ありがとうございます。
本当にお返事がもらえるなんて思っていなかったので驚いています。
「魔女ですか」というご質問ですが、私は残念ながら魔女ではありません
私は魔女になりたいです。
友人が本当に人魚で、私が魔女ならば、彼女のことを何でも見抜けたでしょう。
親友にも簡単になれたに違いありません。
なんだか、もくずのことを相談してるみたいだって思った。
返信はすぐには来なかった。
というか、平日の昼間なのだから、学生か社会人か知らないけど、そんなにインターネットに張り付いてもいないであろう。
とりあえず、『人魚日記』のことはここまでにして、私はもくずに電話をした。
携帯は電源が切れているので、家の電話の方。自宅療養ってことだからもくずが出ると思ったのだ。
でも、10回コールを待ったけど誰も出なかった。
お医者に診てもらいに行っているのだろうか?
お昼頃と午後にも一回づつかけてみたが全然だった。
居ないはずはないのに、どうして出てくれないのだろう?
夜は母親がいると話が出来ないので電話をするのは諦めた。
夕食後、部屋に戻ってメールをチェックすると『海野桃子』から返信が来ていた。
題 名:Re[3]:人魚日記読みました
送信者:海野桃子
学校の魔女さん、こんにちわ。海野桃子です。
学校の魔女さんは本当の魔女ではなかったのですね。
失礼しました。
でも魔女は生まれつき魔女なのではなく人間がなるので、
学校の魔女さんも魔女になれると思います。
それに、人魚と親友になるのに魔女である必要はありません。
私は互いの為に一生懸命になれることが親友だと思ってます。
「互いのためにか……」
私ともくずの関係は言ってみれば私の片思いだった。
もくずのことを受け止めようと思ってから、私は私なりに頑張ってきたつもりだけど、結局もくずはここを離れることを決めてしまった。
もくずを抱えて歩いてへとへとになったり、最後は学園長に向かってあんなことを言ったりして、停学にまでなって。
私のやってきた事は空回りばかりだ。
題 名:Re[4]:人魚日記読みました
送信者:学校の魔女
海野桃子さま、返信ありがとうございます。
魔女になれなくても親友にはなれる。
確かにその通りだと思います。
でも私には無理でした。私は魔女にも親友にもなれなかった。
私は彼女の為に一生懸命になろうと思ったけれど、
結局、空回りしただけで何も出来ませんでした。
こちらがどんなに想っていても、一方通行ではダメなんですよね。
なんか愚痴みたいなメールになってしまった。
でも、互いに匿名の気安さから、私はそのままそのメールを送った。
本当に一方通行だった。
別に見返りを期待してるわけじゃないけど、もくずは勝手に私の前に現れて、かき回すだけかき回して、また勝手に去っていくのだ。
私の影響でもくずが変わったかなんて私は知らない。
変わっているとしたら、もくずが勝手に変わっただけなんだ。
パソコンから手を離して椅子の背もたれに仰け反って愚痴愚痴していたら、返信が来ていた。
『桃子』氏もパソコンの前に居るのであろう。
題 名:Re[4]:人魚日記読みました
送信者:海野桃子
海野桃子です。
学校の魔女さんはお友達のことがほんとうに好きなんですね。
もう、あなたはそのお友達の親友ですよ。
一方通行ではダメ、なんてことはありません。
どうかお友達を嫌いにならないであげてください。
彼女の親友でいてあげてください。
学校の魔女さんの想いが本物ならきっとそのお友達にも伝わるはずです。
もしかしたらもう、お友達はあなたのために
一生懸命なにかをやっているかもしれませんよ?
……いい人だなあ。
と思った。
ちょっとメールを送っただけの得体の知れない人間をこんなに一生懸命励ましてくれるなんて。薄情なもくずと比べたら、この『海野桃子』の方がずっと親友だった。
(続)
もしもこの仮面をとることが出来るのなら、今すぐにでもそうしたい。
でも、それは無理なんだ。
それが、私だから。それこそが私だから。
いつかただ、ありのままで
「ごきげんよう、乃梨子さん」
「ん、ごきげんよう」
選挙から数日経ったその日も、瞳子は乃梨子に以前変わりなく喋りかけてくる。
どうもやりにくいと感じる乃梨子だが、瞳子もなにか思うところがあるのだろうと思い、
自分も以前と変わらない関係を続けている。
「…瞳子さん、なにか変じゃない」
「そりゃあ変にもなるだろうけどさ、今はそっとしとこうよ」
乃梨子の言葉に、可南子さんは少しだけ苦い顔をするが、「友達思いなのは結構ね」と、
どこか皮肉めいた言葉を残して去っていった。
「(友達思い…ねぇ)」
実際のところ、自分は果たして友達思いなのだろうか。と、乃梨子は最近思考する。
祐巳さまに瞳子の事を聞かれても、なんだかんだでお茶を濁している自分が、果たして本当に
友達思いなのかと。
瞳子は、今自分がどうするべきかは分かっているはずなのだ。少なくとも、乃梨子の目からは
そうとれる。でも、それができない。いや、しないのだろう。
それが瞳子の被る、分厚い仮面なのだろうか。
それを取ることができるのは、乃梨子の知っているうちでは1人だけだ。
「(はぁ…なんで瞳子のことでこんなに頭悩ませてるんだろうな私は)」
それもひとえに友情のため。ということにしておいた。
わかっている。これは私のただのわがまま。
ただの自己満足。
…そして、それで傷ついている人がいることも。わかっている。
でも、人間いままでの信念を次の瞬間にはいそうですか。とかき消せれるものじゃない。
少なくとも、私は。
「ねぇ、乃梨子ちゃん。瞳子ちゃんの様子、最近どう?」
「え?そうですね…べつに、これといって…」
仕事中に、私はいつものように聞いた。
そして乃梨子ちゃんはいつものように、少し目を逸らしながら、言葉を濁す。
そりゃあ自分だって分かっている。今の瞳子ちゃんがどんな状態なのかも。
それでも。それでも。祐巳は一度は決心したのだから。
簡単に諦めてなるものか。
「意気込みはいいけど、どうするつもりなの?」
「う……そ、それはまたこれから考えることだと思うし」
由乃さんはぶっきらぼうに言うけど、ちゃんと祐巳を心配してのことなのだろうから、
その言い方もどこか暖かく感じる。なんと思いつつも、祐巳はお弁当のウインナーをひょいとつまみあげた。
「あーあ。私超能力者だったらよかったのになぁ」
祐巳の呟きに、由乃は「なに言ってるんだ」って感じの目を向けてきた。
「だ、だってテレパシーかなにかがあったら…」
「まぁ、祐巳さんが欲しかったら別にいいけどさ」
由乃さんはまるで子供のわがままを聞くみたいな顔でそう言った。
祐巳としてはそれなりに本気で思ってたりしたのだが、それはそれで拙いんじゃないか。とも考えてしまった。
「(あぁ、段々と思考がずれてく……今は瞳子ちゃんのこと考えてたはずなのに!)」
でも、それをかき消すような人がいる。
……あの人だ。あの人が、私の仮面をはがしていく。
いやではないのだろう。自分でも不確かだけど、そうは思う。
でも、私の中の別の私は、それを嫌う。
素直になるのを、嫌う。
選挙から数日経ったある日の朝。瞳子はマリアさまの像の前でお祈りをしている祐巳さまを見つけた。
「………」
「………」
瞳子が隣に立っているのにも気付かず、祐巳さまは祈り続けている。
果たして、どんな事を考えているのか。
「(…そんなこと、私には関係ないですけどね)」
いつも通り、瞳子は瞳子の仮面を被って、祐巳さまの隣で祈る。
「よし……っと。って瞳子ちゃん!?」
「…ごきげんよう、祐巳さま」
驚きの表情のまま動かない祐巳さまを見ながら、そういえばちゃんと話すのは久しぶりじゃないか。
などと瞳子は考えていた。
そして、どこか懐かしい笑顔を向けられた。
「え……っと、ごきげんよう!」
「…ごきげんよう。朝から元気ですわね、祐巳さまは」
それだけ言って、瞳子はクルリと背を向けて歩き出した。
振り向く直前、なぜか祐巳さまは笑顔だったけど、そんなのは気にしないで、黙々と。
素直になったら、私はどうなるのだろうか。
そもそも、今の私は本当に仮面なんて被っているのだろうか。
だけれど、久しぶりに見た、祐巳さまの笑顔を。もう一度…いや、もう何回か、見たいとも思った。
そう、自分の中でこのモヤモヤが片付いたら、そしたら、私も素直になってみようか。
そして、祐巳さまのあの笑みに負けない、私の笑みを見せてあげようか。
そう。いつか。ただ、ありのままに。
『桜の季節に揺れて』
【No:1746】act1〜act2
【No:1750】act3〜act4
【No:1756】act5〜act6
【No:1761】act7
【No:1775】act8
【No:1799】act9〜act10
【No:1823】act11
【No:1829】act12
act.13 甘い嘘はもういらない
謹慎が開けて水曜日。
早い時間に月曜と同じ場所でもくずを待っていたら、志摩子さんが来た。
私はもくずが今日は学校に来ない事を志摩子さんから聞いた。
病院と聞いたので、そんなの悪いのか心配したが、よく聞くと“健康診断のようなもの”だそうだ。
『転校の手続きの為に必要だから』なんていう、聞きたくない情報まで志摩子さんは教えてくれた。
本当にもくずは行ってしまうんだなあ、という実感がわいた。
寂しいとか、離れたくないとかは何故か感じなかった。
いや、私ともくずはそこまで行っていなかったのだ。
私はもくずのために何かしたいと空回りをし、もくずはもくずで自分の問題を一人で考えていた。もくずと会ってもう二週間になるが、見事にすれ違い続けていたのだ。
私は昨日の『桃子さん』とのメールのやり取りで、もくずがどう思っていようと、もくずは私の親友だと思うことにした。それくらいは思っていてもいいよね。
もくずが自分で考えて自分で決めたのならもう私に出来ることはない。
学園長の前ではあんなに激してたっていうのに、そんな風に割り切って考えてる自分に私は驚いていた。
もくずのこと“薄情”なんて思っていたけど、本当に薄情なのは私だったのかもしれない。
校舎までの道を歩きながら志摩子さんは言った。
「乃梨子、あの子、病院にいるから行ってあげて」
電話に出てくれなかったのは、病院にいってて本当に留守だったのかもしれない。でも、もうどうでも良かった。
「……べつにいいよ」
なんとなくそんな返事が口からこぼれた。
「乃梨子? どうしたの?」
志摩子さんが心配そうな口調? で言った。
「別に、私が居なくても……。もくずは自分で考えてここから出て行くって決めたんだから。……私に関係なく」
私はそのとき俯き気味に前を向いて歩いていたので志摩子さんの表情は見えなかった。
「乃梨子」
「え?」
志摩子さんの落ち着いた、でも強い口調に私は顔を上げて志摩子さんを見た。
髪の毛で半分隠れていたけれど志摩子さんの額に絆創膏が貼ってあった。
「乃梨子、本気で言っているの?」
このとき志摩子さんは怒っていた。
「だって、もくずは私のことなんかもう……」
「もう乃梨子はあの子のことはどうでも良いというの? ここを離れたらもう友達でもなんでもないの?」
「そんなことない!」
思わず声が大きくなる。
いつしか私も志摩子さんも銀杏並木で立ち止まっていた。
「もくずは、親友、……って私は思ってる」
片思いでも、そう思うことにしたのだ。
私のその言葉を聞いて、志摩子さんは表情を和らげた。
「よかったわ」
「え?」
「乃梨子があの子、もくずちゃんを切り捨てるって言ったら、私はあなたにロザリオを返してもらって、私もここを離れなくてはいけないと思っていたから」
志摩子さんがもくずのことをそう呼ぶのを初めて聞いた。
「ど、どうして!?」
どうして私ともくずのことで志摩子さんがそこまでしなければならないの?
「だって、乃梨子は私の妹だもの。乃梨子をうまく導けなかったら私の責任だから」
志摩子さんの声は少し震えていた。
「志摩子さん……」
「そうなったら私はここには居られないわ」
目頭が熱くなった。
そのとき、志摩子さんがずっと私の心配をしてくれていた事を私は理解した。
志摩子さんは間に挟まっているだけだったから話を聞くだけで何も出来ない。私以上に無力さを感じていたはずだ。
それなのに、どうすればもくずも私も上手く行くかで悩んで、心を痛めて。
「……ごめんなさい」
こんな結果になって一番辛い思いをしたのは志摩子さんだ。
涙がこぼれた。
こんなに思ってくれていたことに対する、申し訳なさと、嬉しさで。
私は頬を伝う涙を感じながら俯いた。
ふわっと、志摩子さんの匂いに包まれた。
志摩子さんに抱きしめられたのだ。
「行って、会ってあげて」
志摩子さんの肩に額をあてて、腕に包まれながらその言葉を聞いた。
「でも……」
「大丈夫、片思いなんかじゃないから。もくずちゃんがどうしてここを離れる事にしたのか、直接聞いてきなさい」
「……うん」
振られるにしろ振られないにしろハッキリさせることが、志摩子さんの想いに答えることにもなる。
そう信じて――。
◇
私は、そのまま学校をサボって志摩子さんから聞いた病院の場所へ向かった。
病院は一旦都心に出て電車を乗り継いでいかなければならい所にあった。
平日の午前中、リリアンの制服で都内をうろつくのはちょっと勇気が要ることだ。私は補導されそうになったときの言い訳を考えながら病院の最寄駅に向かった。幸い補導員に遭遇することはなく、予定通り目的の駅に到着し、駅から少し歩いたところにあるその総合病院の前まで来る事が出来た。
病院の広い敷地は手前が駐車場になっていた。
私は歩道になっている通路を通って大きな白っぽい建物の立派な入り口から中に入った。
入ってすぐの場所は広い待合所になっていて、正面右側に大きなテレビ画面が設えてあった。これで画面がもっと中央にあったらまるでシアターだなって思った。
でも正面方向は病院の外来窓口や会計などの受付が並んでいて、ここが病院の待合所だってことを主張していた。
私はとりあえず外来受付の前に行き、伝える名前にちょっと迷って、戸籍名の“海老名藻屑”を伝えた。そのお見舞いにきたと。
名前はそれであっていて、受付の人はその病室の番号とそこへの行き方を教えてくれた。
受付から廊下を移動して、やたら奥行きがあるエレベータに乗って、もくずの病室のある階に移動した。
エレベータを出ると病院独特の消毒の匂いがした。
白を基調とした清潔なといえば聞こえがいいが、殺風景な廊下を歩ていき、教えてもらった番号の病室の前に“海老名藻屑”の名札を見つけた。
名札は図式化した部屋の見取り図の上に貼ってあって、病室が四人部屋で、もくずのベッドが奥の窓際だって事がわかる。
もくずは、しっかり入院しているらしかった。健康診断ではなかったのか?
人間ドックなのか? なんだか転入手続きの書類に大げさだなあ、などと思いつつ、病室のドアを開け、中に入った。
中はカーテンで仕切られていて他の患者さんが見えないようになっているが、外の名札からするとベッドは全部埋まっているようだった。
「もくず。私、乃梨子よ」
声をかけ、私はもくずのベッドのところのカーテンを開け、中に入った。
「え!?」
もくずはベッドで上体を起こして座っていたが、私が入ってきたのを見て慌てたような声をあげた。
「の、乃梨子?」
「うん、乃梨子よ。元気だった?」
もくずは膝の上に水色のワープロのようなもの、いやノートパソコンだった、を乗せてなにやら打ち込んでいたようだった。
見ると電源と電話の線がベッドの向うに伸びていた。というか最近の病院はパソコン通信OKなのか。
「げ、げ、元気だよ?」
なにやら慌てているのはなんだろう。
もくずは急いでキーボードを操作して、私がもくずの横に来ると同時にノーパソを閉じてしまった。
「なにしてたの?」
「え? うん、ちょっとインターネット」
「Eメール?」
「うん、前の学校の友達だよ」
隠すようにもくずは水色のパソコンに手を置いていた。
メールの内容を見られるのが恥ずかしいのであろう。
でも良かった。これでもくずとEメールでやり取りが出来る事がわかったから。
「で、なんで入院してるの? そんなに足、悪いの?」
私が聞くと、もくずはこう答えた。
「ううん、足直すから」
「直す?」
「そう。魔女と交渉が成立して……」
また始まりそうになった人魚話を私は遮って言った。
「もくず、魔女はなしよ」
「うーっ」
もくずはなにやら不満そうな顔をした。
「私、心配してるのよ? どういうことなのか教えて」
そう言うと、もくずは俯いて、小さな声で言った。
「……手術、怖かったから」
「怖かった?」
「うん。皮膚切って、肉も切って骨をガリガリガリって削って鉄入れてまた塞ぐの」
「なっ……」
生々しい言い方だ。
「その検査なの」
なるほど。
なんとなく判った。今まで足の整形手術をもくずが嫌がっていたってことだ。
「……それで、足を治す気になったのね?」
「うん」
でも学校、変わるのにどうする気だろう? 学園長が姉妹校っていってたから関東近辺じゃないはずだけど……。
そんなことを考えているともくずが顔を少しあげて、上目遣いに私を見て言った。
「乃梨子、なんで来たの? 学校は?」
「今日はサボり。もくずに会いに来たのよ」
「ぼくに?」
「そうよ」
「……」
ここでもくずはまた何故か俯いてしまった。
「どうしたの?」
「……聞いた?」
「なにを?」
「ぼくが学校やめるって」
来たな。まさにその件で、学校をサボってまでここに来たのだ。
「聞いたわよ。どういうつもり?」
「……怒ってる?」
そう聞くってことは、私が憤慨するって判ってたのか。
このとき私は、月曜日の『ごめんね』は、このことだったんだと思い至った。
「怒ってるわ」
そう言うと、もくずは黙って、ノーパソの上に置いていた手をきゅっと握った。
そして、言った。
「ぼくのこと、嫌いになったよね?」
「ばか。忘れたの? 私は予言したよね。『あなたのこと好きになる』って」
もくずは顔を上げた。
「ぼくのこと?」
「そうよ。私はもくずが好き。もくずがどう思っているか知らないけど、あなたは私の“親友”なのよ」
そう言いきった。
もくずはそれを聞くとまた俯いた。
俯いたまま、両手で自分の頬を抑えた。
「どうしたの?」
私はもくずの顔を覗き込んだ。
膝に置いた水色のノーパソのパネルに水滴が落ちた。
「……泣いてるの?」
もくずは黙って首を横に振った。
でも水滴ますます多くなって、もくずはしゃくりあげるように泣きつづけた。
「もくず?」
しばらく泣いたもくずは、やがてパジャマの袖でごしごしと涙を拭って顔を上げた。
私は至近距離でもくずと見詰め合った。
「乃梨子、」
「なに?」
「好き」
そう言って、もくずは突然私の顔を両手で挟むように抑えてた。
そして、ちゅっと。
唇に柔らかい感触を感じた。
「!」
私は驚いて身体を起こし、唇に手を当てた。
「えへへ」
「も……」
もくずは、へらへらと嬉しそうに笑っていた。
キス、された。
もくずにキスされた……。
口元に手を当てて、私は唖然としていた。
◇
「こっちで手術してからリハビリは向うに行くの」
「それで、どのくらいこっちに居るの?」
私はあれから何とか平静を取り戻し、ベッドの横の椅子に座ってもくずと話をしていた。
まださっきの余韻で、もくずから目を逸らして、ベッド脇にあるお見舞いなどを置く棚に視線を向けたりしながら。
棚には何故かたくさんの駄菓子が置いてあった。
「んー、手術してから一週間くらいだって」
「そんなに早いの? 骨いじるんでしょ?」
「ハイテク手術。すぐ直るからそれくらいなんだって」
「ふうん」
まあ、そういうものなのだろう。技術の進歩でもくずの苦痛が減るならそれに越した事はない。
「そのあとリハビリ。でもぼくの場合片足だけだからすぐ学校いけるって」
もくずは本当に軽い調子で話していた。
でも私は調子を合わせて和やかに話をするつもりはなかった。
私はもくずの方を見て言った。
「……でも、そのときはもう向うの学校なんでしょ?」
それを聞いたもくずは、沈んだ表情をして俯いた。
「うん……」
それきり二人とも喋らなかった。
静まり返った病室。
カーテンの向こうの患者さんが咳払いをしたのが聞こえた。
私はもくずのベッドの白いシーツを見ながら言った。
「もくず」
もくずも私と同じように俯いたままだった。
「もくず、行くな」
もくずは黙っている。
「なんで行く必要がある?」
もくずは動かない。
「こっちでも良いじゃない。なんでダメなの? 私と一緒じゃどうしていけないの?」
もくずは俯いた顔を縦にも横にも振らない。
「ねえ、もくず、答えてよ?」
「ぼく……」
ようやく、もくずは口を開いた。
私はもくずの次の言葉を待った。
もくずは言った。
「ぼく、乃梨子が好きだから」
「じゃあ、なんで?」
好きなら一緒にいても良いじゃない。
でも、もくずは反対のことを言った。
「好きだから一緒に居ちゃいけないの」
「私を傷つけるから?」
先日聞いた話を思い出してそう言った。
「……」
もくずは返事をしなかった。
「私は平気よ? あなたの好きって言葉を信じるわ」
「……一緒に居ちゃ、いけないの」
もくずは言い聞かせるようにもう一度そう言った。
「どうして?」
「どうしても」
わからないよ。
そんな言葉じゃわからない。
そして。
「もう帰って」
「もくず?」
もくずは軽く俯いたまま、足にかけてある毛布の方をじっと見つめていた。
「乃梨子と話したくない。もう帰って」
決別の言葉。
私は頭の中が真っ白になった。
もくずが私と話したくないって――。
私は幽霊のように立ち上がり、そして言った。
「……わかった。帰るわ」
「さよなら、乃梨子」
それが最後の言葉だった。
私はもくずに振り返らず、仕切りのカーテンから外に出て、病室から出た。
(わかんないよ。もくず。あなたは何を考えてるの?)
『どうしてここを離れる事にしたのか、直接聞いてきなさい』
――ねえ、志摩子さん。
聞けなかったよ?
もくずは教えてくれなかったよ?
(続)
「ごきげんよう。お邪魔します」
そこにいたのは、瞳子ちゃん。
電動ドリルのような縦ロールを揺らして、にこやかにほほえんだのだった。
「では改めて。まず、書かれている内容の………」
新たに参加した演劇部所属の一年生、松平瞳子ちゃんにもプリントを渡し、改めて説明し始めた英恵さん。
「………進行して参ります。それでは」
英恵さんが第一項目を読み上げようとした時、部屋の外が再び騒がしくなった。
一旦中断して、廊下側に顔を向ける一同。
「また? もう、気になるわね」
英恵さんがつぶやき、今度は自分の脚で直接調べに行こうとした。
しかし、それより早く。
「ごきげんよう、遅くなってごめんなさい」
息を切らして駆け込んで来たのは、なんと驚いたことに、写真部所属の二年生、武嶋蔦子さん。
カメラとメガネのレンズが、窓からの明りをキラリと反射させた。
「不肖私も、無謀を承知で立候補しますので、説明会に参加します」
などと、度肝を抜くようなことを口にした。
私も含めて、この部屋にいる全員(もちろん蔦子さんは除く)が、心底驚いた顔をしたが、それも一瞬のことで、これは強敵だわ、といった雰囲気の警戒した眼差しで、彼女を迎え入れた。
「では改めて。まず、書かれている内容の………」
新たに参加した写真部のエース、蔦子さんにもプリントを渡し、改めて説明し始めた英恵さん。
「………進行して参ります。それでは」
英恵さんが第一項目を読み上げようとした時、部屋の外が三度騒がしくなった。
一旦中断して、廊下側に顔を向ける一同。
「またなの? もう、気になるわね」
英恵さんがつぶやき、自分の脚で直接調べに行こうとした。
しかし、それより早く。
「ごきげんよう、遅くなってごめんなさい」
息を切らして駆け込んで来たのは、なんと驚いたことに、新聞部所属の二年生、山口真美さん。
愛用の手帳と、カエルシャーペンを手にしている。
「不肖私も、無謀を承知で立候補しますので、説明会に参加します」
などと、度肝を抜くようなことを口にした。
私も含めて、この部屋にいる全員(もちろん真美さんは除く)が、心底驚いた顔をしたが、それも一瞬のことで、こいつは曲者だわ、といった雰囲気の鋭い眼差しで、彼女を迎え入れた。
「では改めて。まず、書かれている内容の………」
新たに参加した新聞部部長、真美さんにもプリントを渡し、改めて説明し始めた英恵さん。
「………進行して参ります。それでは」
英恵さんが第一項目を読み上げようとした時、部屋の外が再び騒がしくなった。
一旦中断して、廊下側に顔を向ける一同。
「またかいな? もう、気になるわね」
英恵さんがつぶやき、自ら直接調べに行こうとした。
しかし、それより早く。
「ごきげんよう、遅くなってごめんなさい」
息を切らして駆け込んで来たのは、なんと驚いたことに、テニス部所属の二年生、確か………桂さん。
だったっけ? テニスラケットを持ってるし。
確か本名はえーと………まぁいいや、思い出すのも面倒くさいし。
「不肖私も、無謀を承知で立候補しますので、説明会に参加します」
などと、度肝を抜くようなことをほざき…口にした。
私も含めて、この部屋にいる全員(もちろん桂さんは除く)が、心底嫌そうな顔をしたが、それも一瞬のことで、まぁせいぜい頑張ってくれや、といった雰囲気の生暖かい眼差しで、彼女を迎え入れた。
*****
「ただ今より、来年度の生徒会役員選挙の結果を発表いたします」
掲示板に紙を貼り終えると、覆っていた白い紙が剥がされた。
「──」
唖然とした表情で掲示板を見つめる、紅薔薇のつぼみ福沢祐巳、黄薔薇のつぼみ島津由乃、白薔薇さま藤堂志摩子。
それもそのはず、当選を示す紅い花のシールが、三人の誰にも貼っていなかったのだから。
だからと言って、松平瞳子に貼っているわけでもない。
なんと驚いたことに、当選シールが貼っていたのは、武嶋蔦子、山口真美、そして桂だったのだ。
『………どうゆうこと?』
落選者4名が、期せずして同時に呆然と呟いたが、歓声が上がっている掲示板の前では、自分自身の耳にしか届かないのだった。
『納得イカーン!?』
既に人が居なくなった掲示板前では、祐巳、由乃、志摩子、そして瞳子の4人だけが、無駄に大声を張り上げていた。
こうして来年度の生徒会、山百合会の幹部は、写薔薇さま(ロサ・カメラ)武嶋蔦子、記者薔薇さま(ロサ・プレス)山口真美、並薔薇さま(ロサ・カツラ)の三人に決まったのだった。
選挙が終わり実質的な薔薇さまに成った祐巳は、一枚の書類を胸に立ち上がり。
「ねっ、二回目の茶話会しない?」
そう言って祐巳は切り出した。
「二回目?」
「そう!!一応当選した公約でもあるし、今回は三年のお姉さまたちにも参加してもらって、妹選びではない。本当の茶話会」
祐巳の提案に、薔薇の館にいた由乃さん、志摩子さんはどうしようかと顔を見合わせる。
「でも、受験でお忙しいのでは?」
「そうかも知れないけど、もうすぐ三年のお姉さまたちは卒業してしまうし、この後って三年生と一緒に開くイベントって無いじゃない」
「そんな事を言って、実は祥子さまと楽しみたいだけじゃないの?」
「えへへ、それもあるかな?」
由乃さんのツッコミに祐巳は照れ笑いを浮かべる。
「それでさ、もう一つ呼びたい人たちがいるんだけど……そうなると、かなりの大事に成っちゃうんだよね?」
「呼びたい人?」
「大事?」
祐巳の言葉に更に怪訝な表情を浮かべる由乃さんと志摩子さん。
「うん、今の中等部の三年生たち」
「「えっえぇぇぇぇ!!!!!」」
由乃さんと志摩子さんの声が重なる。
「ゆ、祐巳さん!!何考えているのよ!!」
「それは流石に」
祐巳の提案に、由乃さんも志摩子さんも困った顔に成った。まぁ、予測はしていたから話を祐巳は進める。
「概要はこう。三年生のお姉さまたちは卒業まで来られたり来なかったりして会う機会も減る。中等部の三年生達は殆どが進学組で高等部に不安と期待を持っている時期だから両方の学年を現二年生達で茶話会に招待するの、そうすれば卒業が近い三年生達との記念にも成るし、来年の一年生達の顔見世にもなる。これは開かれた山百合会を目指すのに良い行事に成ると思うの」
「それは、そうかも知れないけど」
「でも、規模が大きすぎるわね」
当然、心配そうな表情の由乃さんと志摩子さん。
「うん、分かってる。でもね、この事を考えたのは由乃さんがクリスマス会で菜々ちゃんを招待したのを見て考え付いたんだ」
「菜々?」
由乃さんは思ったとおり菜々ちゃんの名前に食いついてきた。
「うん、菜々ちゃんも三年生だよね?」
「そうだけど……う〜ん」
悩んでいる由乃さんはこのまま陥落するだろう。後は志摩子さんだが……。
「それにね、志摩子さん。もうすぐ祥子さまたちもいなくなるし、最後の記念て大事だと思わない?」
「それは思うけど、実際的な問題があるのではないかしら?」
「それなら、大丈夫。既に各部に応援を頼んでるんだ」
「祐巳さんいつの間に」
少し呆れ顔の志摩子さんだが笑っている。
「既にね、料理部やお作法研究会や合唱部に新聞部や写真部、そうそう余興をしてくれる落語研究会なんかも参加してくれることが決まっているんだ」
「祐巳さん、それって」
「既に決定しているじゃないの?」
「えへへ、これだけ根回ししていれば二人とも賛成してくれるかなって思ってさ」
祐巳の言葉に志摩子さんと由乃さんは呆れ顔で、それでも笑顔で頷いてくれた。
これで山百合会として正式に企画が出来、体育館の使用の許可も取りやすくなる。
「まったく、いつの間にか紅薔薇さまらしく成って……それで、企画はどこまで進んでいるの?」
流石は由乃さん、いいところを突いて来る。
「うん、お客さんとしては三年生と一年生そして中等部の三年生で現二年生が招待する立場になるの。場所は一応、第二体育館を使用して料理部が簡単な食べ物を提供、合唱部や落語研究会が余興……あと、新聞部と写真部で翌日にリリアン瓦版を出すことが決まっているくらいかな?」
「殆ど、決まっているじゃない!!何よ勝手に決めてさ」
由乃さんは怒ったように頬を膨らませるが、本当に怒っている様子ではない。
志摩子さんも同様だ。
「でも、まだ漠然としたもので中身はこれから煮詰めていかないといけないんだから、本当に忙しいのはこれからなんだ」
そう言って祐巳は一枚の書類を差し出す。
それは今回の茶話会の企画書だった。
由乃さんと志摩子さんのサインが入り、祐巳の企画は動き出す。
二回目の茶話会。
それは茶話会のレベルを超えて殆どパーティーの様相を見せていた。
「あっ、そうだもう一つ企画があったんだ」
「なに?」
「うん、裁縫部から茶話会の衣装の企画」
「裁縫部?」
「そう、制服や体操着にエプロンではつまらないから、メイド服を用意してくれるって言ってた」
祐巳の口からその言葉が出た瞬間、由乃さんと志摩子さんは顔を引きつらせ固まった。
ごきげんよう、お久しぶりの投稿……。
書きなぐり〜だぁ!!
夏が終わったのでようやく色々な話の続きが書ける時間が取れそう……忘れられてなきゃいいけど、トホホ。
『クゥ〜』
それは風も無く、朝から穏やかな天気で、誰もが平穏な一日をすごせるだろうと思うような日のことでした。
お昼休み、薔薇の館の二階で祐巳は穏やかな空気に包まれながら、由乃さんと祐巳さんが向かい合ってお弁当を広げて居ました。
祐巳さんのお弁当は今日は海苔段々とか海苔弁当と呼ばれる、ご飯の上に海苔をぺたっと乗せてそれが二層になっているようなお弁当です。
海苔が湿って強度を増しているのか、箸で一生懸命切りながら食べている祐巳さんの姿が微笑ましいですね。
そんな祐巳さんが、ふとその手を止めてポツリと言いました。
「由乃さん」
「んぅ?」
食べながら返事をしたので由乃さんの返事が変な風になっています。
そんなことは別に良いのです。
このとき祐巳さんはなんと言ったと思いますか?
「わたし、アメーバになっちゃった」
「……」
アメーバです。
アメーバと言えば、アメーバ目に属し、原形質流動によってその形を変形しながら運動する単細胞生物のことを言います。
由乃さんは手を止めて、何を考えているのかわからない表情で祐巳をじっと見つめました。
「……祐巳さん、悪いんだけど、もう一度言ってくれるかしら?」
「わたし、アメーバになっちゃった」
祐巳さんはもう一度、そういいました。果たして祐巳さんは本当にそんなものになってしまったのでしょうか?
「ふうん?」
由乃さんは目を三白眼にして、見下す目ような目で祐巳さんを見ました。どうやら信じていない様子です。
祐巳さんはそれを見て言いました。
「あっ、いま馬鹿にしたでしょ?」
「ううん、祐巳さんがとうとう原生動物まで身を落としてしまったのねって、嘆いただけよ」
そう言って、由乃さんは遠い目をしました。それはそうでしょう。お友達が原形質流動をするような単細胞生物になったと知ったら誰でもその身の不幸を嘆きたくなるというもの。
でも祐巳さんはそれに異議を唱えました。
「むぅ、なったばっかりなのにそんな言い方ないでしょ? アメーバは数億年も昔から独自の進化を遂げた高等生物なんだよ?」
なんと、高等生物と言っています。確かに、どこか人類がまだ到達していない領域に、そのようなアメーバから進化した高等生物がいないとは言い切れません。
でもそれは……。
「そんなこと聞いたこと無いわ。何処のSF小説よ?」
由乃さんはそんなものは架空の話であるとして信用しませんでした。
「しらない」
「さすが、単細胞生物ね」
「また馬鹿にした」
「祐巳さんが馬鹿なこと言うからよ」
「あとで後悔しても知らないからね」
「しないわよ」
このようにして、由乃さんは祐巳さんの言うことを全然真面目に取り合いませんでした。
「はぁ……」
ため息混じりにうつむいた祐巳さん。
つんとしてお弁当を食べつづける由乃さんに対して、祐巳さんは食べかけのお弁当を見つめたまま手が止まっていました。
「……馬鹿なこと言ってないで小テストの予習でもしたら?」
あくまで信じてくれない由乃さんですが、祐巳さんは言いました。
「ねえ、由乃さん」
「なあに?」
「私のこと、好き?」
この言葉が始まりだったのです。
「なっ!」
絶句して手が止まり、由乃さんは顔を上げて祐巳さんを見ました。
「どうかな?」
「き、嫌いじゃないわよ?」
ちょっと落ち着き無く由乃さんはそういいました。
急に「好きだ」なんて真顔でいわれたら、誰だってこうなります。
「じゃあ好きなんだ」
「お、お友達だから。大切な」
由乃さんは目を逸らしながらそう言いました。顔が赤くなっています。
「ありがと。私もだよ」
祐巳さんは本当に嬉しそうに、素敵な笑顔でそう返しました。
そうすると、由乃さんは顔を逸らしたまま、目だけ祐巳さんの方を見て言いました。
「でもそれと、アメーバがどうのって話は別だからね」
「べつに、だから信じて、なんて話じゃないよ」
「だったらいいわ。っていうか何で急にそんな話?」
由乃さんはここに至ってようやくその違和感に気づきました。
その時、由乃さんは何気なく祐巳さんの空の弁当箱に視線をやったのです。
――空の?
変ですね? ついさっきまで祐巳さんは海苔段々のご飯を突き崩すのに苦心していて、お弁当はまだ半分以上残っていたはずです。
いつの間に平らげてしまったのでしょうか?
「あのね、私ね」
祐巳さんは由乃さんを見つめて言いました。
ここで由乃さんが、その目に光る獲物を見つめる獣のような輝きに気づいていればあんな結果にはならなかったのかもしれません。
「由乃さんが好きだから――」
甘い言葉です。
でも、由乃さんにはその言葉がなぜか恐ろしく響きました。
そのときです。
なんということでしょう、祐巳さんは由乃さんが一瞬目を逸らした隙に“箸と制服をそのままにしたまま”姿を消してしまったのです。
「え!?」
驚いて立ち上がった由乃さんは身を乗り出して、今まで中身があった祐巳さんの制服を確認しました。
その制服は、まるでその椅子に座ったまま祐身の体が消えてしまったかのように、椅子の上に載っていました。
制服の上にはさっきまで祐巳さんの両側の髪を縛っていた臙脂色のリボンも“結び目がそのまま”で服の上に載っています。さらに制服の襟首の中に白い下着まで見えたのです。つまり、衣服を全て残して祐巳さんの身体だけが消えてしまったということです。
「ゆ、祐巳さん!?」
由乃さんは慌てて椅子から離れて、テーブルにかかっている布を捲ってテーブルの下を覗きました。
そんなことは物理的に不可能って判っています。でも由乃さんは祐巳さんがテーブルの下に隠れていないか確認せずにはいられませんでした。
テーブルの下からは椅子に垂れ下がった制服のスカートの部分とその下にソックスが入った一足のシューズが見えました。
そしてその手前、テーブルの下から由乃さんの足元にかけて、何か白っぽい物が広がっていました。
その“何か”はある程度厚みをもっていて、ちょうど粘度の高い液体のように見えました。
「スライム?」
それは白っぽいピンク色をしてて、まるで意思を持っているかのように流動して急速に由乃さんの足の周りに集まって来ました、
「ひっ!? 何よこれ? ひぃぃっ!?」
その白い流動体は生暖かかくて、由乃さんの足に集まって盛り上がり、さらに足首をつたって這い上がってきました。
「由乃さま?」
乃梨子ちゃんの声が響きました。
乃梨子ちゃんと志摩子さんは由乃さんたちとは離れてお弁当を食べながら、先ほどのやり取りの様子を伺っていました。
でも祐巳さんが突然消えて、由乃さんががなにやら騒ぎ出したのを見て唖然とし、先に乃梨子ちゃんが反応したのです。
「い、いやぁぁっ!」
由乃さんの足はもはや完全にそのピンク色の流動体に覆われていました。
ちょうどアメリカンドックを揚げる前のソーセージに小麦粉を練ったものを被せたような状態といったら判りやすいでしょうか?
「た、助けて!」
思わず乃梨子ちゃんに助けを求めた由乃さんですが、乃梨子ちゃんはどうしたら良いかわかりません。
「で、でもどうやって?」
そのとき、志摩子さんが叫びました。
「乃梨子っ! 氷よ!」
「え?」
「早く!」
志摩子さんのアドバイスに乃梨子ちゃんは流しのそばの冷蔵庫に走りました。
その薄ピンク色の流動体は由乃さんのの制服の下を這い上がって、もはや両足は一本の太いイチゴポッキーのようになってしまっていて、全身が揚げる前のアメリカンドックになってしまうのも時間の問題のように思えました。
「由乃さまっ!」
造り貯めしてあった氷を冷蔵庫の製氷室から出して乃梨子ちゃんが戻ってきました。
もう、“白いピンク色”は由乃さんの首を覆いつつあります。
「何処でもいいから“それ”を冷やして!」
志摩子さんがそう叫んだので、乃梨子ちゃんは由乃さんの足元にまだ広がっている“それ”に氷をぶちまけました。
そうすると、目を見張るような効果がありました。
いまや由乃さんの顔まで覆っていた“それ”はみるみる撤退して、由乃さんから離れて、床の上で一箇所に盛り上がって大きなおまんじゅうのような一塊になりました。
そして、その塊はやがて、映画のCGシーンのような変形を見せて、赤ん坊のように膝を抱えて横になった人間の形へと変わっていきました。
折り曲げた足、丸めた背中、そして頭には髪の毛が見えて、膝を抱える手も現れています。
「祐巳さん?」
「祐巳さま?」
その“人間の形”はよく見るとさっき消えうせた祐巳さんに見えました。
いいえ祐巳さんそのものでした。
そう、由乃さんを取り込もうとした、あの流動体は祐巳さんだったのです。
「うぅ、酷いよ、乃梨子ちゃん……」
祐巳さんは体を丸めて震えていました。
きっと氷が冷たかったのでしょうね。
「思った通りね」
優雅に席を立った志摩子さんは、乃梨子ちゃんの横に立って、わけしり顔でそう言いました。
何が思った通りだったのでしょう?
「どうなってるんですか?」
乃梨子ちゃんが志摩子さんにそう聞きました。
志摩子さんは一言だけこういいました。
「祐巳さんはアメーバになったのよ」
「……」
由乃さんはその答えになんて答えたらいいか判らないで変な顔をしました。
志摩子さんは続けていいました。
「やはり低温が弱点だったようね」
「なんで知ってるのよ?」
「古い映画にあったのよ」
確かに、ずいぶん昔の映画にそんなようなのがあったようです。
「さいですか」
由乃はやってらんないって顔をしました。
乃梨子ちゃんが心配そうに聞きました。
「で、もう危険はないの?」
「祐巳さん、どう?」
みんなが話しているうちにテーブルの下に潜っていた祐巳さんは、ごそごそと服を着ながら言いました。
「氷に触ったらこうなっちゃうみたい、って言うか、私危険じゃないよ?」
さっきの由乃さんの恐怖を知ってか知らずか、祐巳さんは何事も無かったようにそう言いました。
「……だ、そうよ」
「ふうん。じゃあ氷嚢用意しないと」
それはそうでしょう。
きっと由乃さんの心の深層にトラウマが刻み込まれているに違いありません。
「えーっ?」
祐巳さんはテーブルの下でぶーたれていました。
「ちょと悪戯しただけなのに……」
さっき由乃さんが言った通り、祐巳さんは頭に氷嚢を載せています。
アメーバ化するとそれが破れる仕組みになっているようです。
「私を食べようとしたじゃない」
「食べないよ? 一つになろうとしただけで」
「一緒じゃない!」
「違うもん! 取り込んでもちゃんと再構成して吐き出せるもん」
「取り込むなっ!」
祐巳さんの“能力”は、どうやら由乃さんには不評なのでした。
この日から祐巳さんは頭に氷嚢を乗せて登校するようになりました。
でも、これから季節は夏。
いつか氷が溶けきって、また、祐巳さんがあの白っぽいピンク色の流動体に変わるかも知れないのです。
その時、祐巳さんを冷やすことができなかったらきっと学園は……。
(FIN?)
私、島津由乃の朝はちょびっと遅い。
今日は、夏休み明けの、始業式。
ご飯を食べて学校に行く準備をして、などとやっている内に時間になる。
外に出ると、丁度令ちゃんが出てくるところだった。
令ちゃんは早起きして少し素振りをしてからやってくる。見習わなければ。
……でも、なんだか様子がおかしい。
私は令ちゃんに近づいて、そっと背後から肩に手を置いた。
「おはよう、令ちゃん♪」
「ぅあぁん!」
変な声を上げて、令ちゃんはその場に座り込んだ。
「えっ? えぇっ? 令ちゃん?」
「お、おはよう……由乃」
顔を真っ赤にして、令ちゃんは私を見た。
あれ?
昨日と肌の色が違う?
「もしかして令ちゃん、皮剥けたの?」
今年の夏の海で、令ちゃんは日焼け止めとよく焼けるオイルを間違えて塗ってしまい、こんがり小麦色になっていたのだ。
でも今はキレイな肌色。多分、昨日のうちに剥けたんだろう。
「じゃあ、触るとヤバい?」
「できれば……触らないでほしいな……」
「わかった。立てる?」
「大丈夫」
令ちゃんはゆっくり立ち上がる。
「制服がこすれるだけでも結構ピリピリするんだ……」
「ふーん……」
うずうず。
触るなって言われると触りたくなるのが人間ってものよね。
私は微妙に後ろに下がり、一気に令ちゃんのおしり目掛けてキックを食らわした。
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
令ちゃんが大きく口を開けた。悲鳴は出ない。
大粒の涙を流し、ちょっとだけ涎もたらしちゃってる。
「……あ、あの……令、ちゃん?」
「ぁ……ぁ、ぁぁ……」
なんか……令ちゃん、壊れたかもしれない。少し笑ってるし。
やばいと思ったその時、私の後ろから足音が聞こえてきた。
「令ー! おはよー!!」
「ああ、黄薔薇さま! 今は駄目ぇ!!」
「え?」
私の制止は遅かったようだ。
猛スピードで走ってきた江利子さまは、令ちゃんに思いっきり抱きついてしまった。
「ひぁ……ぉ、ぁ、ぇ、ぃ、ぅ、ぇぁ……」
令ちゃんは気を失った。
「ちょ、ちょっと、令? 由乃ちゃん、これはどういうこと?」
「……黄薔薇さまの、バカ……」
キックかました私がいうのもなんだけどさ。
令ちゃんはそれから一週間、近づいてくれませんでした。
◆【No:1820】のお返事です。
YHKHさま>なんかきっともう別次元の人なんですよ>NEW祐巳ちゃん
mimさま>そ、そうきたか! それでもいいかな、と思ってしまいましたw
ROM人さま>瞬間野島部長を思い浮かべるあたりがヘタ令ちゃん。祐麒は柿の汁をすすりながら食べる祐巳ちゃんを見てもうソファで死んでますw
昼休みの薔薇の館は微妙な緊張感に包まれていた。
ビスケットの扉から見て、手前は祐巳、窓を背にして由乃、左手に乃梨子と志摩子がそれぞれお弁当を広げている風景はいつもと同じ。
これに、菜々、瞳子が加わるといい感じにマリみて第三世代になるのだけど、今は微妙な時期なのでこの二人の姿は無い。ちなみにこのことは物語にはあまり関係ないことを断っておく。
さて、由乃は今朝から祐巳の態度がおかしいことに気づいていた。
なにか話し掛けてもよそよそしく、休み時間でも一緒に行動したがらないのだ。
何回か、悩み事でもあるのかと聞いてみたが、愛想笑いを浮かべてそんなことは無いと否定するばかり。
明らかに何か隠し事をしている。
そんなことだから「どうして話してくれないの?」と憤慨するやら、「頼りにならないって思われてるの?」と不安になるやらで、逆に由乃の方が情緒不安定になる始末。
その気まずさを引きずったまま昼休みを迎えたのが、この異様な緊張感の原因である。
もともと変な緊張感をまとっていたのは由乃と祐巳の二人なのだが、それは今やいつも平和な白薔薇姉妹にまで伝播していた。
お弁当箱に箸があたる音だけが響く会議室。
その、嫌な雰囲気を破ったのは祐巳だった。
「由乃さん?」
ちょっと緊張気味に呼びかける祐巳に、由乃はぶっきらぼうに答えた。
「なによ?」
その態度に少し引きつつそれでも祐巳は言った。
「わ、わたしね、狢(むじな)になっちゃった」
なんでどもるのよ、と思いつつ由乃は答えた。
「なによそれ?」
「だから狢、だよ?」
むじな 【狢/貉】
1)アナグマの異名。
2)タヌキのこと。
「どっちよ?」
「えっと、多分2」
「いつから?」
「生まれつきだと思う」
「ふうん」
なにやら微妙な表情になった由乃はお弁当に入っていた大葉(おおば・しその葉のこと)の天ぷらを箸でつまんで祐巳の弁当のご飯の上に置いた。
祐巳がきょとんとしてそれを見ていると、由乃は言った。
「葉っぱ。化けるんでしょ?」
「いらないよ」
「狢が好き嫌いしちゃダメでしょ?」
「信じてないでしょ?」
「信じるも信じないも、今朝から祐巳さんワケ判らなすぎ」
「え?」
「何か悩んでると思ってずっと心配してたのよ? なのに、なに? 狢になった? 私のこと馬鹿にしてるの!?」
と、怒りとか不甲斐なさとか悔しさとか、とにかく涙ぐみながら声を荒げる由乃だった。
それを見た祐巳は言った。
「ご、ごめん。でも由乃さんが悪いんじゃないんだ。悪いのは祐巳、あいや、わ、私なの。私が悪いんだから」
「……」
(なに、この祐巳さん?)
慌てた様子で、弁解する祐巳。だが、由乃の目にはあからさまに違和感があった。
「……あなた誰?」
「え!?」
祐巳の声が裏返った。
「祐巳さんじゃないわね?」
「そそそ、そんなことない、よ?」
思い切りうろたえる祐巳に確信を持った由乃はゆらりと立ち上がった。
窓は正面なのに何故か逆行になって目だけがギラリと光っておどろおどろしい迫力がある。
そして地の底から沸いてくるような声で言った。
「……どこの狢が化けてるのかしら?」
「ちょ、ちょっと待って!」
冷静に考えれば由乃の戦闘能力はそんなに高くないから恐るるに足りないのだけど、この祐巳にはそんなことを考える余裕は無かったようだ。
慌てた祐巳はあたりを見回した。
そして背後にちょっと外に張り出している出窓が目に止まった。
不気味に怒る由乃はテーブルの向こうだ。
窓を開けて、そこから飛び出すくらいの余裕はある。
とっさにそう考えた祐巳(?)は椅子を蹴って立ち上がり、振り返って出窓に手をかけた。
そのときだった。
「待って、祐巳さん?」
緊張した空気にそぐわない、やわらかい言葉が響いた。
「うわぁ!」
いつ移動したのか祐巳のま横に志摩子が立っていた。
「ここは二階なのよ? 飛び降りたら怪我をするわ」
おっとりとそう言う志摩子に、祐巳は窓から飛び出す機会を失ってしまった。
「……逃がさないわよ?」
そして、由乃に背後からがっつり抱きつかれた。
思わず、祐巳(?)は叫んだ。
「ちょっ、島津さん、やめて」
「『島津さん』?」
何故か頬を赤くして慌てる祐巳(?)だった。
それを見た志摩子さんは言った。
「もしかして、祐麒さん?」
「「えぇ?」」
「なんで判るんだよ?」「祐麒さんなの?」
二人の言葉が重なった。
彼(彼女?)の反応からそれは正解のようだった。
「でも、胸、あるわよ?」
と、まだ抱きついて、両手を祐麒(?)らしき少女(?)の胸に這わせている。
「島津さん、ちょっと離れて、その、……あたってるから」
ますます顔を赤くしてそういう祐麒(?)。
由乃は背中からお尻にかけてべったり身体を押し付けていた。
「え? きゃっ!」
祐麒(?)の反応が男の子っぽかったので、意識してしまい、由乃は急に恥ずかしくなって背中から離れた。
が、感触はまるっきり女の子だったから離れた後、首をかしげた。
「祐麒さん、女の方だったんですか?」
志摩子さんが祐麒(?)をまじまじと見ながら言った。
「いや、そういうわけでは……」
「それで、狢なんですね?」
「はあ、別名、妖狸ともいいますが……」
*
「実は、俺、追われている身でして」
とりあえず祐巳の姿をした祐麒は由乃の尋問を受けていた。
でも、この祐麒、姿も声もまるで祐巳だった。
でもまあ、口調は完全に男の子だったので、とりあえず由乃は信じた。
「何か犯罪を犯したの!?」
「いや、犯罪というほどのものでは……」
「じゃあ、なにか他人に恨みを買うことをしたのね?」
「ちょっと生徒会権限で写真を没収して処分しただけなんだけど」
「写真? 誰の?」
「いや、リリアンの方々の写真」
「リリアンの誰よ? まさか不特定多数じゃないわよね?」
「ああ、有名どころで祥子さんとか令さんとか」
「令ちゃんの!?」
「あと、祐巳と島津さんと藤堂さんのも……」
「私のも?」
「うん、でもほら、やっぱり、男子ってそういう写真をさ、変な用途に使うからさ」
「変なってなによ?」
「いや、その……」
祐麒は口篭もった。まあどんな用途かは『お察しください』。
だから、全部強制的に没収して全て焼いたそうだ。
ここで由乃はその『用途』を「まあ予想はつきますけど」と言った乃梨子に耳打ちで教えてもらって使い物にならなくなったので志摩子と選手交代。
「それで、恨みを買ったのですね?」
「まさか体育系、文科系が共謀して来るとは思ってなくって、」
「学校に居場所がなくなったのね?」
「いえ、家の周りにも闇討ちを仕掛けようと複数の人間が潜んでいて、好きあらば家に乗り込んで誘拐も辞さないほど……」
それで、やむなく、妖狸の力の封印をとき、祐巳に協力してもらって、ほとぼりが冷めるまで姿を変えて何処かに身を隠そうということになった、それが祐麒の説明であった。
「姿を変えてこれなんですか?」
「う、うん。恥ずかしながら」
そこで、復活した由乃が言った。
「ま、待ちなさい、じゃあさっきの茶番はなんだったの?」
『狢になっちゃった』というあれのことだ。
「あいや、あれは祐巳が」
「祐巳さんがなに?」
「ああすれば、薔薇の館のみんなの協力が得られるからって」
「なによそれ」
「なるほど、理にかなってるわ」
志摩子が手を合わせてそう言い、微笑んだ。
「何処が!」
「さりげない自然な告白の仕方かしら?」
「不自然もいいことよ!」
「でも協力するのでしょう?」
「ま、それはそうだけど……」
「本当ですか? ありがとう、島津さん」
そう言って由乃の手を取る祐麒であった。
しぶしぶという態度をしているけど、ちょっと頬を赤く染めているのは、実は祐麒に協力できて嬉しいのかもしれない。
その時、どばん、とビスケットの扉を開けて何者かが侵入してきた。
「ちょっと待った!」
振り返ると、リリアンの制服を着ているからここの生徒か? が息を切らして立っていた。
髪は結わず、肩にかかるくらいのくせっ毛を自然に流して、顔は何処となく祐巳に似ていた。
でも背は祐巳より高くみえる。
とはいえ、
「あなた、誰?」
見覚えのない顔だった。
その見覚えのない顔はびしっと祐巳の姿をした祐麒を指差して言った。
「それは、偽者だぞ!」
「え?」
祐巳の姿をした祐麒(?)に視線が集まった。
「な、何を言うんだ! 俺は祐麒だぞ!」
「嘘だ! みんな騙されるな、それは祐巳が演技してるんだから!」
「ええっ!?」
驚いたのは由乃。
「そういうあなたは誰?」
冷静にそう聞いたのは志摩子だった。
「え? 俺は、いや、私は福沢唯(ゆい)よ、祐巳の従姉妹なの」
「もしかして、そっちが祐麒くん?」
「えっ! いや、お、私は唯よ! 祐麒がここに居るわけ無いじゃない」
怪しい。
というか、あからさまにうろたえている。
そう考えれば、この生徒、女装した祐麒に見えてきた。
「じゃあ、こっちは祐巳さんなのね?」
「ち、ちがうよ、祐麒だよ?」
「変だとは思っていたのよね。だって見ても触っても祐巳さんだったし」
「違うってば」
「祐巳さん、もう演技じゃなくなってるわよ? 朝から仕込んでてご苦労様だけどもう騙されないわ」
「うーっ」
不満げにうなる祐巳(推定)であった。
「……まったく姉弟して何やってるんだか」
もう二人のいうことは完全に信用していない由乃。
そんな様子を見て志摩子は言った。
「でも、祐麒さんが追われる身というのは本当なのね?」
「それも嘘じゃないの?」
「でも、祐麒さんがここに居るってことは」
そこで自称唯が言った。
「あのね、祐麒が追われてるって言うのは本当なのよ? だから撹乱するために私もリリアンに潜入したんだから」
「あー、まあそういうことにしておきましょう、祐麒君」
「……本当なのに」
志摩子が言った。
「でも男の方が潜入しているとなるとちょっと問題ね?」
「そういうこと。観念しなさい。祐麒君は男でしょ? 調べたら判っちゃうわよ?」
「じゃ、調べればいいんです。ほら」
そう言って自分のローウエストのワンピースを両手でへそが見えるまで捲り上げた。
「きゃーっ! 何するのよ祐麒君っ!」
といいつつ、顔を覆った手の指の隙間からしっかり見ているのはお約束だ。
「って!?」
由乃が目撃したのは、かわいらしい横ストライプの女物のショーツであった。
「あら?」
志摩子はそう声をあげるだけで全然驚かなかった。
「“無い”じゃないっ!」
「だから言ったのに」
「じゃあ、祐麒君は何処?」
「さあ?」
自称唯がとぼけるようにそう言うと、祐巳(推定)がぼそりと言った。
「……騙されてるよ? 狢は化けるんだよ?」
「え?」
「だから、私が祐麒じゃないって証拠もないよ」
「あなたは祐巳さんでしょ?」
「まあ、そう思っていてもいいけど、確証はないよね?」
そんなやり取りを見ていた自称唯はまた言った。
「でも私が祐麒君だって確証もないよね?」
「……」
確かにそう言われてしまっては全てが確証がなく、祐巳(推定)がやはり祐麒だったのかもしれないし、そうでないかも知れない。
由乃にはそれを確認する手段がないのだ。
回答につまった由乃は虚空を睨んでじりじりと冷や汗をかきつつ沈黙した。
そして、やがて、投げやりにこう言った。
「あー! もうどうでも良いわっ! どっちかが祐麒君でどっちかが祐巳さんでしょ! 追われている祐麒君に協力するってのは判ったからもう終わりにしましょ?」
由乃は面倒なことが嫌いだった。
だから、福沢姉弟をまとめて扱うことで事態の終結を図ったのだ。
しかし。
「あの、由乃さま?」
居たのか。今まで存在感が無くて、帰ったのかと思っていた。ここで乃梨子が発言した。
「なあに、乃梨子ちゃん」
「気になるのは、『化けられる』と言うことは、たとえば私や志摩子さんが祐麒さんという可能性もありますよね?」
「はぁ? 何を言ってるの?」
そうだ、可能性は二つに一つではなく、もっと沢山ある。
その、事態をさらに混乱させる乃梨子の発言に、志摩子は嗜めるように言った。
「そうよ、乃梨子、まだそれを明かしてしまうのは早かったわ」
「ちょっと志摩子さん台詞が違うでしょ?」
「いいえ、いいのよ」
「え?」
そして志摩子は言った。
「俺が祐麒だからね?」
そして、志摩子らしからぬ少年っぽい笑顔で笑った。
続けて乃梨子もこう言った。
「それでね、私が祐巳だったの」
その笑顔は確かに祐巳の笑顔だった。
「うそっ! じゃ、じゃあ、こっちの祐巳さんと祐麒君は……」
そう言って振り返った。
「……あれ?」
祐巳が立っていると思っていたところには雨で湿った木の幹があった。
そして、ビスケットの扉があったはずの方向は、鬱蒼と茂った雑木林広がっていた。
(狢)
※この記事は削除されました。
『桜の季節に揺れて』(最終回です)
【No:1746】act1〜act2
【No:1750】act3〜act4
【No:1756】act5〜act6
【No:1761】act7
【No:1775】act8
【No:1799】act9〜act10
【No:1823】act11
【No:1829】act12
【No:1831】act13
act.14 人魚流転
病院を出たとき、時間はまだ午前中だった。
私は学校へ行く気になれず、そのまま家に帰った。
そして何をする気力も沸かず、制服のまま、鞄もそこに放り出したままリビングで座ってボーっとしていた。
(振られた、のかな?)
でも、もくずは「好き」って言って、私にキスまでした。
「なんでかなぁ……」
思わず声を出してそう呟いていた。
(わかんないよ、全然わかんないよ……)
好きだって言ったり、話したくないって言ったり。
キスした後、嬉しそうに笑っていた。
あそこでわかり合えたと思ったのに。
『一緒にいちゃいけないの』
(どうしてそんなこと言うの?)
『乃梨子と話したくない』
(「好き」って言ったのはなんだったの?)
『もう帰って』
涙が出てきた。
判らないからもう一度、回想して、わからなくてまた涙が出てきた。
そんなことをぐるぐると、リビングで座り込んだまま何回も繰り返して。
「なんだい、お通夜でもあったのかい?」
気がつくと菫子さんがリビングのドアのところに立っていた。
「あ、おかえりなさい」
「ああ、ただいま。どうかしたのかい?」
「……」
「なんだ、言い訳する元気もないのか」
あきれたように菫子さんは言った。
普段の私だったらバレバレでも『なんでもない』って強がって見せるのに今日はそんな気力もなかった。
「重症だねえ、言ってごらん? 話、聞くからさ」
菫子さんはリビングのテーブルにカップを二つ置いて、私の前に座った。
いつの間にココアなんか作ったのだろう?
そうか、私がボーっとしている間に帰ってきて、私の分まで作ってくれたんだ。
帰ってきて来たことも、台所でココアを作っていたのにも気づかなかった。
私はココアに手を出さずに菫子さんに訊いた。
「ねえ菫子さん」
「なんだい?」
「『好き』って言った相手にさ、『話したくない』、『帰って』とか言う事ってあるかなぁ?」
「はて、いろいろな場合があるだろうけど、リコが言われたのかい?」
「私がね、好きだって、親友だって言ったらあの子、泣いちゃって、それから……」
私はあの時の事を洗いざらい菫子さんに話していた。
菫子さんは私がつっかえながら話すのを頷きながら根気よく聞いてくれた。
そして一通り話して私が「なんでなのかなぁ」と結んだ後で、菫子さんは言った。
「……やれやれ、リコはこの前の話、もう忘れてしまったのかい?」
「え? この前の話って?」
「その子はこの前言ってた『どうしようもない嘘つき』なんだろ?」
「う、うん」
それが何?
「簡単じゃないか、どっちかが嘘ってことだろ?」
「どっちかって?」
「リコはどう思うんだ、『好き』が嘘かい? それともリコと『話したくない』が嘘なのかい?」
「あ……」
「どうなんだ?」
「『話したくない』、が、……うそ? でもどうして?」
「そりゃ理由があるからに決まってるだろ? この前そう教えただろ?」
そういえばそうだった。
もくずには『好き』って言った私と『一緒にいちゃいけない』理由がある。『話したくない』理由があるんだ。
決別の言葉がショックでそこで私は思考停止していた。
そうだ。確かめなければならない。
もくずが離れる選択をした理由を。
「目に輝きが戻って来たね?」
菫子さんがそう言った。
でも、まだ停止してた思考が帰ってきただけに過ぎない。
「……私、聞いてみる」
「そうしな」
私は、もくずにメールアドレスを教えたことを思い出した。
後でアドレスを送ってと言ってメモを渡したのだ。
直接話せないことでも、メールなら話が出来るかもしれない。
「で、どうなんだい?」
「え?」
菫子さんが悪戯っぽくにやにや笑っていることに気付いた。
「ファーストキスだったのかい?」
「あっ!」
恥ずかしくて顔が熱くなった。
さっき洗いざらい、私はもくずとキスしたことまで話してしまったのだ。
◇
私は自分の部屋に入ってすぐパソコンの電源をいれて、それから、帰ってから着たままだった制服を脱いでハンガーにかけた。
そして、普段着のシャツとスカートを身に着ける前に、起動したパソコンを操作してメールソフトを立ち上げ、メールをチェックした。
「あっ!」
メールが一件。
送信者は、『もくず』だった。
私はいつもの習慣でそのメールを打ち出し、プリンタの音を聞きながら、普段着に着替えた。
あんな別れ方をしたから気まずいだろうし、メールはもくずのアドレスを伝えるだけの内容の無い返信だと思っていた。
これでじっくりメールをやり取りできるな、なんて思いながら、着替え終わって何気なくプリントアウトされた紙を取り上げてざっと眺めた。
「もくず……?」
そのメールにあった言葉――。
『……ぼくは乃梨子のそばから離れます。
さようなら乃梨子』
私は携帯と財布をポケットに突っ込んで部屋を飛びだした。
菫子さんはまだリビングにいた。
「何処へ行くんだ?」
「“嘘つき”のとこ!」
そう答えて廊下を走り抜けた。
「がんばりな」
玄関から出る直前に菫子さんの声が聞こえた。
私は駅まで走り、朝、乗ったのと同じ電車の路線を、今度は焦燥感を感じながらまた辿った。
(もくず、どういうつもり?)
乗り換えで走っても大差ないのだけど、私は一刻も早く行きたくて、階段を駆け下り、駆け上がって、息を切らして電車に乗り込みまた苛々した。
そしてようやく、目的の駅に達し、駅の階段をまた駆け上って駆け下りて、病院までのちょっとした距離を走った。
病院の広い待合所は朝より混んでいた。
私は受付に寄らず、まっすぐもくずの病室に向かった。
でも。
(名札が、無い?)
今朝来た病室の前の“海老名藻屑”の名札が無くなっていた。
(病室、変わったの?)
私は病室に入ってみた。
もくずがいたベッドは囲んでいたカーテンが開かれていて、ベッドには布団も枕もなく、奇麗に片付けられていた。
手術をするって言っていたから、その関係で変わったのかもしれない。
私は待合所に舞い戻って、受付に“海老名藻屑”のお見舞いに来た事を告げた。
受付の女の人は、端末を操作して、少ししてから、
「海老名さんは退院されました」
「え?」
「ええと、ああ、今日ですね。今日の……今しがた退院手続きを終えたばかりです」
唖然としている場合ではない。
私は受付の人の言った言葉を理解すると、すぐに振り返って待合所を見回した。
外だった。
待合所の外の駐車場に面したガラス張りの壁面ごしに、見覚えのある後姿が見えた。
「もくず!?」
私はエントランスに走った。
もくずらしき後姿のあった場所に行くには少し回り込まなくてはならなかった。
ガラスの自動ドアを抜けて、駐車場に向かった。
その場所が見えたとき、もくずはタクシーに乗り込むところだった。
「もくず!」
一瞬、もくずが顔を上げてこちらを見た。
でも、そのままもくずは車に乗り込んでしまい、ドアが閉まった。
(どうして?)
タクシーは私が走り寄るよりも早く発進して、私が見ている前で病院の駐車場から走り去ってしまった。
(なんで急に退院なんて?)
その直後、私は無理を言って担当の医師から話を聞きだした。
その医師によると、この病院に入院したのは検査のためで、整形手術の為ではないとのことだった。
つまり、私はもくずに一杯食わされたのだ。
退院も別に急なことではなく、今日中に退院ということは、前から決まっていたそうだ。
携帯は相変わらず繋がらず、帰ってからもくずの家に電話したらもう転校先の寮に行ってしまったと言われた。行く時期が早まった事に関しては母親は「知らない」と言った。母親は保護者が必要な手続きだけして、引越しなどはもくずに任せていたようだ。
なんとか連絡先を聞き出して、そこに電話をかけたら、そこは寮の管理室で、電話に出た女の人には『決まりだから保護者以外には取り次がない』と言われてしまった。
時間差でばたばたと出て行ってしまったもくずだが、どうやら、引き止められることを恐れた計略だったようだ。
何回も中学校を変えたときも、もくずはこんなことを繰り返していたのだろうか?
好意を向けられて、それを自ら破壊して。
――もくずにその気が無ければ、もう連絡も取れなくなってしまった。
◇
翌日、私はまた由乃さまに引っ張られて薔薇の館に行った。
もくずが去ってしまったことを話したら、志摩子さんが驚いて、そして泣き出してしまった。
私は、泣きながら「ごめんなさい」をくりかえす志摩子さんに、どういうことなのかと聞いた。
志摩子さんは、私がもくずのお見舞いに病院へ行った前の日に病院に行って、もくずと会って来たそうだ。
そこで志摩子さんはもくずに襲われたという。額の絆創膏はその名残だそうだ。志摩子さんはこのことを誰にも秘密にしておくつもりだったらしい。
自分のせいだと謝る志摩子さんだったが、もくずは入院した時点で去ることを決めてしまっていたから志摩子さんのせいではない。
私は以前に一度だけ、もくずに志摩子さんの話をしたことがあったことを思い出した。
志摩子さんは、私にとって“特別な人”だと、私はもくずに話したのだ。
−−−−
○月○日 居場所
人間は怪獣になります
人魚も怪獣になります
怪獣は自分の居場所さえ破壊し尽くしてしまうのです
元に戻れてももう居場所はありません
−−−−
学園長からの呼び出しがあった。
呼び出された私は、前回と同じように学園長の机の前に立ってまず前回の暴言を謝罪した。
「あの、先日は失礼なことを言ってしまって、申し訳ありませんでした」
学園長は深々と頭を下げる私に静かに言った。
「……頭を上げてちょうだい。私もあなたに謝らないといけないわ」
「え?」
私は、学園長がもくずに、ここに残って通学しながら心の問題を解決していくように勧めていたことを、志摩子さんから聞いていた。
前回、私が学園長に向かって怒鳴ってしまった内容は言いがかりとしか言いようがないことだった。私は学園長の心遣いに対して無理解であったことを後悔していた。
でも学園長はこう言った。
「あなたの言った通りだったのかも知れないわ。私は選択肢を示したつもりになっていたのだけど、海老名さんは私が思っていた以上に追い詰められていたのね」
「そんな」
「こんな結果になってしまった責任は、全て私の力不足のせいよ。ごめんなさい」
そう言って学園長は頭を下げた。
「そ、そんな、私なんかに頭を下げないで下さい。私だってもくずには、愛子さんには何をしたって訳でもないし、結論は彼女が自分で考えて決めたんです」
そう、散々振り舞わされた挙句、あっさり切り捨てられた。私はそう感じていた。
学園長は言った。
「いいえ、何もしてないなんて事はないわ。あなたは私が出来なかったことを海老名さんにしてくれた。あなたが居たから海老名さんは自分から自分の問題に向き合うことが出来たのよ」
その言葉は重く、私の心に響いた。
「もくずが? 私が居たから?」
「ええ。そうよ」
「ただ、一緒に居ただけなのに? 悩みを聞いたりとか全然していないのに?」
「それでいいのよ。一緒に居る事で、あなたは海老名さんを守って、励まして、自分に向き合う力を与えてくれた。あなたはずっと裏切らずに好意を向け続けていたのでしょう?」
「それは、判りません」
もくずが憎らしいと思ったこともあった。
もくずが遠いと感じて心が冷めた事も。
「いいえ、あなたは側にいて決して裏切らなかった。心の底ではあの子の信じていた。だからこそあんな風に私に怒鳴ったのでしょう?」
「す、すみません……」
「私はあなたの言葉を聞いて恥ずかしくなったわ。私には二条さんの十分の一もあの子を信頼する気持ちがなかったって。私はあの子を何とか救ってあげたいなんて思っていたけれど、あなたの純粋な想いに比べたら、それはただのエゴだったって」
「そんな、買いかぶりすぎです。私はそんな……」
「そうね。買いかぶりすぎかもしれないわ」
そう言って学園長は微笑んだ。
いや、誉めるのは、貶すのか、どっちかにして欲しいんですけど……。
「でも、たとえ思い込みでも、自分を信頼してくれる人がいるっていうことがどんなに励みになるか、あなたは判らないかしら?」
それは……、判る気がする。
でも。
「私は、知らなかっただけです。だから、もくずがそんな子じゃないって思いこみたかっただけです……」
そう。
結局、私の一人相撲だった。もくずの心の問題なんて志摩子さんに聞くまで全然知らなかったし、一緒にいても全然判ってあげられなかった。
「好きだったのでしょう?」
「え?」
「掛け値なしに、あの子のことを好きになってくれたのよね?」
もくずのことを?
「……はい」
少し考えて、そう答えた。
そうだ。もくずの過去なんて関係なく、私はもくずのことが好きだった。
それは一方的な「好き」。自分勝手な「好き」だったけど。
学園長は言った。
「みんな、あなたの為だったのよ」
涙が出た。
――すれ違っていたんじゃなかったの?
もしかして、私に答えようとしてくれていたの?
「彼女は変わったわ。それを信じてあげて」
「あ……」
『はい』と答えようとして言葉にならなかった。
自分がどうしてこんなに泣いているのか良く判らなかった。
学園長は感慨深くこう言った。
「でも、私がもっと上手く指導できていれば彼女を行かせずに済んだかもしれないわ。いえ、これも自惚ね……」
そんな言葉を上の空で聞きながら、
私はもくずの決心を尊重しようと思った。
リリアンを離れて頑張るもくずを応援したいって思った――。
題 名:乃梨子へ
送信者:もくず
ぼくはお父さんとおんなじです。
お父さんは弱い人でした。
でも感情が激しい人です。
ぼくはお父さんに何回も叩かれました。
足が悪いのも小さい頃お父さんがぼくを思い切り叩いたからです。
ぼくはお父さんが好きでした。
いまでもお父さんが好きだと思います。
でも、カウンセラーの人はそれは錯覚だといいました。
ぼくのそばにお父さんしか居なかったからそう思うだけだっていいました。
でも、お父さんがぼくのこと嫌いじゃなかったことをぼくは知っています。
嫌いじゃないのに叩いてしまう気持ちもぼくならわかります。
お母さんはお父さんを捨てました。お父さんが壊れているからです。
ぼくも壊れています。
ぼくは乃梨子の大切なものを傷つけました。
これからも乃梨子の大切なものを傷つけてしまうと思います。
ぼくは乃梨子が好きです。
壊れていない乃梨子が好きです。
だからぼくは乃梨子のそばから離れます。
壊れたぼくが直るまで
さようなら乃梨子
(FIN)
あとがき(追加 2006-09-08 19:20:00)
これは、現代の歪んだ社会を揶揄するような小賢しい心理劇などではなく、単純な Girl meets girl な話だと思っています。
乃梨子がもくずと、手を繋ぐ→抱き合う(だっこ)→キスする、と来て、最後にもくずからメールが来て、ここで初めてもくずの心情が判り、両思いの成立。だからこの恋物語はここで終わりなんです。ここから先は違う物語になってしまう。
いずれにしろ、既に一方の原作とほぼ同じ文量を消費し(ここ重要)、当初のプロットは破綻寸前、最後はラスボス(シスター上村ですよ)に語らせるという緊急措置を取ってなんとか完結させることが出来ました。
書いてみて判った事は、表現すること、しないことのさじ加減が難しいってことでした。語りすぎれば陳腐になるし、語らなすぎれば訳がわからなくなります。一応、連載ではなく一気に読むことを意識して書かせてもらいました。なので時間を置いて読んでいた方々は多少「??」になっていたかと思います。ごめんなさい。
おまけ(追加 2006-09-09 12:08:00)
こぼ落ちに「いい話的END」を公開。【Cb:93】、[HomePage]のとこ。
まだ夏の名残を残す日差しの中を、涼やかな風が吹き抜ける、そんなある日。
七つ道具を手にした少女は、身長174cmの視線でその家を見上げていた。
傍らには彼女の忠実なる後輩。
「うふふ…舞台に不足はないわ」
トレードマークの赤いエプロン。
地面にはモップの柄を突きたて、不敵な笑顔で仁王立ち。
「智子さま…私は妹として、情けないです…」
道具を手にし、同じ赤いエプロンで隣に立つもう1人は肩を落とした。
「大丈夫よ美咲ちゃん、いざとなったらちゃんと助っ人を呼ぶから」
174cmのちあきはそう言って、嘆く美咲を慰めた。
「待っていなさい智子…あなたの家、この佐伯ちあきがまるごときれいにしてあげるわ…ふふふふふ…あ〜っはっはっは…!」
超家事手伝い(スーパーハウスキーパー)佐伯ちあき。
人は彼女をこう呼ぶ。
「無敵の世話薔薇総統」
先週の日曜日。
ちあきは自宅でとある夫婦と対峙していた。
「なんですって?智子の部屋を掃除してほしい?」
智子の両親であり、日本屈指の企業グループである瀬戸山グループの総帥とその夫人である夫婦は、溜息混じりに告げた。
「あの子の部屋だけではありません…家全体を掃除してほしいのです」
「それなら何も私でなくても、専門の業者を呼べばよろしいのではないですか?
お宅はこの家が10軒分はある広さですし、私1人では到底無理です」
断ろうとしたちあきに、瀬戸山夫人は哀願した。
これも瀬戸山家が、ちあきに大きな信頼を寄せるからこそできる話だ。
「お願いです!ちあきさんのお力がぜひとも今必要なのです!」
とまどうちあきを前にして、夫人は自宅の惨状と、こうなるに至った経緯を、
涙ながらに語った…。
7月のある日。
瀬戸山家のメイドや執事、その他スタッフたちは、突然のプレゼントに舞い上がっていた。
「ねえ、やっぱりうちのご主人さまは気前がいいわね。博多祇園山笠のために休暇を下さるんですって!」
「本当なの!?」
「ええ、宵山をはさんで1週間、好きなところへ旅行していいんですってよ」
「それはすごい!これも生粋の博多商人であるご主人さまだからこそできる話だ」
あまりのことに驚いた夫人が夫に尋ねると、
「仕事!?んなモン休みに決まっとろうが。山笠(ヤマ)やけん。
今年は俺も山車ばかつぐけんね」
博多生まれの博多育ち。
幼い頃から山笠とともに育ってきた総帥。
東京に出てからも持ち前の才覚と勝負強さで、あっという間に事業を拡大させ、
今や押しも押されもせぬ大社長。
そんな総帥は博多で「山笠(ヤマ)のぼせ」といわれる、祭り大好き男である。
メイドたちがいなくなったあとの瀬戸山家がいかなる状態になってしまうのか、
そして帰って来たメイドたちの仕事ぶりがどう変化するか、
この時点ではまったく想像が及ばなかったのである。
「確かに主人の山笠好きは相当なもので、私も内心あきらめてはおりますが…」
夏休みには実家に帰っていた智子だが、暮らしぶりがひどかった。
(ここで読者の皆様には思い出していただきたい。
智子が両親の仕事の都合で1人暮らしをしていることを)
毎日毎日寝て過ごし、宿題なんて記憶と本棚の彼方に放り投げている。
1人暮らしでよく使ったコンビニとピザのデリバリーでその日の食料を調達すると、
あとはパジャマのままボーッとする。
もちろん後片付けなどするわけもない。
髪は乱れ放題、体は汚れ放題。
20畳はあろうかという部屋は、すでに足の踏み場はない。
賞味期限切れのビーフジャーキーの袋。
発酵が進み過ぎて腐臭を放ち始めたキムチの容器。
カップラーメンの容器には、わずかだが飲み残したしょうゆ味のスープ。
その他にもケーキやらゼリーやら、おびただしいプラスチックの容器たち。
クローゼットに目をやれば、メイドたちが休みをとる前から溜め込んである洗濯物。
そこにも入りきれなかった本や雑誌、CDが侵食し、もはやクローゼットというより物置である。
うずたかく積まれて山脈と化した書物の間を、我が物顔に闊歩する何やら黒いやつら。
夫人は卒倒した。
「あれ?お母さん、そんなところで寝てたらカゼひくよ〜」
薄れゆく意識の中に、娘ののんきな声が響いてきた。
「まあわしも、智子があれほどだらしないとは考えてもみなかったが、メイドたちが何とかしてくれるだろうし、
わしらも仕事が多いものでな、なかなか娘のことにまでは…」
あはは、と笑って頭をかく総帥に、ちあきは怒りの一撃。
「あなたはそれでも智子の親なんですか!?山笠なんて見ている暇があったら、
きちんとご自分で躾をしてください!」
「「は、はいぃっ!」」
日本有数の大富豪も、世話薔薇総統にかかっては形無しであった。
「とにかくお掃除はさせていただきますが、費用は全額そちらの負担でお願いいたします」
総帥はうなずいた。
「もちろん、どれだけでも金は出そう。もはやわしと女房の部屋さえメイドたちが
我が物顔で、わしらは今物置で寝起きしておるものだから…」
夫人から聞かされて、覚悟はしていたが。
まさかこれほど荒廃しているとは思わなかった。
部屋に散らばるガラクタを片付けながら、ちあきはなんともいえぬ気持ちにさらされる。
(この家のスタッフたちは、主人夫婦のことをどう思っているのだろう…)
本来なら一番きれいでなければならない主寝室。
小さな平屋建ての家がまるごと一軒入るような部屋には、ルネッサンス時代に描かれた名画が何点か飾られている。
サイドボードの中には美しい絵の描かれたコーヒーカップや、見るからに高級そうなグラスが所狭しと置かれ、
この家がどれほどの財産を持っているのかを、端的に知ることができる。
こうした立場の人が持つある種の悪趣味さを、この部屋からはまったく感じない。
むしろとてつもなく洗練されている…はずだった。
しかしこの部屋もやはり、メイドたちの宴のあとがくっきりと残っている。
義理堅く上下関係を重んじるちあきには、自分の上司の部屋で部下であるメイドや執事がやりたい放題を繰り広げる光景は我慢がならない。
だいたい山笠休暇をプレゼントしたのだって、彼なりのスタッフへの感謝の気持ちからではないだろうか。
博多から帰ってきてこの部屋を見たとき、あの総帥はどんな気持ちになったのだろう。
それを思うたび、ちあきは全身の血液が激しく逆流するような感覚を味わってしまう。
「…ちあきさま、大丈夫ですか?」
顔色が変化したのを見逃さなかった美咲。
「まだ…今のところは、ね…」
「とりあえず今は理性をキープしておいたほうがいいですよ。このあとも戦いは続くんですから」
淡々とした口調と動きで、さくさくと掃除をすすめていく孫の姿に、
ちあきは心強さとかすかな恐れを感じていた。
そのころ、野上純子はまったく別の用事で瀬戸山家を訪れていた。
「うふふ、新作お菓子大成功!智ちん甘いもの好きだから、たっぷり食べてもらえるねvv」
4種のベリーのヨーグルトタルトの入った箱を持って、重厚なドアについたベルをカランカランと鳴らした。
「純子…どうしたの」
「ちあきさまこそ、どうしてここに?っていうか、なんか顔色悪いですよ?
大丈夫ですか?」
ややあって、掃除を手伝う純子の姿があった。
特殊加工の白いエプロンが、よどんだ空気の中で映える。
「なるほどね…お怒りはごもっともです」
美咲同様、純子もあまり表情が変わっていない。
だが眉間のしわが、今の彼女がどんな感情でいるのかを雄弁に物語っている。
「ですがちあきさま、どうか智ちんを、瀬戸山家の人たちを責めないであげてください」
純子の口から出た意外なセリフに、ちあきと美咲はいぶかしげな視線を向けた。
「人は楽をしようと思えば、どれほどでも楽になれます…
瀬戸山の叔父様は、博多でものすごい苦労をなさってきたんです。
叔父様のお父様、つまり智ちんのおじいさまは、叔父様とは血がつながっていないんです」
「純子さま…それ、本当なんですか?」
美咲の目は驚きに見開かれている。
「叔父様のお母様は、こう申し上げてはなんですけど、かなりの遊び人だったようで…
おじいさまと結婚なさったあとも何人かの男性と同時進行していたらしいのです」
「ちょっと、純子…」
ちあきの眉間のしわがさらに深くなるが、純子はまるでニュースでも読むような口調でさらに続ける。
「叔父様が生まれたのもそのころで…おじいさまの子どもでないことは公然の秘密でした。
叔父様の本当の父親、つまり智ちんの本当のおじいさまが誰なのか、実はいまでも不明なんです。
それを叔父様に告げる前に、おばあさまは亡くなられましたから」
これまで知らなかった紅薔薇のつぼみの真実に、ちあきたちはもはや手を動かすことも忘れている。
「それでも智ちんのことを、おじいさまはとてもかわいがっていました…
『親が誰であれ、この子はわしの孫だ』といって。
血のつながらない息子には虐待を加えましたが、その頃にはそんな体力もなくなっていたんでしょうね」
「ちょっと待ってください」
美咲が声をあげた。
「なぜそこまで純子さまがご存知なんですか?」
純子は足元にあった一冊の本を美咲に差し出した。
「『博多少年奮闘記 わが人生に一遍の悔いもなし』…」
「瀬戸山コーポレーション創立50周年記念のパーティーで配られた手記よ。
そこにすべて書いてあるわ」
ちあきの脳の中で、しだいにひとつのパズルが完成に近づいていた。
なぜ総帥があれほど気前よくて豪快なのか。
なぜ智子に生活力が身につかなかったのか。
なぜスタッフたちが遊びほうけているのか。
その原因を作ったものは何だったのか。
なぜ彼が、日本で5本の指に入るほどの富豪となりえたのか。
「そう…すべては博多時代の苦労の賜物だったのね…」
パズルはすべて完成し、ちあきの目には輝きが戻った。
「さあ、行くわよ」
「「はいっ!」」
再び掃除が始まった。
その後の3人の働きぶりはめざましく、小笠原家に匹敵するほどの広さを持つ豪邸を、
わずか1日できれいさっぱり磨き上げてしまった。
「ありがとうございました!」
大金を手渡そうとする総帥夫妻を、ちあきたちは手で制した。
「私たちで話し合って、お金はいただかないことにしたんです。
そのかわり…」
「「そのかわり?」」
ちあきはまた不敵な笑みを浮かべた。
「そちらのメイドさんたちを、1週間お借りできませんか?」
驚く総帥夫妻に、さらにダメ押し。
「私が全員鍛えなおしてみせます」
その瞬間、佐伯家のリビングの体感温度が一気に20度以上も下がった…。
後日、瀬戸山家では山笠以前とは打って変わってまじめに働くようになったメイドたちの姿があった。
ただ、彼女たちに変化の理由を聞いてみても一様に口を閉ざすばかり。
「あんな目にあうくらいなら、まじめに働いていたほうがましです」
メイドの1人はようやくその一言だけを発した。
はたしてその1週間に何があったのか、知っているのはマリア様のみ。
「どうして……乃梨子はどうして笑っているの?」
泣きじゃくる志摩子の問いかけに、乃梨子は答える。
「笑ってなんかいないよ。志摩子さんこそ、笑顔じゃない」
◆ミンナコワレテル。
※菜々半壊れ注意です
「ふんふふ〜んふふ〜ん」
薔薇の館では、いつも通りにみんなが仕事をすすめていた。
祐巳さまと瞳子さまは仲よさそうに喋っていて、志摩子さまと乃梨子さまも会話の片手間に仕事。
といった感じだ。
そして、由乃さまはというと……
「由乃さま、これはなんですか?」
「きりん!!!」
由乃さまは、自信満々の顔で菜々にそれをみせた。
はぁ。
思わず溜息もつきたくなってしまう。その4歳児が書いたようなきりんは、何を隠そう書類にデカデカと
書かれているのだ。しかもペンで。
由乃さまには困ったものだ。菜々は常々そう思っているが、母性本能がくすぐられるのか別に不快ではなかった。
島津由乃さま。菜々の姉であり、高校生とは思えない幼さが残る黄薔薇さまである。
身長、小学生なみ。頭脳、小学生高学年程度。可愛さ、異常(菜々主観)。
さて、ところでこの落書きされた資料はどうしようか。と菜々は頭を悩ます。
紅薔薇組みは相変わらずイチャイチャしてるし、白薔薇組みも以下同文。
結局菜々は、まぁ、なんてことはない。いつも通りに妹らしく躾ければいいだけだ。という結論にたっした。
『妹らしく躾ける』という文の不思議さは、もはやすでに消滅している。
「由乃さま、書類に落書きしちゃダメですってあれほど…」
「も〜!なな!由乃さまじゃなくておねえちゃんでしょ〜!」
それを言うならお姉さまじゃないのか。なんて言おうとしたけれど、とめどなく鼻から赤色の液体が
タレ流れてくるため菜々にはどうしようもなかった。
「ひっ!な、菜々ちゃん大丈夫?ティッシュティッシュ…」
どうやら菜々が鼻血を噴出しているのに気付いたらしく、祐巳さまが慌ててカバンをあさっている。
が、いっこうにティッシュは姿を現さない。
「もう、お姉さま落ち着いてくださいませ。ティッシュなら瞳子も持って……あら?」
ツンツンデレデレしながら瞳子さまもカバンをあさるが、一向にティッシュは姿を現さない。
というか、菜々としてはもういっそどうでもよくなってきた鼻血問題だったが、そこに由乃さまが近づいてくる。
「だいじょぶ、なな?ほらティッシュ」
わざわざイスに乗って菜々の身長にあわせるように、『こより』にしたティッシュを近づける。
「も〜、しんぱいさせないでよね〜」
ブッ
うわ〜!!菜々ちゃん!?菜々ちゃん!?
大変!救急車を…
いや、志摩子さんそこまでしなくても…
なな〜!なな〜!
由乃さま落ち着いてくださいませ!!
……あ〜。結局躾けできなかったなぁ。
それが、菜々が安らかな顔で気絶する前に考えたことだった。鼻血面で。
次の日。
教室でお弁当を食べていた菜々のもとに、由乃さまはわざわざ現れた。
「どうしたんですか、よし…お姉さま。そんなに暗い顔で」
「……きのうは、ごめんなさい」
しゅんとした顔で、由乃さまは頭を下げた。教室がざわめく。
これは拙い……。
「お、お姉さま!一緒にお弁当食べましょうそうしましょう」
このままでは在らぬ噂を立てられかねないと判断した菜々は、由乃さまの腕を掴み、自分の弁当を掴むと
そそくさと教室を飛び出した。
校舎裏の比較的人通りが少ない場所に腰を下ろした菜々は、涙目で菜々を見上げている由乃さまを見た。
「…由乃さま、そんな顔しないでくださいよ。私別に気にしてませんから」
というかむしろ逆ですから。なんだか幸せな気持ちになれましたから。
なんて言ってはみるが、由乃さまの顔色は変わらない。むしろ涙目がより涙目になったような。
「……ごめんね゛」
「だから気にしないで下さいって。よしよし」
よしよししてあげると、由乃さまの顔はとたんに満面の笑みに変わった。
扱いやすい……いや違う、純粋なんだなぁ。恐らく。
「えへへ。ごめんねなな」
「だからいいですから。それより、お弁当食べましょうよ」
ようやく機嫌が直った由乃さまは、カバンからお弁当を取り出した。
さて、じゃあ私も。とお弁当に手をつけようとした菜々だが……
「……」
「あれ?ななのおべんとうなかはいってないよ?」
チラリと見ると、歩いてきた道にはまるで目印かのごとくおかずやらご飯やらが落ちていた。
いくら急いでいたとはいえ、これはないだろう、私。
などと軽く絶望を感じていると、由乃さまはなにか思いついた顔で菜々を見た。
「なな、いっしょにたべよ!」
言いながら、由乃さまはお弁当を差し出してくる。
「…ありがとうございます、お姉さま」
「とうぜんだよ!!」
由乃さまは嬉しそうな顔で、座った菜々の膝の上に座った。
可愛い可愛いお姉さまと一緒にいられる時間を幸せに思いながら、菜々は由乃さまのお弁当を一緒に食べたとさ。
「はい、なな。あーん」
「…あーん」
「あれ?どうしたのなな。はなぢでてるよ?」
「気のせいですよ、お姉さま」
終われ!
※この記事は削除されました。
「はぁ………」
薔薇の館でただ一人、窓の外を眺めながら小さく溜息を吐いたのは、黄薔薇のつぼみの妹、島津由乃だった。
ほんの一週間前、一人の少女が山百合会に仲間入りした。
その少女の名は、福沢祐巳。
紅薔薇のつぼみの妹だ。
祐巳が、紅薔薇のつぼみ小笠原祥子の妹になるに及び、いろいろ悶着はあったものの、今では当たり前のように、その場に納まっている。
今までは自分が皆から可愛がられていたのに、祐巳が現れてから、衆目は彼女ばかりに集まっており、由乃としては内心面白くない。
人と付き合うにあたり現れる、最も厄介な感情。
そう、嫉妬という感情だ。
しかし、否応もなく彼女に惹かれていくその気持ちは分からないでもない。
自覚したくはないのだが、明らかに自分自身も惹かれていることには、気付いていたのだから。
「おや?」
「あ」
突然、開いた扉の影から姿を現したのは、白薔薇さま佐藤聖。
「ごきげんよう、居たんだ。今日は仕事が無いから、全員帰ったもんだとおもってたけど」
「ごきげんよう。そう仰る白薔薇さまは?」
「はは、すぐに帰ったところで、特にやる事もないからね。適当に時間を潰そうと思って」
「そうですか………」
「ところで由乃ちゃん、溜息なんか吐いてどうしたの?」
その聖の言葉に、ドキリとした由乃。
「どうして、分かったんですか?」
見えていなかったはずなのに、まるで見えていたかの様に。
「察するに、令のことじゃないわね。そうね………祐巳ちゃんのことかな?」
さらにドキリと来る。
どうしてこの人は、心中の考えまで、正確に読むことが出来るのか。
「………そうです。こんなこと言ってはなんですが、私は病弱で儚く、可愛らしい容姿の結構な美少女で、今まで自他共に認める山百合会のアイドルとして頂点を極め、君臨してきたじゃないですか。ところが、まるでパッと見た感じ目立った特徴の無い狸面の彼女が、どうして私を差し置いて、あそこまで持て囃されるのか。それが分からない上に、なんだか口惜しくて。こうなったら私も、祐巳さんのように振舞った方が良いのかな、なんて」
よほど鬱屈していたのか、かなりの暴言が由乃の口から飛び出した。
「その辺りを除けば、そりゃ私だって、大した特徴は無いですけど………いえ、身体が弱いぶん、欠点の方が多いけど、祐巳さんが、私とは違う何かを持っているのは分かっているけど………」
視線を逸らし、ボソボソと呟く声が、段々と尻すぼみになってゆく。
「由乃ちゃんさぁ。例えば、自分の短所は隠して長所ばっかり喧伝していながら、相手の長所はまったく認めず短所ばかり責め立てる人をどう思う?」
特に表情を変えるわけでもなく、いつもの席に着きながら、穏やかな口調で由乃に問い掛ける聖。
「そういうのをね、高慢な我侭バカって言うのよ」
一転、吐き捨てるような口調になった。
「逆に、自分の短所ばかり口に出して長所を隠し、相手の長所を認めていても短所を知ろうとしない人はなんて言う?」
再び、意図がわからない問い掛けの聖。
「そういうのをね、卑屈な自虐バカって言うの」
今度は、哀れみが混ざった口調だった。
どちらにも自分は当てはまっていないはずなのに、どちらも当てはまっているようで、由乃の瞳は微かに揺れた。
「でも、由乃ちゃんはそのどっちでもないよね。もしそうだったとしたら、令とあなた、いくら従姉妹であっても、単なる身内以上の関係にはならなかったはず。でないと、令があそこまで由乃ちゃんを可愛がるわけがないもの。昨今じゃ、嘆かわしいけど親の子殺し子の親殺しは当たり前だし、血が繋がっているはずの親兄弟姉妹でも、疎遠な関係はいくらでもあるもの。例え濃い血の繋がりではなかったとしても、二人は理想の、いやそれ以上の姉妹だと思うよ」
由乃の姉である黄薔薇のつぼみ支倉令は、従姉妹同士という関係でありながら、下手な本物の姉妹よりよほど仲が良い。
溺愛していると言っても過言ではないぐらいに。
「先に言ったどちらかになるのは簡単だし、そんな人は、探せば掃いて捨てるほどいるよ。でもあなたは、自分の長所も短所も理解しているし、気に入らない相手の長所短所も理解し、例え不本意だったとしても受け入れることが出来ている。由乃ちゃんのように、自分や相手の長所短所両方を認識した上で行動できる人なんて、世の中滅多にいないのよ」
「………」
噛んで含めるような聖の言葉に、沈黙して聞き入る由乃。
「大体、仮に由乃ちゃんが祐巳ちゃんと同じように振舞ったところで、彼女のように見られると思う? 反対に、祐巳ちゃんが由乃ちゃんと同じように振舞って、由乃ちゃんのように扱われるかな? 人にはそれぞれ天分ってものがあって、上辺や見かけだけ取り繕ったところで、その人の本質は変わらないものなのよ。あなたも祐巳ちゃんも志摩子も、みんな違う人。みんな違う長所と短所を持っているよね?」
「そう………そうですよね」
由乃は、小さく頷いた。
「短所は決して隠さず、長所は遠慮せずに全面に押し出して、そして自分らしくあること。そうすることによって、人は自分を正確に認識し、その上でようやく自分自身でいられるのよ。人は人、誰も他の人にはなれないから。そうね、出来れば一度、祐巳ちゃんとじっくり話し合ってみるといいよ」
「はい、そうしてみます」
しっかりと返事した由乃の表情は、先程よりも大分穏やかになっていた。
「まぁ、私も人に偉そうなことを言える立場じゃないけどね」
自虐気味に、口の端を吊り上げる聖。
「あーあ、珍しくいっぱい喋っちゃったから、喉が渇いたなぁ」
その言葉を聞いた由乃は、黙ってシンクに立ち、聖好みのブラックコーヒーを淹れると、彼女の前にそっと置いた。
「どうぞ」
「おー、サンキュー。丁度コーヒーが飲みたかったんだ。気が利くねぇ」
「いえいえ、ささやかなお礼です」
まったりお茶を楽しむ二人を残したまま、静かに日は暮れていった。
このひと時が、由乃に手術を決心させた要因の一つであったことには、本人は気付いていなかった。
舌の根が乾かぬうちとはこの事ですが、第二山百合会のリライトです。
あのエピソードより一年以上前から始まります。オリキャラによるリリアン話になります。
◇ ◇ ◇
――私はがんばってきた。
近所からも良く出来た子だって評判だったし、両親からも「美春は良い子だね」って言われるようにがんばってきたし、学校の成績も中の上ぐらいをキープしていたし、先生からの評価も“問題のない子”だったし。
そうやって、私はがんばって良い子をやってきたのだ――。
act1 美春はあゆみに出会った
率直に言って、氷原あゆみは変人である。
どのくらい変人なのかというと、私と初めて会話を交わしたときの彼女の第一声がこれだった。
「あなたは人間ですか?」
彼女は見た感じショートカットの良く似合う、まあ、言ってしまえば平凡な何処にでもいるタイプの子。ただし、お嬢様の集うここリリアンでは相対的にちょっと地味かなって思うくらいの、まあ彼女はそんな外見の女の子だった。自己紹介も可もなく不可もなくって感じ。趣味は読書だそうだ。
私はというと、不良でもなくかといって、取り立てて優秀でもない“普通の良い子”を自認してきた人間で、もちろんいわゆる“お嬢様”でもない。だから、友人も普通の人が良かったのだ。家庭のことまで気兼ねなく話せるようになれれば尚良し。
大層な家柄だったり資産家の娘だったり、社長令嬢だったりなんて、そんな人種は壁を隔てた向こう側の人。考えてみれば偏見なんだけど、私はいわゆる“お嬢様”と言われる人種が苦手だった。
そんな私がリリアンなんていうお嬢様学校を受験してしまったのは、親戚一同の陰謀とかいろいろ黒い歴史があったのだけど、それはまあ過ぎてしまったことだから仕方がない。
私は、入学式で右を見ても左を見てもお嬢さまの群れの中で、私の目の届く範囲で一人だけ、普通の人オーラを発している人を見つけた。それが彼女だった。
私は彼女の、できとうに切りそろえた感じのお嬢様っぽくないショートヘアを見て、「仲間がいた」とほっとしたのを覚えている。
そんな彼女が偶然にも同じクラスで、しかも席が近いとなったら、これは話かけない理由がないってものだ。
だから、私はホームルームが終わってすぐに「あゆみさん」と話し掛けた。
彼女はすぐに私の方を見たが返事はせずに不思議そうに見つめるだけだった。
私は、続けて言った。
「ええと、これから部活とか見て回ろうと思っているんだけど、ご一緒しませんか?」
抜かりは無い。話題が途切れて沈黙、なんてことにならないようにちゃんと話題とそのあとの行動も用意してあるのだ。
まあ、受験や入学説明会では並木道ぐらいしか見てないので、もともと校内を散策してみようとは思っていたのだけど。
「……」
彼女はまだ黙って私を見つめていた。
私は内心、慣れ慣れしすぎたかな、などと思った。私の見込みが間違っていなければ、彼女はやたらと敬語を使う人種ではないはずなのだけど。
「あの?」
そこで彼女は冒頭に挙げた台詞を放ったのだ。
見込み違いだったのであろうか?
いや、いきなり初対面の人間に「人間ですか?」なんて問いを発するなんでどんなお嬢様だ。
つまり彼女は、私が苦手とするいわゆる“お嬢様”ではない。
では、私が所望する“普通の友人”足りうる人なのかというと、どうやらそれも怪しいようだ。
私は率直に聞いてみた。
「それってどういう意味?」
人間ですか? と訊くのは、そうでない可能性があるってことだ。少なくとも彼女はそう考えているってことになる。
人間じゃなかったらなんなんだ。宇宙人? それとも神や悪魔を持ってくるつもりか?
彼女は表情を変えずに答えた。
「そのままの意味です。あなたは人間?」
人間か、と訊かれて普通の人間ならなんと答えるであろうか?
私は人間である。
生物学的にみてそれは間違いないであろう。私の両親は人間だ。少なくとも父の先祖はゴリラだったとか、母が雪女の末裔だとか言う話は聞いたことがないし、私の知る限りでは母方も父方もそんなファンタジーな話とは無縁な家系なことは確かだ。
だから、こう断言せざるをえないだろう。
「私は人間よ」
「そう」
なんでそんなことを訊くのか判らなかったので私は訊き返した。
「あなただって人間でしょ?」
彼女はそれを聞くと何故か悲しそうな顔をして俯き、首を横に振ったのだ。
なんて答えたらいいかわからず、私が絶句していると、彼女は悲しそうに言った。
「あなたが羨ましいわ。でも……」
そして、顔を上げ笑顔を作って彼女は言った。
「部活を見て回るのはご一緒させてください。私も興味がありますから」
それが彼女、氷原あゆみとの出会いだった。
部活の見学は、運動部は二つの体育館と武道館、それからグランドと、あと文化部関係は部室棟と、演劇部、合唱部等の特定の活動場所があるクラブがあり、広範囲にわたっていて全部回るとなるとなかなか大変である。
私はあゆみさんと一緒にまずは第二体育館に向かった。
お目立ての部活があるのか彼女に聞いたら特にないとのこと。興味があるのは人間そのものだから運動部でも文化部でもかまわないとか。
私は道すがら、その件について彼女に聞いた。
「どういうことなの?」
「え?」
「いや、あなた人間じゃないみたいな事いってたじゃない」
「ええ、私は人間じゃない。造られたモノだから人間なら普通もってるはずの感情が欠けてるの」
「は?」
『造られた』と来たよ。ロボットか何かかだと言いたいのか?
「博士は私をほとんど人間そっくりに作ったわ。でも、感情の要素も与えたはずなのに、どこか上手くいってなくてちゃんと機能していないの」
……最近流行りの『不思議系』ってやつ?
私は狭量な人間ではないつもりだ。でも真顔で「私は人造人間だ」なんていう人を信用する程、お人よしでも非常識でもない。
でもいきなり否定したりはしない。“普通の良い子”は好き好んで不和を生じさせたりはしないのだ。
一応、話をあわせてこう言った。
「だったら博士とやらに治してもらえば良いんじゃないの?」
「博士はもうこの世に居ないから。私が目を覚ました時、もう博士は相当にご高齢だったの」
「そっか……」
『この世に居ない』と言うとき、彼女は“悲しそうな顔をした”。
このとき、私は彼女と友達になろうという熱意が冷めるのを感じていた。
第二体育館に着いて中を覗くと、バスケットコートが二面張ってあり、まだ練習している人は居なかった。ミーティングでもしているのだろうかと一歩中に入って見回すと、端っこの方に何故か茶色のバスケットボールがぶちまけたようにたくさん転がっているのが見えた。
近くに短パンの体操服姿の生徒が一人、ボールと格闘している、いや拾い集めているようだった。
「部活、やってませんね」
あゆみさんがそう言い、
「そのようね」
私が答えたところ、そのボールを集めていた生徒が私たちに気付いて振り返った。
彼女は少し癖のある黒髪を両側でゴムで縛ったお下げっぽい髪型をしていた。見たところ運動するのに邪魔だからとりあえずまとめたって感じ。
「そこのあなた!」
振り返ってすぐに彼女は大声でそう叫んだ。
「はい?」
「そう、あなた、部活見学に来たのよね?」
「は、はい、そうです」
なんで判ったんだろう、と思ったが、この時期、放課後制服姿で体育館に姿をあらわす生徒といったら、部活を見学にくる新一年生くらいなのであろう。
手を振っておいでおいでをするので、私はボールが転がっている方へ歩いて行った。
彼女は私が普通に話せるくらいの距離まで近づくと言った。
「もう何処にはいるか決めてるの?」
「いいえ、部活に入るかどうかもまだです。今日は校内散策も兼ねてるので」
そう言うと彼女は人懐っこそうな顔でにっこりと笑った。
「それは良かったわ。じゃあちょっと手伝ってくれる?」
「えっ」
近くにはバスケットボールが入っていたと思われる高さ1メートル程のキャスターのついた籠が二つあって、彼女は散らかったボールを拾ってはその籠に投げ込んでいた。
「この籠に集めればいいんですね」
「そうそう」
断る理由もなく、その生徒も手伝うのが当然のような態度なので、そのまま黙々とボールを拾い集めた。
そして、そんなにかからずに全部のボールが籠に収まった。
「いやあ、助かっちゃったわ。ええと名前なんての?」
「あ、神元美春です。一年菊組です」
「そっちは?」
「氷原あゆみ。同じクラスです」
言い忘れてたけどあゆみさんも手伝っていた。
「あたしは那須野彩(なすのあや)、二年生よ」
“彩さま”か。
「ええと、バスケット部の方ですか?」
「いやだ、違うわよ」
彩さまはそう言って笑った。
結局、彼女が何部所属なのか判らなかったのだけど、私はこの先輩が庶民ぽかったのに好感を持った。
実はここから少しの未来、私は彼女からロザリオを貰って姉妹となることになる。もちろん、そんな事この時は知る由も無かったのだけど。
『憂鬱人造人間』(オリキャラメインのリリアン話です)
act.1 は【No:1844】です。
act 1.5 通りすがりの怪獣
翌日の放課後のことだ。
私は氷原あゆみと昨日の校内散策の続きを実行すべく、校舎を出た。
昨日、彼女とは積極的に友達になろうという最初の熱意が冷めてしまったのだけど、一回誘った手前、『今日は一人で』というわけにもいかず、また彼女を誘った。 “普通の人”を自認する私的に、そういう我侭は許されないのだ。
彼女も“数ある友人の一人”としてなら十分許容範囲なのだし。
ちなみに許容範囲外というと不良さんとか、ものすごい良家のお嬢様とか、付き合うだけで“普通”から遠ざかるような人種のことだ。
というわけで、“許容範囲”に収まった彼女を私は「あゆみ」と呼び捨てにすることにした。いや中学のときは友達は呼び捨てが普通だったのだ。
誰でもそうなる訳ではないと思うのだけど、昨日放課後から帰るまで行動を共にした彼女に対してはもう「呼び捨てでいいや」と思った。「さん」付けは堅苦しくて疲れるのだ。
さて昨日は体育館の方へ行ったので、今日はマリア像のある所経由で講堂の方を回ってみようと思い、通学で通る銀杏並木の方へ向かった。
放課後すぐだったせいか、並木道には下校する生徒の姿が結構見受けられた。
部活をしてないお嬢様方は家に帰って一体何をしているのだろう?
そんな事を考えていると、隣を歩いていた筈のあゆみが立ち止まっている事に気付いた。
「どうしたの?」
私が振り返ってそう聞くと、あゆみは背後を歩いている一人の生徒に注目していた。
その生徒は、カバンの他に大きな手提げ袋を肩にかけて、黙々と歩いて来た。
その生徒を一目見て私は、これは『私から遠い人種』だなって思った。
腰まで届くかと思う長い黒髪は非常識なほどしなやかで、顔はきりりと締まった口元に切れ長の目、それに通った鼻すじ。同じ人間でありながら神さまはどうしてこうも不公平に人を造られたのだろうと呪いたくなる程の美人だった。
あゆみは私が隣に来ると視線を彼女に向けたまま言った。
「小笠原祥子さん」
「へえ、知り合い?」
そう聞くとあゆみは首を横に振った。
ちなみに、あゆみも髪に無頓着に見える以外は、実は、造形は美人の部類に属している。
でも、その祥子さんは次元が違っていた。
歩き方もしゃきっとしてて、ものすごくお嬢様オーラを振りまいているのだ。
どこか怒っているような雰囲気は、人を寄せ付けない気品の現れだろうか?
「同じ学年よ」
そう言って、あゆみは祥子さんが近づくのを待って、話が出来る距離に来るタイミングで話し掛けた。
「ごきげんよう、小笠原祥子さん」
祥子さんは、声をかけられる前からあゆみの視線に気付いていたようで、あゆみの前に緩やかに立ち止まった。
でも、すぐには返事をせずに、声をかけられる覚えがない、とばかりに軽く首を傾げた。
というか何を考えているんだ、氷原あゆみ。
祥子さんは少し考えてから言った。
「……ごきげんよう、なにかご用ですか?」
少し、祥子さんの“人を寄せ付けない”オーラが弱まった気がした。
「ええ、少しお話をさせていただいてよろしいですか?」
「少し、どのくらい?」
「どのくらいなら大丈夫ですか?」
「十分くらいなら」
あゆみはこの“ものすごくお嬢様オーラ”な祥子さんと話がしたいらしかった。
このとき、この祥子さんは、私はあまりお近づきになりたくない、付き合うと“普通”から遠ざかりそうな人種に見えたのだけど、後で聞いたところ大当たりで、大企業の社長令嬢、学園内でも有名人なんだそうだ。
そんな人がよくあゆみの誘いに乗ったなあと思うのだけど、祥子さんは嫌な顔一つしないで、あゆみに従った。後から思うと、それだけの肩書きの人間と知ってて、平然と誘うあゆみもあゆみだった。
私たち三人は並木道の並木を超えて大学側の敷地に入り、大学部の広い校門から入ったところにある噴水のある広場の一角のベンチに腰掛けた。
最初にあゆみが言った。
「習い事、沢山しているんですか?」
「ええ、しているわ」
いきなり予備知識の無い私はちょっと話に乗り遅れ気味だったのだけど、この祥子さんは稽古事を沢山やっているらしかった。まあ、お嬢様なのだから、そういうのを“嗜み”として習わされていることは想像に難くない。
そういえば、祥子さんの手提げ袋からはみ出している巻き簀のようなものは書道の道具っぽかった。
「将来の為に?」
「将来? そういうことは考えた事が無かったわ」
「考えた事が無い? ではどうして部活もせずに毎日習い事に通っているんですか?」
「・……」
祥子さんは考え込んでしまった。
意外だった。祥子さんのような人はもっと明白な意思を持って行動しているのだと思っていたから。それとも祥子さんくらいのお嬢様になると、既に輝ける将来への道が用意されているから何も考える必要がないのであろうか?
あゆみは言った。
「私には祥子さんが何かと戦っているように見えるんです」
「戦っている?」
「はい、感情を押し殺して何かに耐えているように見えます。私はそれがなんなのか知りたかったんです」
あゆみの観察の成果なのだろう。
彼女の人間分析は一風変わっているのだけど、時々ドキリとするくらい核心を突いてくる。まだ二日弱の付き合いだが、あゆみは相手の感情を考えずそれをぽろっと口に出すので、彼女が私の前で他人と話す時はいつも冷や冷やさせられるのだ。
でも祥子さんは、気を悪くする事も無く、こう答えた。
「それは、判らないわ。戦っているのかもしれない。でも、それがなんなのか今の私には見えていないわ」
最初、お近づきになりたくない“お嬢様”だと思ったが、その答えを聞いて、祥子さんは意外と人間っぽいなって思った。いや、だからそれは私の“お嬢様”に対する偏見だったのだけど、むしろ正直に「判らない」と言ってしまえる正直さに私は好感を持った。
あゆみは「十分経ちました」といってベンチを立ち上がり、言った。
「お引止めして、ごめんなさい」
「いいえ、お気になさらないで」
その瞬間、祥子さんが微笑んで見えたのは錯覚だろうか?
祥子さんは立ち上がり、大きな手提げを肩にかけてから鞄を持って、「ごきげんよう」と高等部側の校門に向かって去って行った。
【No:1824】の続編。
乃梨子と祐巳姉ぇがリアル姉妹なラヴラヴ?もののはず。恐らくきっと多分
「ノ〜リィ〜!」
「……ポロッ」
説明。薔薇の館の近くで志摩子さんと一緒にお弁当を食べてたら祐巳姉ぇが現れて、
あまりの驚愕に箸で持っていた玉子焼きが落ちた。以上説明終了。
「さ、志摩子さん。食べよ食べよ」
「え、そ、そうね」
「無視!?志摩子さんまで無視するの!?ひどい!!せっかく手作りお弁当持ってきたのに!!」
だったら余計にヤだよ。料理上手くなったと思ったのに、相変わらずびっくり料理人だったし。
ふと見ると、志摩子さんがオロオロとした視線で私と祐巳姉ぇを見ていた。
「心配しないで、志摩子さん。この人ヒマなだけだから」
「ばれちゃしょうがないけど、分かってるならもっと構ってよ」
「こんなトコで遊んでないで勉強しろ」
そんなふてくされた顔されても困るんだけどな。
(諸事情によりタイトル変更とか)
祐巳姉ぇがガン見してる
Vol.2『鉄人姉ちゃん我慢出来ない』
「あら、祐巳さま。どうしたんですかこんな所で」
なんでいるんだ松平!!そんなに息を切らせて、弁当片手に!!
「あ、瞳子ちゃん!聞いてよ〜。ノリったら私の作ったお弁当食べたくないって言うの」
「そこまで言ってないけどね」
というかわざわざ志摩子さんとの至福の一時を邪魔しにくるからそうなるんだ。
「………はぁ、祐巳さまの、料理。ですか」
おや?いつもの瞳子らしくもない。祐巳姉ぇに対してこんなに歯切れの悪い反応するなんて。
そう思い、私はちょっと明後日の方を見ている瞳子に耳打ちした。
「どうしたのそんな顔して」
「いえ…以前祐巳さまの料理を食べて以来味覚が……ゴニョゴニョ」
あちゃあ…柏木さんと祐麒さんの前例があるのを知らないわけでもないだろうに。
まぁ、瞳子のことだから「それでも!」って思いが強かったんだろうけどなぁ……。
そんなわざわざ苦行を自分から背負い込んでしまった瞳子は置いておいて、私たちは弁当食べようか志摩子さん。
「そうね」
「お〜い!忘れてる忘れてる。1人忘れてる〜」
「瞳子もせっかく来たんですからここで食べることにしますわ」
結局、祐巳姉ぇも手作りお弁当を自分で食べることにしたらしく、せっかくの静かで落ち着いた雰囲気の2人っきりの空間が
見事に崩されていった。おのれ。
「あら、乃梨子。ご飯粒付いてるわよ?」
「え?あ、ごめんね志摩子さ」
「あぁ!ノリケチャップ憑いてるよ!!」
「字が違ぇよ」
「あら、乃梨子さん。後ろになにか憑い…」
「だから字ぃ違うからさ!」
なんなのだろうか、この人たちは(志摩子さんを除く)。
いつもは祐巳姉ぇにベッタリな瞳子も、今日はいっしょに私をイジってくる。
まぁあれだろう。祐巳姉ぇと一緒に。ってのがポイントなんだろう。恐らく。
「うわーん。志摩子さーん、私の時だけ明らかに態度が違うよ〜」
「あら、それくらい心を許してるという事になるんじゃないですか?祐巳さま」
おい祐巳姉ぇ!とりあえず志摩子さんから離れて離れて!!
「じゃあノリでいいや!」
いいや!じゃなくて。だからなんでそこで抱きついてくるのかな。
ほら、瞳子も志摩子さんも変な目で見てるから。というか「いいや」ってのは失礼じゃない?
「って所ですわね」
「ありがとう親友。表情1つでそこまで私の心境を察してくれるなんて、いい親友を持ったよ私は」
だから帰れ。
なんて事をしていると、突然祐巳姉ぇの携帯が鳴り出した。マナーモードって言葉を知らないらしい。
「びっくりしたぁ〜。えっとっと……うあ、聖さんだし…もしもーし」
びっくりしたのはこっちだけどね。
ようやく離れた祐巳姉ぇは電話の向こうの聖さまと軽く会話したあと、立ち上がった。
「ごめん、なんか呼ばれた。というか授業受けろだって☆」
「だって☆じゃなくて。なにやってんだ大学生」
お茶目を演出しているっぽいけど、騙されないぞ。
「いいもーん。聖さんと景さんに甘えてくるから」
……ま、今回はそれでもいいや。聖さまに任せとこう、この甘えん坊を。
「…はぁ〜……なんだか食べた気がしない」
「そうね、楽しい一時だったから時間が経つのも早く感じたわね」
「瞳子も、久しぶりに楽しい昼食でしたわ」
どうやら私の憂鬱さは、大好きな志摩子さんにも大ッッッッ親友と自ら語る瞳子にも通じなかったようだ。
「まったく…なんでわざわざこっちに来て弁当食べるのかなぁ」
「それは、乃梨子が心配だからじゃないかしら。いいお姉さまじゃない」
……まぁ、そうなんだろうけどさ。
「素直じゃないですものね、乃梨子さんってば」
「瞳子に言われたくないよ」
って思ったけど、よく考えると瞳子は自分の欲望に忠実に生きているよな……恐るべし瞳子。
「心配ね……するにしたって、家で一緒にいる時間の方が長い気がするんだけどなぁ」
「そうね…この間の祐巳さまの計画で思ったんだけど、祐巳さまは我慢できない体質みたいだから、学校でも心配なんじゃないかしら」
「確かにそうかもしれないけど、とりあえず場はわきまえて欲しいな……」
はぁと特大の溜息をつくと、瞳子は「憎いねぇ、この幸せ者!」みたいな目で見てきた。
とりあえず、明日瞳子に祐巳姉ぇの手料理をプレゼントしておくことにした。
「私は、祐巳さまが羨ましいわ。あそこまで真剣になれるんですもの……私も、乃梨子と一緒に住めればいいのに…」
し、し、し、し、志摩子さんってばボソッっとなに言ってるの!そんな事されたら私どうすれば…
「……乃梨子さん、アタフタしすぎ」
「う、う、うるさい瞳子!!」
くそう。やばい。このままでは私に鼻血キャラが定着してしまう。なんとかしなくては……
キーンコーンカーンコーン
ナイスチャイム!!
「瞳子、教室戻ろッ!」
「そうですわねぇ。では白薔薇さま、ごきげんよう」
「うふふ、ごきげんよう」
ふーあぶないあぶない。あれいじょう白薔薇空間にいたら命がいくつあっても足りなかったよ。
「乃梨子さんってば、おもしろわね」
「うっさいなぁ。祐巳姉ぇの手料理食らわすぞ」
瞳子が暗い顔して黙ってしまった。
「ご、ごめん。そんなマジで凹まなくても……」
「……あれは、もはや兵器…ですわ。でも、そんなモノが作れる祐巳さまっていうのもまた…」
あぁ……親友がだんだんと深みに落ちていく……
今度、可南子さんと一緒にちょっと説教をしてやらないといけないだろうか。
はぁ。祐巳姉ぇが来てからというもの、落ち着いた生活ってのが遠くなっていく感じがするなぁ。
まぁ四六時中ってわけじゃないけどさ。
さて、とりあえず今日は帰ったら仕返しに私の料理を祐巳姉ぇに食べさせてあげようかな。
菫子さんも絶賛の料理を食べて悔しがる祐巳姉ぇの姿が目に浮かぶよアハハ
……あ、ウソだ。なぜか嬉しそうな顔で私を絶賛する祐巳姉ぇの姿しか思い浮かばないや。
びゅおおおおおぉぉぉぉ………。
と、凄まじい風が吹き荒れる、リリアン女学園高等部。
その象徴とも言うべき生徒会役員室、通称薔薇の館の屋根の上に、二つの人影があった。
一つは、黒く長く美しい髪を、風になびくに任せたままの、鋭い視線と高い鼻梁、涼しい口元の美女。
腕を組んで、吹き荒れる風もなんのその、仁王立ちしたその様は、必要以上に無駄に凛々しい。
彼女の名は、紅薔薇のつぼみ小笠原祥子。
もう一つは、左右に二つ分けした髪が風に煽られ、ぺちぺちと赤くなった頬を叩いている、狸面した少女。
祥子に抱き付いて、引き攣った顔で歯をがちがち鳴らしているその様は、妙に嗜虐心をそそる。
彼女の名は、紅薔薇のつぼみの妹、福沢祐巳。
ほんの数日前、祥子の妹になったばかりだ。
「ささささささ祥子さま、こここここれから一体何が始まるのでしょう?」
「祐巳、『祥子さま』じゃないでしょう? お姉さまって呼びなさいと、何度も言ってるでしょう」
「もももももも申し訳ありません、さ、さ、さ、祥子さまじゃなくって、おおおおおおお姉さま」
祐巳が怯えるのも無理はない。
凄まじい風が吹いている上、足元が不安定なので、とてもまともに立っていられる状態ではないのだから。
「これから、儀式を行うの。あなたが山百合会の正式な仲間となったことを内外に知らしめるための、ね」
「儀式?」
不思議そうに問い掛ける祐巳の脚には、ロープが結ばれている。
そのロープは、一旦屋根の端から垂れ下がり、再び上に向かって伸びており、屋根の突起にしっかりと結ばれていた。
「そう、言うなれば通過儀礼。所謂成人の儀式のようなものね。歴代の、将来薔薇さまになるであろうつぼみ、またはつぼみの妹全てが体験してきた、神聖な儀式よ」
「そそそそそんなこと初めて聞いたんですけど」
「そりゃそうよ。知っている人は知っているけれど、知らない人はひらすら知らないことですからね。ほら、知っている人は、校舎の窓に鈴生りよ」
言われて辺りを見渡せば、そんなに多くはないけど結構な数の生徒たちが、薔薇の館を注視している。
中庭にも、一般生徒が集まって来ているようだ。
その中には、山百合会関係者も混じっている。
紅薔薇さま水野蓉子は二人を心配そうに見上げ、黄薔薇さま鳥居江利子はいかにも楽しそうで、白薔薇さまは一般生徒にちょっかいかけていた。
そうした衆人環境の中、中心となっているのは、祥子と祐巳のなったばかり姉妹。
「でででで、私はどうなるのどうなるのでしょうでしょう?」
半分泣きそうな顔で、祥子に訊ねる祐巳。
「高い場所、足に括りつけたロープ、そして儀式。これだけヒントが揃えば、何をするか、もう分かりそうなものだけど」
「わわわわわ分かりたくないんですけど!?」
「分かりなさい。そして、実行しなさい。これは、あなたにとって避けることが出来ない義務なのよ」
「お姉さま!?」
「祐巳、聞き分けて頂戴。お姉さま…蓉子さまも、私も、全てが通ってきた道なのよ」
「そそそそそそれは黄薔薇さまや白薔薇さまもですか?」
「薔薇によって内容は違うけど、みんな体験してきたわ」
「でででででも………」
「これさえ成し遂げることが出来たら、あなたは自他共に認めるロサ・キネンシス・アン・ブゥトンのプティ・スールになれるのよ」
祐巳の肩を抱いて、噛んで含めるように諭す。
「さぁ、覚悟を決めて」
その言葉に、ようやく祐巳は腹を括った。
「わわわわ分かりました。いいいいいい行きます」
祥子から離れ、不安定ながらも一人で屋根の上に立った祐巳は、両手を握り締め、大きく深呼吸した。
「行きます!」
ぐっと踏み込み、飛び上がろうとした。
が、
「やっぱりダメ!」
と、ぐわしと祥子にしがみ付いた。
「って、ちょっと祐巳!?」
いきなり抱きつかれ、バランスを崩した祥子は、祐巳と共に、
『あきゃ〜〜〜〜〜!!!!!』
まっ逆さまに落下した。
ばしぃん!
ずがしゃ!
ロープのお陰で地面に激突することなく済んだ祐巳だったが、祥子はそのまま地球に頭突きした。
「祥子!」
「祥子さま!」
「紅薔薇のつぼみ!?」
慌てて駆け寄る蓉子やギャラリーたち。
祥子は、首や背骨をあらぬ方向に曲げたまま、白目を剥いて気を失っていた。
「あの〜………」
まったく省みられることなく、スカートを押えてブラブラしていた祐巳は、申し訳無さそうに声を出した。
「あー、忘れてたよ。大丈夫?」
聖は、祐巳を抱きかかえるようにして持ち上げると、白薔薇のつぼみ藤堂志摩子が、脚に括られているロープを解いた。
そうこうしているうちに、祥子は保健室まで運ばれてしまい、結局彼女の無様な姿を見ることは出来なかった。
念の為、祐巳も保健室で診てもらったところ、足首の擦過傷だけで済んだ。
祥子はというと、軽い頚椎・脊椎損傷で、完治まで約一週間ということだ。
「良かった………。祥…お姉さまって、思いの他頑丈だったんですね」
「言いたいことはそれだけ?」
「え?」
「誰かさんが抱きついたりしなければ、こんなことにはならなかったのよね」
痛々しい姿で、ニッコリ微笑む祥子だったが、目は笑っていなかった。
「治ったら、覚えておきなさいよ」
祐巳は、後に起こるであろう悲劇に身を震わせながらも、一番の被害者は、実は自分なのではなかろうかと、今更ながらに思うのだった。
美夕第四弾。
【No:1571】―【No:1618】―【No:1636】―今回
祐巳は明かりのない暗い部屋の中にゆっくりと降り立った。
そこは『福沢祐巳』の部屋。
隣には弟の祐麒の部屋があり、一階には両親がいるはずだ。
祐巳は机の前に立ち、そこに飾られた写真立てを手に取った。
思い出の写真。
朝のマリア像の前で祥子さまに呼び止められ時に撮られた、蔦子さん会心の一枚。
あの時は、本当に驚いた。
おかげで一つの場所に長居しすぎた。
いつの間にか自分のことを人間などと勘違いして、本来の姿を忘れてしまうほどに。
祐巳は写真立てを胸に抱くと、その手に炎を生み出し部屋に放つ。
祐巳の炎は思い出が詰まった部屋のあらゆる物を飲み込んでいくが、不思議と壁も天井も焼くことなく。
煙もなく。
ほんの数回の瞬きの後には何もないただの空き部屋と成っていた。
「……」
祐巳は小さく頷くと、閉じたままの窓を何事も無く通り抜け、福沢家の屋根で待つ美夕の元に降り立った。
「終わり?」
「うん、もうここの人たちは娘のことは知らないわ」
「そう……」
「少し長居しすぎた……思い出がありすぎるのは困りものだね」
そう言って祐巳は美夕に寄りかかり、ゆっくりと美夕は祐巳を抱きしめる。
「貴女は人に近づきすぎる、今回も、あの時もそう」
雨の止んだ空には半月の月が輝いていた。
「わかってる、だから彼女達には私から話すから」
そう言った祐巳を抱きしめたまま美夕と祐巳は姿を消した。
「それでどうします?」
「……」
「どうすると言われても、そんなのわかんないよ!!」
「……」
あの雨の放課後から数日、志摩子さんたちは薔薇の館に集っていた。
薔薇の館にいるのは志摩子さんと志摩子さんの妹である乃梨子ちゃんの白薔薇姉妹。
令さまと由乃さんの黄薔薇姉妹に蔦子さんと真美さんのお二人。
この場に祐巳は勿論、祥子さまの紅薔薇姉妹は居ない。
あの日から志摩子たちは自然と祐巳と美夕を避けていた。
どうやって接していいのか分からないからだが……。
あの出来事が本当に遭った事なのかさえ分からく成ってきているのだ。
日が経つにつれて曖昧に成っていく。
その上、祥子さままでが学校に出て来なくなってしまった。
おかげでまだ表立ってはいないものの、変な噂が立ち始めている。
薔薇の館の分裂。
それが蔦子さんと真美さんが聞いた話らしい。
そして、更に由乃さんがもたらした話のおかげで志摩子さんたちは、迷うことに成っていた。
由乃さんがもたらした話。
それは意を決した由乃さんが福沢家に電話したことに始った。
『祐巳』と言う娘はいない。
それが祐巳の母親だったはずの人が言った言葉だった。
慌てた由乃さんは令さまを使って弟のはずの祐麒に連絡をつけたのだが、そこで聞いたのは『祐巳』と言う姉はいないという話だった。
それなのに夏の出来事や花寺の学園祭での出来事は覚えていて、そこにいないのに覚えているらしい祐巳の姿に悩んでいた。
由乃さんにはそれら全てが信じられなかった。
隣に美夕がいるとはいえ、祐巳は何時もと変わらないように登校してきているのだ。
「信じられないわ」
今まで黙っていた志摩子さんがようやく口を開く。
「でも、事実なのよ!!」
「だからってどうするの?祐巳さんに直接問いただしてみる?」
真美さんの言葉に皆押し黙る。
何時もは何かあるとイケイケ青信号の由乃さんでさえ、何も言わなくなってしまう。
代わりに口を開いたのは蔦子さんだった。
「ねぇ、真美さん、由乃さん」
「なに?」
「どうしたの?」
蔦子さんは言葉を選ぶように話していく。
「祐巳さんと思い出って覚えている?」
「何を今さら」
「沢山あるに決まっているでしょう?」
蔦子さんは二人の言葉に首を振る。
「高等部や山百合会での思い出ではなくって、中等部以前。初等部や幼稚舎での思い出」
「初等部?」
「幼稚舎?」
「二人とも幼稚舎からのリリアンでしょう?」
「「そうだけど」」
「そして祐巳さんも幼稚舎からだったはずよね?」
蔦子さんの言葉に考え込む由乃さんと真美さんだったが……。
先に口を開いたのは由乃さんだった。
「ごめん、その頃は祐巳さんだけじゃなく、他の人たちとの思い出もそんなにないから」
「私は普通にあるけど、そうね祐巳さんとの思い出はないかな?」
蔦子さんは真美さんの言葉に頷く。
「そう、私も真美さんと同様に祐巳さんの思い出はない。普通なら大して親しくない同級生でも一つや二つあるはずなんだけどね……それで少し気に成って」
蔦子さんは話しながら鞄の中から何かを取り出す。
それはアルバムだった。
「なに、初等部の卒業アルバム?」
手に取った真美さんが呟く。
「そう、その中に祐巳さんは居ない」
蔦子さんの言葉に、真美さんが持っていたアルバムを由乃さんがひったくって中身を調べる。
「よ、由乃さん」
真美さんは少し非難めいた表情で由乃さんを見てから、志摩子さんと顔を合わせ横から二人で覗き込む。
「ど、どういうこと!?」
そこには本来なら無ければいけないはずの写真どころか、名前さえ載っていなかった。
「蔦子ちゃん」
令さまが皆にアップルティーを注ぎながら、蔦子さんを見る。
「由乃さんからの情報を組み合わせれば分かることは一つです。祐巳さん……いえ、福沢祐巳と言う名の生徒は存在しない」
「そ、それじゃ!!あの祐巳さまは何者なんですか!?」
乃梨子ちゃんが叫ぶ。
「それこそ本人に聞いてみないと分からないわよ」
蔦子さんの言葉に薔薇の館に集った者たちはざわめく。
「結論は、やっぱりそこに辿り着くのね」
「仕方ないと思うわよ。こんなこと誰も信じないだろうし、本当なら紅薔薇さまの役目なんだから」
「それはそうだけど……」
「それに志摩子さんと由乃さんは大仕事を控えているでしょう?」
「それは祐巳さんも同じはずなんだけど、祐巳さんどうする気なのか……」
由乃さんと志摩子さんは顔を見合わせ溜め息をつく。
「祐巳さんがどういう態度に出るのか、それは放課後にも分かることよ」
「そうね、そして祐巳ちゃんが今何を考えているのかも少し分かるかも知れない」
「どう言う事、令ちゃん?」
由乃さんは令さまの淹れてくれたアップルティーに口をつける。
「うん?……いや、ただそう思うだけ」
そう言って令さまは窓の外を見る。
校舎の方からは先ほどから時期生徒会選挙についての説明を放課後することを案内する校内放送が流れていた。
花寺と交流があるとはいえ、事件に関する興味も関心も薄れてきたのか部活を開始するところも出てきたようで、薔薇の館の窓を開いていると部活生たちの掛け声が聞こえてくる。
祐巳は一人窓辺に立ち、自分で淹れた紅茶に口をつけた。
今、薔薇の館には祐巳しかいない。
祥子さまも由乃さん、志摩子さんもいない。
そればかりか美夕の姿もなかった。
ここは今の祐巳に残された、たった一つの『福沢祐巳』の居場所だった。
「来たか」
祐巳が呟くと共にビスケット扉が開く。
入ってきた人物は祐巳を見つけ驚いた表情で固まってしまった。
「ごきげんよう、乃梨子ちゃん。どうかしたの?」
「ゆ、祐巳さま……どうしてココに?」
「あら、まだ一応は紅薔薇のつぼみのつもりなのだけれど?」
戸惑う乃梨子ちゃんに祐巳は当然のように呟く。
「な、なら、生徒会選挙の説明会に行かなくてはいけないでしょう!!」
乃梨子ちゃんは少し真面目過ぎると思う。
こんな状態の祐巳に少し説教気味に言うのだから、まぁ、それが乃梨子ちゃんらしいといえばそうなのだが……。
「な、なにが可笑しいのですか?」
つい笑ってしまい少し怒らせてしまったようだ。
「ううん、何でもないよ。ただ、選挙の結果が出る頃には私はいなくなっているから出ても仕方がないの」
「いなくなる?」
「そう、それが決まりだからね」
「ゆ、祐巳さま……貴女は何者なんですか?」
乃梨子ちゃんの声は震えていた。
それは由乃さんや志摩子さんが気にしているのに聞けなかった言葉。
「ん?祐巳だよ」
「バカにしています?」
「違うよ、私は祐巳。福沢祐巳ではなく……祐巳。福沢の苗字はただの偽り」
「意味が分かりません」
「由乃さんから聞いたのでしょう?祐麒たちが私を知らなかったこと」
祐巳の言葉に乃梨子ちゃんは押し黙る。
「知っていらしたのですか?」
「うん、ワザワザ、美夕が教えてくれたから」
「美夕さまが……祐巳さま」
「ん?」
「祐巳さまは少し前まで、私にとっては良く知る親しい先輩でした。でも、今は得体が知れない」
乃梨子ちゃんの中で徐々に生まれてきたのは祐巳に対する好奇心だった。
祐巳に感じたことの無い不気味さ、怖さを感じていたがそれ以上に好奇心は膨らんでいく。
「乃梨子ちゃん、ハッキリ言いすぎだよ。でも、それ以上は踏み込まない方がいいよ。それ以上は引き返せないことになるかも知れないから」
「それでも聞きたいと言ったら……祐巳さま、もう一度聞きます。貴女は何者なんですか?それにあの雨の日に私たちが見たものは!?」
ジッと冷たい目で祐巳は乃梨子ちゃんを見つめ、乃梨子ちゃんは知らない姿の祐巳に好奇心を募らせていく。
祐巳の瞳がいつの間にか金色の輝きに変わっていた。
――カッチャ。
祐巳は手にしたティーカップを置き、真っ直ぐ乃梨子を見つめる。
「あれは、はぐれ神魔」
「はぐれ神魔?」
「そう、私が五十年近く前、この学園で逃がしてしまったの」
戸惑う乃梨子ちゃんを見ながら祐巳は話を続ける。
「神魔……神と呼ばれ悪魔と呼ばれた者の属。遥か昔に闇の奥に身を潜め眠りについた者たち。でも、その中に不意に目覚め人の世に迷い出てしまった神魔をそう呼ぶの、その者たちは闇に帰さなくてならない」
「闇に帰す?」
「そう、その役目を持ったのが美夕……そして私は美夕の娘にして妹」
「監視者?娘?妹??」
「そう……私は祐巳、監視者たる美夕に連なる……」
「ヴァンパイア」
祐巳の言葉と共に世界は赤と黒の世界へと変貌した。
「ひっ!!」
いつの間にか祐巳の姿もリリアンの制服ではなく、赤い着物に白い帯を締めたあの雨の日の姿に変わっていた。
「こ、ここは!?」
「ここが闇への入り口、美夕と私が住む本来の世界だよ。乃梨子ちゃん」
ゆっくりと祐巳の手が乃梨子ちゃんに伸びる。
乃梨子ちゃんは動けない、流石にこれほどの事態は予想していなかったのだろう。だが、祐巳は忠告した。
戻れなくなるかも知れないと……。
「くす、乃梨子ちゃん可愛いね」
「ゆ、ゆ、祐巳さま!?」
乃梨子ちゃんがこんな風に慌てるところは見たことが無い。
「乃梨子ちゃんは、あの人に似ているね」
「あの人?」
「そう、今回の事件を引き起こしたはぐれ神魔から逃げ延びた私の大事な人」
「祐巳さまの大事な人?」
「……メイさまって言うんだけど、もう昔のことよ。ふふふふ」
祐巳の唇がそっと乃梨子ちゃんの首筋に触れる。
もう少し楽しみたいところだが……。
「残念、時間切れみたい」
「えっ?」
祐巳はゆっくりと乃梨子ちゃんから離れ、周囲の光景が元に戻る。
「あの……」
「あぁぁ!!もう!!」
そこに何故か怒りながら入ってきたのは由乃さんと志摩子さん。
由乃さんが怒っている理由は分からないが、入ってきて祐巳を見つけると驚いた表情の後に睨みつけてきたところから、どうも祐巳が原因かな?と思える。
「ごきげんよう、由乃さん、志摩子さん」
「祐巳さん」
「どうしてココにいるのよ」
「もう、由乃さんまで……一応、まだ紅薔薇のつぼみだよ?」
祐巳はそう言ってテーブルに置いたカップを手に取る。もう、中のお茶は冷めてしまっていた。
「乃梨子、祐巳さんと二人でいたの?」
「はい、来たら祐巳さまがいらしていて、ご自宅の話を少し」
「そう……」
志摩子さんは乃梨子ちゃんの言葉に少し黙り込む。
「さてと、そろそろ行くね。乃梨子ちゃん、悪いけどコレお願いね」
「は、はい!!」
「ありがとう」
乃梨子ちゃんにカップを任せ、祐巳は鞄を持つ。
「祐巳さん!!」
その時、志摩子さんが口を開く。
「どうしたの志摩子さん?」
「瞳子ちゃんが選挙管理委員会の説明会にやってきたわ。どうも選挙に出るみたいね」
「えっえぇぇ!!」
志摩子さんの言葉に、驚きの声を上げたのは祐巳ではなく乃梨子ちゃんだった。一方の祐巳はというと。
「そう、わかった」
それだけだった。
「祐巳さん?」
「ごめんね、でも瞳子ちゃんが選挙に出るのを誰も止める権利はないよね。それに、瞳子ちゃんが本気ならその方がいいかな」
祐巳は視線を逸らし、皆に背を向ける。
「どういう意味よ」
由乃さんが静かに呟く、どうやらかなり怒っているようだ。
「選挙に出ない気?」
「……うん」
「「祐巳さん!!」」
志摩子さんと由乃さんの声が重なる。
「ごめん、私、行くから」
そう言って祐巳は鞄を持ったまま窓の方に歩いていき、そのまま窓に溶け込むように姿を消した。
その様子を見ていた三人の表情が固まる。
「……祐巳さん」
力の無い呟きが聞こえた。
少しして顔を出した令さまと令さまに引っ付いてきた蔦子さん、真美さんの三人を加えて、志摩子さんと由乃さんは乃梨子ちゃんに祐巳から聞いた話を聞いていた。
「ヴァンパイアね」
由乃さんは呆れたように呟く。
「もう、祐巳さんが人間じゃないって言われても驚きはしないけどさぁ……なんでヴァンパイアなのよ?」
由乃さんは饅頭の中が何でチョコレートなのよとでも言うように呟いていた。
「ここはマリアさまに見守られた学園よ?祐巳さんはロザリオだって持っているし、ミサにだって参加している。しかも、日差しの中でも平気なヴァンパイアっているの?」
そう言って由乃さんは窓の外を見る。
夕焼け色に空が染まっていた。
「いるんでしょうね。祐巳さんが嘘を言っていなければだけど?」
「でも、信じられないわよ!!それじゃ、今までの祐巳さんて何だったのよ!?」
由乃さんは、蔦子さんに言い返す。
「祐巳さんの言葉が正しいなら『福沢祐巳』という人物を演じていた祐巳さんだったてことね。一年の頃から祐巳さんを見て追いかけてきたつもりなんだけどなぁ」
蔦子さんは溜め息をつく。
「『福沢祐巳』を演じていた祐巳さん?」
蔦子さんの言葉に志摩子さんたちは動揺していた。
「でも!!祐巳さんよ!!祐巳さんなの!!」
「祐巳がどうかしたのかしら?」
絶叫する由乃さまの言葉を聞き返したのは、突然現れた祥子さまだった。
「さ、祥子」
「紅薔薇さま?」
突然、ビスケット扉を開いて入ってきた祥子さまにその場にいた全員が驚きを隠せない。
「久しぶり、大丈夫なの?」
「何時までもウジウジしてはいられないわよ。それに、祐巳のご両親や祐麒さんのことを聞いてはジッとしていられないわ」
「そう、良かった。正直、祐巳ちゃんのことは私たちだけじゃ持て余すことだから」
「令ちゃん?祥子さまに話したの」
「うん、祐巳ちゃんのことだしね」
由乃さんの言葉に令さまは頷く。
「さて、祐巳のこと。私が来ない間に何が起こったのか聞かせて」
祥子さまは何時の席に座り、そこに集まった面々の顔を見た。
……。
…………。
「そうなの……『福沢祐巳』と祐巳は違うのね」
「と言うよりも祐巳さんが『福沢祐巳』という仮面を被って演技していたと言っていいでしょう」
「だから、そんなこと!!祐巳さんは、祐巳さんよ!!」
蔦子さんの言葉を、由乃さんは必死で否定しようとしていた。
「そうね。祐巳は祐巳だわ」
「祥子さま」
祥子さまの言葉に由乃さんは笑顔に成る。
「祐巳は私たちの知る『福沢祐巳』なのよ」
「そうです」
由乃さんは頷く。
「だから『福沢祐巳』ではない『ヴァンパイア』の祐巳は居てはいけないのよ」
「その通りです!!祐巳さんは祐巳さん。それ以外の祐巳さんは居てはいけない!!」
祥子さまと由乃さんは笑った。
フッと祥子さまと由乃さんの言葉を聞いていた乃梨子ちゃんは違和感を感じた。
「そうですね。私は一年のときから祐巳さんを見てきました。それが違うなんてありえない」
「祐巳さんは祐巳さん……皆に人気のある『福沢祐巳』であり紅薔薇のつぼみ」
「ヴァンパイアなんて化け物がマリアさまのお庭に居て良い筈がありません」
「し、志摩子さん?」
乃梨子ちゃんが感じた違和感は徐々に広がっていく。
「そうだね。偽者の祐巳ちゃんは居てはいけない。偽者は闇に帰して、本当の祐巳ちゃんを取り戻さないといけないよね」
「れ、令さま?」
乃梨子ちゃんは思わず立ち上がる。
「ど、どうしたのですか!?」
「あら、乃梨子はそう思わないの?」
志摩子さんが優しい笑みを乃梨子ちゃんに向けるが、乃梨子ちゃんは惑っていた。
ほんの少し、祥子さまと由乃さんが話している間に祐巳が『福沢祐巳』の偽者に変わってしまったからだ。
そして、志摩子さんたちまでもがそれを受け入れた。
「乃梨子ちゃん、ヴァンパイアなんて監視者なんていらないのよ。ここはマリアさまの庭なんだから、そんなのが居てはいけないの」
祥子さまの声が、乃梨子ちゃんの頭に響く。
乃梨子ちゃんは皆を見る。
祐巳のお姉さまにして紅薔薇さまである祥子さま。
祐巳のクラスメイトにして友人である由乃さん、真美さん、蔦子さん。
由乃さんのお姉さまであり、黄薔薇さまである令さま。
そして、乃梨子ちゃんのお姉さまであり。祐巳の友人である白薔薇さまの志摩子さん。
皆、楽しそうに笑っていた。
「ねっ、乃梨子ちゃん」
祥子さまの声が再び響いたとき、乃梨子ちゃんは駆け出していた。
「おかしい!?おかしいよ!!」
乃梨子ちゃんには何が起こったのか理解できなかった。
そして、乃梨子ちゃんが逃げ出した後。
祥子さまたちがゆっくりと立ち上がって、乃梨子ちゃんの後を追う。
乃梨子ちゃんは駆けていた。
スカートが乱れようが、セーラーカラーが翻ろうが構わない。
夕暮れの校内を走り回り。
祐巳を探していた。
「祐巳さま!!」
そして、やっと見つけた祐巳の側には瞳子ちゃんが立っていた。
言い訳。
美夕ってホラーなので、それっぽくを目指しましたが……なってないよね。
しかも題名に合ってないし、しかも長い?
そういうところは笑って誤魔化すということで!!
『クゥ〜』
「祐巳」
「なんですか?」
「一つお願いがあるのだけど」
「お願い…ですか?」
「ええ、昔から一つだけやってみたかったことがあるのよ。協力してくれるかしら」
「わ、私に出来ることなら何でもします!!」
「ありがとう祐巳。じゃあさっそくこれを」
「……な、なんですかこれは」
「ナニって…見ての通りよ。これをあなたと…」
「お姉さま、こんなの駄目ですっ!!」
「あら、なんで?」
「な、なんでって…」
「いいから、早くしましょう?令たちが来てしまうわ」
「で、でも」
「いいから。私に恥をかかせる気?」
「……わかりましたお姉さま、そこまで仰るのなら」
「ど、どうしたの!?」
遅れること2分、薔薇の館に来た由乃たち出迎えたのはうだるような夏の暑さと、充満するナニかが腐ったような酸っぱいような苦いような臭い、テーブルの上にある半分こされた真っ黒なバナナ、顔面蒼白でお腹を押さえ悶える紅薔薇姉妹だった。
のちに祥子は語る。
「二日鞄の中に入れといただけでバナナがああなるなんて知らなかったのよ」
「な…なんでなの〜〜〜」
そういいながら、私はマリア様の像の前でへたり込んでしまった。
…笑うなら笑って! その方がよっぽどすっきりするから!
「もう5回目なんだけど…」
私は福沢祐巳・何のとりえもないただのリリアン生徒だった。
あの時、マリア様の前で声をかけられるまでは。
「お待ちなさい」
と。
その日紅薔薇の蕾だった小笠原祥子さまと運命的に出会い、紅薔薇の蕾の妹になった。
その後は紆余曲折あって………紅薔薇と呼ばれる様になり、同じく薔薇さまと呼ばれる様になった由乃さんと志摩子さんに支えられながら、山百合会を支えあった。
卒様式の前日…お姉さまが薔薇の館に来てくださり『立派な薔薇さまになったわね』と言われて…とても嬉しかった。その一言で、私は満足だった。
そして卒業式当日の朝………交通事故に巻き込まれた。
信号待ちをしている私に向かってきたのは、トラックだった。
私は逃げようとしたけど…足が動いてくれなかった。次の瞬間・視界いっぱいに青い空が見えた。
その時私は…二度とお姉さまに会えないかもしれない…その事で頭の中がいっぱいだった。
直後、世界は闇に包まれていた。
そして…気がついた時、そこはマリア様の像の前だった。
そして声をかけられた。
「お待ちなさい」
と。
びっくりした…けれど、無性に嬉しかった。
まさかと思った…けれど、これが夢であって欲しくないと思った。
そして振り返ったそこには………お姉さまがいた。
それが2度目の小笠原祥子さまとの出会いだった。
その後は、混乱しながらも、でも、2度目の薔薇の館の住人となった。
『あれ? 祐巳ちゃんってここに来た事あったっけ?』
なんて、白薔薇さま(聖さまのこと)に言われたりしたけど、流石に2度目ですから・なんていえるわけもなく…お茶を濁した。
その後もお姉さまに手取り足取り教えられ…薔薇さまと呼ばれる頃には、1回目よりはずいぶんましになった・と自分では思う。
そして運命の日・卒業式当日の朝。
例の場所で待ち構えていたのは…前回と同じ状況だった。しかも今度が大型トラックが横転して向かってきた。
私は必死に逃げたけれど…逃げられなかった。そしてまた・視界いっぱいに青い空が見えた。
その時私は…マリア様、これは嫌がらせですか?…その事で頭の中がいっぱいだった。
直後、世界は闇に包まれていた。
そして…気がついた時、そこはマリア様の像の前だった。
そして声をかけられた。
「お待ちなさい」
と。
悲しくなった…けれど、逃げられなかった。
冗談じゃないと思った…けれど、これが夢であって欲しいと思った。
そして振り返ったそこには………お姉さまがいました。
それが3度目の小笠原祥子さまとの出会いだった。
その後は、半ばやけになりながら、3度目の薔薇の館の住人となった。
『祐巳ちゃんってもの覚えが良いわね。まるで薔薇さまとしての経験があるみたい』
なんて、紅薔薇さま(蓉子さまのこと)に言われたりしたけど、流石に3度目ですから・なんていえるわけもなく…お茶を濁しまくった。
その後もお姉さまを教えたり教えられたり…薔薇さまと呼ばれる頃には、すでに貫禄と言うものがついて歴代の薔薇さまに名を連ねられるほどになっていた。
そしてそして運命の日・卒業式当日の朝。今度こそ逃げたい!
今回はお姉さまに頼んで、車を出してもらう事にした。お姉さまは快く了解してくださった。
………甘かった………
車の中なら大丈夫だろうと思っていたけど、車同士の事故の方が多いんだったっけ…こんどはトレーラーが衝突してきた。
後部座席だったので逃げることもできず…気付いたら車外に投げ出されていた。そしてまた・視界いっぱいに青い空が見えた。
その時私は…マリア様、あなたに慈悲は無いのですか!…その事で頭の中がいっぱいだった。
直後、世界は闇に包まれていた。
そして…気がついた時、そこはマリア様の像の前だった。頭を抱えた。
そして声をかけられた。
「お待ちなさい」
と。
逃げだしたくなりましたよ…けれど、リリアン生徒としてのプライドが許さなかった。
夢なら覚めてと思った…けれど、これが現実だった。頬をつねったら痛かった。
そして振り返ったそこには………お姉さまがいちゃいました。
それが4度目の小笠原祥子さまとの出会いだった。
その後は、完璧にやけになりながら、4度目の薔薇の館の住人となった。
『蓉子より祐巳ちゃんの方が、紅薔薇さまとしての貫禄があるんだけど…気のせい?』
なんて、黄薔薇さま(江利子さまのこと)に言われたりしたけど、4度目なんだよ〜!・なんていえるわけもなく…無言で仕事をした。
その後もお姉さまを教えたり教えたり…1年の最後には蓉子様に「薔薇さまにならない?」と言われて…お姉さまも何故か賛同して、志摩子さんと2人で2年・3年と薔薇さまをすることになった。
…前代未聞だったらしい…お姉さまが在校する薔薇さま…
そして来たくはなかった運命の日・卒業式当日の朝。それまでにどう登校すれば良いかをシミュレーションした。
結果、自転車で大型の車が通れない所を走って登校する。万が一でも自転車ならかなりの速さで逃げられる。
………マリア様は見逃してくれなかった………
一瞬、辺りが暗くなった…と思って上を見上げたら、そこには落下してくる飛行機があった。
まるで私を狙って来るみたいで、どちらへも逃げることができず…気付いたら空を飛んでいた。そしてまた・視界いっぱいに青い空が見えた。
その時私は…二度とマリア様にお祈りしない!!!…その事で頭の中がいっぱいだった。
直後、世界は闇に包まれていた。
そして声をかけられた。
「お待ちなさい」
と。
………勘弁してください………
初めての投稿がこんなんで良かったのでしょうか…
題名を見て思いついたネタから1時間ほどでできたお話なので、半分以上の文章がコピー&ペーストです。
ついでに言えば、昔、祥子さまを交通事故に巻き込んだお話がネタの基礎です。
…誤字脱字なんて気にしてません…一発ネタとして笑っていただければ幸いです。
もちろん続くことなんてありません。
もし場違いでしたら、削除してくださいませ。m(_ _)m>管理人様