ごきげんよう、お姉さま方
×××
突然ですが、私こと福沢祐巳は「くの一」なんです。ナイショだよ♪
回想シーンだよ
「いい、祐巳、祐麒、あなた達も高校生はなったからには、任務をこなしつつ学業に励んでもらいます。いいこと?くれぐれも忍であることを知られてはなりませんよ」
と師でもある母が言った。
「お師匠様、任務とはいったい何をするのですか?」
と祐巳が聞いた。母は、
「うーん…」
〜五分後〜
「追々伝えるとするわ。まず始めに〇×スーパーの牛乳を買って来て頂戴」
「それはおつかいです。お師匠様」
とすかさず祐麒
「おつかいも出来ない子が任務など出来るはずありません!」
((何も考えてなかったな))
と、心の中でツッコミを入れつつ、晩飯抜きを回避する2人
「祐巳、今日からリリアンの高等部だろ?忘れ物はないか?」
「ないわよ。そっちこそどうなのよ?」
「あるわけない、祐巳じゃあるまいし」
「ケンカなら9割引で買ってやるわよ?」
「リリアンに通っているお嬢様ががさつとは、マリア様もさぞかし嘆かれていることだろうよ」
「よし、今死ね」
「そんなのろまな攻撃当たるわけ無いだろ」
と、祐麒が避けたとき戸が開いた。
「祐巳ちゃ…」
ゲシッ!
母の顔面モロ直撃
「…」
「…」
「…」
長い沈黙の中、2人が動き出す。
「「逃げろ!」」
素早い動きで逃げ出したが、
「あらあら、うふふ♪鬼ごっこなら負けないわよ〜♪さぁ、お逃げなさい♪蛆虫共がぁ!!」
笑顔かと思ったら突然豹変し襲い来る母。
「捕まったら殺される!」
「あらいやだ、殺すだなんて♪可愛い子を殺したりなんかしないわ♪拷問するだけだから安心して捕まりなさい♪」
「「尚更質が悪いわ!」」
〜5分後〜
「「ごめんなさいもうしません」」
簀巻きで逆さ吊りにされた2人が母に謝っていた。
「2人共オイタはダメよ?」
と言ってロープを切る母。
「ぐぇっ!」
「ぎゃう!」
頭から落ちる2人。
「何時までも遊んでないで早く学校に行きなさい。与えた任務を遂行するのよ」
「「は〜い」」
と、何処かへ消える母
「は〜、朝から非道い目にあった」
「祐麒のせいよ。帰ったら覚えてなさい」
「忘れた。それよりも又捕まらない内にさっさと学校に行くか」
「そうね。遅刻したら又どんな目にあわされるかわかったもんじゃないわね」
「ああ」
〜リリアン―半年後〜
(うーん、今更だけど忍者がカトリックの学校ってどうなのだろう?)
本当に今更である。
(さて、任務任務。学園長室はっと)
「ご、ごきげんよう」
廊下で美人の上級生とすれ違うが、シカトされた。というより寝ながら歩いていた
(祥子さまって朝はいつも眠そうにしてるけど、シカトはないんじゃない?まあいいけど)
何度となく生徒や教師とすれ違うが、なるべく目立たないように心掛ける祐巳。
(ここが学園長室ね。今は居るみたいね。又出直すとしますか)
(ここが写真部ね。さて、幸いなことにだれも居ない。お目当ての物はっと…あったあった、ん〜まだ大した物でも無いわね。まだ泳がしていても大丈夫…かな?ん?)
祐巳が写真を漁っていると、誰かが戻って来たようである。
祐巳は素早く姿を隠す。
「は〜、なかなかいい薔薇さまの写真が撮れないわね〜」
(あれは蔦子さん…だったよね…盗撮マニアの…それに薔薇さま…ああ、確かそんなのも居たわね…任務に関係ないから気にしてなかったけど)
普段は人一倍薔薇さまに憧れてますって態度の祐巳だが、正体がばれては不味いのだ。
「それにしても、志摩子さんが祥子さまのロザリオを断るとは…」
(へー、SMコンビで合っていると思ったんだけどねぇ)
「まあ、聖様の所に落ち着いたとは、意外と言えば意外かな」
(日本人離れしてる同士が惹かれた形になった…という所かな?)
「新しいネガも補充したし、次なる写真でも撮るとしますか」
蔦子退席。
「誰か来ない内にさっさとおさらば♪」
今日の収穫は特に無し…明日に期待しますか…
次の日…
朝マリア像の前でお祈りし、立ち去る時にそれはおこった…
「お待ちなさい」
(この声は確か祥子さま)
「えっ…はい」と言いながら振り返る祐巳
「私…ですか?」
「声を掛けたのは私で、声を掛けられたのはあなた。まちがいなくってよ」
(朝から何の用ですか、祥子さま。しかもそこの茂みに蔦子さん居るし)
「持って」
「は、はい」
「タイが曲がっていてよ。身嗜みはきちんとね。マリア様が見てるわよ」
(タイ位別にどうだっていいじゃない。誰に迷惑かけてる訳じゃないし)
「は、はい、ありがとうございました」
(写真撮るなよ〜、後が面倒臭いじゃんか〜)
祥子に直されたタイを見ながら、蔦子をどうするか考えていた。
「ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう」
(面倒臭いことにならない内にさっさと教室に行こうっと)
教室にて
「祐巳さん、ちょっといい?」
「何?蔦子さん?」
(やっぱり来たか)
「これ、見て欲しいんだけど」
「何?ええっ!私と祥子さま!?」
「よく撮れてるでしょう?」
「う、うん…」
(逃げられなかったからね…そりゃ撮れてるでしょうよ…)
「これは学園祭のパネルとして、展示したいんだけどどうかな?」
「ええっ!」
(目立ちたがりの忍なんているわけないじゃない!何考えてんのこの人!?)
「タイトルは『躾』なんだけど」
「躾…ねぇ…」
(その前にこっちが盗撮マニアのお前を躾てやりたいわ!)
「後は、祥子さまの許可も取りたいんだけど、一緒に薔薇の館に行かない?」
「まだ許可出して無いんですけど?」
「祐巳さん、祥子さまファンでしょ?」
「うう…それを言われると…きつい…」
(普段自分を偽るための演技が徒になった!?)
「写真、今ならプレゼントするわよ?欲しくない?」
「うう…欲しいんだけど…欲しいんだけど…欲しくない…」
「じゃ、決まりね」
「…わかった…」
(毒食わば皿まで…か…後で対人地雷を埋めてやる)
「薔薇の館に来たはいいんだけど、どうするの?蔦子さん?」
「流石の蔦子さんでも薔薇の館は怖い。祐巳さんから入ってよ」
「さらっと言ったよ!?この人!?」
(ん?誰か来た!この気配は志摩子さん。しめた!)
「つ、蔦子さんから入ってよ…」
「祐巳さんからどうぞ」
「薔薇の館に何か御用かしら?」
「「し、志摩子さん!」」
「?」
「ちょうど良かった、志摩子さん。祐巳さんが祥子さまに用があるんだって」
「蔦子さん!?」
(この女シバく!)
「祥子さまなら今は会議室に居ると思うわ」
「と、所で志摩子さんは何故薔薇の館に?」
「志摩子さんは薔薇の館の住人だからに決まってるじゃない」
「そうでした…」
(確かに昨日聞いたんだった…)
キィ…志摩子は薔薇の館の扉を開けて言った。
「どうぞ」
「開けてすぐ誰かが居るわけじゃないんだ」
「一階は倉庫、会議室は二階よ」
「そうなんだ…」
(任務外の事は興味なかったからなぁ)
階段を上がって会議室の前に来ると、
「横暴ですわ!お姉さま方!」と、祥子の声が聞こえた。
「い…今の声は…?」
「何時もの事よ」
「い、何時も…って」
(何なんだ?コイツ等?)
「どうぞ」
志摩子が扉を開けると…
中から何かが飛び出してくる。
(祥子さま!?よけないと…いや、ここで避けたら運動音痴の一般人で売り出している私の正体が…むしろ避けるわけには…いかない!)
この間、僅か0.1秒。祐巳は覚悟を決めた。勿論、受け身を取れませんでした風に上手く受け身を取ることも忘れない。
祥子は祐巳を抱きつき、巻き込む様に倒れた。
ドサッと大きな音を立てることも忘れない。
祥子は巻き込んだ目の前の少女に戸惑いつつも、小声で聞いた。
「貴女、お姉さまは居て?」
祐巳は戸惑った。普通なら戸惑うだろう。
(人を潰しといて「お姉さまは居て?」は無いだろう、普通)
「い、いいえ…」
祐巳がそう答えると、
「よろしい」と言いながら祐巳を立たせると、会議室の中に祐巳を連れて入った。
「紹介致しますわ。私の妹です」
(!?何言ってんの!?この人!?)
「さっ、自己紹介しなさい」
(何で!?)
「ふ、福沢祐巳です」
「福沢祐巳さんね。何て字を書くの?」
「福沢諭吉の福沢、しめすヘんに右、巳年の巳です。」
「ふーん、おめでたそうなお名前ね」
(何この失礼な人!ほっとけ!)
「祥子、この娘が、貴女の妹?」
「そうですわ、お姉さま」
「その割には、名前も知らないみたいだったようだけれど?」
「祐巳に自己紹介させたかっただけですわ」
「まあいいわ。姉妹、と言うことなら勿論、ロザリオの享受は済ませたんでしょうね?」
「未だですが、お望みであればこの場で行います」
「そうね。やって貰えるかしら?」
(!?何このツッコミどころ満載のやりとりは?私の意見は無視?何?)
「祐巳」
「は、はい」
祥子は首からロザリオをはずす。
後ずさろうとする祐巳。
(冗談じゃない!あんな首輪架けられてたまるもんですか!)
「祐巳、動かない」
「は、はい…」
(皆が見てる…逃げ出したい…万事休すか…)
祐巳が諦めかけたその時、救いの手が入った。
「お待ち下さい」
「何?志摩子」
「皆さん大切な事をお忘れです」
「それは?」
「祐巳さんの、お気持ちです」
(ありがとう〜、よく言った!志摩子さん!今日から「綿飴」なんて呼ぶの止めるね)
「それもそうね。今日初めて会った祐巳ちゃんは祥子の事、どう思う?」
「わ、私は…」
「祐巳さんは、祥子さまと会うのは初めてではないようです。今日祥子さまを訪ねて、薔薇の館に来たのですから」
「あっ、その事なんですが…こんな物がございまして」
(余計な事言わなくていいよ!2人共!)
蔦子が「例の写真」を取り出す。
「確かに祥子と祐巳ちゃんね…」
「そうね…」
「うん…間違いない…」
三薔薇さまが写真を確認する。
「悪かったわ、祥子。で、祐巳ちゃんは祥子の事、どう思う?」
(…どうしても聞くつもりか…)
「祐巳さんなら大丈夫だと思います。祥子さまファンなので」
(…蔦子さん…余計な事言わなくていいよ…)
「へー、それは本当?祐巳ちゃん」
「はい…でも…お受け出来ません」
「…何故って聞く権利くらいあると思うのだけど」
「…祥子さまファンだからって…必ずしも妹に成りたいかと言うとそうではなくて、何というか、神聖な物の様な…」
(ふー、これで回避出来る筈…)
「又、振られたわね、祥子」
悲しむ祥子に慰める薔薇さま方。
流石にバツの悪い祐巳は、会議室に入る前の事を聞く事にした。
「あの〜」
祐巳が話し掛けると、祥子は心底興味なさそうな目で祐巳を見る。
「未だ居たの?貴女。用が無いのであればさっさと帰ったら?」
(手のひら返すの早っ!)
「先ほどは何を言い争って居たのですか?」
「貴女には関係ない事よ」
すると、外人っぽい薔薇さまが、
「祥子が山百合会の劇のシンデレラを降板したいと言って、蓉子が『妹を作れないブゥトゥンには発言権は無い』って言ったからケンカになったの」
と、説明してくれた。
「ロサギガンティア!」
(ロサギガンティア?ああ、確か志摩子さんのお姉さまね)
「事実を分かり易く説明しただけだよ。」
睨む祥子に涼しげな聖。
「そうだったのですか。でも祥子さまは何か理由があって降板したいと、言ったと思うのですが、理由位聞いてからでもいいと思うのですが」
「…それもそうね…」
「祥子、何か理由があって?」
祥子は小声で
「…言えません…」
「何て言ったの?」
蓉子は追撃の手を緩めない
祥子は蓉子の真剣な眼差しを見て、諦めたかのように言った
「…言えません…今は未だこれしか言えません…」
言った後、祥子は負けじと蓉子を睨み返した
蓉子は祐巳達を一瞬見た後、
「いいわ。今日はお客様も居ることだし、追求は次にするとしましょう」
と、溜め息混じりで言った。
一方、祐巳は、
(どうでもいいから早く帰してくれないかな〜)
と、余計な事聞くんじゃなかったと後悔していた。
志摩子の姉である聖ことロサギガンティアは、隣に居る先ほどから眩しくて顔の見えない女性に何かを囁きあった後、こんな事を言い出した。
「それでは一つ、賭けをしましょう。一つ、祐巳ちゃんには山百合会の劇を手伝って貰う。二つ、その上で祥子が祐巳ちゃんを妹にする事が出来れば、祥子はシンデレラを降板していい。もちろんシンデレラは祐巳ちゃんになるけど。2人にとってそう悪くないと思うけどどうかな?」
すかさずピカリンは
「賛成。令達も賛成よね?(人手不足解消のチャンスよ!)」
と妹達にアイコンタクトした。
令と由乃もお互いアイコンタクトで意志疎通して答えた。
「私達もお姉さまに賛成です」
「これで賛成四票ね。蓉子は?(祥子の妹が務まるかどうかはともかく、既成事実さえ作ってしまえばこっちのもんよ!)」
と、アイコンタクトを送る。
蓉子も
「(合点承知!)私も賛成。これで多数決で決まりね」
と、どや顔で言った。
「ま、未だ志摩子がいます、志摩子はどっち派?」
「私はお姉さまについていきます」
「クッ、わかりましたわ、祐巳を妹にし、見事シンデレラを降板してご覧にいれますわ」
「その意気よ!祥子!」
(何なんだ?この茶番は…)
「あの〜私の意見は…」
「ああ、祐巳ちゃんは大丈夫。祥子のロザリオを受けなければ良いだけだから」
「やっぱり…そう…ですか…」
(面倒臭いじゃんか…ん?何か引っ掛かる所があるような…)
そう、祐巳はこの時祥子のロザリオを受けたく無いだけに「劇の手伝い」を頭からすっかりさっぱり綺麗に忘れてしまったのである。忍としてはあるまじき失態
、人の話を聞いてなさ過ぎである。だから何時まで経っても半人前なのである。もちろん、三薔薇さま方も蔦子にアイコンタクトを送るのを忘れない。同時に蔦子の眼鏡も怪しく光る。
「私は祥子さまから逃げ切ります。それでこの話はなかった事に…」
「ちょっと待った祐巳ちゃん」
「何ですか?ロサギガンティア?」
「一つ、忘れてやしないかい?『劇の手伝い』はしてもらうよ?証人も居ることだし」
「証人?はっ!?蔦子さん?」
「私は祐巳さんが『そうですか』と言ったのを聞いたわよ」
「し、志摩子さん…」
「私も祐巳さんが了解したと理解したわ」
(…ハメられた…)
ハメられたと言うよりも話を聞いてなさ過ぎるのが悪い。
「わかりました…『劇の手伝い』はします。その上で、祥子さまから逃げ切ります。これで宜しいですか?」
「良いわよ。貴女の挑戦受けて立つわ!私から逃げ切れるとは思わない事ね」
「…私も逃げ切れるように努力します…」
ここで蓉子が、
「交渉成立と言うことで、今日は解散」
と、満面の笑みで言った。
皆もそれに納得し、解散となった。
(後で全員の弱味を握って逆らえないようにしてくれる)
祐巳はそう心に誓った。
次の日、教室にて
「ねぇねぇ、聞いたわよ。祐巳さん」
「何?桂さん」
「祥子さまの妹になったんですって?」
この桂の言葉に教室が騒然となった
「か、桂さん、そんな根も葉もない噂…どこで聞いたのかな?」
「えっ!?噂なの!?てもこのリリアン瓦版に載ってるわよ?」
桂は祐巳に瓦版を見せた。
瓦版には、昨日の出来事を写真付きで面白おかしく書かれていた。もちろん山百合会に都合の悪い事など載っていない。
(三薔薇さま方が蔦子さんに送っていたアイコンタクトって…この事だったのか…)
退路を断たれた祐巳は蔦子を捜す事に…
「ねぇ、祐巳さん、この記事本当なの?」
「祐巳さん、今の心境は?」
「祐巳さん」
「祐巳さん」
矢継ぎ早に質問するクラスメートたち。
逃げようにも弁解しようにもクラスメートたちに囲まれ、困る祐巳。
救いの手を差し伸べたのは、意外にも志摩子だった。
「祐巳さんが、山百合会の劇を手伝うのは本当。でも、祐巳さんは未だ祥子さまの妹にはなっていないわ」
「それは本当?志摩子さん」
クラスメートを代表して桂が志摩子に聞いた。
「本当よ。蔦子さんも居たはずだけど」
「蔦子さん?」
「本当よ。私は写真を見せてくれと言われただけ。瓦版には関与してないわ(志摩子が祐巳さんの擁護に回るとはね…)」
この2人が証人となり、祐巳はひとまず解放された。
放課後、掃除の時間になり、担当場所の音楽室で掃除をするが、どこか上の空。
(…任務…どうしよう…未だ学園長の件も終わってないのに…)
「祐巳さん、掃除日誌、置いておきますね?」
とクラスメートに言われて始めて掃除が終わったのを気づいた。
「お願いします」としか言えず、一人残ることにした。
ハァと一つ溜め息をし、祐巳はピアノに向かった。高等部の入学の式典で祥子さまがピアノを引いていたのを思い出す。
ピアノを引きながら、祐巳は今朝の出来事を思い出す。
「スールになるのは構いません。利用出来るものは最大限利用なさい。だけど、任務が失敗するような事があれば、落伍者として里に送ります。それが、何を意味するかは、もちろん、わかってますね?」
口調こそ穏やかだが、そこには有無を言わさない威圧感があった。
過去に里に送られて無事でいた者など、祐巳の知る限り存在しない。むしろどうなったかすら知らないのである。これは祐麒も同じであった。
祐巳は己の背後に忍び寄る影にも気付くことなく、ピアノを引いていた。それが、己の運命を決める事とはつゆ知らず。
祐巳がたどたどしい手つきで引いていると、突然、手が乱入して来た。
「わあぁやあぁっ!」
「キャッ」
祐巳は危うく乱入者を攻撃する所だったが、悲鳴が聞こえたので平静を取り戻す事が出来た。
(悲鳴!?敵ではない?誰?)
「ビックリしたわ。これではまるで私が襲っているように聞こえるわ」
「も、申し訳ありません!祥子さま。と、突然、手が見えたのでお化けかと思ってしまったので」
「まあ、お化けだなんて失礼しちゃうわ。まあ、こんな美人のお化けもいないでしょうけど」
「…祥子さま…(自分で言うかな?普通)」
「そんな事より祐巳」
「何ですか?祥子さま」
「貴女のピアノはまるでなってない。そう、心に響くものが無いわ。そんなことではこの私の妹は務まらないわ!」
「ウグッ!ですが、私にとっては幸いなことです、祥子さま。祥子さまの妹が務まらない私は、ロザリオをお受けする資格が無いのです。これで私の日常生活は、平和に送る事が出来るでしょう」
多少皮肉った感じで祥子に返す。
「それなら、尚更私のロザリオをお受けなさい。私の妹になった暁には、立派な薔薇さまとなれるよう、ビシバシとごうも…ゲフンゲフン…鍛え上げてあげるわ!」
「…今、拷問って言いましたね?」
「私のログには何も無いわ…」
「…(逃げよう)」
祐巳は逃げ出した。
「お待ちなさい!」
「何ですか?祥子さま」
「掃除日誌を忘れているわよ?」
「…アリガトウゴサイマス…」
祐巳は日誌を持って行って貰えば良かったと後悔した。
「せっかくだから一緒に提出しに行きましょう」
「(余計な真似を…)いえいえ、お忙しい祥子さまの手を煩わせる迄もありません。これは私が責任を持って提出致しますので」
「提出するのは、ついでだわ。貴女、忘れてないかしら?山百合会の劇の手伝いの件を」
祐巳は手伝いの件をすっかり失念していたのである。
(しまった…忘れてた…ていうか、探しに来るなよ…面倒臭い…)
祐巳は観念して一緒に行く事にした。
途中で先生に会ったが、祥子さまが「ご想像にお任せします」と言ってその場は収まった。
(ご想像にお任せします、だなんて尾ひれ背びれ胸びれどころか、胸毛迄着くじゃないか…)
胸毛はないだろう、胸毛は。
ともあれ、劇の練習をしている体育館に着いた。
「皆さん、遅くなって申し訳ありません。稽古を再開しましょう」
「祥子、予定通り祐巳ちゃんを連れて来れたのね」
「はい、お姉さま」
「それでは再開するわ。各自所定の位置へ」
蓉子が皆に指示をすると、音楽を鳴らした。
一糸乱れぬとは、正にこの事であろう。流石生粋のお嬢様方は違うようである。忍の世界しか知らない祐巳は、この時始めて社交ダンスというものを見たのである。
未だ半人前の祐巳は映画も見る事など、当然の事ながら無く、そのような所への任務も経験した事も無い。
いつしか祐巳は祥子に見とれていたのである。
祐巳を見ていた蓉子は、祐巳を呼び寄せた。
「祐巳ちゃん」
「は、はい」
「祥子の事、どう思う?」
「はい、素敵だと思います」
「そう」
蓉子は一言だけ言った。
「ねぇ、江梨子」
「何?聖?」
「ダンスって、二年生になってからだったかな?」
「ん〜、確か、そうだったと思ったけど?」
「そっか、はーい、注目!この祐巳ちゃんとペアになってくれる人、誰かいない?」
聖が祐巳をとっつかまえて尋ねるも、誰一人名乗り出なかった。当然と言えば当然の事であろう。いきなりのぽっと出の馬の骨とも知れないのが、祥子の妹候補です、と言われて納得する者など居るわけが無い。祐巳に敵意の眼差しを向ける者もいるが、任務でたまに見る目なので、余り気にはならなかったが、皆の手前、萎縮してみせた。
「仕方ないなぁ、私がレッスンしてあげよう」
「うわぁ」
言うが速いが、聖は祐巳の手を取り、レッスンを始めてしまった。
「ワルツは三拍子だからね。はい、ワンツースリー、ワンツースリー」
「えっ!?うわっ」
始めて社交ダンスを踊る人間にいきなり踊れ、というのは無理だと思うが、祐巳は本来、運動神経は悪く無い。むしろ良い方である。が、運動音痴として認識させている手前、いきなり踊れるというのは不自然である。だが、本当に始めてである為、難しい様子。聖の足を踏んだりしている。
「ああ、すいません」
「別にいいよ。でも祐巳ちゃん、見た目よりも重いんだね〜。お姉さん驚いた」
「(ギクッ…まさか…バレてない…よね…)え、ええ…、着痩せするタイプなもので…」
「ふ〜ん、そうなんだ。重そうに見えないけどね〜」
今日は体育の授業が無かった為に、鎖帷子を着用したままなので重い筈である。
むしろ相手の足を怪我させないか、冷や汗ものだった。
ダンスのレッスンを始めてしばらくして、皆の視線に気づいた聖が当然祐巳を解放した。
小声で「やりすぎたかな?」と言いつつ、祐巳の向きを変えさせて言った。
「今日から新しく練習することになった、福沢祐巳ちゃんです。みんな仲良くしてね〜。後、誰か祐巳ちゃんのペアになってくれる人、いないかな〜?」
「じゃあ、私が」と、令が名乗り出た。
「令さま、祥子さまは宜しいのですか?」
「祥子なら大丈夫。正真正銘のお嬢様だから、社交ダンスなんてお手の物。一人でも問題は無し」
「そうなんですか?」
「ほら、祥子を見てごらん」
と言われ、振り向く祐巳
そこには一人で優雅に踊る祥子の姿があった。
「ほら、大丈夫でしょう?さ、練習練習」
「は、はい」
こうして最初の劇の稽古は問題無く?無事に?終了した…でいいのかな?
あとがきと言う名の言い訳
始めてPCサイトビューアーなるものを使って作成して見ました。普通、携帯からだと文字数制限?により千文字ですが、PCサイトビューアーからだと文字数は一万文字になりました。
初挑戦ですが、ここまでの所要時間は二週間…まさかこんなにかかるとは…
皆様の才能がうらやましいです
ごきげんよう、お姉さま方
×××
ごきげんよう、福沢祐巳と申します。
昨日、私はとんでもないものを見てしまいました。
祐麒が、弟が、私の制服を着用してナンパされていたんです!
その他にも、女装のまま買い物していたり、デザートバイキングに行ったり、何だか満喫している様子でした…
姉としては…複雑ですが…
確かに幼い頃、弟なんか要らない、妹が良かったなどと言って両親を困らせたり、祐麒とケンカになってりもしました。
それがまさかこんなに祐麒を追い詰めていたとは…ゴメンよ…祐麒…
※祐巳の勘違いです
両親に相談など出来るはずもなく、困っています(泣)
「ね、ねぇ祐麒、この間の…学園祭は…どうなったのかな〜って、思ってみたり見なかったり…」
「なんだよ…突然…」
「私の制服を着て…どうなったのかな〜って、気になって…」
「ま、まあまあの評価…だった…よ…(言えない…優勝して更にアリスとデュエットしたなんて…)」
「そ、そうなんだ…良かったね?」
「(何故に疑問系?)ま、まあな」
「…ところで、話は変わるんだけど、あの後ぐらいから、花寺の学生から視線を感じる様になったんだけど…」
「き、気のせいだろ…」
「…だと…良いけど…」
(ヤバいヤバい…この姉はかなり疑ってる…花寺にファンクラブがあるだとか、アリスとお揃いの衣装を着たブロマイドがあるだとか、ましてや、女装してリリアンに侵入しただとか、ナンパされたとか…etc.…兎に角色々マズい!何とかして誤魔化さないと!)
「この間、祐麒が私の制服を着てナンパされているのを見たんだけど…」
「(な、なんだってー!)ド、ドッペルゲンガーでも見たんじゃないか?」
「…」
「…」
長い沈黙が続く…
「そう、わかった…」
と言って祐巳は部屋を出た。
(しばらくの間、女装するのは止めよう…)
心に誓う祐麒であったが、実は内心喜んでいた…やはり、変態であった。
ごきげんよう、お姉さま方
×××
ある日、うつ伏せで寝ていると突然胸の当たりが苦しくなり、目が覚めた。
「うーん、苦しい、なんだ、枕でも下敷きにしたか?」
枕は目の前にあった。
「?」
俺は寝ぼけたと思い、また寝る事にした。が、未だ寝苦しい。何かを潰したと言うよりも、何かを潰された、と言うのが正しい表現のようだった。
俺はその違和感の正体を確かめるべく、意を決して胸の当たりを確かめた。
「!?」
胸の当たりに何かがある。あると言うよりも、むしろ柔らかくて暖かいものが、そこにはあった。
俺はパニクりそうになったが、今は真夜中。騒ぐわけには、いかない。「落ち着け、冷静になるんだ、俺」と心の中で自分に言い聞かせた。
次にとる行動は決まりきっていた。「下」の確認である。無い。すがすがしいまでに何も無い。自分で言うのも何だが、決して「立派な物」ではなかったが、いざ無くなってしまうと寂しさで泣きそうになった。
次は部屋の確認である。「まさか祐巳と入れ替わったのか?」という考えが頭をよぎったからた。
「祐巳の部屋ではない。俺の部屋に似てはいるが少し…違う…」
部屋は俺の部屋ではあったが、微妙にファンシーになっていた。衣類も調べてみる事にした。…女物だった…俺は声を殺して泣いた。
三十分位泣いたらふと、トイレに行きたくなった。戸惑ったが、漏らす訳にもいかず、トイレに行くことにした。
幸いなことに真夜中だった為、家族の誰に逢うことなく無事済ます事が出来たが、自分の物とはいえ、ノゾキをしている気分になった。下は見なかったが…。
トイレも無事終了し、部屋に戻る為に階段を上っている時だった。溜め息混じりに目をつぶって登っていたのが悪かったらしい。後一段というところで足を滑らせ、落ちた。
心の中で
「俺は女になったまま死ぬのか?」
と思った。
すごい音が聞こえたにもかかわらず、家族の誰も起きては来なかった。白状者と思いつつ、俺は気を失った。
ぴぴぴぴぴぴぴぴぴ…
朝だった。階段の下にいるはずなのに、俺はなぜかベッドの上で目を覚ました。「誰かが連れて来れたのか?」という疑問もあったが、部屋が元通り?だったので、夢だったようだ。少し残念なような、ほっとしたような、複雑な気分だったが、まあ、良しとしよう。
祐麒は気付かなかったが、ベッドの下には、ぬいぐるみ達がひしめき合っていた…
「マホ☆ユミ」シリーズ 「祐巳と魔界のピラミッド」 (全43話)
第1部 (過去編) 「清子様はおかあさま?」
【No:3258】【No:3259】【No:3268】【No:3270】【No:3271】【No:3273】
第2部 (本編第1章)「リリアンの戦女神たち」
【No:3274】【No:3277】【No:3279】【No:3280】【No:3281】【No:3284】【No:3286】【No:3289】【No:3291】【No:3294】
第3部 (本編第2章)「フォーチュンの奇跡」
【No:3295】【No:3296】【No:3298】【No:3300】【No:3305】【No:3311】【No:3313】【No:3314】
第4部 (本編第3章)「生と死」
【No:3315】【No:3317】【No:3319】【No:3324】【No:3329】【No:3334】【No:3339】【No:3341】【No:3348】【No:これ】
【No:3358】【No:3360】【No:3367】【No:3378】【No:3379】【No:3382】【No:3387】【No:3388】【No:3392】
※ このシリーズは一部悲惨なシーンがあります。また伏線などがありますので出来れば第1部からご覧ください。
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。
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☆
〜 10月2日(月) 12時 暗黒ピラミッド内部 〜
「聖さま・・・。 聖さま」
聖は、自分を呼ぶ静かな声に目をあける。
かたわらに志摩子の姿。 その手には薄いブルーの液体が入った瓶をもっている。
志摩子は 『ソーマの雫』 を自分の口に含み、口移しに聖に飲ませたのだ。
「気分はいかがですか?」
はっ、と一瞬にして聖の意識が覚醒する。
思わず飛び起きて周囲を見渡す。
その視線の先には先ほどと変わらずうつぶせに倒れ伏す令と由乃の姿。
・・・そして、床に寝ころぶ祐巳と視線が合う。
祐巳は情けなさそうな顔をしながらも心配そうに聖を見ていた。
「祐巳ちゃんっ!! 大丈夫?! 痛みはない?!」
聖が祐巳に駆け寄り声をかける。
「えっと・・・。 痛み止めは飲んだんですけど、滅茶苦茶痛いです〜」
こんな時だというのに、どことなくのんびりした祐巳の声。
そして、祐巳の右腕があった場所は・・・。 ぽっかりと空いた空間。
「祐巳ちゃん・・・。 あなた右腕・・・」
「あの〜。 再生するだけの時間も体力もなかったんでとりあえず傷だけふさぎました」
情けなさそうな声で答える祐巳。
「でも、聖さまのほうこそ、大丈夫ですか?」
(自分の右腕がなくなったというのに・・・。 こんな時にも私の心配をするというの?)
聖の眼がしらが熱くなり、ポタリ・・・、と涙が一筋流れる。
その涙を残った左手でぬぐう祐巳。
「大丈夫ですから・・・。 わたしは大丈夫。 それより令さまと由乃さんを帰してあげてください」
とても穏やかな祐巳の声。
「このまま、令さまと由乃さんをここに放って置いちゃダメです。
いつまた魔王たちが来るか知れない・・・。 地上に帰してあげてください。」
「わかったわ。 じゃ、『妖精の翼』で入口まで戻ろう。 みんなボロボロだしね。
いったん出直そう。 祐巳ちゃんの腕も治療しないといけないし」
思ったよりしっかりとした祐巳の声に聖も安心したのか穏やかに言葉を返す。
しかし、祐巳の次の言葉に聖は愕然とする。
「いいえ。 地上に戻るのは聖さまと令さま、由乃さんだけでお願いします。
わたしと志摩子さんはこのままソロモン王を倒しに行きます」
「何言ってるの?! 祐巳ちゃん、あなたいま自分がどうなってるかわかってるの?!
このまま私だけ帰るわけには行かないわよ! 君たちも帰るんだ! もう一度出直すんだよ!」
聖は祐巳の口から出た言葉を信じられない思いで聞くとすぐさま否定した。
さすがに祐巳も聖の反応はわかっていたのか、
「わかりました。 では聖さま。 二人を送り届けたら帰ってきてください。 わたしたち、ここで待ってます。
でも、私たちは地上に帰れません。
だって・・・。 この姿で地上に戻ったら、二度とここに帰って来れませんから」
と、静かに言う。
たしかに・・・。 と聖は思う。
たった3人で挑んだこの暗黒ピラミッド。
そこで、片腕を失うほどの戦闘を行った祐巳がここに再度来ることはかなわないだろう。
すべての人々に止められるのはわかりきっていた。
そして・・・。 たとえ片腕を失おうとこの祐巳が祥子を・・・。 山百合会の仲間を見捨てることが出来るわけはない。
それに、片腕であってもこの場で最強の戦闘力を持つのが祐巳だ、ということもわかっていた。
不思議なことに聖の傷はすべてふさがり、打撲の跡すらない。
すべてが万全な自分が令と由乃をいったん地上に連れ帰れば、また3人でこの魔王の巣を攻略するために戻ってくることも出来るだろう。
(私の傷・・・。 治してくれたのは祐巳ちゃん? それとも『ソーマの雫』? ひょっとしてシルフィードたちが守ってくれたの?)
聖にはそのことだけが不思議だった。
自分が気を失っている間に起こったこの不思議な出来事。
だが、その事を今ここにいる祐巳と志摩子には聞いてはいけない気がしていた。
「えっと、由乃さんなんですけど、皮膚の表面の傷はたいしたことありません。
ただ、脳震盪を起こしてるのと背中が火傷してるんでその治療をお願いします。
それと、多分・・・。 その傷が治ったとしても生命力が極端に落ちてます。
全身麻酔で眠らせて、あと拘束着を着せて、結界の中で眠らせてあげてください。 お願いします」
祐巳は、由乃の治療について不思議な指示を聖に与える。
聖は祐巳の不思議な言葉に疑問を抱きながらもしっかりと頷く。
「それから、令さまですけど・・・。 令さま絶対に背中を向けてくれなかったので両膝を折っちゃいました・・・。
そのあと、背中の ”五芒星” を切り取ろうとしたんですけど根が深くて・・・。
かなり手加減したんですけど、内蔵の近くまで抉り取らなければなりませんでした。
令さまにも、全身麻酔と拘束着、それに結界をお願いします」
祐巳の顔色がだんだん悪くなる。 祐巳の額に脂汗が浮かび始める。
「志摩子さん・・・。 もうちょっとちょうだい」
祐巳が志摩子に 『ソーマの雫』 をねだる。
祐巳も体をだましだまし話しているのだ。
志摩子は祐巳の頭を自分のひざの上に乗せ、『ソーマの雫』を口移しで飲ませる。
祐巳の喉がごくん、とソーマの雫を飲み込んだあと、すこしの静寂。
しかし、その少しの時間さえ惜しむように祐巳が聖に話しかける。
「聖さま、二人を送り届けた跡、すこし薬と食べ物、お願いできますか?
えへへ・・・ さすがにちょっときついんで少し・・・眠ります」
祐巳は穏やかに話しをしてたんじゃない。 腹の底から声が出せないほど衰弱していたのだ。
最後に小さく呟くように聖に頼み事をした祐巳は、静かに眼を閉じた。
「志摩子・・・」
聖が志摩子を振り返りながら声をかける。
「祐巳ちゃんは、大丈夫なの? わたしが寝てる間になにがあったの?」
志摩子は、祐巳の髪を撫でながら静かな声で答える。
「祐巳さんの腕は癒しの光を受けたわたしの剣で切り落としました。 それで治療を始めると思ったんですけど・・・。
あまりにもひどい激痛で・・・。 さすがの祐巳さんも耐え切れなかったんです。
なんとか肩口で出血を止めて皮膚の再生をするところまでで限界でした」
ポロポロと涙がこぼれる。 志摩子は自分の罪を悔いながらも聖に説明を続ける。
「そのあと、『ソーマの雫』と、痛み止めを飲んで・・・。 信じられないくらいいっぱい飲んで・・・。
それでも痛みと戦いながら令さまと由乃さんの傷を見てました。
祐巳さんは、 ヒトデみたいなのを 『ソロモン王のスペルだ』 って言ってました。
”Te” ”Tra” ”Gram” ”Ma” ”Ton” と、文字が浮き出した ”五芒星” です。
それが令さまと由乃さんの体に埋め込まれていたそうです。
きっと、その 『ソロモン王のスペル』 で、令さまと由乃さん、操られてたんじゃないかと思うんです。 祐巳さんは何も言いませんでしたけど」
そして最後に志摩子は、
「多分時間が無いんです。 祥子さまたちにも 『ソロモン王のスペル』 が埋め込まれてるかもしれない。
そうなっていたらすぐにでもここに来て私たちを襲うかもしれない。
もし、祥子さまが祐巳さんを襲ったら、祐巳さん、ぜったいに戦えない。
それに、まだ祥子さまたちが大丈夫だとしても、時間が無いんです。
早く助けないと・・・。 祐巳さん、絶対に最後まであきらめません。 だからわたしもあきらめません」
と、一気に聖に思いのたけを吐き出す。
「お願いします。 祐巳さんの言うとおりにしてあげてください。
令さまと由乃さんのことも・・・。 もう二人とも・・・。 ダメかもしれないんです。
でも、祐巳さんはまだあきらめてない。 きっと助かる方法があるんじゃないかと思うんです」
志摩子の瞳から、とめどなく涙が溢れる。
零れ落ちる涙は志摩子のすぐ下で眠る祐巳の頬にも伝わる。
しかし、志摩子の瞳には強い光で満ちていた。
「うん、わかった。 志摩子、祐巳ちゃんを守ってね。
二人を送り届けたら必要なものを持って急いで戻ってくるから、ね」
聖は、志摩子に力強い笑みを浮かべる。
すっくと立ち上がった聖は傍らに転がっていた祐巳の薔薇十字、 『セブン・スターズ』 を拾い上げ志摩子のひざで眠る祐巳の横に置いた。
「この薔薇十字は、七星を統べるもの。 お守り代わりにはなるでしょう」
そういい残した聖は令と由乃を掻き抱くように両脇に抱きかかえると 『妖精の翼』 をバキッと折り、一瞬にして志摩子の前から姿を消した。
☆
〜 9月30日(土) 暗黒ピラミッド内 〜
時は少々遡る・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「キャーーーーー!!」
「助けてーーー!!」
「聖っーーーーー!!」
魔王・ベリアルの居た小部屋は薔薇十字所有者、水野蓉子、鳥居江利子、小笠原祥子、支倉令を乗せたまま地下に崩れ落ちていく。
「蓉子ーーーー!!、 江利子ーーーー!!、祥子ーーーー!!、令ーーーーー!!」
聖の必死の呼びかけが聞こえる。
急に足元が崩れたためにバランスを崩した4人であったが、さすがに対処は早かった。
「落下の衝撃に備えて覇気全開! 祥子っ! なんとかしなさいっ!」
「はいっ!」
祥子は蓉子の檄に答え 『ノーブル・レッド』 を振るう。
「モラムレアッ! (この先にあるものよ柔らかくなれ!) 」
祥子の呪文による魔法陣が完成し地下に伸びる。 次の瞬間、ボフッ! と何かに包み込まれるような衝撃が4人を襲う。
さすがの祥子の柔軟化魔法も、この短時間での詠唱に無理があったのか、それとも300m以上の落下による急激な重力の衝撃を相殺できなかったのか・・・。
肺の中の空気をすべて吐き出したような・・・。 胃の中のものがすべて逆流するような強烈な衝撃。
薔薇十字所有者がいくらその覇気による鎧を纏ったとしても意識を飛ばすには十分な衝撃だった。
☆
〜 9月30日(土) 12時 暗黒ピラミッド最下層 〜
祥子が目を開けたとき、すぐ横に蓉子、江利子、令の3人が見えた。
3人とも怪我もなく、また疲れた様子もない。
「祥子、目が覚めたね?」 と、穏やかな令の声がする。
「え・・・ええ。 ここはどこなの?」
祥子は、令の問いに答えながら周りを見渡す。
大きな部屋だった。 壁にかけられている松明は星の数ほどもあるがすべて数十メートルは先にあるようだ。
そして自分たちの周りにはトーチのような松明が幾本も立ち並んでいる。
そして、令たちが見つめる先、約20mほど離れた場所に階段状に高くなった玉座。 その玉座に座る王らしき人物。
傍らに控えるのは細身で金髪・長髭の青褪めた老人。肩に大鷹をとまらせている。
そしてもう一人、魚の鱗のような皮膚、半魚人のような耳を持った美しい女。
王は蒼い服の上に金の肩掛けを纏い、手には細い杓仗のようなものを持っている。
頭には茨のようなとげが突き出した金の王冠。 左右の人差し指には豪華な指輪。
聡明そうな瞳に他を圧倒するオーラ。
「・・・ソロモン王・・・」 小さく祥子は呟く。
その偉大な姿はイタリアで見た中世のどんな王の肖像よりも堂々としたまさしく ”真の王” の姿だった。
「間違いないわね」
蓉子が祥子の小さな呟きに答える。
「お姉さま、ここは・・・。 どうやってここにきたのでしょう?」
ささやくような小さな声で祥子が蓉子に問う。
「わたしたちもついさっき目覚めたばかりなのよ。 あなたと大差ないわ。
起き上がったらあの3人がこちらを見ながらしゃべっていた、ってわけ。
何語か聞いたこともない言葉なのでさっぱり意味はわからないわ。
ただ、敵意は感じない。
だいたい、みんな自分の武器を持ってるでしょ。 武器を取り上げられてはいないのよ・・・。 まぁ令は仕方ないけど」
令は、先ほどのベリアルとの戦闘で黄薔薇の十字剣、自慢の超長刀を弾き飛ばされたため丸腰だった。
『ようこそ、勇者たちよ』
ふいに玉座に座る王から声が掛かる。 それは厳かにして流暢な日本語だった。
『少々お待たせした。 汝らの言葉を知らなかったのでな。 ここいいる”アガレス”に言葉を貰っていたのだ』
と、わずかに視線を金髪の老人に走らせる。
細身で金髪・長髭の青褪めた老人。 ソロモン72柱の魔王の次席にしてすべての言語を操る、魔神・アガレス。
その力はベルゼブブを除くすべての魔王を超え、ゆえに 「魔王」 ではなく 『魔神』 と呼ばれる。
魔界において31個軍団を率いる、地獄の23人の公爵の主席。
ソロモン王はアガレスの能力を使役し、自らも日本語を操れるようになった、ということだろう。
ソロモン王の視線を受けたアガレスはもう一人、傍らに控えていた女を伴い王の背後に消える。
『余は、そなたたちのような勇者を待っておった。 よく来た』
蓉子たちにとってそれは信じられない言葉。
ソロモン王は現世を魔界に落とし、魔物による 『千年王国』 を築く野望に燃えているのではなかったのか・・・。
『余はそなたたちを歓迎する。 そなたたちは祝福されるであろう』
ソロモン王は言葉を続ける。
蓉子たちは厳かに話を続けるソロモン王に聞き入っていた。
『余は、この世に、”神に祝福され万民が幸福に生活できる王国” の建設を進めておった。
だがそれは愚かな誤りのもとに進んでしまった。
民衆は贅沢に暮らし、飽食になれ、怠惰な生活に堕ちていった。
余の理想は閉ざされた。 それがなぜだかわかるかね?』
ソロモン王は静かに過去を振り返りながら述懐する。
『民衆は享楽にふけり自らの責任を果たそうともしない。 為政者の庇護が強力であれば強力であるほどなにもしないのだ。
惰眠をむさぼり進歩することをやめる。
余が後継者として選んだものですら自らの欲望に落ちてゆくのだ。
・・・余は孤独であった。 国のことを考える国民が一人もいない国の王など何の意味があったであろう』
王は自虐めいた笑みを浮かべる。
『余は心に決めたのだ。 余自身が未来永劫変わらぬ君主としてこの世を統治すること。
そして、その統治する土地には余自身が認めたものたちだけの楽園を作ろうと。
豚以下の人間など、生きている価値すらない。
真に生きる価値のある人間のみでこの世の楽園を作り上げ、余がそのものたちを導いていくのだ』
王は4人の薔薇十字所有者、一人ひとりを視線に収めながら言葉を続ける。
『そなたたちは余の楽園の最初の住民となるに相応しい。
そなたたちには永遠の若さ、永遠の生命を与えよう。
我が王国の建国に力を貸してはくれぬだろうか』
王は、4人の返答を待つ。 しかしその目には”否定は許さない”、という強い意志が見て取れる。
ふっ、と蓉子が笑う。
「あきれた選民思想だこと。 どうしてこの人たちはこうなのかしら?」
「まぁ、仕方ないんじゃないの? 豚以下の人間がたくさん居るのは真実だしね」
江利子も蓉子に笑い返す。
「それにしてもソロモン王、私たちはあなたの配下の魔王をもう何体も倒しました。
三大魔王の一人、ベリアルも倒した私たちをあなたは歓迎するつもりですか?」
祥子も言葉は丁寧だが冷笑を浮かべながらソロモン王に問う。
『そなたたちの言葉はいまいち理解できんな。 魔王? それがどうした。
魔王などその力を余のために捧げるだけの存在。 意のままに動かせばいいだけのもの。
そなた達が何体倒そうと別にかまわん。 ただ少々不便にはなるがな。
現に、アガレスがいなければそなた達とこうして話も出来ぬ』
「なるほど。 あなたの統治の対象は ”人間” であって ”魔王” じゃない、ってことね?
で、あなたに従う ”出来のいい人間” だけの世界を作りたいって? ふっ、お笑いぐさだわ」
蓉子は、唯我独尊、底の浅いソロモン王の考えに失笑を漏らす。
しかし、ソロモン王はあくまでも余裕の笑みで答える。
『まぁよい。 すぐに良き返事が来るとは思っておらぬ。 余には時間は有り余るほどにある。
しばらくここで好きに過ごすが良い。 余に忠誠を誓う気になればここに会いに来い』
「そう・・・。 好きにしていいのね?」
蓉子が笑いながら江利子、祥子、令に目配せをする。
「じゃ、お言葉に甘えて・・・。 行くわよ!」
蓉子の合図で三人は散る。
祥子と江利子は玉座の下から魔法と弓で、令と蓉子は玉座に駆け上がる。
「『アギダインっ!』 、 『刹那五月雨撃ちっ!』 『衝撃手!』 『修羅虎突き!』」
薔薇十字所有者4人による一斉攻撃がソロモン王を襲う。
祥子の高温魔法がソロモン王を燃え上がらせ、江利子の矢が次々に王の体に突き刺さる。
令の掌底の一撃が腹を抉り、蓉子の突きが喉を切り裂く。
並みの魔王であれば影も形も残らないほどの強烈な攻撃。
しかし、驚き飛び退いたのは薔薇十字所有者4名。
いったんボロボロに崩れたソロモン王の体が瞬く間に復元していく。
『素晴らしい魔法。 素晴らしい攻撃。 素晴らしい闘気。 一糸乱れぬ攻撃を生むその統率力。
何もかもが素晴らしい。 まさに余の理想とするものだ。
・・・だが、覚えておくが良い。 余にはそなたたちのどのような攻撃も効かぬ。
余は不死にして万能。 すべての智恵を持つものである。 余に服従せよ』
これだけ攻撃したというのにソロモン王は蓉子たちに敵意すら見せない。
さすがの蓉子もこれではお手上げである。
(まいったわね・・・。 これじゃどうしようもないじゃない・・・)
蓉子はソロモン王にゆっくりと背中を向ける。
「それでは王よ。 私たちはお言葉に甘えしばらく考える時間をいただきます。
その結果、あなたに服従すべき、と考えるようになればそういたしましょう。
そうですね。 期限は3日。 その期限が切れたら私たちを好きにしなさい」
「お姉さま!」 祥子が驚いた声を出す。
「仕方ないわ。 今は蓉子に任せましょう」
江利子も何か考えがあるのか蓉子の考えを支持するようだ。 令はもちろん江利子の言葉に頷く。
『では三日後の正午、またこの場所で返事を聞こう。 もちろんそれより前であっても一向に構わぬ』
ソロモン王の言葉はあくまで厳粛に響く。
それは支配することに慣れたものの声。 絶対君主の威厳を持っていた。
☆
蓉子たち4人はソロモン王の前を去る。
王に背を向けた蓉子は自分たちの背後に開いていた扉から外にでる。
そこはわずかに上方に向かって伸びるスロープになっていた。
「で、蓉子、このあとどうするつもり?」
スロープを上りながら小さな声で江利子が蓉子に話しかける。
「そうね。 好きにしていい、ってことだから好きにさせてもらいましょう。
とりあえずは・・・。 そうね。 ピラミッドを探索しながら魔王退治、といきましょうか」
「「魔王を退治するのですか?!」」
祥子と令が驚いて蓉子を見る。
「えぇ、聖たちがここに来るためにはまだ70体近くの魔王と戦わないといけないわ。
さすがにそれは無理でしょう? わたしたちでできるだけその数を減らしておきましょう」
蓉子は平然と言い放つ。
「あの・・・。 聖さまがここにくるのですか? かなりひどいお怪我をしていたようですが・・・」
祥子は信じられない、という顔で蓉子の顔をのぞき見る。
「わたしたちが魔王の数を減らしておけば、間違いなく聖は2日以内にここまで来る。
何か突発的な事故が起きた時のことも考慮して3日、って言ったのよ」
蓉子の顔は確信に満ちていた。
『ミラクル江利子ビーム泣かないでお姉さま眼がくらみます』2/3
【No:3331】【これ】【No:3420】
念を受け取り損ねてまさかのBGN(笑)【No:3336】
薔薇の館前で立ち回りが繰り広げられていた頃の放送室。
「失礼します……あ、先生。小母さまも!」
現れたのは福沢祐巳とその妹の松平瞳子だった。ごきげんよう、と二人と小笠原清子さまと鹿取真紀は挨拶した。
「お二人も審判なんですか?」
「審判、というよりはスタッフね。開始のチャイムを鳴らしたり、不測の時の案内を流したり、終了のチャイムを鳴らすのよ」
なるほど、と二人はうなずく。
「それで、福沢さんたちは何をしに来たのかしら?」
真紀は尋ねる。
「これを」
祐巳が差し出した書類に真紀は驚いた。
覗き込んでいた清子さまが小さな声で「まあ」と呟く。
それは『放送室使用許可証』で、時間はこのイベントの開始から終了までの間で、渥美先生のサインも入っていた。
「やるわね。リリアンOGの先生だとサインがもらえない可能性もあるから渥美先生を使うとは」
「ええ。あのお姉さま方が相手なのでいくつかハンディを頂きました。他にもいろいろありますよ」
ついでに、といくつかの書類の写しを見せてくれた。本物は薔薇の館にあるらしいが『学園内火器取扱許可書類』なんてものまである。
「福沢さん、こんなものまで許可を!? あなたたち、何を――」
「いざという時連絡代わりにロケット花火をあげるんです。戦国時代の『のろし』みたいなものですよ」
意に介さないというように祐巳は答える。
「本当に祐巳ちゃんは面白いわね」
楽しそうに清子さまは笑っている。
「お姉さま、そろそろオペレーション『ロサ・カニーナ』を発動しなくては」
ちらり、と時計を見ながら瞳子が促す。
「ああ、そうだった。失礼します」
祐巳が慣れた手つきで機材を操作すると、音楽が流れてきた。それは、運動会でお馴染の曲だった。
「テープは二時間で自動停止します。不測の事態以外は止めないでくださいね」
「許可証があるのだからそうするしかないわね」
真紀の答えに満足したのか二人は出ていった。
「ふふ、どっちが勝つのかしらね?」
自分の娘が戦っているというのにのんきにお饅頭をパクつきながらお茶をすする清子さま。
「それはわかりませんね」
その答えに清子さまは微笑む。
「真紀さん、当分やる事もないでしょうからあなたもどう?」
「恐縮です」
二人はお茶を飲みながらまったりと時間を過ごした。
◆◇◆
再び校舎内に入るとスピーカーから曲が流れてきた。
「何? この運動会みたいな曲は?」
令がピクリ、と眉をあげる。
「事前に許可を取っておけば設備や備品はかなり自由に使えるからね。どうやら本気みたいだ」
ある程度は想定内だが、音楽を流してくるとは。それも、ノリノリの行進曲をわざわざ選ぶとは。
祥子は何度も振り向く。
曲で足音が消されて背後から狙われるのを気にしているのだ。
「まあ、時間的にまだ校舎内にはいるはず」
聖は活きのいい後輩を思い浮かべ、ウチワを握る手に力を込めた。
こちらが『鬼』ということになっているが、攻撃できるのは向こうの方。こちらは攻撃に怯えながら『子』を捕まえに行くのだから割に合わない。
校舎内にはところどころに審判役の卒業生がいた。ずっと立ってるわけにはいかないので、近くの教室から椅子を持ち出して本を読んだりしているが、聖たちの姿を認めると慌てて立ち上がり戦闘に備える。
日曜日だというのに、皆さまもご苦労さまです。
「!?」
気配に気づいて振り向くと、祐巳ちゃんがそこまで迫っていた。後ろには瞳子ちゃんも見える。
滑るような独特の動き。ローラーシューズを履いているようだ。
――シャアアアアッ
ノズルをシャワーに切り替えて乱射してくる。
捕まえようとするとゆっくりと後退して誘ってくる。
「お?」
しばらく繰り返しているとシャワーの勢いが弱まってきた。
「ふっ、福沢祐巳、破れたり」
「それはどうでしょう? 瞳子!」
祐巳ちゃんは持っていた水鉄砲を後ろに放り投げると同時に屈んだ。
タイミングよく祐巳ちゃんの足元に水鉄砲が滑ってくるので拾い上げると同時に撃ってくる。
勢いを取り戻したシャワーに、間合いを取る。
「妹の水鉄砲を使うだなんて、ルール違反でしょう!」
「水鉄砲を取り替えてはいけないというルールはありませんし、審判にも問題ないことを確認しました」
祐巳ちゃんの後ろにいた審判役の卒業生を見て令が叫んだ。
「叔母さん!」
「呼んだ? 令ちゃん」
由乃ちゃんのお母さんらしい。
祐巳ちゃんの水鉄砲を拾った瞳子ちゃんが時計を確認し、給水を開始した。
「今瞳子ちゃんは動けない! 援護はないんだから、捨て身で行くっ!!」
三人でウチワでしっかりと前をガードし突進すると、祐巳ちゃんは間合いを詰められるのを嫌がったのかローラーシューズで滑りながら一気にバックしたが、勢い余って水飲み場をはるかに通り過ぎてしまう。
「あらら」
「よし、もらった!」
瞳子ちゃんに飛びかかった瞬間、向こうから抱きついてきた。
「え?」
「聖さん、アウト!」
給水を中断し、瞳子ちゃんは聖に0距離射撃を敢行したのだ。具体的には、ボトルの水を直接ウチワとの隙間にねじ込むようにかけただけだが。
「途中で攻撃するとそこで給水は終わりだそうですが、その価値はありました」
瞳子ちゃんの両脇を令と祥子が捕まえる。
「戦略的撤退!」
水を発射しながら祐巳ちゃんは脇の階段を使って逃げていく。
「待ちなさい、祐巳!」
「深追いしちゃ駄目だ、祥子。トラップがあるかもしれない!」
令と祥子は諦めて見送って、聖のゼッケンに目をやった。
「あ〜、やられましたね」
「抱きついて令のも濡らしてやろうか?」
「味方を不利にしてどうするんですか」
八つ当たり気味に聖が言った言葉へ祥子が突っ込む。
由乃ちゃんのお母さんが聖に告げた。
「ゼッケンが濡れたのでリタイアね。薔薇の館で決着がつくまで待機してるのよ。それと誤爆防止のために……失礼」
由乃ちゃんのお母さんは聖のゼッケンに大きく『落伍者』と書いた。
なんだか人生の落伍者になったみたいで落ち込んだ。
◆◇◆
音楽が鳴り始めた直後、薔薇の館からかなり離れた高等部敷地の隅。
「まさかもう菜々ちゃんが来てるとは思わなかったよ」
乃梨子は目の前の後輩につぶやいた。
「二台用意して正解でしたね」
二人は事前に用意して隠しておいた自転車にまたがった。
事前に許可をもらってあるので問題ない。
「救出オペレーション『ロサ・フェティダ』開始!」
「ラジャー!」
途中まで並んで走り、薔薇の館の直前で別れてスピードをあげた。
音楽のおかげでかなり近づくまで気づかれなかった。
「自転車!?」
「そこまでやるかっ!」
薔薇の館の前にいた蓉子さまと江利子さまは仰天している。
「可愛い後輩のやることぐらい大目に見てくださいよ!」
お二方はゼッケンをウチワでガードして薔薇の館に逃げ込もうとする。
「おっと!」
素早く回り込んで、挟み込むようにする。
「くっ!」
江利子さまがライトで菜々ちゃんの目を狙い、怯ませた隙にお二方は逃げていく。しかし、狙いはお二方ではないので問題ない。
――シュッ!
――シュッ!
二人でほぼ同時に旗を狙った。
すぐに気づいたようで薔薇の館の中の山村先生が顔を出すと確認して、旗を引っ込める。
まもなく水鉄砲を片手に志摩子さんと由乃さまが出てきた。
「リスタートね。まずは借りを返しに行こうかしら」
「午前中はバラバラに行動するのではなかったの?」
「あの二人が別行動の三人に合流されて紅二人が捕まる前に、落としておかないとまた不利になるもの。さあ、早くいきましょう!」
「……いいわ。そうしましょう」
乃梨子と菜々ちゃんはそれぞれのお姉さまを自転車の後ろに乗せて捜索を開始した。
「あれ?」
自転車で走っているととぼとぼと聖さまが独りで歩いてくるのが見えた。
水鉄砲を構えて近づくと、聖さまは「ホールドアップ」と言いながら両手をあげた。
ゼッケンには『落伍者』と書かれている。
「あらら、もう落ちましたか」
「『もう』ってね」
ムッとした顔で聖さまは乃梨子を睨みつける。
「『落伍者』って凄いですね」
「これを書いたのは由乃ちゃんのお母さんなんだけど」
口元をヒクヒクとさせながら菜々ちゃんに説明する。
「いっぱい書くの面倒だったんでしょうね。『歩く産業廃棄物』とか『生きてるだけで役立たず』とか字数が多いですから」
「そんな事書くのか、君のお母さんは」
ガクッ、と脱力した様子で聖さまはつぶやく。
「たとえ『クズ』とか『おミソ』などと書かれたとしても私の中のお姉さまの価値が変わるわけではないのでご安心ください」
次の瞬間、聖さまは膝から崩れ落ち、うつむいて地面にのの字を書きだした。
「お、お姉さま!?」
オロオロしながら志摩子さんは自身のお姉さまを慰めようとするが、由乃さまが「傷口を広げてどうする?」と言って引き離す。
とどめを刺したのは間違いなく志摩子さんです。
聖さまの目に涙が光っていたのを見なかったことにしたのは由乃さまの言うところの武士の情けである。
◆◇◆
「まずいわ。自転車に乗って攻撃してくるとは……」
江利子さまは額に汗を光らせたまま考え込んだ。
「建物の中までは自転車に乗りこんで攻撃してこないから安心して」
言いながらも開け放した扉から蓉子さまは目が離せないようだ。
「あの――」
「何?」
同時に江利子さまと蓉子さまは質問者築山三奈子を見た。
「ここで戦闘になると、機材が――」
この場所はクラブハウスの新聞部部室。
先輩の権限で無理矢理ここで今回のイベントの記事の一稿をまとめていたらこのお二方が転がり込んできたのだからたまらない。
「万が一被害を被った場合は同窓会が責任を持って弁償するって言ってたから安心なさい」
「そうそう。最新式のパソコンとプリンタが入るわよ、きっと」
戦場にして最新式を導入させて後輩を喜ばせたら。なんて言ってくれちゃってお二方は出ていく様子を微塵も見せない。
「部外者を勝手に入れるのは――」
「あなただって卒業したんだから部外者でしょう?」
「向こうに有利になるような事をするなら敵とみなして盾にさせてもらうわよ」
一つ上の先輩で、薔薇さまとしてリリアン女学園高等部に君臨していた三薔薇のうちの紅と黄なのだ。三奈子がかなう相手ではない。
「ところで、そろそろお昼ごはん食べたいのだけど」
「審判に言えば用意してもらえるのでしょう」
時計を見ると正午にはまだ早かったが今のうちに食べておこうということなのだろう。
三奈子は鞄からパンを数個とコーヒー牛乳を取りだした。
「私が用意してあるのはこれくらいです。事前の説明の通り、ミルクホールか職員室か薔薇の館に行けばお弁当とお茶が出ます」
二人は相談した末に祥子さんか令さんにここに届けさせようと携帯電話でメールを送った。
「あ、もう来た」
江利子さまの携帯電話にメールの着信があった。
ちらり、とチェックすると蓉子さまに見せながら言った。
「聖が落ちたけど、瞳子ちゃんを捕まえたから薔薇の館に向かうって」
「白い人、本当に役に立たないわね」
このお二方にかかっては聖さまも形なしである。
「薔薇の館に戻る? それとも他に行く?」」
お二方はああでもない、こうでもないと考えた末結論を出した。
「……職員室に行きましょうか。五人で待ち伏せされてたら全滅の危険もあるし」
「そうね」
ブツブツいいながらようやく出ていった。やれやれ、と思ったら。
「お姉さま方、お待たせしました」
お弁当を四つ、お茶を四つ持った祥子さんと令さんが現れた。時間がかかったのは現役組との接触を避けて隠れながらの行動だったためだろう。
「お二人なら、さっき出ていったわよ」
祥子さんがポケットに入っていた携帯電話を確認し、二人はようやくお姉さま方が職員室に向かったことを知った。
「わかったら――」
「もう、お姉さま方ったら気まぐれでよくないわ!」
「まったく、妹の時代がなかったわけじゃないでしょうに」
三奈子のことなど無視するように祥子さんと令さんは椅子に腰を下ろす。
「あ、あの?」
「三奈子さん、お昼がまだでしたらこれ、どうぞ」
「お茶もあるわよ」
二人は同時に余った二つのお弁当とお茶を三奈子の前に置く。
「そうじゃなくって。ここを戦場にするわけにはいかないので、場所を変えてほしいのだけど」
すると二人はこう言った。
「万が一被害を被った場合は同窓会が責任を持って弁償するのでしょう?」
「たぶん最新式のパソコンとプリンタが入るわよ。いっそ戦場にして妹さんたちを喜ばせたら?」
だって。この、似たもの姉妹が。
◆◇◆
職員室といえばリリアン卒業生の先生がおられる現役生にとっては『アウェー』の地。
だから大丈夫だろうとこちらに来たのに、祐巳ちゃんがお弁当を取りに来たのと鉢合わせした。
「あ」
三人の声が混ざり合い、次の瞬間乱闘になった。
――シャアアアアッ
シャワーを乱射して振り回してくる。
射程が短いのである程度近づかなければなんとかなりそうだ。
水のかかりそうな距離まで近づき、バックステップで避ける。
――スッ!
祐巳ちゃんの靴にローラーがついているらしく一気に間合いを縮められた。
「えいっ!」
水鉄砲を狙って蹴りあげ、ガードが甘くなったところを突き飛ばす。
「うわっ!」
吹っ飛ぶ祐巳ちゃんから逃れ、振り向くと祐巳ちゃんは倒れていた。
「よし、捕まえて薔薇の館に行きましょう!」
祐巳ちゃんがピクリとも動かない。突き飛ばした時の打ちどころが悪かったのか。
「フォローお願い」
何かの罠かもしれないので、江利子を残してそっと近づき声をかけるが祐巳ちゃんは動かない。
「祐巳ちゃん!?」
覗き込んで肩を叩くがぐったりしているようなので、慌てて脈や呼吸を確かめようとした時だった。
――シャアアアアッ
「蓉子さん、アウト!」
審判役の卒業生の声がかかった。
背後ではタタタと足音が遠ざかる。
江利子はリタイアした蓉子を切って体勢を立て直す気なのだろう。正しい判断だが、納得いかない。
「子ダヌキのタヌキ寝入りに引っかかるとは……」
「古ダヌキが引っかかりましたか」
「こーら」
めっ、というように睨むと、へへへ、と笑って起き上がる。
瞳子に習った甲斐があった、と言いながら祐巳ちゃんは職員室に入っていった。
「さて、あなたにも誤爆防止の処置をしましょうか」
嬉しそうに卒業生は蓉子のゼッケンに『落人』と書いた。
「リタイアした人は薔薇の館で決着がつくまで待機だから。お弁当はそこでいただいたら?」
目の前の職員室から美味しそうな香りがしてくるのにわざわざそっちに行くのかよ。あれはデリバリーの御御御付、薔薇の館の方はたぶんインスタントだろうな。
あ〜、罠かもしれないって一瞬思って江利子を残したのに引っかかってしまうとは。
とぼとぼと薔薇の館につくと江利子が来ていた。
「……」
ランチは『落伍者』佐藤聖、『落人』水野蓉子、鬼(生き)の鳥居江利子、捕らわれの松平瞳子、審判の山村先生という取り合わせになった。
ちなみにこちらは中華スープのサービスがついていた。
黙って食べていたのだが、突然聖が呟いた。
「……『落人』ねえ……『落人』。なんか、貢いで尽くして捨てられて風俗の最下層に売られちゃった元エリートみたい」
カチンときた。
薔薇の館に入ってきた瞬間、他人のゼッケンを見て「これで私だけじゃない」って安心したような顔したの見逃さなかったわよ。
ねぎらってとまでは期待しないけど、自分の立場忘れてそこまで言うわけ?
「何言ってるのよ、『落伍者』が。大学出て三日でクビになるニートな感じがうつりそうだから近寄らないで」
しっ、しっ、と手で追い払う。
「なんですとう?」
次の瞬間、互いに睨み合う。
「この二人、いつもこうなの?」
呆れたように山村先生が江利子に尋ねる。
「バカ夫婦がお互いの傷をなめ合ってじゃれ合ってるだけですから、気にしないでください」
「どさくさにまぎれて変な事言うんじゃないよっ!」
「誰が夫婦よっ! こんなの旦那にしたら『落伍者』や『落人』じゃ済まないでしょっ!!」
「喧嘩してる場合じゃないでしょう『落伍者』と『落人』。まだ勝ちが残ってるんだから、どうせイチャつくんなら生きてる選手を気持ちよく送り出すような夫婦漫才でもしてみせなさいよ」
「だから、夫婦じゃないっ!!」
聖と蓉子の声が綺麗にハモった。
瞳子ちゃんが『この空気で囚人状態は目茶苦茶きついんですけど』なんて思っていた事は知らない。
◆◇◆
お弁当を食べ終わった頃に令の携帯電話に着信があった。お姉さまからだった。
「もしもし? どうしました?」
『二人とも生きてる?』
この場合の『生き』はリタイアしていないということなので、令ははい、と答えた。
『薔薇の館に戻れる? 蓉子もリタイアしてしまって』
思わず祥子の顔を見る。祥子は何か察したらしく、眉間にしわを寄せる。
『これで三対五よ。午後はシビアな戦いになるから慎重に。わかってるわね?』
「わかりました。十分以内にいけないときはメールします」
『OK』
通話を終えると祥子が聞いてきた。
「お姉さまに何かあったの?」
「リタイアしたって」
ある程度想像できていたのか祥子は、そう、としか言わなかった。
「それで、江利子さまの指示は?」
「薔薇の館に」
「わかったわ」
三奈子さんと別れ、慎重に進む。通常五分もかからない場所に十分くらいもかかってしまった。
「遅くなって済みません」
「いいのよ。もう、ミスしたら負けが確定的になるんだから、とにかく生き残ってくれる方が大事よ」
ちらちらと旗を確認しながらお姉さまがいう。
部屋の隅でゼッケンに『落伍者』、『落人』と書かれた二人がどんよりとした空気をまとって座っている。
捕らわれているはずの瞳子ちゃんの方がずっと元気がよさそうだった。
「ここで作戦を練ることはできないから、移動して、残りを確実に捕まえましょう」
ここで綿密な作戦の打ち合わせをしたら、瞳子ちゃんが救出された場合こちらの作戦が筒抜けになってしまう。
向こうはそれを見越してわざと救出にこないのかもしれない。
慎重にウチワでガードし、薔薇の館の裏手に来て、背中を薔薇の館の壁に向けて相談を始めた。
今までの流れを整理すると由乃確保→志摩子確保→聖さまリタイア→由乃・志摩子救出→瞳子ちゃん確保→蓉子さまリタイア→現在。(ケータイメールの時間順)
「一人ずつなら何とかなりますが、五人いっぺんに相手にするなるともう、アウトでしょうね」
自転車を使ったり、施設を利用したりとかなり有利に向こうは進めている。まだ隠している手もあるかもしれない。
「職員室前で大立ち回りをやってたのに様子を見に来なかったってことは残り四人はミルクホールかしら」
「……まだいるでしょうか?」
「勝負に出る? コケたら全滅よ」
「……やりましょう」
祥子の言葉に令もうなづいた。
「手加減はしない、いや、できないわよ」
「構いません。全力を尽くしてないのに負ける方が悔しいですよ」
「じゃあ、いっちょやりますか」
三人で覚悟を決めて茂みから出ると準備を整えミルクホールに向かった。
隠れようと思った茂みに自転車が二台置いてある。
お姉さまと祥子がそれを隠し、令はそこに隠れた。
乃梨子ちゃんと菜々ちゃんが近づいてくる。
「あれ?」
「まずい! 逃げ――」
気づいた乃梨子ちゃんが叫ぶ前に令は竹刀でぶった。加減したが、脳震盪を起こしてしまったようで膝から落ちた。続いて菜々ちゃんも撃ちすえる。
異変に気づかれたようで「深追い無用っ!」とお姉さまの声がする。
戻ってきた祥子が乃梨子ちゃんを取り押さえて縛り上げ、落ちていた水鉄砲の水を捨てる。
「卑怯です」
乃梨子ちゃんが令を睨んで言う。
「『鬼』の攻撃はルールで規定されていない」
「こうなっては仕方がありません。ですが、令さまをリタイアさせたのですからこちらにとっても悪くはありません」
「何を言ってるの? 私がいつ――」
「嘘だと思ったら確かめてください」
そっとゼッケンをずらした瞬間。
「令、駄目っ!」
横から水がかかった。
菜々ちゃんがこちらの方に向かって水鉄砲で放水していた。
次の瞬間、お姉さまが後ろから菜々ちゃんに襲いかかり、水鉄砲を取り上げて、祥子と連携して取り押さえる。
「……もう、なんて単純な手に引っかかってるのよ〜。水鉄砲を振り回してるのに気づかないだなんて〜」
濡れたゼッケンを見てがっかりした表情でお姉さまが言う。
「確かめる前に菜々ちゃんを取り押さえてほしかったわ。こっちは乃梨子ちゃんで一杯だったのだから」
祥子がため息をつく。
そしてお姉さまと祥子は同時に言った。
「令ちゃんの、ばかっ」
令はがっくりとその場で膝をついて泣いた。
〜【No:3420】に続く〜
深々と降り続ける雨の中、私は見送ることしかできなかった。
次第に心が闇に落ちていく…。
そんなことを感じながらも、唯々見つめることしか…。
・・・・・
・・・
・
梅雨も終わりに近づいたある日の放課後、私は母校であるリリアン女学園を訪れていた。
訪問の目的は、あの子に会うこと。
唯、それだけのために…。
銀杏並木を歩いていると何人かに声をかけられた。
「ごきげんよう。ロサ・キネンシス!!」
「ごきげんよう。うふふ、私はもうロサ・キネンシスではないわよ」
「あっ!!申し訳御座いません!!」
「いいのよ、何だか懐かしくなったけれどね、嬉しいわ」
皆、私のことを覚えていてくれたみたいで素直に嬉しかった。
しばらく歩いていると、見知った人物が私に声をかけてきた。
「お久しぶりです。蓉子様」
「久しぶりね、蔦子ちゃん」
「今日はどのような御用で?」
「少し用事があってきたのよ」
「薔薇の館でしょうか?それとも…。」
蔦子ちゃんは、私がここに来た目的を大筋で分かっているようだ。
私は、苦笑しながら
「両方よ…。」
と誤魔化し、答えることしかできなかった。
「そう…ですか…」
少しだけ二人の間に沈黙が訪れ、
「あの子ならミルクホールにいると思います」
「ミルクホールに?」
「はい」
少し意外だった。
あの子は特に用事がない限り、学園に残っているような子ではなかったからだ。
「放課後になると、少しの間窓の外を眺めた後、ミルクホールに行くんです」
「そうなの」
「特に何かをしているってわけではないんです。唯、同じように窓の外を眺めているだけ」
「…分かったわ、教えてくれてありがとう」
「いいえ、私にはこのくらいしかできませんから…。」
蔦子ちゃんの表情が曇るのを私は初めて見た。
(こんなに心配してくれる友達がいることをあの子は知っているのかしら?多分わかっているか…)
その後、少しやり取りした後、その場で別れミルクホールへと足を進めた。
ミルクホールに足を踏み入れて私は少し驚いた。
(放課後なのに結構人がいるのね…。)
ミルクホールの各テーブルには、同級生らしい子達で談笑していたり、スールらしい子達で談笑していたりと賑わいを見せていた。
(私の記憶では、それ程でもなかったような気がしけれど…)
私は早速、あの子を探し始めたがすぐに見つかった。
一ヵ所だけ、この空気にそぐわないテーブルにあの子はいた。
(蔦子ちゃんの言っていた通りね…。)
私はそのテーブルに向かおうとし、きびすを返した。
向かった場所は自動販売機。
(落ち着いて話をするなら、何か飲みながらのほうがいいわね。何がいいかしら?)
ふと思い立って、すぐイチゴミルクを2本購入し、あの子のいるテーブルへと向かった。
しかし、歩き出してすぐ歩みを止めた。
視線の先では、あの子の前に二人が並んで挨拶をしていた。
二人のうち、一人は良く知っている。
色々と問題を起こしてくれた当時の新聞部部長、そう築山三奈子だった。
(もう一人は誰かしら?見覚えがないわね…。)
なんとなく、今のあの子の雰囲気と似たような印象を含んでいる。
私は少し様子を見ることにした。
二人は、席に座ると話し始めた。
10分程たったとき、三奈子が席を立った。
(部活でも行くのかしら?)
三奈子は二人に挨拶すると早々にミルクホールを出て行った。
残った二人は2〜3分ほど窓の外を眺めていたが、また話し始めたときだった。
(!!笑っている)
そう、あの子が笑っていたのだ。
私が聞いていた話では、万人には志摩子のような、それよりももっと無機質な微笑みしか見せないと聞いていたのだ。
笑うことも、怒ることも、泣くところも・・・。
あの日以来、あの子から見ることのできなくなった表情の一つが今花開いているのだ。
そう、まるで太陽のように。
そのとき、私は周りの空気が変わっていることに気がついた。
(どうしたのかしら?)
先程まで、楽しそうに談笑していた殆どの子達があの子達の方を見ていたのだ。
(なるほど、そういうことか)
私の記憶より、ミルクホールにいる人の数が多いと思っていたら殆どの子達はあの太陽を見に来たのだろう。
見ることができなくなった、あの太陽を…。
私はしばらくの間、その場の空気に身をゆだねてから「ふぅっ」と軽く息を吐いて出口の方に歩いていった。
ミルクホールを出た後、私はその足で薔薇の館へと向かった。
(ここも久しぶりね…。こんなに早く来るとは思ってもみなかったけど…。)
扉を開け、階段に差し掛かるところで、踊り場にある三色の薔薇で彩られたステンドグラスが目に入った。
(毎日通っていたときは、それほど気に留まらなかったけど、何だか時を感じるわね)
一息ついてから階段を上り、ビスケット似と称されている扉をノックした。
すぐに中から「少々お待ちください」と聞こえ、扉が開いた。
「ごきげんよう、元気にしていた?」
「ごきげんよう、蓉子様!!」
中にいたのは、志摩子と由乃ちゃんだった。
「蓉子様、本日はどのような御用で?」
「うふふ、貴方達の顔を見に来たのよ」
私は嘘をついた。
薔薇の館に来たのは、当初の予定が達成できなかったため、なんとなく来たのだ。
「ありがとう御座います」
見たところ、我が妹の祥子はいないようだ。
「祥子はまだ来ていないのかしら?」
「はい、もう少ししたらお見えになると思います」
「そう。では待っている間にお話でもしましょう。最近どう?」
それからは、由乃ちゃんに紅茶を入れてもらい。話に花を咲かせた。
なんとなく部屋の中を見渡す。
(私のいたころと、変わっていないわね、いい意味でも、悪い意味でも…。)
ふと、先ほどミルクホールでの光景を思い出した。
一人の笑顔を観るために、何人もの人が集まるあの光景を…。
私は自分の夢(薔薇の館を人の絶えない場所にしたい)を思い出し、あの光景と薔薇の館を重ねながら、唯々残念にお思い、時の流れを感じていた。
※この記事は削除されました。
「マホ☆ユミ」シリーズ 「祐巳と魔界のピラミッド」 (全43話)
第1部 (過去編) 「清子様はおかあさま?」
【No:3258】【No:3259】【No:3268】【No:3270】【No:3271】【No:3273】
第2部 (本編第1章)「リリアンの戦女神たち」
【No:3274】【No:3277】【No:3279】【No:3280】【No:3281】【No:3284】【No:3286】【No:3289】【No:3291】【No:3294】
第3部 (本編第2章)「フォーチュンの奇跡」
【No:3295】【No:3296】【No:3298】【No:3300】【No:3305】【No:3311】【No:3313】【No:3314】
第4部 (本編第3章)「生と死」
【No:3315】【No:3317】【No:3319】【No:3324】【No:3329】【No:3334】【No:3339】【No:3341】【No:3348】【No:3354】
【No:これ】【No:3360】【No:3367】【No:3378】【No:3379】【No:3382】【No:3387】【No:3388】【No:3392】
※ このシリーズは一部悲惨なシーンがあります。また伏線などがありますので出来れば第1部からご覧ください。
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。
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☆
〜 10月2日(月) 12時30分 I公園騎士団本部 → 暗黒ピラミッド内部 〜
瀕死状態に陥っている令と由乃。
その2人をピラミッド入口まで『妖精の翼』で運んだ聖は騎士団本部に医療班を要請。
すぐさま救護テントに運ばれた令と由乃の措置を指示する。
祐巳の言う、『治療→拘束→結界』、という一連の手順を説明した聖であったが、その不可解な指示の説明を求められ説明に時間を取られてしまった。
ただ、聖自身がほぼ無傷であったことが騎士団に安心をもたらす。
祐巳の指示を伝えた聖は、医療品、ドリンク剤、食料などを持って再度ピラミッドに帰っていった。
☆
〜 同時刻 暗黒ピラミッド内 〜
小部屋の壁に掛けられた松明の明かりが祐巳の顔を照らしている。
部屋の中央部に座った志摩子は、膝の上でかすかな寝息を立てている祐巳をぼんやりと見ていた。
額に浮かぶ脂汗は相変わらずだが、安定したリズムで刻まれる寝息が志摩子をようやく安心させる。
聖は令と由乃を運んで地上に戻っている。
おそらく今頃は騎士団本部で治療の指示をしていることだろうな、と思う。
祐巳の傍らには 『セブン・スターズ』 。
それを振るっていた祐巳の右腕は本来あるべき位置にはなく・・・。 部屋の片隅に転がっていた。
その腕を見つめる志摩子。
しかしその瞳はあの時の光景を映していた。
一連の映像として記憶にくっきりと刻まれたそれ。
一生その記憶は志摩子の脳裏に刻まれるのだ。
そしてずっとあとになってもあの瞬間のことを突然思い出し、後悔に叫びだしたくなるのだろう。
自分自身のふがいなさと共に。
気がつけば志摩子は祐巳の顔を見下ろしながら滲んでゆく祐巳の顔を眺めていた。
握りしめた拳は祐巳の胸の上で微かに震えている。
ぽたり・・・と涙が落ちる。
一滴だけこぼれた涙はぎゅっと目を閉じた志摩子の瞳からあとからあとから流れ落ちる。
山梨での祐巳との修業が思い出される。
厳しい修業を耐え抜き、多少は強くなった気がしていた。 精神的にも肉体的にも。
だがそれは単なる志摩子の自己満足だったのか。 自分が強くなったと錯覚していただけだったのか・・・。
祐巳の力量は自分のはるか上をいく。
祐巳のおかげで自分自身が弱いことを自覚し、祐巳を守ることで強き者へとステップを上がってきたのではなかったのか。
自分自身を高みへと導いてくれた祐巳に感謝してもしきれないのに・・・。
その代償は祐巳の右腕を失う事という悲惨な結果となって志摩子にのしかかる。
すっ・・・と。 柔らかな感触が志摩子の頬を撫でる。
はっ、と志摩子は閉じていた瞳を開く。
「どうして泣いてるの?」
ほほに触れた手のひらよりももっと柔らかな祐巳の声。
涙でぼやけた志摩子の視線の先に、どこか夢を見ているような瞳でこちらを見つめる祐巳がいた。
「泣くことなんてないのに・・・」
か細い声で祐巳が呟く。
「自分のために流す涙なんて意味がない。 そうでしょう祐巳。
おばばさまに言われたじゃないの。 自分自身を悲しんで流す涙に意味はない、って」
「祐巳・・・さん?」
志摩子はぼんやりと自分を見つめる祐巳を見て不思議そうに問いかけた。
祐巳は志摩子にむかって 『祐巳』 と呼びかけたのだ。
祐巳は夢を見ている? それも自分自身を諭す夢を?
「自分のために泣く涙があるのなら、苦しい時こそそれを堪えて、誰か他人が不幸になった時にその涙を流せばいいんだよ。
泣くことで自分を慰めるつもりなの? そんなことに意味はないんだ。
他人が悲しんでる時に一緒に泣いてあげなさい。 一緒に泣いて元気付ければいいんだよ。
一緒に泣いてその悲しんでいる人を少しでも楽にしてあげられたのなら、それはきっと素敵なことなんだ」
志摩子は悟った。
祐巳の強さの秘密を。
祐巳の精神の奥底には幼い日の祐巳がいまだに涙を流し続けているのだ。
そしてその子を教え導くもう一人の祐巳。
悔恨に打ちひしがれながら、それを一切表面には出さず周囲に優しさを振りまく祐巳。
「祐巳さん・・・。 わたし、あなたのように強くなれるかなぁ・・・。
わたし弱いから泣くことで自分を慰めてないと生きていくこともできないの。 だから泣いてるんでしょうね・・・」
「あれ? 志摩子さん?」
不意に祐巳が志摩子をよぶ。
それは、つい先ほどまでの夢を見ているような声ではなく・・・
いつもの、のんびりとしたような祐巳の声だった。
「祐巳さん、夢を見ていたのね?」
わずかに微笑みを浮かべ志摩子が祐巳の髪をなでる。
「あらら、わたし夢を見てたんだっけ?」
また、なんともとぼけた祐巳の言葉。
いつもながら驚かされる。 どんなに辛い気持ちになっても祐巳の声を聞くと微笑が浮かぶのを抑えられない志摩子。
「おはよう、祐巳さん。 そしてごめんなさい」
志摩子は自分のおでこを祐巳の胸に押し当てて謝罪の言葉。
「え〜っと、どうしてわたしは謝られてるのかな?」
祐巳は、本当にいつもと変わらない表情を浮かべたままで志摩子に問い掛ける。
その顔に浮かぶのは優しい笑み。
志摩子が愛してやまない暖かな祐巳の笑顔。
この世の慈愛のすべてを体現するような祐巳。 その祐巳の細い指が志摩子の頬に流れる涙を拭う。
「志摩子さんは謝る必要なんてないんだよ。 むしろ感謝すべきは私なの」
祐巳は幸せそうに笑いながら志摩子に心の底からの言葉を伝える。
「ありがとう。 志摩子さん。 私のために泣いてくれて。 私は私の全身全霊をこめてあなたに伝えたい。
・・・ 私の全存在を持ってあなたに感謝します」
かすかな声。 でもそれは志摩子の胸に大きく響く言葉。 まるで詠うように語る祐巳を志摩子は優しく抱きしめる。
「志摩子さん・・・。 そんなに優しく抱かれると照れちゃうよ」
祐巳はちょっと恥ずかしそうに言葉をかけると、上半身を起こそうとする。
「うぐっ! う・・・ううっ・・・」
祐巳の口から押さえきれないうめきが漏れる。
喪失してしまった腕・・・。 それが切り離された肩口に激痛が走る。
上半身に力を入れたことで、心臓から送り出される血液が肩口の神経を圧迫したのだ。
まるで、体の内部から鋭い錐で抉られるような痛み。
「祐巳さん! まだだめ! 動かないで!」
あわてて志摩子が祐巳を支え、もう一度横にならせようとする。
「え〜ん。 志摩子さん、痛いよ〜」
祐巳は傷みでぽろぽろと涙を流すが左手で体を支えたまま。 横になることは断固拒否している。
「痛いけど〜。 なんとか腕をくっつけとかないとお姉さまにあったとき心配されちゃうでしょ?
それにバランスが取れないし〜。 え〜ん。 痛い〜」
「で・・・、でも祐巳さん、どうするの? 『理力の剣』でもう一度傷口切ったら痛いよ?
それに、治療するだけの体力、あるの?」
志摩子はどうすればよいのかわからない。
祐巳の痛がりかたはちょっと普通の人とずれているが、ものすごい激痛が襲っていることはその額に浮かぶ脂汗でわかる。
「ん〜っと。 あそこに転がってる私の右腕・・・。 あれをくっつけようかなぁ・・・。 でも痛いの嫌だしなぁ・・・」
情けないような困った顔の祐巳。
「とりあえず腕は取って来るから! それにどうするかは聖さまが帰ってから決めよう?! ね!
もう痛み止め全部飲んじゃったから・・・。 もう少し横になってて!」
志摩子はゆっくりと祐巳を横たえ、右腕を拾いに走る。
さっと持った瞬間。 志摩子は祐巳のものであった右腕があまりにも細いことに気づく。
(こんな小さな腕で・・・。 それにもう血が流れきっている・・・。 冷たい・・・)
本当にこの腕がもう一度祐巳の右腕として動くことがあるのだろうか?
志摩子は不安を押し隠して祐巳のもとに戻る。
「祐巳さん、取ってきたから! とりあえずこれにも 『癒しの光』 流しておく?」
「え〜っと。 この段階で流し込んでも意味がないかなぁ・・・。
聖さま、輸血用の血も持ってきてくれるといいんだけど・・・」
「血なら。 ここにあるわ」
志摩子が腕を差し出す。
「私の血でいいのならいくらでも使って!」
「志摩子さん! う・・・痛〜い〜。 も〜・・・。 こんなときに驚かせないでよ・・・。
心臓が止まるかと思った。」
わずかに志摩子の行動を咎める祐巳。 志摩子の血を流させることを祐巳が望むはずもない・・・。
そんなことはわかりきっていたはずなのに、志摩子は自分の血を差し出そうとしたのだ。
「うん・・・。そうだったわね。 ごめんなさい。 祐巳さん。 やっぱりわたしダメだね・・・」
「ううん、志摩子さん。 志摩子さんの行動は尊いことなんだよ。 卑下しないで。
ただ、わたしが嫌なだけなんだ。 大好きな志摩子さんに痛い思いはさせたくないの」
「祐巳さん・・・」
志摩子は祐巳に近づいてもう一度その頭を自分の膝に乗せた。
「わかった。 わたしももうしない。 だから祐巳さんももう少しだけこのままおとなしくしてて」
「・・・。 うん。 えへへ。 なんだか志摩子さん、おかあさまみたい」
ほんの少しだけ楽になったのか祐巳はまた穏やかな笑みに戻っていた。
☆
聖が再び祐巳と志摩子の待つ小部屋に戻ったとき、そこには穏やかに微笑み会う二人の姿が。
「ただいま、祐巳ちゃん、志摩子。 無事だったみたいね」
ほっとした表情で聖が二人に声をかける。
「あ、聖さま。 お帰りなさい」
と、小さな声で聖に返事をする祐巳。 志摩子は赤くなった目のまま静かに聖を迎える。
「とりあえず必要そうな医療品、大量に持ってきたから。 必要なものなんでも言って。
無い物があればまた取りに戻るからね。 ここに来る間に定点ポイントを作ってきたから、今度はすぐに戻ってこれる」
「ありがとうございます。 えっと、まず痛み止めを。 やっぱり痛いんです〜」
祐巳は聖から痛み止めを受け取ると一気にあおった。
ふぅ、と小さくため息をついた祐巳は次に腕の復元に入る。
切り取られた腕に輸血用の血液を注入。 志摩子の『理力の剣』をつかって傷口の切除。
さらに、肩口に局所麻酔の注射を打ち、『癒しの光』で再結合を図る。
2度も傷口を切り取ったため、そのまま結合すると約5cmほど腕が短くなる。
そこで、祐巳はその部分だけを『フォーチュン』で再構築を始めた。
「これをしちゃうと、半日は腕が動かせないなぁ・・・。 ま、もっとも麻酔のおかげでどうせ半日動かせないんだけどね。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
なんとか見た目だけは元の姿に戻りつつある祐巳。
この状態の祐巳を動かすわけにも行かない。
「ま、ゆっくり行くしかないよ。 みんなを助けるのは急がないといけないけど。 でもこのまま進んでもやられるだけだよ」
「はい。なるべく早く元に戻しますね。 ここはじっくりと腰を落ち着けるしかなさそうです」
祐巳も覚悟を決めたのかおとなしく聖の言葉に従う。
しかし、その時、小部屋の外に不気味な唸り声が聞こえる。
「まずいね。 また魔王が近づいてきている。 志摩子、祐巳ちゃんを壁際に。
二人で迎え撃つよ!」
「はいっ!」
志摩子の顔に覇気が戻る。
もう迷わない。 わたしは祐巳の 『守護戦士』 なんだ。
志摩子の体を包む 『ホーリー・ブレスト』 から純白のオーラが漂い始めていた。
オーラは全身を覆い、背中でブワリ、と広がる。
「綺麗・・・」 少しはなれたところから祐巳の声。
志摩子はまるで天使のような羽を纏っていた。 これこそが真の 『ホーリー・ブレスト』 の姿であった。
☆
聖は目を見張る。
現れた魔王は2体。
口元から炎を吐き出しヘビの尾を持つ巨大な狼の姿で現れた魔王・アモン。
もう一体は、紫のローブをまとった猿面人型のグシオン。
2体の魔王とも、ソロモン王の72柱のうち上位を占める魔王である。
その凶悪で強力な魔王2体が広いとはいえない小部屋に姿をあらわした。
志摩子は聖が攻撃を指示するよりも早く動き出す。
一瞬にして魔王と自分、そして祐巳が横たわる壁際までの距離を計算。
自分が死守すべき最終ラインを計算した志摩子は高速の横移動に移る。
ぶんっ、と 『ホーリー・ブレスト』 から広がる翼が志摩子の体を浮き上がらせ、魔王・アモンの上空を取る。
『旋回速漸!』
志摩子の高々度からの叩きつけるような斬撃。
その一直線の切り落としは全く避けることが出来ないでいる魔王・アモンを脳天から真っ二つにし、さらに真横からなぎ払う回転切りで上半身と下半身を両断する。
自分の後ろには、祐巳がいる。いつも自分を護ってくれた祐巳が、いまだけは自分に護られる存在になっている。
理由はそれで十分だ。
祐巳の視線が気配で訴える志摩子への絶対の信頼。
(絶対に負けるわけにはいかない! いえ・・・負ける気がしない!)
旋回速斬の回転が終わった瞬間には羽を収め、今度は一直線に魔王・グシオンに挑みかかる。
『虚空斬波!』
地上すれすれにまで身をかがめた志摩子が、魔王の直前で上空に翔け上がる。
まるで打ち寄せる波が岸壁に衝突し、上空にはじけるような斬撃。
グシオンの首が一瞬にして虚空を舞う。
「すごい・・・」
さすがの聖も感嘆の声を漏らす。
(この攻撃力・・・。 蓉子に匹敵する!)
いったい何がここまで志摩子を変えたのか。
”疾風” と呼ばれる聖が何も手を出す暇もないほどの一瞬の攻防。
いや、魔王は防ぐことさえ出来なかった。 一方的な志摩子の殺戮・・・。
「聖さま」
と、志摩子が聖を振り返りながら声をかける。
「今まで足を引っ張って申し訳ありませんでした。 これからは本当の意味でわたしを仲間として認めてください」
深々と聖にお辞儀をしながら力強く志摩子が語りかける。
「あ・・・。あぁ、もちろん、志摩子」
志摩子からそんな言葉が出てくることを全く予想していなかった聖は少しうろたえながら答える。
「うん。 よかったね。 志摩子さん」
後ろから祐巳の声。
「聖さま、もともと志摩子さんにはこれだけの力があったんです。
でも、いつも自分自身に枷をはめたままで戦っていたんです。
責任感の強さと・・・。 そしてほんのちょっとの遠慮。 わたしのせいだったのかも知れません。
だから・・・。 聖さま、これからの志摩子さん、本物ですよ」
☆
〜 10月3日(火) 3時30分 暗黒ピラミッド最下層の1階上 〜
倒れ伏した魔王であった者たちの死骸。
「『マハラギダイン』!」 祥子の炎熱魔法が死体を覆い尽くし高温で燃やし蒸発させていく。
「今の魔王で一体何体になったの?」
つまらなそうな顔で江利子が祥子に聞く。
「そうですね・・・。 もう40体ははるかに超えました。 そろそろ50の大台でしょうか?」
こちらもすでに数を数える気も失せていた祥子。
「48体よ。 それにしてもいい加減飽きたわ」
蓉子もうんざりした顔で二人を見る。
「それにしても嫌な匂いね。 焦げた肉の匂いって慣れないわ。 祥子、お願い」
「はい。 『ストーム・ウォール』!」
祥子の杖先から暴風が巻き起こり、3人の周りから悪臭を吹き飛ばす。
「えっと、アンドロマリウス、ゴモリー、フラロウス、ベリアル、それとここで倒した48体で残り20体ね」
「ええ、それに朝から上階に行った令も多分何体か仕留めてるでしょ。
聖たちに立ち向かえるとしたらせいぜい10体、ってとこでしょうね。
この付近に魔王の気配はあと一体だけだし」
「あと残ってるので大物は?」
「”アスタロト”を取り逃がしたのと・・・。 ソロモン王の側近の”アガレス”と”ウェパル”の2体。 それに”ベルゼブブ”ってとこね」
「どうして ”アガレス” と ”ウェパル” の二人が側近なんでしょうか?」
祥子が不思議そうな顔で蓉子に問う。
「そうね。 これは推測だから外れてればいい、と思うんだけど。
まず、このピラミッドを作ったのが ”アガレス” だと思うわ。 もちろん維持しているのも、ね。
”アガレス" は大地・鉱物をつかさどる魔王よ。 それに万国の言葉を操るうえにその力はベルゼブブに次ぐ者。
性格も穏やかなほうだし、言ってみれば執事みたいな感じかしら。
もう一人の女性、”ウェパル” なんだけど・・・。
これは本当に推測。
このピラミッドは魔界においての『浮島』なんじゃないかと思うの。
”ウェパル” は魔王にして海神。 その力で浮島のピラミッドを現世まで浮き上がらせたんだと思うわ」
「ってことは、その側近二人を倒しちゃうと、このピラミッド自体が魔界に沈む、ってこと?!」
「そうなるわね。 この二人を倒すことで魔界からのソロモン王の侵略を阻止することが出来る。
でも、そのときは私たちも一緒に魔界に落ちるわ」
「それじゃ、側近の2体はどうしようもないわね。 で、どうするの?残った ”ベルゼブブ”、倒しに行く?」
「嫌よ。 江利子と祥子は遠隔攻撃だからまだいいけど、私は剣で斬らなきゃならないのよ?
蠅なんて斬りたくもないわ。 行くんなら2人で行って頂戴」
心底嫌そうな顔で江利子に答える蓉子。
「お姉さま、蠅やゴキブリ、苦手なんですね・・・。 どうします? ロサ・フェティダ、私たちだけで行きますか?」
「い〜や! 私だってお断り。 聖たちにまかせましょ」
女子高生にとってハエやゴキブリは天敵なのか。
江利子も 『蠅の王・ベルゼブブ』 とは会いたくもないようだ。
「でも最強の魔王ですし・・・。 聖さまの手に負えないかもしれませんよ?
それに、ソロモン王との約束の時間まであと9時間を切りました。 そろそろ到着しないと間に合わないと思いますが?」
「そうねぇ。 それに令も遅いわ。 まだ見つからないのかしら?」
「あなたが令に探しに行けって言ったんじゃない。 まぁ令のことだから見つからなくても時間には戻ってくるでしょ。
それより、祥子。 あなた、まだ気付いてないの? それとも気付かないふりをしてるだけなの?」
蓉子が試すような眼で祥子を見る。
「お姉さま・・・。 やっぱりそうなんですね。 信じたくはありませんでしたが・・・」
祥子の顔に落胆の色が浮かぶ。
「聖が間に合うか間に合わないか。 私たちが聖に会えるか会えないか。 私たちが 『その時』 どうなっているのか。
こればっかりは 『その時』 になってみないとわからないわ。
でも、今の私は ”水野蓉子” 。 だから水野蓉子にできることをするわ。
あなたも、”小笠原祥子” であるうちに自分の出来ることをしておきなさい」
「お姉さま・・・」 祥子の視線に先には偉大な姉。
「いい、祥子。 あなたがどのような行動をとったとしても私はあなたの姉であることをやめる気はないわよ。
”水野蓉子の妹” として。 そうね、それに ”福沢祐巳の姉” として堂々としていなさい」
魔界の底にあっても水野蓉子の存在はあまりにも大きかった。
祥子は自身の最大の誠意もって蓉子の言葉に応えようと心に決めた。
「お姉さま。 ではわたしは最後にできることをしてきます。 残り1体、私だけで十分です」
祥子は蓉子にそう一言告げると、最後にして最大の魔王の部屋にたった一人で向かった。
ごきげんよう、お姉さま方。
×××
ふっふっふ。今日はハロウィン♪コスプレが出来るのだ♪吸血鬼のコスプレ♪
これで誰一人私が吸血鬼と疑う者は居ない。これで血は吸い放題。♪私はハッピー♪
誰から吸ってやろうかな〜♪お姉さま?瞳子?意外なところで由乃さんも良いかもな〜♪
と思いながらも、今日もマリア様にお祈りする。
(今日は腹一杯に血が吸えますように♪そしてバレませんように♪)
お前はメスの蚊か?とツッコミを入れたくなるが、ほっとこう。
カシャ
突然シャッター音とフラッシュが眩しい。
「ごきげんよう、祐巳さん。気合い入ってるわね〜。吸血鬼?」
「そうだよ。蔦子さん。似合う?」
と言って、マントを広げて一回転。
「うーん、あんまり似合わないわね。祐巳さんは吸血鬼と言うより、タヌキのコスプレの方が似合ってるわ」
グサッと、蔦子の言葉が突き刺さり、崩れ落ちた。
「あ、死んだ。一枚ゲット」
とシャッターチャンスとばかりに写真を撮った。
「じゃあね、祐巳さん。頑張って良い写真撮らせてね〜」
と言い残し、蔦子は居なくなった。
「いいもん。どうせタヌキだもん」
と言いながら、のの字を描いた。
「はぁ〜い、祐巳さん」
次に声をかけて来たのは真美さんだった。
「ううっ、聞いてよ、真美さん」
「何?祐巳さん」
「せっかく吸血鬼のコスプレしてるのに、蔦子さんがタヌキの方が似合うって言うの」
祐巳は半泣きで、両手を振りながら真美に訴える。
「酷いわね、蔦子さん」
「そうでしょ、そうでしょ」
「私だったら祐巳さんに似合うと思うのは…」
「思うのは?」
祐巳は目を輝かせながら真美を見た。
「ぶんぶく茶釜…かな?」
祐巳は再び崩れ落ちた。
「じゃあね、祐巳さん。頑張って良い記事書かせてね〜」
と言い残し、真美は居なくなった。
「ふふっ…ぶんぶく…茶釜…か…更に悪くなってるけど、いずれにしてもタヌキなのね…」
祐巳は目に光るものを浮かべながら、笑うしかなかった。所詮、タヌキなのだ、と。
いつまでも落ち込んでいる場合ではない。今日は血を吸うのが目的、凹まされることが目的ではない。次に来た者を無差別に襲い掛かることにした。
「ごきげんよう、祐巳さん」
次は由乃だった。
「ごきげんよう、由乃さん」
「あら、吸血鬼」
「そうなの。定番のセリフ言うよ」
「うん」
「悪い子はいないか〜」
「それ、なまはげ」
「マホ☆ユミ」シリーズ 「祐巳と魔界のピラミッド」 (全43話)
第1部 (過去編) 「清子様はおかあさま?」
【No:3258】【No:3259】【No:3268】【No:3270】【No:3271】【No:3273】
第2部 (本編第1章)「リリアンの戦女神たち」
【No:3274】【No:3277】【No:3279】【No:3280】【No:3281】【No:3284】【No:3286】【No:3289】【No:3291】【No:3294】
第3部 (本編第2章)「フォーチュンの奇跡」
【No:3295】【No:3296】【No:3298】【No:3300】【No:3305】【No:3311】【No:3313】【No:3314】
第4部 (本編第3章)「生と死」
【No:3315】【No:3317】【No:3319】【No:3324】【No:3329】【No:3334】【No:3339】【No:3341】【No:3348】【No:3354】
【No:3358】【No:これ】【No:3367】【No:3378】【No:3379】【No:3382】【No:3387】【No:3388】【No:3392】
※ このシリーズは一部悲惨なシーンがあります。また伏線などがありますので出来れば第1部からご覧ください。
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。
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☆
〜 10月3日(火) 4時30分 暗黒ピラミッド内部 〜
「祐巳さん、感じはどう?」
心配そうな志摩子の声。
「えっとね〜。 自分の腕なのにやっぱりちょっと変なんだよね〜。
なんでかなぁ? 動きがワンテンポ遅い気がするんだよね」
「祐巳ちゃん、そのワンテンポの遅れが命取りになるかもしれないよ?
すこし馴染ませたほうがいいんじゃない? あまり時間はないけどすこしトレーニングしよう」
「あ、はい。 お願いします。 じゃ模擬戦で・・・、って体術でいいですか?」
「そうね。 足は大丈夫みたいだから瞬駆とかの加速技は無しで上半身だけの組み手でいこう」
聖と祐巳の体術での組み手。
まさか、この二人の組み手を見ることが出来るとは思っていなかった。
リリアン最強の体術使いとして君臨してきた聖。 そしておそらく体術においてもその力量は聖を超えているであろう祐巳。
聖と祐巳はわずか2歩の距離で向かい合う。
リーチは聖のほうが長いが、祐巳のスピードは尋常ではない。
「では・・・。 はじめ!」
志摩子の掛け声で聖と祐巳の体術勝負が始まった。
バババババッ! と一瞬にして左右の正拳5連撃を放つ聖。 しかしそのすべてを内側から回転するような腕の動きで叩き落とす祐巳。
シュシュシュシュシュッ! と今度は体を左右に揺らしながらなぎ払うような手刀を振るう聖。
しかしそのすべての手刀も祐巳の掌打によって叩き落とされる。
「ちょっと待った!」 聖の大きな声でほんの数秒の組み手が終わる。
「なるほど・・・。 ごめん、私が迂闊だった。 すべての動きの中でなければテンポなんてわかんなかったね。
じゃ、全力でいこうか。 体術はやめだ。 『セイレーン』 と 『セブン・セターズ』、 真剣でいくよ」
☆
『セイレーン』 の風の刃が祐巳の頬のほんの数ミリ先を通り抜けていく。
完全に見切った攻撃であったが、なぜか祐巳の頬に引っ掻かれたような感覚が生まれ熱を発する。
見えない刃・・・。 『トリック・スター』=佐藤聖になんとふさわしい武器だろう。
祐巳の右腕に握られた 『セブン・スターズ』 がブンッ、と唸りを上げて聖の喉に突き刺さる・・・と見えた瞬間、聖はその場から姿を消す。
一瞬にして祐巳の背後に現れた聖は、下段蹴りを放つ。
しかし、その下段蹴りを足裏で受けた祐巳はひねりこむように聖の膝裏に 『セブン・スターズ』 の柄を捻りこむ。
しかしまたしてもその場から消える聖。
「聖さま、今の技、なんなんですか?」
祐巳は聖の反撃に備え数歩分一気に後退しながら質問をする。
「下段蹴りからの突き技のことなら 『ブラッド・スパーク』 なんだけど、突きまでいけなかったな。
消えたように見える技は ”風身” って言うの。 支倉流で 『幻朧』 って技があるけど、それの劣化版かな。
『幻朧』 なんて一気に体力を半分近く削るような技はめったに使えないからね」
一呼吸おきながら聖が答える。
「じゃ、次いくよ。 『マーシフル・アーク』ッ!」
聖の必殺の攻撃が祐巳を襲う。
しかしその攻撃をかるく捌き受け流す祐巳。
「『スレイ・カトラス』ッ!」
これまでも幾多の魔物を屠ってきた聖の得意技が祐巳を追い詰める。
祐巳は嵐のように吹き荒れる聖の攻撃を回避しつづける。
一瞬たりとも動きを止めず、前に、後ろに、右に、左に・・・。 ほとんど単純な動作のみで命に迫る危険を捌ききる。
「さすがだね・・・。 じゃこれで・・・『スパイラス・ブレイド』ッ!」
魔王・アンドロマリウスの体をずたずたに切り裂いた聖の奥義。
その技を見た志摩子は一瞬我が目を疑う。
まるで本当に祐巳を殺しかねないほどの殺気がその技にはこもっていた。
「『雄渾撃っ!』
聖の繰り出すまるで超高速の電動ドリルのような攻撃の中心に祐巳の棒術による回転突きが突き刺さる。
バキー!! っと耳をつんざくような音が響く。
『セイレーン』 で起こした竜巻の中心に、祐巳の 『セブン・スターズ』 が一ミリのずれもなく叩き込まれたことで共鳴が起こったのだ。
「これも防ぎますか・・・。 参ったな。 この技、体力減るから使いたくないのに・・・。
あ、祐巳ちゃん、これ終わったら 『癒しの光』 使ってくれるかな?」
「はい、いいですよ。 ちょっと寝すぎたんで体力はばっちり。魔力も回復してます。 まぁお薬のおかげですけど〜」
「ちょっと祐巳ちゃん、どうもその受け答え、力が抜けるんだけど・・・。 まぁいいわ。 次、いくよ」
聖の体が純白の光に包まれる。 聖の最大級の奥義の準備・・・
「『クレッセント・ヒール』っ!」
聖は祐巳に一瞬にして近寄る。 ”風身” を使って瞬間的に移動したのだ。
そしてその勢いのまま後方回転をしながら足刀で祐巳の首を狙う。
祐巳がバックステップでその足刀を回避した瞬間、ぞくり、と悪寒が祐巳を襲う。
(足刀はフェイク! 本体は・・・)
聖は、後方回転しながらの攻撃を足で行うことにより祐巳の注意を足に集中。
そして死角から 『セイレーン』 による飛ぶ斬撃を放ったのだ。
(もらったっ!)
聖はこの組み手の終了を予測する。
いくら祐巳でも、初見でこの攻撃をかわせるはずがない。
魔王のように信じられないほどの強度がある体であればまだしも、小さな祐巳の体では例え防げたとしても壁まで吹き飛ばされるだけの力のある攻撃。
しかし、その聖の圧倒的な嵐のような攻撃を・・・。
祐巳は左手に握った 『フォーチュン』 で切り落としていた。
「あ・・・しまった」
と、がっくりと俯く祐巳。
「やっぱり、とっさの時には左手が動いちゃうなぁ。 む〜・・・」
「ぷっ・・・、 くくく・・・。 あーっはっはっは」
急に聖が笑い出す。
「まいった、祐巳ちゃん。 それだけ動ければ言うこと無しだよ。 違和感の正体はきっと例のミサンガの影響だよ。
ほら、魔法で再構築したところだけは鍛え方が違うでしょ? それだけ。
動きは頭が覚えてるはずだからちゃんと動けるはず。 あとは体を慣らさないといけないけど、まぁ動かし続けておけばすぐ慣れるさ」
「う〜ん。 そうでしょうか? まだちょっと自信ないなぁ」
ブツブツと呟く祐巳。
(だいたい、真剣勝負って言ったのに自分からはほとんど攻撃してこないじゃないの。 私が相手だから? それとも攻撃をする右腕が動かないの?)
聖は、励ますような言葉で祐巳に笑いかけたのだが、その実、不安でたまらない気持ちを心の奥底に押し込んでいた。
☆
〜 同時刻 暗黒ピラミッド 最下層の1階上 〜
ここは、ソロモン王の玉座の間がある最下層の1階上。
この階にはすでに回廊はなく、見渡しても端が見えないほどの広さを持っている。
他の階を覆い尽くしていた漆黒の鉱物でできた壁もはるか遠くにしか見えない。
しかも地面には土。 いやまるで砂漠のように砂地である。
どういう仕組みなのかはるか高い天井から月夜のような明るさの光が。
その光により広大なスペースは満月に照らされた砂漠のように明るい。
この広大な間でかなりの数の魔王を倒した蓉子たち薔薇十字所有者。
いま、ここに座っているのは蓉子と江利子の二人のみ。
支倉令は昨日の朝、江利子に薔薇十字剣を捜しに行くように言われてから帰ってきていない。
小笠原祥子はさきほど 『一人で”ベルゼブブ”を倒してくる』 と言って出て行った。
「なんでピラミッドの中に砂漠があるかなぁ」
独り言のように江利子が呟く。
「それに岩山もあるし、なぜか植物もある。 天井も明るい・・・。 変な空間ね」
「明かりは多分”アガレス”の力でしょうね。 発光する鉱物を天井に使ってる、とか、そんなとこじゃないかしら」
こちらも独り言のように江利子の問いに答える蓉子。
「もう残り7時間ほどかぁ。 どんな気分?」
今度は本当に蓉子に問いかける江利子。
「まぁ、やるだけのことはやったわ。 覚悟ならついてる。 悪い気分じゃないわ。 どうせ正義なんて時代で変わるもの、そうでしょ?」
穏やかに達観した表情で江利子に答える蓉子。
「うふふ。 蓉子らしい、と言えばいいのかしら?
私は兄が死んだときに一度決めたことがある。 あなた、それを判っていながら私との付き合いを変えなかった。
それも、あなたの言う 『時代によって変わる正義』 なのかしら?」
「あなたや聖とあえて楽しかった。 祥子に令、由乃ちゃんに祐巳ちゃん、それに志摩子も。
わたしにとってあなたたちは宝物だった。 それだけよ。 いまさら綺麗ごとを言うつもりはないわ」
「そうね。 わたしも楽しかったわ・・・。 最後に令を抱きしめてあげたかったなぁ」
「令のこと・・・。やっぱりわかってたのね」
「さすがにね。 それにあなただって祥子を行かせたじゃないの」
「最後の姉心よ。 ”ベルゼブブ” に一人で勝てるかどうかわからないけど。 この時代最強の魔法使いとして最強の魔王と戦えるんだもの。 それこそ悔いは残らないでしょ」
「そうねぇ。 でもさ、由乃ちゃんたちが薔薇として花開くのを見てみたかったわね」
「あら、あなたらしくもない。 あきらめるの?」
「うふふ、そうね。 まぁここにきて足掻く気もないけどね。 ・・・あなたがいてくれてよかった。 ありがとう、親友」
「どういたしまして。 わたしもよ。 早くもう一人の親友にも会いたいわ」
ロサ・キネンシス=水野蓉子、ロサ・フェティダ=鳥居江利子。
二人は、お互いにとって最後かもしれない穏やかな時間を共有しながら語り続けていた。
☆
〜 同時刻 暗黒ピラミッド 下層 〜
祥子は蓉子たちと別れて一階上のフロアに来ていた。
もちろん、最後に残った最大・最強の魔王・ベルゼブブと戦うためである。
しかし回廊をいくら歩いても扉らしきものが見当たらない。
魔王の気配はたしかにそこにあるというのに。
30分近く行ったり来たりしながら祥子は考える。
(扉の無い部屋? 魔王・ベルゼブブの特技か何かで扉を隠しているの?)
ルーモスの光を最大限にして照らしてみても見えない扉。
これまで魔王のいる部屋の扉といえば巨大で分厚く、普通の人間ではこじ開けることも出来ない頑丈なつくりのものばかりだった。
(出てこないんなら、出て来れなくしても同じことよね)
祥子は仕方ない、という表情で『ノーブル・レッド』を振るう。
「『アグアメンティ!』 (水流よ壁を覆いつくせ!)」
祥子の杖先から噴出した水流が壁一面に水流壁を形作っていく。
「『マハブフダイン!』」
壁に沿って走っていた水流が強烈な極寒魔法により氷壁となって壁を覆い尽くす。
(燃やして燻りだす、って方法もあるけど・・・。 さて、どうなるかしら?)
祥子は油断なくあたりを見渡す。フロアの回廊全部を氷の壁が覆い、ルーモスの光を反射して美しい光景が浮かび上がっている。
すると微かに、バッバババッ、ババッと氷に何かが衝突する音が始まった。
しかも、一箇所からではなく、壁のあちらこちらから。
(なるほど・・・。 蝿にとっては扉なんて必要ない、小さな隙間さえあればいい、ってことなのね)
氷の爆ぜる音がどんどん大きくなる。 祥子は極寒呪文を再度使用するかどうか少しの間逡巡していた。
このまま再度凍らせてもそれはそれで面白そうだ。
だが、祥子の目的は”ベルゼブブ”の封印ではなく倒すこと。
それに、いつまでもここに居るわけにも行かない。
祥子は氷にひびが入り、さらに乱反射を広げ続ける光のオブジェを見ながら、
(ここに祐巳が居たらなんて言うかしら・・・。 『おねえさま、素敵!』って目を輝かせるでしょうね)
かわいい妹のことを思い出していた。
(あの子は、どんなものでも良いところ、素晴らしいところを発見するのが上手だもの。 その度にわたくしを驚かせてくれる)
ふと、氷の壁に小さな穴がたった一つだけ開く。
その小さな穴から蝿が一匹頭を出し、羽を広げる。
「『アギ』」 と小さく振るった 『ノーブル・レッド』 の先から小さな炎。
その炎の球体が蝿を包み一気に蒸発させる。
魔王の気配が一つ消えた。 恐ろしく弱い。
しかし蝿たちは次々に氷のひび割れから姿をあらわしてくる。
「『マハラギ』」 祥子は顔色も変えず炎の球体を次々に生じさせ、現れる蝿を蒸発させてゆく。
そのたびに消えてゆく魔王の気配。
(この蝿、一匹一匹が”ベルゼブブ”なのね・・・。 いったい何匹出てくるのかしら?)
もう何回杖を振るい高温魔法を生じさせ続けているのか。
蝿は後から後から引きも切らさずに出てきては祥子の魔法の餌食となる。
10分・・・20分・・・。 いいかげん祥子も飽きてきた。
(わたしは害虫駆除をしに来たんじゃないわよ!)
祥子は次第に魔王・ベルゼブブの脅威の正体に気づき始めていた。
小さな蝿だがその力はおそらく毒蛇並み。 それが数万、数十万と現れていくのだ。
たった一匹取り逃し、攻撃を受けただけでこちらの戦闘力は激減するだろう。
”ベルゼブブ”を倒すためにはこの数限りなく出てくる蝿を一匹残らず殖滅していくしかない。
たしかに蓉子や江利子の攻撃ではその一撃一撃の威力がありすぎるがゆえに、このような戦いを仕掛けてくる”ベルゼブブ”には相性が悪いだろう。
しかし祥子の高温炎熱魔法はこのような殖滅戦には有効だった。
・・・ただし、一切気を抜かないで長時間魔法を使い続けなければならないが。
(本体を叩かなければ埒が明かない・・・)
次第に祥子にも焦りが出てくる。 ほんとに害虫駆除をしている気がしてきた。
祥子は次々に出てくる蝿を退治するために高温炎熱魔法を唱え続けながらもう一つの魔導式を構築し始める。
「『Reveal Servant』!」
『ノーブル・レッド』から高温炎熱呪文以外の青白い光がまるで蛇のようにうねりながら出現する。
「さぁ、”ベルゼブブ” いいかげんこの茶番は終わらせましょう。 あなたの秘密、ここに晒してあげるわ!」
祥子の放った青白い蛇はピラミッドの回廊に沿って這い進む。
そして、祥子から50mほど離れた氷の壁の隙間にもぐりこみ中に消えた。
青白い蛇が氷の壁に吸い込まれるようにして消えた瞬間、あれほど引きも切らさず出現し続けた蝿も消える。
祥子の顔に緊張が走る。
(いよいよ、本番ね。 さて、”ベルゼブブ”の本体、しっかり見せてもらおうかしら)
最強の魔王・ベルゼブブとの戦いを前に、稀代の魔法使い・小笠原祥子は愛用のパートナーである 『ノーブル・レッド』 に魔力を集中し始めていた。
☆
〜 10月3日(火) 7時 暗黒ピラミッド下層近く 〜
聖、祐巳、志摩子の三人はピラミッドの下層に向け歩き続けていた。
先頭を聖が歩き、すぐ後ろに志摩子が続く。
祐巳は数歩下がった場所で後方を警戒しながら 『セブン・スターズ』 をまるでバトンのように回転させたり投げ上げたりしている。
ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン、スタッ! ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン、スタッ!っと、小気味のいい音が聞こえる。
スタッ! と音がした瞬間にはセブン・スターズの先端、光を象徴する宝玉からルーモスよりも明るい光が生み出され聖たちの前を照らす。
再構築した右腕に『セブン・スターズ』を馴染ませるように動かし、そのついでに光を生み出し続けているのだ。
「次が71番目の扉です。 あと2つで魔王の部屋をすべて通過することになります」
志摩子がアナライザーに記憶されていく記録に目を落としながら言う。
「う〜ん。 なんか変だよね・・・」
聖が呻くように言う。
「蓉子の推測では18の扉を抜けたら最下層に到着する、ってことだったんだよ。
でも、どうもおかしい。 部屋の作りが全部同じだったから気がつかなかったのかもしれないけど。
まず、ベリアルの居た部屋の底に穴が開いていなかったこと。 こんなに簡単に修復が出来るのか・・・。
同じところをぐるぐる廻っている気がしない?」
「多分、内部の構造は最初に蓉子様が推測していたときと変わっていると思います。
南入口だけ残して他の入口が閉じたとき、すでに変わっていたのではないでしょうか?
それに、私たちがここに入ってからも変わり続けているんだと思います」
志摩子は自分の言葉に確信を持って聖に話しかける。
「これまでに通過してきた部屋はすべて同じように見えますがそれなりに匂いも気配も違っていました。
上り坂も一切ありません。 すべて下ってきています。 構造は変わってしまっても確実に最下層に近づいています」
「志摩子・・・」
聖は志摩子の変貌に・・・。 素晴らしい意味で変わっていく志摩子を眩しそうに見る。
「あなた、本当にいい軍師になれるよ。 蓉子とはまた違った意味で、ね」
聖は安心したような顔で志摩子を見る。
「あの部屋で、”アモン” と ”グシオン” を倒してから全然魔王に出会っていないからね。 全然違う道に迷い込んだ気がしていたんだけど。
志摩子がそういうんなら、きっともうすぐゴールだね」
「はい。 でもあまりにも魔王の数が少なすぎます。
私たちが倒した魔王の数はたったの8体です。
最初に倒したアンドロマリウス、それとフラロウス、ゴモリー、ベリアル。これで12体。
あと、騎士団から送られたデータによるとここまでの階で、アスタロト、オセをはじめ7体が倒されていたそうです。
まだ19体だけ。 残り53体の魔王が残っている計算になります」
「そうだね・・・。 それに出現の仕方も変だった。 一部屋に一人魔王が居ると思ってたけど、6体で一気に襲ってきたりしたからね。
まるで私たちを襲いに来たんじゃなくなにかに追われて来たような感じだった」
「はい。 これって最下層付近に残り全部の魔王が集結しているか、ほとんどが倒されてしまったかどちらかだと思います」
「それって・・・。やはり蓉子たちが戦い続けている。 そういうことかもしれないね」
「そうであればいいんですが・・・。 もう蓉子さまたちがこのピラミッドに入って3日になります。
食料もなく、50体以上もの魔王と戦い続けていられるでしょうか?」
志摩子は心配そうな顔をして小さな声で聖に答える。
志摩子とて、蓉子たちに生きていて欲しい。 必ず助け出すというつもりでこのピラミッドに入ったのだ。
しかし冷静に考えてこの状況で生きていることがどれほど可能性が低いことかわかっていた。
たしかに令は生きていた。 でもあれほどまでに変貌して。
まるで魔王に作り変えられて。
令がそうなっていたことを考えると、蓉子たちもそうなっている可能性が高い。 信じたくはないが・・・。
「さて、いよいよ71番目か。 ん? この気配は?」
71番目の扉の前に到着した聖の顔が久しぶりに緊張したものに変わる。
「久しぶりに大きな ”気” だね。 やはりまだ魔王は残っていたか」
「はい。 すごい気を感じます。 さっきの魔王2体をあわせたのよりも大きい気・・・。
さすがにこれほどの下層になるとよほど上位の魔王ではないでしょうか?」
聖と志摩子は一瞬躊躇し、顔を見合わせる。
「聖さま!」 と、祐巳が聖のもとに駆け寄る。
「すみません、ここは私に任せてもらえませんか? どれだけ右腕が馴染んだか確認したいんです」
「わかったわ。 でも無理はしないでね。 いつでも助けに入れるように準備だけはしておくから」
「ありがとうございます! では行きます! 『雄渾撃っ!』」
祐巳の 『セブン・スターズ』 から真っ赤な炎が生じ回転する突きが巨大な扉を破壊する。
(さっきの組み手のときの技と同じ? 全然威力が違うじゃないの!)
聖は驚きながら祐巳を見る。
そして扉が破壊された瞬間、 「グオォォォオォォォオオオ!」 とライオンの吼える声。
ソロモン72柱の魔王、第5位に位置する巨大な地獄の総裁、ライオン王・マルバスの姿があった。
「さぁ、おいで」
祐巳はまるで子猫に語りかけるように優しくマルバスに語り掛ける。
『フォーチュン』 も 『セブン・スターズ』 も構えるでもなく、ただぶら下げているだけ。
覇気をまったく出さずに一歩一歩マルバスに近づいてゆく。
祐巳の隙だらけの姿勢はまるで自分を餌に差し出しているようなもの。
その隙をマルバスが見逃すはずもなく、いきなり祐巳の頭よりも大きな前足の爪で襲い掛かる。
ピュンッ! と空気を切り裂く音。 その瞬間、聖の目の前を切り取られたライオンの爪が転がる。
眼にもとまらぬスピードで祐巳がセブンスターズを一閃したのだ。
志摩子の目の前にはライオンに鼻先に 『セブン・スターズ』 を突き出す祐巳の姿。
「お痛をしたらダメだよ」
「グゥゥウゥゥウウ・・・」 とマルバスが唸る。
グワッ! と祐巳を一飲みにしようとしたマルバスであったが、口をあけた瞬間、
再度 ピュンッ! と空気を切り裂く音。 ライオンの牙が床に転がる。
祐巳のセブンスターズを操るスピードと正確さはすでに神速・神業の域。
魔王にすら手も足も出させないほどの攻撃。
本気を出した祐巳。 魔王ですらこうまで祐巳と実力に差があるものなのか・・・、と志摩子は思う。
まるで子猫を躾ているようなものではないか、と。
祐巳の体が一瞬右にぶれ、マルバスの左足の爪を切り取る。
ピュン、ヒュン、ヒュン、と切り裂き音を残して祐巳がマルバスの体の回りを駆け巡る。
次に祐巳が動きを止めたとき、そこにはすべての牙をもがれ爪を切り取られ、手足の腱を切断されたライオンの敷物が。
「お痛をした罰だよ」
祐巳はマルバスに止めを刺すでもなく背を向ける。
「我ヲ 殺サヌノカ?」
不意にマルバスが祐巳に言葉をかける。 マルバスは望めば人型もとることができる。
そこにいたのは、床に倒れ伏す金色の肌をもつ黒髪の男。
このピラミッドに入って始めて聞く魔王の言葉。
聖も、志摩子も驚きを隠せない。
祐巳も驚きの顔で振り返る。
「うわ・・・。 なんで日本語がしゃべれるの?!」
「フン・・・。 我モ 魔王ノ ヒトリ。 オマエタチノ 言葉グライ ワカル」
「すごいなぁ。 えっとね〜。 わたしライオン好きなんだよね。
子供の頃お父さんとお母さんに動物園に連れて行ってもらった思い出があるんだ。
お父さんとお母さん、私が小さい頃からずっと眠ったまんまになっちゃって、思い出っていったらその動物園だけなの」
「ちょっと、祐巳ちゃん。 なに魔王と仲良く話しているのよ!」
「あ・・・そっか。 ついついライオンだったもので。 えへへ。 すみません。
でも、全然悪い人じゃないです。 雰囲気が他の魔王と違います。 なんていうのかなぁ・・・。 自由に生きてる、ってかんじ?」
聖と志摩子はあきれてものも言えない。
祐巳は人型を取ったマルバスに語りかける。
「怪我をさせちゃってごめんね。 わたしたち、これからソロモン王を倒しに行かなくちゃならないんだ。
さっきお話したわたしのお父さんとお母さんを救うためにも、ね。
それに、仲間たちも探さないといけないの。
あなたが他の魔王と違うことは雰囲気でわかるんだけど、急いでるから許して」
「ククククッ・・・。 我ガ他ノ魔王ト違ウノガ ワカルノカ。 オモシロイ 人間ダナ。
ソウカ・・・。 ヨホド内面ヲ見ル眼ガアルヨウダ。 オマエニ 倒サレタノモ ナニカノ縁ダ。
コノ 『タリスマン』 ヲ持ッテイケ。 ナニカノ 役ニハ タツダロウ」
床に倒れたマルバスは、視線だけで自らの首に掛かるネックレスの先に光るタリスマンを示す。
祐巳がマルバスの傍らに膝をつき、その首からタリスマンを受け取る。
「ありがとう。 痛かったでしょう? いちおう治療も出来るけど・・・」
祐巳は聖と志摩子の視線を気にしながらマルバスに問いかける。
「えへへ。 聖さま、志摩子さん、この子、どうも敵だって思えなくって・・・。 ダメ・・・だよね?」
祐巳はどうもマルバスを大きな猫としか見ていないらしい。
聖と志摩子は顔を合わせて苦笑する。
「ダメ、って言いたいとこだけど・・・。 そうね、今すぐじゃなくソロモン王を倒した後、ってことにしたらどうかな?
ソロモン王さえいなくなれば魔王も魔界に帰るだろうし。 それなら危険もないからいいんじゃない?」
「ありがとうございます! よかったね! そうだ、痛みだけはとってあげるね。 しばらくゆっくり眠っていて。 『癒しの光』っ」
「フフフッ・・・。 オモシロイヤツダ。 デハ ヒトツ教エヨウ。
ソロモン王ハ 死ンデモ 復活スル。 不死 デハナイ。 ソレダケハ オボエテオケ」
『癒しの光』 の純白の光に包まれながらマルバスは眠りにつく。
「さぁ、いこう! 聖さま、志摩子さん。 いよいよ次でラスト72番目だよ!」
(ほんとに祐巳ちゃんには驚かされる。 魔王まで手なずけるなんて、ね)
(それに、さっきの昆の動き・・・。 全く見えなかった。 心配して損したなぁ)
三人は最後の部屋へと続く回廊のスロープを降りてゆく。
その階は、最強の魔王・ベルゼブブの間である。
そこで激烈な戦闘が繰り広げられていたことを聖たちは知る由もなかった。
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『ロサ・カニーナ・アン・ブゥトン』シリーズ
【No:3318】【No:3330】【これ】【No:3385】【No:3405】【No:3425】【No:3442】【No:3458】【No:3494】
新入生歓迎会の次は山百合総会だが、こちらは会則の変更や部の昇格といった大きな動きはなく、予算案を成立させて無事に終わった。
その日の放課後、反省会のため薔薇の館に集まった。
「……では、これくらいでいいかしら?」
その日の議題をほぼ終えて、一同を見回して紅薔薇さまが尋ねた。
「反省会と関係のないことだけど、よろしいかしら?」
静先輩が授業の時のように手を挙げてから言った。
「何かしら?」
「図書委員会の方で急病人が出て、どうしても放課後のお当番にも何日か出なくてはならなくなってしまって。申し訳ないのだけど、薔薇の館に来る回数や時間が減ってしまいそうなの」
本当に申し訳ない、というように静先輩は言った。
「それは仕方がない事よ。明日から中間テスト最終日まではここでの集まりも任意だから、しばらくは様子を見て問題があったら考えましょう」
「そういうのはお互い様だよ。もし、事前にシフトがわかったら教えて」
紅薔薇さまと黄薔薇さまがそう言う。
静先輩が乃梨子の方を見た。
「いらっしゃらなくても皆さまにご指導いただきますので、ご安心ください」
生徒会の事務仕事は中学校時代もやっていたので特に困ることはなかったし、こちらに専念している紅薔薇さまはほぼ毎日いらっしゃる。そもそも試験前はどこも活動を自粛する。図書館や音楽室に走ることはたぶんないだろう。
「あら、私がいない方が好き勝手出来るだなんて思ってるわけ?」
素直に「そうしなさい」と言わないところが静先輩らしい。
「好きも勝手もできるようなことがここにあるんですか?」
「そうね。ここには仏像はなかったものね。悪かったわ」
それまで『他愛のない姉妹の会話』と聞き流すポーズをとっていた由乃さまが笑った。乃梨子の趣味が仏像鑑賞というのは親しいものには周知の事実となってきている。
「祐巳」
「なんでしょう、お姉さま」
紅薔薇さまが祐巳さまを呼んで部屋を出ていった。
そろそろ解散か、と残された四人が片づけをして部屋を出ようとすると、紅薔薇姉妹が戻ってきた。
「?」
心なしか紅薔薇さまが落ち込んでいる、というか、祐巳さまもちょっとがっかりしたような表情をしている。
何なのだろう。
その日はすぐに帰ったので特に気にも留めなかった。
中間テストが終わったある日の放課後。
「ごきげんよう、乃梨子」
「ごきげんよう」
カウンター越しに静先輩が微笑んだ。
乃梨子がここを訪れたのは試験前に借りていた本を返すためである。
「今日は随分と混んでますね」
白薔薇さまで合唱部のスターという事もあって、静先輩がカウンターにいる日は本の貸し出し件数が増えたり、閲覧室が混んだりするらしいという話は聞いたことがあるがその辺りの事はあまり興味がなかった。
静先輩はテストが終わった解放感からか機嫌良くこう言った。
「こっちに来る? 邪魔しなければ隣に座っててもいいのよ」
カウンターの中を指すが、そうなるとお手伝いしないわけにはいかなくなる。
「私は、図書委員じゃありませんから。薔薇の館に行きますよ」
丁重にお断りして、乃梨子が振り向くと、不意に由乃さまが現れた。気づかなかっただけで、話している間に図書館に入ってきて近づいてきただけなのだろうけれど、ちょっと驚いた。
「白薔薇さま、ご報告が。乃梨子ちゃんもちょうどよかったわ」
笑顔を作ってみせるが、何か由乃さまのオーラはピリッとしていた。
「私、剣道部に入部します。正式に受理されていませんが、入部届けも出しました。薔薇の館の方はお姉さま同様部活のない日のみ活動ということになるでしょうからお二人にもご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうかよしなに」
そう言って、由乃さまは深々と頭を下げた。
「まあ、私もいろいろとやっているから反対はしないわ。やると決めた以上はお励みなさい」
静先輩はそう言った。
「ありがとうございます」
満足したように由乃さまは軽い足取りで去っていった。
「由乃ちゃん。まさかとは思うけど、黄薔薇さまの反対を押し切って勝手に入部届け出したりしたんじゃないかしら」
ぼんやりと由乃さまを見送っていた乃梨子の背後で静先輩がそう言った。
「え?」
思わず乃梨子は振り向いた。
「黄薔薇さまが賛成してたら黄薔薇さまと一緒に来るか、薔薇の館で報告すればすむことでしょう」
「ああ、それで。じゃあ、どうして黄薔薇さまは反対なさるんでしょうか?」
「一番心配しているのは彼女の体調のことでしょうね」
「……そういえば、手術をしたとか?」
瞳子のくれた情報を思い出して乃梨子は合の手を入れた。
「ええ、心臓のね。今ではかなり元気に走り回っているけど、中等部の頃は廊下でうずくまっているのを見たことがあるわ。その頃を一番知っている黄薔薇さまがいろいろと心配するのも無理ないでしょう」
「それじゃあ仕方がないですね」
こちらに本を持った生徒たちがやってきた。貸出手続きに来たのだろう。乃梨子は邪魔にならないようにそっと図書館を後にした。
数日後の放課後。
掃除の担当か所から戻る途中、乃梨子はトイレに立ち寄った。
「知ってる? 一年椿組の松平瞳子って、紅薔薇のつぼみの座を狙ってるんですって」
用を済ませ、個室から出ようとしたら子羊たちの噂話を聞いてしまった。
普通なら気にしないのだが、その対象が友達とよく知る先輩というものだから、出るタイミングを逸してしまった。
「えー、そうなの? でも、あの二人は親戚って話だから、たまたま親しそうにしてただけじゃないの?」
「この所毎日、松平瞳子が三年松組の教室前で目撃されてて、祥子さまと密会してるそうよ。私も一度見たけど、取り入る様に甘えてたわ」
三年松組とは紅薔薇さまの所属のクラスである。
「甘えてたって、見間違いじゃなくって?」
「だって、『祥子お姉さま』って呼んでたわよ」
『お姉さま』と呼べるのは妹だけ。それが姉妹制度だって瞳子自身が言っていた。
「もしかして、祐巳さんに宣戦布告? 祐巳さんはどうしてらっしゃるの?」
「祐巳さんは知ってか知らずか動いてないみたいだけど……気のせいか、先日見かけたときは夫の浮気に気付きながら耐える人妻みたいな顔してたわ」
どんな顔だ。
「まあ……じゃあ、祥子さまは二股を!?」
「そういうことになるわね。知っているならあの温厚な祐巳さんだって我慢の限界があるもの。このままじゃ去年の秋の『黄薔薇革命』再びって事にもなりかねないわね」
黄薔薇革命?
「山百合会も大変ね。祐巳さんもお気の毒に」
「そんな事言ってる場合じゃないわよ。祐巳さんにはしっかりしてもらわないと。ロサ・カニーナといい、松平瞳子といい、すり寄ってきた人が簡単に妹になるんじゃ何のための姉妹制度なんだか」
待て、静先輩は聖さまの妹にはなってないぞ。
「ちょっと――」
そこで会話は終わった。誰かがきたらしい。
子羊たちが去ったような気配があったので、乃梨子は個室を脱出した。
瞳子を探したが、その日は帰った後だったので、翌日の朝、瞳子を捕まえた。
「ちょっといい?」
乃梨子は瞳子を非常階段のところに呼び出した。
「何か相談事?」
「あのさ……変な噂が流れてるみたいだけど」
昨日トイレで聞いちゃいました、とは言わずに遠まわしに切り出すと、瞳子は何事もないような表情で乃梨子を見ている。
「ほら、紅薔薇さまのこと。なんだか、妙な憶測を呼んでるみたい」
「そんな事を言われても、私には私の事情があるのだし、プライバシーもあるのよ」
詮索するな、ということか。
「でも、『祥子お姉さま』って言うのは――」
「親戚でずっとそう呼んでいたから。うっかりそう呼んでしまった事もあるかもしれないわね」
嘘つき。瞳子ならたぶん、すぐに呼び名を改めるくらいできるはず。
「……乃梨子さんが嫌ならなるべく気をつけるわ」
譲歩した、という顔で瞳子はそう言うと、戻ろうとする。
「待って」
「まだ何か?」
「紅薔薇のつぼみのこと、どう思ってるの?」
そう聞くと、瞳子はすぐに答えた。
「お人よしで頼りにならなそうな方よね」
意味あり気に瞳子は口元に笑みを浮かべると言ってしまった。
何かがありそうだが、口を割らないだろう。
瞳子のことを観察してみたが、普段とあまり変わらない。
周りに感じる嫌な空気は乃梨子の気のせいなのだろうか、違うのか、それすら乃梨子にはわからない。
(なんだろう、この感じ……)
昨日はリリアンの負の部分を聞いてしまった。入学してから純粋無垢な子羊たちに慣れていたせいで忘れそうになっていたが、人として黒い部分があるのは当然だ。
静先輩は先代白薔薇さまの聖さまの妹じゃなかったのに。昨日の人は誤解していて、しかもあまりよく思っていない口調だった。
『薔薇さまにならないつぼみがいても構わないし、つぼみでなければ薔薇さまになれないわけでもないでしょう』
つぼみは薔薇さまの後継者でありアシスタントの役割も果たしている。それならば、妹のいない薔薇さまは選挙を勝ち抜いた姉のいない次期薔薇さまをつぼみにしてしまえば引き継ぎはスムーズにいくと思ったけれど。
『私は妹は作らないまま卒業したから、静は妹じゃないんだけど』
わざわざ姉妹の契りを交わさずに聖さまは卒業した。そんな風にも聞こえた。
たぶん、昨日の様に思っている人がいたりしたから、反発を招かないようにそう配慮したのかもしれない。
山百合会の人も純粋に尊敬だけされているわけじゃないんだな、と今さら当たり前のことに気付いた。
昼休み、薔薇の館に行くと黄薔薇姉妹がテーブルの反対側に座ってお弁当を食べていた。
(何がどうした?)
日頃は鬱陶しいぐらいにくっついている黄薔薇姉妹が目も合わせずにお弁当を黙々と食べている異様な光景。
間に座って紅薔薇さまはため息交じりにお弁当を食べていたが、食が進まないのか、半分ほどで食べるのをやめてしまった。
祐巳さまも心ここにあらずという表情でお弁当を食べている。
(なんか、嫌な空気だなあ……)
新入生歓迎会の直前、静先輩がまとっていたあのピリピリとは違う種類の重い空気に今ここは支配されている。
何かが起こっている。しかし、乃梨子にはまったく何が起きているか見えない。それが乃梨子の不安をあおっていた。
(相談した方がいいのかなあ)
パッと思い浮かんだのは静先輩の顔だったが、すぐに打ち消した。
静先輩は気まぐれで乃梨子を妹にしただけの人。ここにいる人たちとのお付き合いも一年間だけ。
今、この場が気まずくて逃げ出したくなったからそんな事を思いついてしまったのだろう。
(どうかしてる……うつっちゃったのかな?)
誰も口を聞かない異様で苦痛なランチタイムはずっと長く感じられた。
それを引きずっているのか、午後も掃除中も調子がでなかった。
あの空気の中、薔薇の館に行くのかと思うと気持ちが重くなる。
乃梨子が到着すると、祐巳さまが一人で掃除をしていたので、慌てて手伝う。
紅薔薇さまが到着し、乃梨子はコピーする原稿を片手に職員室に向かった。
コピーの束を持って戻ってくると、玄関の前に瞳子がいた。
「あれ、瞳子」
玄関から紅薔薇さまが出てきた。手には荷物があるので帰るみたいだ。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
紅薔薇さまは瞳子と一緒に立ち去った。乃梨子は階段を昇って、二階の会議室という名のサロンに入った。
中にいた祐巳さまも帰り支度をしていた。
「乃梨子ちゃんも、もう帰っていいって」
仕事らしい仕事がない時期なので、それは構わないが、いない間に何かあったのだろうか。
「はあ」
コピーを棚にしまって、帰り支度をしていると。
「……乃梨子ちゃんはさ、しっかり者だし、仕事もできるし、頭もいいし、山百合会に入って当然だよね」
祐巳さまが話しかけてきたが、意味がわからなかった。
「……ええと?」
褒められているような言葉だが、口調は全然そんな風には聞こえなかった。
「こんなにいい後輩なら静さまに見初められるっていうのはわかる気がするもの」
「何か、あったんですか?」
「私、やっぱり駄目なんだ……ロザリオを受け取った時から思ってたけど、やっぱり、私じゃ祥子さまには不釣り合いだよ」
乃梨子の問いには答えずに、祐巳さまは独り言のように続ける。
「私が初めてここに来た時。一階の玄関の扉をノックすることすらできなくて固まってたら、偶然祥子さまが出てきて、お姉さまがいるかって聞かれて。いないって答えたら、そのままここに連れてこられて、あれよあれよという間にロザリオ渡されて」
相槌を打つのもためらわれるぐらい祐巳さまの顔は深刻な表情に変わっていく。
「その時の祥子さまは学園祭の舞台劇を降板したくて、『妹のいない人に発言権はない』なんて言われたらしくて誰でもいいから妹にしようと思ってて、たまたま一番初めに出会ったお姉さまのいない一年生の私を選んだ……私が祥子さまの妹である理由なんて、それしかないから、もっとふさわしい人が出てきたら……」
「あ、あの?」
乃梨子は慌てた。この話、聞いてしまっていいものか。いや、なぜその話をわざわざ乃梨子に?
「乃梨子ちゃん」
「は、はい?」
「乃梨子ちゃんなら大丈夫だと思う」
祐巳さまは涙を浮かべて乃梨子の手をとってそう言った。
「何がですか?」
さっぱりわからない乃梨子は聞き返す。
「……ごめん」
それだけ言うと、祐巳さまは支度を始めて、帰ってしまった。
「……今の、何?」
祐巳さまの中では何かの流れがあって話しかけてきたのかもしれないが、理解できなかった。
妹にされた経緯だって、強引にという点においては乃梨子とそう変わらないような気がする。しかし、その割には紅薔薇姉妹は仲がよさそうに見えるのだが。仮面夫婦ならぬ、仮面姉妹だったのだろうか。
(わからないもんだなあ……)
下校時間が来て、戸締りをすると乃梨子は薔薇の館を後にした。
それ以来、祐巳さまは薔薇の館に来なくなった。
二日後の昼休み。
「由乃ちゃん、祐巳はどうしたの?」
同じクラスの由乃さまに尋ねているが、由乃さまも知らないようで、首をかしげている。
由乃さまといえば。
今日は黄薔薇さまと並んで仲良くしている。数日前のアレは何だったのだろう。
「放課後、聞いてみます」
紅薔薇さまの追及に、由乃さまはそう答えたが、紅薔薇さまは終始不機嫌だった。
気にはなったが乃梨子が首をつっこめる話ではないのでその場は黙ってやり過ごした。
その放課後。
「乃梨子」
薔薇の館に向かう途中、静先輩と会った。
「はい。なんでしょうか?」
「何でしょうかはないでしょう? 図書委員会の欠員が今日から復帰したから、今日から薔薇の館に行くのよ。あら、その顔は何? 私が来ない方が良かった?」
あれ以来、静先輩は図書委員会と合唱部が忙しく、薔薇の館に来たのは二回だけだったから現状を知らないようだ。
「いえ、そういうことはありません」
二人で薔薇の館に行くと、誰もいない。
いつものように乃梨子は部屋の掃除を始める。
「手伝うわ」
「え」
「何を驚いているの? 薔薇さまだからって部屋の掃除をしてはいけないということはないでしょう。それに、私は白薔薇のつぼみやその妹だったことがないから、薔薇の館の掃除なんてこういうときじゃないとできないもの」
そう言って笑うと、ほうきを取り出して、掃除を始めた。
乃梨子がゴミを捨てている間に、静先輩が乃梨子の分の紅茶もいれてくれた。
「慣れてないから祐巳ちゃんたちみたいに美味しくはないかもしれないけれど」
と、前置きして勧められたお茶は乃梨子が入れるよりもおいしかった。
「……おいしい」
「ふふ。お口にあって何よりだわ」
機嫌がいいのか、いつもの皮肉がない。
バタバタと階段を駆け上がってくる音がして、扉が開いた。
「祥子さまっ!!」
由乃さまだった。
「紅薔薇さまなら今日は帰るって、さっき会ったときに言ってたわ」
そう静先輩が言うと、由乃さまは泣きそうな顔になってうつむいた。
「どうしたの?」
「……いえ……祥子さまがいないなら、いいんです」
小さい声でそう言って、逃げ出すように背を向けた由乃さまの手を静先輩は素早く捕まえた。
「祐巳ちゃんに何かあったの?」
「……祐巳さんは帰りました。怪我も病気もしていません」
そう言って、そっと由乃さまは静先輩の手を離すと、階段を駆け下りていった。
「乃梨子、最近祐巳ちゃんに何かあったの?」
静先輩は乃梨子に聞いてきた。
「二日ぐらい前から、学校には来てるみたいなんですが、ここには来なくなったんです」
「学校には来てるって……山百合会に専念してる人が、どうしたのかしら?」
首をかしげながら静先輩は席に戻る。
「関係あるかどうかはわからないんですが、ここに最後に来た時に『自分は紅薔薇さまには不釣り合い』なんて事を言っていました」
「……もしかして、あの噂のことを気にしてるのかしら?」
噂、と聞いて乃梨子にも思い当ることがあった。
「瞳子のことですか?」
「ああ、聞いていたのね」
同じ学年だから、きっと静先輩自身が目にする機会もあったのかもしれない。
「……紅薔薇さまの妹の座を狙ってるとか」
思いきって、乃梨子は鎌をかけるように言ってみた。
「大胆な噂よね。あり得ないのに」
それを静先輩は鼻で笑った。
「あり得ませんか」
「ええ。いくつか根拠を上げられるけれど、バレンタインの話なんかがわかりやすいかしら」
バレンタインとは二月に男子にチョコをやるというあれ? それがどう関係あるのだろうと首をかしげていると静先輩は説明してくれた。
「うちの学校は中等部までは校則が厳しいのだけど、高等部に入ると生徒の自主性に任されるから校則が緩やかになるのね。そうするといろいろなイベントに燃える生徒が多いのよ。その一つがバレンタインで、憧れの生徒にチョコを渡すわけ」
「女同士で、ですか?」
「あら、女同士でチョコをやり取りしちゃいけないって事はないでしょう?」
「それはそうですが」
「で、祥子さんは一年生の頃から人気があって、多くの生徒が祥子さんにチョコを渡そうとしたんだけど、あの方、全てのチョコを『貰う理由がない』って辞退したのよ。勝手に置いていかれたチョコは期限を区切って処分するって張り紙までして、本当に焼却炉に投げ込んだみたい」
「ひえっ」
思わず乃梨子は悲鳴を上げた。たかがチョコでそこまでやるか。
「でも、去年ある生徒のチョコだけは受け取ったの」
クスリ、と静先輩は笑った。
「……それが祐巳さまですか」
「そう。あの方はああいう方だから、二股なんて発想がないでしょうし、祐巳ちゃんのことは何がなんでも手離さないはずよ」
「でも、祐巳さまは――」
「祐巳ちゃん、去年の学園祭でシンデレラって呼ばれていたわ。実際に山百合会の舞台劇でシンデレラを演じたのは祥子さんだったのだけど、祥子さんの妹になるまで生徒会どころか委員会や部活もやったことのない平々凡々な、いってみれば山百合会から最も遠い生徒の一人だと思われていたから」
なんとなくわかってきた。
「シンデレラのお話って、めでたしめでたしで終わるけど、実際はその後の方がドラマよね。王妃に相応しい努力が求められるでしょうし、ライバルが現れたら、気軽に声をかけてくるような王子があっさり心変わりするっていう危機感もあるでしょうし」
静先輩はそう付け足した。
「なるほど、地位を守れなかったシンデレラもいれば、王妃としてめでたしめでたしとなるシンデレラもいると」
「さあ? 逆に王子の器量次第って事もあるわよ。シンデレラを王妃として育て上げられるか、ちょっとかわいいだけの庶民の娘で終わらせるか」
祐巳さまの人気を思えば、紅薔薇姉妹はお互いにめでたしめでたしとなるように頑張っていたんじゃないか、と去年のことを知らない乃梨子は思う。
「じゃあ、どうしてみんなそんな噂を」
「姉妹というのは一対一の人間関係。綺麗事もあれば、ドロドロとした愛憎劇もあるのよ。特に、有名人となるとやっかみもあるからちょっとしたことで浮気とか破局なんて話になって広まってしまう。『人の不幸は蜜の味』なんて言うでしょう」
「なんだか、ワイドショーみたいですね」
「それに一役買ってるのが『リリアンかわら版』よ。去年の黄薔薇革命なんかいい例」
「黄薔薇革命?」
「由乃ちゃんが令さんにロザリオを返して、それがきっかけで姉妹別れが流行ったことがあったのよ」
「ええっ!?」
でも、黄薔薇姉妹は今現在も姉妹ですが。
「その後仲直りして、由乃ちゃんから妹にしてほしいって頭を下げて、元の鞘に収まったら、今度はそれが流行ったわ」
あの二人にそんな過去が……本当に、わからないものである。
「つまり、多くの生徒はそういうのが気になるって事よ」
「……あ、それで私の時も教室にみんな見に来たりしたんですか」
今さらながら、乃梨子はあの時のことを思い出した。
「一つものしりになったわね。友達とかお姉さまって持っておいて損はないでしょう?」
と、いつもの皮肉で静先輩は乃梨子をチクリと刺すのであった。
「でも、お姉さまもお姉さまがいなかったんですよね」
それに対抗して、乃梨子はちょっと言ってみた。
「ええ。誤解している人もいるけど、私はあの方の妹になりたかったわけではなくて、あの方に告白するためだけに選挙に出たんですもの。当選後も妹にしてくれなんて言わなかったわ」
「はあっ!?」
さらりと静先輩は言ったが、乃梨子は驚いた。
「あの方、必要な人や興味を持った人以外のことは覚えてもくれないの。それで、私のことを覚えてほしくて選挙に出て、告白したのよ」
結果は聞かなくてもなんとなくわかったので聞かなかった。
「だからといって、山百合会の仕事で手を抜くつもりはないわ。委員会も、部活も」
「はあ……」
微笑む静先輩とは対照的に、乃梨子はまた静先輩がよくわからなくなった。
その日は誰も来なかったので、静先輩がどこかへ行く時間になったので、乃梨子もおいとますることにした。
翌日。
「ごきげんよう」
教室に入るとクラスメイトの何人か、それも噂好きのグループが乃梨子の顔を見て一斉に近づいてきた。
嫌な予感がするので、目を合わせないようにして机にカバンを置いて逃げようとしたが、廊下に出たところで取り囲まれた。
「乃梨子さん、昨日私、見ちゃったのだけど」
「何?」
「祐巳さまが校門のところでずぶぬれになってて、その直前に瞳子さんと紅薔薇さまが一緒に車に乗って帰っていったんだけど……瞳子さんが祐巳さまのロザリオ奪ったって、本当?」
瞳子ーっ!?
【No:3385】へ続く
辺り一面、何処までも続く闇。
(ここは何処だろう?)
唯一あるのは、立っているという感覚のみ。
音も無い。
あるのは自分の呼吸音と脈の早くなった心臓の音だけ。
怖くなってきた私は、ゆっくり歩き出す。
「トン、トン」と足音がなる。
聞こえてくる私の足音が耳に届くにつれて、何かに追いかけられているような錯覚を起こす。
私は恐怖に駆られて走り出した。
「タッ、タッ、タッ」と音が鳴る。
私は何度も後ろを振り返ったが誰もいない。
それでも聞こえる足音。
私自身の足音だと分かっていても、恐怖を覚えた心はどうしようもない。
私は必死に走る。
何処に向かって走ればいいのか分からない。
それでも私は走り続ける。
「助けて!!誰か助けて!!」
叫んだ声は響くことなく、闇の中へと消えていった。
叫び声に反応するものは無い。
それでも私は叫び続ける。
声が嗄れるまで、何度と無く。
次第に涙が溢れてきた。
こぼれ続ける涙。
もうどうしていいのか分からない。
(助けて!!助けて○○さま!!)
バサッ!!
私は勢い良く布団から身を起こした。
「はぁ、はぁ、はぁ」
荒くなった呼吸が中々収まらない。
体はひどく汗をかいていた。
震えが止まらない。
私は固く握り締め、解くことのできない両手を見つめながら、呼吸が整うのを待った。
(夢?・・・。)
気がつくと、涙が零れていた。
私は、自分が泣いていることに気づかないほど、見ていた夢が恐ろしく、縮こまっていた。
「すぅー、はぁー」
恐怖で固まった体を解すため、一度大きく深呼吸する。
そして、少し落ち着いたところで辺りを見回す。
当然のことながら、ここは自分の部屋だった。
(・・・。夢、でよかった・・・。)
少しだが、気分が治まってきたように感じる。
(取りあえず着替えよう)
私は風呂場に行き、タオルを残り湯につけ、絞ってから体を拭いて着替えた。
その足でキッチンに行き、何杯もの水を煽るように飲んだ。
「ごくっ、ごくっ、ごくっ、・・・うっ!」
「ごほっ!ごほっ!!」
勢いよく飲んだため、気管に入ってしまった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
呼吸が荒くなる。
何とか状態を落ちつけ、窓の外を見る。
そこには、闇夜を照らす月が私を照らしていた。
(・・・。)
次第に落ち着いていく。
(私はあの時、誰の名前を呼ぼうとしたのだろう?)
先程の夢の中で、私は誰かを呼んだ気がした。
しかし、気を抜くとさっきの夢がよみがえってくるようで怖かった。
それ以上考えることを止め、自室へと戻る。
私は恐怖に駆られたまま眠ることができず、夜が明けるまで本を読み続けるのだった。
朝、いつものようにマリア様に手を合わせる。
祈ることは、(今日も何事もなく、一日が過ごせますように・・・。)
私の願いは、いつもと変わらない。
唯、日々を過ごしていく上での、安らぎのある一日を求める。
祈り終わると、鞄を持ち直し校舎へ向かって歩き出す。
右足を前に、左足を前にと、交互に繰り返していくだけ。
思考は何もない、何も考えることができないといった方が正しい。
歩みを前へと進める。
唯、それだけ。
教室に着くと、クラスメートから「ごきげんよう」と挨拶を受ける。
私も「ごきげんよう」といつもの表情で挨拶を返す。
そして、そのまま自分の席に着くと何をするでもなく、朝拝が始まるまで窓の外をみていた。
授業が何事もなく進む。
私は、先生が板書した内容をノートに書き写していく。
黙々と、手を指を動かしていく。
(私は・・・。何をしているのだろう・・・?)
ここ最近、そんなことを考えては消えていく。
(こんなこと、考えても答えなんて出るわけがないのにね・・・。)
そのとき、(・・・?)何かの気配を感じ、顔を上げて辺りを見回してみる。
(気の・・・せいかな?)
授業は何事もなく進んでいる。
その中で、視線を感じたような気がしたのだ。
特に気にするわけでもなく、そのまま何事もなかったように過ごしていく。
昼休みになると、私は教室を出て大きな桜の木がある校舎裏へと向かう。
ここは、風の通りがよく心地よい。
それでいて生徒は殆ど来ないため、一人になるのには都合が良いのだ。
私は、弁当箱の蓋を開けたまま目を瞑り、流れ行く刻と、心地よい風に身をゆだねる。
(いつまで一人でいるつもりなの?)
(何で私を避けるのよ!!)
以前、二人に言われた言葉。
一人でいるつもりも、避けているつもりもなかった。
唯、心が求めるまま、気の赴くままの行動がそうさせたようだ。
何故だろう?「寂しい」という気持ちがまるで湧いてこなかった。
何故だろう?あの時、何故私は笑っていたのだろう。
(・・・。)
決して答えの出ないことを分かっていながらも頭から離れない。
「ふぅー」っと、息を一吐きし、空を見上げた後、昼食をとるのだった。
午後の授業が終え、部活に行く生徒、帰宅する生徒、雑談している生徒などがいる中、私は窓の外を眺め続けていた。
何処を見るともなしに、唯ぼんやりと景色を眺めるだけ。
クラスメートの8割くらいが教室を出た後、教室を後にする。
その際、クラスメートからの「ごきげんよう」に対し、私もいつもの表情のまま、「ごきげんよう」と挨拶し、教室を後にする。
何の気なしに歩いていると、「タッ、タッ、タッ、タッ」と足音が・・・「ドンッ!!」そのまま私とぶつかり、お互いが向き合うように倒れる。
「イタタタタ・・・。」
目の前の子を見る。
辺りに荷物をばら撒き、痛そうにしている。
私は立ち上がると、目の前のに向かって手を伸ばす。
「大丈夫?立てる?」
その生徒は、私の顔を見ると「申し訳ござ・・・・」途中で止まってしまった。
「んっ?」私が不思議に思っていると、「あっ、あっ、」と口を大きく開けたまま、次の瞬間「申し訳ありませんでした!!」と、立ち上がったと思うと直立不動から深々と頭を下げ、「本当にすみませんでした!!」ともう一度謝ってから急いで荷物を集め、その場を走り去っていった。
私は、その背中を不思議に思いながら見送り、そのまま歩き出した。
(何だったのだろう?まぁ、お互い特に怪我もなかったからよかった・・・。)
さっきの場面を見ていたのだろう。
たくさんの視線を感じる。
しかし、私は気にすることなく目的の場所へと歩いていくのだった。
ミルクホール、以前の私は余り縁のない場所だったが、今ではほぼ常連と化している。
私は、飲み物を購入すると外の景色が良く見える場所を探し、席に座る。
特に何をするでもなく、飲み物がなくなるまで外の景色を見ながら刻を過ごすのだ、ただゆっくりと・・・。
どのくらいそうしていたのだろう?
ふと、テーブルに影が落ちたような気がしてそちらに顔を向ける。
そこには、二人の女性が立っていた。
私は、そのお二方のうち一人を認めると、今日初めての笑顔がこぼれるのだった。
それは、誰が見ても笑みがこぼれるような眩しい太陽であった。
むかーし、昔。その昔。
あるところに佐藤聖がいました。
聖「おいおい、名指しかい」
聖が十七歳になったクリスマス、枕元の靴下にプレゼントが入っていました。
『聖ちゃんへ
Happy Birthday!
Merry Christmas!
Happy New Year!
プレゼントとして
こいつらをくれてやる
ありがたく使いなさい
だからこれ以上は
おねだりすんなよ
by父ちゃん母ちゃん』
聖「いや、ウチの親、こんな事は言いませんて」
靴下の中に入っていたのは銘刀『太郎』と桃が三つと取扱説明書でした。
聖「え〜と、なになに? 『BQEX謹製召喚獣セット』嫌な予感しかしないな。……『よい子のみんなへ。このモモカプセルを40℃で あたためると かっこいい しょうかんじゅうが 生まれるよ! ―対象年齢五歳以上―』……って、確かに五歳以上だけどさ、こんなのいらないって」
ぽいと捨てたら、部屋が汚かったので何かが発酵している熱で桃カプセルが話の進行に都合よく40℃で温まりました。
聖「だからさ、部屋は汚くないって言ってるでしょ? 【No:2926】のネタじゃん。懐かしいけど、本当に汚くないから部屋」
桃のカプセルから召喚獣が生まれました。
一匹目。
それは賢そうな犬でした。
蓉子「わお〜ん!」
聖「ちょ……(爆笑して喋れなくなっている)」
蓉子「失礼ね。与えられた役は豚だろうか犬だろうがやり抜くのが水野蓉子クオリティ! 今日の私は忠犬蓉子。台詞も言えない奴は身をもって諌めるのが忠犬の役目って、ことで『バーチカルアロー』!」
蓉子の必殺技が炸裂しました!
聖「ぐふあっ!! どっかから引っ張ってきたのかよくわからない必殺技はやめて!」
蓉子「『ストレートスライサー』!」
【しばらくお待ちください】
聖「もう抵抗しないから攻撃はやめてっ! 次に進めさせて」
蓉子「わん!」
聖(くっ、駄目だ。蓉子が台詞言う度に、吹く)
桃のカプセルから召喚獣が生まれました。
二匹目。
それは俊敏そうな猿でした。
祐巳「う、うき〜」
聖「……ええと」
祐巳「ち、違いましたか? 今日は私が猿なんですけど『うき〜』じゃなかったですか?」
聖「猿なんだ。犬と猿逆の方が――」
蓉子「がるるるるる……」
聖「(急にわざとらしく)なんて、思ってるわけないじゃないっ!」
祐巳「あ、あの。『うき〜』でいいでしょうか?」
聖「いいよ。祐巳ちゃん可愛いから」
蓉子「がるるるるる……」
聖「ちょっと。今の何が不満なの?」
蓉子「『スピンフォール』!」
蓉子の必殺技が炸裂しました!
聖「ぐえええっ!!」
【しばらくお待ちください】
聖「暴れないでっ! 次っ! 次っ!」
蓉子「わん!」
祐巳「うき〜」
聖(くっ、蓉子にボケを担当させたら容赦ないから怖い……)
桃のカプセルから召喚獣が生まれました。
三匹目。
それは華麗な雉でした。
志摩子「ケーン!」
聖「何それ」
志摩子「(顔を赤らめ)き、雉です……普段、ウサギしかやらされたことがないので、慣れてないのでこうなりました」
聖「まあ、雉をやりなれてる高校生なんて普通いないから」
志摩子「(目をうるませて)ご、ご迷惑でしたか?」
聖「そんなことはないよ」
蓉子「がるるるるる……」
聖「普通に妹と会話して何が悪い!?」
蓉子「美女を泣かせるのは禁止!」
祐巳「蓉子さま、面食いですからね〜。私はどうなってもいいんですよね〜(いじけモード)」
蓉子「そ、そんなことないわよ、祐巳ちゃんは祐巳ちゃんで抱き心地がいいし、可愛いもの」
蓉子は祐巳の肩を優しく抱きました。
祐巳「ホントですか?」
蓉子「(祐巳の耳元で小声で)でも、祥子利権で抜け駆けは許さないから」
聖(こ、怖い……)
聖の母「あら、聖ちゃん。召喚獣が生まれたのね。じゃあ、吉備団子あげるから、とっとと鬼退治をしてらっしゃい」
聖は母から吉備団子を三つもらいました。
聖「ちょっと待った。展開が早いっていうか、保護者なら子供が危ないことをやろうとしてるんだから、止めて」
蓉子「桃太郎役を止めるバカな親がどこにいるの?」
祐巳「ここでコントだけで終わったらそれはそれで『私得』ですけどね」
志摩子「あの、雉ってどうやって鬼を倒せばいいんですか?」
蓉子「現場についたら指示があるから、適当でいいわよ、適当で」
聖「ひどい! 負けたら桃太郎の責任になるのに」
蓉子「あなたは『佐藤聖』だからそこまで期待されてないから大丈夫よ」
聖「本当に今日の蓉子は鬼畜だ!」
蓉子「違う。『犬畜生』」
聖「だ、誰がうまいことを――」
そんなこんなで鬼が島につきました。
聖「移動も宣言してないのに、早っ!!」
判定のいらない移動は『○○に移動しました』で移動可能なのはお約束です。
聖「はあ。ところで、鬼はどこ?」
景「来たな! 桃太郎め!」
聖「はっ! 鬼に見つかった! 水鉄砲攻撃!」
それは【No:3331】のネタです。
静「そんなもの、効きません! 『旋風棍』!!」
静の必殺技が炸裂しました!
聖「がふっ!!」
栞「『疾風拳』!!」
栞の必殺技が炸裂しました!
聖「がはっ!!」
景「『グリフォンアッパー』!!」
景の必殺技が炸裂しました!
聖「ぎゃううっ!!」
景「桃太郎、あっけなかったわね」
聖「ちょ、ちょっと待った。犬と猿と雉は何をしてるわけ? 私、ボコボコにやられてますけど」
蓉子「何言ってるのよ。私たちは召喚獣なんだから、呼んでくれなきゃ活躍できないわよ」
聖「あんなに露出してるのに一々戦闘の時は呼び出さなきゃいけないってどんだけ不便なんだよ、召喚獣!」
蓉子「で、呼び出すの? 呼び出さないの?」
聖「呼ぶ! 呼びます! って、いうか、助けてください!」
聖は犬、猿、雉を召喚しました。
蓉子「フン、雑魚が。名乗らせる前に片づけてやるわよ!」
静「ちょっと待ってください! ゲストで呼ばれてるんだから、名乗らせてくださいよっ!」
景「うわーっ、どっちが鬼だかわからないっ!!」
栞「非道! 正に非道!」
台詞の前に名前は出てますが(笑)
蓉子「行くわよ、祐巳ちゃん! 志摩子!」
祐巳「うき〜!」
志摩子「ケーン!」
蓉子「わんわん!」
聖「ストーップ!! 蓉子、さっきの必殺技は? 私のこと沈めたどっかから引っ張ってきた技があったよね? なんで鬼に使わないの?」
蓉子「使ってほしいの?」
聖「そりゃそうでしょう」
蓉子「仕方ないわね。『M・スプラッシュローズ』!!」
聖「って、私に使うなああぁっ!! (コテ)」
聖は倒れました。
志摩子「おっ、お姉さま……いやあっ!! お姉さまが死んでしまったわっ!!」
聖「いや、生きてますけど」
志摩子「草葉の陰から見守っててください、お姉さま! 敵を討たせていただきますっ!!」
聖「だから、死んでない、死んでない。それに攻撃したのは鬼じゃないし。(いや、鬼より怖いけど)」
志摩子「『花蝶扇』! 『陽炎の舞』! 『真・花嵐』!!」
志摩子の必殺技が炸裂しました!
静「そ、そんな連続技、卑怯よ! (コテ)」
静は倒れました。
景「ゲージを無視するとは…… (コテ)」
景は倒れました。
栞「ガードしたから大丈夫」
栞はまだ立っています。
祐巳「じゃあ、しゃがみパンチキャンセル『クラックシュート』!」
祐巳の攻撃が炸裂しました!
栞「マニアの技を使わないで〜っ! (コテ)」
栞は倒れました。
鬼を全滅させました。
聖「勝ったからめでたしめでたしでいいよね」
蓉子「何言ってるのよ。桃太郎といえば財宝でしょう?」
聖「財宝って、この鬼は財宝持ってるの?」
志摩子「……お姉さま、財布を漁ってみましたが、それぞれ、二千円、千円、五百円でした」
聖「不良中学生のカツアゲみたいな真似はやめなさいっ!!」
聖は慌ててお金を戻しました。
蓉子「ちょっと、タダ働きさせるわけ?」
祐巳「うう、なんてひどい雇用主なんでしょう。雇用契約違反で裁判所に訴え出ていいでしょうか」
蓉子「優秀な弁護士の先輩を紹介するわ」
聖「人聞きの悪いことを言うな! みんな召喚獣でしょう」
蓉子「何言ってるのよ。今どき無償でご主人さまに尽くすなんて幻想もいいところだわ」
聖「うっ」
志摩子「お姉さま、刑務所に入ることがあったら慰問に行きますね」
聖「そこまで話は進んでるのかっ! ……いや、待った。大事なことを忘れていた」
聖は召喚獣に吉備団子を一つずつ差し出しました。
蓉子「仕方ないわね。いいわ。今回はこれで勘弁してあげる」
祐巳「じゃあ、お姉さまのところへ戻ろうっと」
志摩子「乃梨子が待ってるから行かないと」
召喚獣は帰っていきました。
聖「ふー、なんとか助かった」
聖がほっと一息ついたときでした。
栞「……うう」
景「あ〜、ひどい目にあった」
静「ま、まだまだやれるわ」
なんということでしょう。
逃げ遅れた佐藤聖と復活した鬼の目があいました。
聖「ちょ、ちょっと待った」
栞・静・景「はあっ!?」
その後、聖がどうなったのかは伝わっていません。
これで、この物語は終わりです。
蓉子「きっと聖のことだから、ハーレムエンドにでもなってるわよ」
祐巳「主人公補正ってどこにでもありますからね」
志摩子「いいわ。私には乃梨子がいるから」
現実。
栞「聖、今日の夜はシチューが食べたい」
静「私は豚の生姜焼きがいいんだけど」
景「ちょっと、まだ洗濯終わってなかったの!?」
聖「しくしくしくしく」
こき使われてました。
BAD END
ごきげんよう、お姉さま方。
×××
【No:3351】の続きです。
最初の劇の稽古が終わって、帰りの事だった。
靴を履き替え、帰ろうと下駄箱で、桂と一緒になった。
祐巳は「ごきげんよう、桂さん」と言うと、「ごきげんよう、祐巳さん」と返事が返ってくるものとばかり思っていたが、祐巳が思っていた以上に薔薇の館の住人たちは甘くはなかった。
「ごきげんよう、桂さん」
「ごきげんよう、祐巳さん」
「今から帰り?」
「ええ、部活が今終わった所」
「それじゃ、又テニス部のお姉さまとデート?」
「エヘヘ、そんなところ…かな…」
祐巳が茶化すと桂は少し照れたように答えた。
「お熱いことで」
「そんなことないもん。祐巳さんだって同じじゃない。さっきダンス部の人が言ってたけど、祐巳さん、祥子さまばかり見ててロサギガンティアや令さまの足を踏みまくったらしいじゃない。後、ロサフェティダは『祐巳ちゃんは祥子と踊りたいが為に、稽古に参加しているの。早く踊れるようになって祥子にふさわしい妹になるんだ』って言ってたらしいわよ」
「!?」
突然の桂のセリフに困惑する祐巳。
更に追い討ちをかけるようにクラスメートたちも現れた。
「あ、いたいた、祐巳さん」
「祐巳さん発見〜」
「ねぇねぇ祐巳さん、今朝は否定されたけど、本当のところはどうなの?」
「あ、それ私が聞こうとしてたのに」
「いいじゃない、早い者勝ち」
「で、どうなの?祐巳さん」
「祐巳さん」
祐巳の返答も聞かず、矢継ぎ早に質問するクラスメートたち。
子羊と言っても、思春期の少女達。男女の恋愛話の無いリリアンでは、この手の話題には興味津々。目を輝かせて聞きたがるのだ。
祐巳も一応、思春期だが、忍に思春期もヘったくれも無いのが現状。興味津々だが、御法度なのである。
「え〜っと…」
「え〜っと?」
祐巳が答えるのを今か今かとにじりよる子羊たち。本当の子羊たちなら、どんなに良かっただろうと思ったりもするが、相手はあくまでも人間、逃がしてはくれない。逃げるだけなら簡単だが、正体がバレては元も子もない。
祐巳は頭をフル回転させ、今までの訓練の中で何か役に立つものを探す。
(色仕掛け…は、ダメだ、相手は女、無理だ。殴って気絶…は問題外。身代わりの術…バレたら里行きだ。後は…泣き落とし…は女だしダメか…ん?泣き落とし?いけるかも?)
戦術は決まった、後は実行のみ。
「さ、祥子さまと私の…関係は…」
「関係は…?」
ゴクリと喉を鳴らし、ロマンティックが止まらない子羊たち。
「…ご想像に…」
ここまで祐巳が言うと、泣き出した。
「祥子さまが…祥子さまが…私なんか…妹になんかに…するわけ…無い…じゃな…い…」
突然泣き出した祐巳に困惑するクラスメートたち。
「わ、私達、祐巳さんを泣かせる為に聞いた訳じゃないから…」
「そ、そうそう、決して悪気があった訳じゃないから…泣かないで…祐巳さん」
「わ、私、用事を思い出したから…」
「私も…」
皆我先に逃げ出す中、祐巳は内心「大成功」と思いつつ、辺りを確認した。誰が見てるか解らない為、すぐに立ち上がることは出来なかったが、居ないのを確認すると、すぐさま退散した。
次の日、昨日のことがあってか、特に聞いて来る者はおらず、それなりに快適な授業だった。視線はうるさかったが、気にしない。流石の蔦子も今は様子見、といった所も幸いだった。
昼休みに志摩子に誘われ、講堂の裏にある桜の所で昼食を取ることとなった。
「志摩子さんはいつもここで昼食を?」
「そうね。春は桜がキレイだから良いけど、夏はこの木に毛虫がわくからちょっと嫌ね。冬も寒いからここでは取らないわね」
「そうなんだ」
「ええ」
「志摩子さん、一つ、聞いても良いかな?」
「何かしら?」
「どうして志摩子さんは、祥子さまのロザリオを断ったの?」
「…」
志摩子は少しびっくりしたようだったが、嫌な顔はしなかった。
「何か…悪い事…聞いたかな…」
「…いいえ、ちょっと、驚いただけ。今まで誰にも聞かれなかったから」
「そうなの?」
「ええ、そうね…私は祥子さまではダメだと思ったの。同じように、祥子さまも私ではダメだと思ったの」
「ダメ?」
「何て言って良いか解らないけれど、祥子さまが私に与えるもの、私が祥子さまにお返しするもの、は違うの。考え方、もそうだし、価値観、の違いもあるかしら…上手くは伝えることは出来ないのだけれど…」
「考え方、価値観、か…確かに、志摩子さんと祥子さまでは違うのかもしれない…(SとMだし…むしろ上手くいくと思ったんだけどなぁ…何が違うんだろう?)」
「そういう祐巳さんは?」
「私?私は…(どうしよう…『首輪』なんてゴメンだ、とは言えないし…任務に差し支えたら困る、とも言えないし…さあ、どうしたものか)」
祐巳が困った顔で思案していると、
「無理には聞かないわ。さあ、昼食を済ませましょう。お昼休みが終わってしまうわ」
「…そうだね。(良かった〜突っ込まれたらどうしようと思った)」
その時、蔦子が祥子を伴って現れた。
「ごきげんよう、お二方」
「ごきげんよう、蔦子さん、それに祥子さままで!」
「ごきげんよう、祐巳。貴女に渡したい物があって来たの」
「渡したい物?」
「これよ」
と言って祥子は一冊の本…『シンデレラ』の台本だった。
「これは…」
「貴女も劇に参加するのだから、台詞をしっかり覚えないといけないでしょう?」
ページをめくると、シンデレラと姉Bの所が色分けしてあった。
「なぜ、シンデレラと姉Bの台詞が色分けされているのですか?」
「貴女は姉B、私はシンデレラだけど、貴女が妹に成れば、逆転するでしょう?」
「…それは無いと思います」
「貴女はシンデレラに成ることが決定しているのだから、シンデレラの台詞を覚えなさい」
「…それなら姉Bの台詞を色分けする必要は無いと思いますが…」
「…それもそうね…何で気付かなかったのかしら…」
(…わざとなのか、天然なのか、判別しかねる人だなぁ…これで学年一位とは…まさに天才とバカは紙一重…か…)
「…祥子さまの中では、すでに答えが出ている御様子…私が妹に成ることが有り得ない、と…」
「!?」
どうやら図星らしい…子羊というものは皆似たり寄ったり…の様だ…と、祐巳は思った。
だが、祥子はやはり天然であった。自分では図星とは思ってないらしい。
「いいえ、貴女は妹に成ることが決まっているの!」
「…なぜ、そんなに自信たっぷりなのか解りませんが…」
祐巳が変に思っていると、祥子は自信たっぷりにこう言った。
「だって昨日夢で見たもの!」
「…」
これには祐巳も閉口せざるを得なかったが、志摩子達は違った様である。
「おめでとうございます、祥子さま」
(志摩子さん!?)
「それなら間違いナシですね!!」
(蔦子さんまで!?)
祐巳は驚いた。同時に恐ろしい…と思った。
(子羊たち…って…頭の中が…)
祐巳は例えバレて元も子もなくなったとしても、逃げ出したくなった。
「そういうことだから、ちゃんと覚えてらっしゃね。祐巳」
「…ワカリマシタ…サチコサマ…」
〜所変わって学園長室前〜
再び祐巳は学園長室前にやって来た。今回は誰も居ないのを確認すると、音を立てないように侵入する。
中に誰も居ないのは、先ほど窓側からも確認済み、監視カメラが無いのも確認済みであった。
中に入ると、目的の『隠し扉』に近づく。罠が無いのを確認し、『隠し扉』の中に入る。この時、誰かが帰って来てもわかるように、盗聴器を仕掛けるのを忘れない。
『隠し扉』の中に入ると、地下に続く螺旋階段があった。祐巳は音を立てないように慎重に階段を降りる。階段の途中にも盗聴器を仕掛ける。帰りに鉢合わせはゴメンだ。
…どれくらい降りただろうか…地下二階か三階くらい降りて階段は終わった。曲がり角の所で鏡を使い、見張りが居ないか確認する。
(…見張りは…居ない…監視カメラは…無い…)
ここで一気に駆け抜けたい所だが、罠やセンサーがあってはたまらないので、ここも慎重に行動する。盗聴器をセットするのも忘れない。今まで侵入者が居なかったのか、何もなかった。何事もなく『目的地』に到着する。
ここからが問題だ…事前情報だと、『目的地』…『工場』内には人が居る。それが『誰か』まではわかっていない。
『工場』入口にはセンサーの類はなかった…鍵すら無い…少々お粗末な気もするが、知った事ではない。任務が重要なのだ。
『工場』内に入ると、いくつも温室があった。『上』にある古い温室には薔薇があったが、ここは違う。
確かに『それ』は咲いていた。学園とは無縁の…無縁どころか、あってはならない物がそこには咲いていた。
証拠の写真を撮る…もちろん音が鳴らない特別製。そして証拠の品も採取する。バレないように根っこからだ。後はここの『管理人』を写真に収め、撤退するだけだ。
『管理人』を捜そうとした矢先、祐巳の盗聴器に反応があった。すぐさま姿を隠す。
ほどなくして『彼女』は現れた。祐巳は思わず声を出しそうな程驚いた。まさか『彼女』が現れるとは予想外だったからだ。
『彼女』は『管理人』に会いに来たらしく、『管理人』の名を呼んだ。
「栞…栞はどこにいるの…会いに来たよ…」
ごきげんよう、お姉さま方。
×××
「皆様ごきげんよう。瞳子の親友(自称)乃梨子です。最近、瞳子は役作りにはまっているらしく、週替わりで髪型を変えてます。まあ、ほとんどは桂…もとい、カツラなのですが。どんなものか紹介して逝こうと思います(笑)」
○月○日
瞳子はいつものドリルではなかった。
「おはようございます、乃梨子」
「…おはよう、瞳子。何よ、それ…」
「ああ、これですか?役作りの為に今日からこの髪型にしようと思いまして」
「…○子夫人?」
「嬉しい、乃梨子さん。瞳子もそれ位美しく見えるのね♪」
「…(何このスーパードリル)」
○月△日
この日もいつものドリルではなかった。
「おはようございます、乃梨子さん」
「…おはよう、瞳子。これは…」
「ああ、これですか?役作りの為に今日からこの髪型にしようと思いまして」
「…どこキャバ嬢?」
「最近テレビで○王が流行りらしいので」
「悪いことは言わない、止めとけ」
「そうですか…セットに三時間かかりましたのに」
「…(まるで東京タワーみたいだ)」
△月○日
今日もいつものドリルではなかった。
「おはようございます、乃梨子さん」
「…おはよう、瞳子。これは…」
「ああ、これですか?役作りの為に今日からこの髪型にしようと思いまして」
「…どこの世紀末?」
「最近、悪役の気持ちを考えてみようと思いまして」
「…剃ったのか?」
「流石にカツラですわ」
「…ブッ(ヒャッハー、リリアンだぜー)」
◇月△日
今日もいつものドリルではなかった。
「おはようございます、乃梨子さん」
「…おはよう、瞳子。これは…」
「ああ、これですか?役作りの為に今日からこの髪型にしようと思いまして」
「…世紀末よりは…」
「ヒーローの気持ちを考えてみようと思いまして」
「もうそろそろ止めようよ…」
「そうですか?お姉さまも喜んでらしたのに」
「…祐巳さま…(スーパーサイヤ○3は無いと思います)」
×月△日
今日もいつものドリルではなかった。
「おはよう、瞳子。今日は…」
「見ないで下さい、乃梨子さん。恥ずかしいですわ…」
「…(何故恥ずかしがるのだろう?)」
「お姉さまに言われてこの髪型にしては見たものの、やっぱり恥ずかしいですわ」
「…(今までの方がよっぽど恥ずかしいと思う)」
「お姉さまとお揃いなんて…」
「似合ってるぜ、瞳子!」
瞳子は赤面して倒れた
「マホ☆ユミ」シリーズ 「祐巳と魔界のピラミッド」 (全43話)
第1部 (過去編) 「清子様はおかあさま?」
【No:3258】【No:3259】【No:3268】【No:3270】【No:3271】【No:3273】
第2部 (本編第1章)「リリアンの戦女神たち」
【No:3274】【No:3277】【No:3279】【No:3280】【No:3281】【No:3284】【No:3286】【No:3289】【No:3291】【No:3294】
第3部 (本編第2章)「フォーチュンの奇跡」
【No:3295】【No:3296】【No:3298】【No:3300】【No:3305】【No:3311】【No:3313】【No:3314】
第4部 (本編第3章)「生と死」
【No:3315】【No:3317】【No:3319】【No:3324】【No:3329】【No:3334】【No:3339】【No:3341】【No:3348】【No:3354】
【No:3358】【No:3360】【No:これ】【No:3378】【No:3379】【No:3382】【No:3387】【No:3388】【No:3392】
※ このシリーズは一部悲惨なシーンがあります。また伏線などがありますので出来れば第1部からご覧ください。
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。
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☆
ベルゼブブの右手に握られているしゃれこうべのついた魔杖。
その杖先から青白く輝く稲妻が祥子を襲う。
「『マカラカーン!』」
祥子は魔力反射障壁を張りながら走り続ける。
魔力反射障壁に到達した稲妻はその威力をそのままベルゼブブに跳ね返す。
その瞬間、ベルゼブブは数万の小さな蝿に姿を変え祥子に殺到する。
「『ファイヤー・ストーム!』」
威力は低いが広範囲に広がる炎の嵐。
その炎の渦に巻き込まれた蝿たちが火達磨になって飛び散る。
祥子は何度もベルゼブブの攻撃を避けながら考えていた。
巨大な蝿の姿の本体。 そのときには魔杖を持ち強力な魔法攻撃をしてくる。
そしてこちらが攻撃に転じると小さな幾万もの蝿に分裂して特攻攻撃を仕掛けてくる。
本体に魔法攻撃しても分裂して避けられる。
分裂した蝿は簡単な魔法で倒せるが本体には少しもダメージを与えられていないようだ。
(杖? 分裂したときに杖はどうなっている? 本体が数万の蝿になったとしても杖は蝿にはならないはず・・・)
ベルゼブブはまた本体に戻ろうとしている。 数万の蝿が一箇所に集まりベルゼブブの本体が形作られる。
その右手には魔杖が握られている。
(今、いったいどこから杖を出した? 蝿が多すぎて真っ黒になって見えなかったけど・・・)
またしてもベルゼブブの稲妻攻撃が祥子に迫る。
それを魔法反射障壁で避け、次の分裂した蝿をファイヤーストームで叩き落す。
(ほんとうにしつこい! 同じ攻撃しかしてこないし、いくら小蝿を叩き落しても本体の”気”の大きさが変わらない・・・)
もともと祥子は気の長いほうではない。
なにか障害があったとしてもその抜群の機転で次の策を編み出してきた。
この場にベルゼブブの本体を引きずり出したのもその機転によるものであった。
(どう考えても、あの杖が怪しい。 杖を封印すれば勝機はある。 封印するか・・・絡め取るか・・・。 とにかく杖の正体を暴く!)
「『Cane・Accio』! (ベルゼブブの杖よ我がもとに来たれ!)」
祥子は防御呪文で身を守りながら、同時に呼び寄せ呪文を唱えベルゼブブから杖を奪おうとする。
しかし、強力な蝿の王の腕は魔杖をしっかりと握って放さない。
それどころか、本体のまま祥子に特攻をかけてきた。
この戦闘になってから、初めての本体からの物理攻撃。
不意をつかれた祥子が必死で体を後方へ飛ばす。 ベルゼブブの強力な蝿の足が祥子の目前を行き過ぎ、その美しい黒髪を一束切り取ってゆく。
『マハラギオン』! 祥子は目の前に迫る巨大な蝿の足から目も逸らさず高温炎熱魔法を放つ。
至近距離からの魔法にさしものベルゼブブも分裂が間に合わず祥子の魔法の直撃を受ける。
「グオッォォオ!」 蝿の王・ベルゼブブから始めて苦悶の呻きがもれる。
しかし、これまで何体もの魔王を蒸発させてきた『マハラギオン』でさえ、ベルゼブブの表面の皮膚を溶かしただけであった。
祥子はまたしても走り出す。 とにかく一箇所に留まっていてはベルゼブブの攻撃をかわし切れないことはわかっていた。
(どういうこと? 本体を攻撃したらそれなりにダメージがあった・・・。 ”気”も多少は減った。 本体は見せ掛けで杖に本体が入っているのでは?と思ったのに。 違うの?)
『Cane・Accio』の魔法はそれなりに効果があった。 本体を祥子の元に呼び寄せる、という効果が。
しかし、それは確実に祥子がベルゼブブの攻撃を避けることが出来る、ということが条件となる。
さきほどは運良くかわせたが、ベルゼブブも次には対策をしてくるだろう。
同じ手を2度使うのは危険すぎる、と祥子は考える。
「『Incarcerous・Cane』! (魔杖を縛り上げよ!)」
祥子は今度は 『ノーブル・レッド』 から金の鎖をベルゼブブの魔杖に伸ばし、絡め取ろうとする。
ビュンッ! と音を立て、ベルゼブブの手元を離れた魔杖が祥子の手元まで飛んでくる。
しかし、それと同時に小蠅に分裂したベルゼブブが祥子に飛び掛ってくる。
祥子はあわてて 『Incarcerous・Cane』 を解除し、ファイヤーストームで小蠅を打ち落とす。
祥子が魔法を解除したため地面に転がった魔杖に蝿がたかる。
そしてその場所にベルゼブブの本体が出現する。
さすがに最強の魔王と言われるベルゼブブ。
祥子の繰り出す魔法でもなかなか打開策が見つからない。
しかし、祥子も一歩も引く気はなかった。
魔法使いとして、最強の魔王と渡り合っているのだ。
おそらく、人生を通じての最強の敵となるベルゼブブ。
こんな相手と数時間にわたって戦い続け、しかも互角以上に渡り合えているのだ。
( 『最強の魔王と互角以上に渡り合えている』? )
不意にクスクス、と祥子は笑い出す。
祥子の変化に驚いたのかベルゼブブの動きも一瞬止まる。
「おかしいわよね。 いくら魔法が出来るからってたかが女子高生が最強の魔王と渡り合ってるのよ?
ねぇ、『最強の魔王』さん。 あなた本当に最強なの? それとも私が魔王よりも上を行ってるってこと?」
急にしゃべり始めた祥子の様子を伺うようにジワジワと祥子の周囲を廻り始めるベルゼブブ。
「わたくしはね、もう3日も何も食べていないのよ? それに魔力の補給すらしていない。 眠っても居ないもの。
それなのに何体もの魔王を倒し、魔法を使い続け、あなたとも互角に渡り合っている。 なぜかしら?」
話し続ける祥子の『ノーブル・レッド』の先から真っ赤な光が溢れ始める。
その赤い光はどんどん長くなりこのフロアの回廊すべてを覆い尽くすまで伸びることをやめない。
回廊全体の気温がどんどん上がっていく。
祥子自身も真っ赤な覇気で包まれていく。
「そういうことなのよ。 信じられないけど私は既に魔王を超えた存在なの。
あなたにはわかっていたのね。 それでわたくしから姿を隠しここでガタガタ震えながら隠れていた」
祥子の杖先から伸びる赤い光はさらに伸び続け回廊を三週する。
「信じられない・・・か。 いえ、信じたくなかった。 だから確認をするのが怖かった。 でも仕方ないわね」
祥子が軽く『ノーブル・レッド』を振るう。
すると、回廊いっぱいに三週もしていた赤い光がベルゼブブを中心にして包み込むように、収束していく。
赤い光による監獄。 ベルゼブブは一歩も動くことが出来ずその場に立ち尽くしている。
「確認させてくれたことに感謝するべきかしら? ではごきげんよう」
祥子は立ち尽くすベルゼブブに背を向け最後の呪文を放つ。
「『メルト・ダウン』」
祥子の呪文が終わった瞬間、赤い糸はベルゼブブの体を完全に包囲し隙間なく埋め尽くす。
そこにあった物質をすべて原始レベルまで戻す呪文。 収束を終えた赤い光は音もなく消える。
それは、最強にしてもっとも静かな呪文であった。
ベルゼブブはこの世に全く痕跡を残すことが出来ないまま原子へと還っていった。
☆
〜 10月3日(火) 8時 暗黒ピラミッド 下層 〜
聖、祐巳、志摩子の三人は71番目の部屋、魔王・マルバスのいた部屋を抜けてから1キロ近く下りスロープを進んでいた。
「まいったね。 最初のうちは次の部屋まで100mちょっとしかなかったのよ?
それがどんどん距離が長くなるんだもんなぁ。 いいかげん歩きつかれたよ。
もう、20キロくらい歩いてるんじゃない?」
「そうですね〜。 こんなことならローラースケートでも持ってくれば楽だったかも〜」
「あ。それ言えてるわねぇ。 次に来るときは忘れないようにしましょう」
「祐巳ちゃん・・・。 志摩子・・・。 あなたたち強くなり方も天然っぷりも育っちゃったわね」
ガックリと肩を落とす聖。 さっきまで志摩子のことを見直していたというのに。
志摩子がしっかりしているから祐巳の代の薔薇は安泰だ、と思っていたが。
これでは、ボケ&ボケではないか・・・。 突っ込み担当が必要だ・・・。 由乃に期待・・・できるのか?
「それより聖さま・・・。 前のほうに強い”気”を感じます」
急に祐巳の顔に緊張感が戻る。
「ついに72番目の部屋ね。 順当なら”ベルゼブブ”がいてもおかしくわないわ。 気をつけて!」
72番目の部屋は扉がなかった。 あるものはただ回廊のみ。 広いフロアになっていた。
そのフロアの中心で祐巳は信じられないものを発見する。
「おねえ・・・さま?!」
「え? 祥子なの?」
祐巳の視線の先には艶やかな黒髪の少女。
膝を組んで小さくなって蹲っている。 まるで、小さな子供がかくれんぼをするように。
そして、その肩はわずかに震えていた。
「おねえさま! おねえさま! おねえさまー!!」
祐巳が肩を震わせている少女に駆け寄る。
少女は涙をいっぱいためた瞳をぼんやりと祐巳に向ける。
「夢を見ているのかしら・・・」
祥子の涙でかすんだ目に愛しい妹の姿が浮かぶ。
もう会えないと思っていた妹。 その存在を確かめたくて腕を伸ばした。
祐巳の目の前にゆっくりと、そして不安そうに祥子の腕が伸びてくる。
祐巳は祥子の手をそっと包み込んだ。
「あぁ・・・。祐巳・・・」
小さな声で妹の名を呼び立ち上がる祥子。 心配そうに手を差し伸べた祐巳をしっかりとその腕に抱きしめる。
「これは夢なの・・・」
「いいえ、おねえさま。 わたしはここに居ます」
まだぼんやりとした祥子に祐巳はしっかりとした声で答える。 涙でぬれた大きな瞳を見上げながら。
祥子の掌が優しく祐巳の頬をなでる。
「祐巳なのね・・・」
「ごめんなさい、お姉さま。 わたしお姉さまの大変なときに支えになれなくて・・・。
ここに来るのもこんなに遅くなってしまって」
祐巳の謝罪の言葉を聞いた祥子はゆっくりとかぶりを振る。
祥子の瞳に力強さが戻っていく。 やはり祐巳という妹の存在は祥子にとって大きいものなのだろう。
「いいえ、祐巳は悪くないわ。 ここに来るまで大変だったでしょう? 怪我はしていないの?」
心配そうに祐巳の体を見つめる祥子。
祐巳の服の右袖は切り取られそこからのぞく白い腕に気づく。
「あなた、この腕・・・。 もとの腕じゃないわね」
祥子は顔色を変えて腕をまじまじと見る。
「あの・・・。えっと、ちょっと怪我しちゃったので治療しました。
もうちゃんと動きます。 大丈夫です、お姉さま」
志摩子は、ゆっくりと祥子と祐巳に近づき、穏やかに二人の再会を見ていた。
「祥子さま、ごきげんよう。よくご無事で・・・」
二人の様子が落ち着いてきたのを見計らい、祥子に声をかける。
「よかった、祥子、大丈夫だったのね? 他の二人は大丈夫? 蓉子と江利子は?」
聖も祥子に近寄りながら問いかける。
「聖さま! 志摩子も。 3人でここまで来たんですね?!
聖さま、お怪我は? それに志摩子、あなた・・・とても綺麗だわ」
祥子は祐巳と共にここまで来た二人にようやく気づく。
そして、志摩子の纏う純白の鎧、 『ホーリー・ブレスト』 を見てすこし驚いた表情になる。
「ありがとうございます。祥子さま。 あの、いろいろとご報告することもあります。
それから・・・。 ロサ・キネンシスとロサ・フェティダのお二人はご一緒じゃなかったんですか?」
「えぇ、二人はこの下に居るわ・・・。 あなた、今、令のことを聞かなかったわね。
令がどうなったか知っているの?」
「お姉さま、あのっ! ロサ・キネンシスも無事なんですね? よかった〜」
祐巳があわてて祥子の質問を中断する。 そしてすぐに心底、ホッ、とした表情に変わる。
「ここまでの報告もあるし、お姉さまたちのこともお伺いしたいので一度全員で集合しませんか?」
と、祥子に提案する。
「ええ、そうね。 わたくしも情報が知りたいわ」
「じゃ、祥子、二人のところに案内を頼むよ。 二人とも無事なんだね?」
「はい。お二人とも元気です。 では合流しましょうか。 それにしてもよくご無事で」
「お姉さま」
と、小さな声で祥子に声をかけながら祐巳が祥子の手を握る。
祥子も祐巳の顔を見ながら、
「あら。 手をつなぐのとても久しぶりの気がするわ」
と、微笑み返す。
手をつないで歩く祥子と祐巳の姉妹を先頭に、聖と志摩子が後から続く。
ようやく、6人の薔薇十字所有者が再会を果たそうとしていた。
☆
〜 10月3日(火) 9時 暗黒ピラミッド 最下層の1階上 〜
「刹那五月雨撃っ!」 江利子の最強の攻撃が蓉子に迫る。
「羅刹龍転斬りっ!」 雨あられと打ち込まれる矢をすべて叩き落す蓉子の剣技。
「伍絶切羽っ!」 今度は5箇所の急所に確実に命中させる江利子の奥義。
「四方壊神!」 蓉子は左右の肩、足に四神の覇気を纏い最後の心臓めがけて飛んでくる矢を剣の腹で受け攻撃を防ぎきる。
「まぁ、この二つの技は見切られてるわよね。 やはりトリッキーな技じゃないと無理かしら?」
江利子はさして落胆した様子も見せず次の攻撃のため弓に矢を番える。
「どっちにしても弓矢の攻撃なんて無理じゃないの?」 と、蓉子。
「ま、今度は体は狙わないからじっとしてて」 にやり、と笑いながら江利子が言う。
「そうしてあげたんだけどね。 嫌よ」
と、心底いやそうな顔で応じる蓉子。
「ふん。 まぁいいわ。 秘技『影縫い・五色龍歯』っ!」
江利子の弓から、赤・青・黄・黒・白の5色の矢が放たれる。
その矢の軌跡を読みきった蓉子は自分自身に向けた攻撃ではないことを既に察知していた。
その矢の狙う先・・・。 それは蓉子の影。
しかも、伍絶切羽で狙うのと同じ箇所。 右肩の影に赤い矢が迫る。左肩には青い矢。左足に黒、右足に白。 そして影の心臓部分に黄色の矢が迫ってくる。
その技に不審を抱いた瞬間、蓉子は瞬駆で江利子に迫る。
本体と同時に動く影にさえ矢を当てさせる気はなかったし、とにかく近づかなければ遠距離攻撃の得意な江利子に有利なばかりだ。
「あらあら、簡単に近づけると思っているのかしら?」
江利子は笑いながらこちらも瞬駆で蓉子から距離をとる。
「まぁ、そう簡単に近づけるとは思っていない・・・。 むっ!?」
蓉子の体の動きが止まる。
「かかったわね。 その鏃は竜の歯で出来ていてホーミング機能があるのよ。
あなたがいくら早く動いても必ず命中するわ。 わたし『必中の瞳』を持ってるのよ。 知ってるでしょう?」
「そうね。 そのうえこの影縫い。 相手の動きを止めるには最適ね。 でも欠点があるわよ。 わかってるでしょ?」
「うふふ。 さすが蓉子。 そう、この技は太陽の光のように一つしか影が出来ないときに有効。
かがり火がたくさんあって影がいくつも出来るときは効力が落ちる。 あそこじゃ使っても意味がない技よ」
「わかっててなんで使うのよ」
「決まってるじゃない。 聖が来るまでの暇つぶし。 今回は私の勝ちでいいわよね?」
「わかった、わかった。 これで3勝3敗。 でも少しだけ打開策が見えてきた気がするわ」
「あなた、こんなときでもやっぱり優等生ね。 私たち二人じゃ無理。 向き不向きってあるじゃない。 私たちには向いていない、それだけよ」
蓉子と江利子は祥子が”ベルゼブブ”との闘いに赴いてから二人で戦い続けていた。
その戦いはあくまでも模擬戦ではあったが、お互いに死を決意してのもの。
自分の命を賭して初めて打開できる道もある。 そう考えた上での戦闘である。
自然、激烈なものとなる。
歴代のリリアンの薔薇十字所有者の中でも最強と言われる二人。
しかし、この二人をもってしても決定的な打開策が見当たらない。
すでに3日。 あと3時間しか残っていない段階で詰みが見えない。
「どうする? 7戦目するの? 今度は近距離からの戦闘でいいわよ」
「近距離からはもういいわ。 私の手は出しつくしたから。 遠距離からはどうなの?」
「さっきの秘技『影縫い・五色龍歯』でネタ切れ。 もう何にも出ないわ」
「やはり祥子を含めて3人じゃどうしようもないわ。 うまくいったとしても魔界の底に3人で落ちていくだけ、ね」
「そうでもないかも、よ。 見て」
江利子と蓉子の視線の先に4人の姿が見える。
手をつないだ祥子と祐巳を先頭に聖と志摩子の姿。
「江利子」
蓉子が厳しい顔で未だ遠くに見える4人を見つめながら言う。
「言いたいことはわかっている。 でも私の話が終わるまであなたは黙っていて」
「わたしが聖の相手をしてもいい、ってことなら」
「ふふっ、そうね。 幼稚舎時代からの因縁、だものね。 わかった、譲るわ」
☆
暗黒ピラミッドの下層において再会した6人。
3日。 たった3日しか経っていないのに6人は何年も会っていなかったかのような感覚にとらわれる。
それだけこの3日間の変化は大きかった。
本来なら飛びあがって再会を喜び合いたいところであった。
だが、切羽詰まった蓉子と江利子の顔を見た瞬間、センチメンタルな感情は消えうせた。
信じられないほど簡単に再会の挨拶を済ませた6人は、すぐさま情報交換を行う。
「はっきり言って時間がないの。 こちらの状況を説明してあげたいけどそれは後で時間があったらね。
まず、そちらの情報を教えて頂戴」
蓉子が一同を見渡して言う。 その口調は一切の反論を許さない、というように。
「わかったわ。 じゃ細かいことははしょって重要そうな事項だけ報告するわね」
一同は車座になって座る。 江利子、蓉子、祥子、祐巳、聖、志摩子の順で。
まず、聖から報告の口火が切られる。
「あなたたちが地下に落ちてすぐ、わたしは気を失った。 でもわたしは純粋な意味での”人間”じゃないらしいわ。
風の妖精シルフィードが魔界の瘴気から私を守ってくれた」
「え!? 人間じゃない? どういうこと?」
「山梨のおばばさまが言っていた ”かぜ” って言うのは人間と妖精のハーフみたいなものなんだって。
ま、そこは置いといて。 私の怪我は祐巳ちゃんと志摩子が治療してくれた」
「ええ」
「その後、祐巳ちゃん、志摩子、由乃ちゃんの3人が妖精王に薔薇十字を貰いにいった。
祐巳ちゃんは紅薔薇の紋章の入った昆、『セブン・スターズ』=『七星を統べるもの』を、
志摩子は、『ホーリー・ブレス』。これは鎧でもありサイコ・ガンでもある。
由乃ちゃんは・・・。 まだ顕現できない、と言われて漆黒の薔薇十字を受け取った」
「そう・・・。 それで、妖精王から貰ったのは薔薇十字だけなの?」
「いいえ。わたしは”妖精の援軍が呼べる”、という角笛を戴きました」
「わたしは、”同じ世界の中ならどこへでもいける”、という魔法の指輪を戴きました」
「なるほど・・・。それは使えそうね」
「祐巳ちゃんと志摩子が薔薇十字所有者になったので3人であなたたちを救出に来ようとしたの。
でもね。 その日の朝、私たちより2時間も早くのことだけど、令がピラミッドの入口に現れて由乃ちゃんと中に入っていった」
その聖の言葉に一瞬江利子が顔色を変えるが蓉子に制される。
「わたしたちはその後を追いかけてピラミッドへ入った。
魔王を6体倒した後・・・。 そこに変わり果てた令と由乃ちゃんが現れた。 令と由乃ちゃんは私たちを襲ってきたの」
「変わり果てた・・・って、具体的にはどんな風に変わっていたのかしら?」
「まず、不気味だったのが無表情だったこと。 痛みの感情さえ見せなかった。 それと回復力も攻撃力も桁違いに上がっていた。
そして、背中に”ソロモン王のスペル”、五芒星が浮かび上がっていた。
そのヒトデみたいに浮き上がった五芒星を切り取ると二人は動かなくなった。 今二人は地上で治療を受けているわ。 まだ死んではいない」
「あなたたちだと気づかなかったのね?」
「ええ、問答無用で襲い掛かってきたわ。 祐巳ちゃんの腕を由乃ちゃんが切り落とした。 ねぇ・・・信じられる?」
「そう・・・。 無表情になり感情もなくなる。記憶すら失う。 その原因は背中に浮かび上がる五芒星だ、ということね?」
「そうとしか思えなかったわ。 幸い祐巳ちゃんの腕はなんとか治療できたけどね」
「江利子、祥子、今聞いたとおりよ。 わかっているわね」
蓉子が江利子と祥子を見ながら言う。 あえて口にはしないが『覚悟を決めなさい』と言っているようだった。
江利子と祥子は蓉子の言葉に静かに頷く。
「ん? 3人ともどうしたの?」
「いえ、こっちの話。 それより話を続けて頂戴」
「え・・・えぇ。 令と由乃ちゃんを地上に送り届けた後はほとんど魔王とも出会わなかった。
その後倒した魔王は2体だけ。 あ〜・・・それと祐巳ちゃんが1体倒したんだけど助けてきちゃった」
「助けた? なぜ?」
「あの〜ですね。 その子ライオンだったんです。 なんか悪い子に見えなくって。
お仕置きだけして助けちゃいました。 あ!でも絶対にいい子なんです! わたしにタリスマンをくれたんです!」
「ライオン? タリスマン? それって・・・”マルバス”!!」
「あ・・・えっと、金色の肌に黒髪の男の人に変身しました。 名前聞きそびれちゃいました」
「祐巳っ! 初対面の人にはちゃんと名前を名乗って挨拶しないとダメでしょう? あなたったらほんとに抜けてるんだから・・・」
「ごめんなさい、お姉さま。 あの・・・。急いでて思わず・・・」
「いや、祥子、いま突っ込むとこ、そこじゃないから・・・」
「もぅ・・・。 まぁいいわ。 マルバスのタリスマンが手に入った・・・。 これは大きいわ」
「そうね。 そのタリスマンがあればどんな薬でも作れる。 治療薬も・・・もちろん毒薬もね」
「えぇーーーー。 毒薬ですか? それが役に立つんですか?」
「もちろんよ。 今回はそれが一番のお手柄かもね」
「あの、もう一つ情報なんですが、その子、『ソロモン王は復活はする。でも死ぬ』 それが重要だ、って言っていました」
「なるほどね。 それから?」
「ん〜。 重要そうな情報はそんなところ。 あとは・・・そうね。 ピラミッドの内部構造が蓉子の推測とは違っていた。
私たちはここまでに、71の部屋と最後のフロアを抜けてきたわ。
それと、ここに来るまでに魔王を20体倒した計算になる。 最初から計算して、ね。 祥子の最後の一体、”ベルゼブブ”を含めると21体になるわ。 役に立った?」
「ええ。 詰みが見えた気がするわ」
ふっ、と相好を崩す蓉子。
「問題点がいくつかあるけど。 祥子」
「はい」
「あなた、ソロモン王の部屋の松明、一瞬で全部消すことが出来る?」
「あの部屋ですか? 100m四方はありましたね・・・。
そうですね・・・。 アグアメンティ、では一瞬と言うわけにはいかないですね。 マハブフダインでも10回は打たないといけないでしょうし。 ノックスも時間がかかる・・・
魔法で一瞬に、というのは難しいですね」
「祐巳ちゃんならどうする?」
「え・・・えっと、魔法は無理だと思います。 お姉さまが出来ないのなら絶対無理です」
「じゃ、魔法以外の方法はあるかしら?」
「そうですね・・・。 法力を使って・・・。 龍索印を結んで水天ヴァルナ様を呼び出す方法があります。
『ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バルナヤ・ソワカ』 と唱えて八大竜王にお力を借りれば100m四方なら一気に水であふれます」
「うふふ。 祐巳ちゃんは法力もできたのね。 そうね、その手ならいいかも。
あとは、太陽のように明るい光を出すことは出来るかしら?」
「ルーモス、じゃダメなんですか?」
「その何倍も強い光は出来ないかしら。 濃い影が出来ればいいわ」
「お姉さま、それでしたら 『ルーモス・マキシマ』 の呪文で可能です。 10分ほどでしたら冬場の太陽くらいの力が出せると思います」
と、祥子が祐巳の代わりに答える。
「あの、お姉さま、その呪文わたし知らないんですけど・・・」
「あたりまえよ。 わたくしが今思いついたんだもの」
「あは、さすがお姉さま、素敵です〜」
「もぅ。 ノロケはいいから、さっさとやって見せなさい!」
「あ、はいわかりました。 祐巳見ていなさい。 こうよ 『ルーモス・マキシマ』っ!」
祥子の杖からまるで本物の太陽のようにまばゆく輝く球体が生み出され、上空に上っていく。
天井まで浮き上がった球体はその場にとどまり、明るい光で周囲を照らす。
「さすがね。 これなら文句ないわ」
蓉子が感心して言う。
「で、祐巳ちゃんはもうこの呪文、使えるの?」
「あ。はい。 今のお姉さまが教えてくださったので。 大丈夫、次からわたしも出来ます」
「では最後。 志摩子のサイコ・ガンは、鏃を詰めて打ち出すことが出来るかしら? しかも狙ったところ5箇所に同時に当てる、なんてことは?」
「ええっ!? そんな神業・・・。 そんなの出来るのは江利子様くらいですよ。 ただ、鏃を詰めて打ち出すだけなら出来ると思います」
「それができないと詰め将棋が完成しないの。 江利子、すこし鏃を志摩子に渡して。 普通のでいいわ。 ちょっと練習していなさい」
志摩子に有無を言わさず命じる蓉子。
「志摩子が今言った攻撃ができるようになればわたしの立てた詰め将棋が完成する。
ただし、最後にソロモン王が残る。 ソロモン王は死ぬ、と言うことだから『殺して復活させなければいい』、ということ。
でもね、その手段はわたしにはないわ。
江利子と散々考えたけど、結局そこで行き詰った。
ソロモン王を倒す手段は・・・。 祐巳ちゃん、あなたが考えなさい。 あなたにしか出来ないことなのよ。
うふふ・・・。 今この時になってやっとおばばさまの言葉の意味がわかるなんてね」
蓉子が朗らかに笑う。
「では、ソロモン王退治は祐巳ちゃんに任せて・・・。
そこまでの詰め将棋、あなたたちに教えるからよく聞きなさい」
ついにリリアン最高の軍師の作戦が披露される。
ごめんなさい、確信犯です。
水野祐巳のお話。中等部【No:1497】【No:1507】【No:1521】【No:1532】【No:1552】【No:1606】
高等部【No:3191】【No:3202】【No:3263】【No:3303】【今回】
雨が降っている。
雨音に混じって、電話の音が響いたので急いで取りに向かう。
「はいは〜い、ちょっと待って」
相手に聞こえるはずもないのに、こんな事を言ってしまうのは何故だろう?
カチャと音を立てて、受話器を取り上げる。
「はい、水野ですが」
『あっ、祐巳?』
聞き覚えのあるその声で、血が顔に昇り真っ赤になる。
「さ、祥子さま?!」
祥子さまは最近突然に祐巳のことを呼び捨てにし始めた。
理由がよく分からないけれど、祐巳の方は慣れないのですぐに顔に血が昇りぱなしだ。
『お姉さまは、いらっしゃる?』
「は、はい!少々、お待ちください」
電話を子機に移動し、二階へと駆け上がる。
「お姉ちゃん、電話。祥子さまから」
お姉ちゃんの部屋をノックもせずに開け、子機を差し出す。
「祐巳〜、どんなに急いでいてもノックくらいしなさい」
お姉ちゃんは子機を受け取りながら注意を忘れない。
「ごめ〜ん」
「あっ、待ちなさい」
子機を渡して部屋を出ようとすると、お姉ちゃんに止められた。
「あっ、なに、祥子?……そう、うん、そうね。フッレンツ煎餅かローマ饅頭ね」
「?」
何の話をしているのだろう?
「祐巳?えぇ、捕まえているわよ。代わって欲しいの?」
お姉ちゃんは嬉しそうに、祐巳の方を見る。
「どうしようかな〜」
お姉ちゃんはニヤニヤ。
「冗談よ、ふふふ。はい、祐巳」
「ほぇ?」
よく分からないうちに電話を代わる。
「祥子が祐巳に聞きたいことがあるんだって」
「う、うん……あっ、もしもし代わりました」
『祐巳、ごめんなさいね』
「いいえ、それでどのような用事でしょうか?」
『私たち二年生は明日から修学旅行なのだけれど』
そうだ、明日から祥子さまたち二年生はイタリアに修学旅行。お姉ちゃんも去年行って変な置物を祐巳のお土産に買ってきた。
『祐巳の好きな色って何かしら?』
「色ですか?」
予想とは違う質問。
『えぇ』
「そうですね……紅……ですかね」
それは、お姉ちゃんの色、祥子さまの色。
『紅ね、分かったわ』
もう一度、姉に代わってと言うので受話器をお姉ちゃんに返す。
「はい……それでは楽しんでいらっしゃい」
そう言って、お姉ちゃんは電話を切った。
「ねぇ、祐巳」
「なに?」
「祥子って何時から祐巳のこと呼び捨ての言うように成ったの?」
電話を切ったお姉ちゃんは、呼び方を不思議に思ったようで聞いてきた。
でも……。
「う〜ん、よく分からないんだ。何時の間にか呼び捨てになっていた」
「なによそれ」
お姉ちゃんは呆れ顔。
「たぶん体育祭後くらいからだと思うけれど」
「ふ〜ん、橋でも焼いたかしらね」
「?」
今度はニヤニヤしている。
何だかその笑いが全てお見通しって感じで少し嫌だった。
祥子さまは明日から修学旅行だ。
祥子は受話器を置いた。
「はぁ」
溜め息。
溜め息は幸せが逃げるというけれど、コレは幸せの溜め息だから問題は無い。
明日から修学旅行。
場所はイタリア。
お父さまと何度か行った事はあるけれど、友人たちと行くというのはこれはまた別の楽しみがある。
飛行機は少し憂鬱だけれど。
荷物はもう纏めてあるし、後は眠るだけという段階になってフッと蓉子さまに電話をと思い立ったのだ。
電話出でたのは祐巳だった。
少し前までは祐巳ちゃん。
今は祐巳。
そう変えるだけでどれだけの時間を要したか知れない。
「……祐巳」
お姉さまと呼ぶのと同じくらい心が暖かくなる。
明日は修学旅行。
早く眠らないとと思いながらも、しばらく寝付けそうに無かった。
「ふぁ」
やはり少し寝不足気味に成ってしまった。
送迎の車で空港まで送ってもらい、すでに集まってきていた生徒たちに合流する。
「祥子」
早々に声をかけてきたのは令だった。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、今ついたの?」
「えぇ、令も?」
「いや、私はK駅から直通のバスで来たから少し早かった」
それでしばらく暇を持て余していたらしい。
「あっ、祥子さん。ごきげんよう」
「ごきげんよう、三奈子さん」
嬉しそうに近づいてきたのは、新聞部の三奈子さん。
隣には写真部部員。
「出発前の紅薔薇のつぼみと黄薔薇のつぼみのツーショットが欲しいのだけれどよいかしら?」
三奈子さんの提案に令と顔を見合わせる。
令は仕方ないと言う様に肩をすくめた。
写真と簡単な出発前のコメントを取って、三奈子さんは去っていった。
出発前、取材には忙しい時間だ。
「それじゃ、機会があったら」
令と別れ、松組の方に向かった。
出発の時間を見ながら、酔い止めを飲んで飛行機に向かう。
乗り物は嫌いだから、とにかく眠るのに限る。
祥子は体にかかる重力を感じながら、眠りについた。
……。
「んっ」
令は読みかけの本を閉じると、席を立ち。機体の後部に向かって歩く。
「……おっ」
途中、祥子が眠っているのを見つけたが、そのままスルーすることにした。
……今は、トイレが先。
「雨、降り出したね」
「そう……」
二年生の居ないリリアン女学園高等部は何処か寂しい。
「白薔薇さまは?」
「妹とデートじゃない?」
学園祭に山百合会で披露する劇の台本を見ながら、黄薔薇さまは受け答えを返してくる。
「なら、いいけれど」
「……」
「なに?」
「いいえ、いいわ」
黄薔薇さまは微笑んだ。
「ところで祐巳ちゃんは?」
「さぁ、そのうち来るとは思うけれど」
「そうか、由乃ちゃんは来ないみたいだし、志摩子も来ない」
二年生不在なので、一年の三人には来なくても良いと言ってある。
「あら、志摩子は白薔薇さまとデートではなかったの?」
黄薔薇さまの言葉をそのまま言い返す。
「あっ、そうだったわね……ふふふ」
やはりさっきの言葉は、嘘というよりも適当に冗談を交えて返しただけだったようだ。
「雨、強くなりそうね」
「……大丈夫でしょう」
「向こうは晴れかしら?」
「暑いみたいよ」
「祥子たちは、今頃はローマかしら」
「知らないわ、ホテルで眠っているかもね」
他愛無いやり取り。
「……そう言えば、祥子。祐巳ちゃんを呼び捨てにしていない?」
「今頃、気がついたの?」
黄薔薇さまは、台本をめくる手を止める。
「あぁ、やっぱり。でも、ロザリオの授受はまだでしょう?それとも旅行前に姉妹に成ったの?まだ、報告受けていないけれど」
「まだ、でしょう」
祐巳の様子に変化はない。
それに流石に報告があるはずだ。
「祐巳は突然、呼び捨てになったと言っていたわ」
「突然ね……何か覚悟でもしたのかしら?」
「黄薔薇さまもそう思う?」
「そうね、それが普通じゃない」
二人でクスクス笑いあう。
「姉としては、どんな気分?」
「それは、どっちの?」
「当然、両方よ」
黄薔薇さまは楽しそうだ。
「さぁ、ね」
蓉子は、ただ微笑んだ。
「ごきげんよう!お姉ちゃん迎えに来たよ!……て、黄薔薇さま?!」
蓉子にとってはタイミングよく。
祐巳とってはバッド・タイミング。
「あっ!え〜と、よ、蓉子さま。一緒に帰りませんか?ごきげんよう、黄薔薇さま」
祐巳は完全に混乱しているようで、言葉が支離滅裂だ。
学園で人目があるときは、祐巳は出来るだけ「お姉ちゃん」と言わないようにしているが、家と学園での使い分けが上手くいっていないことも多く。
こうして後で慌てる姿はよく見る。
その姿に、黄薔薇さまは顔を歪め。
「ぷっ!」
噴出した。
「あはははは、相変わらず。祐巳ちゃん最高!あははは」
黄薔薇さまのつぼに入ったようだ。
その後、薔薇の館に黄薔薇さまの笑い声が響き続けた。
「祥子さん」
「?」
ピサの斜塔を眺めていると、後ろから声をかけられる。
「静さん、ごきげんよう」
後ろを向くと、そこには静さんが立っていた。
「今、お一人?」
「えぇ、皆さん。斜塔に登りに行っていますわ」
「私の方もなの、祥子さんは高いところは?」
「苦手なのよ」
「私も同じ」
お互い顔を見合わせ笑う。
「祥子さん、もし時間があるなら少し付き合いません?」
「どこか行くの?」
「えぇ、礼拝堂に」
「礼拝堂?」
どうしてと少し興味の沸いた祥子は、静さんと共に礼拝堂に向かった。
その間、色々な事を話す。
一年のときに白薔薇のつぼみの妹候補とまで言われていた。
合唱部に所属し、歌姫と言われ。
留学が決まっているとも聞く。
「ここよ」
「ここ?」
静さんと礼拝堂に入る。
「少し待っていて」
「えぇ」
静さんは係りの人に何か頼みごとをしているようだ。
少しすると、礼拝堂に蒸気が満ち始め。
静さんは、その中央で唱を披露した。
祥子は声もなく、ただ震え。
唱が終わったのを、拍手で気がついた。
「祥子さん、どうでした?」
「えぇ、とても素敵でしたわ」
「そう、よかった。実はね祥子さんに声をかけたのは偶然ではなかったの」
「?」
「私、留学が決まってはいるのよ。場所はこのイタリア……」
なるほどそれでイタリア語が堪能だったのか。
「でもね、この前、ほんの一時だけれど素敵な出会いが学校であったの」
「素敵な出会い?」
「そう、夕暮れの音楽室でその一年生はピアノを弾いていたわ。決して上手いわけではなかったけれど、私は彼女のピアノの音に合わせ唱を披露したの」
あぁ、何だか聞いたことがある。
合唱部の生徒たちですら、その歌声の素晴らしさは今までにない程素敵だったと。
……一年生。
「一年生なら、妹候補?」
「妹……そうね、それも素敵よね。でも、彼女は私の方には向いていないの、ある一人の先輩を見ているわ。片思い……白薔薇さまの時もそうだったけれどどうも私には出会いの運が無いようね」
「そんなことは……」
確かに白薔薇さまは志摩子を選んだ。
「でも、せっかくの出会いだから頑張っては見るつもり」
何で静さんは、祥子にこんな話を告白するのか?
「だから、今日のは宣戦布告」
「宣戦布告?」
「そう、私が出会ったのは水野祐巳……紅薔薇のつぼみの妹候補」
そう言った静さんは懐から一枚の写真を取り出す。
夕焼けの光の中、謳う静さんとピアノを弾く祐巳。
それは心が繋がった二人の姉妹のような姿。
静さんの表情は自信に満ち溢れていた。
「暑いわね」
今朝の天気予報を見ていたら、何でも熱波が来ているらしく。三十度を超えるとのこと。
修学旅行。
それは何時もとは違って、自分の趣味だけで歩き回るわけにはいかない。
祥子は正直、観光というのが嫌いだ。
人が多い。
理由はそれだけだが、それで十分。
何度かイタリアには来ていても、観光地に行く事をしない程に。
でも、修学旅行ではそういうことは出来ない。
基本団体行動。
でも、個別に空き時間が必ず出来る。
祥子は人ごみを避けて、バスの側に戻って来ていた。
考えたい事があるのに、暑さで上手く纏まらない。
「……」
駐車場の近くにはいくつもの露店が並んでいた。
この状態では、考えるのは無理と露店を覗く事にした。
そして、様々な物が売られている中にロザリオがあった。
「おっ、ロザリオ」
「……?」
祥子の横からロザリオを覗き込んで来たのは、令だった。
「令」
「ごきげんよう、祥子」
「ごきげんよう」
二人で並んで同じように覗き込む。
令には由乃ちゃんという妹が居る。今さらロザリオなんか必要はないはずだ。
「ロザリオ見ていたの?」
「たまたま、目に入っただけよ」
「ふ〜ん、私はてっきり妹用に物色していたのかと思っていたんだけれど?」
「そう言えば令は由乃ちゃんには新しいロザリオを渡したのよね」
「うん、お姉さまのロザリオを渡しても良かったんだけれどね。由乃のイメージに合った物を見つけて「これだ!」って思ったから……それとね。もともと、由乃を妹にするのは幼い頃から決めていたから、私が選んだものをとも思っていたのよ……それで私が選んだものを渡したわ。で、祥子はどうするの?」
「どうするって?」
「妹」
令は個人名を出してこない、それは彼女なりの気配りか?
「作るわよ、当然でしょう……それと祐巳のことを隠さなくてもいいわよ」
「そう……あれ?」
「なに?」
「いいや、祐巳ちゃんのこと呼び捨てにしだしたのだなって」
楽しそうな令。
「いいじゃない……」
祥子は令から顔を反らし、一つのロザリオを取る。
赤いガラスがはめ込まれたそれは中が空洞なのか、日にかざすと赤い光が透けて見えた。
綺麗だとは思う、でもコレとは感じない。
「思ったようにいかないわね」
「本当に、思ったようにいかないわ」
修学旅行も終盤、ヴェネツィアに移動。
祥子たちのグループは、他のグループ同様にゴンドラに乗る事になった。
祥子としては、乗らなくても観光地は見て回れると思っていたが、ここで一人乗らないと我がまま言うほど子供ではない。
でも、昨日を超える暑さの中。
ゴンドラに乗るために並ぶなんて、祥子には限界だった。
「あら?」
ユラユラと逃げ水が見える、その先に、白いゴンドラが泊まっていた。
「新しい観光用かしら?」
かなり目立っている。そんな事も思うけれど、祥子としてはこれ以上並ぶのは耐えられない。
「ねぇ、あのゴンドラ。空いているのではないかしら?」
白いゴンドラには、ワンピースの白い服を着た漕ぎ手が乗っていた。
「聞いてみましょう」
観光用でも構わない、とにかく祥子はこの暑さから早く解放されたかった。
「こんにちは」
声をかけようとして向こうから声をかけられた。
しかも、日本語。
観光用に覚えたにしては、滑らかだ。
「お乗りになりますか?」
しかも、珍しい事に女性。日本の方か少なくともアジア系。
見た目の年齢は、二十歳くらい?
少し童顔、誰かに似ている気もする。
「えぇ、お願いできる?」
祥子は交渉など考えてはいない。
「五人ですね、一万で七十五分コースなんていかがでしょう?……猫さん付きで」
「猫?」
見ればゴンドラの先端の方に、でっかいまるまると太った猫が居た。
「猫?」
「狸みたい」
「どうですか?」
彼女は優しく微笑んでいる。
好感の持てる笑顔に祥子は、このゴンドラで良いと思うがコレは団体行動。他の人にも聞いてから判断する事にした。
「と、言う事だけれど。皆さんはどう?」
「良いんじゃない」
「えぇ」
祥子以外の四人は少し戸惑いつつ頷いた。
「それでは、どうぞ」
「あの……日本の方ですか?」
「どうでしょう」
「女性でもゴンドリエに成れるんですね」
「残念ながら、ウンディーネと呼ばれます」
「ウンディーネ……水の妖精」
「何だかピッタリですね」
その言葉に、祥子も頷く。
「では、参りましょう」
白いゴンドラはゆっくりと岸を離れる。
運河の上は、信じられないほど涼しい。
こうまで気温が変わるとは思えないほど、暑さが遠のいていった。
……納涼舟とか、舟遊びとか。
これなら確かに楽しいだろう。
ウンディーネの彼女の案内は、丁寧だった。公開しているガーデニングの家を案内するなど。今の街の楽しさも伝えてくる。
勿論、旧跡や観光場所の説明や案内も忘れては居ない。
舟謳=カンツォーネも披露し、その歌声は礼拝堂で聴いた静さんの歌声に勝るとも劣らない素晴らしいものだった。
七十五分という時間は、気がつけば終わっていた。
「お疲れ様でした」
彼女は、一人一人の手を取りながら下ろしていく。
最後まで気配りは忘れないようだ。
「お疲れ様でした」
「ありがとう、とても楽しかったです」
「そう言って頂けると、こちらも嬉しくなります。ところで、不躾な質問ですが何か悩み事がありますか?」
彼女は、先に上がった友人たちに聞こえないように囁いてきた。
「どうして、そう思われるのですか?」
失礼だが、いまほんの少し出会っただけの相手のことを心配するのは意味がないように思える。
「いえ、少し悩んでいるような表情をされたので、楽しんでいらっしゃらないのかなと思いまして」
あぁ、そう言う事か。
「いいえ、とても楽しませてもらいましたわ」
これは本当。
今までは乗る必要があるのかと思っていたが、その考えは一種の食わず嫌いだったようだ。
「そうですか、失礼しました」
「いいえ」
優しい微笑みに、こちらもつられて微笑を返す。
白いゴンドラは、祥子を降ろしゆっくりと岸を離れていく。
「あぁ、そうそう……最後に一つ……貴女方に素敵な未来があることを……ごきげんよう」
祥子が何かを言う前に、白いゴンドラは岸から遠く離れ。
暑さで浮かぶ陽炎の中に消えていく。
残された祥子は、しばらく白いゴンドラを眺めていた。
……。
…………。
「そんなゴンドラ全然見なかったよ」
白いゴンドラのウンディーネから、美味しい昼食が食べられるお店を紹介してくれたのでそちらに向かっていると、昼食をどうしようかと迷っている令たちに出会い。一緒に食事と成った。
話は当然、この修学旅行のこと。とくに令たちもゴンドラに乗ったはかりだと言うので話題はそちらに流れたのだが……。
「白いゴンドラなんて、本当なの?」
令たちは白いゴンドラなんて見ていないと言っている。
だが、祥子たちは乗っているし、ゴンドラに乗っているときも何艘かの白いゴンドラとすれ違ってもいた。
「写真もあるの」
祥子のグループの一人のカメラを画像にして差し出す。
そこには確かに、祥子たちと白いゴンドラと彼女が写っていた。
「本当だ、観光推進用かな?あぁ、私たちもこっちが良かったか、しかも値段も安いし」
令のグループは、祥子のグループと同じ五人。
ゴンドラは二万で四十五分だったらしい。
交渉上手なグループだと負けて貰ったりしていると令は言っていたが、令たちのグループには交渉上手はいなかったようだ。勿論、祥子たちのグループにも居ないが、そう考えれば彼女は最初からかなり良心的だったのだろう。
紹介してくれた、このお店もなかなかに値段も安く味も良い。
「来年、由乃が修学旅行に来るなら、教えておこうかな」
令の言葉に、それなら私はと祥子は思いをはせた。
「……」
そして、帰りの飛行機の中、令が手洗いに立つとグッスリと眠っている祥子を見つけた。
修学旅行からあけて月曜日。
薔薇の館に集まり、令と共同のお土産として薔薇の館にチョコレートを置き。二年生の居ない白薔薇姉妹にお揃いのキーホルダーを令と一緒に渡す……コレは令の提案。
「それでお姉さまにはコレを」
大好きなお姉さまに綺麗に包まれた箱を渡した。
「開けてもいいかしら?」
「どうぞ」
紅薔薇さまが祥子から貰ったのは小さなオルゴールだった。
「あら、綺麗ね」
紅薔薇さまはキリキリとぜんまいを巻いて音楽を鳴らす。
「おっ」
「あら」
その音色は何処か懐かしいものだった。
「素敵な贈り物をありがとう、祥子」
「いえ……ところで、祐巳は」
今日の薔薇の館には祐巳は居なかった。
「祐巳?」
「あぁ、祐巳さんは遅れてきます」
「遅れて?」
「はい、何でも掃除場所の先輩に用事を頼まれたとかで」
「祐巳の掃除場所は?」
「音楽室です」
「祥子?!」
志摩子の言葉に、祥子は部屋を出て行こうとする。
「きゃ!」
「んっぎゃ!」
ドッスンと音が響く。
「さ、祥子?」
祥子が部屋を出ようとした瞬間、扉が開き倒れこむ。
「お〜い、生きてる?」
「祥子の五十キロに潰されるなんて悲惨ね」
「て!祐巳!?」
流石は実姉妹、紅薔薇さまは一早く気がついて駆け寄ってくる。
「……祐巳」
「は、はい」
祐巳は数センチしか離れていない祥子のアップにドギマギしている。
「……あ、あの〜」
祥子は何故か、祐巳の制服の上から胸周りをペタペタと触っていた。
「はぁ」
何だか祥子に溜め息をつかれてしまい、祐巳は困惑する。
「あの」
「立って」
祐巳が声をかける前に祥子は立ち上がる。
「先にコレを渡しておくわ」
そう言って祥子は手提げから小さな袋を取り出して祐巳に渡す。
「修学旅行のお土産」
「あっ、ありがとうございます」
「はぁ」
祐巳がお礼を言うと祥子は溜め息をつく。
「あの……」
「ごめんなさい。少し気分を落ち着けたいの……お姉さま」
深呼吸した祥子は、お姉さまである紅薔薇さまを見た。
「私は口出しはしないわ」
紅薔薇さまはニコニコしている。
「?」
祐巳には良く分からない。
「祐巳」
「はい?」
祥子は、祐巳の前に立ち首にかかったロザリオを外した。
「私はここに水野祐巳を妹にすることを宣言します」
「祐巳、私の妹に成りなさい」
祐巳は、ただその言葉を聞いていた。
色々と確信犯です。
クゥ〜。
お釈迦さまもみてる?薔薇さまin花寺。
「ユキチが男だったら良かったのにな」
「!」
ボソッと呟かれた一言に、祐麒は慌てて周囲を見る。
よかった、気がつかれてはいない。
「……何を突然、のたまわっているのですか?」
耳元で不穏な発言者に囁く。
「いや、欲望のままに」
「そうですか……」
このホモが!と祐麒は心の中で吐き捨てた。
「あっ、そんな事を思うんだったらバラすぞ」
「いいですよ、その代わり道連れにしますから」
「何てヤツだ、最初の頃はあんなに可愛かったのに」
「オレの正体知って手の平返した人が言わないでください」
「へいへい」
これで学院では『光の君』なんて言われているような人だから、祐麒なんかが道連れにしようとしても無理だろうとは判断できる。
「……それで女装コンテストなんて思いついたのですか?」
「まぁ、そうだな。祐麒も出るか?」
「アリスが張り切っていますから止めておきます、負けでもしたら精神的に半端なく落ち込むのが見えていますから」
「そうか?もう少し髪伸ばして、こう左右に結べば可愛らしい子狸の祐みょ!!」
祐麒は、相手の言葉が終わらないうちに鳩尾に一発入れていた。
「その言葉は禁止ですよ。光の君」
「けふけふ、本当に容赦ないヤツ」
祐麒は、満足したのかニヤッと笑う。
「それで、柏木先輩の目下の悩みは何です?」
柏木先輩は驚いた顔で祐麒を見る。
「分かるのか?」
「これでも烏帽子子ですから」
柏木先輩と祐麒は、烏帽子の親と子。
「愛情の成せる力かい?」
「いえ、純粋に子だからです。俺、ガチホモは嫌いですし」
「でも、ユキチだとそれはない」
確かに祐麒では、それは成立しない。
「まぁ、こちらの問題はいいさ。それよりも頼みたいことがあるんだが」
「何です?」
嫌な予感がするが、子が親に勝てるはずもなし。
「今度の学園祭に招待するリリアンから生徒会のエスコートをして欲しいんだ」
「生徒会?」
確か薔薇さまとか言う人たちだ、生徒会長が三人いるとか。全員美人とか、小林がそんなことを言っていた。
「合気道の有段者にはうってつけだろう?」
本当は違うだろうと言いたい所だが、ここは素直に頷いておく。
「いいなぁ!祐麒は」
「ちくしょう!光の君、俺は?!」
「お前はダメ。むさ苦しいから」
「おぉぉぉ!なぜだぁ!」
高田が吼えまくる。
だから、むさいからだよ高田。
……それにしても、リリアンのお姫さまたちの相手か。
まっ、柏木先輩クラスがそう居るわけもなし。
気楽に行こう。
学園祭の当日。
祐麒は何時もよりも朝早く家を出た。
休日はバスの数が減る。
うかつな時間にバスに乗ると、通称リリアンバスと言うリリアンの女子生徒の群れの中に入りかねない。
正直、視線の冷たさが半端ないのだ。
痴漢に間違われたりするのは正直さけたいから、花寺バスと呼ばれる方に乗る。
ちなみにリリアンバスは花の香り。
花寺バスは汚泥の香り。
と、小林が評しているほど……だ。
「どうして朝から汗臭いんだよ!」
悪態をつきつつ、どうにか花寺についていつも通りに左から校舎に向かった。
「来た」
高田たち露払い隊も動き出している。
祐麒はエスコート役。
教師の車で送迎されたリリアンの生徒会長たちを向かい出る。
「こちらが皆さんの身の回りの世話を仕切る福沢祐麒です」
「福沢祐麒です。本日は皆さまのお世話をさせていただきます」
「こんにちは祐麒さん、よろしくお願いしますね」
小林の情報では確か赤の薔薇さまが、代表して挨拶に立つ。
来られたのは六人。
赤の薔薇さまと妹。
黄の薔薇さまと妹。
白の薔薇さまと妹。
「?」
赤の薔薇さまの妹さんは何か気分が悪そうに見える。
……本当に綺麗な人たち。
無理だよね。
祐麒は誰にも見られないように笑った。
エスコート役と言っても実情はリリアンの生徒会さんたちのリクエストに応えるのが主な仕事。
基本のお相手は、柏木先輩が行っている。
しかも、この場で明らかになったが赤の薔薇の妹さんは柏木先輩の元許婚だということ。
妹さんが高校に上がるときに、何かあって許婚を解消したらしい。
ガチホモでもバレたのか?
まぁ、そんなことはどうでもいい。エスコート役を仰せつかっている以上、気分が悪いのは見過ごせない。
「あの、ご気分が悪いようですが、よければ保健室に行かれますか?」
「大丈夫よ、ありがとう」
「いいえ……」
赤の妹さんと話をして顔を上げると、不思議そうな表情に出会う。
「あの、何か?」
「いえ、少し驚いて」
「そうね」
「?」
何だろうと思っているうちに、時間が来た。いよいよ最大のイベントの開幕が近づいている。
予定通り、少し遠回りで皆さんを案内する。
提案したのは祐麒。
予定通り、会場よりも先にお手洗いに案内する。
「時間は余裕がありますので」
「ありがとう」
皆さんがお手洗いに入った後。その前をガードするように立つ。
「あの〜、祐麒さんちょっと」
「はい、何かありました?」
「ですから、ちょっと」
ちょっとと言われても入っていく事など出来ない。
「何かいるなら……」
「あぁ!面倒!」
「ぎゃ!」
突然、手を掴まれ引き込まれた。
「令、志摩子。誰も入れさせないように見張っていて!」
「ちょ、ちょっと白薔薇さま?!」
「二人も手伝いなさい!」
白は赤と黄を呼んだ。
「ふっぎゃ!」
多勢に無勢で、祐麒は制服を剥かれる。
「……えっ?」
そこに居る全員が目を開く……いや白は違った。
「この子?」
「やっぱり、女の子だ」
そこには大きくはないものの胸のある女子が居た。
「えっ?えぇ?」
「何で男子校に、女子が居るのよ?」
今日、会ったばかりの相手にこんなに簡単に見破られるなんて!
「貴女、本物?」
「……」
赤さまは当惑顔。
まさか柏木先輩クラスがいるとは油断した。
「……すみません、この事黙っていただけると助かります」
「理由しだいね」
「理由って、他校の話ですよね?ダメですか?」
「……そうね、確かに他校の話だわ。それじゃ、黙っていてあげるから少し質問させて」
それ以上は譲らないと言う顔。
「分かりました」
「それじゃ、名前は?祐麒さんは本当の名前?」
「いえ、福沢祐巳が本当です」
「どんな字を書くの?
「しめすへんに右を書いて祐、巳は巳年の巳」
「祐巳さん?」
「はい」
本当の名前なのに、聞きなれない名前。
「何時から花寺に?」
「少等部の頃からです」
「そんなに前から?」
「はい」
「よくもバレなかったわね」
それはもう徹底して、危険を避けてきた。
その努力は、自分でも褒めたいほど。
「それでは最後、どうして性別を偽ってまで花寺に通っているのかしら?」
「……それは……すみません!そればかりは言えないです!」
祐麒……祐巳は深々と頭を下げる。
それだけは言えない。
唯一、見破った柏木先輩さえ教えていない。
ここはひたすら懇願するだけ。
リリアンの皆さんは顔を見合わせ頷きあう。
「まっ、本当の名前を聞けただけでもいいわ」
皆さんはどうにか納得はしてくれたようだ。
祐巳は制服を急いで正して、祐麒に戻る。
「お姉さま、よろしいのですか?」
「約束だしね」
赤の妹さんは不満が残っている様子。
元とは言っても柏木先輩の許婚。
気になるのかも知れない。
……ガチホモに興味はないんだけれど。
「それでは案内をします」
「よろしくね」
何だか皆さんの笑顔が増したような気がしつつ、会場へと案内した。
そして、イベントは無事終了した。
イベントは、まぁ、その、なんだ。
祐巳としても祐麒としても、あまり見たくない話ではあった。
「どいつもこいつも女装する人間を選べよ」
つい愚痴も出るというものだ。
しかも、祐巳の正体を暴いたリリアンの皆さんは祐巳を側に置いて、あれこれと聞いてきて余計な神経まで使った。
だから、帰るときにはもの凄く安堵したのだが……。
「それでは祐麒ちゃん、またね」
ちゃん?!
ニッコリと微笑むその六つの笑顔はもの凄く怖かった。
「なぁ、もしかしてバレたのか?」
「はい」
「そうか、だからあんな話をしてきたんだな」
「話?」
凄く嫌な予感。
「ユキチもリリアン学園祭の生徒会主催の劇に出て欲しいそうだ」
その言葉に祐麒こと祐巳は固まる。
「狙われているぞ、祐巳」
ニヤニヤ笑っている柏木先輩。
「その名で呼ぶな!」
祐麒は柏木先輩の鳩尾に一発入れていた。
どうやらまだ波乱がありそうだ。
と、言うことで花寺男装祐巳のお話を思いつきで……ごめんなさい。
クゥ〜。
ごきげんよう、お姉さま方。
×××
リリアンがある武蔵野の地に『奴ら』が現れた。
「第一防衛線、突破されました!」
「何をやっているのだ!」
「クソっ!奴らに通用しないのか!!」
お偉方が吠える中、薔薇達は冷静だった。
「久しぶりだな」
「ああ、十五年ぶりだな」
「『死海文書』の記述通り現れたか」
薔薇達はモニターに現れた『奴ら』を見てニヤリと笑う。
「通常兵器が通用しません!」
「何やってんだ!『アレ』を使え!『アレ』を!」
お偉方が切り札を使用する。
結果は、足止めにもならなかった。
「…なんということだ…仕方がない、山百合会!」
「何でしょう?」
「我々では『奴ら』に対抗できん!貴様等に任せてやる!殲滅しろ!」
悔しそうにお偉方は言うのを見て薔薇達は不敵に笑う。
「御安心下さい。その為の山百合会です」
「志摩子、初号機を出撃させろ」
「乃梨子は先日の戦闘で負傷しています。出撃は無理かと」
「『例の子』は間に合わないのか?」
山百合会が指示していると
「由乃さんが『例の子』を連れて到着しました!」
オペレーターから報告が上がる。
「令、少し頼む」
「ああ」
×××
「久しぶりだな、祐巳」
「お姉さま…私はいらない子の筈では…」
「必要だから呼んだのだ。さあ、『これ』に乗れ」
「嫌です」
「そうか。ならば帰れ」
祥子は令に連絡する。
「予備がダメになった。乃梨子を呼べ」
しばらくすると、ストレッチャーに載せられた痛々しい姿の乃梨子が現れた。
「乃梨子、出撃だ」
「はい、司令。痛っ」
乃梨子は無理に起きようとして、落ちた。
「大丈夫?君!」
祐巳は乃梨子を抱きかかえると、乃梨子の体から出血しているのがわかった。
(逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ)
祐巳は祥子に宣言する。
「私が…乗ります…」
その時、『奴ら』の攻撃により、薔薇の館が揺れ、祐巳達の上に鉄骨が落下してきた。
(ああ、私死ぬんだ…)
祐巳が死を覚悟した時、無人の初号機が祐巳達を救った。
祥子がニヤリと笑う。
「由乃、志摩子に連絡し、祐巳を出撃させろ」
「はい、司令」
×××
「いい、祐巳さん、出撃したら、目の前に『奴ら』がいます。落ち着いて攻撃して下さい」
「『奴ら』って何?」
「すぐにわかるわ。では、ごきげんよう。ゲートオープン!」
由乃が指示を出す。
「『ツンデレリオン初号機・ドリルタイプ瞳子』発信!」
※この記事は削除されました。
※この記事は削除されました。
ある日の放課後のこと・・・。
「ガチャッ」
「ごきげんよう」
扉を開け挨拶したのは、ロサ・フェティダ・アン・ブゥトンこと島津由乃。
「「ごきげんよう」」
部屋の中から、返ってきた挨拶は、ロサ・ギガンティアこと藤堂志摩子と、妹にしてブゥトンの二条乃梨子だった。
「あれ?祐巳さんはまだ来てないんだ・・・」
由乃は、分かっていながらも辺りを見回して言った。
「それがね・・・」
志摩子の後を乃梨子が引き継いで答えた。
「瞳子と一緒に出て行かれました」
「?どうかしたの?」
「私たちも良く分からないのだけれど・・・。」
珍しく、志摩子が困った顔をしている。
「何となく感じただけなのですが、今日少しだけ瞳子の表情が暗かったような気がしたんです」
「「瞳子ちゃんの?」」
乃梨子の発言に二人が聞き返す。
「本当に何となくですが・・・。」
聞かれるたびに、自信がなくなっていく乃梨子。
「それと関係あるのかしら?」
「さぁ?」
二年生の二人が、顔を見合わせて首をかしげている。
「まぁ〜、そのうち戻ってくるでしょっ」
由乃はそう言って、流しに向かった。
「あっ、私が・・・」
「いいわよ、座ってて」
「すみません。ありがとう御座います」
二人が座ったのを見て、由乃は準備を始め、紅茶を入れる。
そして、二人の前にティーカップを置き、自分の分を置いて、腰を下ろす。
「「ありがとう(御座います)。いただきます」」
「どうぞ」
そうして、三人で紅茶を飲みながら、祐巳と瞳子の帰りを待つのだった。
・・・・・
・・・
・
瞳子は、朝から憂鬱な気分で登校した。
(ふぅ〜っ)
ため息に似た息を吐き出す。
ここは、リリアン女学院の校門前。
曇った表情はできない。
仮にもロサ・キネンシス・アン・ブゥトン・プティ・スールとなったのだから・・・。
周りから見られていると身が引き締まる。
瞳子は、演劇部なのでそういったことには慣れているのだが、見られている意味合いが違っているためだ。
(私が目立つようなことをすれば、お姉さまに迷惑がかかってします・・・。そんなことは絶対にあってはいけない。)
(ふぅ〜っ)
っと、もう一度息を吐き出すといつもの表情に戻し、マリア像に向かって歩き出した。
マリア像の前では、数人の生徒が手を合わせていた。
順番を待ち、瞳子も手を合わせる。
(・・・)
特に何も願わなかった。
何故なら、私の願いは私が願っても叶える事ができないから。
それは、私自身で行わなければならない事だからだ。
お祈りが終わると、少しの間マリア様のお顔を拝顔してから、校舎の方へと歩いていく。
銀杏並木を歩いていると、自分の後方から声が聞こえてきた。
「・・こ〜〜!!」(ん?なんだろう?)
「・う子〜〜!!」(誰かしら?叫んでいるのは?)
瞳子が後ろを振り向こうとしたとき、
「瞳〜子!!」
ガバッ!!っと後ろから抱きしめられた。
「・・・。何でしょうか?お姉さま」
流石に、声と行動で誰かは分かってしまう。
「もう、朝はじめてあったら挨拶でしょう?」
「・・・。ごきげんよう、お姉さま」
「はい、ごきげんよう」
「それで、いつまで観衆の目前で抱きついておられるのですか?」
瞳子は、少し低めの声で言った。
「飽きるまでかな?まぁ〜一生飽きないと思うけど♪」
「・・・。そろそろ離して頂けないでしょうか?遅刻してしまいます。そうしますと、ロサ・キネンシスに叱られてしまいますよ?」
瞳子は、祐巳に一番効く敬称を出して言った。
「わぁっ!!それは大変だ、じゃ〜急ぐよ〜」
祐巳は、瞳子から離れると素早く左手を取って、早足で校舎の方へ歩いていく。
「ちょっ!?お姉さま!!」
「ん〜?何〜?」
祐巳は首をかしげながら瞳子を見つめ、不思議そうに問う。
瞳子は、顔を少し赤くし、黙り込んだ後、「何でもありません」といって、祐巳の手を軽く握り返すのだった。
しばらく歩いていると、視線を感じたので振り向いた。
「お姉さま、どうかなされましたか?」
祐巳は、瞳子自身余り見ることのない真剣な顔をし、しばらく瞳子を見つめていたが、表情が微笑みに戻ると「うんん、なんでもないよ」と首を振って答えた。
瞳子は、少しドキッっとしたが、祐巳に微笑み返し歩を進めていく。
入り口まで来ると、「それじゃ〜勉強がんばるのよ」と言って、校舎の中へと入っていった。
「私より、お姉さまの方が心配ですわ」誰にも聞こえないような声でボソッと言うと、苦笑しながら校舎へと入る。
教室の扉を開け、中に入る。
「ごきげんよう、瞳子」
「ごきげんよう、乃梨子」
中にいた乃梨子が、入ってきた瞳子に寄ると笑顔で挨拶を交わす。
瞳子は、「ふぅ〜」っと軽く溜息を吐いた。
「どうかしたの?」
「実は・・・。」
瞳子は、教室に入るまでに起こった経緯を乃梨子に話した。
「・・・。何というか、祐巳様らいいね。」
乃梨子は少し固まった後、苦笑とも微笑とも取れる表情で、そう答えた。
「えぇ、私もそう思いますわ」
瞳子は、つぼみが花開くような笑顔で答えた。
(瞳子に、こんな素敵な表情をさせることができるなんて、祐巳様には敵わないな)
乃梨子は改めてそう思いつつも、親友の幸せそうな表情を見れて満足だった。
(ん・・・?)
乃梨子は少しだが、瞳子を見て違和感を感じたが、
「どうかした?」
っと瞳子に問われ、(・・・。気の、せいかな?)と思い直す。少しだけ瞳子の表情に、影がさしたように感じたのだ。
しかし思い直して、
「ううん、なんでもない。それより昨日の宿題なんだけど」
首を横に振って否定すると、話題を変え、昨日でた宿題について、話し合うのだった。
外の景色を見るでもなく、意識深く思考している。
「・・・さん、・・・子さん、瞳子さん!!」
最後の強い呼びかけで、クラスメイトから声をかけられているのに気がついた。
「あっ、ごめんなさい」
「私こそごめんなさい、中々気づいてもらえなかったので、つい大きな声で・・・」
「いいのよ。何か御用?」
「あっ、うん。ここの問題なんですけど、教えて頂けますか?」
「えぇっと、あぁここはですね・・・。」
かなりボーっとしていた瞳子は、クラスメイトの質問に答えるため、気合を入れなおす。
「ありがとう、助かりました」
「どういたしまして」
「瞳子さん、先程思考されていたようですが、何かお困りですか?」
「いいえ、特に何でもないですわ、唯ボーっとしていただけです」
「そうでしたか、何か困ったことがあったら言って下さいね?」
「ありがとう御座います」
そういってクラスメイトと分かれた。
そうするとすぐ乃梨子がやってきて、
「何かあったの」と聞いてきたので、
「先程の問題を教えてほしいってきてくれたのですわ」と答えた。
「そう」
そこで授業開始のチャイムが鳴る。
「ほら、席に戻らないと」
「うん、また後でね」
そう言って、乃梨子は席に戻っていった。
その後、先生がきたので、そちらに集中する。
昼休み、午後の授業を終え、瞳子と乃梨子はそろって薔薇の館へと向かった。
瞳子は今日、部活がないのでゆっくりできる。
二人は、2階に上がると掃除をし、それが終わると飲み物の用意を始める。
しばらくすると、階段の踏みしめる音が聞こえてきた。
「この音は・・・。お姉さまだ」
っと乃梨子が言い。
「もう一つの音は、お姉さまのだわ」
っと瞳子が言った。
二人は、取りあえず4人分の紅茶を入れる。
扉が開き、「「ごきげんよう」」と挨拶を受ける。
それに対し、「「ごきげんよう」」と二人は答えた。
「お姉さま方、紅茶でよろしいですか?」
と瞳子が言うと、
「えぇ、お願いするわ」
「うん、紅茶でいいよ〜」
っと、言っている意味は同じなのだが、与える印象がまるで違うお二人だ。
二人は席に座ると、談笑を始めた。
多分ここまでくる途中で話していた続きなのだろう。
少しして、「「どうぞ」」とそれぞれの妹が、それぞれの姉に紅茶を出す。
「「ありがとう。頂きます」」
二人は、それぞれ一口ずつ飲む。
「おいしいわ」
と、乃梨子の方に微笑みながら言う志摩子と、
「うぅ〜、暖まる〜。ありがとう瞳子、おいしいよ〜」
と、瞳子の方にとろけた笑顔で答える祐巳だった。
瞳子と乃梨子は、自分たちの紅茶とお茶請けに小さなクッキーがいくつも入った缶を皿にだし、皆が取り易い位置に置くと自分たちの席に座り、祐巳と志摩子の談笑に加わった。
しばらく話していると、乃梨子は祐巳が会話に参加してないことに気がついた。
(・・・!?)
不思議に思って見ていると、余り見ることのできない祐巳の本当の意味での真剣な顔が瞳子を見つめていた。
すると、志摩子と会話していた瞳子に「瞳子」と名前を呼んだ。
「はい、何でしょう?お姉さま・・・。」
瞳子と志摩子は発言者を見て、少し驚いた顔をしている。
少しの間、瞳子の顔を見つめていると、祐巳は立ち上がり扉の方へと歩き出す。
「祐巳さん?」
っと、志摩子が尋ねるが、扉の前で瞳子に「いらっしゃい」と言って、そのまま出て行ってしまった。
志摩子と乃梨子は、お互いを見合い(何だろう?)と首をかしげる。
しかし、瞳子はと言うと苦笑し、少し諦めたような顔をしていた。
そして、「少し席を外します・・・。」と言って祐巳の後を追いかけていった。
「・・・・・。」
少しの間、沈黙がおとずれた後、「何かあったのかしら?」と言った。
一方の乃梨子はと言うと、何故祐巳が瞳子を連れて行ったのか分かった気がしたのだった。
先を歩く祐巳は、目的地があるのか迷い無く歩いていく。
瞳子は、先を歩く祐巳を見ながら複雑な気持ちでついていく。
しばらく歩いていると目的地が見えてきた、目の前に見えるのは学院に二箇所ある温室の内の一つ。
温室と言っても、新しく作られた方の温室ではなく、余り人が来ない古いほうの温室である。
祐巳は、扉を開けて中に入り、ロサ・キネンシスの前に屈むと、真紅の花びらの無い姿を見つめている。
瞳子は、祐巳の傍に寄り、祐巳の方を向いて立ち止まって、祐巳の言葉を待った。
少しの間、二人の間に沈黙が訪れた後
「ここにはね、たくさんの思い出があるんだ」
祐巳は目を閉じ、思い出しながら話しているようだ。
瞳子は、黙って祐巳の話を聞く。
「楽しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、泣いてしまったこと、本当にいろんなことがあったんだ」
「瞳子」
「はい」
「私はね、瞳子に幸せになってほしいの・・・。」
そういった後、祐巳は首を振って
「ううん。違う、私が瞳子を幸せにしたい。」
「!?」
目を開け、真剣な顔で瞳子を見つめる。
唯、純粋に、そしてまっすぐに・・・。
瞳子は、祐巳の言葉に驚き、見つめ返す。
「今まで、瞳子とは色んなことがあった。でもそれは、私と瞳子の思い出が詰まった、私の大事な宝物」
「私は、お姉さまに、多くの人に包み込まれ、支えられて、今ここにいる」
「私は、自分でも頼りないと思うくらい、頼りないお姉さまかもしれないけど、今瞳子の中にある闇を私にぶつけて欲しい。瞳子が抱えているものを私も一緒に抱えたい。そして、心の開いたスペースに、私との思い出を詰め込んで欲しい」
祐巳は真摯な言葉を瞳子にぶつけた。
瞳子は、止め処無くあふれだす涙を抑えることができなかった。
(そんなことはありません。お姉さまはとても頼りになります!!)
思っていても、涙で言葉に詰まっているため、言葉に出せなかった。
祐巳は立ち上がり、泣いている瞳子の頬に手を添えると、瞳子は顔をあげた。
そして、流れ出す涙を手で拭った後、瞳子が落ち着くまで、そっと優しく抱きしめるのだった。
瞳子が落ち着いた後、以前、祥子と祐巳が話し合った場所に二人は腰を下ろした。
祐巳は何も言わず、瞳子の言葉を待った。
しばらくして、瞳子は重い口を開いた。
「最近とても怖い夢を見るんです」
「夢を?」
「はい」
「どうな夢なの?」
祐巳は先を促した。
「それは・・・」
・・・・・
・・・
・
辺り一面、何処までも続く闇。
(ここは何処だろう?)
唯一あるのは、立っているという感覚のみ。
音も無い。
あるのは自分の呼吸音と脈の早くなった心臓の音だけ。
怖くなってきた私は、ゆっくり歩き出す。
「トン、トン」と足音がなる。
聞こえてくる私の足音が耳に届くにつれて、何かに追いかけられているような錯覚を起こす。
私は恐怖に駆られて走り出した。
「タッ、タッ、タッ」と音が鳴る。
私は何度も後ろを振り返ったが誰もいない。
それでも聞こえる足音。
私自身の足音だと分かっていても、恐怖を覚えた心はどうしようもない。
私は必死に走る。
何処に向かって走ればいいのか分からない。
それでも私は走り続ける。
「助けて!!誰か助けて!!」
叫んだ声は響くことなく、闇の中へと消えていった。
叫び声に反応するものは無い。
それでも私は叫び続ける。
声が嗄れるまで、何度と無く。
次第に涙が溢れてきた。
こぼれ続ける涙。
もうどうしていいのか分からない。
(助けて!!助けてお母様!!助けてお父さま!!助けて、助けてお姉さま!!)
・・・・・
・・・
・
瞳子は、夢の内容を全て祐巳に語った。
「私、何だか怖いんです。お父様やお母様、そしてお姉さままでいなくなってしまうのではないかって!!とても不安だったんです・・・。」
少しの間、沈黙が訪れる。
そして、祐巳は
「ごめんね」
「え?」
瞳子が祐巳を振り返ると、祐巳はこちらを見つめながら瞳には涙が溢れていた。
「瞳子が助けを求めているのに助けに行けなくてごめんね」
祐巳の瞳から、涙が零れ落ちた。
「そんなこと!!」
祐巳は首を振る。
「お姉さまなのに、もっと早く気づいてあげることができなかった。何となく様子がおかしいなって分かっていたのに、すぐ聞いてあげることができなかった。だからごめんね」
「お姉さま・・・。」
瞳子の目からも再び涙が零れ落ちた。
瞳子は、祐巳に聞いてもらうだけで十分だった。
これで、少しは救われる。
そんな気がしていた。
そのとき祐巳が、「瞳子」と呼んだ。
「はい」
「今日、泊まりにいらっしゃい」
「えぇっ!?」
「夢を見ないように、もし見たとしても、すぐ助けられるように・・・」
「お姉さま・・・」
「そして、もし今後怖い夢を見るようなことがあったら、何時でもいい、電話をかけてきなさい」
「それではご家族の皆様に迷惑がかかります!!」
「大丈夫、心配しなくていいよ。それよも、私は瞳子を不安にさせたくない。だから、何時でもいいから、不安がなくなるまで付き合うから、電話して」
瞳子は、涙を止めることができなかった。
(お姉さま、私は今でも十分過ぎるほど幸せです)
と言葉には出せないが、心の中でそう思っていたのだ。
瞳子の心に、もう不安の影はなくなっていた。
祐巳がいてくれる。
瞳子を包み込むように守ってくれる。
そう思うだけで心が満たされるのだった。
その後、泊まる段取りを決めた二人は、先程の暗い話ではなく、未来の話に花を咲かせる。
祐巳の左手と、瞳子の右手がしっかりと繋がっていた。
ごきげんよう、お姉さま方
×××
【No:3351】【No:3365】の続きです。
「栞…栞はどこにいるの…会いに来たよ…」
(ロサギガンティア!?なぜここに?)
祐巳が驚くのも無理はない。無関係の筈の山百合会の住人が現れたのだ。
(何故だ?何故此処に居る?)
答えを捜そうとするが、頭の中を堂々巡りする。仕方がないので二人を観察することにした。
「栞はどこ…」
「聖…私はここよ…」
聖が呼びかけると、『工場』の奥から『管理人』が現れた。
名は確か『久保栞』シスター志望で、昨年までリリアンに在学していた。九州の方に転校と言われていたが、調査の限りそんな事実はなかった。行方不明扱いもされてはいなかった。ここに居るからだ。
「栞…会いたかった」
「私もよ…聖…」
そう言うと二人は唇を重ねた。
(えっ!?女同士なのに!?)
思わず身を乗り出しそうになったが、何とか自分を律する。
「栞…この新種の薔薇の研究は、上手くいってるの?」
「ええ、順調にいってるわ。色合いも変わってきたし、青い薔薇も作れると思うわ」
(薔薇?どう見ても違うだろ。図鑑を見たことが無いのか?それとも知ってて惚けているだけか…)
「学園長の粋な計らいのお陰で、私達は幸せでいられる…」
「そうね…あの時聖が学園長に直談判してくれたお陰で、私達は離ればなれに成らずに済んだ…」
「…やっぱり、こんな交換条件なんて無視して駆け落ちしよう…」
「私もそうしたいけど…ここにいれば、いつでも聖に会える…誰にも邪魔されない…」
「でも、この花は何時まで経っても青く成らない…やっぱり騙されたんだ…青い薔薇なんてやっぱり作れやしない」
「例え青く成らなくても構わない…聖に会えること…私にはそのことが何よりも大切な事…」
「栞…」
「聖…」
二人は再び唇を重ね、奥にある建物の中に消えていった。何が行われるかは想像したら赤面した。覗きたい誘惑に駆られるが、体が動いてくれない。帰らなくては、と思っても頭の中がガチ百合の妄想で一杯になった。妄想していたら、声が聞こえてきた。
「素敵よ…聖…」
「栞…もっと…私を感じて…」
祐巳は逃げ出した。耐えられなくなったのだ。逃げながらも頭の中は妄想で一杯だった。
くの一である以上は、そちら方面の教育課程もあるが、『実技』はまだ受けていなかった。祐巳も抵抗があったし、みきも実の娘に『実技』を受けさせることに抵抗があったからだ。
(えぇ〜、えぇ〜っ、ホントにヤッてるの〜っ、きゃーっ!!)
人が居るかどうか確認もせずに、螺旋階段まで来たが、前を見ずに走っていたため、壁に激突した。
ドコッ!
顔面を強打した祐巳は悶絶する。
(×○△◇☆!!♪■!?)
痛みでのたうち回るが、自業自得だ。前を見なかった方が悪い。
お陰で何とか正気に戻ったと同時に血の気が引いた。『敵地』だということを忘れ、ここまで来てしまったのだ。思わず涙ぐむが、後の祭り。慌てて隠れようとするが、隠れる場所はもちろん無い。
しばらくムダにパニクったが、疲れたのか冷静になった。やっと盗聴器の存在を思い出し、周波数を合わせる。
(誰も居ない…良かった〜)
幸い、学園長室にも人は居なかった。
『脱出するなら今しかない』
そうなのだ、いつでもここにいてはいけない。聖が戻ってくる可能性もあるためだ。
階段を登りながら、先ほどの出来事を思い出す。
(えーと、『工場』に入って、それから…!)
思わず赤面したが、頭を振る。二人の逢い引きは任務に関係ない。改めて『工場』の内部を思い出す。
『温室』があり『花』も咲いている。『管理人』も確認したが、写真を取り忘れた。予想外の客が来るとは思わなかったが…
だが、客のお陰で予想外の事も聞くことが出来た。花を青色にするという事だ。
(『アレ』の青色ねぇ…見たこと無いけど)
見たところ、二人に中毒症状は無い。本当に只栽培しているだけらしい。確かに日本にも『園芸用』は存在する。もちろん青くない。園芸栽培が盛んなヨーロッパでさえ、青色は存在しない。二人は知っているのだろうか…知っていようと、知らなかろうと、いずれにしても大問題ではあるが。
祐巳は『隠し扉』まで戻ってくると、盗聴器の周波数を合わせ、辺りを確認する。
(学園長も居ない…今がチャンス)
祐巳は音を立てずに後にする。
祐巳はこの時、学園長室が余りにも長い間、主が不在であることを疑問に思うべきだった。
「と、言うことがありました」
夜、祐巳は今日の出来事を報告する。
「へぇ〜、リリアンの地下にねぇ。祐巳も気になるのがいれは、連れ込んでヤッちゃえば?祥子さんとか」
「死ねっ!変態!」
祐巳は手裏剣を投げるが、あっさりよけられる。
「当たるわけ無いだろ?そんな見え透いた攻撃」
いつもの兄弟ゲンカが始まるが、みきは意に介さない。
「報告は以上ね?」
みきの言葉に二人は慌てて正座する。お仕置きが怖いのだ。
「はい、以上です」
「そう、わかったわ。これで裏が取れた以上、『上』も動くでしょう。『向こう側』の『妨害』次第でしょうけど」
「…あの」
「何かしら?」
祐巳は気になったことを率直に聞くことにした。
「あの二人は…どうなりますか?」
「…知りませんでした、騙されました、で済まされる年齢ではないし、図鑑にも載っているからね、年少送りでしょう」
「…そうですか」
「…貴女の任務は何だったかしら?」
「…ルートの…解明…です…」
「忍に情けは禁物…忘れた訳では無いわね?」
「…はい…」
「…まあ、いいわ…幸い、先ほどもう一人からも報告があったことだし、貴女の任務を変更しましょう」
「もう一人…ですか?」
「…貴女は知らなくてもいいわ」
任務の変更は嬉しかったが、祐巳単独と聞いていたために、少し納得がいかなかった。
「それで、任務の変更、受けるの?受けないの?」
「…受けます…」
「宜しい。貴女には、少女の救出及び、山百合会の潜入を命じます。少女については、もし『黒』であれば貴女が始末なさい。山百合会については追って連絡します。以上」
「…始末…ですか…」
「当たり前だろ?知られるわけだからな。だから半人前なんだ、祐巳は」
「ぐっ…」
祐麒に言われたが、言い返せなかった。祐麒は一人前と認められている為、花寺のVIPの護衛の任務を与えられている。もちろん、そのVIPは知らないが。
「解散!その前にカレーの材料買ってきてね」
なんとも気の抜けること。
解散させた後、みきは一人ため息をつく。
「我が娘ながら、何と優しいこと…任務…いや…試験内容を変える私も、娘のこと言えないわね…学園長に何て報告しようかしら」
祐巳は気付いていないが、『工場』の情報があり、尚且つ監視カメラ等が無い時点で疑うべきであった。何故なら、祐巳は背後に『試験官』がずっと付いて来ているのを気付くことが出来なかった。みきがうっかり口を滑らせたが、『もう一人』とは『試験官』のことであった。
祐麒は試験の意図を直ぐ見抜いた為、合格した。もちろん、祐巳は知らない。やはり半人前である。
ヴァレンタインのゲーム勝者のご褒美デートが行われた日の週明け。
一年椿組は、朝から異様な雰囲気の中にあった。
皆、何かそわそわしている。
乃梨子もそわそわしていたが、そわそわするしかなかった。
視線の先には、紅薔薇のつぼみにして時期紅薔薇さまの福沢祐巳さまと昨日デートをしたはずの瞳子が居る。
何時ものようにすまし顔で席についている。
どんなデートをしたのか?
いやいや、違う。皆の乃梨子の興味はそこではない。
祐巳さまと姉妹に成ったのか?
その一点だ。
何せ、ゲームの最後の最後に薔薇の館に乗り込んできて『妹にしてください』なんて
逆指名してきたのだから。
もっとも、クリスマスの時に祐巳さまから妹に成らないと言うのを断っての逆指名。
あの時に乃梨子は瞳子が断ったと聞いて、嘘だと思った。
まさか、また断った?
それとも祐巳さまに妹に出来ないとか言われた?
不安が募るが、何も聞きにいけない。
それさえもリリアン瓦版で発表されるまで黙っていないといけないのか?
そんな事で悩んでいると、昼休みに瞳子の姿が消えてしまっていた。
「何処に行ったんだ?」
可南子さんに聞いてみるが知らないと言われた。
結局、瞳子が教室に戻ったのはお昼休みが終わるギリギリだった。
「乃梨子」
「ふぇ?」
「何て声出しているのよ。今から薔薇の館に行くのでしょう?」
「あっ、うん」
「私も行くから少し待っていなさい」
「へっ?」
瞳子の一言に、残っていたクラスメイトたちがざわめきだす。
「お待たせ、行くわよ」
「う、うん」
先に立つ瞳子の後を着いて行く。
教室から出るときに、クラスメイトたちが聞いて聞いてと言っている様な視線を感じたが、そんな事聞けるならとっくに聞いている。
結局、薔薇の館に着くまで何も話しかけられなかったし、瞳子も何も言わなかった。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、あら瞳子ちゃん?」
「ごきげんよう、白薔薇さま」
薔薇の館には、乃梨子の大好きなお姉さまである志摩子さんが居た。
ただ、今、気になるのは……。
見れば、志摩子さんも瞳子の方を見ている。
志摩子さんと目が合う。
その目は、どうなっているのと聞いていたが何も答えられない乃梨子はただ。頭を振るしかない。
「ごきげんーよぅ?」
乃梨子たちの後にやって来られたのは由乃さま。
肝心の祐巳さまでないことに乃梨子も志摩子さんも溜め息。
だが、由乃さまは乃梨子たちの溜め息には気がついていない。
「瞳子ちゃん?」
「ごきげんよう、由乃さま」
「あぁ、ごきげんよう」
瞳子に挨拶した由乃さまは志摩子さんの方に向かう。
「乃梨子、お茶をお出ししましょう」
「あっ、う、うん」
「お二方はお茶でよろしいですか?」
「えっ」
「えぇ」
「由乃さまは?」
「私もお茶で」
ヒソヒソと話しているところでお茶を聞かれ、志摩子さんも由乃さまもただ頷く。
アレは絶対に、瞳子のことを話しているのだろうが、お二人とも祐巳さまから何も聞かされてはいないらしい。
クラスの違う、志摩子さんは良いとしても同じクラスの由乃さままで聞かされていないとは思わなかった。
と、言うことは祐巳さまは皆の前で発表するつもりなのか?
でも、紅薔薇さまと黄薔薇さまは来られるのだろうか?
……祐巳さま!早く!
乃梨子は叫びたくなるが、山百合会の青信号、止まることのない暴走列車こと由乃さまが吼えていないのでここはグッと我慢する。
由乃さまは吼えない代わりに、ウロウロと落ち着かない。
突然、由乃さまが立ち止まる。
下の方から、ドアが開く音がした。
トントンと階段を上がってくる音がする。
「ごきげんよう」
入ってこられたのは令さまだった。
普段なら喜ぶはずの由乃さまだが、今は完全に空気が沈んだ。
「ごきげんよう、どうしたの由乃さん?」
令さまの後ろから顔を出したのは祐巳さまだった。
「祐巳さん!」
一気に空気が変わる。
由乃さまは祐巳さまの手を取り角に引っ張っていく。
何やら祐巳さまに話しかけ、祐巳さまは笑う。
「ちゃんと報告するから」
由乃さまは祐巳さまのその言葉を聞いて離れる。
「皆さまに報告があります」
「祥子さまはいいの?」
今まで黙っていた志摩子さんが質問する。
「お昼に話をしましたから……」
「瞳子」
呼び捨てで祐巳さまは瞳子を呼んだ。
……あっ、もうこれだけでダメ。
涙腺が緩む。
瞳子がトコトコと祐巳さまの横に並んだ。
「本日、私こと福沢祐巳と松平瞳子はロザリオの授受を行い正式に姉妹に成りました――」
もう限界だった。
涙が止まらない。
瞳子は祐巳さまが好き。
その事に気がついてから本当に長かった。
祐巳さまの鈍さに怒りたくなったこともある。
瞳子の意地っ張りに文句を言ったこともある。
でも、祐巳さまも瞳子もお互いに必要なことは分かっていた。
それなのにこんなに時間がかかるなんて、マリアさまは意地悪だ。
乃梨子の涙に気がついた瞳子が寄ってきて、乃梨子を抱きしめた。
「赤ちゃんみたい」
悪かったね!
瞳子の言葉にそう言い返す。
もう少し早く素直に成ってくれていればこんなにヤキモキしなかったのに!
そんな事を思っていると令さまが手を上げた。
希望の大学に受かったそうだ。
薔薇の館はさらに明るくなった。
温かい紅茶で乾杯する。
まったく待たせすぎ!
でも、まぁ、瞳子おめでとう。
暖かい気分で、温かい紅茶に口をつけた。
このキーだとこれしかないなと思いまして、被ったらごめんなさい。
【No:3335】……繋がっているとまでは言えませんが。
クゥ〜。
2010年11月10日に《マリア様がみてる》の1巻から8巻までを箱詰めしただけの第一期豪華BOX(8冊セット)が発売されるよ!!
その内容をネタバレ全開で振り返ろう! 先人の皆さまとネタが被ってたら、ごめんなさいm(_ _)m
■マリア様がみてる■(通称、無印)
《胸騒ぎの月曜日》
訳もわからず、それでも豪華メンバーの前に引きずられるようにして連れていかれた。
「お姉さま方にご報告があります」
「みなまで言うな。その辺歩いてた姉のいない一年生を手っ取り早く捕まえて妹にって。祥子、勘弁してよ。んもー」
(まあ、いったい何が始まるの?)
紅薔薇さま、心の声と台詞が逆になってます。
《波乱の火曜日》
部活のない祐巳は放課後の数時間を山百合会のために提供してしかるべきである、という結論に達した、と。
「そんな無茶苦茶な」
「無茶苦茶なものですか。薔薇のお姉さま方だって、そのことは承認済みよ。それに」
祥子さまは祐巳の顎に人差し指をかけて、顔を正面に向けた。
「手ぐらい握るし。肩だって抱くし。キスだって」
「ちょ、調子に乗るの、おやめになったら!」
しーん。
決まった、……かな? いや、全然だめらしい。祥子さまは笑っている。
《水曜日の物思い、金曜日のバトル》
「あ、お湯が出ないのか」
「冬は温泉が出るわよ」
「へえ……!」
驚いた。
「大晦日には年越しそば用の麺つゆが出るわよ」
「へえ……!」
驚いた。
「バレンタイン限定でホットチョコレートも出るわよ」
「へえ……!」
驚いた。
何より、祐巳の独り言をちゃんと聞いていたことに。
《辛くて渋い週末》
「ここまでの印象を聞いているの」
「印象ですか」
祐巳は柏木さんをチラと見た。彼はすでに半分ほど食べ終わっていた。性格なのだろうが、カレーは白も赤も均等に減っていた。
「『お釈迦さまもみてる スクールフェスティバルズ』を読むかぎり、上の空なのに、白も赤も均等だなんて、無意識のうちに源平に気を使っちゃうとは柏木さんもそれなりに大変なんでしょうね」
白薔薇さまは、祐巳の言うことを「ふんふん」とうなずきながら聞いていた。
《熱い二週目》
そんなの祥子さまじゃない、と蔦子さんはハンカチを噛みしめた。
「あの方はね、たとえ自分の用事でも他人を呼びつけるのがお似合いなのに」
「お似合いとか、お似合いじゃないとかじゃないんじゃない?」
「呼び出すにあたって、自分のお姉さまを使いっぱしりにしたり、更にその使いっぱしりにされたお姉さまはその辺にいた王子を運転手としてこき使ったりするのがお似合いなのに」
蔦子さんの美的感覚も、独特だから。
《ワルツな日曜日》
祥子さまが差し出したのは、楽屋の隅に置いてあった紙袋。中を開けると、入っていたのは何と65Dカップのゴージャスな絹ブラジャーだった。
「肩パットがずれたら、目も当てられないでしょ? 新品でなくて悪いけれど、よかったら使って」
「祥子さまのブラジャー!」
「何、悩んでるの、祐巳ちゃん。ああ、もどかしいわね。みんな押さえつけて、つけさせちゃえ!」
黄薔薇さまの号令で、祐巳は強引に愛用のコットンブラジャーをはぎ取られ、身に余る豪華なブラジャーをつけさせられた。
「エロシーンを一手に引き受けるとは」
「うらやましいわ。あなたにはR指定も適応外ということね」
「そんなことないですよ」
■黄薔薇革命■
《ベストスール》
由乃は「祐巳さんかぁ」と感慨深げにつぶやいた。
「何、祐巳ちゃんが気になるの?」
「うん。これから地道に攻略していく予定なんだけど、まず友達から始めて、色々あってラブラブになって、修学旅行で……」
あまり特定の人間に興味を示さない由乃だけに、その答えは意外だった。
……もう、ロザリオ早く返せ。
《返されたロザリオ》
「どっちだろう」
外に出たものの、リリアンの敷地は広い。こんな事なら桂さんに詳しく聞いてくるんだった、なんて思ってももう遅い。
「こいつはうっかりだ!」
いつかドラマで聞いたことがあるセリフをつぶやいて、祐巳は北に向かって走り出した。
《思わぬ余波》
皮肉なものだ。
令さまと由乃さんが、全校生徒の憧れの姉妹でさえなければ。全校生徒に『ヘタ令』と『イケイケ青信号』という本性が知れ渡り、実のない痴話喧嘩の延長であると周知の事実になっていれば――。こんな風に、他の生徒たちに飛び火することもなかっただろうに。
《いったい、どうなってるの?》
「何かあったの? 祐巳さん」
「……私、今、黄薔薇さまを見た」
「え?」
「そうよ。キャラクターデザインが全く別人だけど、P123のイラストは黄薔薇さまだったんだわ!」
「そういえば、私も見た」
「え!?」
「見た、っていうか。見たような気がした、っていうか。ストーリーの方に集中してたから、そのまま忘れていたけれど――」
たぶん、それは黄薔薇さまだったのだ。凸じゃなければ気づけないかもしれない。
《戦う乙女たち》
「剣道に詳しいんですね」
「優さんがやっていたから」
「――」
優さん、っていうのは、フルネームが柏木優。祥子さまと瞳子の従兄弟で、花寺学院高校の三年生で、生徒会長をやっている、頭が良くてハンサムな青年だ。それでもって、祐麒のファーストキスの相手で、祐巳にむりやり脱がされる未来を持つという……。とにかくすごい人。
《終わりよければ》
「まさか祐巳ちゃんも、私が妊娠でもしたって思っていた?」
「えっ!? 黄薔薇さま、妊娠なさっていたんですか!?」
「まさか、って言ったでしょ。しているわけないじゃない。相手もいないのに」
「いらっしゃらないんですか」
「いらっしゃらないわね。幼稚舎から女子校で、どうやってお知り合いになるの? 蓉子に阻止されて、山辺さんとの出会いが半年遅れたばっかりだし」
「ばっかり、ってわけでも……」
四ヶ月後、リリアンかわら版を見たお父さんが、パニックを起こして息子たちをひきつれて押しかけてくるのだ。
「いいお父さんじゃないですか」
「どこが?」
■いばらの森■
【いばらの森】
《期末試験と文庫本》
白薔薇さまっていったら、やっぱりあの白薔薇さまのことだろうか。
(顔が日本人離れしていて、美術室の石膏像みたいなくせに、中身は意外と繊細で、修学旅行で日程モロカブりになって妹に気を使って涙ぐましい努力をしたり、妹の妹に接触するまで半年を要したり、ほぼ一年ぶりの妹との再開にはしゃぎまくって蓉子さまと江利子さまを唖然とさせたという、あの佐藤聖さま?)
まあ、彼女以外に白薔薇さまがいたらむしろ問題なんだけど。
《シロイバラ》
『そうか……私だけがわからないわけじゃないんだ。何だか混乱して、私自分の感受性に欠陥があるのかと心配しちゃった』
「落ち付いてよ、由乃さん。由乃さんに欠落してるのは『ブレーキ』とか『赤信号』でしょ?」
《須賀星は誰だ?》
何だか美味しそうなプチケーキが、菓子皿に綺麗に盛り付けられていた。
不意のお客さまに、これだけのおもてなしができるかと問われれば、正直いって祐巳にはできそうもない。
「令さまってオトメンみたい」
外見は完璧美少年のその人は、両手両膝をついた姿勢で涙した。
《イブに会えたら》
折り紙を切って作ったイカリングのような鎖とか、紙テープ丸めて作ったクッキーみたいな星とか。紅薔薇さまなんか楽しそうに、画用紙にホイル貼ってこしらえた王冠被って「3番と5番引いた人はポッキーの端と端をくわえて食べきるように」なんて予行練習までしている。
(王様ゲームやるんだ……)
【白き花びら】
《春のバイ蕾》(バイは草かんむりに倍という字です。出なかった)
仕方ない。ここは天使たちの牧場なのだ。
だから、二股の分かれ道にいるマリア様は、私にとっては仁王像にさえ見えた。
マリア像の中に、観音像は見出せなかった。
「……君の登場は二年後だから」
「ちッ」
《夏の温室》
少なくとも、私は栞とつき合うようになってから、彼女の影響で真面目に授業に出るようになったし、遅刻や欠席もしなくなった。特攻服も焼いたし、族旗を返して解散宣言もした。誉められこそすれ、非難されることではないはずだった。
(……そこまではグレてないッスよ)
《秋の恋情》
「栞さんが高校卒業後、修道院に入ることになっているって、あなたがどうして知らないの」
「――え」
「彼女、シスターになるのよ」
「嘘」
「なんで、私が嘘をつくの。友達に嫌われる損な役回りまでして」
「でも、どうして蓉子は知ってるの?」
「……聞きたい?」
「……」
「聞かなきゃよかった、忘れてしまいたいけれどしっかり頭に焼きついてしまったって内容だとしても聞きたい?」
「……栞に聞かないと」
蓉子は私の肩にそっと触れて、「あれは先々週の事じゃった――」とババア口調で話し始めた。
「アーアー聞こえない!」
私の精神は決して大丈夫ではなかったが、どうにかそれくらいのことはできた。
《冬の残花、そして》
うとうとしていたらしい。一瞬時間の間隔をなくしていた。
呆れた様な微笑みを浮かべ立っていたのはなつかしいお姉さまだった。
「どうして」
「死神の代わりに、迎えにきたの」
「『マッチ売りの少女』じゃないんですから、やめてくださいよ!」
……。
「な、何てかわいそうな話なんだ」
ベッドの上に寝転がった祐巳は、手を伸ばして枕もとのボックスティッシュに手を伸ばした。まず、頬から顎にかけてドーッと流れた涙を拭い、それからチーンと鼻をかんだ。
■ロサ・カニーナ■
【ロサ・カニーナ】
《寂しいぬくもり》
志摩子さんは思い返すように、静かに天井を見上げた。つられて祐巳も見上げた。あ、時空が裂けて異空間の入り口が開いて平安時代の街並み? って、この話どこへくのっ!?
《黒薔薇さま?》
「彼女。栞さんに似ていたかしら」
「栞さんはともかく。中学の頃から目立っていたから、私なんかはいずれ彼女の方こそ薔薇の館の住人になると思っていたけど」
「栞さんがいなかったら、白薔薇さまは蟹名静さまを妹にお迎えになったんでしょうか」
「それはどうかしら。栞さんと出会う前の白薔薇さまは、人との接点をあまり持たれないタイプだったし。栞さんがいたからこそ、今の白薔薇さまになったのよ」
「だから、どうして私の前でそういう話をするの?」
フワフワした巻き毛が、傾げた頭の動きに合わせてバウンドした。
志摩子さん、いろいろとごめんなさい。
《君、何思う》
だってロサ・カニーナといったら、祥子さまをはじめ令さまや志摩子さんの敵であるわけで。できればわかりやすいキャラであってほしい。どっちかっていうと、蟹の着ぐるみ着て、悪の組織の構成員を引きつれて、「あなたたちもここまでよ!」って言うのが似合う上級生をイメージしていた。でもそうなると、今度は歌姫のイメージとはかなり離れてしまうけど。
《姉妹の存在意義》
紅薔薇さまのために何かできないか、って。でも、祥子さまの場合、お姉さまの戦ってる相手は大学入試という第三者には手も足も出せないものだったからさあ大変。
同じ大学を志望する受験生への不幸の手紙や無言電話は一人じゃかけきれないだろう、とか。
試験日に早起きして大学周辺を封鎖して蓉子さま以外の受験生を入れないようにしようか、とか。
受験生に人気があるアイドルを買収して同じ受験日の別大学に受験させて倍率を下げる、とか。
いろいろ考えているうちに、結局小笠原の力がないと何もできないということを改めて思い知って落ち込んでいたという。
《ささやかな秘密》
こんな時なのに、志摩子さんは環境整備委員会の定例会議があるとかで薔薇の館にはこなかった。
薔薇さまたちの姿も見えない。由乃さんの話では、祐巳が来る前に紅薔薇さまと黄薔薇さまが薔薇の館に現れたけど、「買収工作は成功したから」っていい残して帰ってしまったらしい。
【長き夜の】
《一月一日》
「白薔薇さまから」
「え?」
「白薔薇さまでしょ? 佐藤さん、って。やっぱり薔薇さまともなると、女心のツボを知り尽くした口説き文句が板についてて素敵ねぇ」
(いったい、何を?)
《二日に神社で初詣》
「志摩子は特別」
白薔薇さま、ってば。いつもは放ったらかしにしているくせに、やっぱり志摩子さんのこと誰よりも大切に思っているんだろうな。自慢の妹だもん、当然か。
まさか、半年もしないうちに志摩子さんが趣味仏像鑑賞の妹とべったり甘甘の姉妹生活を開始するとは思ってもいないんだろう。
《天敵のいる風景》
「白薔薇さま、以前にもいらしたことが?」
「はいな。今年、いや、もう去年の夏ってことになるのか。遊びに来ましたよ。紅薔薇さまも一緒だったけど」
「ふーん」
「面白くない?」
「姉妹水入らずになれなくて、お可哀想な紅薔薇さま」
「その意趣返しに剣道交流試合のときにこっちに来るんだから、たまったもんじゃないよ」
立ち止まって、白薔薇さまは私の頬を突っついた。
《お姉さまの隣》
「……これで怪談したり、好きな人の名前告白したり、ちょっぴりアレな体験語ったりしたら、完璧に合宿ですね」
「いいね、やろうか」
「ご勝手に。私はつき合いませんからね」
――確かに。祥子さまに怪談や好きな人の名前告白やちょっぴりアレな体験語ったりは、ちょっとミスマッチ。
■ウァレンティーヌスの贈り物(前編)■
【びっくりチョコレート】
《リサーチ》
予想通りというかなんて言うか。志摩子さんの対応ったら、どう見ても例年の二月十四日、誰かにチョコレートを進呈している女の子のそれとは違う。
「嫌だ、祐巳さん。私だってバレンタインデーくらい知っていてよ」
ああ、よかった、と祐巳はほっと一息ついた。
「聖バレンタインデーの虐殺、血のバレンタインとも呼ばれるわね。アル・カポネが指揮したと言われる事件なのだけど、全米中のマスコミの注目を集め、大衆の人気者だったカポネは一転憎悪の的になったのよ」
「ふーん」
志摩子さんの説明、何だか本格的。格調高くさえある。
惜しむらくは、シカゴで聞けなかったことだ。
《珍客の手土産》
「あのっ、今、築山三奈子さまがっ」
「失礼ね、それじゃまるで敵襲を知らせる家臣じゃない」
「前線、突破されたぞおっ!!」
「何をしているのっ、弾幕足りなくってよっ!!」
「薔薇の館はブゥトンが死守します! お二人は薔薇さま方に増援の要請を!」
「了解っ!!」
(……そこまで毛嫌いしなくても)
《部外者》
自分がどこに隠すかなんて、祐巳は考えてみたこともなかった。で、ついでだから、目の前にいる人の隠し場所を想像してみた。
「静さまなら、蟹の甲羅の中とか?」
「簡単すぎない? それに、その日の授業で使ったらすぐばれてしまうわよ」
「うーん」
なるほど、誰でも思いつく場所じゃ意味ないわけだ。宝を隠すのって難しい。
《二月十三日》
「ど、どうしたの祐巳ちゃん」
「なんでもないわ。早いところ最終会議をしてしまいましょう」
「なんでもないって、……ねえ」
「ええ」
「あなた方も、やっぱり私を一方的に悪者にするつもり!?」
三奈子さまと令さまは顔を見合わせた。
「悪者、というよりは悪の首領?」
「むしろラスボス?」
「やめて頂戴。泣きたいのはこっちの方よ」
ヒステリックな叫び声が、階段の上の方から聞こえてきた。
《ウァレンティーヌスの悪戯》
しばし考えるような沈黙の後、祥子さまは指を組み、上目遣いで言った。
「夕方でいいかしら? 宝探しが終わった後」
「はい」
「場所は?」
「できればあまり人のいないところで……。古い温室はいかがですか?」
「な、なぜバレたのっ!?」
(温室?)
祥子さま、あなたも心の声と台詞が逆になってます。
【黄薔薇交錯】
《十八時五十分、江利子》
黄薔薇さまこと、鳥居江利子は自宅の自分の部屋で悩んでいた。
目の前には田○模型の、組み立てると力強い走りを見せるミニ四駆が置かれてる。
「これ、本当に私宛かしら」
《十九時十八分、由乃》
島津由乃は、自宅の自分の部屋で悩んでいた。
「……おかしい」
去年はH&K MP5くらいの大きさはあった。だから今年はGD FIM92"スティンガー"ぐらいのサイズを覚悟していた。なのに。
「S&W M29"44マグナム"ぐらいじゃない。どうなってるの」
《十九時三十分、令》
「お父さんと一緒に、すぐお風呂に入っちゃいなさい」
お母さんがそういうので、令は部屋でバスタオルとか替えの下着とか準備してから風呂場に向かった。
《二十三時十分、江利子》
由乃ちゃんの好み、ってこんな感じなのだろうか。
結構イケイケだったから、ただ「ふーん」とだけつぶやいた。
《二十三時十分、由乃》
結局、令ちゃんから電話はかかってこなかった。間違って渡された44マグナムだったとしても、もういい。どうせこの時間になっていたなら、黄薔薇さまだって犯行に及んだ後だろう。
《二十三時十分、令》
「そういえばお姉さまは、犬耳メイド姿でご奉仕して欲しいようなこと言っていたっけ」
令がそれを思い出したのは、夜の十一時。ベッドの中に入ってからのことだ。
■ウァレンティーヌスの贈り物(後編)■
【ファースト デート トライアングル】
《オーダー》
「白薔薇さまとの初詣がデートと呼べるものならね」
「あー、それ。絶対に盗撮したかった。なんで呼んでくれなかったのよ」
「そんなこと今更言われても」
堂々と「盗撮」なんて言っている人、恐ろしくて呼べますか。どこかでポリスに職質されてしょっ引かれているかと思うと、気が休まる暇がなくておちおち初詣だってできやしない。
《オードブル》
色々悩んだけれど、祐巳はやっぱり自分が誘った手前、デート費用は自分が出すのが当然だと結論づけていた。
しかし祥子さまは、お姉さまである自分が払うのだと言って聞かない。
で、結局中をとって割り勘ということで双方手を打った。チョコレートのお礼はというと、春休み中は何もなく、梅雨頃は延び延びになった揚句姉妹破局寸前までいき、夏には「行かないわよ」と言われ、行事が目白押しの秋を通りすぎ、ようやく十二月の試験休みに叶うと思ったら柏木さんと祐麒は乱入するわ、お姉さまは倒れるわでそれどころじゃなくなり、なんとか三月にリベンジを果たすのだった。
《メイン》
「幼稚舎の頃なんか自我が目覚める頃でしょう? からかわれると、その度にムキになって生活を改善したりしたものよ」
「生活を改善?」
「ライダーベルトの使い方を覚えたり、変身して悪の組織と戦ったり、謎のライダーと共闘したり……。でも今思えば幼稚園の子供が無理してやらなければならなかったことではなかったわね」
「はあ」
そんなすごい話を聞かされてしまったら、祐巳なんかもう「はあ」くらいしか、言葉の返しようがない。
《デザート》
「よし、完璧」
修正を加えながらリピートすること五回。やっと形が出来てきた。しかし。
「今のはお手伝いさんが出た時バージョンでしょ。じゃ、次は、お母さまが出た時バージョン」
「で? お父さまお祖父さまが出た時バージョン、ってのも順次練習するわけ? 祥子さん」
突然背後からの声に振り返れば、ドアから身体半分はみ出させて母が立っていた。
【紅いカード】
祥子さんは温室の中に滑り込むように入っていった。
いくら私がストーカーギリギリの行為をしていたとはいえ、温室の中にまで入る勇気はもちろんない。
「どうしてお入りにならないんですか。だって、あのヒステリー、ヒステリーのくせに祐巳さまにベタベタして」
「ヒステリーのくせに、っていうのやめなさい。って、いうか。あなた、あとがきにすら出てないでしょう?」
その少女は、悲鳴のような叫び声をあげると、そのまま駆け出した。
【紅薔薇さま、人生最良の日】
「江利子……」
蓉子は立ちつくした。並んで立っていた江利子が、蓉子の手をギュッと握った。
「ええ。なんて素敵なのかしら」
薔薇の館の二階が一面テレビ父さんのイラストで埋め尽くされていたのだ。
「いい光景でしょ?」
「……ええ」
「蓉子のリクエスト」
「ええ……」
見たかったのはこの光景だった。
■いとしき歳月(前編)■
【黄薔薇まっしぐら】
《ことの発端》
「これ……探偵事務所とか興信所とかの仕事だよ」
いかにも隠し撮りしましたという写真ばかりである。
高級料亭。高級ホテルのプール。
「す、すごい」
高級のオンパレード。
「でもさ、蔦子さん。立ち入るだけでもものすごい料金を取られそうな場所にどうやって?」
「そう、うらやましがるな、って。あのさ、祐巳さん。この世の中、ただでいい思いができると思う?」
「自分で考えなさい」の意味なのか、それとも単に言いたくないだけなのか。蔦子さんは、それ以上教えてくれなかった。
《ウサギとネコとオオカミと》
「祐巳ちゃん」
無邪気に手を振って、黄薔薇さまが近づいてくる。
「黄薔薇さま、ごきげんよう」
「ごきげんよう。久しぶりね。由乃ちゃんには時々、残忍で狡猾で充分な屈辱を与えられるような罠をしかけたりしてたけれど――」
(えっ!?)
《傘はり浪人の妻》
「ロ……!」
あまりに驚いて、その先の言葉が飛んでいってしまった。そこにいたのは、紅薔薇さまだったのである。
「ロ? じゃ、『ろくでなし。あなたなんかと結婚するんじゃなかったわ』」
「わ、『わかりもしないで偉そうに。何さまのつもりだ』」
「『黙っていればいい気になって。外であなたが何してるか私が知らないとでも思っているの?』」
「の……『飲みにいくのだってつきあいなんだよ! 亭主の気持ちも知らないで』」
「で、凸。――ここに写っているの、江利子よね」
紅薔薇さまったら、勝手に始めたしりとりをこれまた勝手に終わらせてしまった。普通は「ん」がつくまで続けるもののはず。
《イエローローズ騒動》
「ごめんなさい、お姉さま。相談しようかとも思ったんですが、お姉さまが」
「私が、何」
「なんて言うか、男女の、その恋愛のようなお話はご不快そうだったので」
「ご不快? ご不快ですって?」
祥子さまはとうとう握っていた核のスイッチを、テーブルの上に思いきり投げ捨てた。
「後からこういう形で耳に入った方が、何百倍もご不快だってなぜわからないのっ!」
「ひゃあ」
とうとう爆発した。祐巳は頭を抱えたが、三年生の二人は「おー、ついに」なんて囃したてている。
【いと忙し日日】
《月曜日》
「『こんな調子じゃ、卒業式は本番の方が、実感わかなかったりして』……でしたか?」
「それより、もっと前よ」
「じゃあ、『タイが曲がっていてよ』ですか」
「そんな前じゃないわ。もう、しっかりしてよ。こっちまでわからなくなってしまう」
《火曜日》
「私、笑いなんかとれないわよ」
志摩子さんが困った顔をした。
「いいわよ、別に」
由乃さんは、志摩子さんの肩をポンポンと叩いて安心させた。
「志摩子さんは、そうね。そのままでも笑いが取れるんだから」
「……ええ」
訝しそうにうなずく志摩子さん。それに対して、由乃さんは何だか楽しそう。
《水曜日》
「祐麒」
「ん?」
「これ、なーんだ?」
弟の部屋を訪ねて私が指し示したのは、例の美少女戦士の衣装だ。
「……」
無言ではあるが、目が泳いでいる。明らかに動揺していた。犯人みーっけ。
《木曜日》
「あ、ごめんなさい。他のクラブと同じノリで声かけちゃっただけで、今日は私、合唱部とは関係ない用事で来たの」
「合唱部とは関係ない用事?」
「土曜日に薔薇の館で大砲を借りたいって話があったでしょう? 音楽の先生に聞いてみたら五台までなら貸せる、って許可が出たからお知らせに。で、何台いるの?」
「大砲?」
《金曜日》
白薔薇さまはすでにコートを着て、鞄を引っ掛けて来ていた。だから「連れて帰る」は教室ではなく、まぎれもなく自宅にという意味だとすぐわかった。
「佐藤さんが、付き添ってくれるの?」
「ええ。どうせうちのクラス自習ですし。この子の飼い主からも、頼まれまして」
「飼い主? ああ、小笠原さんのこと」
「はい」
先生と白薔薇さまは、私の前で無遠慮に笑った。しかし、飼い主って。確かに、祥子さまには下僕と呼ばれていますけれど。
《土曜日》
「わ、祐巳さん大変」
「何? ギャッ!」
私は怪獣の子供全開で叫んだ。花束から練り上げた納豆が滴り落ちてきてしまったのだ。
《おまけ》
これは、いったい何のだろう。――私、水野蓉子は目と口を開けたまま思った。しばらくは状況が理解できなかった。
由乃ちゃんが、マジックをしている。
その後ろで、志摩子が大砲に押し込められ、人間大砲としてぶっ放されている。
【一寸一服】
彼のどこに惹かれたか、なんて。
一言でいえることではない。
あえて言うなら、存在自体。
サイド7で、「V作戦」の極秘ファイルを入手した瞬間みたいな、そんな気持ちの高ぶりが、彼と出会ったとき私の心に訪れた。
■いとしき歳月(後編)■
【will】
《忘れ物》
「じゃ、すすり泣いていたように見えたのは」
「鼻をすすってました。体育館は結構響くでしょ。鼻をかむ音、って迷惑かなと思って」
「ああ、そうなの。じゃあ、祐巳さんにはこっちね」
志摩子さんは、ハンカチをポケットにしまって、入れ違いに鼻栓を出して「どうぞ」と差し出した。
「あ、……ありがとう」
祐巳はお礼を言ってからもらって、それで思い切り鼻に栓をした。
《お餞別》
「妹、ね。……とても考えられないけれど」
志摩子さんは、窓の外に視線を移した。
「相性の合う下級生と巡り合えるかどうか、ということもあるけれど。私が妹を持ったら、その子は一年生で白薔薇のつぼみにならないといけないでしょう」
「志摩子さんだってそうしてきたじゃない」
「もちろんそうだけれど。でも、なんとなく私は妹を持ってはいけないのではないかと思うのよ」
祐巳は急に不安になった。
「乃梨子ちゃん」
窓の外にいた乃梨子ちゃんの手を、祐巳はガシッと握った。
「び、びっくりした。え、……何?」
「乃梨子ちゃん。中学浪人しないでね」
「祐巳さま……?」
「志摩子さんにこんな事言われちゃってるけど、『チェリーブロッサム』のとおりにリリアンに入学してきてね。乃梨子ちゃんがいなきゃ、私嫌だから」
乃梨子ちゃんが、こんな言われ方をしたがために中学浪人を決意してしまうような気がした。だからどうしていいかわからず、とりあえず捕まえていなくちゃ、って夢中だった。
【いつしか年も】
《直前の卒業生》
そこに熊男こと山辺氏の姿だけがない。
(来る、って言ったのに)
『釈迦みて』の進行で遅れるかもしれないとは聞いていたが、このエピソードの裏側が語られる確率はとても少ない。所詮、その程度の扱いなのだろう。
《江利子・聖・蓉子》
江利子が最初に蓉子の名を知ったのは、中等部の入学式の時だった。
クラスが発表された模造紙上には、「水野蓉子」という四文字は事務用マジックペンでくっきり描かれていたはずなのだが、「戦争」とか「賢一郎」とか「振門体」といったとんでもない名前にばかり目が留って、当然覚えていない。
《送辞と答辞》
序盤は退屈だったが、終盤は結構おもしろかったな。――と、聖は卒業式を振り返った。
祥子の涙でぐちゃぐちゃになった顔も拝めたし、ここぞという時に子供向け番組のアクションヒーローさながらに令が登場したシーンも堪能できたし。欲をいえば、蓉子がド派手なコスチュームに着替えて「宇宙を破壊してやる」などの悪あがきを見せてくれれば最高だったのだが、言い始めたらキリがないのでやめた。
《光の中へ》
祐巳ちゃんがこそこそと祥子を輪の中から連れ出した。
(何をしているのかしら)
「お姉さま、これ」
祐巳ちゃんが、祥子に鼻栓を手渡していた。
結構度胸があるじゃないか、と蓉子は感心した。
鼻栓をつけて顔を上げた祥子は、とてもいい表情をしていた。
【片手だけつないで】
《春の風》
「ねえ。私今でも後悔することがあるの。あなたと栞さんのことよ」
「栞のことは言わないでよ」
「いいえ、この際だから言わせてもらう。もちろんあなたには遠く及ばないけれど、私だって傷ついたのよ。あなたはお節介っていうけれど、もっとお節介すればよかった、って。そうしていたら、あなたが階段を昇ってくるタイミングに合わせて抱きついて焼きもちをやかせたりして遊べたかもしれない、そんな風に今でも考えることはあるわよ」
衝動的に、私の右手は振り上げられた。
《秋の絆》
「山百合会に必要だから妹にする、っていうの?」
「どんな理由なら納得していただけるのかしら。顔で選ぶお姉さまが学年ごとの美少女ナンバー1をコンプリートしたいと泣きついてきたからとでもお答えした方が、説得力がありまして?」
私はカッとなって、思わず手を挙げそうになった。
松平瞳子さんの感想
「これで終わりですって!? どうして瞳子の出番がないんですのっ! あとがきにはちゃんと出てたのに! うp主、出てきなさいっ!!」
ごきげんよう、お姉さま方。
×××
………その少女は、ベッドで目を覚ます。
だが、そこは少女の部屋ではない…
「…夢…違うか…夢だったらどんなに良かったか…」
少女は独り言を言った。返事はおろか話し声さえ、ここには無い。
少女はベッドから起き上がり、テーブルに向かった。
テーブルには弁当箱があり、触ると少し暖かかった
「…暖かい…」
少女は誰が作ったか解らない弁当を食べることにした。
「今日のは、昨日より美味しくない…」
不満を言っても仕方がない。与えられるもの以外は、食べ物がないからだ。
少女は次に冷蔵庫を開けた。
常に補充され、飲み物にも困らなかった。だが、いつも同じものしか入っていないので飽きてきた。
少女は一応、満足すると『館』の外に出た。外と言っても、日の光は存在しなかった。
少女は日課となってしまった花の世話をする。
いつになれば終わるのか、また、いつになればここから出られるのか、色々考えるが意味などなかった。
ここには、まったく人が来ない訳ではなく、少女に会いに来る者はいる。だが『待ち人』ではない。
少女は、来る日も来る日も『待ち人』を待つが、中々来ない。
愛しき人とは何度も語り合い、愛し合った。それはそれで満足のいく生活だった。
少女はこの『施設』に監禁されているわけではなく、自分の意志で逃げ出すことも出来た。だが、愛しき人を思うと出来なかった。
少女は愛しき人の為に『罪』を犯した。大人達は許さなかった。只一人を除いて。
少女は条件付の『罰』として、『待ち人』を待つこととなった。
今日も『待ち人』は来ない…明日は来るだろうか…
少女はいつか来る『待ち人』を夢見て、今日も眠りにつく…
……壊れゆく私……何時になったら……赦されるのだろうか……私は…ただ…愛しい人といたかっただけなのに……
「マホ☆ユミ」シリーズ 「祐巳と魔界のピラミッド」 (全43話)
第1部 (過去編) 「清子様はおかあさま?」
【No:3258】【No:3259】【No:3268】【No:3270】【No:3271】【No:3273】
第2部 (本編第1章)「リリアンの戦女神たち」
【No:3274】【No:3277】【No:3279】【No:3280】【No:3281】【No:3284】【No:3286】【No:3289】【No:3291】【No:3294】
第3部 (本編第2章)「フォーチュンの奇跡」
【No:3295】【No:3296】【No:3298】【No:3300】【No:3305】【No:3311】【No:3313】【No:3314】
第4部 (本編第3章)「生と死」
【No:3315】【No:3317】【No:3319】【No:3324】【No:3329】【No:3334】【No:3339】【No:3341】【No:3348】【No:3354】
【No:3358】【No:3360】【No:3367】【No:これ】【No:3379】【No:3382】【No:3387】【No:3388】【No:3392】
※ このシリーズは一部悲惨なシーンがあります。また伏線などがありますので出来れば第1部からご覧ください。
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。
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☆
〜 10月3日(火) 10時 暗黒ピラミッド 最下層の1階上 〜
「ソロモン王は、わたしたちにこう言ったわ。
『余にはそなたたちのどのような攻撃も効かぬ。
余は不死にして万能。 すべての智恵を持つものである。 余に服従せよ』 ってね」
蓉子が一同を見渡しながら言う。
「ところが、マルバスは、 『ソロモン王は死ぬ』 と言った。ただし 『復活する』 とも。
そうであれば理解できる。 私たちは既にソロモン王を殺している」
「ええ、令を含め4人の攻撃でボロボロになったわね。 まぁ、すぐに復活したけど」
「祐巳ちゃん、いい? これは重要なこと。 あなたは殺しても復活するものと戦うことになる。 それでも戦えるのかしら?」
「はい! もちろんです。 まだどのように戦えばいいのかわかりません。 でも戦っているなかで見えるものもあるんじゃないでしょうか?」
祐巳はなぜ蓉子がこのような質問をするのかわからなかった。
ソロモン王を倒すために、みんなここまで来たのではなかったのか?
「祐巳ちゃん。 あなた以外の5人ではソロモン王を倒す手段はないの。 あなたが無理なら戦うことはあきらめるしかない、そういうこと。
なんとしてでもソロモン王を倒す方法を考えなさい」
「私だけ…。なんですね?」
祐巳は静かに蓉子を見つめる。
「そう。 あなただけ。 もうあまり時間がないわ。 よく考えて。
ではソロモン王を倒すまでの前にしておく準備について説明します」
蓉子は祐巳に向けていた視線を聖に移す。
「聖。 ソロモン王には側近として2人の男女がいる。
大地の神”アガレス”と、海の神”ウェパル”
この二人がこのピラミッドをここに存在させている。 この二人だけは最後の最後まで倒してはいけない。
でも、ソロモン王と祐巳ちゃんが戦っている間、この二人に邪魔させるわけにはいかないの」
「わかった。 そこで私の出番、ってわけね?」
「あなた、20mほど離れた所にいるこの2人に瞬間的に花束を渡せるかしら? いつものトリックで」
「え?! まぁ、それくらいはお安い御用だけど」
「うん。それなら話が早い。
まずマルバスのタリスマンで強力な麻痺薬を作成する。 そして花束の中に麻痺薬を仕込んでおいて合図とともに麻痺薬を破裂させてアガレスとウェパルの動きを止める」
「その合図とは?」
「祐巳ちゃんが水天ヴァルナの力で八大竜王を呼びだして壁にかかった松明をすべて消し去る。
すると暗黒になるから、すぐさま 『ルーモス・マキシマ』 で強力な明かりをともす。 その瞬間よ」
「花束in薬 → 水 → 光 → 薬破裂、だね」
「ええ、そして二人の動きが止まった瞬間に、志摩子が江利子の 秘技『影縫い・五色龍歯』 で二人の動きを完全に止める。
麻痺薬で動きを止めておけるのはおそらく数秒もないと思うわ。
でも、止まっている相手になら志摩子でも 『影縫い・五色龍歯』 を当てることができるでしょう。
ただし、止まっている時間はルーモス・マキシマが輝く10分間。 10分でソロモン王を倒せなければ私たちの負け、よ」
「ちょっと待って、蓉子。 あなたの作戦だと私と祐巳ちゃんと志摩子の3人しか名前が出てこないんだけど。
あなたと江利子と祥子の3人は何をするの?」
「あら、気付いたのね。 そう。 わたしたちはソロモン王を倒しには行かない。 行けるのはあなたたちだけよ」
「なんですって?!」
平然と 『ソロモン王を倒しに行かない』 と宣言する蓉子に聖は驚く。
祐巳と志摩子もあまりの衝撃に言葉も出ない。
「とにかく時間がないわ。 江利子、志摩子に五色龍歯を2組渡して。
志摩子が必ず 『影縫い・五色龍歯』 を当てることができるように特訓をお願い。
祐巳ちゃんは祥子と協力してマルバスのタリスマンから麻痺薬を精製しなさい。
・・・。
そうね、このフロアは多分やかましくなるから精神集中のために上に行ったほうがいいわ。
聖、あなたは私と少しお話に付き合って。 すべてを話すわ。
祐巳ちゃんと志摩子はあとで聖から話を聞きなさい。 今は質問は無し。 さぁ、急いで」
江利子は、志摩子を伴い広間の中央部に向かう。
祥子と祐巳はまた一階上に登ってゆく。
蓉子は聖と共に江利子と志摩子から離れた場所へ移動する。
聖は蓉子を問い詰めたかった。 しかし蓉子は言うべきときに言う。
長い付き合いだ。 それがわかっているから聖は黙って蓉子の後に従った。
☆
「蓉子、時間が無いって・・・。 あと何時間残っているっていうの?」
「あと2時間を切ったわ。 それまでに祐巳ちゃんと志摩子はやるべきことをする。
あなたは私の話を聞いて」
「うん、わかった。 残り時間の理由も含めて、私が納得できるように。 頼むわ」
「そうね。 でも途中で大声を出さないでね。 志摩子の集中力を切らしたくないから」
蓉子の話が始まる。
「まず、ソロモン王と72柱の魔王の関係について話すわ。
ソロモン王は魔王を使役しているけれど、その支配の仕方が3種類あるの。
まず第1は、魔王自身がソロモン王を尊敬する、とか信頼する、とか、考え方に共感するなどで、自ら服従していた場合。
第2は、ソロモン王の力に屈服し、力で支配されていた場合。
第3は、魔王の精神をすべてソロモン王が支配し、魔王には意志がなくなっている場合」
「まさか、その第3って・・・」
「あなたも見たのでしょう? 令と由乃ちゃんの背中に浮き出したと言うヒトデのような五芒星。
それが浮き上がった場合、その者は精神さえすべてソロモン王に支配される。
自らの意志がなくなった状態であなたたちを襲ったのよ。 令は」
「令は、ソロモン王に無理やり服従させられた、っていうのね?! どうして?」
「たぶん、由乃ちゃんが瀕死の重症を負った、ってところでしょうね。
まず間違いなく ”アスタロト” との戦闘が原因。 私たち3人でアスタロトを追い詰めたけど、他の魔王たちに邪魔されて取り逃がしたのよ。
令と由乃ちゃんはアスタロトと戦って倒している。 きっとそのときに由乃ちゃんは大怪我をした。
そしてその瀕死の由乃ちゃんを死なせないですむ方法を令は一つだけ知っていた」
「それがソロモン王に無理やり服従させられた、っていうのとどう繋がるの?」
「令はね。 その時すでに 『永遠の若さ、永遠の生命』 を手に入れていたのよ。
由乃ちゃんにも、『永遠の若さ、永遠の生命』 を与えてもらうことで死なせないようにした、ってとこでしょうね。
ふふっ・・・。 令らしいわ。
でも、多分・・・。 由乃ちゃんの怒る姿が眼に浮かぶようだわ。
『令ちゃんのバカー』 ってね」
「つまり、令は・・・」
「令は、自らソロモン王に忠誠を誓うことで由乃ちゃんが助かればいい、と思ったのよ。
でも、由乃ちゃんの性格だもの。 それを良し、とはしなかった。
きっと、最後の最後までソロモン王に戦いを挑んだんでしょうね。
そして、令も一度は忠誠を誓ったソロモン王を裏切った。 その結果が、あの姿、ってことね」
「なんてこと・・・」
「そう。 酷い話よね。 それと、あなた達がここまで来る間に倒した魔王たち。 それは大体が第1か第2の理由でソロモン王に従っていた魔王ね。
意志を支配されていた魔王たちは、自分の割り当てられた部屋に残るか、このフロアに集められて私たちと戦ったのよ。
その数はここで48体、この上のベルゼブブ、それと最初あなたと倒した4体、その53体ね。
魔王のほとんどはソロモン王に忠誠を誓っていたのではなく、無理やり支配されていた、ってことね」
「その他の魔王は?」
「あなた達が倒した8体と、マルバス、それに令が倒した7体、これは私たちから逃げ出したりソロモン王の招集に応じなかったと言う事。
あと、側近の二人はソロモン王の信頼が厚いことから見て絶対の忠誠を誓っていると見て間違いないわ」
「ちょっと・・・。 おかしくない? その合計数は71だよ。 1体少ないじゃない。 それはどうしたの?」
「令と由乃ちゃんに取り付いて支配した魔王。 ”ブエル” よ。
ブエルは精神を支配する。 洗脳を最も得意とする魔王。 ソロモン王の野望はブエル無しでは出来ないでしょうね」
「その ”ブエル” は今どこにいるの?」
「もともと、精神まで支配していた魔王たち、それに令と由乃ちゃん、それぞれにブエルの分身が潜んでいた。
でも、もう分身は3体しかないはずだわ。 その3体を倒せば ”ブエル” の最後ね」
「じゃ、ソロモン王と戦う前にまずその ”ブエル” を探し出して倒さないといけないってこと?」
「そうなるわね」
「うわ・・・時間が無いじゃない! ・・・・・え? ・・・・・えぇぇぇぇぇぇっっ!!」
ふふっ、と笑みを浮かべる蓉子。
「ようやく気がついたかしら?」
「嘘だ・・・。 嘘だーーー!!!」 絶叫を漏らす聖。
「ねぇ、聖。 あなたも 『永遠の若さ、永遠の生命』 を手に入れたくは無い?
わたしとあなた、江利子も居るわ。 あなた、志摩子のこと好きでしょう? それに祥子と祐巳ちゃんは似合いの姉妹よ。
みんなで 『永遠の若さ、永遠の生命』 を手に入れてここで楽しく暮らさない?」
それまで厳しさに満ちていた蓉子の顔が急に慈悲深いものに変わる。
まるで聖母のように微笑む蓉子。
「そうか・・・。 おかしいとは思って居たんだ。 この瘴気の満ちたピラミッドの中であなた達三人は3日も過ごしている。
祥子は一回も瘴気を払う呪文を唱えなかった。
飲まず食わずで・・・。 魔王たちを60体も倒して・・・。 そうか・・・。 蓉子たちも化け物になったのか・・・」
「あら、化け物は酷いわね。 すでに魔王を超えた存在なのよ? わたしたちは。
望めばあなた達もそうなれる。 悪い話ではないはずよ」
「蓉子・・・。あなた江利子のお兄様がなぜ死んだと思ってるの?! 栄子センセが私たちに何を託した?!
そんなことさえ忘れてしまったと言うの?!」
「死んでしまった人たちはもう生き返らないわ。 でも私たちは生きている。
それなら、生きているわたしたちはよりよい未来を作るために努力すべきじゃないかしら?」
「何を・・・。 あなた何を言っているの?」
「ソロモン王はね、生きている間は最高の王だった。 でも、国民は国のことも省みようともせず堕落していった。
ソロモン王の死後、彼は堕落した王、として歴史書に書かれることになった。
変よね? 「成功のバイブル」もソロモン王の業績を褒め称えているのに。
堕落した国民が彼を絶望させたのよ。 でも、今回は違う。 素晴らしい国民による素晴らしい国を作るの」
「・・・。 蓉子らしくも無い選民思想だね。 反吐が出る」
「山百合会だって同じことじゃない。 私たちだけががんばっても良いリリアンにはならない。
生徒みんながリリアンのことを考え、リリアンを素晴らしい学園にしようとしてはじめていい学園になるのよ」
「それとこれとは話が違うでしょ!」
「最後まで話を聞きなさい。 いい? 私たちはソロモン王に選ばれて 『永遠の若さ、永遠の生命』 を与えられる。
ソロモン王に任せていたら、あなたの言うような反吐の出る選民思想の溢れかえった世界になるわ。
でもね・・・」
そこまで言って蓉子はにやり、と笑う。
「ソロモン王は傀儡にして 『永遠の若さ、永遠の生命』 を持った私たちがこの世界を統治するのよ。
ソロモン王は殺せない。 だって殺しても復活するだけだもの。
だから、殺さない。 私たちのために利用するのよ。
いい? 私とあなたと江利子、それに祥子もいる。祐巳ちゃんも志摩子も。
多分、望めば令に由乃ちゃんも現世からもう一度ここに連れてきて私たちの仲間にすることが出来るわ。
私たちが統治する世界。 きっと素晴らしいものになる。 私は既にそのプランを持っているもの」
「まさか・・・。 本気なの?」
「言ったでしょ? 時間が無いって。 あと1時間少々でわたしは答えを出さないとならないの。
ソロモン王に謁見する時間。 それが12時なのよ。 そこがタイムリミット。
あなたが私の言葉に頷いてくれたらわたしたちはこれから先もずっと親友で居られるわ。
でも、反対するのなら・・・。 そうね、あなたを倒してソロモン王の前に引っ張っていこうかしら?」
「蓉子。 あなたの言いたいことはわかった。
でも、最後に質問させて。 どうしてあなたは私と祐巳ちゃんと志摩子にソロモン王を倒す手段を教えたの?」
「あら、決まってるじゃない。 あなたが私との袂を分かち戦うと決めるかもしれない。
その場合、私たち3人を倒した後で途方にくれないように作戦を考えたのよ。
・・・私を誰だと思っているの? 『リリアン史上最高の軍師』 といわれた水野蓉子なのよ」
「あなた・・・。言っている意味がわからないよ! あなたは生きる気なの? 死ぬ気なの?」
「ねぇ、聖。 「生と死」 って何だと思う?
もうすぐ・・・。 水野蓉子の人間としての生は終わるの。 いえ、『永遠の若さ、永遠の生命』 を手に入れたときからわたしは既に死んだのかもしれない。
わたしは、生きている間は 「生」 にしがみつくわ。
生きる、ってことはね、自分の意思で生きること。 そして大事な人に忘れられない記憶を残すことだと思うの。
大事な人から忘れ去られたときに私は本当の 「死」 を迎えるんだわ。
私はあなたから憶えていて欲しいの。
あなたのことが好きだった女の子が居た、ってことをね」
蓉子は怒りに震える聖の顔を見ながら微笑む。
「しかたないわね。 いい? このままわたしとあなたがソロモン王の前に行ったとして、あなたはソロモン王を倒そうとする。
その時、私はどうなっていると思う? 令のように意志を支配され、すべてを忘れてあなたを殺そうとするわ。
ねぇ。 その時の私は、生きているって言えるかしら?」
聖の眼に涙が溢れ始める。
「嫌だ・・・。 嫌だよ。 蓉子・・・。 あなた今自分で言ったじゃないの!
『リリアン史上最高の軍師』 なんでしょ?! なんとかしなさいよ!」
「本気でソロモン王を倒しに行く気があるのならわたしたち3人を殺して行きなさい。
わたしも江利子も祥子も覚悟は出来ている。
あとは、もう一つの方法だけ。 わたしたちと同じ 『永遠の若さ、永遠の生命』 を手に入れてこの世界に君臨するかどうか。
もう、その二つの選択肢しか残っていないわ」
蓉子の言葉を聞いた瞬間、聖はその場にくず折れ嗚咽を漏らす。
「よく考えて頂戴。 あと1時間しかない。 泣いていてもはじまらないわよ」
蓉子は聖に背を向けると、 秘技『影縫い・五色龍歯』 を特訓中の江利子と志摩子のもとに向かった。
☆
「伍絶切羽っ!」
と、なぜか志摩子の声で。
「ん〜ダメね。 やはり動くものに当てるのは厳しいか」
こんどは少々がっかりしたような江利子の声。
「何をさせてるの?」
蓉子が江利子に近づきながら聞く。
「ん? どうせなら私の技を全部教えようかと思って。
いちおう刹那五月雨撃まで教えたんだけどね。 伍絶切羽は無理ねぇ」
「ちょっと・・・。 私が頼んだのは 『影縫い・五色龍歯』 のはずよ? そっちはどうなの?」
「あぁ。 動かない的なら百発百中。 ちょっと見てみる?」
江利子は、地面に長さ1mほどの×印を描く。
「この×印の4角と中央のクロスしたポイント。 この5箇所に当ててみなさい」
そう言いながら×印の前に立つ。
「わかりました」
と、志摩子は答え、腕のリストバンドに5本の鏃を装着する。
そして、×印を背にした江利子に30mほど離れて『ホーリー・バースト』を構える。
江利子の体で×印は完全に隠され、志摩子からは全く見えない。
この状態で撃てば間違いなく江利子の体を貫通することになる。
「『影縫い・五色龍歯』っ!」
志摩子の放った白い精神弾は江利子の体を迂回し、その後ろに描かれた印に寸分の狂いもなく命中する。
「ね。 見てのとおり。 志摩子の精神弾は思ったままに軌道を変えられるのよ。
私のホームング機能とは違うけど、これはこれでなかなかの優れものよ」
「うふふ、いい後継者ができたじゃないの。 これですべてのパーツが出そろったわね」
「あら? 祐巳ちゃんと祥子の麻痺薬がまだよ? そっちの心配はないの?」
「まさか。 あの二人が組んでいるのよ。 麻痺薬なんてすぐに出来上がっているはず。
なのに、まだ帰ってきていない、ってことは祥子の説得が長引いているかもう戦っているか、のどちらかでしょうね」
「祥子と祐巳ちゃんが戦うなんて考えられないけどね。 祐巳ちゃんが逃げ回ってるだけじゃないかしら?
まぁ、こっちは向こうでヘタレている聖をその気にさせればいいだけね」
急に物騒な話をする蓉子と江利子。
志摩子は二人の言っている意味が理解できない。
『聖』、という言葉が出たので探してみると、遠くで蹲っている聖が見えた。
「ロサ・キネンシス! 聖様に何をしたんですか?!
それに祥子様と祐巳さんが戦う、ってどういう事ですか?!」
「言ったとおりの意味よ。 この上で祥子と祐巳ちゃんは戦っている。 言っておくけど模擬戦じゃないわよ。
命をかけた戦いをしているの。
そして、こっちはこっちでそろそろ戦いを始める時間。
聖の相手は江利子に取られちゃったから、あなたの相手は私がするわ。 両手剣の極意を教えてあげる」
「なんで戦わなくちゃならないんですか!? わたし蓉子様と戦いたくなんてありません!」
志摩子の瞳に動転の色が浮かぶ。
それはそうだろう。 ここまで信頼しきっていた蓉子が自分に牙をむける。
「もう説明は面倒だから。 そうね、私は魔王に乗っ取られたのよ。 だからあなたを殺す。 私を殺さないとあなたは生き残れないわよ。
祥子も魔王に乗っ取られたの。 だから祐巳ちゃんは祥子と戦っていてここに来れない。
聖は・・・。 私たちが魔王に乗っ取られたのを知ってショックで落ち込んでるのよ」
「嘘! 嘘です! さっきまでロサ・フェティダ、わたしに自分の技を全部教えてくれたじゃないですか!
それに蓉子さまだって、あんなに素晴らしい作戦を考えてくださったのに!」
「そうね。作戦はあのとおり行えば大丈夫よ。 もっとも、私たちを倒さない限りできないことだけどね」
「蓉子、どうせ時間をかけても同じなんでしょ? もう攻撃してもいいかしら?」
「えぇ。 聖は答えを言わなかったけど、心の中はもう決まっているわ。
それに祐巳ちゃんも、結局私たちと戦うことになる。 志摩子は祐巳ちゃんに従う、と決めている。
だから、わたしと志摩子は戦わなくちゃいけない。 結局、結論はこうなるのよ」
「だったらあんなに聖を悩ませなくてもいいのに。 酷い人ね、蓉子」
「私の自己満足かしら。 もっと聖の心に私を刻みつけておきたかったのよ。 でも・・・。もう頃合いね」
「じゃ、いくわね。 口火は私が切るわ。 ・・・何時ものとおり、ね」
フッ、と笑いながら江利子が言う。
「こっちを向きなさい! 『アメリカ人!』 ボヤボヤしてると死ぬわよ!」
江利子の放った矢が聖に迫る。
「マホ☆ユミ」シリーズ 「祐巳と魔界のピラミッド」 (全43話)
第1部 (過去編) 「清子様はおかあさま?」
【No:3258】【No:3259】【No:3268】【No:3270】【No:3271】【No:3273】
第2部 (本編第1章)「リリアンの戦女神たち」
【No:3274】【No:3277】【No:3279】【No:3280】【No:3281】【No:3284】【No:3286】【No:3289】【No:3291】【No:3294】
第3部 (本編第2章)「フォーチュンの奇跡」
【No:3295】【No:3296】【No:3298】【No:3300】【No:3305】【No:3311】【No:3313】【No:3314】
第4部 (本編第3章)「生と死」
【No:3315】【No:3317】【No:3319】【No:3324】【No:3329】【No:3334】【No:3339】【No:3341】【No:3348】【No:3354】
【No:3358】【No:3360】【No:3367】【No:3378】【No:これ】【No:3382】【No:3387】【No:3388】【No:3392】
※ このシリーズは一部悲惨なシーンがあります。また伏線などがありますので出来れば第1部からご覧ください。
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。
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☆
〜 10月3日(火) 10時30分 暗黒ピラミッド 最下層の2階上 〜
「おねえさま、蓉子さまの様子、変でした。 なにかあったんでしょうか?」
祐巳は不安そうに祥子に聞く。
「それに、おねえさまも、蓉子さまも江利子さまもソロモン王を倒しには行かないって。
おねえさまたちはその間何をするんですか? なにかもっと重要なことがあるんでしょうか?」
「そうね。 あなたにはすべて話さないといけないわね。
でも、まずはお姉さまから言われたことをしましょう。 麻痺薬を作ってから。 それからでいいわね?」
祥子は心配そうな顔で見つめる祐巳に優しく笑って返す。
「お姉さまが今、困っているの。 わたくしは妹としてお姉さまを支えなければならないわ。
祐巳にも力を貸してほしい・・・。 いいえ、あなたで無ければできないことがあるの。 わかったわね?」
「わかりました。 ところでおねえさま、麻痺薬って普通にパラライズでいいんでしょうか? それともスタンのほうがいいでしょうか?」
「体の自由を奪うのだからパラライズのほうがいいと思うわ。 『PALYZE/パライズ』 の魔法よりももっと強力な薬じゃないと”アガレス”クラスの魔王には効かないから十分な精製が必要よ。 集中していきましょう」
祥子と祐巳の手により、マルバスのタリスマンに濃い紫の液体が出現する。
「この液体を植物の種のような形に精製するのよ。 まず 『PALYZE/パライズ』 を唱えながら魔法陣をタリスマンに重ねて・・・」
昔のように・・・。 祐巳がまだ小学生だった頃、よく魔法を教えていたときの様に祥子の顔は輝いていた。
隣には、尊敬、憧憬の眼で見てくれる妹が居る。
「うわ〜。 おねえさま、すごい!」
・・・ほら、こんな台詞まであの頃のまま。
ツーッ・・・と、祥子の頬に涙が零れ落ちる。 そして涙とともに麻痺薬が祥子の掌に落ちた。
「あ・・・。おねえさま、涙が・・・」
「あら、ごめんなさい。 集中して見ていたら涙まで落ちちゃったわ。 気にしないで。 それより今度は祐巳が作って御覧なさい」
「はい! 『PALYZE/パライズ』! 麻痺薬よ、種の形になれ〜」
祥子は一心にタリスマンに意識を集中する祐巳を見ていた。
(ほんとに、この子ったら・・・。 いつも一生懸命で・・・。 わたくしのすべてはあなたのものだったわ。 祐巳)
ほどなく、祐巳の掌の上に麻痺薬が落ちる。
「やった!! 以外と早く出来ましたね! よかった〜。 おねえさま、早くロサ・キネンシスたちのところに戻りましょう?」
祐巳は二つの麻痺薬をポケットに入れると、祥子に手を差し伸べる。
「少し待って、祐巳。 それより、ソロモン王を倒す手段は考えたの?」
「あ・・・そうでした! ロサ・キネンシスは私に考えなさい、っておっしゃいましたけど正直どうすればいいのか全くわからないです」
「わたくしの魔法ではソロモン王を倒すことは出来なかったわ。 でも体を破壊することは出来た。
多分、そのときソロモン王は一度死んだ。 でも、ボロボロになった体がすぐに再生を始めて元通りになったの。
お姉さまの剣の攻撃でもそう。 物理的な攻撃は全く役に立たないわ」
「それでは、結界に封じ込める作戦はどうでしょうか? それか石化呪文とか?」
「結界も一時的には有効かもしれないけれど、すぐに破られるわ。 石化も動きを止める呪文も同じよ。
ソロモン王にはどんな攻撃も効かない。 そんな簡単なことならお姉さまがわたくしに命じるはず。 そうでしょ?」
「ん〜〜〜〜。 これまで考えられる全部の攻撃はダメ、なんですよねぇ。
ということは全く知られていない方法を考える、か、空想でしかない攻撃を考えるか、ってことですね」
「空想・・・。 え!! 空想・・・ね! それは盲点だったわ・・・」
「おねえさま?」
「あのね、祐巳。 昔のSF小説だけど、主人公が制御の利かなくなったミサイルを操縦して太陽に突っ込む、と言う方法があったわ。
主人公も死んでしまうのだけれど。
それから厄災を火山の噴火で地球外に吹き飛ばす、というのもあった」
「で・・・、でも、おねえさま、それって本当に空想の世界のお話で、実際には出来ないですよ?」
「えぇ、わかっているわ。 でもきっとこのことがヒントになる。
殺せないなら帰ってこれない場所に連れて行けばいい、そういう方法もあるのかもしれないわ」
「う・・・。難しそうです〜」
難しそうな顔で唸る祐巳を見ているうちに、不意に祥子はおかしくなった。
「ふっ。 うふふふっ・・・。 ふふ・・・。あーっはっはっは!」
急に狂ったように笑い始める祥子。
「まったく、わたくしったら・・・。 ふふふふっ。 祐巳の顔を見てたら笑いが止まらなくなっちゃったわ。 あーっはっはっは!」
「お・・・おねえさま! どうしたんですか?!」
「うふふふっ・・・。 ねぇ祐巳。 わたくしが魔王になった、って言ったら驚くわよねぇ?」
「えええっ!! おねえさまが魔王、ですか?! ん〜似合わないです。 それより女王様、のほうがお似合いですけど」
「あら。 ここにいる王様はソロモン王よ? わたくしが女王になるにはソロモン王と結婚しなくちゃいけないわ」
笑いすぎて体をくの字に折り曲げながら祥子が答える。
「え〜! それは嫌です〜」
急に雰囲気が変わり笑い転げる祥子の異変。
祐巳は驚きながらも祥子の真意をはかろうとする。
「ねぇ、祐巳。 本当のことなの。 わたくしはね、最強の魔王・ベルゼブブも倒したのよ?
そして、『永遠の若さ、永遠の生命』 をソロモン王に与えられているの。
考えてみて。 それって、もう人間ではないわ。 魔王って言ってもいいんじゃないかしら?」
「うそ・・・。 おねえさま! うそでしょう?!」
「どうしてわたくしが祐巳に嘘をつかないといけないのかしら? ここに来るときに全部話す、っていったわよね。
これが真実なの。 そして祐巳にも 『永遠の若さ、永遠の生命』 を手に入れるチャンスがあるわ」
「わたしに・・・。 ソロモン王に服従しなさい、って言うおつもりですか?」
「そうすれば、わたくしとあなた、二人でこの世界で楽しく暮らせるわ。 永遠にね。
ううん。 二人だけではないわ。 お姉さまも江利子さまも。 それにお姉さまの説得に聖さまが従えばみんなで永遠に若いままでいられるのよ。 素敵でしょう?」
「おねえさま! わたしを試しているんですか? ソロモン王を倒さないといけないって言ってたじゃないですか!
わたしたちだけ生き残ったとして、それでいいとでも言うのですか?!」
「かまわないわ。 わたくしはね、祐巳。 あなたさえいればそれでいいの。 あなたを愛しているわ」
「そんな・・・。 そんなことを言うなんておねえさまじゃない! まさか・・・。 あっ!魔界の瘴気に当てられた・・・んですか?」
「いいえ。 もう瘴気なんて関係ないの。
わたくしたちがベリアルと戦った後で、地下に落ちたのは知っているわよね?
そのとき落ちた衝撃で、わたくしたちは気を失ったの。 そのときに魔王の一人がわたくしの体に潜んだ。 ソロモン王のスペルを持って、ね。 だから魔界の瘴気は心地いいくらいなのよ」
「おねえさまにも、令さまや由乃さんと同じスペルが・・・。 そんなぁ・・・」
祐巳はあまりの絶望に思わず膝をつく。
「で・・・でもっ! 令さまは正気を失って私たちを襲いました。 おねえさまはちゃんとお話が出来ているじゃないですか!
ロサ・キネンシスだって! 令さまたちとは違いますっ!!」
「令たちがとうしてああなったと思っているの? 令たちはね、ソロモン王に逆らったのよ。
だから罰として心までソロモン王に支配されたの。 ソロモン王に従えば心は自分のままで居られるわ」
「それじゃぁ・・・」
「そうよ。 ソロモン王に従うしかないの。 さぁ、わたくしと一緒にソロモン王の御前へ行って忠誠を誓いなさい」
祥子が祐巳に手を伸ばす。
祐巳は、祥子から逃げるように一歩一歩後ずさる。
「嫌です、おねえさま。 わたし、行けません!」
「聞き分けの無い子は嫌いよ。 祐巳は何時もわたくしと一緒がよかったんでしょう? さぁ来なさい!」
「嫌です! おねえさま・・・。 眼を覚ましてください!」
「しかたないわね。 あなたが悪いのよ? わたくしの言いつけを聞かないから。
あなたに怪我なんてさせたくないのに・・・。 『アギダイン』!」
祥子は 『ノーブル・レッド』 を取り出すやいなやいきなり高温魔法を祐巳に向かって放つ。
「おねえさま、やめて!!」
祐巳は一声はなつと、瞬間的に祥子の後ろに移動し、その背にしがみつく。
「ほらっ! おねえさまの背中、ソロモン王のスペルなんて浮かびあがっていないっ!!
魔王になんてなってなんかいません!!」
「ばかね、祐巳。 ソロモン王のスペルはわたくしの体の中にあるの。
わたくしがソロモン王に逆らったときはじめて背中に浮かび上がるのよ。
それまでは体の中だから、外からは確認しようが無いわ。 もっとも外に出たときにはわたくしはもうわたくしではなくなっているけれど」
「そ・・・。 そんなぁ」
「さ、祐巳。 わたくしを殺すなら今がチャンスよ。 わたくしを殺してソロモン王を倒しに行きなさい」
「嫌っ!! おねえさまを殺すなんて出来るわけないじゃないですか!」
「仕方の無い子ね。 それじゃ、わたくしの手であなたを倒さなくてはならないわ」
祥子は言うが早いか、 『ノーブル・レッド』 を逆手にもちかえ、前を向いたまま祐巳のわき腹を抉った。
「グ・・・グフッ・・・」
祐巳の口から苦しそうなうめきが漏れ、腕の拘束が解かれる。
ぼたぼたっと、わき腹から溢れた血が地面を濡らしていく。
「この 『ノーブル・レッド』 はね。 そんじょそこらのレイピアよりも鋭いのよ。
痛いでしょ? でも、これで楽におなりなさい・・・。 『ジオダイン』! 」
祥子の電撃魔法が至近距離から祐巳を襲う。
しかし、次の瞬間、祐巳の体は祥子から十メートルほど離れたところで蹲っていた。
「よく・・・、今の攻撃を逃れたわね・・・」
祥子が驚いた顔で祐巳を見る。
「うぅ・・・・。 おねえさま、痛い〜〜。 ひどいよ! ひどいよ〜!! えぇ〜〜ん!!」
祐巳の目から涙が溢れる。
それは、痛みからなのか・・・。 それともあまりの悲しみのせいなのか・・・。
「だから言ったでしょう? あなたに怪我はさせたくなかったの。 いいかげん聞き分けなさい!」
祥子は答えない祐巳に痺れを切らし、再度杖を振り上げる。
「やめて! やめてーー!!」
祐巳は祥子に抉られたわき腹を押さえながら必死で逃げる。
血が後から後から流れてくるが、癒しの光を使う暇すらない。
いつしか祐巳は上階まで祥子に追われ、”マルバス”と戦った部屋の前まで追い詰められていた。
☆
〜 10月3日(火) 11時20分 暗黒ピラミッド 最下層の1階上 〜
蓉子が放った上からの一撃を、横に構えた状態で受け止める。
打ち合った剣の表面で火花が散って、柄を握る手に痛みが走った。
「・・・・・・っ!」
何度目かわからぬ衝撃にいいかげん吐く息も失せたのか、志摩子は鋭い呼吸と共に剣を押し上げ蓉子のそれを退ける。
そのままの勢いを利用して身体を一回転、円の軌跡を描いた刀身が鋭く蓉子に迫った。
押し上げられ、剣を振り下ろす前の姿勢になった蓉子にはこれを防ぐ手段などない。
そう思っての攻撃だ。
しかし・・・防げないなら避けるまでといわんばかりに、蓉子は何の抵抗もなく後ろに一歩下がってその一撃を回避する。
慣性のまま振りぬかれようとする剣を無理やり手元に引き戻し、志摩子は小さく舌打ちした。
また、これだ。
「・・・なかなかやるじゃない」
幾分驚きを含んだ声で、蓉子が言った。
その姿からは疲労など微塵も感じられない。
そしてダメージなど、いわんや、だ。
まあ、こちらの攻撃なんて一度も入っていないから当然といえば当然なのだが。
志摩子は答える気力もなく、ただ柄を握り直した。
息が荒い。
気を抜けば、疲労が一気に襲ってきそうだ。
ぽたりぽたりと頬を伝うのはただの汗だが、そこに赤いものが混じるのもそう遠くないことに思われた。
(・・・ やりづらい ・・・)
何度か蓉子と切り結び、志摩子はその結論を出していた。
たぶん、自分と蓉子とでは戦い方が違うのだ。
敵の攻撃に際し、一歩を踏み込み刀身で受けるか、それとも一歩を退いて回避するか。
差は、たぶんそれだけの単純なもの。
しかし、それを、相手の攻撃を前に一歩退けるという事実が、両者の実力の差を示している。
極論すれば、回避に頼るよりも防御に頼ったほうが安全である。
回避は言うは易いが、その実行には何よりも精神力を必要とする。
相手の間合いを・・・相手が奥の手を持っているという前提の上で・・・見切り、そのぎりぎりの距離を選択する。
近ければ無論失敗だし、遠すぎればそのあとの反撃に繋ぐことが出来ない。
攻撃を受けた直後に反撃を繰り出すつもりならば、その攻撃をとりあえず防ぎ、そのあとに攻撃に転ずるといったほうが安全なのだ。
その安全策をとらず、難しい回避を選択し実際に実行しているというその一点が、志摩子と蓉子の決定的な違いだった。
『他人の考えていることを見抜く力』 それは、このような近接戦闘においても恐るべき差となって現れる。
そしてそれが、いまこの戦いに絶望的な影を落としている。
一撃を受け止めなければならない志摩子は、そのときの衝撃でそろそろ手首の感覚が無くなってきていた。
正直にものを言えば、いつ剣が手元を離れ飛んでいってもおかしくない状況にある。
それに対し、蓉子はいまだ一撃も受けて、いや、防いですらいない。
『無敵なるもの』=水野蓉子。 その実力は計り知れないものだと知っていた。
しかし、何度も祐巳と修行をし、白薔薇の薔薇十字を手に入れた自分。
薔薇十字最強、と言われる鎧を纏って戦っているのだ。
同じ薔薇十字所有者として・・・。 同じ両手剣の使い手として・・・。
絶対に乗り越えなければならない壁、 それがこの絶対不敗の薔薇戦士、水野蓉子なのだ。
そうは言ってもあまりに差がありすぎる。 ・・・面白くない現実だった。
☆
「どうしたの、あなたらしくもない。志摩子程度にてこずるなんてね」
突然の外野からの野次に、蓉子は顔をしかめてそちらを見る。
少し離れたところで切り結んでいる聖と江利子だ。
「五月蝿いわね。あなたこそ、人のこと言えないんじゃないの?」
「馬鹿を言わないでよ、聖とやり合っているのよ? てこずって当然でしょ」
意外そうに言いながら、江利子は手の中のナイフを操る。
江利子は聖に矢を放った後、わざと聖の得意な距離まで近づき、体術での勝負を挑んだのだ。
「幼稚舎時代からの因縁を今日晴らしてあげるわ。 さぁ、眼を覚ましてわたしと戦いなさい!」
江利子は聖のおでこに自分のおでこをぶつける寸前まで近づけて怒鳴った。
「う・・・、うるさいわよ! 凸ちん!! あー、わかった!! やってやろうじゃないの!!」
蓉子から教えられた驚愕の事実に膝をついて蹲っていた聖は、江利子の言葉で立ち上がる。
「ふふっ。 さぁ、かかっていらっしゃい。 言っておくけどわたし、体術でもあなたに負けるなんて思っていないから。
そうね・・・。 ナイフ勝負と行かない? あなた、ナイフ余分に持っているでしょ?」
江利子の挑発の乗った聖は、予備のナイフを江利子にわたし、自分自身も 『セイレーン』 を封印して相手を務める。
”疾風” の名にかけて体術で負けるわけには行かない。
聖は腰を低く構えたまま前後左右への小刻みなステップを繰り返し、隙を見てはナイフの一撃を繰り出している。
しかし、それもいまだ江利子に傷を負わせるには至っていなかった。
「こんの……ッ!」
憎々しそうに聖がうめいた。
当然だろう。
何せ江利子は蓉子と話す片手間に聖の攻撃を捌いているのだ。
あげく、先ほどからその場所を一歩も動いていない。
聖にしてみれば練習用の藁束に切りつけているような感覚で、それに攻撃を防がれるというその事実はどうにも面白くないことだった。
「そんなことで威張られてもね・・・」
呆れたようにそう言って、ちゃきり、と蓉子が剣を構えた。
それに答え、志摩子も剣を構えなおす。荒かった息は、だいぶ静かになっていた。
疲労が消えたわけではないが、大丈夫、まだ戦える。
汗で滑りそうになる柄を力強く握り締め、それを目の前まで掲げた。ふう、と静かに息を吐き、自分の敵を見据える。
(勝つ必要は・・・ない)
短く、志摩子は思った。
(負けなければいい・・・せめて、祐巳さんが戻るまで・・・!)
「そう上手くいくかしら?」
蓉子は余裕の笑みを浮かべながら志摩子の思いに答える。
☆
〜 10月3日(火) 11時20分 暗黒ピラミッド 最下層の3階上 〜
祥子に追い詰められて祐巳は ”マルバス” が横たわる部屋に飛び込んだ。
魔王・マルバスは祐巳の作り出した 『癒しの光』 の放つ白い光の中でライオンの敷物のように寝転がっていた。
「どこまで逃げるつもりなの? 祐巳。 いいかげんあきらめて出てきなさい」
祥子が部屋の外、20mほどのところまで近づいて祐巳に答えを迫る。
祥子の杖が振るわれ、またも高温の球体が祐巳めがけて飛んでくる。
(しまった・・・。 これ逃げるわけには行かない! 逃げたらマルバスが燃やされちゃう!)
祐巳が七星昆を握り締めると、7つの宝玉のうち赤い宝石が光を放つ。
祐巳はそのまま昆を高速で迫る球体に突き出しはじき返す。
『アギダイン』 の魔法で生み出された回避不能の超高温球体すらはじき返す祐巳の棒術。
「へぇ・・・。 祐巳、その昆すごいわねぇ。 妖精の真言魔法がたかだか昆にはじき返されるとは思わなかったわ」
祥子は祐巳からはじき返された高温球体を避けるとその場に立ち止まり感心した声を上げる。
「おねえさま・・・。 この子、怪我をしてるんです! 巻き込んだら可哀想じゃないですか!」
「まぁ、祐巳ったら。 魔王を庇ってわたくしを攻撃したというの? 悪い子ね」
「もう・・・。 これ以上近づかないでっ!
オン・キリク・マユラ・キランデイ・ソワカ・・・ 『孔雀明王退魔曼荼羅結界』っ!」
祐巳は退魔結界を部屋の扉のあった位置に張る。
(これで、少しは持つはず・・・)
そして、床に寝転がっているライオンに声をかける。
「マルバスッ! ここで寝ていたらおねえさまに殺されちゃう! 治療してあげるから早く逃げてっ!」
祐巳は『フォーチュン』を振るい、マルバスの手足の腱の復元を始める。
「ウ・・・オマエ・・・。 自分モ 怪我ヲシテイルデハナイカ・・・。 我ノコトヨリ 自分ヲナオセ・・・」
マルバスは人間の姿をとると祐巳に語りかける。
「そんなこと、できないよっ! ほら、もうすぐ治るから早く逃げるんだよ。 あ、でも地上に出て人間を襲っちゃダメだからね!」
必死にマルバスの治療を行う祐巳。
「フフフフッ・・・。 ホントニ 不思議ナヤツダ・・・。 ワカッタ、約束シヨウ。 今後 我ガ 人間ヲ 襲ウコトハナイ」
祐巳の治療を受けたマルバスは、ゆっくりと立ち上がる。
「デハ、マズ 礼ガワリニ オマエノ傷ヲ 手当テシヨウ。 フンッ!」
マルバスの右手に青白い球体が浮かび上がったかと思うと、その球体を祐巳の血が流れ続けている脇腹にあてる。
「あ・・・!」
祐巳の驚きの声。 脇腹の抉られた傷が治癒し体力も回復してくる。
「あったかい・・・。 すごいよ! マルバス! あなた医療が出来るの?!」
「フフフッ・・・。 ミクビラレタ モノダナ・・・。 我ハ 医術ヲ 極メシモノ。 知ラナカッタノカ?」
「そういえば、蓉子さまがあなたのタリスマン、どんな薬でもできるって言ってた」
「タリスマン ガ 出来ルノデハナイ。 我ノ チカラト 同様ノ モノヲ タリスマンガ 持ッテイルノダ。
ソレヨリ・・・。 来ルゾ!」
バリン! バリバリバリ! と結界の崩れ去る音がする。
その向こうには、『ノーブル・レッド』 から赤い糸を伸ばして結界を破壊しつくした祥子の姿。
「なかなかすごい結界ね。 こんなに時間が掛かるとは思わなかったわ。
でも祐巳、そろそろ戦う気持ちになったかしら? それとも降参する?
どっちにしても、この下では聖さまと志摩子がお姉さまたちと戦っているわ。 もう殺されてるかもね」
「そんな・・・。 二人を助けに行かなくっちゃ・・・」
「あら、わたくしから逃げれるとでも思っているのかしら? ほんとに甘いわね」
「マルバス、あなたは早く逃げて。 おねえさまの力はあなたのはるか上よ。
わたしは・・・。 そうだ! 角笛っ!!」
祐巳は首にぶら下げていた角笛を思い出す。
(本当なら、ソロモン王との戦いまで取っておきたかったんだけど・・・。 しかたないよね)
妖精王・オベロンから授けられた妖精の援軍を呼ぶ角笛。
祐巳は角笛に口をつけ、大きく吹き鳴らす。
パァーーーーン! と、まるでトランペットのロングトーンのような音が響き渡る
カッ・・カッ・・カッ・・、と規則正しい蹄の音。
妖精の勇者、クー・フーリンの操るチャリオットがどこからともなく現れる。
「妖精王の命により助太刀に参った。 祐巳殿、ご助力いたす!」
クー・フーリンの背後には数十人のフェアリー・ナイトが。
いずれも、白銀に輝く鎧に身を包み、長槍を持っている。
「クー・フーリン様っ! ありがとうございます。 わたしはこの下で友達を助けてきます。
クー・フーリン様たちは、ここでおねえさまの足止めをお願いします!」
「心得た! 安心して行かれるが良い! 皆の者、かかれ!」
クー・フーリンの号令でフェアリー・ナイトたちが次々に祥子に襲いかかる。
「テトラカーン!」
祥子が物理反射障壁を生み出し、その嵐のような攻撃を防ぎきる。
「馬鹿ね、こんな攻撃がわたくしに通用するとでも?」
と、鼻で笑う祥子。
しかし、そのときには既に祐巳は高速移動で祥子の脇をすり抜け、下層に向かって一直線に走っていた。
「あらあら・・・。 逃げられてしまったわ・・・」
さして困った顔をするわけでもなく祥子は呟く。
「まぁいいでしょう。 クー・フーリン、お久しぶりね。 あなたも怪我をしないうちに妖精界に帰ったら?
昔のよしみで見逃してあげるわよ?」
祥子はさきほどまでの殺気を納めクー・フーリンに笑いかける。
「わたくし、あなたと戦う理由がありませんもの。 それにそこの魔王さん。 あなたもお逃げなさい。
そうね・・・。 もしこんど祐巳がここに帰ってくることがあったら、祐巳の助けになってあげて」
「な・・・なんだとっ!」
殺気の消え去った相手にクー・フーリンは驚く。
「祐巳があなたに頼んだのはわたくしの足止め、でしょう?
それならもう果たせているじゃない。 わたしの足では祐巳に追いつくことは出来ないわ。
わたしはこれからゆっくりと地下に戻ります。 もちろん邪魔をするなら容赦はしないわよ」
祥子はその場に妖精たちと魔王を残し、背を向けて歩き出す。
クー・フーリンもマルバスも、祥子の纏うオーラに気圧されて全く動けない。
ただ、静かに見送ることしか出来ないで居た。
☆
(運がよかった・・・)
と、祐巳は思う。 妖精王から角笛を貰っていなければこんなことはできなかった。
(聖さま・・・。 志摩子さん、待っていて! すぐに行くから!)
ここから志摩子たちのいたフロアまではかなりの距離がある。
しかし、その距離を一気に走りきる祐巳。
もう、すでに瞬駆のそれをはるかに凌駕するスピードは、聖の特技 ”風身” の応用である。
誰も居ない通路を祐巳は走る。 ずきん、とマルバスに治してもらった脇腹が痛む。
(やるしか・・・ないのかな・・・。)
祐巳は胸中で絶望する。 考えてはいたが心の中で否定し続けていた最悪の展開。
尊敬する蓉子が、江利子が。 そして最愛の姉である祥子が敵に回って、自分はそれを倒すしかない。
救いに来たはずの人たちを殺すことしか出来ない。
・・・そんな現実・・・
・・・まるで・・・本当に・・・。 悪夢だ・・・。
「どうすればいいのよ!」
大きな瞳から大粒の涙を流しながら祐巳は狭い通路を駆け抜けた。
【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】
【No:3196】【No:3205】【No:3233】【No:3249】【No:3288】【No:3327】から続いています。
☆
「――というのが、さっきの会議で決定したことです」
いつかその時が来るだろう。
それは進級してからすぐに理解できた。
そして今。
大掛かりなイベントが始まったことで、ギリギリで噛み合っていた歯車がようやく外れた。
彼女は大変革を望むことはないが、時間の経過とともに汚染されていくそれには、あまり未練もなかった。
「……これからどうしますか?」
いつもの繋ぎ役である白薔薇――元白薔薇勢力隠密部隊所属の一年生の声には、不安があった。自身も今後の身の振り方に迷っているのだろう。
だが、彼女は迷うことはない。
自らの二つ名を決めた時から、彼女が歩むべき道は決まっている。
「あ……」
彼女は久しぶりに一年生の前に姿を見せると、優しく肩に触れた。今までの感謝と今後の無事を祈って。
それだけだった。
彼女は何も言わず、また姿を消し、去った。
――“影”を名乗る少女は、こうして、名目上は無所属となった。
“純白たる反逆の蕾”藤堂志摩子がリリアンの逆賊ならば、“影”は山百合会の腹心である。
名目上は白薔薇勢力に所属していることになるが、薔薇の館に出入りを認められる代わりに三薔薇全員に仕える身となっている。
そして彼女が動く時は、普段なら名目上は主となる白薔薇・佐藤聖の命令になるが、その命令に関しては紅薔薇・水野蓉子と黄薔薇・鳥居江利子も了承あるいは認知の上でのこととなり、更には聖の命令より三薔薇の決定の方を優先されることもある。
ストレートに言うなら三人共通の隠密という立場だ。場合によっては蓉子や江利子の命令でも動くし、場合によっては聖の意向に反することもある。
三薔薇の隠密となっていることに関しては所属していた白薔薇勢力の誰も知らず、山百合会だけの秘密となっている。何かと接触していた白薔薇勢力総統“九頭竜”は気づいているかもしれないが、確証はないはずだ。
――ついさっき、白薔薇勢力が解散したらしい。
昼休み終了間際の定時連絡で知らされたものの、“影”にはあまり関係なかった。
たとえ所属勢力が解散しても、三薔薇が決定した「“契約者”の監視と護衛」は継続されるし、解散に関して話をすることも、今後の指示を仰ぐ必要もない。
(――ああ、そうだった)
自分が今どうなっているかもわからない状況で、“影”は「自分は影として生きよう」と決めた時のことを思い出していた。
“影”は、恐らくリリアン随一のステルス系の使い手である。そしてステルス以外の情報系能力も抜群の性能を誇る。
だが戦闘にはほとんど役に立たない。基礎能力自体はそれなりに高いが、最初から闘うことなど想定していなかったので、戦闘用の能力開発も一度だってしたことはない。立場上、単独行動が多いのでそこそこ闘えるよう訓練は積んでいるものの、決して強すぎるということはない。
“影”は優しすぎた。
せっかくのステルスも、有効活用できるスパイ活動をするには良心の呵責が許さず、それを利用した不意打ちなんて一度たりとも考えたことはない。
目覚めたところでやりたいこともなかったし、闘うことも嫌だった。しかし、ただ目覚めただけのことで、危険が向こうからやってくるようになってしまった。
暴力なんて、やるのもやられるのも、見るのだって好きじゃない。残念ながらテレビでやる格闘技だって観たくない。
だから考えた。
自分の力で何ができるのか。何をするべきなのか。
その結果、当時の、今で言う先代の白薔薇に自らを売り込んだ。
リリアン最強の組織に所属する者しか、狂ったリリアンを変えることはできないだろうと思ったから。白薔薇は“影”の意思を汲み取り、更に有用性を見出すと、「三薔薇に仕える者」として山百合会への出入りを許可した――いや、有用性を見出した時点で、山百合会の防御の要として頭を下げて迎え入れたのだ。
先代も今も三薔薇は誇り高く、決して“影”を疑うことなく、また裏切ることもなかった。いつしか、そんな人達に仕えることも“影”の喜びとなっていたが、理由はもう一つあった。
それは、己を殺す代わりに、手を伸ばしても決して届かない人に近付くため。
――“影”は、聖のお姉さまに当たる一代前の白薔薇に強く憧れていた。白薔薇がその気持ちに気付いていたかどうかはわからないし、“影”も気持ちを伝えることはなかった。そして白薔薇は「できるだけでいいから聖を頼む」と言い残して卒業してしまった。
“影”はそのまま白薔薇勢力に腰を降ろし、できる範囲で聖に協力していた。先代白薔薇の妹……嫉妬がないと言えば嘘になるが、聖のことも嫌いじゃないので、仕えることに抵抗はなかった。
一瞬の浮遊感に走馬灯のように思い出が駆け巡った直後――“影”は強く地面に叩きつけられ、全身を強打して何度もバウンドし転がった。突風に翻弄される新聞紙のように無造作に、何の抵抗もなく。
久しい痛みだった。
痛みを伴う戦闘に巻き込まれたのは久しぶりだ。山百合会に、三薔薇に仕えてからは、ほとんど闘っていない。
“影”は一直線に砂煙が立ち上る先に倒れた。使い古されてゴミになる寸前の雑巾のようにボロボロになっていた。
三階からの落下。
いや、落下というより、もはや三階からシュートされたサッカーボールとでも表現した方が適切だろうか。下に落ちる、と表する角度ではなかった。飛行機の不時着とでも言った方がわかりやすいかもしれない。
「……ぐっ、……」
数秒ほど動かなかった“影”は、左手を付いて立ち上がろうとする。右手はなぜだか動かない。足もどこか踏ん張りが利かない。意識は朦朧としていて、自分がどうしてこうなったかさえ失念し、唯一あるのは「護衛をしなければならない」という己に課せられた命令の遂行のみだった。誰を護るかさえも混濁した意識の奥に埋没しているにも関わらず。
注目が集まる。
瀕死の虫のように弱々しく蠢く“影”を助けようなどと思う者は、いなかった。
そもそも“影”を知る者が少ない。
仮に知っていたとしても、白薔薇勢力関係は自分の今後に悩んで人に構う余裕などなく、それ以外は「やられた方」ではなく「やった方」に注目し、リタイアした方に興味など示さない。目覚めていない者はさも気の毒そうに見ているが、誰もが関わりを嫌い、自分に害が及ぶことを恐れて近付かない。
一人を除いて。
「急いで! 早く!」
「わ、わかったから! 絶対名前呼ばないでよ!? 絶対だからね!?」
一階の窓から飛び出したのは、一年生二人だ。
――山百合会に関わったことで一躍有名になった福沢祐巳と、知る人ぞ知る“黒の雑音(ブラックノイズ”桂だった。
今し方登校してきた祐巳は、“影”がものすごい勢いで転がっていくのを偶然見てしまった。
その時は、よくある朝の風景程度にしか思わなかった。誰かが闘って倒れて敗北して。入学当初から見てきたいつもの光景で、さして珍しくもない。派手にやられてるなー、痛そうだなー、くらいにしか思わなかった。
やられたのが“影”だと気付いていなかったのだ。
「すっごい転がったわね、今」
「あ、桂さん」
何気なく見ていると、いつの間にか横に桂がいた。どうやら彼女も今登校のようだ。
「ああいうの見ると、祐巳さんみたいに目覚めない方が幸せなのかな、ってちょっと思う」
「……私はよくわかんない」
ここ最近、随分と濃く刺激的な日々を過ごしてきた祐巳も、若干の心境の変化があった。
以前は目覚めたいと強く思っていただけだが、一時的にでも目覚めた者達の輪の中に入れてもらったことで見えたこともある。
確かに、目覚めた者の方が、痛みも苦労も多そうだ。目覚めているからってなんでも自由に振る舞えるわけではない。トップに君臨している山百合会なんて、偉そうにふんぞり返っているだけかと思えば、むしろ普通に尊敬できる人達の集団だったりもした。
だが、力を向けられてなんの抵抗もできないという弱者の状況というのはつらいし、なにより理不尽さが嫌だ。持つ者と持たざる者の差があまりにも大きく、その差が負の感情を生み出す――妬んだり恨んだりも普通にしてしまう。
問題は、力の有無ではなく、力の使い方なのだ。それを強く実感できた。
しかもアレだ。
思いっきり地面を転がって倒れているあの人を見ると、桂の言うように、目覚めてない方が気楽なんじゃないかという気も確かにするわけで――
「……んん!?」
「ん? どうしたの祐巳さん?」
窓を開け、前のめりになって倒れている人を凝視する祐巳。陽光もそう強くないのになぜか目の上に手を当ててひさしを作ったりして。
砂煙はもうもうと立ちこめ、本人も保護色とばかりに埃まみれになっているが、転がっているあの人は――
「……“影”さま?」
「え? 誰?」
「時代劇とかの上さま的なあだ名? 影武者的な?」と微妙なボケをかます桂を無視し、祐巳はなおも上半身を乗り出す。乗り出しすぎて危うく下半身が浮いたところで桂が慌てて腰を掴んだ。
間違いない、とは、言い難い。似たような体格や髪の長さの人なんてたくさんいるし、“影”自体が見た目も没個性だ。遠目でしかも倒れている者の判別なんて、目の良い祐巳でもさすがにできない。
だが、もしそうなら――
「桂さん、救助行こう!」
「えっ!?」
違ったら違ったで保健室に運べばいいし、正解なら正解で、これまた保健室に運べばいいのだ。
「で、でも、ほっとけばあの人の知り合いの誰かが行くだろうし」
渋る桂は、とにかく目立ちたくないのだ。救助活動そのものも誰かの癪に障ったりするし、戦闘でやられたのであれば、関係者だと思われて巻き込まれる可能性も低くない。
だから誰も救助に行かないのだ。桂は間違ったことは言っていない。
そしていつもなら、祐巳もそうなのに。
「いいから早く! お願いだから!」
祐巳はその辺に鞄を置いて初めて行儀悪く窓から外へ出ると、外から桂の袖を引っ張る。「えぇ……本気……?」と桂は思いっきり嫌そうな顔をするも、親友にお願いされては行かないわけにはいかない。
「あーもうわかったから! 行くから! だから名前呼ばないでよ!? 約束だからね!?」
しつこいほど「名前を呼ぶな」と念を押す桂の袖を逃がすまいと掴んだままの祐巳は、誰の目も気にすることなく走り出した。
スカートのプリーツは乱れて白いセーラーカラーは翻る。制服のまま全力疾走したのは、窓から出たのと同じく初めてだった。
近くに寄れば寄るほど、その人は、見覚えのあるあの人にしか見えなかった。
(やっぱり…!)
激しく震える左腕を使ってなんとか上半身を起こそうとする彼女は、何度か見たあの人――“影”と呼ばれていたあの人だった。
「大丈夫ですか!?」
「あ、祐巳さん! 揺らしちゃダメ!」
駆け寄って膝をつき、足腰が立たず這うようにして腕を立てている“影”の肩を掴もうとした時、桂が厳しく静止を呼びかけた。
「意識がほとんどないみたいだから、頭をぶつけてるかもしれない」
手を伸ばせば触れられるほど近くにいる祐巳に、“影”は視線を向けようともしない――桂の言う通り意識がはっきりしていないのだろう。
「……これは保健室に運んだ方がいいみたいね」
右腕の骨折と、恐らく脳震盪。こうして動いているところを見るに、ボロボロな見た目ほど身体の損傷はひどくなさそうだ。しばらくすれば意識も取り戻すだろうが、放置できるほど軽症でもないと桂は判断した。
祐巳はこういう現場に居合わせたことも駆けつけたこともなかったので、何から手をつけていいかわからなかった。が、何度か救助活動をしている桂は、見るべきところはちゃんと見ていた。
だらりと力なく下げられている右手は、きっと折れているのだろう。だがその他は大した外傷は伺えない。きっと転がった時にやったのだろう擦り傷は無数にあるが、致命傷と言えるほどの怪我はなさそうだ。出血もあまりない。
校舎を見れば、そこから誰かに飛ばされたのだろう、不自然に空いた風穴が見えた。あれだけの高さから飛ばされ派手に不時着したのにまだ動けるのであれば、基礎能力は低くないのだろう。
「志摩子さんに頼む必要もないかも……祐巳さん?」
反応の悪い祐巳は、振り返り、校舎を見ていた。
――風穴が空いている。たぶんあそこからここまで飛ばされたのだ。
「祐巳さん? 祐巳さんってば」
「待って」
祐巳は何かが引っかかっていた。
「もしかしたら“影”かも」と思った辺りから何かが引っかかっていた。
なんだ?
何が引っかかってる?
何が――
「あっ!」
「うわっ!? なに!?」
祐巳は何に引っかかっていたのか、ようやく思い当たった。
――だとしたら、これは相当危ない状況なのではなかろうか。いや、危ないというより、まずいと表現した方が適切かもしれない。
「……桂さん! あとお願い!」
「え!? また!?」
桂を置いて祐巳は再び駆け出した。
目指すは、もう二度と行く機会もないだろうと思っていた、薔薇の館である。
「……まあ、いいけどさ」
思いっきりぽつーんと取り残された桂は拗ねたように呟くと、「よっこいしょ」といまだもがき立ち上がれない“影”を肩に抱え上げた。目覚めていない祐巳がいたところでなんの足しにもならない。人を一人運ぶくらいなら基礎能力の上がっている桂一人で事足りるのだ。というよりそれを期待して祐巳も桂を引っ張り出したのだ。
「コーヒー牛乳でもおごってもらおうかな」
祐巳の知り合いを救助しに来て、肝心の祐巳は救助者と、事情を知らないツレをほったらかしでどこかへ行ってしまった。それくらいの報酬を夢見ても罰は当たらないだろう。
“影”は護衛に付いていた。
それが祐巳が引っかかっていた点である。
その護衛が誰かにやられたのであれば、答えは一つである。
(きっと誘拐だ!)
自身も(それっぽいのを)経験しただけに、直感的にそう考えた。
“影”が護衛していたのは、あの“瑠璃蝶草”である。ならば“影”がやられたのは“瑠璃蝶草”を狙った誰かのしわざだ、と。
あの「“契約”ぬか喜び事件」を経た祐巳からすればそこまで助けたいとも思えない人物だ。が、決して嫌いではないので「放っておく」という選択肢は、最初から祐巳の頭にはなかった。
何より、山百合会が困るだろう、と。
祐巳は重要なことも問題点もよくわかっていないが、“瑠璃蝶草”に山百合会に出入りしている“影”が張り付いていた以上、山百合会にも関係があることは明白だ。
ほんの短い間ではあったが、地獄の学園生活を過ごしていた祐巳を救い上げたのが、その根源とも思っていた山百合会だった。
正しいことも事情も全く理解していないが、山百合会は信じられる。信じたい。
だから祐巳は走っていた。
山百合会の助けになるならと、その一身で。
全力疾走でもごく標準的な足の速さで銀杏並木に差し込むと、向こうから恐ろしいスピードで駆ける人影が――
「うわっ」
豆粒程度に見えていたのに、誰だろうと察しが付く前に、その人影はすでに祐巳の目の前に停止していた。
乾いた風が吹く。
長い黒髪が広がり、しかし揺れるスカートのプリーツは乱れることなく、その人は怪訝な表情で祐巳を見ていた。
「……祐巳ちゃん?」
脳が認識してくれるのに数秒掛かった。
目の前の人は、祐巳にとってはほんの少し因縁がある“輝く紅夜の蕾”小笠原祥子だった。
「さ、祥子さま」
ほとんどいきなり現れたような上級生に胸が高鳴る――これはオバケなどに遭遇した時の心臓に悪い類の、または寿命が縮む系の驚きという感情だ。オバケなんて見たことないが。
「あの」
ちょっと混乱している祐巳だが、目当ての人物が目の前にいるのだ。ややしどろもどろで薔薇の館に向かっていた理由を伝える。
「――それはご苦労だったわね」
祥子は微笑んだ。ほんの1分にも満たない報告だが、やはり山百合会にとって無関係の情報ではなかったのだ。
「私もその用件で現場に行くところよ」
「えっ」
当然のことだが、“瑠璃蝶草”に付けた護衛は“影”一人ではない。それこそ校舎内なら無数の目が“瑠璃蝶草”の動向を見ている。
三勢力にとっても他勢力にとっても、“瑠璃蝶草”の力の正体はともかく、力量の大きさは無視することなどできないのだ。同じ理由で強い者には常に監視の目が付いている。そう考えて行動すると、おいそれと闘ったり能力を見せたりはできない。
二つ名持ち辺りになると、“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃のような異能フルオープンというスタイルは、ある意味では羨ましいものがある。
「じゃあ……」
自分が走るまでもなかったのか、と祐巳はがっくりと肩を落とすと、「そうでもないわ」と祥子は言った。
「私は“影”がやられたことは聞いたけれど、保健室に運ばれたことは聞いてないから。祐巳ちゃんは続報をくれた。だから私達は今すぐ次の一手が打てる」
「つ、次の一手?」
「私はこのまま現場へ行く。祐巳ちゃんは志摩子に会って、保健室へ行くよう伝えて頂戴」
「同じクラスよね?」と言いつつ、祥子は腕時計で時間を確認する。
「問題がなければ、志摩子は今、マリア像の前辺りにいるはず。――伝言を頼めるかしら?」
「は、はいっ」
「お願いね」
祥子は擦れ違いに祐巳の肩に触れると、再び走って行ってしまった。
振り返ると、すでに祥子は見えなかった。
「は、はや……」
しばし呆然としていた祐巳だが、ハッと我に返ると、同じく走り出した。
祥子には思うことがあるものの――それは別として、地獄の底から救い上げてくれた山百合会のために少しでも役に立てることが、祐巳は少しだけ嬉しかった。
今抱いている感情が、後に己の正義になることを、福沢祐巳は予見さえしていない。
小笠原祥子がまだ駆け出す前。
――二年生の教室が並ぶ廊下で、久保栞と“瑠璃蝶草”は対峙する。
久保栞は即座に、“影”を戦場から退場させた。そして排除した強烈な闘気はそのまま、まだ臨戦態勢にある。
しかし敵意や殺意、あるいは嫌悪の感情はなく、むしろ慈愛とも取れるような温もりを感じさせる瞳で“瑠璃蝶草”を見詰めている。
「もう一度言います。あなたの能力を回収します」
間違いない、と“瑠璃蝶草”は思った。
「“使い”ね?」
「ええ」
「その姿は何? 皮肉?」
「いいえ。近年、彼女ほど興味深い存在がいなかったので。――ただのお気に入りですよ」
久保栞は一歩、足を進めた。
「あなたの理想は叶えられないと判断しました。だから回収に来ました」
「随分と猶予が短いと思う」
「理想に近付くどころかひどくなりましたから。有体に言うなら打ち切りです」
久保栞はまた一歩、足を進めた。
「もう待つのには飽きたのですよ。待っていたって何も変わらない。だからあなたを選んだのに」
「選んだのに、私は期待に応えられなかった?」
「残念です。あなたは力を使いこなせなかった」
久保栞の左手が伸びる。
「あなたにはリリアンを正す素質が充分にあったのに」
「ふっ」
“瑠璃蝶草”は笑った。
「自慢じゃないけれど、これでも私、目覚める前は100メートルを1分以上かけて走るほどの運動音痴だから。素質があるなんて冗談でも言わないでほしい。こんな私が頂点に立てるとでも本気で思っていたわけ?」
「――着想は面白かった。“契約書”という絶対の約束で拘束する媒体。力量の問題もあったのでしょうけれど、それを考えた者は今までいなかったから」
「私は“あなたの主”の真似をしただけ」
「ならばあなたこそ皮肉が利いている。……おや?」
久保栞の手は、若干貧相な“瑠璃蝶草”の胸をまさぐる。
「えっち。無遠慮に触らないでくれる?」
「……抵抗するのですね。それはあなたらしさですか? それとも返すのを惜しんでいるだけですか?」
「自分でもよくわからない。でも今だけは絶対に返せないと思っている」
“契約書”争奪戦。
“契約した者達”の存在。
そして今後のこと。
まだリタイアするには早すぎる。
まだ始めたばかりだ。
ここで力を失ったら、本当に何のために力を得たのかわからなくなる。
「そうですか――」
胸元の左手が這い上がってくる。
「では、力ずくで回収します」
白く美しい手が、“瑠璃蝶草”の細い首を掴んだ。
「抵抗すると痛いですよ」
「絶対返さない」
「ならば早く諦めなさい。私は止めません」
久保栞の右手が、五本の指が、無造作に、無理やりに肉をえぐって“瑠璃蝶草”の胸元に沈んでいく――
“瑠璃蝶草”は悲鳴を上げた。
この時、薔薇の館では紅薔薇姉妹がテーブルに着いていた。
何もない時でも、できる限り薔薇の館には誰かが詰めるようになっている。緊急事態が起こった際、伝えるべき相手がうろうろしていては時間が無駄になる。緊急事態は、すぐに行かなければならないから緊急事態なのだ。ほんの数秒対処に遅れただけで全てが後手に回ることもままある。
佐藤聖が来ないのは珍しくないが、黄薔薇・鳥居江利子がこの時間にまだ顔を出さないのは、少し珍しかった――もうすぐ到着するだろうが。
「そろそろ激化するわね」
「ええ、恐らく」
祥子の首に掛かる“契約書”は、偶然ながらスタート地点で紅薔薇・水野蓉子が持っていた物だった。どうやら紅薔薇に縁のある一枚らしい。
比較的平和である。
争奪戦の最中にも関わらず、こうして紅茶を楽しめるのだから――まあ嵐の前の静けさだろうが。
「そういえば聞いた? 昨日の“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”の話」
「由乃ちゃんは何をしているのですか」
「楽しそうでいいわよね」
「お姉さま」
とがめるように目を細める祥子に、しかし姉がその程度で怯むわけもなく。
「たまに羨ましく思うわ、由乃ちゃんのこと。隠すことも惜しむこともなく本能のまま闘える。そんな機会、私には数えるほどしかなかった」
「羨ましいならやればいいじゃないですか」
「あら。私が負けてもいいと?」
「たかが能力を知られたくらいで負けるような姉など、持った覚えはありません」
「言ってくれるわね」
――いわゆるイチャイチャトークである。本当に久しぶりの姉妹水入らずの時間、やることなどそれくらいのものだ。いや、それ以外ない。
久しぶりの姉妹だけの時間を楽しんでいると、やはりというかなんというか、無粋な乱入者がやってきた。
「大変です!」
挨拶も出入り口からの出入りもすっ飛ばしていきなり会議室に出現した彼女は、紅薔薇勢力の伝令である。見ての通り“瞬間移動”の使い手だ。
もちろん注意することなどない。
形式をジャンプするのは、それだけ緊急事態という証でしかないからだ。
瞬時に最強の仮面を被る紅薔薇姉妹に、伝令は緊張感を高める。
「“影”がやられました!」
紅薔薇姉妹は息を飲むも、驚きを面に出さなかった。
「襲撃? 数は?」
「襲撃、数は一人、護衛対象狙いです。……あの、不可解なことですが、襲撃者は……」
「襲撃者は?」
言いよどむ伝令は、その名を口にした。
「――久保栞です」
戸惑いは、あった。蓉子にも祥子にも。
当然疑問もあるし、不可解だとも思うが。
しかしそれより何より大事なのは、
「祥子、行きなさい。私は保健室に直行する」
「わかりました」
今大事なのは“瑠璃蝶草”の身だ。襲撃者が誰であれ何であれどのような理由があろうとも、“契約者”を護らねばならない。
彼女を護るということは、山百合会で確保し、監視することでもある。
あの“契約書”の力は、決して目を離してはいけないものだ。あの力はあまりにも危険すぎる。“瑠璃蝶草”の気持ち一つでリリアンは今以上の戦乱となるだろう――本人にその気がないのがまだ救いだが、どう転んでもおかしくない。本人の意思に反する事情が発生しないとも限らない。
特に怖いのは、今以上の戦乱を望む者が確実にいるだろうという点だ。
今現在のリリアンでさえ収集がついていないのに、この上もっと異能使いが出現してしまうと、地獄絵図以外の未来が見えない。
「場所は?」
「あ、三階の――」
場所を聞き出すと、早々に祥子は薔薇の館を飛び出した。
そして蓉子は蓉子で動き出す。
「このまま伝令をお願い。各三勢力の総統に、保健室前に集まるように伝えて」
「わかりました」
「あ、待って。“九頭竜”は除いていいから」
「は?」
「今取り込み中なのよ、彼女。ちなみに居場所はお聖堂」
佐藤聖と蟹名静の一戦のことは、蓉子の耳にも入っている。――それに白薔薇勢力がかなり妙な動きをしていることも。
今後どんな動きを見せるのかまだわからない以上、白薔薇勢力のことは様子見するしかない……が、今は関係ない。あれだけ統一性のない雑な動きなら、早い内に目的も動向もわかるので待てばいいのだ。
何より聖から報告もないのだから、気を遣う必要もない。場合によっては容赦なく叩けばいい。
「では、“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”と“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”に伝えてきます」
伝令は現れた時と同じように消えた。
「……久保栞……ねぇ」
蓉子は首を傾げた。
今までに類を見ない形の異能使い“瑠璃蝶草”と、もういないはずの久保栞という女生徒と。
――どうも流れが胡散臭くなってきた。
「やっぱり黒幕が“復讐者”かしら」
蓉子の読みでは、“瑠璃蝶草”は“復讐者”の手駒だと思っていた。そして“復讐者”こそ“瑠璃蝶草”に“契約書”の力を与えた、と。
“契約書”の力は、自然に目覚めたものではない。あれはいろんな意味で性質が違いすぎる気がする。それに本人の性格と意向と監視の“影”からの報告を考慮すると、彼女がリリアンを崩壊させる存在になるとは思えない――もちろん可能性はまだ低くないと思うが。
(久保栞が“復讐者”? 私が黒幕ならまだ姿を見せたくないけれど……いや、まだ見えない部分が多い、か)
憶測を重ねるには、まだパーツが足りていない。
蓉子は紅茶を飲み干すと、色々なことを考えながら薔薇の館から飛び出した。
今日も忙しくなりそうだ。
現場に到着した祥子が見たものは、血反吐を撒き散らしてなお悲痛の叫びを上げる“瑠璃蝶草”と、見慣れない制服を着た、いないはずの久保栞だった。
久保栞は左手で首を掴み小柄な“瑠璃蝶草”を強制的に爪先立ちさせ、光る右手を胸の――心臓の辺りに五本指を突き立てていた。久保栞の白い制服は“瑠璃蝶草”の吐いた血で点々と赤く染まり、目の前で苦痛を訴える者から目を逸らさず、顔色一つ変えずに攻め手を緩めない。
“瑠璃蝶草”は無抵抗だった。己を拘束する左手を掴んではいるが、足も身体ももがいていない。
(甘んじて受け入れている……?)
その可能性は否定できそうにない。
だが、放置するべきでもないだろう。
「栞さん」
呼びかけると、久保栞は“瑠璃蝶草”を見たまま、視線さえ向けずに口を開いた。
「何でしょうか? 祥子さん」
在校中、久保栞とは何度か視線を併せたことはあるが、話したことはない。だが知っていても不思議はない。お互い立場は百八十度違ったものの、有名だったから。
「あなたは闘わない者を攻め立てるために戻ってきたの?」
「こんなことを好きでやるわけがないでしょう」
久保栞は横目で、祥子を見た。その目は不思議と悲壮感を感じさせる――在校中に祥子を見詰める栞の瞳によく似ていた。
「私は、人の痛みを好むあなた方とは違いますから」
「心外ね」
「では好きでもないのに闘い続けている、と? とてもそうには見えませんが」
「好きに思えばいいわ」
祥子の身体が“揺れる”。
「今は私のことよりあなたのことよ。今私の目に映る光景は、正しいこととは思えないわ」
「あなた方は正しくないことを堂々とするのに、私が正しくないことをすると非難するのですか? 大した理屈ですね」
「非難なんかしない。強い者が正義、強い者が正しいのだから。ただ――」
まばたきも許さない間に祥子の右手に“紅夜細剣(レイピア)”が生まれ、即座に振り下ろされた。
久保栞の腕――“瑠璃蝶草”を縛り付ける両腕を狙い、空を斬る音さえ置き去りにして紅い剣線が走る。
取った、ように見えたが、残像を残す速度で久保栞は両腕を引き、更に二歩ほど後方に下がった。
支えを失った“瑠璃蝶草”は両膝を床につき、両手をつき、激しく咳き込んだ。口や喉に溜まっていたのだろう血液をびちゃびちゃと吐き出した。
「ただ、私はあなたのしていることが気に入らない。だから止めるのよ」
「我儘な主張ですね」
「……」
「でも、強い者が正しいなどというふざけた約束事より、よほど好い」
久保栞の両手が光る。
もし在校中、何か言いたげに祥子を見詰める栞が口を開いていたら、
「あなたの流儀に合わせましょう。私もあなたが気に入らない。それだけの力を持ちながら、正しいことに使わないあなたが気に入らない」
この言葉を伝えたかったのかもしれない。
色々と気になることはあるが、祥子がまず考えたのは、“瑠璃蝶草”のことだ。
(あれだけの力に目覚めている以上、基礎体力が低いということはないはず)
だが吐血はまずい。内臓系にダメージを負うのは当然危険だ。外傷ならば“反逆者”が癒せるが、内臓系は少々時間が掛かってしまう。
それに、当然ながら失った血液までは戻せない。
(……急いだ方が無難ね)
目の前の久保栞は――素人だ。
力はかなり強いが、構え、気配、闘気、視線や呼吸にいたるまで全てがバラバラでちぐはぐだ。ある程度のレベルなら充分強いと思えるだろうが、ある程度のレベルからは心技体の全てが噛み合って初めて踏み込める領域となる。
久保栞の力は大きい。
だが、
(まだ早い)
山百合会と闘うのは、まだ早い。恐らく島津由乃の方が強い。
久保栞が、ブレた。
同時に祥子は“揺れる”。
神速で距離を詰めた二人は、しかし仕掛けたのは一方だけだった。
久保栞の右の正拳突き――型通りだが速さも重さも申し分ない。
しかし相手が悪い。
戦闘は苦手で、かつあの状況では背後の護衛対象を護るため回避できなかった“影”ならともかく、リリアン最強の山百合会と闘うには、全てが稚拙過ぎる。
踏み込みと肩の動きで攻撃方法も読んでいた祥子は、一気に勝負をつけた。
そう、勝負をつけた。
拳を“紅夜細剣(レイピア)”の柄で受け、外側へ押し崩し、その動きを利用して手首を返して久保栞の腕を斬りつける。慌てて身を引く久保栞に合わせて半歩踏み込み喉を狙い突く。狙い通り左に回避させ壁際に背を向けさせると瞬時に刃を翻し一文字に横へ振り追撃。下がれない久保栞は上半身をのけぞらして切っ先をギリギリで回避し――祥子は捕まえた。
一文字の横薙ぎを腕を引くことで強制的に止め、これまでの動きを上回る速度で突きに変更。久保栞の左肩を狙い通り突き貫く。そのまま踏み込み、力技で強引に押し込んで壁に縫い付けた。
ここからが“紅夜細剣(レイピア)”の真骨頂。
パキッ
祥子は突き刺したままの“紅夜細剣(レイピア)”の刃を根元から“折る”と、手に残った柄に新たな“紅い刃”を生み出して、今度は右肩を貫く。そして両手両足も同じように縫い付けた。
これが祥子の“紅夜細剣(レイピア)”の特性の一つである。
――元々祥子は、力量がものすごく優れているわけではない。基礎能力もそれなりに高いだけで、決して高すぎるということはない。支倉令と比べれば具現化した物質の強度は格段に劣る――強度のみに限れば由乃の方がよっぽど優秀だ。骨力なら比べるまでもなく由乃の方が高い。
そこで祥子は逆の発想で考えた。
「絶対に折れない剣」ではなく「任意で折れる剣」を、と。
そして磨いたのが、具現化特有の、使用者の身体から離れたら消えてしまう特性の改善。手元から離れても具現化し続ける操作法だ。長距離は無理だが、ほんの5、6メートル内であれば力の続く限り“刃”を具現化し続けられる。
わずか2秒で、久保栞は敗北した。
その姿は、まるでルビーのピンで固定された、標本の白い蝶そのものだ。
「あっけなかったわね」
「本当に」
久保栞は、悲しげな瞳で祥子を見詰める。
「こんなにも強いのに、なぜあなたはこれ以上の力を求めるのですか?」
「そうね……これでも最強ではないから、かしら」
「そうですか。――ならば、私が先に最強の座に着きましょう。そうすれば私の言葉に耳を傾けてくれますか?」
「その格好で言われても説得力がないわね」
「生憎――本体ではありませんから」
やはりそうか、と祥子は思った。
初手で久保栞の腕を斬った時に気付いた。
手ごたえが、肉を裂き血を滑る感覚とは全く違っていたのだ。馴染みがありすぎるあの不愉快な感覚を間違えるはずがない。厳密に言えば服を切り裂く感触も違っていた。
人間にしか見えないものの、斬った時の手ごたえが違う。つまりこの久保栞は人間ではない――斬りつけた腕も出血していないのだから。
だから容赦しなかった。
まだどういった存在なのかさえわからないが、もし痛みを感じないような存在なら、生半可な攻撃を加えたところで戦闘不能にはならないだろうと思ったからだ。普段の祥子ならここまで残酷なことなどしない。“縫い付ける”にしたってせいぜい二本くらいだ。
これは心を折ることを最優先した結果である。どうがんばっても勝てないことを理解させるために選んだ、力を見せ付ける手段だ。
幸い、狙い通り久保栞の戦闘意欲は奪えたようだ。
「あなたは誰で、何なの?」
「答えが返ってくるとは思っていないでしょう?」
「ええ」
祥子は“紅夜細剣(レイピア)”を構える。
「でも答えなければ、あなたの胸を貫くわ。あなたも同じことをしていたのだから構わないでしょう?」
「おやめなさい。あなたは本当はそんなことはしたくないと思っている。したくないことをする必要はありません」
久保栞の言葉は真実だった。
しかし、祥子は一切迷わなかった。
「あなたも不器用ですね」
無抵抗に胸を貫かれた久保栞は、悲しげに微笑み、霧のように掻き消えた。
「……」
そこに残ったのは、祥子が壁に刺した“紅夜細剣(レイピア)”の刀身が数本のみ。久保栞が存在した痕跡は全てなくなっていた。
思わず溜息が漏れる。
いろんな意味で闘い辛い相手だった。再びあの久保栞を相手にするくらいなら、殺気走った刺客に襲われまくる方がまだ気楽だと思える。
あれは本当になんなのか――考えることは山ほど増えてしまったが、今は。
「――“瑠璃蝶草”さん」
“紅夜細剣(レイピア)”を解除して振り返ると、果たして彼女は……普通に立っていた。
「大丈夫なの……って、聞くまでもないみたいね」
「おかげさまで」
吐血までしていた“瑠璃蝶草”は、もう平然としていた。制服に血の痕と、握っているハンカチが赤く染まっているくらいで、すでに傷口も塞がっているようだ。
「あなたの基礎能力、私を超えているわね」
祥子もそれなりに自然治癒力は高いが、“瑠璃蝶草”は当然のようにもっともっと早いようだ。もしかしたら三薔薇や、自然治癒力が圧倒的に高い“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”さえ超越しているかもしれない。
この分なら、他の基礎能力も決して低くないはずだ。
「でも運動神経切れてるから。私。思いっきり宝の持ち腐れだから」
平然ともったいないことを言ってくれる。力量はともかく、基礎能力だけでも喉から手を出して欲しがる者は多いだろうに。
「“影”さんは? どうなったの?」
「保健室。治療の必要もなさそうだけれど、あなたも来て。紅薔薇が待っているから」
「ああ、大丈夫。まだ痛いから治療もしてもらう」
己の怪我はともかく、己の身代わりになった“影”のことは気にしているらしく、“瑠璃蝶草”は抵抗もなく保健室へ行くことを承諾した。
その末に、聞かれたくないことを聞かれるだろうことは、わかっているはずなのに。
(どこまで真相に迫れるかしら)
リリアンを崩壊させるという“復讐者”を知るであろう者は、祥子を置き去りにしようとばかりに、すでに早足で歩き出している。
若干遅かったものの、予定に狂いはない。
「――では、失礼します」
“純白たる反逆の蕾”藤堂志摩子が保健室へ顔を出したのは、祥子達が保健室に入室した直後だった。駆けた祐巳より、一戦交えた祥子の方が圧倒的に早かったのだ。
保健室に消えた志摩子は、1、2分程度ですぐに出てきた。
「し、志摩子さん」
所在無くそわそわしながら待っていた祐巳は、想像以上に早く出てきた志摩子を大歓迎した。
祐巳は、雷門の風神・雷神並に存在感を主張する恐ろしい紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”と黄薔薇勢力総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”にじろじろ見られて身を縮ませていた。彼女らは保健室への出入りを封鎖していて、志摩子を連れてきた祐巳も例に漏れなかったのだ。
もちろん、祐巳がここで待っている必要は一切なかった。下駄箱前で志摩子を捕まえてなんとなくそのまま一緒に来てしまったが、こうも居心地の悪い場所にいるくらいならさっさと教室に行きたかった。
が、保健室に駆け込む志摩子に言われたのだ。「すぐ戻るから待っていて」と。鞄を預けられて。
「はは……ご、ごきげんようお姉さま方……」などと非常に硬い愛想笑いでボソボソ挨拶をしてみるも、総統お二人は声を揃えて「黙って待っていなさい」とシャットアウトだ。ひどい仕打ちである。
――祐巳は知らないが、この時二人は、本気で気を張り詰めて警護に立っていた。蟻一匹の侵入さえ許さない気構えで。話しかけられ、それに答えていると気が散るのだ。
久保栞が帰ってきた――この情報だけでも、二人は今リリアンに相当まずいことが起こっていることを察したのである。
「お待たせ、祐巳さん。どうもありがとう」
持っていた鞄を受け取る志摩子は、怖い顔をした門番二人に挨拶すると、祐巳を促して歩き出した。
「もういいの?」
「ええ。私の用事は終わったから」
――志摩子が祐巳を待たせた理由は、保健室に長居しないためである。
伝令に走ってきた祐巳の話を聞けば、かなり込み入った理由と事情があることはすぐに察しがついた。
そして志摩子は、自分はその込み入った理由や事情を知らなくていいと思った。自分の活動には必要のない情報だから、と。姉の聖も理解があるのかないのか、志摩子に勢力関係のことを話したことはあまりない。
“反逆者”の二つ名に恥じない無関心ぶりである。良いか悪いかはともかく、徹底している姿は潔い。
だから、すぐにその場を離れる理由に、祐巳を待たせていた。利用しているようで申し訳ないが、多くを聞けば動きが鈍る理由にはなろうと、自分の益にはならないのだ。
しかし結論としては、志摩子の判断は間違っていなかった。
他愛のない話をしながら一年桃組の教室に到着し――
「え……」
祐巳は、消えた。
志摩子の目の前で。
忽然と。
なんの前触れもなく。
あまりにも予想外の出来事に驚き固まる志摩子の背後に、気配も感じさせず二人の女生徒が近付く。
「ごきげんよう、志摩子さん」
「――」
「待った」
振り返ろうとする志摩子の両肩に手を置き、それを封じる背後の人物。
「あなたも山百合会の幹部なら、何が起こったのかくらいはわかるでしょう? そしてあなたに求めることも」
「……“鬼人”さまですか?」
「すごいわね。声だけでわかるの?」
「いいえ」
声だけではなく、総合的な判断だ。
志摩子は闘わない。だがそれは、闘うだけの能力がないわけではない。“反逆者”としてだが、志摩子もそれなりに修羅場を潜ってきた者だ。戦闘のことは覚束ないが、それ以外のことは管轄内である。
簡単に志摩子の背後を取る動きと気配は熟練の技。加えて素早く振り返る者の動きを封じる反射神経と力強さ。そして声の発せられる高さと、声そのもの。それに三年生、白薔薇勢力遊撃隊所属“鬼人”は、力任せなバトルスタイルに似合わぬ切れ者だ。こういう単独、あるいは少数での隠密行動には非常に適している。統率力も高く人望も篤く、こういった「戦闘をしないことを前提とした速やかな誘拐」には、白薔薇勢力では最も適しているかもしれない。
何より、自分にちょっかいを出す者を考えると、紅薔薇勢力よりも黄薔薇勢力よりも、白薔薇勢力がもっとも高いからだ。
(お姉さま……ついに来ました)
聖と勢力の仲が悪いことは、いくらそういうことに興味がない志摩子だって知っていた。そして、いつかこうして、自分の存在が聖の足を引っ張ることになるのだろうことも知っていた。
聖は、それを覚悟した上で、志摩子を妹に迎えた。
こんな時のために何か秘策が――
(……ないわね、きっと)
妹になってわかったのは、聖は繊細だがアバウトでもあるということだ。こういう時のための秘策など絶対にないだろう。きっと「なんとかなるよ」くらいにしか思っていないに違いない。
「まあ、なんでもいいわ。――このまま大人しく付いてきてくれる? お友達には先に行ってもらっているから」
「……わかりました」
取るべき選択肢は一つしかなかった。
聖と志摩子の問題なら、多少ごねたり話を引き伸ばして相手の目的を聞いたりもしたかもしれない。だが問題は聖と志摩子だけではなく、祐巳にまで及んでしまった。
(祐巳さん……)
恐らくは“瞬間移動”による誘拐。
それも志摩子の目の前でやるから意味がある。
それは、どこまでも本気で、意に添わないのであればどんな手段でも取る、という意思表示だ。目覚めていない者を躊躇なく巻き込んだ点だけ見ても、本気具合が伺える。
きっと狙いは佐藤聖だろう。
志摩子を人質に取っての白薔薇狩りだ。
「こっちよ」
背後の人物が志摩子の前に回る。読み通り“鬼人”だ。彼女は先導して歩き出す――さりげなく志摩子の左右後方に二人ついた。どうあっても逃がす気はないらしい。逃げるわけにもいかないが。
――思いっきり志摩子の本音を語るのであれば、別に聖が白薔薇でなくとも、また自分が白薔薇の蕾などと言われる存在じゃなくてもいいと思っている。たまたま聖がお姉さまになり、必然的に志摩子が白薔薇の蕾になっただけの話だ。
ただし、メリットはあった。
山百合会に入ることで、普通であれば実現できないことも実現できるだけの力が得られる。それはリリアンでもっとも大きな三勢力の一つ。それがあるだけでリリアンの三分の一は掌握した、とも言える。
志摩子の“反逆者”としての正義が実現し、それが既存の狂った正義を超えることができれば、志摩子の“反逆”は完遂となる。――もっとも、それは結果の一つとしか考えていないが。権力を手にしての最終目標ではなく、“反逆”の末にそうなればいい、と。
もちろん、志摩子が次期白薔薇になるかどうかもあやしいところなので、次期白薔薇としての立場を考えたこともほとんどなかったが。
志摩子は、自分の意思が貫けるのであれば、立場なんて関係ない。聖が白薔薇である必要もないし、自分が白薔薇になる必要もない。
しかしこれだけははっきりせねばならない。
(お姉さまがやられるのを黙ってみていろ、と?)
この誘拐の狙いが佐藤聖なら、志摩子を人質にして聖の敗北を得るのだろう。
(無理ね)
考えるまでもない。
聖の敗北云々はどうでもいい。勝つだの負けるだのどうでもいい。
だが、お姉さまがひどい目に遭うかもしれないのに、妹が黙っていられるものか。薔薇だのなんだの関係なく、姉を想わない妹などそういない。少なくとも志摩子はそうだ。
となると、なんとしてもこの誘拐を阻止せねばならなくなる。よしんば誘拐が成功しても自力で脱出せねばならないわけだ。
いつもなら味方で、志摩子は気付いていなかったが、きっといつも護衛についていてくれた者達が、今はこうして敵に回っている。第三者の助けは期待できそうにない――
「……まずいな」
前を歩く“鬼人”が呟き、左右の二人の気配に警戒の色が感じられた。何事かと考え事を停止して前を見れば……なるほど、確かに「まずい」奴が来ていた。
我が物顔で廊下を歩く女生徒――“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃が、真正面からまっすぐこちらへやってくる。
(また面倒な時に……)
志摩子の頭はパンク寸前だった。
この誘拐をいかにして阻止するか――いや、阻止はできない。すでに祐巳がさらわれている以上、とにかく祐巳と合流するまでは表立った行動は取れない。ベストなのは合流してから二人で自力で脱出という流れだが、しかしこういうことに経験が乏しい志摩子は、どういった手段を取れるのか、また取るべきなのかさっぱりわからない。
そんなことを考えていれば、まさかの由乃登場である。めまぐるしい状況の変化に志摩子の思考が追いつかない。
――志摩子は、この状況を見て由乃がどんな行動に出て、どう転ぼうとも、自分に何のデメリットもないことに気付いていなかった。
「あいたっ――丁重に扱え! ばか!」
乱暴に放り投げられ毒づく由乃を、“鬼人”は何も言わずに一瞥すると、扉を閉めた。
光をさえぎられた室内は少々暗く、やや埃っぽい。薄暗闇の中に見えるのは、跳び箱やハードル、マット、平行棒、バレー用のボールが入った巨大なカゴ――体育館倉庫である。
「志摩子さん、由乃さん」
二人が放り込まれ扉が閉まった途端、先客から声が掛かった。
「「祐巳さん!」」
無事だったか、と安堵する志摩子の声に、なぜここに、という疑問を含んだ由乃の声とが重なる。
「え、なんでここにいるの!? というか志摩子さん起こせ! 私を起こせ!」
「よかった、怪我はない? 大丈夫?」
「無視か! さっさと起こしなさいよ!」
志摩子は面倒臭そうな溜息をわざとらしく吐くと、芋虫のように転がる由乃を起こして座らせた。――武闘派である由乃は後ろ手に両手と両足を縛られ拘束されているのだ。
果たして、由乃の視界には、跳び箱の上にポツーンと座る福沢祐巳の姿が確認できた。薄暗くても隙だらけのその気配は充分覚えがある。
由乃は鼻を鳴らした。
「……フン。どうやら絡んで正解だったみたいね」
こういうことに経験豊富な由乃は、何も聞かなくても状況が理解できた。
志摩子の誘拐と、監禁場所に先にいた祐巳。
そして自分まで一緒に連れてこられたというシチュエーションだ。
「えっと、由乃さんはなんで……」
「いつものアレよ」
「ああ、いつもの……」
「いつものアレって何? 祐巳さんもなぜそれで納得するの?」
由乃の追求に、祐巳は曖昧に微笑み、平行棒に腰を下ろす志摩子は無視した。
「……まあいいけど。――それで志摩子さん、これからどうするつもり?」
「……」
今度は無視ではない。由乃の問いに答えるべき言葉が見つからないのだ。
どうするかなんて決まっている。
聖に迷惑を掛ける前に、ここから脱出するのだ。
しかし方法が見つからない。ずっと考えているが、具体的な手段など見つからないまま、とうとうここまでやってきてしまった。
ヘンゼルはパンを道しるべに落としながら歩いたが、志摩子はそんな古典的な手も思い浮かばなかった。もっとも思いついたところで実現は無理だったが。ここまでほとんど“瞬間移動”で移動したので、誰かに知らせるという手段が取れなかったのだ。
ちなみにパンなど撒かなくても帰り道はさすがにわかる。何せここは体育館だ。
「老婆心ながら言わせてもらうけれど、何をするにも急いだ方がいいと思うわよ?」
「わかってる」
「わかってる。ふうん。ならいいわ」
違う勢力の幹部である由乃が、志摩子のために口を出せるのは、ここまでだ。
――ほんの二、三分ほど前のことである。
二十名を超える白薔薇勢力の精鋭に囲まれ、退路を塞がれた由乃が取った行動は…………まあ失笑ものだったことはさておき。
(これはいよいよまずいわね……)
藤堂志摩子誘拐の本気度合いと入れ込み具合を、この状況とイコールで結んだ場合。
――白薔薇勢力による、白薔薇への謀反だ。間違いなく。
この状況は、失敗できない策に投じられた結果である。
どうあっても志摩子を確保せねばならない理由など、そう多くない。
(えらいのに首突っ込んじゃったわね)
志摩子があえて目立つよう護送されていた理由は、他勢力――紅薔薇勢力と黄薔薇勢力に、白薔薇勢力の謀反を悟らせないためだろう。白薔薇勢力の足並みが崩れていることが明確なら、二勢力が力を併せて白薔薇勢力を潰しに掛かるという選択も充分ありえるのだ。いくら“契約書”争奪戦中でも、名目上は解散している組織でも、話はそう単純ではない。隙があるなら喉元に食らいつくのは常識だ。
そして、由乃が絡んだせいで、志摩子誘拐の歯車が思いっきり狂った。
「いっつ……」
倒れていた“鬼人”が頭を振って立ち上がる。
呻くような声が聞こえた瞬間、由乃は反射的に動き出していた。予備動作どころか視線さえ向けない見事な逃走アクションだった。
しかし、周囲は二十を超える精鋭に囲まれていた。
窓を割って脱出しようと身を丸めて飛ぶ由乃を、誰かが空中で襟首を掴み、誰かが飛び上がって廊下へと蹴り落した。由乃はギリギリでガードし着地にも成功したものの、更に誰かが背後から両肩を掴み、力任せに両膝を折らせて跪かせた。
(くそ……数が多すぎる)
由乃に落ち度はなかった。由乃自身も、己の最大レベルで動けた。たとえ精鋭に囲まれていたとしても、この窮地から一歩外に飛び出すくらいなら充分可能な動きをやってのけたと自負している。
ただし、伊達に精鋭が出張っているわけではない。
最初から由乃の逃走の可能性は、多くの者が念頭に置いていたのだ。なぜならここで由乃を逃がしたら、反乱分子にとっては最悪のケースとなるからだ。
――聖と白薔薇勢力の仲違いは、まだ外部に漏れるわけにはいかない。絶対に。
急な勢力解散の合図に、総統“九頭竜”が掲げた次期白薔薇の旗。反乱分子さえ混乱し、分裂を起こしつつある勢力では、紅薔薇・黄薔薇という巨大な岩に対抗できない。きっと一瞬で潰されてしまう。
ここで由乃を逃がせば、「白薔薇勢力による志摩子の誘拐」という事実が外に漏れることになる。それも相手は黄薔薇幹部である。紅薔薇はともかく、黄薔薇には確実に伝わってしまうだろう。
だから、である。
「……目を覚ますの、早すぎませんか?」
跪く由乃の前に、ちょっぴり額を火傷して赤くなっている“鬼人”が立つ。“鬼の金棒”をぶら下げて。
――“鬼人”の取れる選択肢は二つである。
しばらく口を聞けない程度に由乃を痛めつけておくか、志摩子と一緒に連れて行くか、だ。
もちろん、後者の手を取れば「黄薔薇幹部を誘拐する」という、問答無用で黄薔薇勢力にケンカを売る行為となる。いずれ黄薔薇も黄薔薇勢力も相手をすることになるが、今だけはどう考えても間が悪すぎる。
この島津由乃自身も油断できない曲者と判断するからこそ、
「恨みはない。……とは言わないけれど、運が悪かったと諦めて」
二つの選択肢の内、“鬼人”は前者を取った。――この曲者を連れて行くことにも抵抗があるからだ。このトラブルメーカーが自分達の計画の邪魔をする楔になるかもしれない……というよりすでになってしまっている。これ以上関わらせるわけにはいかない。
やられた恨みは、まあ、あるが。後輩の前で無様に床を舐めさせられたのだ、悔しくないはずがない。だがこの選択に私情を挟んでいるつもりはない。
冷徹な眼差しで見下ろす“鬼人”を前に、跪く由乃は、やはり不敵に笑った。
「御託はいいから早くやれば?」
気負いも苦渋も、恐怖も空元気もない、この状況でありながら闘気みなぎる瞳。“鬼人”も、周囲の精鋭も、寒気を感じた。
――この先、薔薇となる由乃の姿を垣間見たような気がしたから。周囲を圧倒的戦力で囲まれて情けない言い訳一つ放り込んで逃げようとした人物とは思えないような器の大きさを感じさせた。
しかしだからこそ、“鬼人”は迷うことなく“金棒”を振り上げ、力の限りまっすぐ振り下ろした。
そして、由乃も動く。
両膝を、床をこすって大きく開き、わずかに身を沈ませることで肩の拘束を少しだけ外す。捻出した小さな余裕で思いっきり上半身を後ろに倒し、床に倒れこむようにして拘束から抜け出した。
「あっ」と声を上げたのは両肩を掴んで押さえつけていた者だ。驚かないはずがない。この状況にしてこの期に及んでまだ抵抗するという予想外の諦めの悪い動きを、誰も予想しきれていなかった。
が、焦ったところでもう遅い。
由乃は更に動いている。
身を捻り、飛び、まるで踊るように床すれすれで横に回転し遠心力を稼ぎ――真下から天に突き上げるような蹴りを放った。両手を床につくことで安定したそれは、寸分違わぬポイントを狙う。
狙いは“鬼人”――ではない。
“鬼人”が振り下ろす“金棒”だ。
由乃の基礎能力では、どれだけがんばっても肉弾戦で致命傷を与えられないことは、さっきわかった。だから“金棒”の軌道を変え直撃を避ける手に出た。
――だが、ここで全ての者が裏切られた。
ドン!
ものすごい衝撃音に、床板の割れる音が重なる。
“鬼人”も、由乃も、周囲の精鋭さえ目を剥く。
二人の間に、志摩子が割り込んでいた。
右手で“金棒”を受け止め、左手で易々と由乃の蹴りを掴んでいた。“金棒”の威力と重みで両足が床板を踏み抜いているものの、腕が震えているが膝は震えることなく堂々と立っている。
「……」
志摩子は無言のまま、不機嫌そうな顔で“鬼人”と由乃を見た後、手を離した。
「止めるなんて珍しいわね」
由乃が立ち上がる――興が殺がれたとでも言いたげに志摩子を睨みながら。
いや、実際殺がれたのだ。由乃にとっては。
上履きの底を捕まれた時に、潰れた右手を“治癒”されてしまった。同じく“鬼人”も額の火傷がすっかり“治って”いる。
「いつもなら傍観してるだけのくせに」
「……」
志摩子は何も言わず、由乃を見ていた。
「どうせあのまま続けてても負けてたじゃない。せっかく止めてあげたのにどうして睨むのかしら。あーあ、これだから力の弱い人は。恨みがましい」
――なんてことでも考えているんだろうな、と由乃は思い、勝手に怒りの炎に油を注ぐのだ。
実は、あながち間違ってもいないが。
志摩子は、理由はどうあれ自分を助けるために動いた由乃が、これ以上傷つくのを見ていられなかったのだ。由乃が勝とうが負けようが、この誘拐に無駄な時間が費やされるのであれば、それは歓迎するべきだということは、志摩子にもわかったのに。
だが、できなかった。
たとえそれが、結果的に聖の首を絞めることになろうとも。
割り込まずにはいられなかった。
――どうあれ、立場上志摩子と由乃は敵同士である。気遣うような台詞……何かと誤解を生む言動は慎まないと方々に不都合が生じる。本音など言えるわけがない。
何より気恥ずかしいし。
「……」
“金棒”を消した“鬼人”が小さく頷いて見せた。そして周囲の者達が動き出す。
「お」
間の抜けた声を漏らして由乃が消えた。――これ以上時間を使うわけにはいかないと判断した“鬼人”が強行手段に打って出たのだ。
即ち、島津由乃も一緒に連れて行く、と。
意味を察した精鋭の一人が“瞬間移動”で由乃と移動した。
「できれば使いたくなかったけど。でもこれなら最初からそうしておけばよかった」
最初から志摩子を“瞬間移動”で連れ去っていれば、由乃も絡んでこなかったのに。精鋭で囲むなどという「白薔薇勢力に異常あり」なんて姿をさらす必要もなかったのに。
しかし、わざと志摩子を連れて行くところを見せて、周囲に何の異常もないことを主張しておくのは、必要なことだった。紅薔薇・黄薔薇へのアピールも兼ねて。
――どっちにしろ、もう今更だが。
こうして志摩子は誘拐された。ついでに由乃も。
「もしかして、なんかすごい大変なことになってるの?」
いまいち状況のわかっていない祐巳は、のんびり言う。
志摩子はどう答えていいのか思いっきり悩み、チラッと由乃を見た。
由乃は少し考えて、言った。
「私もよくわかんないけど、とにかく祐巳さんは関係ないから安心していいわ」
志摩子の視線の意味は、ちゃんと読み取れた。
この手のことに経験豊富な由乃は、重要な情報の全てを隠した。――言ったところで祐巳を怖がらせたり心配させたりするだけだ。
白薔薇関係、ひいては志摩子関係での誘拐だということも隠したのは、別に志摩子のためではない。その事実さえ祐巳の心労のタネになると判断したからだ。
「うん、まあ、心配はしてないんだけどね」
何でも祐巳は、言うに事欠いて「佐藤聖の命令で一時的に保護する。すぐに志摩子も連れて来るから」と説明されたそうだ。本当はその逆で、これは佐藤聖を狩るための策略なのに。
祐巳は山百合会を信じている。
だから佐藤聖の名前が出た時点で、疑いどころかほんの少しの心配さえしていなかった。
――そんな心情が祐巳の表情から、いとも簡単に読み取れてしまった志摩子と由乃は、なんとも居心地が悪くなった。
ここに山百合会――リリアン最強の組織と呼ばれる存在が、二人もいるのに。
なのにまんまと誘拐され、しかも、あろうことか無関係にして力なき者まで巻き込んでしまっている。
失態以外の何者でもない。
(……状況もわかんないけど、志摩子さんの出方もわかんないなぁ)
由乃は思考を巡らせる。
(うちのでこちんも、どう手を打つんだか)
これでも由乃は幹部である。有事の際にはすぐにでも連絡が取れるように、黄薔薇勢力の各幹部には常に伝令要員が張り付くことになっている。確証はないが恐らく紅薔薇も同じ構成のはずだ。
「由乃さん、それほどこうか?」
「え? あ、いや、いい。このままで」
「いいの?」
「好きなのよね、由乃さんは。縛られるのが」
「ああ……」
「志摩子さん、嘘吹き込まないで。というかなぜ祐巳さんは納得してるの?」
由乃の追求に、祐巳は曖昧に微笑んだ。志摩子はやはり無視だ。
――つまり、由乃が誘拐されたことは、今頃は黄薔薇・鳥居江利子や蕾の支倉令の耳に入っているということだ。
ただ、状況が状況である。
ただの誘拐ならすぐに救助が来るだろうが、白薔薇の内輪揉めに巻き込まれた形である現在、横槍を入れるよりは静観していた方がメリットは大きい。何せ由乃はついでのように誘拐されたのだ、まず危険は極めて低いと考えられる。
(それに)
ついでだろうが何だろうが、容易に誘拐なんてされてしまうマヌケな幹部なんて、助けるに値しない。由乃が江利子の立場なら、灸を据える意味も込めて、簡単に救助なんてしない。状況次第では平気で見捨てるくらいする。
――というのは当然なので、これはすでに「容易に誘拐されたわけではない」という状況になる。もはや由乃は駆け出しではない。そう簡単に敗北もしない。それくらいには江利子も考えてくれるだろう。きっと。
(不透明な部分の推測と、私の誘拐と、メインである志摩子さんの誘拐、白薔薇勢力の不穏な動き、そして――)
そして、今、お聖堂で闘っている佐藤聖の存在。
(……というか、私の意志も関係あるんだろうなぁ)
要は、志摩子を助けるのかどうか、だ。
立場的に助けるのはNGだ。今この状況の志摩子を助けるのは、細々した問題行動なんかとは桁違いの大問題である。黄薔薇幹部失格と言えるくらいに。
佐藤聖を潰すチャンスである。ならばそれを見守るべきだ。事情がよくわからなかったさっきとはもう状況が違う。
しかし、由乃の心境は複雑だ。
(こんな形で薔薇が手折られるのはどうなんだろう)
いつか正面から一対一で越えてやろうと思っている相手が、それ以外の何かでやられるなんて、悔しいものがある。分不相応だが自分以外に負けるな、とも思う。
だが、弱みに付け込むのも、裏切りも、リリアンでは常套手段だ。
誘拐だって普通によくあることだ。
祐巳を巻き込んだのは反則で腹が立つしこの件に関しては後で必ずケジメを取るつもりだが、顔を覚えている一人一人を潰して回ろうと思っているが、この状況は特に問題ない。強いて問題があるとすれば、由乃がここにいることくらいか。
由乃も一緒に連れてきたということは、長く拘束する気はない、ということだ。由乃の誘拐は黄薔薇勢力に真正面からケンカを売る行為だ。白薔薇勢力がこの先どんな進展を描いているかはわからないが、まさか今すぐ黄薔薇勢力と事を構えはしないだろう。
速やかに用事を済ませる――この場合は「佐藤聖を狩る」を達成すれば、祐巳と由乃は開放される。恐らく志摩子も。
由乃は、動かなければいいのだ。
きっとこの後10分ほどで、成否は分かたれ誘拐事件も存在しなくなる。
(私が動くかどうかで、白薔薇が立っているか倒れているか決まるのか)
そう考えると、あながち志摩子が言った「縛られるのが好き」という言葉が否定できなくなってくる。
このまま縛られていれば、由乃の動けない理由になる。
この誘拐事件の行く末を静観する理由になる。
聖も志摩子も、由乃が助ける必要も理由もない。
動くか、動かないか。
思いがけずとてつもない二択を迫られ、由乃は結論を出した。
(志摩子さん次第、だな)
由乃が関わりここにいる理由である、藤堂志摩子。
当然ここまでの流れと状況は、由乃より理解しているはず。
このまま動かなければどうなるかも、わからないはずがない。
(志摩子さんがどう動くかで、私がどう動くかも決める)
それが由乃が出した結論だった。
だが藤堂志摩子は、未だに、この状況を抜け出す策を見出せずにいる。
その頃、体育館の外では。
密かに志摩子達を追いかけている者の足が止まっていた。
(あそこか)
さりげなく木の陰に隠れているのは、“九頭竜”に護衛を頼まれた“竜胆”である。
――お聖堂から一年桃組に向かう途中で、廊下の先に、とっても強そうなお姉さま方に囲まれつつあった志摩子と由乃を見て、様子を見つつ付いて来たのだ。“瞬間移動”の有効範囲は狭いので、ちゃんと流れを見ていれば追跡くらいはできる。特に上下の“階”越えではなく“外へ移動した”から追いかけるのは楽だった。
下手に突っ込まなかったのは、我ながら上策だった。……まあ怖かっただけだが。
“竜胆”は知らないが、相手は白薔薇勢力の精鋭達だ。行けばあっと言う間に叩き潰されていただろう――時間がない彼女達にとっては、山百合会関係にない者など瞬殺対象か無関係かのどちらかでしかない。
(……さて、どうするか)
体育館周辺には、見張りとしか思えないようなおっかないお姉さま方が殺伐とした雰囲気でうろうろしている。不用意に近付いたら問答無用で襲われそうだ。
(とりあえず、もう少し――)
近付いてみるか、と、“竜胆”は走り出す。幸い体育館周辺には身を隠すにはもってこいの植え込みや木々がある。近付きすぎなければ見つからないだろう。
狙いを定めていた植え込みに飛び込み――
「うわっ」
「うおっ」
まさかの先客である。そこにいた誰かにぶつかりそうになり、お互い腰が抜けそうになるほど驚いた。
たっぷり5秒ほど見つめあったあと、ゆっくりと口を開く。
「だ、誰ですか……?」
なぜか“竜胆”は敬語で問い、メガネがズレた相手も敬語で答えた。
「しゃ、写真部のエースですけど……」
写真部のエース。
“竜胆”も聞いたことがある有名人だ。
確か、確か名前は――
「武嶋蔦子さん」
「そう、蔦子さ……ん……?」
ありえないところからの声に、“竜胆”は視線を上げた。
「そっちは……見覚えないわね?」
「私知ってる。噂の“重力空間使い”よ」
「あ、これが」
そこには、恐ろしい顔のお姉さま方総勢十数名が、植え込みの上から横から斜めから二人を覗き込んでいた。
「変なのが付けてきてると思えば、意外な組み合わせだわ」
二人は互いを指差し言った。
「「彼女とは無関係です。私は全然あやしくないただの通りすがりです」」
言った“竜胆”と蔦子でさえ嘘臭いと思ったし、当然信じてもらえなかった。
こうして人質は二人追加される。
※この記事は削除されました。
「マホ☆ユミ」シリーズ 「祐巳と魔界のピラミッド」 (全43話)
第1部 (過去編) 「清子様はおかあさま?」
【No:3258】【No:3259】【No:3268】【No:3270】【No:3271】【No:3273】
第2部 (本編第1章)「リリアンの戦女神たち」
【No:3274】【No:3277】【No:3279】【No:3280】【No:3281】【No:3284】【No:3286】【No:3289】【No:3291】【No:3294】
第3部 (本編第2章)「フォーチュンの奇跡」
【No:3295】【No:3296】【No:3298】【No:3300】【No:3305】【No:3311】【No:3313】【No:3314】
第4部 (本編第3章)「生と死」
【No:3315】【No:3317】【No:3319】【No:3324】【No:3329】【No:3334】【No:3339】【No:3341】【No:3348】【No:3354】
【No:3358】【No:3360】【No:3367】【No:3378】【No:3379】【No:これ】【No:3387】【No:3388】【No:3392】
※ このシリーズは一部悲惨なシーンがあります。また伏線などがありますので出来れば第1部からご覧ください。
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。
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☆
〜 10月3日(火) 11時45分 暗黒ピラミッド 最下層の1階上 〜
ぎぃん、ぎぃんと剣のぶつかり合う音が立て続けに響き、火花が散る。
一方的に打ち込む蓉子の斬撃を必死で振り払う志摩子。
逆袈裟に切りかかってくる蓉子の一撃を剣の腹で受け止め、流す。
蓉子は、戦いの中で成長を見せる志摩子に驚愕しながらも精神を集中させ、流れるように攻撃の動作に移る。
得意の回転切りを一時潜め、左右への突きをフェイクに志摩子の剣を弾き上げる。
(まずい!)
志摩子は必死に体をひねって腹に迫る蓉子の斬撃を防ぐ。
(こんなんじゃダメだ・・・。 打開策はっ?)
次々と迫る蓉子の攻撃を全て危ういところで防ぎつつ、志摩子は胸のうちで叫んだ。
志摩子が攻撃できていたのは最初のころだけで、いまは防ぐだけで精一杯だ。
それはつまり蓉子が手加減していた、ということに他ならない。 ・・・それとも単にこちらの力量を測っていただけなのか?
いったい、幾つの攻撃を防いだだろうか。
意識はだんだんと遠くなりかけている。
剣のぶつかり合う音は鼓膜を破るのではないかと言うほど大きな音のはずなのに、その音が遠くに聞こえる。
自分の体を動かしている感覚すらなくなってきていた。
すでに、反射神経だけで蓉子の攻撃を捌いている。
しかし、そのことは蓉子に大きな驚きを与えるものだった。
蓉子の強さ・・・。 それは普段の鍛錬による純粋な強さもあるが、このレベルに達する人間は他にも居るだろう。
それなのに、なぜ蓉子が絶対不敗なのか。
先読みの力、相手の考えるその先を見ることが出来ることが大きいのだ。
しかも、相手の考えを知ることで、自分の手の中で相手を踊らすことすら出来るのだ。
わざと隙を作って、そこを攻めさせることでカウンター攻撃を行う。
あらかじめ攻撃が来る場所、タイミングがわかっている蓉子にとって、それにカウンターを合わせるのは容易なこと。
しかし、その蓉子を持ってして、志摩子を仕留めることが出来ないでいた。
「ほんと、しぶといわね・・・。 まさかここまでやるとは思わなかったわ」
震える腕で蓉子の力にかろうじて抗う志摩子に、『無敵なるもの』=水野蓉子は純粋な敬意を持ってそう声をかける。
・・・・・・ もっとも、一切手を抜く気は無いが。
志摩子のほうには、言葉を返す余裕などない。
一瞬でも気を抜けば、たぶん蓉子の剣が深々と身体に突き刺さるだろう。 いや、両断されたとしても不思議ではない。
それが、両者の溝。 埋めることの出来ない絶対的な差。
「祐巳ちゃんとの修行が身になっているのかしら? それとも薔薇十字を授けられた自信なの?
そういえば、聖からも修行を見てもらっていたそうね?」
蓉子は次々に志摩子に声をかける。
これも蓉子の常套手段。 耳に入る情報を一瞬でも考えてしまうとそれだけ反応が遅れる。
(耳を貸しちゃいけない! 勝機を探すんだ!)
志摩子は自分に言い聞かせ、現状を分析する。
・・・しかし、結論は絶望でしかない。
この窮地を脱出する手段なんてはたして自分にあるのか・・・。 志摩子の心を暗い絶望が覆う。
(・・・ここまで・・・なのかなぁ・・・。 祐巳さん・・・)
志摩子の体から覇気が薄れていく。
一瞬、あきらめてしまった心が体の動きを止める。
と・・・。 その時、何の脈絡も無く蓉子がバランスを崩す。
はっ!! とそのことに気づくより早く、志摩子は剣士としての本能のまま蓉子に襲い掛かる。
「『利剣乱舞』っ!」
志摩子は蓉子の一瞬の隙を逃さず、自身最強の技を蓉子に繰り出す。
右から、左から、上から、下から・・・。 まるでいくつもの体に分身したかのような手数で蓉子の体を次々に引き裂いてゆく。
そして、その攻撃の中で志摩子は蓉子がバランスを崩す原因になったものを発見する。
それは、左のくるぶしに深々と突き刺さったナイフ。
「はぁぁぁぁあああぁあ!!!!」
裂帛の気迫を纏った 『螺旋撃』 が蓉子の腹をなぎ払った。
☆
聖は、背後で志摩子が一方的に蓉子から攻め立てられている気配をずっと感じていた。
キーン、キン、キン、と、ナイフ特有の硬質な音が続けざまに響く。
ナイフの利点は体の動きをそのまま武器に伝える敏捷性。
聖の最も得意とする攻撃であるが、その攻撃のすべては江利子に防がれる。
江利子とて体術に自信があるのだ。 伊達に黄薔薇を名乗っているのではない。
もともと、無手で聖と互角に渡り合えるのは自分か、令くらいだと思っている。
しかも、今はソロモン王から、 『永遠の若さ、永遠の生命』 を与えられた上に、魔王を超える力を持っているのだ。
「さすがに、埒が明かないわね」
つまらなそうに、江利子が舌を打つ。
ひゅっ、と空気を切り裂いて繰り出される江利子の攻撃。
手の中で翻ったナイフは間違いなく聖の瞳を狙っている。
その動作はまさにナイフを使用した体術の教科書に乗せたいような攻撃。
流れるような身体の運びには、無駄と思えるところが一つもない。
しかし、その完璧と思える斬撃を、聖はわずかな動作で避けてみせる。
聖にとって、この距離は自分自身にとっての絶対領域。
ナイフ程度のリーチの短い攻撃は ”風身” で避けるのが聖の得意パターンだった。
「時間稼ぎでもしてるつもり? まさか祐巳ちゃんを待ってる、なんて言うんじゃないわよね」
江利子が再度ナイフを繰り出しながら聖に言う。
一度伸ばした腕。
それを簡単に避けながら、聖は攻撃してこない。
攻撃する気なら、江利子が腕を引く瞬間に行うべきだ。
その時なら聖のスピードを持ってすれば江利子に一撃を入れることも可能であるはずなのに。
しかし、あえて聖はその隙をついてこない。
「つまらないわね」
内心、聖が攻撃してこないのは聖の気弱さが原因だ、と江利子は読んでいた。
頭に血を上らせるように挑発して戦いに引きこんだ江利子であるが、次第に聖に冷静さが戻るのを感じていた。
冷静になった聖が、元々親友である自分に攻撃するのに躊躇している、そう見ていたのだ。
いいかげん飽きてきた江利子は、自分の注意が聖のナイフだけに引きつけられていることに気付かなかった。
「江利子のば〜か」
「えっ?!」
油断していた・・・。 江利子がそう気づくより、聖の動きは早かった。
「『クレッセント・ヒール』っ!」
聖は一瞬にして江利子との距離を縮めると後方回転をしながら足刀で江利子の首を狙う。
その攻撃を江利子がバックステップでかわした瞬間、聖の投げたナイフが江利子の手首を掠める。
そう・・・。 掠めるだけで十分だった。 わずかに手首を切られた江利子は思わずナイフを取り落とす。
聖は右手で腿に仕込んでいたもう一本のナイフを取り出し、身体のひねりを最大限に利用してナイフを投げた。
音も立てずに飛翔する小さな刃は、狙ったとおり蓉子の左足のくるぶしに突き刺さる!!
☆
『螺旋撃』 で蓉子の腹をなぎ払った志摩子はさらに追撃の攻撃に移る。
しかし、その志摩子の眼前を蓉子の 『インヴィンシブル』 が通り過ぎた。
あわててその場を飛び退く志摩子。
「やって・・・くれるじゃない・・・」
体のあちこちを志摩子の剣で切り裂かれながらも、凄絶な笑みを浮かべ蓉子は足に突き刺さったナイフを引き抜く。
「本当によく修行してきたわね。 でも悪あがきもたいがいにしないと痛い目見るわよ」
「本当にそうですね・・・。 ロサ・キネンシス」
蓉子の言葉に答えたのは志摩子ではなく・・・。
「「「祐巳ちゃん(さん)!」」」
その場に相応しくない困ったような笑顔を浮かべる祐巳の姿。
「祐巳ちゃん・・・祥子はどうしたの?」
「すぐに来ると思います。 足止めしただけですから」
静かに答えながら、祐巳は悠々と戦場を横切り志摩子の隣に歩み寄る。
「志摩子さん、よく頑張ったね。 聖さまも・・・。 ここから先はお任せください」
『フォーチュン』 の杖先に純白の癒しの光を生み出した祐巳は志摩子と聖の治療を行う。
それは、ほんの一瞬。 祐巳がかるく杖を振るっただけで志摩子と聖の体のを純白の光が包みこむ。
「ロサ・キネンシス。 そろそろお時間を確認してください。 タイムリミットまで後何分ですか?」
「うふふ、わかっていたようね。 もう後2,3分しかないわ」
蓉子が戦闘態勢を解きながら答える。
江利子も蓉子に付き添うように近づいていく。
「では・・・。 薔薇十字はお返しくださいますか? お持ちになったままでもかまいませんが」
「そうね・・・。 愛着はあるんだけどね。 もういいわ。 聖、二人の薔薇十字を預かってくれるかしら?」
「え? どういうこと?」
薔薇十字を差し出す蓉子と江利子に聖は戸惑う。
「聖さま、蓉子さまたちはギリギリまでわたしたちに覚悟を決めさせようとなさっていたんです。
それほどの覚悟が無ければ、ソロモン王に対峙できない・・・。 そういうことです。
ここに来るまでわたし、走りながら考えていました。
そして、さっきの蓉子さまと江利子さまの戦い方を見て確信しました」
「まぁ、よくわかったわね、祐巳ちゃん。 でも、どうして?」
「蓉子さまも、江利子さまも、ご自身の必殺技は一切使わなかった。
まるで志摩子さんを鍛えるように。 江利子さまはただ楽しんでいただけのようですけど・・・。 でも昔を懐かしんでいらっしゃるような雰囲気でした。
精神の底に殺気がこもっていませんでしたから。 だからわかったんです。
ここまで・・・。 ここまで私たちのことを考えていてくださったんですね」
「そう・・・。 でも、もう時間よ。 これから先は躊躇無しでお願い。 わたしたちを憶えていてね。
残念ながら、わたしたちはあなた達を忘れてしまうけれど」
「ロサ・キネンシス。 ロサ・フェティダ・・・」
志摩子は二人の様子にすべてを悟る。
「蓉子・・・。 江利子・・・」
聖の眼にも涙が浮かぶ。
「さぁ、泣かないの。 すべてはあなた達に託していくんだから。 しっかりしなさい!」
水野蓉子は最後の最後まで自分らしいな、と思っていた。
(ほんとにもう・・・。 聖ったらわたしが怒鳴らないと、何にもしないんだから・・・)
・・・・・・ そして、ソロモン王との約束の時間 ・・・・・・
約束だった3日目の正午を時計が指そうとしていた。
☆
そこにあるはずも無い正午の鐘が聞こえた気がした。
蓉子と江利子の顔から表情が消える。
殺気などまるで無いと言うのに恐ろしいまでの存在感でそこにいるのは、先ほどまで祐巳の憧れた二人の薔薇の姿。
「オン・キリク・マユラ・キランデイ・ソワカ・・・ 『孔雀明王退魔曼荼羅結界』っ!」
不意に祐巳が退魔結界で聖と志摩子を覆い隠す。
「「祐巳ちゃん(さん)!」」
聖と志摩子が驚いて祐巳に叫ぶ。
「すみません。 お二人はそこで治療に専念していてください。 こんな思いをするのは・・・わたしだけで十分です」
祐巳は穏やかに二人に声をかけると蓉子と江利子の二人に対峙する。
祐巳の力は、圧倒的だった。
たとえ剣を手放したとしても蓉子の体術もまた聖と匹敵する。
しかも、志摩子と対峙したときのような配慮も何も無いほどの残虐な攻撃を仕掛けてくる。
正拳での突き、回し蹴り、瞬駆をはるかに凌駕するスピードで襲い掛かる蓉子。
祐巳の周りを縦横無尽に駆け巡りながら殺意の網で祐巳を絡めとろうとする。
しかし祐巳はその暴風のような攻撃を必要最小限の動きですべてかわしきって見せた。
びゅん、っと空気を切り裂く音。
祐巳と蓉子の二人から距離をとっていた江利子が助走をつけ一気の瞬駆で祐巳の首を狙う。
江利子自身がその得意とする弓矢の攻撃のように飛び掛る。
しかし、その攻撃も祐巳は体をわずかに捻ることでかわしてしまう。
と、その瞬間今度は蓉子の手刀が真上から祐巳の脳天めがけて振り下ろされ、祐巳からかわされた、と見るや今度は眼を狙った刺突へと変化する。
ふっ、と困ったような笑顔を祐巳が浮かべる。
「さすがですね〜。 お二人とも攻撃が外れてもほんの少しも背中を見せてくれない。
やはり、少しはお怪我をさせちゃうかもしれません」
さきほどまで体捌きだけで二人の攻撃をかわし続けていた祐巳が七星昆を構える。
その構えを見た蓉子と江利子の動きが止まる。
ぶんっ、と音が聞こえた気がした。
蓉子と江利子の姿が一瞬にして掻き消え、祐巳の左右に瞬間的に現れる。
この動きは、令の支倉流禁術奥義 『幻朧』。
考えてみれば、令の姉である江利子もこの技を使うことに不思議は無かった。
それに、すべてを見抜く蓉子がこの動きに後れを取らないためにも知っていることは当然だったのかもしれない。
二人の薔薇は祐巳を挟むように出現すると、その手に強大な覇気を乗せた攻撃を仕掛ける。
これも支倉流の禁術奥義 『冥界波』 である。
さすがの祐巳もこの二人の格闘術最強とも言える技をその身に受ければ無事では済まされない。
ぐしゃっ・・・、と嫌な音が響く。
両手をそろえて祐巳の左から掌底を突き出した蓉子。
その対面から同じように掌底を突き出した江利子。
しかし、その中心に哀れにも潰された、と思われる祐巳の姿が無かった。
蓉子と江利子の掌底はまともにぶつかり合い、お互いの体を弾き飛ばす。
「ひえ〜〜。 さすがに今のは危なかった・・・」
志摩子たちが守られている結界のすぐそばで祐巳の声。
祐巳もまた 『幻朧』 に匹敵するスピードで二人の攻撃を避けたのだ。 ・・・ しかも、攻撃が当たる寸前までその場から逃げずに。
江利子がゆっくりと立ち上がる。
そして、先ほど蓉子と相討ちとなったダメージを感じさせること無く、再度 『幻朧』 で祐巳の背後を取る。
「『太極光輪』っ!」
祐巳の七星昆が、ぶん、と回りその回転のあまりのスピードにより大気に眩いばかりの光輪が浮かび上がる。
江利子の 『冥界波』 と祐巳の 『太極光輪』 が火花を散らす。
江利子は自身の放った技の衝撃に加え、祐巳の 『太極光輪』 がカウンターとなり、二重の衝撃を受け弾け跳ぶ。
ダンッ、 バタンッ、 ダンッ、 と派手に転げまわった江利子の体がうつ伏せで止まり、背を見せて動かなくなった。
「封神術、『四天王・鬼神楽』っ!!」
祐巳は七星昆を地面に突き刺し、両手で印を結んで四天王を呼び出した。
毘沙門天が江利子の右腕に宝剣を突き刺す。
広目天がが江利子の左腕に宝剣を突き刺す。
持国天がが江利子の右足に宝剣を突き刺す。
増長天がが江利子の左足に宝剣を突き刺す。
ハッ、と気合を込め、祐巳は江利子に飛び掛ると馬乗りになり、背中を切り開く。
「やっぱり・・・」
江利子の背中には令の背にあったものと同じ、ソロモン王のスペルの浮き出した五芒星。
祐巳は 『フォーチュン』 に金色の覇気を込め、そのスペルを切り離しに掛かる。
「・・・あぁあぁ・・・。 令さまのときより、もっと根が深い・・・。 内臓まで達してる・・・。
これじゃ、お腹ごとなくなっちゃう・・・」
祐巳が 『フォーチュン』 で五芒星を切り離したとき、江利子の背中から腹まで大きな穴がぽっかりと開いた。
(江利子さまをこんなにするなんて・・・。 ここまで根を張られるまで自己を保ち続けるなんて・・・
江利子さま、強すぎです・・・。 それにしても酷すぎるっ!!)
やり場の無い怒りが湧き上がる。
「うぁあああぁぁあぁぁぁ!!!」
その怒りをぶつけるように祐巳は切り取った”五芒星”=魔王・ブエルの分身を切り刻む。
その一瞬だけ、祐巳に隙が出来たのか・・・
ぶしゅ・・・。 と切り裂かれた祐巳の肩口から血が迸る。
「蓉子さま・・・。 死んだ振りなんて酷いです・・・」
祐巳は切り裂かれた肩口を押さえながら蓉子を睨みつける。
「でも・・・。 もうこれで終わりです。 『震天紅刺』っ!」
祐巳の体が一瞬にして赤く燃え上がり、「幻朧」を超えるスピードで蓉子の体の脇を突き抜けた。
祐巳は左手一本で蓉子の腹に大きな風穴を開ける。
その左手には”五芒星”=魔王・ブエルが握り締められ・・・。 祐巳の握力で握りつぶされた。
蓉子の体はしばらくその場で立っていたが、やがて、ふらりと揺れたかと思うとばたっ、と倒れた。
「蓉子ー!! 江利子ー!!」
戦いの一部始終を結界の中から見ることしか出来なかった聖の口から悲鳴が上がる。
志摩子は、口をおさえたまま祐巳の様子を食い入るように見つめていた。
しかし、聖の悲鳴を聞いたとたん、思わず立ち上がり、『理力の剣』 を振るう。
「結界消滅! 『破界』っ!」
ピキーン、と甲高い音をたてながら、結界が胡散霧消する。
「聖さま! 止血剤を!! 祐巳さん! 『癒しの光』 を頂戴!!」
志摩子の大声が響く。 祐巳はあわてて 『癒しの光』 を生み出そうとして・・・ 固まった。
志摩子はその瞬間、気分の悪くなるほどの悪寒に襲われる。
その悪寒と同じものを祐巳も感じていた。
後ろを振り向いた祐巳の視線の先にいたものは・・・。
よく知った容貌に全く見知らぬオーラを纏った、かつて ”姉” だったものの姿だった。
☆
〜 10月3日(火) 12時10分 暗黒ピラミッド 最下層の1階上 〜
「お姉さま・・・」
やはり、纏うオーラが違っていたとしても、そこにいるのは祐巳の最愛の姉だった人。
祥子はその天才的な魔法でここまで上り詰めてきた。
あまりにも魔力に特化してきたので、蓉子や江利子のような体術は持ち合わせていない。
魔力を振るう上で自分自身を常に安全な場所に置くだけの体力は求められる。
しかし、祥子の武力なんてそんなもの・・・。
その祥子が祐巳に近づく。
祐巳はその場を一歩も動かない。 いや、動けないのか・・・。
まるで、いつものように・・・。
乱れたタイを優しく直してくれるときのように近づく祥子を見つめることしか出来ないで居る祐巳。
祥子の右腕が振り上げられ、まるで平手打ちをするように祐巳の顔に打ち下ろされる。
ビシッ、と頬を張る音。
その手に握られているのは 『ノーブル・レッド』。
その本来なら強力な魔法を生み出す薔薇十字最強の魔杖が、ただの棒切れのようにしか扱われない。
「おねえさま・・・。 魔物に落ちたら・・・。 こんなもんなんですよ! もとに・・・。 もとに戻ってください!!」
祐巳は祥子の振り下ろした攻撃を一切避けようとしなかった。
真っ赤にはれた頬のまま祥子にすがりつく。
「ね・・・。 もう、ここまでにしましょう・・・」
祥子の背に回した祐巳の手。 その左手に握られた 『フォーチュン』。
グサッ・・・。 と小さな音。
祐巳は大粒の涙をこぼしながら、くず折れる祥子の体を抱きしめていた。
【 はじめに 】
※ 小笠原祥子 の一人称SSです。登場キャラは祥子、祐巳、他の山百合会面々。(祥子以外はほぼ名前だけ)
※ 設定時期は祐巳がリリアン高等部二年生の秋頃。原作の時系列などの細かい設定は無視してしまっています。
※ 祥子の性格が原作よりも著しく壊れてしまってます。
〇月×日 △曜日 晴れ
今日も祐巳は可愛らしいく私に「ごきげんよう、お姉さま」と言ってくれた。
今日の祐巳はピンクに黄色の線が入ったリボンをしていた。
はにかむ笑顔にとても似合っていて可愛らしかった。
ただ学園祭にむけての打ち合わせが忙しくて、なかなか二人きりになれないのが残念で仕方がない。
〇月☆日 ※曜日 晴れ
今日も祐巳は可愛らしく私に「ありがとうございます、お姉さま」と言ってくれた。
これだからタイ直しは止められない。
今日の祐巳の髪からはピーチの香りがした。どうやらシャンプーを変えたようだ。
小笠原家の使いの者に言いつけて、即刻、メーカーを調べ出して祐巳が使う分以外のシャンプーを買い占めなければならない。
〇月□日 β曜日 曇り
今日の祐巳は可愛らしく私に「この書類、届けてきますね、お姉さま」と言ってくれた。
最近は話をする時間もままならないので、こういう一言がスゴク嬉しい。
ただ、可南子とかいうアマに「祐巳さま、もしかしてシャンプー変えられました」と言われて祐巳が「そうなんだぁー♪わかるー♪」と嬉しそうにしていたのが気にかかる。
祐巳、私はもっと前に気付いていてよ!!同じシャンプーも買い占めていてよ!!
あと可南子とかいうやつ、ブチ殺スッ。
〇月£日 金曜日 晴れ
今日の祐巳は可愛らしく私に「ちょっと後ろ失礼します、お姉さま」と言ってくれた。
そんなに気をつかわなくても、あなたとのソフトタッチ的なスキンシップなら何時でも大歓迎よ、祐巳。
今日は山百合会で行う劇の練習の日だった。動き易くするために出演者たちには体操着に着替えてもう。
ふむ、今日の祐巳はコバルトグリーンね。
アレは祐巳のお気に入りの一つで、なかなか可愛らしくも高校生にしてはちょっと大胆なセクシーデザインのものだったはず。
今日の祐巳はちょっぴり大人っぽく見えるわ!!
なんて考えながらローテーションから今日は金曜日と割り出す。
明日の週末ぐらい姉妹でゆっくりしたいわ。
なお、私の記憶が正しければ明日の祐巳はピンクに白のレースをあしらっているはずだわ。
( 中 略 )
γ月∬日 ◆曜日 雨
今日の祐巳は可愛らしく私に「令さまが持って来て下さったこのお菓子おいしいですね、お姉さま」と言ってくれた。
甘いものを頬張っている時の祐巳の顔は最高に可愛い♪超ラブリーだわ♪
ただ令を褒めるのは頂けないと思うの。あまり褒めると調子に乗るタイプだから。
本当なら令に、そっと目で諭してあげる(思いっきりメンチを切る)のだけれど、今日は由乃ちゃん共々部活のためにこの場にはいない。
仕方がないので、明日にでも話して(脅して)おこう。いや、今晩電話で・・・。
どうでもいいのだけれど、さっさと白薔薇の二人帰らないかしら。これでは祐巳と二人きりになれないわ。
γ月†日 Ψ曜日 曇り
今日の祐巳は可愛らしく私に「今日は家の用事があるのでお先に失礼します、お姉さま」と言ってくれた。
そう、もう帰ってしまうのね、祐巳。
何だかもう今日はやる気が出ないわ。だって祐巳がいないのだもの。
でも私は祐巳のお姉さまで紅薔薇さまなのだから、きちんと仕事をしなければならない。
そうね、今日はきちんと活動をしているか視察しに部室塔へでも足を運んでみようかしら。
そうと決まれば、まずは写真部ね。蔦子ちゃんはまだいるかしら?
べっ、別にこのあいだ頼んでおいた祐巳秘蔵コレクションを受け取りに行くわけじゃなくってよ!
γ月¥日 @曜日 晴れ
今日の祐巳は心配そうな顔で私に「お顔の色が優れませんが大丈夫ですか、お姉さま」と言ってくれた。
ふふっ、大丈夫よ祐巳。少し寝不足で貧血気味なだけだから。
先日、蔦子ちゃんから受け取ったアレがあんまりにも凄かったものだから、ついつい目が離せなくなってしまったの。
あぁ、思い出したらまた鼻血が・・・。
上目使いでこちらを見上げてくる祐巳。今のあなたは現実?それとも夢?
うふっ、うふふふふふっ☆
γ月◎日 ∴曜日 晴れ
今日も祐巳は可愛らしく私に「一緒に帰りましょう、お姉さま」と言ってくれた。
久しぶりに祐巳と二人きりの下校である♪
これも私と祐巳の日頃の行いが良いから、マリア様が御褒美をくださったに違いない。
思えばここ数日、今日のために白薔薇一家と黄薔薇一家にそれとなく仕事を押し付けるのに苦労したものだ。
優しい祐巳が両家を手伝うなんて言い出さないために、私の体調が少し優れないという理由を作るのも大変だった。
おかげで夜な夜な祐巳秘蔵コレクションを鑑賞することが日課になってしまった。
極度の貧血を防ぐためにレバーやほうれん草を我慢して食べたかいがあった。
そう、ここ数日私はとても良い子にしていた。
だから車に押し込まないで祐巳!そっと手を振って見送らないで祐巳!
( 祥子:夜更かし及びもろもろの事情による貧血のため小笠原家の車にて帰宅 )
( 祐巳:ここ数日祥子が他家妨害活動のために手をつけてなかった紅薔薇家の仕事を片付けるために居残り )
祥子と祐巳のメモリーはまだまだ続く。
おしまい
【 あとがき 】
読みづらいかもしれませんが読んで頂けたのなら嬉しいです。誤字脱字等ありましたらお許し下さい。
※この記事は削除されました。
『ロサ・カニーナ・アン・ブゥトン』シリーズ
【No:3318】【No:3330】【No:3362】【これ】【No:3405】【No:3425】【No:3442】【No:3458】【No:3494】
どうしてそんな話になっているのか。昨日の静先輩の話では――乃梨子は思い出して冷静になれた。
「あのっ!」
乃梨子は大声で呼びかけてからこう言った。
「ごめんなさい。私は昨日薔薇の館にお姉さまと一緒に仕事をしていたからわからないの」
「乃梨子さんは『瞳子』だなんて呼ぶ間柄だだからかばってらっしゃるの? 最近、瞳子さんは紅薔薇さまと――」
別のクラスメイトが乃梨子に突っかかる。彼女は祐巳さまの信奉者だったっけ。それを遮って乃梨子は言った。
「かばってるわけじゃなくて本当に私は何も知らないの。知りたかったらご本人に聞いて」
失礼、と言って教室に戻った。乃梨子を取り囲んだ集団は面白くなさそうにこちらを見ているが、この件に関して「白薔薇のつぼみが言っていた」なんて噂を流されることはないだろう。
ほっと一息ついていると、瞳子が教室に入ってきた。
「ごきげんよう、皆さま」
天使のような無邪気な笑顔で瞳子は挨拶している。
自分が噂の対象になっていて、どんな言われ方をしているのか知っているのか。知っていてああいう顔をしているのならさすが演劇部というところだ。
「ごきげんよう、乃梨子さん。朝から情熱的に私のことを見つめてるけど、お姉さまに知られたら嫉妬されるんじゃない?」
「ごきげんよう。何言ってるんだか」
瞳子は笑っている。昨日の様子じゃ問い詰めたところでも口を割らないだろう。そもそもこちらに口を割らせるだけの材料もないが。
と、ここで乃梨子は気付いた。
(どうして私、こんなことを気にしてるんだろう)
これが朝の話。
「変な噂が流れてるようですけど、祐巳さんは祥子さまとはすれ違っただけだって言ってました。瞳子ちゃんは関係ないって」
昼休みの薔薇の館。
噂の真相というように由乃さまが説明してくれた。
昨日の放課後の由乃さまの様子と今日の噂が気になったらしく、静先輩もきている。
「ロザリオは?」
「逃げたって言ってたから、まだ持ってるはず」
黄薔薇さまに聞かれて由乃さまはそう答えた。
「それで、祐巳ちゃんはどうしてるの?」
静先輩が聞く。
「しばらく、薔薇の館にはこないみたいです。無理に誘わないって約束したから、祐巳さんが自発的に出てくるまでは来ないでしょう」
難しいという顔をして由乃さまは答えた。
「弱ったわね。紅薔薇さまは当分欠席するみたいだし、祐巳ちゃんも来ないとなると……」
「剣道部と合唱部のスケジュールが合わないと、放課後は乃梨子ちゃんだけになっちゃうかも」
三人の視線が乃梨子に集中し、のどが詰まりそうになってお茶を飲んだ。
「あ、あの?」
じっと静先輩が乃梨子のことを見ている。
「乃梨子、あなたにお願いしてもいいかしら?」
ひと月ほどの働きぶりを見て静先輩はそう決断したようだ。
「どうしてもって時は無理しないでできる範囲で。全部無理して一人で片付けようだなんて思わなくていいのよ」
乃梨子の返事を待たずに静先輩は決めてしまったようだ。
「はあ」
「なるべくスケジュールがぶつからないようにやってみよう。乃梨子ちゃん、薔薇さまでなくてはいけないときは遠慮なく音楽室か武道館に来てね」
「はい」
黄薔薇さまの言葉に乃梨子はうなずいてしまった。つまり、厄介な仕事を一人で引き受けてしまったのだ。
(あ……)
気づいた時は完全に遅かったが、今さら断っても静先輩に皮肉を言われて押し切られるだけだろうからと黙った。
「今日のスケジュールは――」
四人でカレンダーを見ると、早速合唱部と剣道部の活動日になっていた。
(うわ。今日からいきなり一人……)
ちょっと憂鬱になりながら教室に戻ると、噂好きのクラスメイトたちが騒いでいた。
「瞳子さんがミルクホールで祐巳さまを平手打ちしたって噂、聞いた?」
……瞳子、いったい何を?
噂が流れているのを知っているのか瞳子は巧みに乃梨子とは接触してこない。
そのうちに掃除の時間になって、乃梨子が別の掃除区域にいっている間に瞳子は部活に行ってしまった。
乃梨子は誰も来ない薔薇の館で指示された仕事を始める。一人の時間はまったりと過ぎていき意外とはかどらない。早く終わったら帰っていいと言われていたのに下校時間ぎりぎりになってしまった。
(……これでいいのかな?)
ようやく初めての一人での薔薇の館の放課後が終わった。
静先輩と黄薔薇さまはスケジュールを調整したようだったが、放課後に来られるのは三十分ぐらいだったり、乃梨子に指示を出していなくなる日も多かった。その分朝と昼休みに仕事をこなすことになった。
「環境整備委員会です。薔薇さまに連絡してほしいのですが――」
「放送部です。薔薇さまにお願いが――」
「保健委員会です。薔薇さまはいらっしゃいませんか?」
放課後。
薔薇さまを指定してこられてかつ急ぎの用事だと乃梨子は客人を待たせて音楽室か武道館に走ることになる。
二人とも部活を抜けて薔薇の館に来てくれるが、大抵の用事はすぐに済み、待ってもらっている間の方が長かったりする。
「じゃあ、後はお願い」
必ずそう声をかけて、二人は急いで戻っていく。
(お願いって言われても)
つぼみだなんてちやほやされても山百合会の正式な役員は薔薇さま方三人。
乃梨子はお手伝いでしかなく、客人の伝言を伝えるか、二人を呼びに行くか、いわれた仕事をするかぐらいしかできない。
また一人になって仕事を再開するがなかなか進まない。
(あ〜あ)
せめて二人なら何とか乗り切れたかもしれないのに。
夕方だというのに眠気覚ましのコーヒーを飲み留守番を続けている。集中力は途切れがちになり睡魔に負けそうになり、時には一人取り残されたような気になる。
大したことはやっていないはずなのに疲労困憊していた。帰ってからぐったりと机に突っ伏す。
「若いのに。サラリーマンの親父みたいじゃないか」
クスリ、と菫子さんが笑っているが言い返せないほど疲れていた。
「何か肉体労働でも?」
ぶんぶん、と首を横に振る。
「じゃあ、頭脳労働?」
同じく首を横に振る。
「そりゃあ、疲れるだろうね」
「……どうしてわかるの?」
菫子さんが当てたことに乃梨子は驚いた。
「肉体でも頭脳でもないって事は精神的な疲れだろう。それが一番疲れるのさ。次の休みは仏像でも見にいったらどうだい?」
「……ちょっと、休みたい」
そう乃梨子が答えると、菫子さんは困ったもんだ、というように肩をすくめた。
「まあ、いいさ。ただ、疲れてるなら早めにお姉さまに言って休ませてもらいな。あとあとえらい目に遭うよ」
乃梨子は聞き流してしまったが、菫子さんには十分な経験があってそれを踏まえて親切に忠告してくれたのだ。
あとあと本当にえらい目に遭うとわかっていたら、翌日は休んでいたかもしれない。
どうして自分は親切な忠告を素直に聞けないのか。と悔やむのはいつも後になるのだった。
「なんだか、お疲れのようね」
登校してきて銀杏並木のところで蔦子さまに出会った。
「別に。気のせいです――」
「無理しちゃってるんじゃないの?」
適当に流して通り過ぎようとしたのに、蔦子さまは乃梨子についてきた。
「無理なんてしてませんけど」
「これ」
蔦子さまが出してきたのは一枚の写真だった。
それは山百合会の仕事をするようになってまもなくの頃の乃梨子の写真だったのだが、二年生のお二人を追いかけて元気いっぱいに仕事をしている乃梨子が写っていた。これはほんの二週間前ではなかっただろうか。
「それ、あげる。あと、これからも乃梨子ちゃんのことは隠し撮りするからそのモデル料の代わりにぶちまけたいことがあるなら聞いてあげるよ。私、個人のプライバシーは絶対に守るから安心して」
隠し撮りするような人なんて信用できませんって。
「結構です」
「……それは、自由に隠し撮りしてもいいっていうこと?」
「どうして都合のいい方に話を持っていくんですか。隠し撮りはやめてくださいって事です」
「でも、他の生徒を隠し撮りしていたら写り込んじゃったりするかも」
「やめる気はないんですね」
「あたり」
蔦子さまは笑っているが、乃梨子は「不愉快です」というようにため息をついた後ダッシュした。
三奈子さまと違って手を掴まれることはなかったが、薔薇の館につく頃にはマラソンでもしたような気分になっていた。
(朝から疲れた……)
授業中も何だか身体が重い気がする。
昼休みにはまた薔薇の館に向かう。
「ごめん。今日、部内で練習試合があるの忘れてた」
がっかりで残念という顔で黄薔薇さまが詫びてきた。
「由乃さまもですか?」
「うん。試合には参加しないんだけどね」
頭を垂れて由乃さまも謝る。
「仕方ないわね。じゃあ――」
「わかりました。今日も一人で何とかします」
「乃梨子、あなた最近疲れているんじゃないの? 本当に任せて大丈夫なの?」
静先輩が聞いてくる。
「大丈夫です」
「……いいわ。でも、本当に無理しないのよ」
無言で乃梨子はうなずいた。
そして放課後が来て掃除区域に向かっている時のこと。
「あ、白薔薇のつぼみ」
「ごきげんよう」
途中で乃梨子は声をかけられた。
「ちょうどよかった。吹奏楽部なんだけど今度の校外演奏に必要な書類を薔薇の館に出さなきゃいけなかったのよ。これ、薔薇さまにお願いできます?」
「わかりました。お預かりします」
受け取って掃除が終わると一度武道館に向かって、吹奏楽部の書類を黄薔薇さまにどうするべきか尋ねる。
「薔薇の館のわかるところに置いておいて。明日の朝こっちで処理するから」
「はい」
薔薇の館につくと、机の上にクリアファイルに挟んで吹奏楽部の書類を置いた。
それから薔薇の館を掃除して、インスタントコーヒーを入れるといつものように席につき、各委員会から回ってきたプリントを整理したり、細かい表にある数字を書き写したりする。今日は客人も来ない。部屋は明かりをつけているのに外は雨のせいで薄暗い。
頭がぼんやりとしてきた。
いかん、いかん。と立ち上がって軽く体を動かして深呼吸して作業に戻った……。
「……梨子、乃梨子」
気がつくと眠っていたようで、乃梨子は揺り起こされた。
「……ん」
「大丈夫? 具合が悪いの?」
上から降ってきたのは静先輩の声だった。慌てて辺りを見回す。
「ああっ!!」
寝入った時にカップを中身ごとひっくり返してしまっていて、水没(コーヒー没)した書類がコーヒー色に染まっていた。クリアファイルに挟んだ書類はクリアファイルの間に入りこんだコーヒーに浸かってしっとりぶわぶわになっている。
「しょ、書類がっ!!」
頭が真っ白になった。
「あ〜」
静先輩も事情を察して声をあげている。
「これ、何の書類だったの?」
クリアファイルの書類を指して聞いてくる。
「……吹奏楽部のっ、校外演奏に必要な、書類です」
絞り出すように小声でそういうのがやっとだった。
「やっちゃったわね」
「……」
がっくりとうなだれた。こんなひどい失敗は受験の日に大雪に降られて以来だった。
「……」
静先輩は布巾を持ってくるとコーヒーまみれのクリアファイルをそっと抑え始めた。
「わ、私が――」
「いいわ」
慌てて自分がやろうとしたのだが、制されて乃梨子は手を引っ込めた。
黙々と静先輩は作業をするが、クリアファイルの書類は取り出そうとすると破れそうになっている。
どうしよう。これが乃梨子の個人的な書類であれば乃梨子一人の問題ですむが、これは吹奏楽部の書類。大変なことをしでかしてしまったと徐々に恐ろしくなってきた。
「あの、私はどうすれば」
「とりあえずテーブルの上を片づけて」
クリアファイルと格闘しながら静先輩はそういう。
まだ乾ききっていない書類から水分だけを吸い取るように抑えたり乾かしたりするが、ところどころコーヒー色に染まって読みづらくなってしまっている。
カップを片づけて、テーブルクロスを取り替えて、乃梨子はやることがなくなってしまった。
静先輩は乃梨子が片づけている間にどこからかドライヤーを持ってきて書類を乾かし始めた。なんとかはがれてきたが、紙はコーヒー色に染まり判別不能になっている。
沈黙が重い。ドライヤーの音だけが延々と響いている。
「乃梨子」
しばらく経って書類を乾かしている静先輩に名前を呼ばれた。
「はい」
何と罵られても仕方がない、と乃梨子は覚悟して返事をする。
「今日はもう帰っていいわ。それから、明日は薔薇の館に来なくていいから」
「え」
怒鳴り散らされたり、嫌みをたっぷりと言われると思っていたので予想外の言葉に乃梨子は慌てた。
「いいから」
重ねて静先輩が書類を乾かしながら言う。
「……ごきげんよう」
「ごきげんよう……」
なんとか荷物を持って乃梨子はとぼとぼと薔薇の館を出た。昇降口で革靴に履き替えたあたりから涙がこぼれそうになった。
失敗したこともショックだったが、来なくていいと言われたこともショックだった。
強引に妹にされた時は腹も立ったし、反発する気持ちもあった。なのに、いざ来なくていいと言われるとどうしていいかわからないくらいうろたえている自分がいた。
そんな状態でもちゃんと家には帰ってきた。
「お帰り」
自分ではまだまだ頑張れると思ってたのに寝ちゃうだなんて。静先輩は乃梨子の異変に気づいていたから確認してきたのにそれを押し切ったからあんな事に。
その日は落ち込んで泣きたいような気分のまま早くベッドに入ったが、なかなか寝付けなかった。
翌日は土曜日だった。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
挨拶とは裏腹に乃梨子のご機嫌はすこぶるよろしくなかった。昨夜からずっと考えているのだが、静先輩にもう一度謝った方がいいんじゃないのか。無理して寝ちゃってコーヒーをこぼしたのはどう考えても乃梨子が悪い。
しかし、妹にされた経緯を考えると、今が縁を切ってしまえるチャンスではないのだろうかという考えが出てきた。
リリアンは受験の体制が整っていない。何を言われても独りになって勉強にだけ専念するという道もある。例えば可南子さんは入学当初はクラスメイトの親切の押し売り攻撃に遭っていたが、今ではすっかり孤高の人になっている。
そう考えてから、やっぱり謝ろうかとも思う。上下関係の厳しいリリアンで姉に愛想を尽かされて放り出された妹というのはやはり生きづらいし、失敗したところでサヨウナラはやっぱり気分が悪い。
朝拝の時間になった。これで乃梨子は朝イチで静先輩に謝るという選択肢を失った。
授業の間も悶々とする。いつ謝りに行こうか、それとも……。
「乃梨子さん、早く支度をしないと遅れるわよ」
瞳子に声を掛けられて、気がつくと次の授業は理科室で、多くの生徒がいなくなっていた。慌てて教科書やノートを持って乃梨子は理科室に向かう。実験はなんとか間違えずにすませることができたが、その帰り。
「あ」
向こうから静先輩が歩いてきたのだ。手には教科書を持っているから向こうも移動なのだろう。
「ごきげんよう、乃梨子」
「ご、ごきげんよう」
決心のつかないうちにずっと考えていた人にあのことがあってから初めて会ってしまって乃梨子の心臓は飛び上がりそうになった。
「昨日の」
静先輩と乃梨子は同時に同じ言葉を発していた。そして、同時に口をつぐんだ。乃梨子が黙っていると、静先輩は言いなおした。
「昨日のことは気にしないで」
それだけ言って通り過ぎようとする。
「あのっ」
思わず呼び止めてしまったが、乃梨子は積極的に言いたいことがあったわけではない。
「何か?」
立ち止まり、振り向いて静先輩が尋ねる。何かを言わなくてはならないのに言葉が出てこない。
「……何か、言いたいことがあったんじゃないの?」
しばし見つめ合った後、静先輩が聞いてきた。
「どうして何も言わないんですか」
それは静先輩の質問の言い方を変えただけで、乃梨子が言いたいことではなかった。
「何もって、何を?」
当然そう聞いてくる。書類のこととか、来なくていいと言ったこととか、いろいろ聞きたいことはあったが、乃梨子が発した言葉は違っていた。
「どうして私にロザリオを渡したんですか?」
なんでこんな事を今聞いているのか自分でもよくわからなかったが、全てがこのことに起因しているのは間違いなかった。
「……今更聞かれるとは思わなかったけど、いいわ。乃梨子、あなたには私のロザリオが必要だと思ったからよ」
大真面目な顔で静先輩は乃梨子の目を見てそう言った。
「どうして? 私が暇だってわかったから? 暇だったら妹にさえしてしまえば自分が部活で忙しい間にいくらでも仕事をしてくれるとでも?」
「そんな風に思ったことはないわ。あなたは私の可愛い妹なのよ。雑用させるのが目的でロザリオを渡すわけないじゃない」
乃梨子が早口にまくし立てると、静先輩は少し強めにそう言った。
「仮に、そうだとしても――」
「仮にも何も本心よ」
「じゃあっ、どうして薔薇の館に来るなって。使えない妹はお払い箱って事じゃないんですか」
「そんなことを考えていたの、あなた。全然わかってなかったのね」
「わかりませんよっ!」
乃梨子は叫ぶように答えた。
「わからないなら、じゃあ、どうして何も聞かなかったの?」
静先輩はその名の通り静かに乃梨子を見つめたままそう切り返した。乃梨子は思わず目をそらした。
「授業が始まるから行くわ。薔薇の館には頭が冷えるまで来なくて結構よ」
くるりと背を向け、静先輩は振り向くことなく立ち去った。それを乃梨子はただ見送った。
「あら、あなた。もう授業が始まる時間よ。早く教室に戻りなさい」
通りかかった先生が乃梨子を注意したので慌てて教室に戻った。ほんの少し担当の先生より遅れてしまったので注意されてしまったが、乃梨子にとってはそんなことはどうでもよかった。
あっという間に放課後が来て、掃除が終わったらさっさと帰ることにした。
「あ、乃梨子ちゃん。ちょっといいかな」
そう思っていた時に限って昇降口を出たあたりで黄薔薇さまと会ってしまった。黄薔薇さまは乃梨子と静先輩のことなど知らないとでもいうように微笑んでいる。
「すみませんでしたっ!」
深々と頭を下げて、身体を戻すと黄薔薇さまはきょとんとした顔で乃梨子を見ていた。
「どうしたの?」
本当に黄薔薇さまは知らなかったみたいだが、もう何でもないとは言えない。
「ええと……昨日私がコーヒーの入ったカップをひっくり返して駄目にしてしまった書類の話は……ご存知ないのですか?」
ああ、と黄薔薇さまは納得したように言った。
「あれは吹奏楽部に原本があって提出してもらったのはコピーの方なの。事情を話してもう一回コピーをもらったから大丈夫」
あっ、あんなに落ち込んだのにぃーっ! 悩んだのにぃーっ!!
別の意味で頭が真っ白になった。
「そ、そうだったんですか……」
気が抜けて尻餅をつきそうな乃梨子を黄薔薇さまは笑って支えてくれた。
「じゃあ、本題に入っていいかな?」
「本題?」
「乃梨子ちゃんが疲れてきてるみたいだったから少し休ませてあげようって話。今日はお休みにして、来週も私たちが行けそうな日は休んでもいいって白薔薇さまから聞いてない?」
「そ、そういう意味だったんですか?」
飛び上がるぐらいに乃梨子は驚いて聞き返した。
「どういう意味だと思ったの?」
「ですから、その……コーヒーで書類を駄目にしたから謹慎してろとか、そういう意味かと」
黄薔薇さまはそれを聞いてぎょっとした顔になって聞いてきた。
「あの程度でそんなにひどく叱られたの?」
昨日からの悩みが「あの程度」……って。第三者から見たらそんなに馬鹿馬鹿しいことを引きずっていたというのだろうか。
「いいえ、叱られませんでした。今日、偶然会って話をしたら始めは気にしなくていいって言われたんですが、いろいろ話してるうちに『頭が冷えるまで来なくていい』って」
そう乃梨子が言うと黄薔薇さまは何かに思い当ったような顔をした。
「そういうこと」
「別に喧嘩したわけでは――」
「わかってる。乃梨子ちゃんも必死だろうけど白薔薇さまもまだ余裕がないからね」
「余裕が、ない?」
「お姉さまがいないで選挙で山百合会に入った白薔薇さまと、外部入学の乃梨子ちゃんの組み合わせでしょう。想像するだけで大変そうだよね。二人ともよくやってるよ」
初めて姉妹を持ったのは乃梨子だけじゃなくて静先輩もだった。それは知識としては知っていたがそのことについて考えたことはなかった。
「そう見えますか」
「うん。昨日も部活のはずなのに薔薇の館にいたでしょう。乃梨子ちゃんが心配だから切り上げたんだろうね」
昨日は書類のことで一杯でそこまで頭が回らなかったが、そういえば合唱部の日だった。
「そんなに私のことが不安なんでしょうか」
「そうじゃなくて。乃梨子ちゃんは知らないかもしれないけど、白薔薇さまって中等部までは歌一筋で委員会はやってなかったし、部活の方を優先してクラスの仕事は全部辞退したりしてたんだよ。高等部に進学しないで声楽の学校に行くって噂も流れたことがあったっけ。今は進学して図書委員や山百合会の仕事もやってるけど将来はやっぱりプロになるらしいし。だから、山百合会と合唱部なら迷わず合唱部を選んで当然でしょ? それが切り上げちゃうだなんて。そんなことをさせちゃうのは乃梨子ちゃんしかいないの」
今まで好きなことだけしてきた静先輩。
好きなことだけをすると宣言した乃梨子。
それはどこか似ているようにも思える。
「何があったか知らないけど、お互いに逃げないで正面からぶつかって行けるなら心配する事なんてないね。それに蟹名静には二条乃梨子が必要なんだし」
乃梨子は言葉を失っていた。
今までまともに静先輩とぶつかった事なんてなかった。
卒業までの付き合いだからと静先輩と向き合って真剣にいろいろと考えてこなかった。それを逃げというのであれば乃梨子は静先輩から逃げていた。
向こうは乃梨子の面倒を見ようと両手を広げて待っていてくれていたのに、乃梨子はその手を無視していた。だから静先輩の言葉の意味を勝手に解釈して見当違いのことを言って、結果、頭を冷やせなんて言われてしまったのだ。
「ま。今日ぐらいは休むのが今の乃梨子ちゃんの仕事だと思って早く帰ってゆっくりして」
マリア像の前まで黄薔薇さまに連れていかれてしまった。お祈りを済ませ乃梨子が銀杏並木の方に歩きだすのを見届けると黄薔薇さまは薔薇の館の方に歩いていった。
とにかく帰って休んで、それから週明けには謝ろう。乃梨子はそう決めた。
月曜の朝、乃梨子は早く登校し、真っすぐ薔薇の館に向かった。
階段を上っていって扉を開けると静先輩がもう来ていた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう――」
乃梨子が謝罪の言葉を口にする前に静先輩は乃梨子に段ボール箱を持たせた。
「な、何ですか?」
「ソフト部に差し入れに行くのよ。早くしないと試合に行ってしまうから、急いで」
静先輩はそういうとさっさと薔薇の館を出ていく。
慌てて箱を持ったまま追いかける。
ちょっと離されたが、駐車場のところでソフト部の顧問と静先輩が話をしているのに追いついた。
「これ、山百合会からの差し入れです」
「いつもありがとう」
車に差し入れの箱を乗せると先生は走り去った。
出鼻を挫かれた格好になったが、乃梨子は改めて謝ろうとした時、静先輩はファイルを乃梨子に手渡した。
「今日の昼休みに使うからコピーしてきて。私はクラブハウスに寄ってから戻るわ」
そういうと小走りでいなくなってしまった。
乃梨子は急いで仕事を終えて薔薇の館に戻る。
「昼休みに会議の事前打ち合わせがあるからそれまでにそれを綴じて」
ステープラーを渡された。
「あの」
「左上一か所」
「そうじゃなくてっ、ごめんなさいっ!!」
乃梨子は叫びながら体を九十度に折り曲げた。
静先輩は黙っていた。
「先週末のことも書類のことも色々突っかかったこともとにかく今までの色々を許してください。お姉さま」
一気に乃梨子は言った。
いつまでも頭をあげない乃梨子の肩に静先輩の手が触れた。
「その体勢じゃ辛いでしょう。とにかく、頭をあげなさい。それとも顔を見ないで話をしたいの?」
頭をあげて静先輩の顔を見るとちょっと呆れたような表情で乃梨子を見つめていた。
「あ、あの?」
「許すも何も。あなたがあなたの中で結論を出してこうしないとって決めてきたんでしょう。だったら、受け入れるしかないじゃないの」
「そ、そんな押しつけがましいつもりじゃなかったんですけど」
「案外手がかかる妹よね。それとも、妹ってこんなものなのかしら?」
静先輩は四方八方から乃梨子の顔を眺めた。
「何ですか? いつも見てるだけじゃ足りませんか?」
「おまけに意外と寂しがり屋さんだし」
「私はそんなこと――」
急に白いものが目の前にあった。
それが静先輩のセーラーカラーで、なぜこの距離にあるのかというと、抱きしめられているからという結論に達するまでに時間を要した。
「な、何を!?」
「可愛い妹だって言っただけだったら信じてくれなかったじゃない。こうやったら可愛がってるって、少しは信じるかと思って」
ギュッと強く抱きしめられて、ドキドキしてきた。女性同士なのに。いや、女性同士だから?
「ごきげん――キャッ!」
「あらら、朝からお熱いこと。お邪魔だったかしら」
背後の声は黄薔薇姉妹だ。慌てて乃梨子は腕を振りほどいた。
静先輩は笑っている。顔が紅潮してくるのがわかる。乃梨子は気付かなかったが静先輩は黄薔薇姉妹が来るのに気づいてやったらしい。
「お、お姉さまっ!?」
「いいじゃないの。これくらい」
黄薔薇姉妹はニヤニヤしている。
うう、朝からこんな目にあうなんて……くっ。お姉さまってこんなものなの?
ところでこの日、もう一つ薔薇の館で動きがあった。それは放課後のことだった。
「ごきげんよう」
祐巳さまが薔薇の館にやってきたのだ。
「今まで来られなくてごめんなさい。私は今までお姉さまのことばかり考えていたけどそれは間違ってたってことに気がついて、そうしたら無性に何かしたくなってここに来ました。虫のいい話かもしれませんが、お仕事をさせてください」
静先輩に向かって祐巳さまは頭を下げた。
「あなたは紅薔薇のつぼみなのでしょう? お仕事はいっぱいあるんだから、悪いと思っているなら早く手伝ってほしいわ」
今朝の乃梨子もこんな感じだったのだろうか。紅薔薇さまは欠席していると聞くが祐巳さまは何だかすっきりとした表情になっていた。
「はい」
元気よく返事をして祐巳さまは静先輩の指示で仕事を始める。
「いっぱいありますね。お手伝いが必要なくらいですね」
「そんなことを考える前に自分が妹を作ろうって発想はないの、祐巳ちゃん」
「うわ。言われちゃった」
肩をすくめて祐巳さまは苦笑いしている。
「急に妹だなんて言われても……あ。妹にするかどうかは別にして私専属の助っ人を連れてくるっていうのは駄目ですか?」
「駄目とは言わないけど、黄薔薇さまにも許可を取った上で連れて来て頂戴」
「はい!」
その時、祐巳さまが誰を思い浮かべていたのか乃梨子は知らなかった。
その人物が誰かを知ったのは二日後の昼休みだった。
「私がスカウトしてきた助っ人の一年椿組松平瞳子ちゃんです」
目が点になった。
この二人、今や高等部中の人間が知る噂話では紅薔薇さまを取り合う正妻と愛人のような関係だとされているのだ。
教室を出る時、瞳子がどこかへ行くのを見かけたが、ミルクホールによく飲み物を買いに行くので今日もそうだと思っていたから驚いた。
祐巳さまの親友の由乃さまでさえ真意を測りかねたような表情でいるし、黄薔薇さまも困惑気味。静先輩は面白いことになったというように微笑んでいる。
昼休みと部活のない日、瞳子は薔薇の館にやってきて祐巳さまの横で仕事をしていくようになった。乃梨子は立場的にはつぼみだが、学年が下ということもあるし、祐巳さま専属ということであまり関わらないようにしていた。
「あの松平瞳子が紅薔薇のつぼみと一緒に薔薇の館に行ってるって本当?」
「本当は仲が良かったのかしら?」
「もう、あの噂はなんだったの?」
「松平瞳子って、紅薔薇のつぼみの座を狙った松平瞳子でしょう? 紅薔薇のつぼみの妹になれば紅薔薇さまに可愛がってもらえるからじゃないの?」
「そういうこと? 紅薔薇のつぼみはそれをお許しになるのかしら?」
紅薔薇のつぼみと瞳子を巡る噂がまた流れている。
本人たち、というより祐巳さまはそういうことに無頓着なのか全く気にしないで瞳子を妹のように連れ回して仕事をするものだから尾ひれがついて前の噂とミックスしているから何だかよくわからない話になっていた。
この状態、いつまで続くんだ。そう思っていた土曜日の放課後。
『高等部二年松組福沢祐巳さん。至急職員室まで来てください』
掃除が終わって帰る頃全校放送が流れた。
自分は福沢祐巳ではなかったが、よく知っている名前だったので、「何事か」と思って乃梨子は職員室に向かった。
「あ、ごめんなさい」
乃梨子は勢い余って一人の女性とぶつかりそうになった。スーツ姿の若い女性でなかなかの美人さんだ。
「いえ、こちらこそ」
「ごきげんよう。お久しぶりです、蓉子さま」
乃梨子の背後から静先輩が呼びかけた。知り合いなんだろうか。
「ごきげんよう。この子はあなたの?」
「妹です」
「そう」
後から来た黄薔薇さまや由乃さまも丁寧に挨拶し、それがすむのを見計らって多くの生徒が彼女を取り囲む。
「水野蓉子さま。春に卒業された紅薔薇さまのお姉さまよ。周りにいるのは彼女のファン」
小声で乃梨子に静先輩が教えてくれた。
ああ、この人が。と乃梨子が思っていると祐巳さまがようやく廊下の向こうからバタバタと急ぎ足でやってきた。
「紅薔薇さま!?」
「ごきげんよう、祐巳ちゃん。久しぶりね」
「い、いったい、どうなさったんですか?」
「迎えにきたの。一緒に来てちょうだい」
「え? でも、私は職員室に――」
「勘が鈍いわね」
苦笑しながら蓉子さまは一刻を争う事態のため祐巳さまを捕まえるために校内放送をお願いしたと説明していた。
「ねえ祐巳ちゃん、祥子を助けてくれる気、ある?」
「ありますっ」
「じゃ、来て」
祥子とは紅薔薇さま。ということは紅薔薇さまに何か大変なことが起きているのだろうか。しかし、医者でもなんでもないただの女子高生の祐巳さまに一刻を争う事態とどう立ち向かえというのか、この人は。
祐巳さまは由乃さまからカバンを受け取ると蓉子さまに従って行ってしまった。
「どういうことなんでしょう?」
「さあ? できるのなら月曜日に本人たちに聞いてみたら?」
静先輩はクスリと笑った。
明けて月曜の朝、静先輩の言うとおり紅薔薇さまが久しぶりに薔薇の館に戻ってきて、隣には嬉しそうな祐巳さまの姿があった。
「ごめんなさい。家の方で色々とあって学校を休んでいたの。でも、もう大丈夫よ」
優雅に紅薔薇さまは微笑んでいる。
「大丈夫じゃないよ。これ、どうするの」
どどどん、と残っていた仕事を指して黄薔薇さまが聞く。
「だから、大丈夫だって言ってるじゃない。この私がついているのだからこの程度の仕事なんてすぐに終わらせることができるわよ」
頼もしいのだか、ハッタリなのかよくわからなかったが、その日から仕事は順調に減っていった。
「どうぞ」
「ありがとう」
仕事が落ち着いたある日の放課後、乃梨子は祐巳さまと二人で他のメンバーを待ちならお茶を飲んでいた。
「あの、聞いてもいいですか」
「何?」
「紅薔薇さまが戻ってくる前、紅薔薇さまのお姉さまが『一刻を争う』って祐巳さまを連れていかれましたけど、一体祐巳さまは何をなさったんですか?」
「話はしたけど、それ以外は特に何も」
「話だけですか」
「うん」
まあ、普通の女子高生にできることってそんなものだろうけど、乃梨子は拍子抜けした。
「『姉は包んで守るもの、妹は支え』ってね。妹は何もしないで側にいて見ているだけでいいんだって。そして、何かしてほしいって時にしてあげればいいって蓉子さまが言ってたんだ」
「妹は、支え」
新入生歓迎会の時、静先輩は乃梨子に隣にいるように言った。歌い出す前乃梨子を見て微笑んだ。
それがどういうことなのか静先輩と向かい合ってなかったから全然気付かなかった。
蟹名静には二条乃梨子が必要だという意味がようやくわかった気がした。
自分がこの場所で必要とされている。
そう思うと胸がドキドキしてきて、手で胸のあたりを押さえた。かけてあるロザリオが制服越しに手に当たって、もっとドキドキしてきた。
【No:3405】へ続く
山百合会より映像が流出、動画サイトで閲覧可能になっていた。気がついた祥子さまは激怒、犯人探しが始まった。
「図書館のコンピューターが使われたそうよ。ここまでわかったらもう時間の問題よね」
志摩子の言葉に乃梨子は激しく動揺していた。
「乃梨子、どうしたの?」
「……なんでもありません」
「私はあなたのお姉さまだから、妹のことは知っておかなくてはならないのよ」
「……私がやりました」
衝撃の告白を受け乃梨子への事情聴取が始まった。
「私がやらなければあの動画が闇から闇へ消えてしまうのかと思うと耐えられなくて」
同時に乃梨子の無罪を支持する署名活動が始まった。
「生徒の八割が支持しているんです。罪に問うべきではありません」
いよいよ処分発表という時に乱入者があった。
「お待ちなさい」
卒業生先代紅薔薇さま水野蓉子さまだった。
「この動画は何?」
ファーストフード店内。
祐巳『ポテトは手でつまんでいただきます』
祥子『お行儀悪いわね』
祐巳『そういう作法です』
祥子『……そうだわ。祐巳、口を開けなさい』
祐巳『へ?』
祥子『へ、ではなく、あ〜んでしょ』
祐巳『あ、あ〜ん……モグモグ……ではお返しにお姉さまも』
祥子『そ、そうね。あ〜ん……』
流出した動画だった。
「祥子、あなた。これは私にはやらなかったわよね」
「え……いえ、そ、それは」
「やらなかったわよね?」
「わっ、わかりました! 次の日曜日に系列の店を借り切って善処いたします」
問題がすり替わり、結局問題自体が闇から闇へ消えていったのであった。
「蔦子さん、私得写真の隠し撮りを」
「祐巳さん。私に死ねと?」
というやり取りもついでに闇から闇へ消えていったとか。
「マホ☆ユミ」シリーズ 「祐巳と魔界のピラミッド」 (全43話)
第1部 (過去編) 「清子様はおかあさま?」
【No:3258】【No:3259】【No:3268】【No:3270】【No:3271】【No:3273】
第2部 (本編第1章)「リリアンの戦女神たち」
【No:3274】【No:3277】【No:3279】【No:3280】【No:3281】【No:3284】【No:3286】【No:3289】【No:3291】【No:3294】
第3部 (本編第2章)「フォーチュンの奇跡」
【No:3295】【No:3296】【No:3298】【No:3300】【No:3305】【No:3311】【No:3313】【No:3314】
第4部 (本編第3章)「生と死」
【No:3315】【No:3317】【No:3319】【No:3324】【No:3329】【No:3334】【No:3339】【No:3341】【No:3348】【No:3354】
【No:3358】【No:3360】【No:3367】【No:3378】【No:3379】【No:3382】【No:これ】【No:3388】【No:3392】
※ このシリーズは一部悲惨なシーンがあります。また伏線などがありますので出来れば第1部からご覧ください。
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。
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☆
〜 10月3日(火) 12時10分 暗黒ピラミッド 最下層の1階上 〜
聖と志摩子が必死の形相で蓉子と江利子の体に止血剤を塗る。
そして、ソーマの雫を口に含ませようと・・・。 しかし自力で飲めない二人のために口移しで飲まそうとしていた。
だが、全く動かない二人はソーマの雫を飲むことが出来ない。
だらだらと口の端からこぼすだけ。
そんな様子を祐巳は祥子の体を抱きしめながら見ていた。
「うそだろ・・・。 ねぇ、祐巳ちゃん! 3人ともこれで死んじゃうの?!」
聖が祐巳に問いかける。
この場で、医療魔術を使えるのは祐巳だけなのだ。
しかし、その祐巳は自分自身で祥子を刺し貫いたことがショックなのか、ぼんやりと宙を眺め全く動かない。
「なんでもやってみて! 祐巳ちゃん! このままじゃ、ほんとに3人とも死んじゃう!!」
聖が大声で祐巳を叱責する。
しかし、そのときには既に、祐巳は小さな声である言葉を綴りはじめていた。
『ねぇ、この場所に氷の精霊さんたちが居たらわたしに力をかしてくれないかなぁ?
わたしは福沢祐巳。 ”エアリアル” のお友達は居ない? わたしにみんなの力を・・・、仮初の死を与える力を貸して。
わたしのお願いしたいことは、わたしの大好きだったこの3人が生き続けることなんだ。
時を止め、流れを止め、鼓動を止め、救いの猶予を与えてくれない?
凍える氷の棺を3人に与えて。 しばらくの間でいいの。 静かに眠らせて。 お願いします』
「祐巳・・・ちゃん・・・」
聖はまるで夢を見ているような眼でぼんやりと不思議な言葉を呟く祐巳を見る。
まるで、精神をどこかよその世界に忘れてきたかのような雰囲気の祐巳。
その祐巳の周囲に、白く冷たい氷の結晶が舞い始める。
次第にその氷の結晶があつまり、巨大な狼の姿をとる。
氷の最高精霊 ”フェンリル” の姿。 氷雪の魔狼は祐巳の背後で静かにたたずむ。
「よかった・・・。 お願い!『Suspend・Frow - The life is stopped in the place!』」
祐巳の呪文を聞いた瞬間、氷雪の魔狼・フェンリルは再度氷の結晶に姿を変えたかと思うと蓉子、江利子、祥子の3人の体を覆い尽くす。
祐巳の呪文が終わると同時に、まるで瞬間冷凍された氷の彫刻のように固まる3人の姿。
「聖さま、志摩子さん、とりあえず、三人は氷の棺に入りました。 止血剤での初期治療は終わってますけど、内臓が全部なくなってるので・・・。
内臓がなくなってるからソーマの雫は意味ないんです。 だからこのままじゃ死ぬのを待つだけです。
なんとか、助ける方法を考えたいんですけど、時間がありません。
今は、氷の精霊の力を借りて仮死状態にしていただいています。
・・・ これで絶対にソロモン王を倒さないといけなくなりました。
わたしたちが死んじゃったら、この氷の棺、本当の棺になっちゃいます」
「わ・・・わかったわ。 でも今の呪文、聞いたこともない。 いったいなんだったの?」
聖は驚いた顔で祐巳に聞く。
「えっと。 今、耳元でティターニア様の声が聞こえたんです。
『エアリアルの名前を出して氷の精霊に頼みなさい』って。
最後の呪文は、きっと妖精の秘呪文だとおもいます。
なぜか不思議に魔導式が頭に浮かびました。 どうしてかは・・・わたしにもわからないです」
「そう・・・なの。 まぁ理由はわからないけど、とりあえず三人は即死した、ってわけじゃないのね?
わたしたちが生きていれば、また三人を救うことができるかもしれない、ってことよね?」
「はい。 でも、まだ自信はないです。 さっきも言いましたけど内臓がなくなってるから再生できるかどうか・・・。
それより、このまま三人をここにおいて置くのは危険です。 どうしましょう?」
祐巳が困った顔で聖を見上げる。
「ソレクライナラ 我ガ チカラヲ 貸ソウ」
そう声をかけながら近づいてくる金色の肌、黒い髪の青年。
「マルバス! 無事だったのね?」
祐巳が嬉しそうに青年に声をかける。
「え! これがマルバス?! さっきまでと全然姿が違うじゃない!」
「フフン・・・。 我ハ、思ッタママニ、姿ヲ 変エラレル。
フクザワユミ。 アナタニハ、二度モ命ヲ救ワレタ。
ソレニ アナタノ 傍ニイルト ナゼカ ココチヨイ。
我、ココニ アナタニ 忠誠ヲ チカオウ。 ナンナリト 命ジルガヨイ」
魔王・マルバスが片膝を折って祐巳に頭を下げる。
「ありがとう。 マルバス。 じゃさっそくだけど、おねえさまたちを地上に戻してきてくれるかな?
地上には騎士団の皆さんが居るから、そこに運んで。
えっと。 でも、マルバス、攻撃されちゃうかもしれないけど、人間を襲っちゃダメだよ?
ん〜。 そうだ! おねえさまのこの杖を持って行って。 手形代わりにはなると思うから」
「フフフッ。 ワカッタ。 アナタタチ 以外ニ 我ニ 傷ヲ オワセルホドノ 人間ガイルトモ 思エン。
安心シテ マカセヨ。 デハ!」
魔王・マルバスは巨大なライオンの姿にもどる。
氷の棺の中で彫刻のようになった蓉子、江利子、祥子の三人をその背に乗せると、一陣の風のようにその場を去っていった。
☆
「祐巳さん、どういうことなの?」
マルバスの消えた方向を見ながら志摩子が祐巳に問う。
「えっとね、さっきお姉さまと麻痺薬を作ったあとのことなんだけど・・・」
と、上階であった事情を説明する祐巳。
「なるほどねぇ。 それで祐巳ちゃんは魔王・マルバスのご主人様になっちゃったわけだ。
もう、すごすぎて言葉も無いわ。 でも、ソロモン王は魔王たちを操っていたんでしょ?
マルバス、って信頼していいのかな?」
「それは・・・。 わかんないです。 でも、マルバスには邪気も何も感じないんです。
まるで、子供みたいに純粋で・・・。 魔王にもいろいろあるんじゃないでしょうか?」
「そっか・・・。 祐巳ちゃんがそういうなら、わたしたちも信頼しようか、ね、志摩子」
「はい。わかりました。 でも、結局蓉子さまの言ったとおり・・・。
この三人になっちゃいましたね。 わたしたちだけがソロモン王を倒しにいかなくちゃならないんですね」
「ううん、志摩子さん、三人だけじゃないよ。
わたしたちの後ろには・・・。 ううん。 わたしたちにはみんなの思いが託されている。
わたしたちは、みんなの思いに答えるためにここに居るんだよ。
妖精王も、ティターニア様も、それにここには闇の精霊 ”シェイド” たちも。
姿は見えないけど、どこに居てもわたしたちは支えられている。 だから、大丈夫! さぁ、行こう!!」
祐巳が立ち上がる。
次いで、聖と志摩子も。
いよいよ最終決戦。
最下層で待つソロモン王に挑む戦いが始まる。
☆
〜 10月3日(火) 13時 暗黒ピラミッド 最下層 〜
小さな足音が三つ。
次第に近づいてくるその足音をソロモン王は静かに聞いていた。
玉座に座る王の横に控えているのは大地の神、魔王・アガレスと、海の神、魔王・ウェパル。
「とうとう、我の使役する魔王たちもお前たち二人だけだな。
もともと、他の魔王など信頼もしていなかったが。
わしの理想の国はいったいどこにあるのだろうな」
静かな声で独り言のように呟く王。
アガレスとウェパルは何も言わず王の述懐を聞く。
王は座し、微動だにせず、ただただその解答を得るために思考を巡らせていた。
これまでに、三千年もすごしてきた膨大な時間の中で、いまだその答えの片鱗さえも見えてこない。
人間とは愚かなものなのか賢きものなのか・・・。
賢きものの作る理想の国はどのようにすれば建国できるのか。
結局、何千年経とうと、その答えなど出ないのかもしれぬ。
ソロモン王は、その寛大な御心でもって現状を甘受した。
もとより叶うはずの無かった願い、抱くことの無かった疑問だったのかも知れない。
魔界に落ちたことで、それに向き合う立場と時間を得たことは僥倖であったのだろう、と思う。
たとえ、永遠の時間を手に入れたとしても自分にはその答えが見えないだろう。
その答えにたどり着くには自分自身の知識の無さが原因なのか。
世界最高の知恵者と言われてさえなお、そこにたどり着けない自分。
ふぅ、とソロモン王は悲嘆にくれる。
この疑問は永遠に解けないものなのだろう。
きっとそれは、疑問そのものが不完全であるためなのだろう。
☆
最下層へ歩を進めながら祐巳が聖と志摩子に語りかける。
「ねぇ、二人とも十分回復はできました? 疲れているんなら少し休憩したほうがいいかも」
「いや、私は大丈夫。 さっき癒しの光を貰ったからね。 志摩子は?」
「わたしも平気です。 それより祐巳さんは大丈夫? 蓉子様の攻撃で肩を痛めたんじゃないの?」
志磨子は祐巳の肩の状態を心配する。 しかし本当は祐巳の心の傷のほうが心配だった。
仕方なかったこととはいえ、蓉子、江利子、それに最愛の姉である祥子の腹をえぐったのだ・・・。
祐巳は歩き始めてから一切涙はこぼしていない。
逆にそれが祐巳が無理をしていることの証明だと志摩子にはわかっていた。
幼い頃、涙を封印した祐巳。
自分のために流す涙に価値はない、そう言った祐巳。
自然に志摩子の頬を涙が伝う。
「祐巳さん、ごめん。 ちょっと待って」
こらえきれなくなった志磨子はその場に蹲ってしまう。
「志摩子さん、覚悟を決めてね」
祐巳は志摩子を振り返りもせずに言う。 それは芯のある言葉。
決して折れない祐巳の決意の言葉なのかもしれない。
(こうなったときの祐巳さんは強い・・・。 でもそのことが人一倍脆いことを私は知っている)
志摩子は思う。
(私にできることは祐巳さんを支えること。 最後まで守り抜いてみせるっ!)
「祐巳さん・・・。 死んだりしたら許さないんだから」
それは、なにも考えていないのにふと口をついて出た言葉。
「蓉子さまも、江利子さまも、祥子さまもきっと助かる。
地上にもどったらどんな手段を取ってでも、きっと助ける。
人間の力で無理だったとしたら、わたしまた妖精の国に行ってもいい。
世界中の医術を調べつくしてでも絶対に救う。
祐巳さんはひとりじゃないのよ!」
「志摩子さん・・・」
祐巳は急に切羽詰った顔で迫る志摩子に驚いていた。
「自惚れるのもいいかげんにしなさい、祐巳さん」
志摩子は自分でも驚くほど厳しい口調で祐巳を叱責する。
「あなたは神様でもなんでもないのよ? ただの女子高生なの。
そりゃあ、わたしより武術の腕前も上、魔法だってできる。
だからなんなの? 祐巳さんにだってできないことはいっぱいある。
後悔だってするし、手が届かない時だってある。願っても叶わないときがあれば、予想が外れることもある。
でも、そんなことはあたりまえのことなのよ?」
志摩子はなぜ自分がここまで言わなければならないのかようやく解り始めていた。
祐巳はなんでもできてしまったがゆえに、自己完結してしまったのだ。
それを祐巳自身もわかっている。 いやわかっていたのだが、さきほどの祥子たちとの一戦でまた元に戻ってしまったのだ。
そのことを志磨子は本能的に理解した。
だから、今、ここで祐巳を諭さないと大変なことになる。
「祐巳さんはひとりじゃない。
疲れたときや後悔したとき、そんなときはわたしがいるわ。 きっとそばにいるから。
私は弱いし、頼りないかもしれないけど、祐巳さんが間違えそうになったときにはちゃんと止めてあげる。
それを忘れないで!」
思いのたけを祐巳に語った志摩子は、最後ににっこりと笑った。
それは怒りと・・・後悔に染まってしまっていた祐巳の心を溶かすような笑顔。
「えへへ。 志摩子さん・・・。 マリアさまみたいな笑顔だよ。 ・・・かなわないなぁ」
祐巳の顔にも笑顔が戻る。
「ありがとう、志摩子さん。 わかってたはずなんだけどなぁ・・・。 わたしまたひとりで突っ走っちゃったんだね。 ごめん」
祐巳は素直に志摩子に頭を下げる。
心の傷が癒えたわけではない。 でもとても暖かなものに包まれた気がした。
「ありがとう」
祐巳はもう一度志摩子に礼を言う。
「ううん。 祐巳さんならきっと気づいてくれると思ったから。
ね、聖さま。 わたしたち二人で最後まで祐巳さんを支えましょう?」
「うふふ。 あなたたち、ほんとにいいパートナーになったね。
わたしたちも・・・。蓉子だって江利子だって、一人じゃなかったんだ。
みんなが支えあったから素晴らしい仲間になった。
だから、ここから先も私たちの力を合わせて行きましょう。 きっとうまくいくわ」
聖はまぶしそうに祐巳と志摩子を見ていた。
(やれやれ・・・。 スーパーガールは祐巳ちゃんだけじゃなく、志摩子もだったか)
聖の心にも暖かい炎が浮かぶ。
「さ、行こうか」
三人は再び最下層を目指して歩き始めた。
☆
「ふふふっ。 ほんの三、四十年の栄華・・・。 それだけを糧に三千年か・・・。
不老不死となるのは人間の最大の欲望ではないのか・・・。
この世の楽園を作る手段は不老不死となっても見えぬものか・・・」
ソロモン王はこれまでに数え切れぬほど悩んだことをまたしても口にする。
「いや・・・。 余が再度地上に戻ればこんどこそ夢の千年王国を作り上げて見せよう。
余をあがめ、余に従い、余の理想郷に骨身を惜しまず働くもの達の国を打ちたてよう。
堕落し、正邪もわからず余を疎んじるものはすべて排除する。
余のこの力・・・。 なんのために魔界に落ちたと言うのか。 なんのために72柱もの魔王を使役する力を得たと言うのか」
ソロモン王の雰囲気が変わる。
「そこな者どもよ。 自力で余の元にこれるものがおったとはな。
汝らも ”永遠の若さ、永遠の生命” が欲しいのであろう?
よい。 与えようではないか。 余に忠誠を尽くせ」
ソロモン王の前に、聖、祐巳、志摩子の3人が姿をあらわしていた。
☆
〜 同時刻 暗黒ピラミッド南入口 & 騎士団仮設本部 〜
水野蓉子たちがピラミッドに入ってからすでに3日、佐藤聖たちが入ってからすでに丸一日以上が経っていた。
藤堂志摩子が持っていったアナライズシステムにより途中まで通信が出来ていた地上本部であるが、進入隊がピラミッドの奥深く入っていったことですでに通信は途絶えている。
この間、ピラミッドの入口から魔王の出現は全く無い。
そのことは、途中でいったん騎士団本部へ負傷した支倉令と島津由乃を運んだ佐藤聖によっておおよその情報は得ていた。
薔薇十字所有者たちがピラミッドの奥底で激烈な戦闘を行っている。
しかも、すでに何体もの魔王を倒している、そのことは騎士団にとっての明るい材料ではある。
しかし、いかんせん通信が途絶えてからまったく音信の無いことは不安を駆り立てるものであった。
地上の騎士団本部では、再度支援隊を地下に赴かせるべきではないか、の意見が何度も出ていた。
その一方で、魔王が一体も出てきていないことを理由に、様子を注意深く見守るべき、という意見も多く、結論が出ないままであった。
地下から救出された支倉令と島津由乃は、佐藤聖に指示されたとおり、全身麻酔を施し拘束着を着せて、結界に封じている。
しかし、わずかな生命反応はあるものの、生きているのが不思議なくらいの状態。
呼吸数も、心拍数も極限まで低下し、医師団は延命させるのに必死であった。
☆
ピラミッドの南入口に巨大な獅子の咆哮が響く。
ソロモン72柱の第5位に位置する魔王。
ライオン王にして、36の悪魔の軍団を率いるという地獄の大総裁・マルバス。
ベルゼブブ、アスタロト、ベリアルの三大魔王にも勝るとも劣らないその覇気。
金色に輝く美しい毛並み、燃えるような瞳、子供の頭ほどもある巨大な爪。
「ついに・・・」
「やはり、全滅したのか・・・・」
「もう終わりだーーー!!」
騎士団に悲痛な叫びが響く。
魔王の出現、それはとりもなおさず水野蓉子たち、薔薇十字所有者が全滅し、魔王たちがいよいよ現世に進出する前触れと思われた。
だが、騎士団は信じられない言葉を聞く。
「我、ワガ主ノ 命ニヨリ ココニ 主ノ仲間タチノ 棺ヲ 運ンダ。
主ノ 言葉ヲ 伝エル。
『コノ者タチハ マダ 生キテイル。 カナラズ 助ケル。 心配セズニ 待ッテイヨ』」
魔王・マルバスは、 その背中から氷の棺を下ろしながら、騎士団に告げた。
「我ノ 言葉ハ 信ジラレヌダロウ。 主カラノ 伝言ダ。 コレヲ見テ 信ジテホシイ」
そう言いながら、マルバスは祥子の棺の上に 『ノーブル・レッド』 を静かに置いた。
魔王・マルバスを遠巻きに眺めていた騎士団であったが、マルバスに戦闘の意志がないことだけは良くわかった。
しかも、主の命令で、ここまで氷の棺を運んだ、という。
そして、その氷の棺に入っている者はまだ死んではいない、助かる、と言うではないか。
騎士団長がマルバスに問う。
「あなたの主の名前をおしえてはくれないだろうか?」 と。
魔王・マルバスは誇り高く騎士団長に答える。
「我ガ 主ノ名ハ フクザワ・ユミ。 我ガ 忠誠ヲ 誓イシモノダ」 と。
☆
〜 10月3日(火) 13時 暗黒ピラミッド 最下層 〜
部屋の中はおびただしいほどの松明に照らされ、煌々と光り輝いている。
松明は壁にかけられているはずなのに、その壁の向こうにも明かり見える。
奥行きがどこまであるかわからないほど広い部屋に見える。
しかし、以外にもその部屋はあまり広くないことに志摩子は気がついた。
この壁のせいだ・・・。 黒く光る壁が松明の明かりを反射し、何倍にも広く見せている。
広さの感覚が狂わされるその部屋は、実際には100m四方もあるかどうか。
部屋の後方には階段の上に玉座。 もちろんそこに座っているのはソロモン王だろう。
覚悟していたとはいえ、圧倒的な存在感を放つ世界最高の王と呼ばれた人物。
その王を前にして、緊張感にとらわれないものはいないだろう・・・。
いや・・・。 たった一人。 志摩子の横にその人物が居た。
「ソロモン王。 わたしは福沢祐巳。 あなたを倒しに来ました」
声は堂々と、背を真っ直ぐに伸ばして。
その声に志摩子と聖は勇気が心の底からわきあがってくるのを感じていた。
「同じく、藤堂志摩子。 ソロモン王、もう終わりにしましょう」
「佐藤聖だ。 これまでのわたしたちの苦しみ、そっくり返してやるから覚悟しな」
志摩子が、聖が、ソロモン王を見据え、決意のこもった声で言い放つ。
「まったく・・・。 なぜ余の期待を裏切るもの達ばかりなのだ?
”永遠の若さ、永遠の生命” を与えようと言うのに。 なぜ余に従わんのだ!」
ソロモン王が不機嫌そうな顔になる。
「たかが人間の分際で。 わずか数十年の生しか生きることの出来ぬ汝らがなぜ不死の余に逆らう?
汝らがいくら足掻き、余を倒そうとしても無駄だ。
汝らが死した後も、余はこの世に君臨し続けるのだ。 そんなこともわからぬのか?」
「ままごとの王様ごっこがしたいのなら魔界で遊んできてください。
ここは現世。 わたしたちの世界です。 この世界にあなたはいらない」
祐巳は敢然と言い放った。
「マホ☆ユミ」シリーズ 「祐巳と魔界のピラミッド」 (全43話)
第1部 (過去編) 「清子様はおかあさま?」
【No:3258】【No:3259】【No:3268】【No:3270】【No:3271】【No:3273】
第2部 (本編第1章)「リリアンの戦女神たち」
【No:3274】【No:3277】【No:3279】【No:3280】【No:3281】【No:3284】【No:3286】【No:3289】【No:3291】【No:3294】
第3部 (本編第2章)「フォーチュンの奇跡」
【No:3295】【No:3296】【No:3298】【No:3300】【No:3305】【No:3311】【No:3313】【No:3314】
第4部 (本編第3章)「生と死」
【No:3315】【No:3317】【No:3319】【No:3324】【No:3329】【No:3334】【No:3339】【No:3341】【No:3348】【No:3354】
【No:3358】【No:3360】【No:3367】【No:3378】【No:3379】【No:3382】【No:3387】【No:これ】【No:3392】+アフター【No:3401】
※ このシリーズは一部悲惨なシーンがあります。また伏線などがありますので出来れば第1部からご覧ください。
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。
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☆
〜 最終決戦 〜
「余が不死であることを知ってなお挑むと言うのか? おろかな娘よ」
あきらめにも似た表情でソロモン王が呟く。
「余の行動すべてが正義である。 余の戦いは常に聖戦である。
余が君臨する世界。 それは不幸も無く余に従うすべての人民が幸せに暮らす理想郷である。
なぜそれがわからぬ。 寛大なる余もいつまでも暴言を無視することは無いぞ!」
「あなたの理想論は、あなただけのものでしかない、とわからないのね?
ねぇ、ソロモン王。 人は死ぬものなの。 だから一度きりの人生を悔やむことなく生きようとするんだ。
それにね。 自分の意志がなくなった世界で生きたとしても、それは牢獄の中で生きるのと一緒なんだよ」
その強大なまでの威厳に満ちた王のオーラを受けてなお、毅然と言い放つ祐巳。
「そうか・・・。 愚か者には愚か者なりの理屈がある、ということだな。
よろしい。 汝らには永劫の闇を与えよう。 転生もかなわず深き闇の底で永劫に苦しむ生を与えよう」
ソロモン王は、脇に控える二人の魔王に何事かを語る。
静かに頷いた二人の魔王は玉座のそばを下り、部屋の片隅へと移動する。
「へぇ、自分ひとりで戦うつもり? そっちの二人の魔王に戦わせるんじゃないの?」
聖が挑発するようにソロモン王に声をかける。
「ふふふっ。 その二人に戦わせたら簡単に汝らを殺してしまうのでな。
言ったであろう。 永劫の闇を与えると。 余に逆らった罰だ。 無様に這い蹲り闇の底へ落ちよ」
ソロモン王は一声聖に声をかけると、玉座から立ち上がる。
と・・・、次の瞬間、玉座からふわりと舞い降りたソロモン王は殺気を全く感じさせないまま右手に握った細い杓杖を振るう。
「デス・タッチ」
それは、10年以上前、祐巳の父母を闇の底に落とした呪文。
ソロモン王は杓杖に暗黒の呪文を乗せ聖を襲う。
「あぶない!」
志摩子が真っ青になって叫ぶ。
「心配は要らない。 この程度、わたしにかすりもするものか」
”風身” でその死地から脱した聖が志摩子の隣に立って言う。
「でも、危険な攻撃だね。 あの杓杖には一切触れないほうがいい。 あれだけは受けちゃダメだ。 かわし続けるんだよ」
聖は志摩子にアドバイスをおくる。
志摩子の剣術はどうしても、相手の攻撃を受けてからの反撃を常とする。
それが、この杓杖からの攻撃は受けてはならない、そう、聖は言っているのだ。
(攻撃は受けないでかわす・・・。 まさか・・・。 蓉子さまの動き・・・。 このためだったの?)
志摩子は先ほどまで戦っていた蓉子の体裁き、攻撃手順を思い出す。
(蓉子さま、見ていてください! 蓉子さまの剣技、しっかり受け継いで見せますっ!)
志摩子の心に炎が宿る。
「とりあえず遠隔攻撃で援護する。 隙を見て斬撃を叩き込んでみよう」
聖は、ソロモン王から眼を離さず志摩子に言う。
「え・・・。聖さま、遠隔攻撃・・・って?」
聖の武器は短剣。 しかも得意なのは近接戦闘である体術のはず。 志摩子は一瞬耳を疑った。
「ふふっ。 わたしの『セイレーン』は、まともな短剣じゃないからね。 こんなこともできる・・・ 『デトネイター・サイクロン!』」
聖は、セイレーンの指輪と腕輪をつなぐチェーンを一気に引き伸ばし、すさまじい回転を与えながらソロモン王に突き出した。
そのとたん、セイレーンから細く強大な竜巻が生まれ、まるで鞭のようにしなりながらソロモン王を切り裂く。
聖のもつ唯一にして最大の遠距離攻撃奥義。
「わたしは ”疾風” どう、風の刃の切れ味は?」
ソロモン王の体は、風の刃によりずたずたにされ、まるで土くれのように崩れ去る。
しかし・・・ものの2,3秒もしないうちにその体は再生され、何事もなかったかのようにその場に存在する。
「なるほどね・・・。 蓉子が倒すのをあきらめるはずだわ。
やはり、物理攻撃は全く効かないか」
「ようやくわかったか。 愚かな者どもよ。 余に逆らうなど無駄なことだと思い知れ!」
ソロモン王は、再び杓杖を振るい聖に襲い掛かる。
「そうは言ってもねぇ・・・。 ねぇ王様、あなたの攻撃、ぬるすぎだよ。
わたしたちもあなたを倒せないけど、あなたの攻撃もちっとも当たらないよ?」
聖は ”風身” でかるく攻撃をかわしながらソロモン王を挑発する。
「ふむ・・・。 上手く行かないものだな。 まぁよい。 余には無限の時間がある。
そして、汝らは無限の時に押しつつまれ無残に果てる。 それこそ時間の問題だ」
ソロモン王は慌てるでもなく、余裕の表情で聖の挑発を受け流す。
「そりゃそうだ。 でもあなたはさっき一度死んだ。 そうでしょ?
こっちの都合もあるんでね。 あなたには何度も死んでもらう。 行くよ、志摩子!」
「はい!」
志摩子は聖の声が掛かると同時にソロモン王へ肉薄する。
それは、聖が遠距離攻撃で援護してくれるのを確信しての突撃だった。
「絶・螺旋撃!」 「デトネイター・サイクロン!」
聖の竜巻状の刃がソロモン王の腕を切り落とし、志摩子の 『理力の剣』 がソロモン王の頭蓋骨を粉砕する。
「ほ〜ら、又死んだ」
聖が馬鹿にしたように笑う。
しかし、志摩子が地面に着地したとたん、すでにソロモン王は復活を果たす。
「無駄、無駄、無駄、無駄ー!!」
ソロモン王は激怒しながら杓杖を振り上げる。
しかし、その都度、聖の風の刃に切り刻まれ、志摩子の剣で叩き潰される。
「すごい力を持ってることは認めるよ。 ソロモン王。
だけどね、ここまで来る途中にあった魔王のほうが、よっぽどあんたより強かった!」
「ふむ、やむを得んか・・・」
聖と志摩子に、十回を超える死を与えられたソロモン王は、ツーッ、と後ろに下がる。
「愚かな者とはいえ、その溢れんばかりの覇気に免じ、余への無礼を許そう。
永遠の苦痛の生を与えようと思ったがな。 では、一瞬の死を与えることにしよう」
ソロモン王の指に飾られた豪華な宝石に光がともる。
「ドライ・ハンド」
その大きな腕を天にかざしたかと思うと、ソロモン王は志摩子に向かって飛び掛り、腕を上空から叩きつける。
バシャッ! とまるで水面を叩きつけたような音。
志摩子がその攻撃を間一髪かわしたその場が・・・。 硬い漆黒の鉱物でできた床が一瞬にして砂に変わる。
そして、次の瞬間、杓杖で、志摩子の胴を薙ぐ。
「あぶない!」 と、聖が叫ぶより早くその場から半歩バックステップし、攻撃を避ける志摩子。
「蓉子さま直伝、寸距の見切り。 蓉子さまの攻撃に比べたらこんな攻撃、なんでもないわ!」
志摩子の顔にも自信が浮かぶ。
何ヶ月も祐巳と修行してきたのだ。 これくらい出来て当然。
しかも、死を決意した蓉子に先ほどまでその身をもって薫陶を受けたのだ。
「あなたの武力、わたしには及ばない! 『利剣乱舞!』」
志摩子の最強の攻撃がソロモン王を切り刻んでゆく。
切り刻まれ、復活し、またも切り刻まれる。
「志摩子! 無茶だ! 体力を温存しろ!」
休む間も無く剣を振り続ける志摩子に聖はあわてて声をかける。
「聖さま・・・」
と、これまでまったく攻撃もせず、魔法を使うでもなく戦況を見つめ続けていた祐巳が声をかける。
「わたし、わかりました。 決着の方法が・・・。 作戦どおりお願いします」
静かな・・・ほんとうに静かな祐巳の声。
「うん・・・。 わかった。 とりあえず志摩子を止めよう。 『ローズ・オブ・ヘブン』」
パチン、と聖が指を弾く。
ザーッと音がしたかと思うと、白薔薇が咲き乱れ、志摩子の体を覆い尽くしたかと思うと聖の傍らに引き寄せた。
「うわ・・・。 聖さま! なんてことするんですか!」
と、驚いた声で志摩子が抗議する。
「いやね。 ちょっとしたイリュージョン。 綺麗だったでしょ?」
と、こんなときだと言うのにニカッと笑う聖。
「祐巳ちゃんの準備ができた。 わたしたちは急がないといけないな。 じゃ、プレゼント作戦決行!」
聖がわざと軽薄を装い、パチン、と指を弾く。
その瞬間、どこにタネを仕込んでいたのか、3色の薔薇の花束がソロモン王、アガレス、ウェパルの目の前に現れる。
「それは、あなた達へ死をプレゼントする前のほんの心付け。 遠慮しないで受け取ってね」
と、聖がソロモン王とその側近に花束を渡した瞬間・・・
「『ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バルナヤ・ソワカ』・・・八大竜王・水流覇!!」
祐巳が龍索印を結んで水天ヴァルナの力を使い、八大竜王を同時召還。
ソロモン王の謁見の間は、ゴゥゴゥと耳を劈くばかりの水流の音。 その水流は壁にかけられた無数の松明を濡らしすべて消し去る。
「ルーモス・マキシマ!」
『フォーチュン』 から生み出された太陽のように明るい光玉が天井に打ち上げられ、あたりを昼間のように明るく照らし出す。
ボフッ、とくぐもったような音・・・。
「志摩子!今だ!!」
麻痺薬を爆破させた聖の掛け声。
「ホーリー・バースト! 秘技『影縫い・五色龍歯』っ!」
バババババッ、バババババッ、と2回の音。 江利子直伝の技がアガレス、ウェパルの二人の魔王の動きを止める。
「ふん・・・。 小賢しい真似を・・・。 もともとそこな二人の魔王に手は出させる気は無いと言うのに。
汝らなど、余一人で十分だ」
「ソロモン王・・・。 あなたこそこれで終わりです。
カビの生えたような選民思想。 それを持って魔界にお帰りなさい。
それと、一つ教えておきましょう。 現代はね、民主主義、っていう世界なのよ。
そこに、王様だとか、貴族だとか、生まれながらの身分の差なんて無いんだ。
独裁者は要らないんです。 すべての人間が尊重されるの。
一人の王様の下に人民がひれ伏す世の中じゃないの。
わたしたちはね、みんなが王様なんだ。 自分と言う領地を持つたった一人の王様。
だからみんな、シャン、と胸を張って生きているんだ。
”生きて” いるんだよ。
あなたの世界は ”死” の世界だ。 わたしたちは、”生” を守るため ”死” と戦う!」
「言うではないか、小娘・・・。
だが、そんな大口は余の前から生きて帰ってから言うことだな」
「もちろんそのつもりです、ソロモン王」
冷静に答える祐巳の額に脂汗が浮かんでいる。
祐巳はソロモン王と話しながら、頭の中で複雑な演算を組み立てていた。
それは、あまりにも膨大すぎる構成の魔導式を同時展開させるもの。
複雑な魔導式をジグソーパズルのように組み立てながら、それでもしゃべることをやめない祐巳。
(この演算が終わるまでソロモン王の攻撃は受けちゃダメだ・・・。
この場所から一歩でも動いたら魔導式が壊れる。 なんとか耐えなくちゃ・・・)
幸いなことに、ソロモン王は話をしている間は襲ってこない。
それが祐巳の狙いだった。
「人間はいつか死にます。 それが自然の摂理だからです。 死ぬことこそ完全な人間の証。
あなたがわたしたちに与える、といった 「永遠の若さ、永遠の生命」 をもつ体になっても、それはすでに人間じゃない」
「馬鹿なことを。 死なねばならぬ人間が永遠に生きられるのだぞ! それこそより上位の種になること。
高みに上がることなのだ。 進歩することを止めた人間こそが完全だと? それこそ堕落だ」
「わたしはね、あなたの言っている意味がわかったんだ。
永遠の若さを持つもの、それは人間じゃない。 じゃ何? それは死者でしょ?
あなたは、生きた人間を屍とし、それを操って動かしている。 その時間に縛り付けて。
どう? 正解でしょ?
そして魔界に落ちたあなたもそう。 3千年前にその頭脳も精神も縛り付けられている。
だからいくら体を破壊しても精神が3千年前に縛られたまま存在し続けていて復活するんだ。
・・・。
たいした精神力なのは認めます、王よ。
精神を残し、肉体を復活させる呪法を完成させたその頭脳にも敬服します。
でも、ほんとにこれが最後です」
しゃべり続けていた祐巳の体がふらつく。
あまりに難解で精密な演算に頭脳が耐え切れなくなっていた。
精神力だけで立っているが、それもほぼ限界に近い。
(まだだ・・・まだ・・・。 志摩子さん・・・助けて!)
それは、テレパシーだったのか。
すでに口がきけなくなってしまった祐巳を見てソロモン王の顔に冷酷な笑みが浮かぶ。
「言いたいことはそれだけか? 愚かな小娘よ。
いや、余の呪法を見抜いたのは汝が始めてだ。 それに敬意を払い余の最大の技で黄泉へと送ってやろう」
ソロモン王の両手にはめていた指輪が光り始める。
「ホーリー・バースト!」
いきなり志摩子がソロモン王の頭を弾き飛ばす。
「志摩子さん、聖さま、1分でいい!! 耐えて!!」
祐巳が必死で叫ぶ。
「OK!! 任せなさい!! うぉぉぉおおお! デトネイター・サイクロン!」
聖が再び強力な竜巻で復活しそうになっているソロモン王を切り刻む。
「ホーリー・バースト! 刹那五月雨撃ち!」
志摩子は江利子から最後に直伝を受けた技でソロモン王を撃ち続ける。
その時、祐巳の足元に巨大な魔法陣が現れ始めていた。
その魔法陣から上部へ眩いばかりの光の粒子が立ち上っている。
その中心に居る祐巳は・・・。 祐巳の髪の毛の色が抜け落ちていく。
もともと、やや色素の薄めだった髪が茶色から金髪を通りこし、白く脱色していく。
(脳が焼け付くように熱い・・・)
これまでも、恐ろしく複雑な演算はこなしてきた。 だが今回の魔導式はレベルが違う。
なにせ、3千年の時を超え、その場にとどまるたった一人の人間の精神を探し出さなければならないのだ。
(えへへ・・・。 わかっちゃった・・・。 これでチェックメイト・・・。
でも、あとで志摩子さんに泣かれちゃうかなぁ・・・。 どうしよう?)
ふっ、と祐巳がため息をつき、強大な呪文のための詠唱を始める。
「永劫の時を遡り我は求め訴える。 その者の精神を悼み、尊厳を持って埋葬しよう。
眠りという名の安息をもたらすために。
闇の精霊シェイドよ。我が前に道を示せ。汝の領域に踏み込むことを許せ。
我が敵の心に潜み給え。 その意思を挫かんがため。
永遠の精神の牢獄。 わが瞳を持って贖おう」
祐巳は長い詠唱を終え、左手に持つフォーチュンを魔法陣の中心に突き立てる。
硬い鉱物でできた床に深々と突き刺さる 『フォーチュン』
祐巳の詠唱を受け、最大の魔力を込められたフォーチュンの柄に組み込まれた宝石がサーモンピンクの光を放つ。
「志摩子さん、手を貸して!!」
真っ白に変色した髪、そしてなぜか片眼を瞑ったまま祐巳が志摩子に右手を伸ばす。
その瞬間に、志摩子は祐巳が何をしようとしているのかわかってしまった。
「早く!!」
祐巳が志摩子を怒鳴りつける。
「わ・・・。わかった!!」
志摩子はあきらめに似た決意をこめ、祐巳ももとに駆け寄る。
「私の呪文と同時に宝石を割って! いくよ!!」 祐巳の叫び。 それに頷く志摩子。
「我が瞳を暗黒の牢獄に! ソロモン王!いきますっ!! 『ワープ・プリゾン!』
志摩子は 『理力の剣』 を振るい・・・ 『フォーチュン』 の宝石を叩き割った。
ゴオォォォォオオォォォ・・・、と空気が振動する。
祐巳を中心に描かれた魔法陣から大量の光の粒子と、さらに多い数の闇のかけら。
部屋全体が振動し、ソロモン王を攻撃し続けていた聖のバランスが崩れる。
「祐巳・・・ちゃん、 志摩子!」
攻撃が出来なくなった聖があせって二人に声をかける。 聖の目の前でソロモン王が復活を終える。
しかし、復活したばかりのソロモン王の体に、砕かれた 『フォーチュン』 の宝石から生み出された光と闇の粒子がとぐろを巻く蛇のようにからみつき、その体を縛り上げる。
「むぅ・・・。 なんの真似だ! ふん! う・・・」
ソロモン王は光と闇の粒子の縛りから逃れようとするが身動きが取れない。
ソロモン王の体は光の粒子に縛られ、その体の中に闇の粒子が進入し始める。
「うぐっ・・・、ぐわぁあぁぁぁ」
ついにソロモン王の口から苦しげなうめきが漏れる。
(まだ、足りない・・・。 光の精霊よ、闇の精霊よ、もっと力を貸して!)
祐巳は右手に持つ 『セブン・スターズ』 で、まるで数字の8の字を横にしたようにな形を宙に描き始める。
セブンスターズの両端にはめ込まれた光の宝玉と闇の宝玉が呼応しながら共鳴を始める。
それは、祝部神社に古くから伝わる巫女舞、 『剣の舞』 であった。
祐巳の舞が次第に熱を帯びる。
祐巳は魔法詠唱を再度繰り返しながら舞い続ける。
祐巳の魔法陣がさらに輝きを増し、ソロモン王の体内に大量の闇の粒子が入り込んでゆく。
しかし、その時、宙に浮かんでいた 『ルーモス・マキシマ』 の明かりが力を失い、次第にぼやけてきた。
「まずい! タイムリミットだ!!」
聖の顔に絶望が浮かぶ。
「聖さま! まだです! わたしたちが祐巳さんを守らないと!!」
志摩子が叫ぶ。
部屋の中は、祐巳の魔法陣とそこから伸びた光の粒子でまだ明るい。
だが・・・ 。 部屋の隅で志摩子の 『五色龍歯』 で縫い付けられていた二人の魔王が動き出す。
「よし、わたしが ”アガレス” の相手をする。 志摩子は ”ウェパル” をお願い! ただし、絶対殺しちゃダメだ!!」
聖と志摩子は、最後に残った大地の神と海の神に戦いを挑む。
しかし、相手を倒してはならない戦い。 間違っても祐巳に攻撃をさせないような戦い。
それをここに来てこなさなければならないのだ。
聖の疲労は大きい。
『デトネイター・サイクロン』 は本来決め技として、戦いの最後に一回きり、のつもりで使う技。
その奥義をもう何発も・・・何十発も打ち続けている。
正直、立っているのが不思議なくらいだった。
だが、そんな状態でも聖の闘志は衰えない。 セイレーンを振るい、アガレスの攻撃を凌ぎきる。
一方、志摩子は不思議な高揚感の中に居た。
(わたしが祐巳さんを守る! 今度こそ、本当の意味で守るんだ! 絶対に負けはしない!)
志摩子の 『ホーリー・ブレスト』 が純白に輝き、背に大きな羽が広がる。
ウェパルの攻撃を間一髪でかわす。 剣の腹で突き出された腕を弾き落とす。
ウェパルの魔力により巻き起こされた水流を志摩子の羽が叩き落とす。
凄絶な防衛戦。 つらい戦いのはずであるが、聖と志摩子はこの戦いに喜びさえ見いだしていた。
「祐巳を守る戦い」である。
守るための戦いがここまで精神を高揚させるとは思ってもみなかった。
大事な人を守る、その気持ちがいつもより遥かに強い力を生んでいるのだ。
そしてその防衛戦が佳境に達した時 ・・・ ドンッ!! と大きな音。
祐巳の 『セブン・スターズ』 の一方の端、闇の宝玉から伸びた一条の鎖がソロモン王の体を刺し貫いたように見えた。
「囚われの魂に安らぎあれ・・・ 『スピリット・ブレイク・アイ!』」
祐巳が 『セブン・スターズ』 を躍らせる。
光の鎖と闇の鎖が今度は祐巳の体を取り巻き、収束していく。
「ぐぅ・・・。 ううぅぅぅ・・・・」
それは、苦痛をこらえる祐巳の呻き。
ボトリ・・・と小さな音がし、真っ黒な小さな球が祐巳の手のひらに落ちる。
ずっと、片目を閉じたまま呪文の詠唱を行い、セブンスターズで 『剣の舞』 を舞い続けた祐巳が片膝をつき、開いていたはずの瞳から真っ赤な血が零れ落ちていた。
・・・ そして、その先・・・
・・・ 祐巳のセブンスターズから伸びた闇の粒子に刺し貫かれていたソロモン王の体は・・・
・・・ 土くれのように瓦解し・・・
・・・ 二度と復活することは無かった。
「祐巳さん!!」
尋常ではない祐巳の様子を視界の端に捉えた志摩子は、ホーリー・ブレストの翼をはためかせ、祐巳のもとまで一直線に飛び、その体を抱きかかえる。
「えへへ・・・。 志摩子さん、終わったよ・・・。 ここ、もう持たない・・・。 早く逃げよう」
祐巳の片目からはおびただしいまでの血が流れ続けている。
「わかった! 妖精王のリングで飛ぶわ! しっかりつかまって! 聖さま、こちらに!!」
志摩子の叫びを聞いた聖は、一気に ”アガレス” から距離をとると右腕に志摩子、左腕に祐巳を抱きかかえ、 ”風身” で駆け抜ける。
志摩子は聖に抱き抱えられながらピラミッドの入口に設置した定点ポイントをイメージすると、その場から一気に転移した。
3人の消えたソロモン王の謁見の間に取り残されたのは、大地の神、魔王・アガレス。 そして海の神、魔王・ウェパル。
ソロモン王の体は既に土くれと化し、もうどこが頭でどこが体であったかすらわからない。
アガレスとウェパルは、顔を見合わせ思わず笑いあう。
彼らを縛っていたソロモン王はもう居ない。
3000年ぶりの自由を手にした二人は、地上に浮かび上がらせていたピラミッドの固定呪文を外す。
暗黒ピラミッドは静かに魔界へと落ちていった。
☆
ピラミッドの入口に設置された定点ポイントにワープした志摩子たち三人。
ワープを終え、その場に倒れこんだ三人は、巨大な腕に抱きかかえられ、地上に引き上げられた。
その瞬間、ピラミッドの上空で稲光が光る。
ゴゴゴォォォオオオオ・・・! と地響きを伴う大きな揺れ。
その揺れに飲み込まれるように、暗黒ピラミッドが地下へと落ちてゆく。
聖、祐巳、志摩子の三人を巨大な腕で引き上げたものは、三人を抱きかかえたまま池の底から一気に公園内に設置された仮設の騎士団本部に飛んだ。
その者、姿は巨大なライオン。 そして祐巳の忠実な僕となったマルバスであった。
「マルバス・・・。 無事でよかった・・・。 あり・・が・・と・・・」
祐巳は小さな声でマルバスに礼を言うと意識を手放した。
聖はすでに気絶している。 無理も無い・・・。 体中の筋肉が悲鳴を上げ続けた中で戦い抜いたのだ。
志摩子は気を失った祐巳を抱きかかえ、祐巳の瞳に手をかざす。
「マルバス! 祐巳さんの瞳から血が止まらない! なんとかして!!」
「ワカッタ。 ダガ・・・コレハ・・・」
マルバスは人間の姿に変わると、その右手に青白い球体を生み出し、祐巳の瞳に当てる。
「コレデ、血ハ 止マッタ。 スグニ 治療ハ 終ワル。 ダガ、コノアト オマエハ 悲惨ナモノヲ 見ルダロウ」
志摩子は、血の止まった祐巳の顔をハンカチで拭う。
しかし、祐巳のまぶたの上を拭いたとき・・・。 絶望的なことに気づく。
祐巳の左の瞳があった場所は・・・・・・ ポッカリと、虚が開いたように落ち窪んでいた。
ここは、都立武道館。
今行われているのは、剣道の春季大会決勝戦。
現在、先方同士の対戦が行われている。
「メーーーーン!!」
「パシン!!」
相手の選手に綺麗な面が入った。
「一本!!」
審判の声が会場に木魂する。
「やった〜〜!!」
その瞬間、会場や控え選手から大歓声が沸き起こった。
その他にも、「おぉ〜〜〜!!」などのどよめきも混じっている。
それもそのはず、今行われていた先方同士の試合時間、二本合わせて10秒経っていなかった。
弱小チーム相手なら可能かもしれないが、都大の決勝戦が相手にこの速さは以上である。
そして、この偉業を成し遂げたのが、まだ入部したての一年だった。
それも驚きである。
入部して即レギュラー、試合の先手をとる重要な役目を任されているのだ。
試合が終わり、礼をして引き返してくると面を取る。
「キャッ〜〜〜!!」
っと言ったような悲鳴に似た歓声が広がる。
少女は、試合があったというのに汗一つ掻くかず、次の試合を見つめている。
その容姿は、大和撫子を体言するような、丹精の整った面持ちだった。
誰もが羨むような容姿を持ち、スポーツも万能、学力も高いと言うこの少女は・・・。
リリアン女学園高等部一年
島津由乃
であった。
・・・・・
・・・
・
由乃は、生まれた時には心臓に疾患を患っていた。
人並みの運動どころか、少しのことで体調を崩し、悪いときには直ぐに入院しなければならなかった。
入院生活は、由乃にとって退屈な時間でしかなかった。
お見舞いに来てくれるのは、両親と従兄弟の支倉家だけだった。
入院生活を繰り返しているため、学校にも行けず友達もいなかった。
することといったら、本を読む、テレビを見る、睡眠をとることしかできなかった。
テレビ番組でスポーツを見ては、自分も人並みに運動したいと、常に思っていた。
そんなある日のこと、由乃は何かに圧し掛かられているような感覚に目を覚ました。
そこは、当たり前だが病院のベットだった。
眠気眼でお腹の方を見ると、そこには自分と同じ年くらいの少女が由乃のお腹の上で眠っていた。
(この子、誰だろう?)
由乃は、長い入院生活の中で初めて見る女の子だった。
(こんな子、入院していたかな?)
しばらく、女の子を見て考えていたが、やはり分からなかった。
起こそうか迷っていると。
「んっ、うぅん・・・」
顔をこちらの方に向けて、そのまま眠り続けている。
(あっ、可愛い)
その容姿は、同年代の由乃が見ても可愛いと言わせる程だった。
寝顔は、笑みを浮かべ、まるで天使のような寝顔。
由乃は、少女が起きないように気をつけながら身を起こすと、少女の髪を撫でながらその顔を眺めるのだった。
一時間程たって、ようやく少女が目を覚ました。
「んっ・・・。ん??」
少女が、目を擦りながら辺りを見回している。
「目が覚めた?」
由乃は、少女の行動に微笑みながら問う。
「ごめんね、由乃ちゃんの寝顔を見ていたら眠くなっちゃって」
てへっ、と悪戯したのを見つかったみたいな顔をしているが、その顔がまた少女には似合っていた。
(んっ??)
「あなた、何で私の名前を知っているの?」
「ん?・・・あぁ〜〜、だってそこに書いてあったから」
(えっ?)
由乃が振り返ると、確かにベットの上のネームプレートに「島津 由乃」と書いてあった。
「なるほど、確かに・・・。」
「でっ、あなたのお名前は?」
「私?えっとね〜私の名前は・・・」
そのとき、「やっと見つけた!!」と叫びながら、看護師さんが入ってくる。
「あっ、まずい!?」
少女が慌てだした。
「えっ?どうしたの??」
「ごめんね。また今度!!」
っと言うと少女は風のように去っていった。
「こら〜〜!!待ちなさい!!」
看護師さんも少女を追いかけていく。
「・・・」
由乃は唯呆然と、少女と看護師さんを見送るしかなかった。
1時間程たった後、母がいつものように見舞いに来た。
「今日も元気?」
母がそう問いかけながら、病室へと入ってくる。
しかし、気づいていないのか由乃の反応が無い。
「どうしたの?」
「えっ!?」
そこでようやく母が来たことに気がついた。
「いらっしゃい」
母は由乃の顔を見て驚いた。
いつもだったら、ムスッとしているか、無表情のどちらかだが、しかし今日に至っては、何処かしら楽しそうな表情をしていた。
「どうしたの?」
「うんん・・・、それより何か良いことあったの?」
母が問いかけると、由乃は目を瞬かせた後、「うふふふ」と笑い出した。
そして、一言
「内緒」
と言ったのだった。
それを聞いた母は
「そう」
っとこちらも一言だったが、優しく温かみのある微笑を由乃に向けるのだった。
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【選択権のない主人公蓉子】
会議室にマリみてのキャラクターが勢ぞろいしていた。
蓉子は縄でぐるぐる巻きにして縛られていて、他の人は輪になっている。
「えー、今日は蓉子シバリSSの詰め合わせです。内容は作者曰く『誰得で非日常的な内容のため、あなたの蓉子さまへの愛が試されます』だそうです」
司会進行なのか聖が仕切っていた。
「ちょっと、なんで私のこと縛り上げて勝手に変なこと決めてるのよっ! シバリってこういう意味じゃないでしょ!」
もちろん蓉子は黙ってはいない。
「では、皆さん演目をくじを引いて決めてください」
しかし、スルーされた。
「待ちなさいっ! なぜみんないそいそとくじ引いてるのっ!! 祥子、縄を解きなさい!」
「お姉さまと夫婦役か恋人役ある演目は……聖さまっ、姉妹じゃないんですから自重なさってくださいっ!!」
祥子は最近自分の欲望に正直になりました。こらっ!
「祐巳ちゃん! この縄をほどいてっ!!」
「あの、肉体的な接触ができる演目はどれですか?」
誤解されるようなことを言わないで、祐巳ちゃん。
「くじの中身選んだりできないから」
「ちょっと、私の話を――」
「折角だから濃厚に絡める役がいいですね」
「18禁はないんでしょう。じゃあ、適当でいいわ」
「あれ? セミヌードあるヤツどれだっけ?」
「あれは殺人シーンがあるからやめたんでしょう?」
「キーがキーだから12禁ぐらいまではOKですよね」
「あー、私の出番はどうなるんです」
……マリア様、私はどうなってしまうんでしょう。一発目なのに帰りたくなりました。というより、帰らせてください。
【蓉子さまのお言葉】
「聖とか祥子の詰め合わせキーがでたら同じ目にあわせてやるっ!」
【封印を解かれし蓉子】
南米のピラミッド。
探検家の築山三奈子はついに暗号を解読し最深部に辿り着いた。
「ここが隠し部屋……」
「ええ。噂では聞いていましたが、まさか本当にあるとは……」
同行している考古学者の武嶋蔦子が答えた。
「早く行きましょう」
助手の山口真美が急かす。
「待って。トラップがあってもおかしくない。今こそ慎重にことを勧めるべきだよ」
地元ガイドの支倉令が逸る三人を諌める。
「じゃあ、最後の暗号文の確認を。お願い」
「はい。『冬至の夜、天窓より見えるサザンクロスが南中した時、延長線にある紅い石を天側から左回りに叩け』」
真美が読み上げ、三奈子が三人を残して慎重に隠し部屋に入る。
「い、いくわよ」
ドキドキしながら見守る三人。
順番に紅い石を叩く三奈子。
――ゴゴゴゴゴ!
「な、何!?」
「トラップだったか?」
隠し部屋の奥の石が崩れ落ち、中から水野蓉子が出てきた。
「お待ちしておりました。私が水野蓉子です」
恭しく水野蓉子は臣下の礼をとった。
「おおっ、これが伝説の水野蓉子!」
「我々は、ついに水野蓉子を手に入れたんですね!」
はしゃぐ三奈子と真美。その時。
――バキュン!
部屋に響き渡ったのは銃声。
蔦子が銃を天井に向けて撃ち、令が剣を構えている。
「ど、どういうこと!?」
「そこまでです、築山三奈子。大人しく水野蓉子を私たちに渡しなさい」
口元をゆがませて銃口を向ける蔦子。
「ま、まさかあなたたちは――」
「そう。我々は水野蓉子を手に入れるため考古学者とガイドに扮してここまで来た。さあ、大人しく渡してもらえば命だけは助けてやる」
剣を向け迫る令。
「だ、誰が渡すものですかっ! 水野蓉子っ! この二人を倒して!」
三奈子が命じた。しかし。
しーん。
「ちょ、ちょっと。水野蓉子。早く助けてよ」
真美が言う。
「取扱説明書に書いてある通りにしてください。実行できません」
水野蓉子はそう答えた。
「と、取扱説明書?」
仰天する三奈子を蔦子は嘲笑う。
「私はちゃんと『水野蓉子』サイトにアクセスして、取説のPDFファイルをDLしてプリントアウトしてきました」
取説を見せる。
「そんなものがあったとは!」
「伝説なのにそんなものがあったなんてびっくりよ」
「取説に従って命じましょう。『水野蓉子、あなたの四時方向から五十cmの位置にいるポニーテールの築山三奈子の首の骨をへし折り、そこから三時の方向にいる七三の山口真美の呼吸を停止させなさい』」
蔦子は命じた。しかし。
しーん。
「あれ?」
「お、おかしい! 取説のとおりなのに!!」
すると、水野蓉子は蔦子の手から取扱説明書のプリントをひったくり、あるページのある行を見せた。
『……伝説の水野蓉子は必ずあなたの命令を忠実に実行してくれます。ただし、命令できるのは人並み以上の美少女に限ります』
「ちょっと、待ちなさいよーっ!!」
四人が絶叫したのは言うまでもない。
【蓉子さまのお言葉】
「これ、私じゃなくてもよくない? SRGでもいいでしょ」
【子供なのに紅薔薇さまの蓉子】
リリアン女学園。
スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。
この高等部の生徒会は紅、黄、白の三薔薇によって運営されている。
「ごきげんよう」
会議室に入ってきたのは三薔薇の一人、紅薔薇さまこと水野蓉子九歳である。
超天才児の彼女は飛び級で高等部への編入を許され現在三年生である。
「ごきげんよう、お姉さま」
そういうのは小笠原祥子十七歳。
歳も背も彼女の方が上だが、蓉子を姉と慕っている。
よいしょ、と椅子によじ登ろうとする蓉子を祥子はさりげなくエスコートして優雅に座らせる。
「紅茶になさいますか」
「ありがとう」
お気に入りのオレンジペコをもらい蓉子は上機嫌だ。
「では始めましょうか」
一緒に薔薇さまを務めているのは鳥居江利子十八歳、佐藤聖もうすぐ十八歳の二人である。
学年は一緒で、二人とも歳の差を気にせず蓉子とは友達づきあいをしてくれる。
「今日は学園祭の台本を配ります。私が書いた『シンデレラ』です」
(九歳じゃ『シンデレラ』だよね〜)
聖は内心そう思ったが、蓉子の機嫌をわざわざ損ねるのは得策ではないと考え黙っていた。
全員がもらった台本をパラパラとめくる。
「お姉さま、王子のところの名前が違っていますが」
祥子がぎろり、と蓉子を睨みつける。
「その人は花寺学院の生徒会長さんです。王子さまの役をやってもらうことに決まっています」
「どういうことですのっ、私は聞いてませんわよっ!」
バシン、と机を叩いて祥子は抗議する。
「そんなに怒らなくてもいいじゃない。祥子のお姫さま見たかったんだもん」
「私が男嫌いと知っててこんなキャスティングをするなんて! 横暴ですわ! お姉さま方の意地悪っ!!」
ハンカチをビリビリに破いて、祥子は蓉子の前にそれを叩きつけた。
「そ、そういうことはいけないのよっ!」
一生懸命に怒ってみるが、般若のような形相の祥子にじりじりと追い詰められて、蓉子は扉を背にして立っていた。
「あっ、蓉子!?」
不意に扉が開いて蓉子は扉の外へと倒れて行き、そこにいた人とぶつかってしまった。
「いたたたた……」
「ご、ごめんなさい」
蓉子は慌てて避けた。
「へ、平気です」
ぶつかったのは人懐こそうなツインテールの少女だった。たぶん一年生だろう。
「あなた、お名前は?」
「一年桃組、福沢祐巳です」
「漢字でどう書くの?」
「福沢諭吉って知ってる? その福沢に、片仮名のネの横に右って書いた字で祐、巳年の巳で福沢祐巳」
「全部わかるわ。福沢祐巳さんね」
「うん。よろしく」
「ちょっと、あなた。紅薔薇さまは三年生よ! 口のきき方に気をつけなさい!」
横で見ていた祥子が強い口調で叱る。
「あっ、そうでした! 失礼しました」
思い出したように祐巳は慌てて非礼を詫びた。
「いいわよ、別に慣れてるから。それより、お姉さまはいる?」
「へ?」
「ねえ、山百合会に入ってお友達になる気はない?」
「お、お姉さま?」
「祥子、この子妹にしようよ」
蓉子は祐巳を指差していった。
「な、何言ってるんですかっ!」
祥子と祐巳がハモる。
「だって。この子気に入ったんだもん」
「お姉さま、そういう問題では――」
蓉子は祥子のポケットからロザリオを引っ張り出した。
「え?」
そして、祐巳の首にかけた。
「え?」
「これで姉妹成立!」
唖然とする二人。江利子が蓉子に言った。
「蓉子、そのやり方じゃ蓉子が祥子と姉妹でいるのをやめて、祐巳ちゃんを妹にしたことになっちゃうよ」
「うわあ、どうしよう」
蓉子は涙目で江利子を見ている。
「とりあえず、祐巳ちゃんから返してもらって、もう一回祥子にかけたら?」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
(こういうところが九歳だな)
聖はこれからの行く末に不安を感じながら紅薔薇ファミリーを温かい目で見守るのだった(見守るだけで何もしないけど)。
【蓉子さまのお言葉】
「祥子がどういう経緯で九歳の姉を選んだのかが気になるのは私だけ?」
【不良になった蓉子】
埠頭で真っ赤な特攻服をまとった蓉子が仲間を引き連れて仁王立ちしている。
そこにバイクに乗ってこれまた真っ赤な特攻服を着た祥子が仲間を引き連れて現れた。
「お呼びでしょうか」
「祥子〜っ!!」
叫びながら突進し攻撃をしかけると、祥子はそれをかわした。
「……何ですの。私、今夜は鎌倉の方まで走ろうと思っていましたのに」
祥子はブツブツ言っている。
「あなたね。男嫌いだからって理由だけでこちらの配下の『魔夷祁琉釈尊(まいけるしゃくそん)』を全滅させるって、なんなのよっ!」
鉄パイプで殴りかかるが、祥子はそれを真剣白刃取りの要領で受けた。
「ご自身の配下の軟弱ぶりを責任転嫁してわざわざ呼び出すとはウザくってよ! 一つ年上だからと言って調子に乗るの、およしになったら?」
押し合いの隙に祥子の足が出たが、それをかわして蓉子は間合いを取る。
「何がウザいよっ! 今日という今日はケジメをつけさせてもらうわよ!」
「はあっ? タイマンで私に勝てると思ってらっしゃるんですの? 私は『真出霊羅(しんでれら)』の総長として北関東をシメているんですのよ。見くびられては困りますわ」
「こっちだって『捕婁血威弐(ぽるちいに)』の総長として南関東をシメてるのよ。ちょうどいいわ。ここで白黒はっきりつけようじゃないの」
「メンチをお切りになりましたわね。もう、許せませんわ!」
こうして二人はタイマンの殴り合いを始めるのであった。
※このお話に出てくる団体は架空のものです。
【蓉子さまのお言葉】
「『捕婁血威弐(ぽるちいに)』のメンバーは団体名に納得しているのかしら?」
【革命の露に消える蓉子】
むかし昔。ある腐敗した専制君主国家があった。その国の女王は祥子といった。国内には革命の兆しがあった。
祥子には紅薔薇の騎士と呼ばれる者と蓉子ががかしずいていた。
「蓉子さまは陛下をお守りください。私は民衆と剣を交えてまいります」
紅薔薇の騎士は王宮の外に出て革命軍に備えていた。
「蓉子、いるのでしょう?」
「はい、ここに」
祥子に呼ばれ、蓉子は跪く。
「私が信頼できる部下ももう紅薔薇の騎士とあなただけになってしまったわ。それでも私を君主と崇めているのであれば私の命令を聞きなさい」
「なんなりと」
恭しく蓉子は答える。
「これから国民たちが私の首を取りに来るでしょう。私という女王がいなくなればこの国は他の国から言いがかりをつけられて攻められるのは目に見えている。しかし、国民が一致団結すれば外敵に立ち向かえる可能性がまだ残っているわ。そのために私は国民すべてが手を取り合って立ち向かう敵となれるよう、憎しみを一身に背負って処刑されるつもりでいてよ。国のためになるのであれば命など惜しくはないけれど、一つだけ気がかりなことがあって……それは、紅薔薇の騎士よ」
「あの方であれば陛下を救出し、陛下の思惑を砕いてしまわれそうですから……邪魔をしろと?」
蓉子は聞く。
「いいえ。紅薔薇の騎士は私と一緒に死ぬ気でしょうが、紅薔薇の騎士だけは助けてちょうだい」
「なぜです?」
祥子は深い息をしてから言った。
「紅薔薇の騎士は私の腹違いの妹祐巳なの。身分卑しい娘の子だったため名乗り合うことは許されなかったのに、運命のいたずらか自らのことを知ってか、私を守るため祐巳は紅薔薇の騎士となってくれた。私のためならば祐巳は国民と刺し違えるかもしれないのだけれど、たとえそう呼べなくてもあの子はたった一人の私の妹。姉が妹を思って助けようとする事が罪だというのであれば私はその罪を犯す覚悟」
「わかりましたが、一つだけ条件があります。紅薔薇の騎士は自分が助かっても陛下が亡くなればその後を追うかもしれません。陛下が紅薔薇の騎士をそこまで思っているのであれば彼女のために身分を捨てて一緒にお逃げください」
「しかし、それでは――」
「私が陛下の身代わりとして国民を引きつけましょう。国境を超えるまでの時間稼ぎくらいはします」
写真などない時代、背格好さえ似ていれば簡単に身代わりになることは可能だった。
「……その条件でしか紅薔薇の騎士を助けられないのであれば、それを飲むことにするわ。ありがとう。蓉子」
「いいえ。陛下のお役に立てて嬉しく思っております。それでは陛下、ごきげんよう」
蓉子は祥子と衣服を取り替え、紅薔薇の騎士こと祐巳を呼びだした。
「紅薔薇の騎士。あなたはこれから王宮の隠し通路を使って陛下を連れ出し、一緒にお逃げなさい」
「えっ」
死ぬ気でいた祐巳は驚いている。
「これは陛下のご命令。陛下はあなたと共にあることを望んだのよ。陛下を大事に思うならば陛下を守り抜くため一日でも長く生きなさい」
「しかし、蓉子さまの格好は……もしや」
「その通り。私は陛下の身代わりとして処刑されて死ぬ運命。さあ、革命軍が来る前に早く!」
蓉子は急かした。
「お待ちください。蓉子さまが死んでしまうというのであれば、その前にどうしても言わなくてはならないことがあります。蓉子さま、あなたは私の腹違いの姉でしょう。お姉さまと呼ばせてください」
「そのことを知っていたとは……いいわ。ただし、祥子は私のことは知らないの。絶対に言っては駄目よ。祐巳」
「お姉さまっ!」
二人は一度しっかりと抱擁し、そして別れた。
祐巳は祥子の待つ女王の間へ、蓉子は革命軍を迎えうつ王宮のバルコニーへそれぞれ向かった。
その後、その国は君主のいない共和国となったという。
【蓉子さまのお言葉】
「別れた後、背格好の似た侍女を女王に仕立てて革命軍に寝返るって残念なラストになってたらどうしましょう」
【紅薔薇仮面の正体は蓉子】(【No:3105】【No:3169】のプロローグ)
蓉子が自宅に帰ると玄関が解錠されていた。
「え……」
慎重に家に入るとリビングのテーブルにケースに入ったDVDが置かれていて「見ろ」とメモが添えてある。
恐る恐るプレーヤーで再生すると室内のようだったが、高いところにある窓から光が入っているものの薄暗い。少し見ていると映像に両親が出てきた。
『我が娘よ。これを見てしまったということはお前も戻れなくなってしまったようだ。お父さんとお母さんは若い頃「青薔薇仮面」という怪盗だったのだ。結婚を機にこの世界から足を洗って慎ましく今日まで生きてきたのだが、今はこのザマだ』
父が淡々とそう言っていた。
ぐいっ、と父を押しのけて、仮面の男が映った。
『ふん。裏切り者どもめ。お前たちが勝手にいなくなり私がどんな目にあったか。お前たちに同じ苦しみを味わわせるのは簡単だがそんなつまらないことはしない。お前たちの娘に苦しみを味わわせてそれをお前たちに見せることにしよう』
『うう、なんて事を……』
母が涙ぐむ。
『これを見ているお嬢さんよ。両親の命が惜しければ次に映る画面の地図の場所に来て私の指示に従え。従わなかったり、警察に通報したら……』
仮面の男は首を掻っ切るジェスチャーの後、親指を下にむけた。
『お嬢さんの両親はこうなる。それでもいいというのであればそうしても構わない。だが、そんな事がお嬢さんにできるかな? では、地図を映すぞ』
地図は去年廃校になった小学校の跡地を指していた。念のためメモを取る。日付は明日となっていた。
『地図にも書いたが、待ち合わせの時間は二十四時間後だ。お嬢さんとのデートを楽しみにしているよ!』
仮面の男の高笑いとともにDVDは終わった。
夜になっても両親は帰ってこない。残り時間はあとわずか。
あんな仮面の男の言うことを聞いてはいけない。しかし、友人の家にはきっと網が貼られているだろう。
朝を待ち、蓉子は網が貼られていなさそうな知り合いに匿名で警察に相談してもらうことにした。
「もしもし、祐巳ちゃん?」
『あっ、蓉子さま。どうなさったんですか?』
「ごめん。ちょっと相談があるの。これからお宅に伺ってもいい?」
『ええ。いいですよ』
仮面の男をまくために、バスに乗らずにタクシーで遠回りをしてもらって年賀状の住所を頼りに福沢邸にやってきた。
「ごきげんよう、蓉子さま。お待ちしておりました」
「ごきげんよう。突然おじゃましてごめんなさいね」
手土産のお菓子を渡し、祐巳ちゃんの家族に挨拶する。
「こちらが母と弟で――あ、お父さん。ちょうどいいところに」
祐巳ちゃんが呼んできた『お父さん』はどこかで見たことがあった。口元がDVDの仮面の男に似ている。
向こうも蓉子に気付いたようで変な顔をしていたが、はっとしたように外に飛び出していった。
「お、お待ちくださいっ」
蓉子は祐巳ちゃんのお父さんを追いかけた。
「蓉子さま?」
祐巳ちゃんも追いかけてきた。
行先は同じ家の敷地内に建つ『福沢設計事務所』の建物だった。祐巳ちゃんのお父さんはドアをロックしているようだったので、他に入れそうな所がないかぐるりと回る。
もし、祐巳ちゃんのお父さんが仮面の男だったとして、この小さな事務所に両親の隠れそうな場所は――地下室なんかあるんじゃないだろうか。あの高い窓は地面のギリギリについている窓だとしたら――。
「あの、何なさってるんですか?」
いぶかしんで祐巳ちゃんが聞いてくる。そりゃ、そうだ。いきなり外に出て行って建物の基礎の辺りを見ているのだからいかがわしいことこの上ない。
「あ」
一か所だけそれっぽい窓があった。かがんで中を覗き込むと人の姿が見える。両親だった。
「――」
蓉子はしばし考えてから、祐巳ちゃんの方を向いていった。
「祐巳ちゃん。祐巳ちゃんは知らなかったでしょうけど、私の両親と祐巳ちゃんのお父さまは実は知り合いでね」
「へえっ、そうだったんですか?」
驚いて声をあげている。
「ええ。実は相談っていうのは、うちの両親が祐巳ちゃんのお父さんの家を気に入って居座っちゃって困ってるって、祐巳ちゃんのお父さんから相談されたことなの」
「ええっ、そんな事が? 父は何も言っていませんけど?」
「色々あったんでしょう。と、いうことで両親を迎えにきたの。お父さまに取次いでいただけないかしら?」
「わかりました。どうぞ」
祐巳ちゃんに案内され、事務所の玄関に着いた。慣れたようにインターホンを鳴らし、祐巳ちゃんが事情を説明する。
「あの、父がなにかの間違いじゃないかって言ってますけど?」
「地下にいるのはわかっていますって言ってくれる」
言われた通りに祐巳ちゃんが言うと、スッと玄関が開いた。
「失礼するわ」
祐巳ちゃんの背中を押して先に入れ、何もないことを確認してから慎重に入る。祐巳ちゃんのお父さんの姿はない。
ざっと見まわすと、書斎のような作りで立派な机と本棚がいくつか、備品はパソコンの他にオーディオセットとコーヒーメーカーが見える。洗面所とトイレのマークがついたドアがあり、壁にはホワイトボードとカレンダー。本棚の本が一か所だけわずかに浮き上がっているようなのに気がついた。本を引っ張り出してみるとレバーがあった。
「よ、蓉子さま?」
「ああ、ごめんなさい」
レバーは左右に動くようになっているように見える。しかし、浮き上がっていた本だけ避けただけではレバーをどちらに動かしても当たってしまうだろう。レバーはよく見るとこすれたような跡があったが、これはもしかして……。
蓉子はレバーをつかむと、そのまま押し込んだ。
――ギッ、ギッ、ギッ、ギッ……。
ビンゴ!
隣の本棚が動いて隠し階段が現れた。
「うわ〜、何ですか、これ?」
祐巳ちゃんが目を白黒させる。
「祐巳ちゃん、お父さまに取次いでくれるんでしょう? たぶん、中じゃないかしら」
「え? はい。ただいま!」
娘には攻撃してこないだろうと祐巳ちゃんには申し訳ないが先に行かせてその後に続く。
階段を降りると両親がいた。
「お父さん、お母さん」
「蓉子!」
とりあえず元気そうでほっとした。次の瞬間、背中に固いものが当たった。
「……」
「詰めが甘いなあ。娘を先に行かせることはわかっていたよ」
なるほど。中で待ち伏せていないで後ろで待ち伏せて、入り込んだところを油断させたというわけか。感心している場合じゃない。
「チェックメイトだね」
祐巳ちゃんのお父さんが静かに言った。
「どうするおつもりですか」
「さあ、こうしようかな?」
背中に着きつけていた拳銃を蓉子のこめかみにあて、ぐっ、と首に腕を回してきた。
「……娘さんの前でトリガーを引くんですか?」
「僕の娘さんは大体のことは知ってるから大丈夫」
祐巳ちゃんは両親の横に立っていたが蓉子から視線をそらした。騙すための演技だったというわけか。
……ん? 騙すための演技? あれ?
「ちょっと待ってください」
「命乞いでもするのかな?」
「小父さまに言っているのではありません。お父さん、お母さん。元怪盗とDVDでは言ってたけど、元怪盗ならどうしてさっき祐巳ちゃんのお父さまが母屋に戻った時に脱出しようとしないで大人しく座っていたの?」
「そ、そりゃあ、確実に脱出するチャンスを狙ってだな――」
父が動揺し始めた。
「この事務所、見たところ仮眠を取るための寝具は見当たらなかったわ。小父さまが昨夜こちらで泊まってたとしても、二対一なら何とかできたんじゃないの?」
「あ、いや、その――」
「あと小父さま。銃口にモデルガンでお馴染のインサートが」
「あれ、取ったはずだよ?」
慌てて祐巳ちゃんのお父さんは銃口を覗いている。
「祐ちゃん、誘導訊問に引っかかって銃口覗いちゃ駄目じゃないの」
母がため息をついた。
「少々辛いけど合格点をあげましょう」
と言ったのは母だった。
「お母さんが首領なの」
「悪のボスみたいな言い方しないでせめてリーダーと言って欲しいわ」
なんて言って笑っている。
「その辺は家に帰ってからゆっくり聞くから、とにかくおいとましましょう」
「お待ちなさい、蓉子。あなたにはやってもらいたいことがあるのよ」
「まだ何か?」
「あなたには『青薔薇仮面』を継いでもらいたいの。『青薔薇仮面』の七つの秘宝は秘密結社から失敬したものなんだけど、お父さんのミスで保管場所がばれちゃって」
「はあっ?」
「いや〜、怪盗が泥棒に盗まれるとは思わなかったよ。はっはっはっ」
「笑い事じゃなくて――」
「そうよ。お父さんのおかげで大半の秘宝が小笠原財閥に買い上げられて、小笠原財閥は秘密結社に一人娘を誘拐されてもおかしくないくらいになっちゃったのよ」
「ちょっと待った、小笠原財閥って」
「祥子さんのお祖父さま、そういうののコレクターなんですって」
さらりと母は言う。
「蓉子、祥子さんを守りたいなら小笠原財閥から散った七つの秘宝を盗み返しなさい」
「娘を犯罪者にしないでよっ! 青薔薇仮面になんてなるもんですか!」
「ああ、そういえば学校じゃあなた紅薔薇だったわね。じゃあ、『紅薔薇仮面』でもいいわよ。そっちの方が可愛いし」
「可愛いし、じゃないっ!!」
「そうだ。祐巳ちゃんもこんどロサキネンシンスになるんだっけ? じゃあ、蓉子さんを手伝ってやればいい」
「お父さん、ロサ・キネンシス・アン・ブゥトンだってば」
「そっちも娘を巻き込まないっ!」
しかし、蓉子はやがて紅薔薇仮面として七つの秘宝を集める怪盗となるのであったが、それはまたの機会に。
【蓉子さまのお言葉】
「またの機会って……やめなさい!」
【歌う蓉子】
ある町では年に一度のコンクールが開催され、そこで優勝した者にはプロとしての将来が約束されている。
そのため、素人からプロを目指す学生からいろんな者がそのコンクールでの優勝を目指すのだ。
今年の話題は。
「ピアノ科の祥子さんとバイオリン科の優さんはやっぱり組んで出場なさるのかしら?」
というものだった。
ピアノの名手小笠原祥子はこの町一番の富豪で音楽学校の経営にも深く関わっている一家の一人娘、バイオリンで有名な柏木優はその一族の親戚で祥子の婚約者という関係だった。
(そりゃあ、組んで出るでしょうね)
小笠原一族に支援され、音楽学校に通わせてもらってる声楽科の水野蓉子もそう思っていた。
立場上小笠原家に招かれて歌を披露する機会もあって、そのときたまに柏木さんのバイオリンに合わせて歌う事もあったがその度に祥子がもの凄い目で睨むのだ。
(やきもち、妬かせちゃってるよね)
別に蓉子が進んで柏木さんを指名しているわけではなく、周りが一緒にと望むのでそうしているだけなのに、その度に祥子が不機嫌になっている。
柏木さんさえ絡まなければ一つ年上の蓉子のことを「お姉さま」と呼んで慕ってくれる可愛い子なのだ、祥子は。
それに祥子は努力家で、毎日ピアノの練習を欠かさない。きっと、柏木さんと組みたくて猛練習しているのだろう。
だから蓉子はコンクールには祥子と柏木さんが組んで出るべきだと思っていた。
「蓉子さん、いいかな」
パトロンである祥子の祖父に蓉子は呼ばれた。
「今年のコンクールは優くんと組んでみないか?」
「え……」
「祥子はソロで出るべきだと思ってね。君と優くんが組めば祥子は一人で出るしかない」
「申し訳ありません。私は別の方と組んで出ると約束をしてしまいました。柏木さんとは組めません」
とっさに蓉子は嘘をついた。
「そうか。では、後で組んで出る相手を紹介してほしい。君が選んだほどの相手であればよほどの名手か面白い相手なのだろう」
嘘なのだから相手などいない。
困った蓉子は「相手に聞いてみる」と空手形を切って組んでくれそうな相手を探しに行った。
ほとんどの出場者は一年、もしくはそれ以上前から準備しているので今どき相手を探しているようなものはいない。
都合が悪くなってコンクールに出ないという手は奨学金がもらえなくなってしまうので使えない。
さて、困ったと思った時に、酒場の壁に貼ってあるポスターを見つけた。
『歌手急募!! 歌えれば男女問わず』
グループのようだったが、この際何でもいいので混ぜてもらおうと蓉子はその人たちを訪ねた。
「すみません、こちらで歌手を募集なさっているとか?」
「はい。僕たちが歌手を募集しているものですが」
答えたのは男ばかり四人の集団の一人だった。
「私はあなたたちのお仲間に応募したいのですが、どうすればいいのかしら?」
「じゃあ、ちょっとアカペラで歌ってみてくれますか?」
というので一節歌ってみると、相手はちょっと驚いている。
「あのう、あなたは?」
「名乗るのが遅れましたね。水野蓉子と申します。それで、お仲間には」
「はっ、喜んで!」
どうにか体裁は整ったようだ。
「あの、皆さんは」
「僕はアンドレと言います」
「ランポーです」
「日光です」
「月光です」
「皆さんの担当は?」
聞くと、四人は蓉子の予想の斜め下をいく返事をした。
「トライアングルでカルテット。トライアングル以外の楽器はありません」
どうなるのかちょっと不安になったが、もう、やるしかない。
――チチーン
――チチーン
――チチーン
――チチーン
「あ〜……」
男ばかり四人の中に混じって蓉子は毎日練習した。男嫌いの祥子がみたら卒倒しそうな光景だが、男嫌いだからこそここにはやってこないだろうと蓉子は思っていた。
そんなある日。
「蓉子さん、失礼ですがあなたはリリアン音楽学校の生徒さんなんですか?」
アンドレに気づかれてしまったようだ。仲間に入れてもらっている以上嘘をつくわけにはいかない。
「申し訳ありません。訳あってあるお誘いを辞退してしまったのですが、コンクールに出ないと奨学金が貰えないので歌い手を募集している人を探してここにきたのです。黙っていてごめんなさい」
どうするのよ、というように四人は顔を見合わせる。
「差支えなければ辞退の理由を教えていただけませんか?」
蓉子は差し支えない範囲で答えることにした。
「私は貧しい村の出ですが、小さい頃から歌うのが好きで。ある時村にやってきたお金持ちの目にとまり、そのお金持ちが音楽学校に紹介してくれました。そのお金持ちの紹介で柏木優さんのバイオリンと私の歌でコンクールに出ろといわれたのですが、それを辞退しました」
「な、なぜそんなおいしい話を棒に振るんですか!? 僕ならしっぽを振ってセッションします。だって、僕たちは優さまのお目にとまりたくてコンクールに出るんですから」
ちょっと興奮してアンドレが言う。なんだか申し訳ない気になった蓉子はもう少し事情を話す事にした。
「実は、そのお金持ちには祥子という一人娘がいるのですが、彼女は柏木さんの婚約者で――」
がーん! という文字が見えたようにアンドレはよろめいた。
「ど、どうしました?」
「な、何でもありません。続けてください」
ランポーが続きを促す。
「祥子はピアニストでもあるのですが、彼女はコンクールで柏木さんと一緒に出るつもりでいました。ですから、私が辞退すれば丸く収まると思いまして、今に至るというわけです」
「なるほど、そういう事情でしたか」
どうするのよ、というように四人はまた顔を見合わせる。
「コンクールでは一生懸命に歌います。お願いです、一緒に出てくれませんか?」
蓉子は頭を下げた。
「わかりました。女性に頭を下げられて無下に断っては男がすたります。僕たちのトライアングルでよければ、一緒にコンクールに出ましょう」
こうして蓉子と四人は練習を再開した。
しかし、蓉子が毎日どこかにいっているというのをついに祥子が知ってしまった。
「ごきげんよう、遅くなりま……さ、祥子!?」
その日蓉子が練習に行くと祥子が男性四人と一緒に蓉子を待っていたのだ。
「お姉さま」
逃げようとした蓉子の手を祥子が捕まえた。観念して中に入った。
「あなた、男嫌いと言っておきながらどうしてこんなところに?」
「お姉さまと話をするためです」
不機嫌そうに祥子は言った。
「席をはずしましょうか?」
ランポーが気を使っているが、そのままいてもらうことにした。
「こちらの四人とは一緒にコンクールに出る予定なのよ」
「こちらの四人と? どんな楽器をなさっている方々なのです?」
「トライアングルのカルテットよ」
「お姉さま、そんな酔狂なことはおやめください。音楽学校の声楽科でベスト3にあげられるお姉さまがなぜわざわざこんな輩と色物の真似事をなさるのですかっ!?」
ばしいん、と祥子は机を叩いて蓉子を責め出す。四人は何も言えずにうつむいた。
「祥子、今すぐ取り消しなさい。この四人は今の私の仲間なのよ。私はともかく仲間に対する侮辱は許さないわ」
すると、渋々ながら祥子は四人に頭を下げた。
「失言でしたわ。気を悪くさせて申し訳ありませんでした」
「い、いいえ」
ぎこちなくアンドレが答えたので、蓉子は祥子との会話に戻る。
「お姉さま、どうして優さんとコンクールに出ないでこん……他のメンバーと出ることになさったんですのっ?」
「それは……あなたは柏木さんと婚約してるんだから、私と組むよりあなたが柏木さんと組んだ方が断然いいでしょう」
「音楽とそういうのは別のことです。どうして自分の実力を下げ……ではなく、無名のメンバーとの難しいチャレンジをわざわざなさるんですか?」
「それは……」
「正直におっしゃってください。お姉さまっ」
ヒステリックに祥子が問い詰めてきた。
「わかったわ。正直に言うわよ。あなた、私と柏木さんが練習している時に睨んでいたから、やきもちを妬かせてしまったのだと思ってそれで彼と一緒にいるのはよくないと思ってやめたのよ」
蓉子は白状した。
「それは誤解です! 優さんは私のことは愛していないくせに、他の人なら男性でも女性でも見境なく愛せる人なんです! だから、お姉さまに変なことをしないかどうか見張っていただけですっ!!」
「はい?」
祥子以外の五人の声がハモった。
「もう、こうなったら何もかも正直に言います。私は小さい頃からピアノをやってきましたが、家がああいう家だから仕方ないことだと思っていました。でも、ある時避暑地に向かう途中で立ち寄った村でお姉さまの歌を聞きました。その時に思ったんです。私はこの人の歌と一緒にピアノを弾きたいって!!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。あなた、あんなにピアノの練習をしていたのは、柏木さんとセッションをするためじゃ――」
「違いますっ!!」
確認すると祥子は泣きそうになって否定した。
「私はお姉さまと一緒にコンクールに出るのが夢だったんです! 優さんのバイオリンの方がお姉さまの声には合うって先生がおっしゃるからお姉さまのためにと身を引いたのに、お姉さまったら辞退なさるなんて!」
ついに祥子は泣きだしてしまった。蓉子は思わず祥子を抱き寄せる。
「ごめんなさい。私はあなたと柏木さんが婚約していると聞いたからあなたは私のことなんか見ていないと決めつけていたの。いいえ、そう思い込もうとしていただけで、本当はあなたが私のことを見つめていたのは気付いていたわ」
内心、好かれているのではないかとも思ったこともあった。
「でも、あなたは私のパトロンの孫娘で、私は田舎の小娘で、どうやって親しくていいのかもわからなかったのよ。だから、お姉さまと呼んでくれているのもお祖父さまにそう言われたからだと思っていたわ」
「いいえ! 私はお姉さまが大好きです! お姉さまと一緒にいたいです! ですから、コンクールには私と一緒に出てください!」
こんなにストレートに祥子に気持ちを打ち明けられたのは初めてで、蓉子はそれに応えたかった。しかし、それを許さない事情があるのも事実。
「で、でも。もう閉め切ってしまったじゃない、コンクールの出場者の募集は」
「メンバーチェンジであれば可能です。私がこちらに加わるというのはどうでしょう?」
「それじゃあ、柏木さんはどうなるの? 私かあなたのどちらかが一緒に出ないと彼が困ったことになるんじゃない?」
「待ってください」
その時、二人はすっかり忘れていたが、この場には四人の青年がいて、ランポーが割って入った。
「僕たちに妙案があります。受け入れられるかどうかはわかりませんが、こういうのはどうでしょう?」
ランポーの提案を聞いたアンドレは驚いていた。
しかし、蓉子は名案だと思ったし、祥子もそれがいいと乗り気になった。
「わかったわ。じゃあ、優さんには私の方から何とかします。皆さま、本当にありがとうございます」
コンクール当日。
「次の演目はバイオリン柏木優とトライアングルカルテットの皆さんです!」
ランポーの妙案とは祥子とトライアングルカルテットが交代してコンクールに出るというものだった。
アンドレは思わぬ形で願いがかない、昨日は一睡も出来なかったそうだ。
――チチーン
――チチーン
――チチーン
――チチーン
シュールな素人トライアングルカルテットをものともせず、バイオリンの演奏は滞りなく行われた。
「次の演目はピアノ小笠原祥子と歌唱水野蓉子です!」
二人で合わせた期間はわずかだったが、曲目はいつも祥子が練習していた曲で、それは蓉子が祥子のお祖父さまの目にとまったきっかけになった曲だった。
曲の間、ずっとこの時間が続けばいいのにと思ったが、あっという間に終わった。
【蓉子さまのお言葉】
「優勝は歌唱蟹名静、ピアノ藤堂志摩子ってオチを想像してしまったわ」
【紅薔薇家の長女蓉子】(【No:3061】の世界)
今年はあっという間に冬になってしまった。
「そろそろコタツの季節じゃない?」
と祐巳が言いだし、瞳子と祥子はそれに乗っかり、蓉子はバイトでまだ帰ってきていなかったが、コタツを出す事にした。
「どこにしまったっけ?」
「しっかりしてよ。そこのクローゼットの上の方」
「これ、足が三本しかないよ」
「祐巳お姉ちゃん、ここに落ちてる」
「あ……いたた!」
角に頭をぶつけて痛がる祐巳。
「何やってるのよ、もう。お姉さまがお帰りになるまでにセッティングしてしまいましょう」
ああでもない、こうでもないと言いながら三人で何とかコタツを出して蓉子を待つことにした。
「今日の夕御飯、どうする?」
「コタツ出したんだから、鍋にする?」
「私はオデンを主張するわ!」
祥子が張り切って叫ぶが。
「蓉子お姉さまのバイト先はコンビニです。オデンの横でレジ打ってるはずですよ」
突っ込みを入れ思い出させて却下する。
「玉子、食べたかったのに」
ブツブツと祥子は文句を言っている。
「よせ鍋にしようか」
「賛成」
「玉子入れてくれるなら賛成」
祥子が付け加えると、祐巳と瞳子は「よせ鍋にゆで玉子を入れろと?」という顔をしている。
「じゃあ、そろそろ作るか」
祐巳が立ちあがろうとした時、「ただいまー」と蓉子の声が玄関でした。
「あ、お姉ちゃんが帰って来た」
祐巳と瞳子が出迎える。
「あ、お姉ちゃん。それどうしたの?」
「早速支度しますわ!」
パタパタと妹たちが動いているのを聞きながら、祥子はコタツに入ってテレビを見ているとなんとなく眠くなってきた。
「……祥子、そろそろ起きなさい」
揺さぶられ、祥子は眼を覚ます。
目の前にはオデン。もちろん玉子がそこにあった。
「あ」
「今日は冷えたからコタツを出してるだろうと思って。コタツといえば我が家の場合オデンよね。店のを買って帰ってきたのよ」
蓉子が微笑んで言う。
「いただきまーす」
一度火を通したのか玉子はアツアツだった。
「デザートにアイスも買ってきてるから、ペース配分考えて食べるのよ」
「はーい」
嬉しそうにオデンを頬張る四人。
「でも、なんでウチってコタツといえばオデンなんだろう?」
祐巳が素朴な疑問として口に出す。
「お父さまとお母さまが生きてた頃からそうだったけど。単純に寒かったからではなくって?」
祥子が答える。
「ちょっと、お父さまとお母さまは海外にいってるだけで、生きてるから。ピンピンしてるから」
蓉子が突っ込む。
「祥子お姉さまってどうしてお父さまとお母さまを勝手に殺しちゃうんでしょ」
瞳子がため息をつく。
「根性が悪いからよ」
すかさず蓉子が指摘すると、祥子は蓉子の皿からハンペンを奪った。
「ほら、根性だけじゃなくて、お行儀も悪いでしょう」
「フン、だ」
嫌味を言われても気にせず祥子はハンペンを食べてしまう。
「あ〜、お姉ちゃんのハンペンが……」
「私はいいけど、祐巳ちゃん。今度はその大根が危ないわ」
「わああっ!」
指摘され、祐巳は慌てて大根にかぶりついたが、アツアツだったので、口の中を火傷した。
「ほら、落ち着きなさいって。祥子も、玉子はまだ鍋の中にあるからね」
もう一個目の玉子を取って祥子は食べ始めた。
先程適当に答えたが、祥子はなぜコタツにオデンなのかを知っている。
祥子が小さかった頃、祐巳は歩き始めたばかりで、瞳子は赤ちゃんだったような気がする、そんな頃。
紅薔薇家はコタツを買った。
真四角のコタツに潜ったりして遊ぶのが面白くて蓉子と一緒に遊んだ。
冬の定番メニューは父の好物のオデン。父はうまくとれない祥子に代わって皿に玉子を入れてくれた。
コタツでオデンを食べていると暑くなってくるので、母がデザートにってアイスをくれた。
祥子の中では家族で食卓を囲んでいた頃の温かい記憶の象徴が「コタツ」「オデン」「アイス」の三点セットで、「コタツにミカン」という他者の冬の風物詩とは違う意味合いがあった。
蓉子はそれをしっかりと覚えていて、更にアイスを買ってきた。やっぱり姉にはかなわない。
「そろそろアイス食べる?」
「はーい」
コンビニで売ってるカップアイスが四つ。
懐かしい気持ちで祥子が食べていると、横から蓉子のスプーンが伸びて来て、一口取られた。
「さっきハンペン取られたから、その分ね」
「お姉さまの意地悪!」
「どっちが意地悪いのよ。私は一すくい。あなたは全部食べたじゃないの」
こうしてお約束の喧嘩になったり、後片付けは結局下の二人がしたりして、紅薔薇家の普通の冬の一日が終わるのであった。
【蓉子さまのお言葉】
「苗字が『紅薔薇』ってどうなのよ?」
【収録が終わった蓉子】
SS専用のスタジオ。
「あ〜、さすがにこれだけのSSにいっぺんに出たら疲れたわ。途中たぶん一回死んだし」
最終シーンが終わり、体をほぐすようにして蓉子は呟いた。
「お疲れさまでした〜」
キャスト、スタッフに出迎えられ、お茶を勧められる。
「今回はネタ的に続編的なものもありましたが、基本的に全部書き下ろしです」
「そう。意味がわからないのばっかりだったわ。他にネタはなかったのかしらね?」
「他のネタとしては【飼育される蓉子】【幕末を駆ける蓉子】【宇宙の命運を握る蓉子】【三匹の子豚な蓉子】【堕ちる蓉子】などが候補だったそうです」
「もう、ろくなネタがなかったのね。じゃあ、これで良しとしますか」
蓉子はお茶を口にする。
「お姉さま、最後の一言が残っていますが」
「つぶやきというかぼやきというか突っ込みというか、あれね。トータルの最後でいいかしら?」
「構わないそうです」
「では」
【蓉子さまのお言葉】
「作者はここに病院を建てて即時入院しちゃいなさい」
「マホ☆ユミ」シリーズ 「祐巳と魔界のピラミッド」 (全43話)
第1部 (過去編) 「清子様はおかあさま?」
【No:3258】【No:3259】【No:3268】【No:3270】【No:3271】【No:3273】
第2部 (本編第1章)「リリアンの戦女神たち」
【No:3274】【No:3277】【No:3279】【No:3280】【No:3281】【No:3284】【No:3286】【No:3289】【No:3291】【No:3294】
第3部 (本編第2章)「フォーチュンの奇跡」
【No:3295】【No:3296】【No:3298】【No:3300】【No:3305】【No:3311】【No:3313】【No:3314】
第4部 (本編第3章)「生と死」
【No:3315】【No:3317】【No:3319】【No:3324】【No:3329】【No:3334】【No:3339】【No:3341】【No:3348】【No:3354】
【No:3358】【No:3360】【No:3367】【No:3378】【No:3379】【No:3382】【No:3387】【No:3388】【No:これ】 +アフター【No:3401】
※ このシリーズは一部悲惨なシーンがあります。また伏線などがありますので出来れば第1部からご覧ください。
※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。
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☆★☆ 最終話 ☆★☆
K病院の最上階には個室が並んでいる。
その各部屋のプレートに、薔薇十字所有者たちの名前が掲げられていた。
水野蓉子、鳥居江利子、佐藤聖、小笠原祥子、支倉令、島津由乃、藤堂志摩子、そして福沢祐巳。
〜 10月4日(水) 〜
昨日まで激烈な戦闘をしてきたと言うのに、朝になると何事も無かったかのように起き上がったのは佐藤聖だった。
その聖の傍らに、山梨のおばばの姿があった。
「聖さん、ほんとうにありがとうございました。 あなたのおかげで現世は救われました」
深々と頭を下げる山梨のおばば。
「おばばさま! どうしてここに?」
聖が驚いた様子で山梨のおばばに話しかける。
「それに、現世を救ったのは祐巳ちゃんです。 わたしはほんの少し手伝っただけですよ」
と、照れたような答えを返す聖。
「いいえ。 あなたの働きが無ければ祐巳はこの世に帰ってこれなんだであろう。
あなたにはいくら感謝しても仕切れないのです。 もちろん志摩子さんもですがのぅ」
と、再度聖に頭を下げるおばば。
「あなたのシルフィードたちに話は聞きました。 本当によく帰ってきなさった。
あなたの傷はもうすべて癒えておる。 さすが、と言うべきですかのぅ」
「ところで、おばばさま、志摩子と祐巳ちゃんの様子は? それと他のみんなは?」
「志摩子さんも、もうすぐ起きてこれるじゃろう。 祐巳は大丈夫。 なにせ医術を極めた魔王・マルバスが一時もそばを離れんで祐巳の看護をしておる。
不思議なものじゃ。 悪の権化のように思っておった魔王も、立場さえ変わればこれほど心強い味方はおらん」
「それでは、祐巳ちゃんは大丈夫なんですね?!
わたしが最後に見たときは髪が銀白色に変わり、瞳からは血が噴き出していました。
とても無事だとは思えなかったんですが・・・」
「うむ・・・。 よほど複雑な魔法を使ったのであろう・・・。 祐巳の髪はもう元のような髪には戻らんじゃろう。
それだけならよかったのじゃが・・・。 瞳だけはもう戻っては来ぬ・・・」
おばばの瞳に、悔恨の色が浮かぶ。
「な・・・。 なんですって!?」
聖は飛び上がっておばばの肩を掴んだ。
「いつものように、フォーチュンと理力の剣で再生できないのですか?! 祐巳ちゃんの瞳!?」
「祐巳はようやった。 さすがわしの自慢の孫ですじゃ・・・。 祐巳はその瞳と引き換えにこの世に希望を残したのじゃよ。
祐巳の左眼は、牢獄としてソロモン王を監禁したのじゃ」
俯いたままで、聖の問いに答えるおばば。
「ソロモン王の牢獄となった祐巳の左眼だけはもう二度と帰ってこないのじゃよ・・・」
しかし、と、おばばは話を続ける。
「祐巳には、本当に酷な戦いを強いてしもうた。 じゃがな。 祐巳は満足しておるじゃろう。
その手で、本当に大事なものを守り抜いたのじゃから」
「おばばさま! 祐巳ちゃんはどこですか?! すぐにでもそばに行きたい!」
「うんうん。 そう言ってくださるのを待っておったのじゃ。 だが先に志摩子さんに会いに行かねばならん。
あの子もあなたを待っておるのですよ。
それに、あなたと、志摩子さん、お二人の力添えがなければ蓉子さんたちを助けることもかなわんのでな」
「わかりました。 志摩子もここにいるのですね?」
「すぐ隣の部屋が志摩子さんの部屋になっております。 では行きましょうかの」
ベッドから起き上がった聖は、ふらつく様子も見せずおばばと共に志摩子の部屋に向かう。
☆
山梨のおばばと聖が志摩子の部屋に入った時、志摩子はまだベッドの中で安らかに眠っていた。
志摩子の左手首には純白の薔薇が刻まれた白薔薇の薔薇十字。
頬は抜けるように白く、穏やかに眠る姿は本当に美しい。
「まるで眠りの森のお姫様見たいですね」
と、聖が微笑みながらおばばに笑いかける。
「志摩子はほんとうに頑張りました。 今回の一件で一番成長をしたのは志摩子でしょう。
祐巳ちゃんを守りたい、という思いがここまで志摩子を成長させたんでしょうね」
「それもあるでしょうがの。 気付いておるのじゃろう?
この子はあなたに認められたい、そういう思いが強かったという事を」
山梨のおばばも、わずかに微笑みながら聖を見上げる。
「あらら・・・。 やっぱりわかっちゃいましたか。
おばばさま、わたしは今回の一件が終わったら志摩子を妹にしようと思っています。
わたしには過ぎた妹ですけどね。 そのためにもみんなを救わなくっちゃ」
二人が話を続けていると、志摩子が寝返りを打つ。
少しだけめくれ上がった毛布に聖が手を伸ばし、整えていると志摩子の眼がかすかに開く。
「あ・・・」
と、小さな声。
「聖さま・・・。 おはようございます。 すみません、わたし寝過ごしましたか?」
何時も穏やかな志摩子らしく、どこかぼんやりとしている。
「いやいや。 疲れが取れないんでしょ? もう少し休むといいよ。
でも、お互い無事でよかった」
聖はニカッと志摩子に笑いかける。
「それに、かわいい寝顔も見れたしね。 ふふふっ。 先に起きたもの勝ちだったね」
「志摩子さん、よう祐巳を守ってくださいました。 ありがとうございます」
聖の後ろに立っていたおばばが志摩子の前に進んで頭を下げる。
「いいえ! おばばさま・・・。 わたし・・・。 やっぱり祐巳さんを守れませんでした・・・」
志摩子の瞳から涙がこぼれる。
「祐巳さん、私をかばって腕を斬り落とされたんです。 ごめんなさい・・・。
それに、祐巳さんの左目・・・。 わたし、なんてお詫びしたらいいのか・・・」
血だらけだった祐巳の顔。 その血を拭った時に気付いた瞳の喪失。
由乃に斬り飛ばされた右腕・・・。
次々に祐巳を襲った悲劇を一つづつ思い出すたびに志摩子の瞳からとめどなく流れ落ちる。
「志摩子さん、あなたが自分を責める気持ちはわかる。 じゃがの、祐巳は一言でもあなたを責めましたか?」
「いいえ・・・。 祐巳さんはわたしに感謝するって・・・。
自分のために泣いてくれてありがとうって・・・。
わたしは祐巳さんに救われました。 でも結局最後の最後で祐巳さんの眼が・・・」
「志摩子さん。 祐巳の眼は仕方のないことだったのじゃ。
もしも、そのことについて責められるとすれば祐巳にこの試練を課したわしじゃよ。
そなたはよく祐巳に尽くしてくださいました。 祐巳が帰ってこれたのは聖さんと志摩子さん、お二人の力があってのことじゃろう?
胸を張って堂々としていなされ。 誰もそなたを責めはせぬ。
むしろ、感謝してもしきれない、わしはそう思っております。 本当にありがとう」
山梨のおばばは再度志摩子に頭を下げる。
「それとの、まだ蓉子さんたちの治療が残っておる。 そのためにそなたの力が必要なのじゃ。
もう少し、力をお貸しくだされ」
「わたしで出来ることでしたらなんでもします! なんなりとお申し付けください!」
「うむ、ありがとうございます。 では祐巳の部屋に行きますかの」
「それで、おばばさま。 祐巳さんの様子はいかがなんですか?
苦しんでいませんか? 痛がって無いでしょうか?」
志摩子が眉間にしわを寄せ、心配そうにおばばに尋ねる。
「ん? あぁ・・・。 そうじゃな。 見たほうが早いが・・・。 まぁ、あまり深刻に考えておると驚くかもしれん」
「「え?! それはどういうことですか?」」
聖と志摩子の声が重なる。
「まぁ、なんというか。 少々、賑やかなことになっておる」
山梨のおばばは頭にクエスチョン・マークを浮かべる二人を後ろに引き連れて志摩子の部屋を出た。
☆
聖と志摩子が山梨のおばばに連れられて、一番端の祐巳の部屋に向かう。
部屋に近づくにつれ、部屋の中から何事か争うような声がする。
「だー・かー・らー! なんで俺が女の子の格好をしなくちゃならないんだよ!」
「だってしょうがないでしょ? わたしの妹になるのならリリアンに入学しなくちゃならないの!」
「女の格好なんて恥ずかしくて出来るかー!!」
「もー、わがままだなぁ・・・。 じゃ、弟になって花寺に行く?」
「馬鹿なことを言うな! お前、片目がないんだぞ! 俺がお前の眼になる、って言ってるだろうが!」
「怒ったってダメだからね。 ん〜、でも花寺に行くのは無理があるかなぁ。
仕方ない、学校に行ってる間は眼になって、家に帰ったら今の格好で居ること。 それならどう?」
「う・・・。 仕方ない。 それで手を打とう。 だが、その名前はなんとかならないのか?」
「だ〜め! だっておかあさんがわたしが生まれたとき、もし男の子だったら、って考えてた名前だもん」
「なんでお前がそんなこと知ってるんだよ!」
「だって、おかあさまと、おかあさん、昔からの知り合いだったんだよ? おかあさまがそうおっしゃってたじゃない」
廊下で、聖と志摩子は顔を見合わせる。
「あの・・・。 おばばさま、いま祐巳さんの部屋で男の子の声がするんですけど・・・」
「そ・・・。 そうだよ。 祐巳ちゃんにあんなに親しそうにしゃべれる男の子がいたんですか?」
ふぅ、 と、おばばがため息をつきながら二人を見る。
「朝方から、ずっとあの調子なのじゃ。 いい加減うんざりして出てきたのじゃよ。
まぁ、そろそろお二人とも起きるころかと思うての」
コン、コン、と、部屋のドアをノックしておばばを先頭に三人が祐巳の部屋に入る。
ベッドに座る祐巳。
その髪は銀白色に脱色し、左目には眼帯。
しかし、それ以外には特に外傷のようなものは見当たらない。
驚くべきことに、肌の色艶もよく、見た目はとても元気そうに見える。
「「祐巳さん(ちゃん)」」 と、聖と志摩子が声をかけながら祐巳に駆け寄る。
「あ〜、志摩子さん、聖さま、おはようございます。 大丈夫ですか?」
と、これまた何時ものようにのんびりとした祐巳の声。
「ちょっと、これ、誰なの!!」
と、二人の指差す先にいたもの。
それは、まるで祐巳を男の子にしたように瓜二つの少年。
「あ〜、この子ね、祐麒、って言うの。 よろしくね。 わたしの弟だよ」
祐巳がにこやかに笑いながら答える。
「違う!!」
と、その少年が怒鳴る。
「まだ、その名前を受け入れたわけじゃないぞ!」
「だ〜め! だって正体がばれたら大変だよ? それこそわたしと一緒に住めないよ?
それに、ここではね、ライオンは動物園に入れられちゃうの。
肌の色だって金色の人なんていないんだからね。 その格好が一番だし、名前もいいじゃない」
「う〜・・・。 納得いかん!」
ふくれっ面になる少年。
「ふ〜ん・・・。 わたしの言うことが聞けない、っていうのね? 誰だったのかなぁ、わたしに忠誠を誓う、って言ったの」
と、祐巳のほうはなんだか楽しそうだ。
「「えええぇぇぇぇぇぇ!! この子が”マルバス”なの?!」
☆
つまり、祐巳たちが病院に入院してからもマルバスは、金色の肌黒色の髪の青年の姿のままだったらしい。
不審がる病院の医師たちを無視し、祐巳と、志摩子、聖の3人の手当てを献身的に行ったそうだ。
もともとマルバスは 『医術の神』 とも言えるべき存在。
そのマルバスが献身的に治療に当たったのだ。
聖と志摩子の傷は瞬く間に回復し、安らかな眠りをもたらした。
祐巳の外傷もすべてマルバスが治療を行ったのだが、祐巳の髪の色と、失われた瞳だけは戻らなかった。
そして、祐巳が早朝に起きたときから、二人の言い争いが始まったそうだ。
ちなみに、さすが魔王、というべきか、マルバスはたった一日でほぼ完全な日本語がしゃべれるようになったらしい。
ただし、病室に設置されたテレビにより覚えたその言葉は、深夜番組が中心だった、ということもあり、なぜか現代の高校生の男子らしい、というか、かなりくだけたものになってしまった。
その言葉を聞いた祐巳は、もともと、主人と僕(しもべ)、などの関係をマルバスに求めていたわけではなく、タメ口を利くように言ったのだ。
そして、ライオンの姿や、金色の肌の青年に姿を変えるだけではなく、万物にその姿を変える能力を持つマルバスに、自分にそっくりな少年になるように言った。
その理由は、さきほど祐巳がマルバスを説得する時に言った言葉どおり。
たしかに、ライオンや金色の肌では不審がられるし、しかも、マルバス、の名前がばれたら大変なことになる。
しかし、その提案を真っ向から否定するマルバス。
祐巳の失われた瞳の変わりに、マルバスが瞳に変化し、祐巳の目の変わりになる、というのだ。
・・・ 一体どんな原理だ? と、聖と志摩子は思う。
だが、この魔王の言っていることが本当だ、とすれば祐巳の瞳が戻ることになる。
それは、聖と志摩子に希望をもたらす提案だった。
「あの、祐巳さん」
と、志摩子が祐巳に語りかける。
「マルバスさんが祐巳さんの眼になってくれる、というのはとてもいい提案だと思うの。
そうすれば、祐巳さんの普段の生活も楽になるし、マルバスさんの安全も保証される。
良いこと尽くめだと思うのだけれど」
「うん、志摩子さん。 それはわたしも考えた。 でもね、わたしはマルバスに自由に生きて欲しいの。
だって、3000年ぶりにやっと自由になったんだよ? だから家にいる間だけでも人間として生きて欲しいんだ」
「祐巳・・・」
と、すこし驚いた顔の少年。
「お前、そこまで我のことを考えていてくれたのか・・・。 さすが我が主と認めただけのことはある。
わかった。 お前に忠誠を誓ったのだからな。 お前の言うとおり、家にいるときだけはこの少年の姿になろう。
名前も・・・。 仕方ない。 祐麒と呼ぶがいい」
「こらこら、祐麒、言葉使いが元に戻ってるよ。 気をつけてね。
じゃ、あなたの名前はこれから 『福沢祐麒』 わたしの弟だよ。 よろしくね、祐麒!」
祐巳は本当に楽しそうに少し困った顔のマルバス=祐麒を見つめながら笑うのだった。
☆
いったいどんな仕組みになっているのか?
マルバスの体が金色の細い糸のように変わり、祐巳の左目に流れ込んでいく。
「もういいのかな?」
と、すべての金色の糸が眼の中に入り込んだことを確認した祐巳は、そっと眼帯をはずし、目を開ける。
「うわ〜。 思ったより綺麗。 右目が茶色で左目が金色。 オッド・アイっていうのかなぁ?」
聖が祐巳の顔を見ながら感心したように言う。
「ねぇ、祐巳さん。 その眼、本当に見えるの?」
と、志摩子が心配そうに祐巳の顔をうかがう。
「うん。 普通どおり見える」
祐巳はパチパチと左右の目を交互に閉じながら確認する。
と、 「うわぁ」 と、祐巳の声。
「どうしたの?!」 と、祐巳の声に志摩子が反応する。
「えっとね〜。 近いところは普段どおりに見えるんだよね。 でもさぁ。 ほら、外を見て」
と、窓から見える空を指差す祐巳。
「ず〜っとむこうの茶色いビルがあるじゃない? そこの屋上に何か見える?」
「え? えーっと、茶色のビル・・・。 ひょっとしてあれかしら?」
志摩子の眼には、どんな形であるかすらよくわからないほどの距離にあるビル。
もちろん、そこの屋上など見えるはずも無い。
「あそこにね、鳩が二羽いるんだよ。 まいったなぁ・・・。 これじゃ視力2.0どころじゃないや。 マルバス、やりすぎ」
と、困ったような顔で祐巳がぼやく。
「まぁ、よく見えることは確かなんだし・・・。 別にいいんじゃない?」
と、こっちは能天気に返す聖。
「うん、そうですね。 これなら落し物とかもすぐに探せそうだし。 あはは、得しちゃったかなぁ」
「で、マルバスさんは窮屈じゃないのかしら? なんて言ってるの?」
「えっとね、マルバスは瞳になっている間は眠ったような状態になるの。 多分、照れ屋さんなんだよ。
それか、気を使ってくれてるのかも。 だって、これからずっと女の子と一緒にいることになるから、ね」
「祐巳さん」
と、小さな声で呟くと、志摩子は祐巳にしがみついた。
「よかった・・・。 よかったー。 うわぁぁぁぁぁん。 祐巳さん、よかったね」
「志摩子さん〜。 もう、泣き虫だなぁ。 三人とも無事だよ? これでよかったんだ。
だから、何も気にすることは無いんだよ。
このあと由乃さんたちを治療に行かないといけないからその前に体力つけないと。
わたし、お腹すいちゃった〜。 それに・・・。あいかわらず馬鹿力だね、志摩子さん」
「祐巳さん!! もぅ・・・ほんとに・・・」
志摩子は祐巳を解放し、こぼれた涙を掬い上げた。
☆
祐巳たちは水野蓉子たちの部屋をひととおり見ておくことにした。
志摩子は、病室を出てから感じていた違和感があった。
このK病院の最上階は祐巳が入院していた病院であり、聖も入院していたので何度も来ていた。
だが、自分が起きてから、この階に自分たち以外、人の気配がないのだ。
「あのう、この病院、わたしたち以外人の気配が無いんですけど。 他の方はどうなさったのでしょう?」
志摩子が、状況を知っている唯一の人物である山梨のおばばに尋ねる。
おばばは、苦笑しながら答える。
「そなたたちをここに運んだのは昨日の夕方なのじゃが・・・。
ここに着いたときに、魔王・マルバスが人払いをしたのじゃよ。 まぁ、想像どおりの方法で、じゃがな。
おかげで、この階には誰も近づけんようになってしもうた。 わしだけは精霊の力で無理に入ったがの」
「それで・・・。 医者も看護士もいないし、家族の誰も見舞いに来ないので変だとは思ってたんですが」
「どうせ、面会謝絶になるところじゃったから、あまり変わらん。
由乃さんと令さんの病室だけは最初は医者が入っておったが、あまりの惨状に家族の面会も断っておったそうじゃ」
☆
まず、四人が最初に入った病室は水野蓉子の部屋。
水野蓉子の体は氷の結晶に包まれ、完全に凍り付いている。
「ここまで見事な氷の彫刻は初めて見た。 まさか、氷の最高精霊 ”フェンリル” に頼んだのか?」
「はい。 ティターニア様から直接呪文を教えていただきました。
『Suspend・Frow - The life is stopped in the place.』 、氷の精霊による仮死呪文です」
「驚いた・・・。 フェンリルは妖精王の力さえ及ばない精霊。 まして人の言うことなど聞くような精霊ではない。 よく力を貸してくれたものだ」
信じられない顔でおばばが祐巳を見つめる。
「フェンリルだけじゃなく、闇の精霊・シェイドも力を貸してくれました。 魔界の底には他の精霊たちあまりいなかったみたいです」
「精霊や妖精たちは魔界の瘴気を嫌っておるのじゃ。 好き好んで入り込むものはおらんじゃろう。
闇の世界だからなんとかシェイドは入れたようじゃがなぁ・・・。 あとは ”エアリアル”・・・。 それくらいかのぅ」
「はい。 エアリアルのいるところ、ティターニア様もおられるそうです。 でも、おばばさま・・・。
わたし、『フォーチュン』 を壊しちゃったの。 『癒しの光』 を使うときには、おばばさまの杖を貸してね」
「馬鹿者! お前には 『セブン・スターズ』 があるじゃないか。
セブン・スターズの7つの力、そのうちの”風”、”火”、”土”、”金”、”水”を使用すれば 『癒しの光』 は生み出せる。
ふぅ。 まだまだ、その力を引き出しきれておらんようじゃの。 また修行に来るか?」
「え・・・、あ・・・、え〜〜っと。 たまに温泉に入りに行くね? それで許して〜」
祐巳が困ったような顔でおばばに答える。
「それで・・・。蓉子たちは生き返るの? 内臓がごっそりなくなってるんだよ?」
心配そうな顔で聖が祐巳に聞く。
「えっとですね〜。 まず皆さんの体からそれぞれ細胞の一部を切り取ります。
それを、培養液の中で体にあうように内臓を形成します。
その内臓を体のなかに収めた後、 『理力の剣』 でもう一度、体を切断してから再生内臓と結合させます。
その途中に、聖さまのシルフィードを体の内部に進入させて、魔界の瘴気を取り除いていただきます。
そうすれば、一応、体は元どおりになるはずです」
すらすらと聖に手順を説明する祐巳。 ただ、どことなく心配そうな顔をしている。
「う〜ん。 難しいことはよくわからないけど、とにかく出来るんだね?
で、志摩子は外科手術の手伝いをすることはわかったけど、わたしは何をすればいいのかな?
わたしのシルフィードを使うのはいいんだけど、わたし、自分自身の意志でシルフィードを動かしたことがないから、どうすればいいのかわからないよ?」
「あのですねぇ。 実は一番大変なのは聖さまなんです。
聖さまはしっかりと意識を保った状態で生体間輸血に耐えていただかなければなりません。
それも、5人分も。 かなりの苦痛を伴います。 でも、これ以外に方法が無いんです。 すみません、よろしくお願いいたします」
「うん。 それくらいの負担で蓉子たちが元に戻るんならお安い御用だよ。
生体間輸血、かぁ。 それでシルフィードが力を発揮できるんだね? ところで時間はどれくらい掛かるのかな?」
「再生内臓の形成に一人当たり2日くらいですかねぇ・・・。 で、結合手術にはおそらく1日ががりになると思います。
途中休憩を入れながらになりますので、5人全員の手術が終わるまで、3週間は必要かも」
「けっこう長丁場になるわね。 じゃ、まずはこちらの体力をつけないとダメってことか〜。
他のみんなの状態を見終わったら食事に行きましょうか。 では出発〜」
一番大変だ、と言われたのに長丁場になるとわかるとすぐに食事へとその思考を変える聖。
さすがと言うべきか・・・。 まぁ、基本能天気な人なのだろう。
☆★☆ この物語の最終日 ☆★☆
〜 10月27日(金) K病院 〜
K病院の玄関に2台の救急車が到着した。
それぞれの救急車から運び出されたのは、福沢祐一郎、みき夫妻である。
10年間も植物人間状態であった2人がこの病院に搬送されたのは祐巳の指示によるものであった。
K病院の大会議室に7つのベッドが円形に並べられた。
福沢祐一郎、みき夫妻、それに、水野蓉子、鳥居江利子、小笠原祥子、支倉令、島津由乃。
その円の中心に 『セブン・スターズ』 を顕現させた祐巳が立っている。
その様子を小笠原清子を始め、それぞれの家族が部屋の壁に沿って立ち、見守っている。
水野蓉子たちの治療がすべて終了したのは一昨日、25日のことであった。
しかし、手術が終了したと言うのに誰一人目覚めるものはいなかった。
そのことにそれぞれの家族、騎士団、リリアン女学園関係者は胸を痛めていた。
ただ、この事態には祐巳は当然、とみんなに説明をしていた。
「この7人は、それぞれソロモン王による攻撃を受けています。
一度は精神まで侵されていますので、体が元に戻ったからといって自分自身の意志で動くことは出来ません。
そのために、最後に一つだけ、儀式を行う必要があります」、と。
円の中心に立った祐巳が魔法詠唱を始める。
「精神の牢獄に囚われし魂よ。 さまよえる永劫の闇を汝の戒めより解き放て。
我は光。 我は闇。 癒しの光を顕現せしもの。
すべての精霊に求め訴えたり。 消滅は決して苦痛の海に潜むものではないことを示せ。
解放せよ。 その力を手放すことは敗北ではないことを知れ。 安息の眠りにつくがよい」
祐巳の詠唱が続く。
祐巳を中心に巨大な魔法陣が生み出されてゆく。
そして祐巳は舞い始める。
この戦いの日々を思い出しながら。
・・・パピルサグに貫かれた江利子の兄。
・・・魔物に惨殺されてゆく騎士団員たち。
・・・魔王になぎ払われる人々。
・・・魔王・ベリアルに貫かれ立ったまま焼き殺された栄子先生。
・・・由乃に切り取られ宙を舞った自分の右腕。
・・・自らの手で姉の体を抉った感触。
・・・自らの半身のように大事にしていたフォーチュンの破壊。
・・・最後にこの手にボタリと落ちた左目。
それは、辛く苦しい体験であった。
二度と経験をしたくないほどの試練であった。
だが、この戦いの中で数多くのものを得た。
・・・志摩子との友情・信頼。
・・・由乃とのたわいも無く楽しい時間。
・・・蓉子から教わった強く優しい心構え。
・・・江利子の隠された熱い情熱。
・・・聖のくじけない心。
・・・令のたおやかな心遣い。
・・・妖精王から授けられた薔薇十字 セブン・スターズ。
・・・ティターニアからの厚い加護。
・・・魔王・マルバスの忠誠。
・・・山梨のおばばからはすべての力を引き出してもらった。
・・・清子から受けたかけがえのない愛情。
・・・そして、最も愛する祥子との日々。
詠唱を唱え舞い続ける祐巳の周囲に7つの精霊たちが集まる。
いつのまにか、部屋の中に妖精王・オベロン、その麗しき妻ティターニアがクー・フーリンに率いられたフェアリー・ナイトの一団と共に姿をあらわす。
そして・・・。 ついに祐巳の詠唱と舞が終わる。
魔法陣は、立ち上る光により7つのベットを覆いつくしていた。
祐巳は魔法陣の中心に、小さく黒い球体を置く。
それは、祐巳の失われた左目。
ソロモン王の監獄となり、祐巳の体から切り離された左目だった。
「ソロモン王に永遠の安息を。 そのあるべき場所に還られんことを。
『ファイナル・ブレイク!』」
祐巳の持つ 『セブン・スターズ』 が真紅の輝きを放つ。
祐巳は、セブン・スターズを高く掲げ、一気に左目に叩きつけた。
☆
そして、この長い物語は終わる。
その左目に監禁していたソロモン王の怨念を過去に送り込み永遠の安息を与えた祐巳。
すべての魔力と体力を使い果たした祐巳は一時的に気を失った。
次に祐巳が目覚めたのは、あたたかな胸の中。
かつて経験したことのない安らかな感覚。
(この感覚・・・。 懐かしい・・・。 おかあさんの匂いがする・・・)
「祐巳ちゃん。 ・・・・ 祐巳ちゃん ・・・」
この声。 随分昔に聞いた声。
「おかあさん!!」
祐巳を抱きしめていたのは、みきであった。
「えぇ、祐巳ちゃん。 随分大きくなったわねぇ。 ごめんなさいね。 あなたを一人にして。 そして・・・ありがとう」
みきは、再度祐巳を抱きしめる。
「ううん、おかあさん、わたし一人じゃなかったの。
ねぇ、見て。 ここに居る人たち。 みんなわたしの大事な人たちなんだよ」
みきにそう告げると、祐巳は一人で立ち上がる。
その祐巳を見つめるたくさんの瞳。
祐一郎がいる。 祥子がいる。 清子がいる。 山梨のおばばが。 山百合会の仲間たちが。 数限りない妖精たちが。
祐巳は両手を広げ、太陽のような笑顔でみんなを見つめる。
「みんな、ありがとう!! みんな大好き!!」
大きな声で感謝の言葉を力いっぱい叫んだ祐巳。
大きな歓声が沸きあがり、涙と拍手がいっぱいに広がる。
祥子が、志摩子が、みんなが祐巳のもとに駆け寄り祐巳を抱きしめる。
祐巳を中心に大きな薔薇の花冠があらわれた。
☆★☆★☆☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
愛読者vさま、mkyさま、K2Aさま、bqexさま、素晴さま、レンさま、奈々氏さま、デネブさま、通りすがりさま、蘭さま、リヨウさま、クゥ〜さま、etoileさま、弥生さま、名無しさま、紅蒼碧さま、000さま、これまでの作品にコメントをいただいたこと、本当に感謝しています。 ありがとうございました。
また、たくさんの投票をいただいたこと、感謝しています。
後押しをされたことでここまで書き進められたと思っています。
実はこの物語の最終日、10月27日は個人的に一番大事な記念日だったりします。
ここまで支えてくれてありがとう。
ex
うp主からのコメント:誰ですか、こんなキーを入れたのは? 百合描写ありで書いちゃいましたよ(おいおいおいおい)
山百合会より映像が流出し動画サイトで閲覧可能になっていた。気づいた山百合会では犯人探しが始まった。
「図書館のコンピューターが使われたそうよ。ここまでわかったらもう時間の問題よね」
志摩子の言葉に乃梨子は激しく動揺していた。
「乃梨子、どうしたの?」
「……なんでもありません」
「私はあなたのお姉さまだから、妹のことは知っておかなくてはならないのよ」
「……私がやりました」
衝撃の告白を受け乃梨子への事情聴取が始まった。
「私がやらなければあの動画が闇から闇へ消えてしまうのかと思うと耐えられなくて」
同時に乃梨子の無罪を支持する署名活動が始まった。
「生徒の八割が支持しているんです。罪に問うべきではありません」
いよいよ処分発表という時に闖入者があった。先代紅薔薇さまだった。
「この動画は、何なの?」
薔薇の館。
祐巳「瞳子、この前貰ったハーブティーは?」
瞳子「申し訳ありません。(自分のカップを指し)これが最後でした」
祐巳「じゃ、それちょうだい」
瞳子「えええっ、く、口つけちゃいましたけど……」
祐巳「大丈夫。私、変な病気とかないから」
瞳子「そういう問題では――」
祐巳は瞳子のカップをひったくってハーブティーを飲む。
祐巳「ん?」
祐巳は瞳子にいきなり口づけする。
祐巳「思ってたより大人の味だったから返すわ」
流出した動画だった。
「乃梨子ちゃん! 流出させた責任を取って瞳子ちゃんの部分をCGで私に加工しなさいっ!」
「お言葉ですが祥子さま、直接口移しをなさった方が早いのでは?」
「いいから、言う通りにしなさいっ!」
「ひっ!」
以来、乃梨子は動画修正作業のため薔薇の館に缶詰めになっているという。
【No:3369】の続きす!
お釈迦さまもみてる?お姫さまinリリアン。
「うわぁ」
リリアン女学園。
花寺のご近所であっても、その門の存在感のなんたるや。
まさに子羊たちを守る城壁と言える。
祐麒は、一人。門の前に立っていた。
横の守衛さんの視線が気になるし怖いけれど、待ち合わせをしている以上。勝手に帰るわけにも行かない。
遠くにパトカーのサイレンも聞こえる。
……通報されていないよな?
今日は花寺の生徒会長の代理で来ているのだ。問題はないと思う。
「いや、代理か?」
疑問。
祐麒は、リリアンに行くように言われたときの事を思い出す。
リリアンの生徒会……山百合会(正式な名前を小林から聞き出して覚えた)では、今年、学園祭で山百合会主催の劇を行うらしい。花寺はそのお手伝いとして生徒会長が出ることになっていたのだが、更に祐麒までも指名してきた。
そして、本格的な練習前にいくつかの確認が必要とかで、忙しい生徒会長ではなく。補佐役の祐麒を指名してきたのは、リリアン側だった。
「代理じゃないよな」
どう考えても、山百合会の狙いは祐麒。
――とって食われないようにな――。
柏木先輩の言葉を思い出す。
祐麒の正体を知っているのは花寺では柏木先輩だけだが、リリアンでは山百合会の六人が知っているのだ。
小林の情報では、山百合会の正式人数は七人。
花寺の学園祭には一人欠席したことになる。
「?」
突然、キャーキャーと甲高い声が響き渡った。
銀杏並木を帰宅する生徒たちがモーゼの十海のごとく引いていき、その中央を数人のリリアンの生徒が向かってくる。
現れたのは、リリアンに咲き誇る三つの薔薇。
紅薔薇さま。
黄薔薇さま。
白薔薇さま。
必死に覚えた呼び方を確認する。花寺の学園祭のときは赤とか思っていた。
「ごきげんよう、祐巳ちゃん」
が、最初の挨拶で祐麒は固まる。
「あ、あの……その名前……」
「さっ、行きましょう」
「ひぃ!」
微笑むその笑顔に悪魔を見る。
白薔薇さまが守衛さんに事情を話し、祐麒は三人の薔薇さまにエスコートされリリアンへと足を踏み入れた。
「これが薔薇の館」
「ふふふ、古いでしょう?」
「い、いえ!素敵な建物だと思います!」
祐麒は古い建物は好きだ。
そこにある物語が好きだ。
だから、花寺に通いながらも仏像などよりも、その仏像を守る建物の方ばかり見てしまう。
薔薇の館は、また外見とは違う空気に包まれていた。
神聖な場所。
それが祐麒が持った第一印象だった。
「ごきげんよう」
二階の部屋に入ると、挨拶をされる。
「どうも、お世話になります。
迎え出た四つの顔のうち三つは知っていた。
薔薇の妹たちで蕾と呼ばれているらしい。
知らないのは一人、三つ網の大人しそうな女の子。仕入れた情報では蕾の妹と呼ばれ、山百合会では一番の下っ端。
「紹介は由乃ちゃんだけで良いわね」
「はい、紅薔薇さま。ごきげんよう、黄薔薇の蕾の妹で島津由乃と申します。一年生です」
「あっ、ど、どうも、花寺の生徒会に所属します。一年の福沢祐麒と―」
「違うでしょう。祐巳ちゃん」
突然、自己紹介を中断させられる。
「あ、あの?」
戸惑っているのは島津さん。
祐麒は嫌な予感を感じていた。
「令、祥子」
「はい!」
「ひぃ!」
「ちょ、ちょっと令ちゃん!祥子さま?!」
更に薔薇さまたちも加わる。
「ひぃ〜ん!」
「て!えぇぇぇ!」
祐麒の情けない声と、島津さんの驚きの声が重なった。
「ふっふ〜ん!流石の由乃ちゃんも驚いたわね」
「あっ?あぁ?えぇぇぇ?!」
「由乃ちゃんに秘密にしたかいがあったわね」
「ひ、秘密って?!」
「見ての通り、祐麒さんは女の子なのよ」
「本当の名前は祐巳ちゃん」
「は、はぁ」
ただ一人、情報を与えられていなかった島津さんはただただ驚いている。
でも、その驚きの表情はすぐに楽しいものを見つけたという悪魔の表情に変わった。
「さっ、時間もないし、手早く済ませましょう!」
「おー!」
山百合会の皆さまが結束した。
「ぎゃぁぁ!」
制服を剥かれ、胸を押さえる特殊なブラや下着を奪われる。
「下着まで奪わなくってもいいだろう!」
「……祐巳ちゃん。そこは『いいでしょう?』でしょう!」
「いや、俺には関係ないし」
「女の子らしい言葉使いをしてもらわないと困るのよ」
?
意味分からん。
「令ちゃん以上に男の子みたいな女の子って始めてみた」
「それは皆、同じね。背は低いけれど」
グッ!
「まぁ、令はアマチュア、祐巳ちゃんは本職だからね。背は低いけれど」
「それでは女の子に戻ってもらいましょうか。正しい背丈よね」
酷い!背丈は人が気にしていると言うのに!
「ま、まてよ!どうして此処までするんだよ?!」
祐麒は体を隠しながら、吼える。
「あら、これは花寺の生徒会長もご存知よ?」
「なっ?!なにぃ!」
もしやと思ったが、まさか本当に係わっていやがったか!
「祐巳ちゃんと花寺の生徒会長さまには、こちらの劇に出てもらうのだけれど。その劇というのがシンデレラなの、それで当然ながら王子は生徒会長さんなのだけれど、祐巳ちゃんには意地悪な姉Bをしてもらうことに成ったの」
「女役じゃないか?」
「祐巳ちゃん、女の子じゃない」
確かにそうだが、それは不味い。花寺から見学に来る生徒もいるのだ、正体がばれないとも限らない。
「大丈夫、祐巳ちゃんが祐麒くんと分からないようにかつら等も用意するから、それにそれ以外にも注意は払っているのよ」
「それがコレ」
と言って白薔薇さまが出してきたのは、かつらとリリアンの制服だった。
「私のお古で悪いけれどね」
「俺、花寺からのお手伝いとして来ている筈なのに」
「それは、私たちが……」
「祐麒くんではなく」
「祐巳ちゃんを必要としているから、かしら」
薔薇さまたちの悪魔の微笑が祐麒を追い詰める。
「さっ、剥いちゃうわよ!」
「は〜い」
湧き上がる嬉しそうな声。
「ちょっとまて!スカートなんて」
祐麒の抵抗は七人に増えた数に押され、虚しく散った。
……。
…………。
「お〜」
「うん、似合っているね」
「と言うか、こっちが本当でしょう?」
「しかし、よく下着のサイズ分かったわね。とくにブラ」
「それはもう!この黄金の手にかけて」
ワキワキと手を動かす白薔薇さま。
「この変態」
「祐巳ちゃんは。どうかしら?着心地は」
「何だかスースーして」
「祐巳ちゃん、スカートは初めて?」
「初めてです。幼い頃にも一度も履いたことはないし、持ってもいないよ。それにブラが……」
「サイズは恐ろしいことにピッタリよ」
「ふふふ、この白薔薇さまの」
「はいはい、その辺にしときなさい。じゃないと本当に変態と呼ばれるわよ」
白薔薇さまは、手をワキワキさせながら口を閉じた。
しかし、かつらまで被ることになるとは。
「……でも、コレを見たら柏木さんもユキチって呼ぶの止めるんじゃないかしら」
「あぁ、そうね。きっと見惚れちゃうわね」
「柏木さんは祐巳ちゃんの秘密知っているんだよね?」
「はい、でもアレはガチホモですから」
祐麒の一言に、皆さま固まる。
「へっ?」
「ガチホモ?」
「はい、ガチホモ。男の子が好きなんだ」
「祥子、本当なの?」
聞かれた元許婚の小笠原さんは、痛々しい表情で頷く。
「うわぁ、柏木」
柏木先輩、既に呼び捨て決定。
ざまぁみろ、これで柏木先輩の名は山百合会では地に落ちたな。
騙された恨みが少し軽くなる。
「はぁ、まぁ……いいわ。志摩子、祥子、鏡持ってきて」
壁に立てかけられていた、大きな鏡を二人で持ってくる。
「仕切りなおし」
「どうかしら祐巳ちゃん」
そこにはリリアンの制服を着た祐巳がいた。
ツインテールのかつらもあって、そこに居るのは見慣れた祐麒ではなく。
見知らぬ祐巳だった。
「祐巳ちゃん、結構ナルさん?見とれちゃって」
「いえ、何だか。見慣れないんで……女装なんて初めてで」
「いや、女装違うから」
「その感覚自体がおかしいわね」
「でも、これはこれからの為のタダの準備!」
準備?
「それじゃ、行きましょうか?」
「そうね、待ちくたびれているだろうし」
「何処に行くんです?」
「手芸部のところ、祐巳ちゃんの衣装を作ってもらうのだけれど。花寺の格好では行けないでしょう?」
確かにそうだ。
一応、言った様に配慮はしてくれているようだ。
「では、急ぎましょう」
言われるままに着いて行くが……。
……うぅ、何か変な感じだ。
「祐巳ちゃん、もう少し足幅を小さく」
「そんな事を言われても」
逃げられないようにか、完全に囲まれた状態。
「はぁ」
「どうかした?」
「い、いや!何でもないです」
そうは言ったが、祐麒はリリアンの校舎内に流れる空気に驚いていた。
花寺とは違う、優しく甘い空気。
何と言うか、圧倒され。
そのまま校舎を進む。
「ここよ」
ごきげんようと挨拶をしながら、被服室に入っていく。
流石はリリアン、被服室なんてあるんだ。
「こ、こんにちは」
「祐巳さん、挨拶は『ごきげんよう』よ」
藤堂さんに耳元で囁かれる。
「ご、ごきげんよう」
そんな挨拶使ったことないので、当然、言うだけでも恥ずかしい。
「では、皆さま。お願いしますね」
「はい!」
紅薔薇さまのお声に、手芸部の人たちは嬉しそうに返事をした。
山百合会の人たちは制服を脱いで下着姿に成って衣装作りに使うのだろう。サイズを測っていく。
「さっ、祐巳さんも」
「あっ、でも」
祐巳のことは、お手伝いとして紹介してもらった。
「祐巳、早く脱ぎなさい!」
小笠原さんに怒られる。しかも、ついに呼び捨て。
小笠原さんは、柏木先輩の元許婚。もしかして嫉妬とかされているのか?
……勘弁してくれ。俺はガチホモに興味はない!
ただ、今は従っておいた方が良さそうだ。
「まぁ、祐巳さんの肌。ハリがあって、スポーツでもなさっているの?」
「は、はぁ、まぁ」
花寺での生活は戦いだ。
正体を知られないため、喧嘩は素早く勝たなければ危険。
もつれるのは絶対に避けるべき話で、その為の格闘術は常に鍛えてある。
しかし、今、褒められても、祐巳はそれどころではない。
こんなに大勢の女性の中で下着、しかも自分が女物を身に着けていることにもの凄く緊張しているのだ。
「祐巳さんの腰、凄く細いのね。羨ましいわ」
「やるじゃん、祐巳ちゃん」
祐麒にとって女の子らしいスタイルは危険なのだ。だから、腰が細いと言われても嬉しくはない。
どうにか緊張している間に、計測は終わった。
イソイソとリリアンの制服を着なおす。
……アリスだったら喜んで着そうだよな。
「これでよし」
タイを結ぶ。
「これで終わりですよね」
「えぇ、今日は」
優しい微笑み、だがそこに悪魔がいる。
「当然でしょう?今日は服を作るためにサイズを測っただけ。出来上がってきたら、調整しないと。あとダンスの練習とかもあるし」
「祐巳ちゃん、ダンスは?」
「男性パートなら少し」
「……」
「ダメじゃん」
白薔薇さまの言葉に一斉に頷く皆さま。
やっぱりダメか?
「そうそう、あと靴のサイズも教えてね」
「……はい」
悪魔の微笑みに囲まれながら祐麒は溜め息をついた。
「それでは、戻りましょうか」
「あっ、お姉さま。少し待ってください」
「祐巳、タイが曲がっているわ」
小笠原さんは祐麒のタイを綺麗に整える。
「女の子なんだから、身だしなみはキチンとね」
今まで気がつかなかったが、小笠原さんからはとても好い匂いがした。
手芸部にお礼を言って、被服室を出て薔薇の館に向かう。
「祐巳ちゃん」
「?!」
「なに?祥子に直してもらってたタイを見つめているの」
「!」
「あははは、顔真っ赤。祐巳ちゃん表情が変わって面白いね、まるで百面相だ」
完全に玩具になっているのは分かるが、この人たちには勝てない気がする。
もうすぐ薔薇の館と言うところで凄い音が響いた。
「なにかしら?」
「校門の方ね」
「なに?」
校門の方から悲鳴が聞こえてくる。
「行ってみましょう!」
普段はお淑やかなリリアン生たちも、なにか嫌な予感がするのだろう。スカートが乱れるのも構わずに駆け出す。
パトカーのサイレンの音も響いてきた。
リリアン生たちが逃げ出す中、男が走ってくる。
手には刃物。
男は手近なリリアン生を捕まえようとしているのが見えた。
祐麒は素早く小石を拾い、男に投げつける。
これでも少年野球にいたこともあるのだ。勿論、男としてだが。
「ぐぎゃ!」
直撃!
辞めてからかなり年数が経つが、まだまだイケそうだ。
「祐巳ちゃん!」
身を守るために護身術は身に着けている。
男が怯んだ瞬間を逃すほど、祐麒は甘くない。
「て、てめぇ!」
「ツマンナイね。そのセリフ」
祐麒は刃物を持った方の腕を取り、捻り、腰に乗せて跳ね上げる。
身長差があり、男性相手にここまで綺麗に決まるかと自分でも思うほどに男が跳ね上がる。
硬い地面に容赦なく叩き落す。
手加減なんて出来ない。
相手は大人の男なのだ。
手早く男の上に乗り、タイを解き。男の腕をタイで結び。
脳震盪でも起こしているのか、抵抗はない。
更に、足を引き上げ腕に結びつけた。
「祐巳!」
「祐巳ちゃん!」
男は暴れるが遅い、指導された結び方をしている以上。そう簡単に解けはしない。
「大丈夫だった?」
「大丈夫、一応、護身術は習っているので」
「そうじゃないでしょう!祐巳ちゃんは女の子なのよ」
「刃物相手に大怪我でもしたらどうするの?」
「最悪、正体が知られるだけではすまないのよ」
「祐巳さん、無茶をしないで!」
「祐巳、聞いているの?!」
何だか口々に怒られる。
「そうよ、でも……まぁ、凄くカッコよかった」
「うんうん、令なんかアマチュアどころかど素人の王子さまね」
島津さんの言葉を皮切りに、何だか褒められだした?
そこに警備員さんと警察さんたちが駆けつけてくる。
「よかった、後は任せましょう」
「あっ、すみません」
早々に現場を離れようとしたが、警察さんはそうもいかないらしく。後で、犯人逮捕に貢献したとして賞状等があるとかで話を聞きたいと言われた。
「私が」
紅薔薇さまが前に出て、山百合会の人たちが祐麒を隠すように壁を作った。
この学園には居ない生徒、それが祐巳だ。
「あっ!す、すみません!それ」
「あっ、コレ?」
男を捕まえるときに紐代わりにしたタイ。
「はい、お手柄でした」
警察さんは祐麒にタイを返してくれた。
だが、そのタイはクシャクシャに成ってしまっていた。泥もついている。
「すみません、小笠原さん。せっかく綺麗に結んでくれたのに」
何だか凄く悲しい。
「いいのよ、祐巳が無事なら、そのタイは洗ってアイロンをかけましょう。そうしたら綺麗になるわ」
「確か薔薇の館の倉庫にアイロンあったよね?」
「それでは戻りますか」
「ちょっと待ちなさい、こっちも終わったんだから」
警察さんから話を聞かれていた紅薔薇さまが戻ってくる。
全員揃ったところで薔薇の館に戻り。倉庫に成っているという一階の探索が始まった。
薔薇さまたちまで手伝ってアイロン探索がおこなわれている間に祐麒は小笠原さんとタイを洗いに行く。
「先に運動部に行って洗剤を少し分けてもらってくるから」
少し待っていてと、小笠原さんは祐麒を置いてかけていく。
ただ、待っていると言うのも暇だった。
視界に古びたガラスで覆われた建物が入った。
好奇心、猫をも……と言うが、ただ待っているのも暇なので覗いて見る。
そこは温室だった。
花寺の温室と比べると小さいが、心地いい空間だった。
「へぇ〜」
親の影響か建物に、祐麒は惹かれる。
これだけ古いのに、中はしっかりと手入れがされ。この場所がどれだけ大事にされているのかよくわかる。
「あっ、此処にいたのね」
どのくらい此処にいたのか分からないが、戻ってきた小笠原さんが祐麒が居ないことに気がついて探してくれたようだ。
「すみません」
「いいのよ」
優しい表情で言われホッとする。
「ここ素敵な場所ですね」
「でも、小さいし建物も古いでしょう?」
「いえ、手入れもされていますし。俺は好きです」
「そう言ってもらうと私も嬉しいわ。新しい温室もあるのだけれど、私はこの古い温室の方が好きだから」
あっ、こっちは古い温室なのか。
「薔薇が多いのよ。これがロサ・キネンシス」
ロサ・キネンシス。
小笠原さんの花。
「さっ、皆さんが待っているわ。急いでタイを洗いましょう」
小笠原さんと古い温室を出て、タイを洗剤で洗い。
薔薇の館へと戻った。
……。
…………。
アイロンは見つかっていた。
「はい、祥子さま」
藤堂さんがタイにアイロンをかけて、祐麒ではなく。小笠原さんに渡した。
「祐巳、結んであげるから」
「あっ」
小笠原さんは受け取ったタイを祐巳に着ける。
「はい、これでいいわ」
置かれた鏡の方を見る。
そこに居るのは、リリアンの制服を着た祐巳だ。
「あ、ありがとうございます。小笠原さん」
「?……祐巳、呼び方は苗字ではなく名前ね。あと上級生には『さま』いいかしら?」
そんな事を言われても……。
「あの俺は花寺の生徒ですから」
「祐巳さん、自分の呼び方は『私』……ねっ」
藤堂さんの微笑み。
だから……。
……あれ?藤堂?
何か……。
あぁ、そうだ。
「あの藤堂さん?」
「何かしら?」
「間違えていたらごめん。もしかして小寓寺の娘さん?」
藤堂さんの笑顔が固まった。
「あれ?」
白薔薇さまも固まっている。
この空気知っている。
女を隠して生活するコツの一つに直感を大切にすることがある。
いかにバレないようにするか、危険回避は絶対に必要だ。
「祐巳ちゃん……どうして志摩子が小寓寺の娘だと?」
「いえ、その、住職が来られまして説法をしてくれたのですが、その話の中で娘がリリアンに通っていると楽しそうに話していらしたので」
「お父さまが話していた?」
「えぇ、娘さんには家が寺のことは黙っているようにと言ってあるらしいですが、何だか実際は檀家の人たちといつバレるのか賭けまでしていると」
何だろう?
藤堂さんが白く燃え尽きているように見える。
「事実よ志摩子」
「祥子さま?」
声を上げたのは小笠原さん。
「小笠原家は小寓寺の檀家なの、だから志摩子のことも聞いているし。和尚さんと賭けをしているのも事実よ」
「つまり、志摩子のお父さんは娘には黙っているようにと言いながら、あっちこっちで話しまくっていると?」
「その様ね」
「ふ、ふふふふふ、お父さまったらお茶目なんだから……ふふふふふ」
「志摩子」
「可愛そうに」
藤堂さんの笑いが薔薇の館に響いていた。
女の子って怖い。
「よう!ユキチ」
「何ですか、昼に呼び出すなんて」
祐麒がリリアンに行った翌日。校内放送で祐麒は柏木先輩に呼び出された。
「昨日は、大活躍したようだね」
その一言で、何の事かはすぐに分かった。
「仕方ないでしょうが、あんな暴漢を見過ごすわけにもいきませんし」
「まっ、ユキチならそうだろうな。ただ、リリアンは大変らしいぞ」
「大変?警察からの感謝状は辞退したんですよね」
紅薔薇さまは、そう言っていた。
「山百合会以外の目撃者もいたんだろう?そんな簡単に収まるものか、新聞部の号外まで配られて、暴漢からリリアンを救った英雄さまを探しているらしい。さっちゃんたちにまで英雄は誰なのか聞いてくるとまで言って来た」
リリアンの事件は花寺まで聞こえてきている。ただ、真実が届いていないらしく、警察が捕まえ損ねた犯人がリリアンで簡単に捕まったとだけ成っていて、リリアンは流石に厳重なんだなと言う評価になっていた。
柏木先輩は、どうやらリリアンから正しい情報を受けたようだ。
リリアンで英雄探しね。
「と、言われましても、本人が出るわけにも行きませんし」
「だから、彼女たちも苦労している。でもな、暴漢を背負い投げで投げ飛ばし、たった一人で捕まえたんだ。リリアンのお嬢さまたちには、これ以上ない刺激だろうな」
「嫌な刺激ですね」
「そう言うな。だが、これから彼女たちの劇に参加するんだが大変そうだな」
それを考えると、はっきり言って辞退したくなる。
「あっ、辞退は無しだからな」
先に釘を刺された。
くっそ〜!ダメか。
「はぁ……分かりました。それでは失礼してもいいですか?」
「あぁ、ごくろうさん。あと明日、ダンスの練習があるから来て欲しいそうだ」
「な?!」
この状態でか?
はぁ、騒ぎ収まっていると良いなぁ。
祐麒は、疲れた表情で部屋を出て行った。
祐麒が出て行ったドアを、優は見つめ。
「人魚姫は泡になる前に海に返さないとな」
優しく笑った。
懲りずに、花寺男装祐巳その二。
クゥ〜。
銀髪碧眼祐巳のお話。
【No:3216】【No:3221】【No:3264】−【今回】
その小説が話題になり出したのは、学年末試験が近づいたある日のことだった。
タイトルはいばらの森。
白薔薇さまの過去と言っても去年の話し、それを小説にしたのではないかと言う事だった。
祐巳は、その相手を知っていた。
……栞さま。
「だからね!コレを書いたのが白薔薇さまだって言う噂があるんです!」
手術をして元気になった由乃さんの声に、考えが中断された。
「噂ね」
令さまが困ったという表情で応える。
「ねっ、祐巳さんはどう思う?」
「私?」
由乃さんに話しを振られ、考え込む。
栞さまから聞いた白薔薇さまと今の白薔薇さまは印象が全然違う。
小説にその事が書かれているのか?
白薔薇さまが、栞さまの話しを書くのか?
白薔薇さまが、栞さまの事をどう思って居るのか?
「よく、分からないよ」
曖昧な返事。
祐巳は白薔薇さまのことはまだよく知らない。
抱きついてきたり、親父くさい事を言うけれど、それは祐巳が栞さまから聞いた印象とは全然違う。
そのかわりに、祐巳は白薔薇さまの相手である栞さまの事をよく知っていた。
中等部から良くお聖堂でお祈りの時に会い、親しくさせてもらった。
あの頃を思い出す。
栞さまは優しいが芯のしっかりした人だった。
あの頃、祐巳が一人暮らしをしている事を知っていた貴重な相手でもある。
祐巳が一人暮らしをしていると聞いて、学生寮に入寮を進めてきた事もあった。
目標がシスターであったことも仲良くなる切っ掛けになった。
間違いなく、あの頃の祐巳にとって誰よりも近くに居た人だった。
それは栞さまが高等部に上がったとき、姉妹の事を考えた程だ。
……。
不意に祐巳の首にかかる祥子さまのロザリオが重く感じる。
今、祐巳は祥子さまの妹、しかも、栞さまから寮に誘われた時は断ったのに、小笠原家に居候させて貰っている。
……祥子さま。
祐巳のお姉さま。
「祐巳」
……。
「祐巳!」
「は、はい」
「どうしたの、ボーとして……帰るわよ」
令さまと由乃さんに挨拶して、祥子さまの後を追う。
祥子さまと共に、噂の本を買いに駅前までバスで移動し本屋に向かう。
同じ屋敷に住んでいるのだからと、一冊だけ祥子さまが本を買い。
いつものように一緒に帰宅した。
「祐巳、先に読む?」
夕食後、祥子さまは祐巳に与えられた部屋に来て買ったばかりの小説を祐巳に差し出す。
「……いいえ、お姉さまが先に」
「そう」
祥子さまは残念そうに本を引っ込める。
「祐巳、これは読むべきなのかしらね」
祥子さまは本を読むべきかどうか悩んでおられるようだ。
「私は読もうと思います。その上で、白薔薇さまが書いた物かどうか判断したいと思います」
「それで白薔薇さまが書いた物だったら?」
「それは白薔薇さまが外に出してもいいと思われての行動でしょうから……別に」
「別にって貴女」
祥子さまは少し呆れ顔。
ただ、その場合……。
白薔薇さまは栞さまの事をどう思っているのか?
栞さまは、白薔薇さまのことが好きだ。
それは会えなく成った今でも変わらないはずだ。
「そうね、それでは先に読ませて貰うわね」
「はい」
祥子さまが部屋を出て行った後。
祐巳は机の奧から、小さなフォトブックを取り出す。
フォトブックは三分の一程度しか埋まっていない。
開くと、そこには祐巳ともう一人、栞さまとが写る写真が貼られていた。
多くは中等部の頃の物。
ピースサインとかはなく。ただ、並んで写っているだけの写真。栞さまも祐巳も派手な事とかは苦手だったからこんな写真ばかりだが、たまに手に小さな袋を持っていたりもする。
中等部の修学旅行のお土産を渡したときのもので、シスターがカメラのスイッチを押してくれた。
中等部一年のときに、栞さまからいただいた修学旅行のお土産は祐巳の宝物でもある。
ただ、そのお土産を見るたびに祐巳は酷い罪悪感を感じてしまう。
だから、最近は箱にしまったまま出してはいない。
「栞さま」
祐巳は縁あって祥子さまの妹に成った。栞さまのことを忘れたワケではないし、栞さまと明確に高等部で姉妹になろうと約束していたワケでもない。
ただ、祐巳が漠然と成れたら良いと思っていた程度だ。
栞さまと会えなくなって一年近く。
こんな形で栞さまの話題に触れるなんて思ってもいなかった。
「お姉さま」
隣の自室で今頃は、例の小説を読んでいる頃だろう。
あの小説を白薔薇さまが書いたとは思えないが、白薔薇さまに栞さまのことを聞く良い機会なのかも知れない。
そして、それは今の祐巳にとっても大事な決断をする機会に成るような気もしていた。
正直、あの小説は違うと思う。
特に栞さまと思われる相手の印象が違うのだ。
それでも何も分からない学園の生徒たちの話題は小説の事だった。
当然、そこまで話題になれば薔薇さまたちの耳に届くのも時間の問題だった。
白薔薇さまは薔薇の館で、自分でない事を表明。
その前に学園長に呼び出されることもあったが、そちらも問題はなかったとのこと。
志摩子さんに至っては、聞く事もないと言っている。
それでも、祐巳は……。
「祥子、祐巳ちゃん貸して」
白薔薇さまは帰宅しようとする祥子さまと祐巳を呼び止め。令さまにも由乃さんを貸してと言った。
薔薇の館に残ったのは三人。
「祐巳ちゃんか由乃ちゃん、どちらか例の小説持っている?」
「あっ、はい」
由乃さんが小説を取り出して、白薔薇さまに渡し代わりに大学部の食堂の食券を受け取った。
「しばらく時間潰してきて」
その間に読んでしまうからと、白薔薇さまはそう言った。
「うぅ、ジロジロ見られている」
「まぁ、仕方ないじゃない?私たち高等部の制服だし、祐巳さんの容姿じゃね」
時間つぶしならお聖堂にと言う祐巳の提案は、由乃さんに却下され二人で大学部の食堂に来たのだが、当然、大学部のお姉さまたちがいるわけで注目の的に成っていた。
ヒソヒソ声で、紅薔薇のつぼみの妹と黄薔薇のつぼみの妹よなんて声も聞こえるから、祐巳と由乃さんの正体を知っている人たちもいるようだ。
「おっ、戻ってきたね」
白薔薇さまは、祐巳達を確認すると、もう少しだからと本に視線を戻した。
「読んだよ……コレを書いたのが私と言い出した人は良い感をしていると思う。でも違うよ。私は睡眠薬なんて飲んでいないし、名前もカホリじゃなく……」
「久保栞」
「……さまですよね?」
「祐巳ちゃん?」
祐巳の言葉に驚いているのは白薔薇さま、由乃さんは誰?て顔。
「ご両親はなく、高校卒業後修道院に入ることに成っている……ですよね」
白薔薇さまは小さな吐息を吐き、気が付いたようだ。
「成る程、栞が言っていた中等部にいる仲の良い後輩って祐巳ちゃんのことだったんだ」
栞さま、祐巳の事を白薔薇さまに話していたんだ。
「はい」
「そうだよね、栞も時間があればお聖堂にお祈りに行っていたし、お聖堂の銀天使さまが出会わないはずないよね。まいった、栞の事を知っている人間がこんな側にいたなんて」
白薔薇さまは、祐巳を見てニヤッと笑った。
「すみません、栞さまから白薔薇さま……聖さまの話は聞いていたのですが、言うべきかどうか判断出来なかったので」
「そうか……」
「ちょ!ちょっと祐巳さん?!」
たぶん話しの流れに着いていけなく成ったのだろう、由乃さんが声を上げる。
「ごめんね、由乃さん。私はカホリ側の事は知っていたんだ」
「知っていたって……」
由乃さんは膨れ顔。
「カホリ側を知っているか……ねっ、祐巳ちゃんはズッと黙っていた事をどうして話してくれたの?」
白薔薇さまは祐巳を見ている。その表情にはいつもの軽薄さはない。
「知りたくて、久保栞を佐藤聖がどう思っているのか」
わざとフルネームでの呼び捨て。
「そんな事聞いてどうするの?」
「私は……私は栞さまに中等部のころとても可愛がって貰いました。それは栞さまが高等部に上がる時に栞さまと姉妹に成れたらと思ったほどに……栞さまがどう考えていたかは知る機会がありませんでしたけれど」
祐巳は今、祥子さまの妹。
ここでは姉妹の事は、言うべきではなかったのかも知れない。案の定。由乃さんだけでなく白薔薇さまも困惑顔。
「栞は……いや…栞に祐巳ちゃんの話を少し聞いた事がある。その時、栞に姉妹の話をしたら妹にしてもいいと言っていたよ」
白薔薇さまの言葉は祐巳に重くのし掛かる。
首にかかるロザリオが酷く重い。
栞さまが祐巳を妹にして良いと言っていた。
これが、妹にはしない……だったならどれだけ楽に成れるのか。
「祐巳ちゃんは、祥子のロザリオ受けたの後悔している?」
「後悔なんてしてません!」
「本当?」
「本当です。お姉さまには家族と向き合う力を貰いました、尊敬もしています」
「なら、何を悩んでいるの?」
白薔薇さまの言葉に祐巳は押し黙る。
言葉が続かない。
「それなら祥子と栞。どっちに後ろめたさを感じているの?」
「お姉さまと栞さま」
「どちらにもみたいね……祐巳ちゃん、もっとクールだと思っていたけれど、意外に顔に出るね」
白薔薇さまは何も言わずに黙ってしまう。
「ねっ、栞がそんな事気にする事はないと思うよ」
「……そんな事は分かっています」
「そうか……それじゃぁ、まぁ、祐巳ちゃんのリクエストの答えになっているか分からないけれど、栞と私の事少し話してあげる」
白薔薇さまは少し悲しそうに俯いた。
祐巳と白薔薇さまの世界に一人取り残された由乃さんは、完全に蚊帳の外だった。
……あの二人、完全に私を視界から消したわね。
一人、取り残された由乃さんは不満そうだった。
懲りずに銀髪碧眼祐巳のいばらの森・前。
クゥ〜。
【 はじめに 】
※ 藤堂志摩子 の一人称SSです。登場キャラは志摩子、乃梨子、祥子、名無しオリキャラです。
※ 桂さんも名前が出てきますが、扱いは悪いです。
※ 設定時期は祐巳がリリアン高等部二年生の秋頃。原作の設定など無視してしまっています。
※ 志摩子の性格が原作よりも著しく壊れてしまってます。また志摩子以外でも性格が壊れたキャラが出てきます。
「 私立リリアン女学園 環境整備委員会 」
それは学園生活をより豊かで快適に過ごすために学園内の環境を整える活動を行う組織の総称である。
その活動は敷地内の美化、学園内にある設備の保持など多岐にわたる。
もっとも、この活動内容はあくまでも一般生徒に知られている「表」の一面である。
そう彼女達の活動には「裏」の一面があるのだ。
それは一般生徒はおろか、環境整備委員会に所属している生徒の中でも極一部の人間にしか知られていない存在である。
「 私立リリアン女学園 環境整備委員会 特殊清掃部隊 」
その活動内容は学園内の秩序を乱す者の排除、処分、管理などを秘密裏に行うこと。
例え人であれど学園内の環境を荒す者を許すことなかれ、という信念のもと活動を許された、まさに「掃除のプロ」としての活動である。
これは、そんな私立リリアン女学園・環境整備委員会・特殊清掃部隊に所属する一人の少女の物語である。
彼女の名前は藤堂志摩子。
またの名を「白薔薇さま」もしくは、「微笑の白い悪魔」という。
1.
「きゃー遅刻、遅刻!」
朝の静寂なるマリア様のお庭に、乙女の声と足音が慌ただしく響きわたる。
「昨日、テレビが面白くてついつい夜更かししちゃったのよねぇ」
どうやら遅刻してしまいそうなようすだ。
その証拠に周りには他に誰もおらず、時刻を見れば既に朝のお祈りの時間である。
「マリア様、ごめんなさい。帰りにちゃんとお祈りしますから、今朝だけは許して下さい」
「いいえ、許しません。学園の秩序を乱す者にはお仕置きです」
「え?・・・・・ッ!!」
突如、マリア様の像の前で手を合わせていた少女の姿が消え、そこへ別の少女が現れた。
遅刻してきた生徒と入れ替わるように現れた少女は、肩より長いふわふわとした巻き毛を風になびかせながら微笑をたたえている。
「ふぅ。またつまらないものを蹴ってしまったわ」
彼女、藤堂志摩子の学園での朝はこうして始まるのだった。
志摩子の朝は早い。
特殊清掃部隊の仕事がある日は一般生徒の誰よりも早く学園に来て、マリア様へのお祈りを済ませた後は学園内を隅々まで巡回し、異常がないか確かめる。
その後は教室へ行き、教科書などの荷物を仕舞い、予鈴間際までゆったりと予習などしながら過ごす。
もちろん特殊清掃部隊としての活動がない日などは、薔薇の館へ赴くこともある。
予鈴から1時間目の授業までのあいだは先生のお手伝いなど、何かと理由をつけて任務につく。
午前中の授業の間も気は抜けない。
もっとも宿題を忘れたり、居眠りや授業中にこっそりおしゃべりをしている生徒を注意するためではない。
彼女達は風紀委員ではない。
あくまで学園内の環境の秩序を乱す者に対して行動を起こす部隊なのである。
例えば、滅多にいるわけではないがプリントの切れ端やゴミなどを床に捨ててしまう生徒がいないか見張っているのである。
チェックしておいて、ある程度の減点が溜まったら制裁・・・もとい処分を下す、という仕組みである。
志摩子自身としては、消しゴムのカスを床に捨てている生徒もチェックリストに加えたいのだが、それでは流石に半数以上の生徒が減点対象となってしまう。
なので基本的には特殊清掃部隊で決められている項目に反することをした生徒のみを減点している。
今朝の場合も遅刻者を討伐したのではなく、朝の静寂なマリア様のお庭を乱す者として討伐したのである。
なお、遅刻者の管理は風紀委員の仕事である。
2.
昼休み。
志摩子は妹の乃梨子と共に中庭の日当たりのいいベンチで昼食をとっていた。
もちろんここでも、お昼の残りをその辺に捨ててしまったり、パックの飲み物を放置して行ってしまう者がいないか目をひからせる。
もっとも傍目からは和やかな姉妹のランチタイムにしか見えないのだが。
と、ふいに怪しげな気配を志摩子は感じとる。この気配は特殊清掃部隊の後輩のものだ。
「ふふふ、そうね。ああそうだわ、乃梨子。悪いのだけれどお昼休みのあいだに薔薇の館にこの書類を届けてくれないかしら。私はこれから少し用事があって行けなくて。お願いできるかしら?」
「うん、いいよ志摩子さん。どなたかにお渡しした方がいいの?それともテーブルの上においておけばいいのかな?」
「ありがとう、乃梨子。祥子さまか令さまがいらっしゃればお渡ししてちょうだい。いらっしゃらなければ、そのままおいてきて大丈夫よ」
「OK!他になにか伝言とかある?」
「そおねぇ?それじゃあ、放課後は委員会があるから薔薇の館には顔を出せないかもしれないって皆に伝えておいてくれる?」
「うん、わかった。じゃあ志摩子さん、行ってきます!」
「ふふ、行ってらっしゃい乃梨子」
駆け出しそうな勢いで歩く乃梨子を、手を振り優しい微笑で見送る志摩子。
乃梨子の姿が見えなくなると志摩子は人気のない方へ歩きながら呟くように話しだす。
「掃除当番の日とはいえ、姉妹の時間に水を差されるのは少し不愉快だわ」
「申し訳ございません、志摩子さま。乃梨子さんもご一緒だったのでこのような形での接触お許し下さい」
どこからともなく志摩子の耳に声が届く。
「それで何のご用かしら?仕事はちゃんとやっているわよ」
「実は志摩子さまが手掛けられた朝の一件のことで」
「朝の?ああまた彼女達ね」
「はい、遅刻者としての処罰を風紀委員側が要求してきております。どうやら朝の騒ぎの生徒、校門で一度守衛さんと接触していたようでして」
「なるほど、それで遅刻手続きがあるわけね。いいわ、もう風紀委員に引き渡しても」
「しかし」
「もうほとんど聴取も終わったし、後は処罰のみ。それに朝のあの娘には別件での減点も少ないし風紀委員に渡したところで環境整備側には何ら問題ないわ」
「かしこまりました。ですが派閥問題もございますし、上には何と?」
「今言った通りよ。それに風紀委員側に貸しを作っておいたほうが何かと動き易いでしょうし」
「はい。ではそのように」
「ええ、後はお願いね」
一般生徒に対する特殊整備部隊の活動に対して風紀委員側は色々と介入してくる。
曰く、一般生徒の公序良俗問題への規制および処罰権限は風紀委員に課せられた職務であるため、その他組織による強制介入は違法とし、一般生徒の安全を守る責務を遂行するためにその組織との対立も辞さない、とかなんとか。
要は昔からある権力争いのようなものである。
志摩子としては、そんなことをしている暇があれば少しは学園内の環境改善に努めて欲しいところであった。
3.
午後の授業間も午前とほぼ変わらず志摩子の任務は続く。
志摩子は黒板に板書される文字をノートへ丁寧に移しながらも、その思考は自分の内側へと向いてしまっていた。
朝のこと、そして昼の出来事を考えていた。
乃梨子には特殊清掃部隊で活動していることを話していない。
もちろん祐巳や由乃、祥子と令にも秘密にしている。これは言わないのではなく、言ってはならないからだ。
学園内の環境を荒す者を秘密裏に処理するため、その存在を公にするわけにはいかないからだ。
ただ志摩子がまだ1年生の頃、山百合会幹部の中で蓉子だけは知っていた。
学園内の全てを把握する薔薇さま、それが水野蓉子だった。今年、その役目を引き継いだのは志摩子である。
理由は二つ。
一つ目は、祥子や令の潔癖症で甘すぎる性格では、この学園にある昔から保たれてきた秩序が崩壊してしうから。
二つめは、一年生にして志摩子が特殊清掃部隊に所属していたから。
お姉さまである聖さまには、聖さまの卒業と同時に特殊清掃部隊の一人であることを告白した。
お姉さまはただ一言「そっか」と仰っていた。
後日、「あの時のアレはひょっとして志摩子だった」と電話がかかってきたことは記憶から消したい事実である。
志摩子には心当たりがないので他の部隊員か、風紀委員の方だろう。お姉さまの素行からして風紀委員の可能性が高いと思う。
環境整備委員は有志によって組織、運営されているため全てのクラスに環境整備委員がいるわけではない。
ましてや特殊清掃部隊に所属する者ともなれば数も限られる。
そのため特殊清掃部隊で全てを監視、対処できるわけでもないので、基本授業中の減点者イコール日常生活における要注意者みたいなものである。
でなければ、特殊清掃部隊所属者がいるクラスとそうでないクラスで明らかに罰則対象さの数が変わってしまう。
今では志摩子も要領を得て、授業中は多少の事は大目にみるようになったが、昔はそうでもなかった。
1年生の頃、授業中ある生徒が手紙を友達へと回していた。手紙といってもメモ帳やノートの端を切って、小さく折りたたんだものである。
手紙の回し読みに関しては他の生徒もやっているし、志摩子自身それを初めて目にしたわけではなかった。
ただあの時だけはどうしても我慢できなかった。
なぜ我慢できなかったのか、あの時は分からなかったが、今ならなんとなく理由がわかる気がする。
桂さんから祐巳さんへの手紙だった。
内容はわからない。わからないが、たわいのないものだったのではないだろうか。
ノートを切って、伝えたい言葉を書いて、小さく折って、桂さんの席から祐巳さんの席へ。
ただそれだけのこと。
しかし志摩子は見てしまったのだ。
桂さんがノートの切れ端を床へ落とす動作を。何気ない仕草の中のそれを見てしまったのだ。
その瞬間、志摩子は激昂した。
許せなかった。
祐巳さんと仲が良いくせに、そんな事するなんて。祐巳さんなら、きっとそんな事しない。きちんと授業の後にゴミ箱へ捨てに行くはずだ。
許せなかった。
必要ないものを簡単になかったことにするその顔で、祐巳さんに近づくことが。祐巳さんなら簡単に必要ないと切って捨てたりしないはずだ。
「(いいえ、違うわね)」
本当に許せなかったのは、祐巳さんと仲がいいこと。
私だって、いいえ、藤堂志摩子は祐巳さんと一番仲良くなりたかった。だからたぶん、ただ理由が欲しかったんだ。
その後のことはよく覚えていない。
あとで聞いた話だと、志摩子は怒りながら泣くという荒業をやりながら桂さんに詰め寄っていたそうだ。
我ながら、よくそんな感情表現豊かな行動をとれたなぁと志摩子は思う。
幸い、そんな祐巳さんみたいな不思議な行動をとったため、志摩子が特殊清掃部隊の一人であることが周りにバレル事はなかった。
それから時が少し流れて、志摩子は祐巳さんの一番の仲良しの一人になれた。
ただ祐巳さんには仲良しがいっぱいいるので時々嫉妬してしまうけれど、今では乃梨子という心のより所を得たのだ、まぁ何とか折り合いをつけている。
4.
放課後。今日は環境整備委員会の会議がある。
もっとも志摩子は会議には出席しない。表向きは出席になってはいるが、今日は特殊清掃部隊の任務をこなさなければならない。
ただでさえ少数精鋭のため活動時間が限られてしまうので、活動できるときに活動しなければ環境の秩序は保たれないという考えである。
志摩子にとっては会議であれこれ上の連中に言われるよりも、こうして暗躍しているほうが気が楽というのも本音である。
(けっ、けっして環境整備委員の名にかこつけて大量の銀杏を確保できるからとか、そんな卑しい考えなどないんだから)
気配を消しながら学園内を巡回していると部室塔の裏手あたりで怪しげな二人組を志摩子は見つけた。
「いい、乃梨子ちゃん。私達は部室塔へプリントを届けた帰りにたまたま蔦子ちゃんと会う。わかったかしら?」
「はい、紅薔薇さま。それから、偶然別の用事で出かけた私達二人が、偶然会って一緒に薔薇の館に戻ってきた。と、いうことですね?」
「ええ。それと、わかっていると思うけれど、道中それぞれ誰と接触したか、私達は互いに何もしらない。いいわね?」
「はい。例え誰と、どんな取引があっても、私達は互いに何も知りません」
「そういうことよ。そろそろ蔦子ちゃんとの約束の時間よ」
「た、楽しみですね。何か緊張してきました」
「は、はしたなくってよ。気持ちはわかるけれど家に帰ってから楽しみなさいね。でないと誰かに見られでもしたら・・・」
「そして、志摩子さんや祐巳さまに知られたら・・・っ!考えただけでも恐ろしいです」
うわー。私の妹と、私の親友の姉だわ。
特殊清掃部隊の仲間から話しには聞いていたし、自分でも薄々は感付いていた、あの二人が蔦子さんから怪しげな写真を貰っていたことを。
どんな写真か。
考えたくはない。考えたくはないが、私や祐巳さんの写真だろう。しかも割と際どい感じの。
はぁぁぁぁ。溜息しか出てこない。
それにしても風紀委員に見られたら、かなりヤバイ状況である。だって乃梨子も祥子さまも鼻息あらげて目が血走っているもの。
これは風紀委員にしょっ引かれても文句言えないろ思う。それに際どい写真云々を取引しているという会話だけでアウトだ。
それに乃梨子と祥子さまの二人は環境を荒しているわけではないから、私には手が出せないし。
しかも蔦子さんガラミの出来事は厄介なのよねぇ。どうしたものかしら?
写真部エースの蔦子さん、彼女は何を隠そうリリアンでは珍しくも環境と風紀どちらも乱す存在なのだった。
蔦子さんの盗撮ぎりぎりの活動は風紀委員に、また活動中に植木や茂みに身を潜めるため学園内の設備や備品や環境を破壊するとして環境整備委員に目をつけられている。
しかも彼女の特殊なところは特殊清掃部隊のみならず、環境整備委員全員からブラックリスト扱いされていることである。
だから志摩子も迂闊に手が出せない。
普段ならそれとなく注意できるし、注意すれば蔦子は引き下がってくれるのだが、しかし志摩子は今、会議に出席していることになっている。
瞬時に仕留めるにしても、流石に乃梨子と祥子の目を盗んではやりずらい。
いっそ三人まとめて仕留めても良いのだが、乃梨子と祥子は普段は模範生徒なため後で上や風紀員から色々言われそうだった。
「(いえ、まって。そうだわ!)」
乃梨子と祥子の二人を監視しながらも、この状況を打破すべく試案していた志摩子の脳裏に突如天啓がおりてくる。
そう、こういったややこしい事態のために朝の件の少女を風紀委員に引き渡し貸してを作ったのではないか。
もともと、志摩子が作った貸しだ、志摩子の手でちゃらにして何が悪いというのだ。
「(ふふふ、これも私の日頃の行いが良いからね。マリア様はちゃんと見ていて下さっているということね。ありがとうございます、マリア様)」
恐ろしいことを心の中で呟きながら微笑する白い悪魔。
罪状は、部室塔裏手の植木および茂みに不用意に侵入し破損させたためとしてデッチ上げてしまおう。
そうと決まれば、行動あるのみ。
いくら志摩子とて、三人よりも二人の方が仕留め易い。だから蔦子が来る前に乃梨子と祥子をヤッてしまおう。
蔦子が来ても、環境を破壊しなければ、そのまま見逃してもいいし。
どちらにせよ、まずは目の前の二人だ。これは環境云々もそうだが、個人的な制裁の意味合いも含めてであるが。
志摩子は気配を消しつつ、その足を加速させる。乃梨子と祥子の背後へと移動しつつ、ぐっと両足に力を込める。
やはり、一瞬で相手の意識を刈り取るにはこの技がいい。そう思いながら志摩子は空へと飛び立つ。
「(藤堂流、フライング・ドロップキック!!)」
刹那、部室塔の裏手に声なき叫びが二つ同時に木霊した。
なお、後から来た蔦子を討伐し、その懐から祐巳と自分の写真を失敬して、ちゃっかり家に持ち帰ったのは志摩子だけの秘密である。
おしまい
【 あとがき 】
読みづらいかもしれませんが読んで頂けたのなら嬉しいです。誤字脱字等ありましたらお許し下さい。
ごくまれに志摩子さんが銀杏ボムを投げてくるので、ご注意ください。
【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】
【No:3196】【No:3205】【No:3233】【No:3249】【No:3288】【No:3327】【No:3380】から続いています。
☆
8分前
「何なのよ! 人が隠れてるところにわざわざ飛び込んできて!」
「不服だったら避ければよかったのに。エースにしてはフットワーク遅いんじゃない? メガネだし」
「あんなスピードで迫られて逃げる余裕があるわけないでしょ! だいたいね、気配さえ殺せないような素人が隠密行動を取ろうとする方がおかしいのよ! 何のつもりよ! ばかなの!?」
「それはそれはごめんなさいねメガネさん。ところでメガネ曇ってるから拭いてあげる」
「汚い手で触るなぁ! 指紋ベタベタ付けるなぁ!」
「――あーもううるさい! とっとと入れ!」
薄闇を裂く光が差し込む。扉が開くと、二名のマヌケが蹴り込まれた。
“罪深き相貌(ギルティ・アイ)”の二つ名を持つ写真部のエース武嶋蔦子と、“竜胆”だ。
「大人しくしてないと強制的に眠らせるわよ!? わかったら口を閉じて身を縮めて待ってなさい!」
殺気走った誰かの怒鳴り声。扉が閉まる音まで怒っていた。
一瞬で過ぎた嵐の後、しんと静まり返る室内。
「……とんだドジ踏んだわ」
吐き捨てたのは蔦子だ。「最悪」と呟きながら脂ぎったメガネを外しクリーナーでレンズを拭く。失態が最悪なのかメガネが最悪なのか……どっちもか。
「災難ね」
先客の藤堂志摩子が言えば、蔦子は驚いた風もなく視線を向けた。
「それは私の台詞だと思うけどね」
――事情は違うものの、追加分の二人がここに来ることになった経緯は、動機の部分は同じである。
“竜胆”は志摩子の護衛として、志摩子を追いかけてきた。
そして蔦子は、祐巳の誘拐からの一部始終を偶然見ていて、そのまま追跡してきたから。
目撃現場と追跡ルートが違ったおかげで、蔦子も“竜胆”もお互いの存在に気付いていなかったが、志摩子を追ってきたのは同じである。
蔦子は情報屋で、事件の臭いを嗅ぎつけて追ってきたものの、祐巳が巻き込まれたことを知っている。本当に危険だと思えば応援を呼ぶつもりだった。――が、それが志摩子誘拐に繋がった時点で、白薔薇関係の揉め事だということは察しがついた。ならば祐巳に危険は及ぶまいと様子を見ていたのだが……
潜伏する蔦子をまるで狙いすましたかのように後続してきた“竜胆”のせいで、見付かってしまった。
一年生にして尾行も潜伏もかなりの腕を誇る隠密行動の才覚溢れる蔦子の、まさかの黒星である。数えるほどしか失敗したことがないのに、誰かのせいで見つかるなど、最悪である。
「いったい何がどうなってるわけ?」
見たことのある白薔薇勢力の精鋭達は、異様なまでにピリピリしている。その割には蔦子達を「追い払う」ではなく「確保」という手段を取る現状である。
白薔薇・佐藤聖と白薔薇勢力の不仲は有名だ。
まさかの謀反か、とは思っていた。むしろそれしか蔦子の頭にはなかった――それこそ白薔薇ファミリーの内輪揉めなどは蔦子の耳には入らないから、それ以外の可能性を考えられるわけがないのだが。
「蔦子さんは知らなくていいわ」
志摩子の返答は冷たかった。
「へえ、そう」
蔦子は大して気にした風もなく納得した。本当にそうなのだろうと判断したからだ。遠まわしに「下手に首を突っ込むと危険だ」と警告してくれているのだ。
闘う力のない蔦子にとっては、その言葉も態度も何よりの情報である。
こうなってしまえば、おとなしくしている方が無難そうだ。
「追い払う」ではなく「確保」という手を取る以上、この状況はまだ外に漏れてはいけなくて、逆に言えば、すぐにこの状況は変わる、ということだ。
蔦子達のことなく、大事の前の小事、といったところだろう。
そこまで考えて「とりあえず様子見」という結論を早々に出した蔦子は、肩を並べてここに連れて来られた疫病神に目を向けた。
果たして彼女は――
「……何? 何なの? 言いたいことがあるなら言いなさいよ」
“竜胆”は、不自然な体勢で座っている島津由乃を、じっと見下ろしていた。何を考えているのか全然わからない死んだ目をして。
「もしかして、縛られてない?」
ポツリと投げられた言葉に、由乃はフンと鼻を鳴らした。
「だったら何――ふおおおおお!?」
“竜胆”は、由乃の両脇に手を突っ込んだ。そしてわきわきと手を動かした。
「やっ、やめろー! やめっ、やめっ、やっ……あははははは! やめっ、やめぇー! だめぇー!!」
由乃は激しく悶えた。笑いながら悶えた。
((抵抗できない者になんてことを……))
志摩子も、祐巳も、蔦子も、“竜胆”の残酷極まりない行為に震え上がった。
なんという拷問。
卑怯にして卑劣。
この言葉がここまで似合う行為があるだろうか。いやない。そして手を伸ばせば触れられるほど間近で、現在進行形で行われているという事実。
悪夢は今、目の前に広がっている。
「『今までごめんなさい“竜胆”さん許してください』、って言えばやめてあげる」
「ふっ、ふざけっ、ふざけんな! 誰がそんなひぃー! ひぃー! だめだってば!」
「じゃあ『めんごめんご』でもいいよ。くれぐれもプロデューサーみたいに軽く言ってね?」
「ほんとに何の話だ!? いやっ、だめっ、だめっ、だっ……たすけろしまこー! しまこー!! つたこー!! いぎいいいいいい!! たすけてぇー!! だれかー!! れーちゃーーん!!」
「助けは来ないから諦めた方がいいよ」
卑怯にして卑劣。
しかしなぜだろう。
由乃が被害者という一点のみ見ると、誰もあまり助ける気にはならなかった。
むしろなんかこう、余計にいじめたくなる何かがあった。
やらないけど。
「ごめん! ご、ごめんなさい! 悪かったから許して!! 許してぇ!!」
「……ふうん。まあそれでいいや」
とりあえず気が済んだのか、“竜胆”は由乃から離れた。由乃は床に倒れ込みハァハァと息を荒くしている。
「……はー、はー……憶えとけよ――あーあーごめんごめんゆるしてゆるして!! ちょっとした冗談じゃない!! 真に受けないでよ!!」
「由乃さんって敏感だね」
「……もう充分でしょ。もうほっといて」
由乃はごろりと顔を背けた。不貞寝か。
――ところで“竜胆”が謝らせた理由は、初対面の時に足を撃たれたからである。当然のように由乃には通じていないし、由乃はすでにそのことを忘れているが。まあ“竜胆”自身も「憶えてないだろうな」と元より期待してない。
第一、本題はこっちじゃない。由乃はあくまでも前菜、あくまでもついでだ。
「志摩子さんは……あなただ」
祐巳、蔦子と視線を移し、平行棒に座る女生徒に目を留める。――なぜ祐巳がここにいるのかは気になるが、今はそれどころではない。
「私の記憶が確かなら、初対面かしら?」
「ええ。私は“竜胆”。……一度遠目で顔を合わせたことがあるけれど」
「それは憶えているわ」
初対面の由乃と事を構える直前のことだ。志摩子はこの異様な力量の強さと、ぼんやりしている死んだ瞳は憶えていた。
「なら話は早い。私は“九頭竜”さまに頼まれて、あなたの護衛に来たの」
「え……護衛? 私の?」
「だから別にそこのメガネさんみたいにドジって捕まったわけじゃないし、むしろ私の望み通りわざと捕まったから私はここにいるわけだけれど。そこのメガネさんと違って」
メガネの曇りと一緒に感情も綺麗に整った蔦子は、安い挑発に乗らなかった。
「だいぶ苦しいわよ、その言い訳」
「だって事実だもん」
「うわ可愛くない……似合わないんだから『だもん』とか言うなよ……」
驚くほど可愛くない“竜胆”に蔦子は閉口した。
「本当に“九頭竜”さまに頼まれて?」
志摩子からすれば、“竜胆”は「祐巳に闘う力を与えようとした“瑠璃蝶草”の部下」である。最初から――こうして面と向かって話す前から、あまり良い印象はなかった。
「うん。とにかく合流できてよかった」
死んだ目で頷く“竜胆”。
我ながら現金だとは思うが、味方と言われれば非常に助かる。志摩子にはこの窮地を抜け出す手段がなかったのだ。これだけの力量を持つ者が味方についてくれるなら、なんとか脱出できるかもしれない。
「合流する前に誘拐されたから、どうしようかと困っていたんだけれど」
“竜胆”がそこまで言ったところで、再び光が差し込む――
5分前
人質は更に増えた。
「はいはい、お邪魔しますよ」
光の中から新たに二名が追加され、扉はまたまた閉められた。
その二人は――
「“狐”さま!? “暗殺人形”さまも!?」
見覚えのある二人を確認すると、床に転がる由乃が驚きの声を上げた。
“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”の視線が動く。
「あれ? 由乃ちゃんがいる」
「しかも縛られてるわね」
二人は同時に頷いた。
「「由乃ちゃんってそういうの似合うね」」
そういうのってどういうのだ――という疑問は一応沸くものの、どのような理由が付属しても「似合う」と言えそうな気がするから不思議だ。「捕獲される」とか「誘拐される」とか「縛られている」とか「床に転がっている」とか「縛られて放置プレイ」とか。どれにしても似合う気がする。
「余計なお世話です。それよりどうしたんですか?」
この中だけで言えば、経験不足が祟ってミスを犯したのは“竜胆”だけだ。蔦子は巻き添えを食らっただけ、と由乃は見ている(ちなみに正解)。祐巳と志摩子は論外だ。
しかしこの二人に関しては、平凡にして致命的なミスなどありえない。
だとすれば、わざと捕まったと判断するべきだ。
特に“複製する狐(コピーフォックス)”は、昨日の放課後、由乃と一緒に“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”を追い掛け回した人物だ。相変わらずの曲者っぷりで安心するやら鬱陶しいやらだった。
「久しぶりに会ったのに事務的ね。おねーさん悲しいなぁ」
「えっ」
色々な事情があって新人育成に時間を取られていた“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は、そっけない(というよりそれどころじゃない)由乃の反応が気に入らなかった。
「私の知ってる由乃ちゃんは、そんな冷たい子じゃなかったはずだけどなぁ」
じりじりと迫る。迫り来る。由乃は嫌な予感しかしなかった。
「い、今はそれどころじゃな――あぁぁーーーー!! あああーーーー!! あーいひぃ!? やめぇ! やめぇー!! くすぐるなぁー!! ……えっ、なに!? 今背中に何入れた!? ねえ何入れたの!? なんかもぞもぞ動いてるんだけど何入れたの!?」
「あんまり動くと潰れちゃうよ?」
「ひぃ!? ほんとに何入れたの!? 虫的なもの!? ねえそこだけ教えて!?」
島津由乃、本日二度目の拷問であった。
――まあ向こうはともかく。
「“竜胆”さん、久しぶり。ちょっとは強くなった?」
「ええもう、バリバリに」
「ああ、その全然大したことなさそうな返答、私は大好きよ」
顔見知りの“竜胆”に簡単な挨拶を済ませ、“複製する狐(コピーフォックス)”は平行棒に座る志摩子を見詰める。
「志摩子さん」
個人的なことは全然知らないが、志摩子とはよく顔を合わせている。
そんな“狐”のお姉さまは、いつもの人を食ったようなふざけた笑みを消し、口元を引き締めていた。
「私達は大事な話をしにきた。……ああ、いや、別にそうでもないや。気負うなんて私らしくない」
と、一人で勝手に納得し、いつものふざけた笑みを浮かべる。
「来期の白薔薇に仕えようかなーと思ってきたんだけど、どう? 私達を飼わない?」
「……え?」
「癖は強いし扱いづらいだろうけど、その分だけ戦力にはなるから」
驚いたのは志摩子だけではない。
「本気ですか?」
その提案は、状況を見守っていた情報屋の蔦子も驚かせた。
二つ名は伊達ではない。持っているだけで相応の実力の裏づけになる。特に由乃の訓練相手の数名は、そこらの中規模組織くらいなら充分に幹部レベルに達している。この“複製する狐(コピーフォックス)”並びに“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”も例外ではない。
普段の由乃との訓練なんて、己に枷と課題を義務付け、試行錯誤をする場となっている。本気じゃないわけではないが、勝敗のこだわりはそこにはない。そもそも勝敗を争う場としてはもう程遠い。
率直に言えば、二つ名持ちの訓練相手は、本気でやれば全員が由乃と同じくらいか、由乃より強いということだ。由乃自身もその自覚はある。
「来期の白薔薇」という表現にも驚いたが、孤高の存在である無所属の二年生が志摩子の味方につく、と言い出したことにも驚かざるを得ない。
「志摩子さんにはもう、世話になるの範疇を越えるくらいお世話になっちゃったからね。借りくらいは返さないと先輩として立場がないわ」
「恩を売るための“治療”なんてしたことありませんが」
「そう言うと思った。だから私達も志摩子さんの意思を無視しようと思ってる」
“複製する狐(コピーフォックス)”は胡散臭く肩を揺らした。
「薔薇と勢力は別物。私達は勝手に白薔薇勢力を立ち上げるから、志摩子さんも今まで通り勝手に“反逆者”やってればいいよ」
「……」
「私達はあなたを護るために存在しようと思う。邪魔な時は言ってくれれば離れるし、必要ならいつだって駆けつける。基本的に放置で――今の白薔薇と同じスタイルで構わないよ。それを覚悟して私達はあなたの傍にいるから」
「……は、はあ……そうですか……」
返す言葉がなくなってしまった。
今まで通り勝手にやっていい、こっちも勝手にやるから、と言われれば反対する理由はない。「恩を売るための“治療”はしていない」と言ってしまった以上、それに関与する権利もなくなってしまったのだから。
だから問題点は一つだ。
「というわけで聞くけど、志摩子さん、次の白薔薇どうする? 志摩子さんが白薔薇になる気がないなら、私達もこれ以上動けないんだけど。あくまでも志摩子さんが白薔薇になるっていう前提の話だからね」
志摩子は考えた。
白薔薇になる・ならないは、正直どっちでもいい。そもそも最初からなれるものだと目算さえしておらず、「なれるかもしれない」くらいにしか捉えていなかった。
この状況じゃなければ、考える必要もなかっただろう。
闘わない志摩子は、周囲あるいは自分を擁護し後押しする白薔薇勢力がなければ、白薔薇にはなれないのだから。己の意思より周囲の意思の方が重要なのだ。
しかし、今は――
この“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”が味方についてくれれば、この状況から脱出できる可能性は高くなる。脱出できれば聖の足枷にならずに済む。
だがそれは、志摩子が次期白薔薇として立候補することが条件だ。
(私の意志は……)
どうだろう。
このまま白薔薇になってしまっていいのだろうか。
「一つ聞いてもいいですか?」
「ん? 何?」
「なぜ私を白薔薇として立てようと?」
「色々理由はあるけど、一番を上げるなら、志摩子さんの正義が嫌いじゃないから。行く末も見てみたいしね」
――やはりか、と志摩子は思った。
(みんな過大評価がすぎる)
傷ついた者を癒す。
敵味方相手問わず癒す。
それが志摩子の正義だが、しかし、この正義は評価されたり賛辞を受けるほど正しくないと自身は思っている。
三薔薇は、特に聖は絶対に気付いているだろう。
博識な小笠原祥子もわかっているだろうし、支倉令も怪しいものだ。
由乃も、もしかしたら理解しているかもしれない。
志摩子の正義には、本当は“反逆者”などと呼ばれることさえおこがましい裏がある。その全ては中途半端な志摩子のせいだ。
「というか、それ本気ですか?」
ようやく先輩に飽きられたらしき由乃が、相変わらず転がりながら、蔦子と同じ言葉を吐いた。仰向けになって語りかけてくる由乃は、なんというか、「お似合い」という言葉がしっくり来る。
「薔薇が闘えないなんて前代未聞です。きっと立ち上がりはものすごく苦労する。いや、苦労どころか立ち上げることも困難なのに」
そう、三勢力は薔薇の圧倒的な力が後ろ盾になるから、組織として立ち上げられる。そうじゃなければ方々から集中砲火で潰される。薔薇の後ろ盾があるから安心して勢力を拡大していくこともできるのだ――毎年春に起こる抗争はその手の関係が多く、新三薔薇の力のお披露目的な意味もある。
だが、闘わない者が薔薇になるなど、どれだけ高いハードルになるのか。
「何? 心配してくれるの?」
「心配じゃなくて、私が先だったのに。私の勧誘は断ったくせに。どういうことですか? 毎日拳で語り合ったこれまでの逢瀬は遊びだったとでも?」
「ははは。由乃ちゃんが現黄薔薇だったら仕えたかもしれないけどね」
――由乃だって言う前からわかっている。“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”のことはよく知っている、そんな簡単なことがわからないようなマヌケではない。
「志摩子さんには返しきれないほどの恩がある。借りがある」
怪我をしたらまず志摩子。数日は動けなくなるだろう傷を負ってもあっと言う間に“治して”くれた。“複製する狐(コピーフォックス)”はその能力さえ借り受けて己の取引材料にしていた。
数えるのも面倒臭くなるほど何度も何度も世話になり、対する志摩子は愚痴一つ言わずただただ努めた。由乃もそうだ。やや軽蔑の視線は付加したが隔たりなく“治癒”の恩恵を受けていた。
ならば、今度はこちらが助ける番だ。
「私は高校生活最後の一年間を、半分は志摩子さんのために使おうともう決めた。白薔薇や“九頭竜”ほどの力はないけれど、いないよりはマシくらいには力になれるでしょう」
「同じく」
“複製する狐(コピーフォックス)”の言葉を継ぎ、“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は頷く。
「前人未到の茨の道ってことはわかってる。でも、だからこそ、私達らしいでしょ?」
確かに「らしい」気はするが。二年生にして二つ名持ちなのに無所属だなんて、よっぽどの物好きかよっぽどの嫌われ者くらいなものだ。
「ま、志摩子さん次第だけどね。今まで通りの“反逆者”なら、今更私達が協力しなくても大丈夫だと思う。でも白薔薇になるなら話は別だから」
予期せず、志摩子は選択を迫られた。
恩だの借りだの世話だの、志摩子には耳を塞ぎたくなる単語だ。
それに今の会話――単純に言えば、志摩子が白薔薇になると、志摩子の剣となり盾となる者達が傷つくという話だ。そして剣となり盾となる者達も誰かを傷つけるのだろう。
ならば白薔薇になどならなくてもいいのではなかろうか。今まで通り“反逆者”を続けられるのであれば。薔薇の称号に、山百合会の称号に未練はない。
だが、今は己のことよりも、聖のことだろう。
先の心配も大事だが、今は目の前の心配の芽を摘むべきだ――
摘むべき、なのだが。
3分前
人質はまた増えた。
((ええぇぇぇぇ……))
この状況を「誘拐」として捉えていない祐巳を除く、全員が驚愕していた。
「なんなのよあなたたち! ダラダラと増えて!」
人質を連れてきた白薔薇勢力の誰かは、憎々しげに非難の声を上げ、返事も待たずにぴしゃりと扉を閉めた。
((そりゃこっちの台詞ですけど))
こんな短時間に人質が増えていくこの現象こそ、いったいなんなんだ。
――今度の人質は、一名だ。
「うげ……」
由乃は小さく呻いた。
新たにやってきた彼女は“鋼鉄少女”。由乃にベタ惚れな二年生だ。
「あれ? あなたまで来たの?」
意外そうに“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は眉を上げると、“鋼鉄少女”は苦笑して肩をすくめた。
「外から伝言持ってきた。まさか使いっ走りさせられるとは思わなかったわ。組織って大変ね」
「大変よね。捨て駒扱いもザラらしいわよ?」
「えー? 捨て駒なんかにされたら泣いちゃうじゃない。ねえ?」
「泣いちゃうよねー」
二人は「ははは」と笑う。笑い事じゃないだろう。泣いちゃうんじゃないのか。
面倒臭そうに“複製する狐(コピーフォックス)”が口を開く。
「それで伝言って?」
「あ? あ、そうそう。『予想通り“結界”有り。体育館周辺と内部の警備兼戦闘兵27人、隠密10人、情報系5人。警備の動きからして体育館内で決行かも。別件で事件が起こったらしくて紅薔薇姉妹はそっちに行ってこっちはノーマーク。黄薔薇はまだ動きなし』……だってさ」
それは貴重な追加情報だった。特に“結界”の有無と、周囲にいる精鋭の数が割れたことは重畳だ。正確ではないかもしれないが、最低人数はわかった。
――“結界”とは、いわゆる領域支配の異能の総称で、“場所”に効果を付属させるものだ。空間系とは違い、前もって準備が必要で、しかも扱う者の多くが戦闘系ではない。
十中八九、この体育館倉庫には“結界”が張られている。「この領域内の異能の使用を禁じる」とかその辺だろう。二つ名持ちをこんなに無造作に詰め込み、見張りも立てていないのがその証拠である。
ここにいる以上、異能の使用は不可能と考えていいだろう――というのは、祐巳と“竜胆”を除く全員が最初から予想済みである。
問題はそこではなく、白薔薇を狩るかもしれない現場である体育館、その“場所”そのもの。
恐らく体育館には白薔薇が不利になる“結界”がすでに張られている。少なくとも“結界”があることは判明したので、予想などではなく必然と考えていいだろう。
「情報系は除くとして、合計で37人か……」
“複製する狐(コピーフォックス)”はニヤニヤ笑う。限りなく胡散臭く。
「このメンツなら何とかなりそうね」
「いや無理でしょ。多すぎる」
すかさず“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”のツッコミが入った。
「隠密はともかく、戦闘要員は一人一人が私達と同格くらいの精鋭揃いよ。まともにぶつかりあったら瞬殺されるわ」
一対一ならともかく、一対多数の状況になれば、あっと言う間に敗北する。総戦力だけなら充分白薔薇を狩ることは可能だろう人数と質である。
苦しい状況だ。
そもそもここから抜け出せるかどうかも怪しいのに、抜け出した先は間違いなく敵の渦中なのである。下手に脱出すれば即座にアウトだ。
そして何より時間がないこと。
試行錯誤の時間も厳しい。
外からの救出も期待しない方がいい――だから“鋼鉄少女”が伝言を持ってきたのだ。救出の予定があるなら、中の戦力を上げるより外の救出班に入っていた方が効率的だ。
「“結界”による異能封じは前提にしていい。けど抜け出すチャンスもなくはない。“鋼鉄”……あ? 何してるの?」
向けられた視線の先で、“鋼鉄少女”は、積み上げられた体操マットと壁の間のわずかな隙間に無理やり身体を詰め込んで隠れている二本の三つ編みを凝視していた。
「……もしかして由乃ちゃんじゃない?」
「……」
背後に感じていた視線の主が、ついに声を掛けてきた。どうする由乃。
「……チ、チガイマスケドー」
それは甲高い裏声で答えた。
“鋼鉄少女”はニヤリと笑う。
「へーそうなの。じゃああなたは誰?」
「……ワタシ、体育館ノ妖精デスケドー」
「妖精!? 何それ!? 由乃ちゃんほんと可愛いね!」
まあ、もう、当然誤魔化せるわけもなく。
“鋼鉄少女”は嬉々として由乃を捕獲した。力ずくでずるずると引きずり出すと、あとはもう腕力に物を言わせて好き放題だ。
「うおぉぉぉやめろーーーー!! 頬擦りするなぁーーーー!!」
「これって運命の出会いとかそういうアレじゃないかしらどうかしらどう思うかしら!?」
「違う! 絶対ちがっ…ひぃははははっ! くすぐっ、くすぐるな! ひっ、ひぃい! ひぃぃぃっす!」
「私のロザリオ受け取るならやめてあげる。どう?」
「もうだめぇぇぇー! もう由乃死ぬぅーーー!! 三度目はだめぇぇーーー!!」
――まさに地獄である。これが日頃の行いのせいというものだろうか。
1分前
志摩子の結論が出ないまま、“複製する狐(コピーフォックス)”達はさっさと脱出の算段を練り始める。
蔦子と祐巳も、志摩子と同じく蚊帳の外だ。
“鋼鉄少女”は、相変わらず由乃とラブラブだ。
「やっぱりなんか大変なことになってるの?」
人数が増えたせいで、それと怖そうなお姉さま方が増えたせいで志摩子の隣に移動した祐巳は、不安げに表情を曇らせていた。
話の流れも、雰囲気も、人質が増えたことも、只事じゃないことをほのめかしている。いくら鈍い祐巳でも、嫌でも気付かされた。
特に「次の白薔薇」というキーワード。
色々と物騒な話も右から左に流れていったような気がするが、白薔薇――佐藤聖の話題だけは聞き逃せなかった。
目覚めている者にとっては常識的な話も知らない祐巳だが、この状況が「保護」だの「聖の命令」だのという話は嘘であることはわかってしまった。それも子供騙しの嘘であることがわかってしまった。
「抜け出さないともっと大変なことになるの?」
話せない――志摩子は口を噤み、俯く。
詳しく話せば本当に祐巳を巻き込むことになる。推測だけならここまでの流れで充分察しはつくだろうが、確信である証拠はあげられない。
「――祐巳さんは」
いつの間にか志摩子の逆隣に陣取っていた“竜胆”は、前かがみになって祐巳の顔を覗き込む。この二人が会話を交わしたのはあの誘拐以来だ。
「祐巳さんは、どうしたい?」
「どう、したい?」
「私は……というか私達は、祐巳さんにも借りがあるから。できるだけ祐巳さんの意向に沿うように動くよ」
「動くよと言われても……今の状況もわからないし……」
「私が言うのも筋違いかもしれないけれど、話せない志摩子さんの気持ちもわかってあげて。話せば祐巳さんを完全に巻き込むから。だから話せないんだよ」
「あの、すでに巻き込まれてない?」
「まあ私もそう思う。でも今は悠長に話している時間もないから」
と、“竜胆”は立ち上がる。――“竜胆”も詳細はわかっていない。ただ、流れだけは理解している。そして今はそれだけでいいことも理解している。
「だから二択。志摩子さんを助けたいか否か。どっち?」
「……聞かなくてもわかるでしょ」
珍しく怒りを滲ませる祐巳を見て、“竜胆”は笑った。
「だろうね。――おーいみんなー。注目ー」
脱出と今後について話し込む“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”と蔦子は、“竜胆”に目を向けた。
「しっ、しっつこい! いい加減離れてよ!」
「照れちゃってー。ほら早く私のロザリオ受け取るって言え。早く。ほら早く」
仲睦まじい由乃と“鋼鉄少女”は放置するべきだろう。触れるのが嫌だ。
「この中で知ってる人もいるかもしれないけど、私は“別次元教室”を持ってる」
「あ、そうか。あなた“鳴子百合”さんの仲間か」
“別次元教室”と聞いて心当たりがあるのは“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”だ。
「知ってる? なら話は早い。詳しくは割愛するけれど、あれは修行用に造られたから色々と制限があって、上限二名なの」
「制限? 何それ? 初耳だけど」
「だから割愛するって。後で」
「あれ便利だからくれない? あれすごいいいよね」
「それも後で話そうよ」
――“竜胆”達の解散時に各自に渡された“契約書”は、“瑠璃蝶草”が各々の修行用に造ったものだ。一度に二名しか入れないという制約を付け、代わりにあの“教室”には強力な自然治癒力上昇の“結界”が張られている。だから死に掛けるほどの大怪我を負っても、一時間も倒れていれば全快できたのだ。
何度も蟹名静に殺されかけて死にかけた“竜胆”が、なお修行を続けられた理由は、そういう理由があったからだ。いくら基礎能力がすこぶる高い“契約した者”でも、致命的な大怪我を負えば丸1日掛かっても戦線復帰は無理だ。
「結論から言う。安全なところに志摩子さんを匿うのはどう?」
元々、“竜胆”は最初からそのつもりだった。後から後から現れる人質のせいで言うタイミングを逃しただけだ。
話がよくわからない“複製する狐(コピーフォックス)”は、“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”を見た。そして“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は視線を交わすと、頷いて見せた。
「経験者として言わせてもらえば、あれは安全だわ。志摩子さんを護るという一点においては確実だと思う」
「ふうん。あなたがそう言うなら、それで行こうか」
友達じゃないが付き合いは長い。よくはわからないが“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”が太鼓判を押すなら、“複製する狐(コピーフォックス)”はそれでいい。
「で、上限二人? じゃあ――まあ、迷う余地もないか」
一人は志摩子。
ここにいる半数以上が、志摩子のために集ったのだ。志摩子さえ逃がせば、あとはもう無様に逃げ散らかそうが負け散らかそうが瞬殺されようが問題ない。志摩子の安全が確保できれば、その時点で勝利は確定だ。
そしてもう一人は、祐巳だ。
ここにいる誰もが、誇り高きリリアンの子羊である。その誇りにかけて、目覚めていない者を巻き込むなどというはしたない真似はできない。
何より、ここや体育館が戦場と化した時、邪魔になりそうだ。言葉は悪いが足手まといはいない方が助かる。
無言のまま、話し合いもなく全員が同じ二名を選出した。わかっていないのはイチャイチャしている二人と、かわいそうなくらい状況が飲み込めていない祐巳くらいのものだ。
“竜胆”はポケットから“契約書”を取り出し、広げた。
紫のオーラが生まれる。
「それでいい?」
戦闘開始から12分後。
お聖堂にて真剣勝負に挑んでいた佐藤聖と蟹名静の一戦は、ようやく雌雄が決した。
門番を務める“九頭竜”は、己が擁護しようとしている藤堂志摩子に訪れた最悪の誘拐事件を知らないまま、周囲に目を光らせていた。
話が決まり、ほとんど無理やりに何か言いたげだった志摩子と祐巳を“扉の向こう”に押し込み、出口を閉じる。
それと同時に“契約書”も消え、二人は完全にこの世界から消失した。
「ただの具現化じゃないのか……目に見えるほどのオーラを放つのに、力を全然感じない」
「へー。面白いなー」
初めて見た蔦子と“複製する狐(コピーフォックス)”は、出入り口に貼り付けて具現化した“扉”を見て、興味深そうな顔をしている。特に異能禁止の“結界”が張ってあるだろうここで何の障害もなく使用できたのだ、ただの能力とは一線を隔す存在なのかもしれない。
あの“教室”は、入室時は“契約書”が必要だが、出る時は普通に“向こうの扉”から出られるようになっている。志摩子と祐巳が自分の意思で出てこない限り安全だ――あの小笠原祥子と島津由乃の乱入事件はもはや例外と捉えた方がいいだろう。本人達だって二度とやるつもりはない。
やや身構えて待つものの――外からの接触は、ない。
つまり志摩子を逃がしたことは白薔薇勢力にはバレていないということだ。わずかながらに今後のことを話し合う時間ができたようだ。
「“鋼鉄”、そろそろこっち混ざって」
「やだ」
「このままじゃあなたの好きな由乃ちゃんもやられるわよ」
「それは困る」
ようやく“鋼鉄少女”はこっち側に復帰した。まだ由乃に馬乗りになっているが。というか由乃はぐったりして反応がないが。
「で? 志摩子さんの安全は確保できたと見なして、これからどうするわけ?」
遊んでいるようにしか見えなかったのに、ちゃんと話は聞いているのだ――このふざけた奴も伊達に百戦錬磨ではない。
“竜胆”は腕を組み、ちょっと難しい顔をする。
「白薔薇は今、お聖堂で静さまと闘っている。さすがにそろそろ決着がつくだろうから…………まあ、たぶん静さまが勝つと思うけれど、万が一にも白薔薇が勝った場合、それからここに招待されることになると思う」
聖と静の一戦。その情報は全員が知っている。“竜胆”の予想通り、そろそろ決着と考えるのも自然だ。今すぐ聖が体育館にやってきても不思議はない。
“複製する狐(コピーフォックス)”は順繰りにメンツを見回す。
「えー、情報系の蔦子さんはとにかく逃げてもらうとして」
言われるまでもなく蔦子は逃げる気マンマンである。戦闘自慢のお姉さま方を当て馬にして逃亡する気マンマンである。
「私と由乃ちゃんと、“竜胆”さんも無理かな」
「無理?」
わかっていないのは経験不足の“竜胆”だけだ。
「体育館に張られている“結界”は、きっと白薔薇対策の具現化封じよ。白薔薇の“シロイハコ”は体育館内では使えないはず。だから私達も具現化能力は使えないものと考えた方がいい」
「そっか」
「私の“御札”も使えないから、同格のベテランと闘うのは相当キツイかな。――というわけで二班に分けようと思う」
最悪なのは、固まっていたせいで兵隊が集中し、囲まれた場合だ。その場合は袋叩きで本当に瞬殺となるだろう。濁流に呑まれ流される若木のごとく。
だからできるだけ戦力が分散するようにして、少しでも向かってくる数を減らさねばならない。
「A班は“鋼鉄”主導、B班は“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”主導でいいと思う」
“鋼鉄少女”の能力は肉体変化。“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は“創世(クリエイター)”である。どちらも“結界”の影響は受けないはず。
「最優先は体育館の脱出ね。最悪誰か一人だけでもいい。一人でも抜け出して藤堂志摩子の無事を叫べば、外にいる私達の仲間が突入してくるはず」
「フン」
グロッキーだった由乃が鼻を鳴らした。
「問答無用でみんな倒しちゃえばいいのよ。問答ムヒヒィ!? もっ、もうやめれぇー!!」
「由乃ちゃん可愛いなー。懲りないところも可愛いなー」
ここぞとばかりに由乃を抱きしめたりくすぐったりする“鋼鉄少女”。最悪の状況を前にしているにも関わらず、由乃にはすでに最悪の災難が降り注いでいる。
「も、もう漏れるよ! 漏れちゃうよ! これ以上腹筋使わせないでよ!」
「え、おしっこ?」
さすがに“鋼鉄少女”の動きが止まった。
「言っとくけど本当だからね! これ以上やったらほんとに漏らすわよ!?」
とんでもないカミングアウトである。恥も外聞もない由乃の発言に“複製する狐(コピーフォックス)”と“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”の胸が熱くなる――やっぱり由乃ちゃん面白いなぁ、という気持ちが嫌でも溢れてくる。
しかし、由乃の捨て身の発言は、元凶にとっては逆効果だった。
「別にいいけど」
「えっ」
まるで本当のお姉さまのように、慈愛に満ちた笑みを浮かべる“鋼鉄少女”。
「漏らしちゃえば? 二人だけのヒミツ、つくっちゃお?」
「――やめろぉぉぉーーーーーー!! “狐”とめろ早くーーーー!! はやくーーーーーー!!」
ヤバイ。我慢の限度を超えたらしく、由乃は半泣きで半狂乱だ。
さすがに止めた。いくらなんでもこれ以上は由乃がかわいそうだ。だいたい“鋼鉄少女”の発言もおかしい。二人きりならともかく衆人環視なのにそんなことはしちゃいけない……いや、二人きりでもダメである。絶対ダメなのである。いくら生意気で可愛い下級生が相手でもそんなことはしちゃいけないのだ。
「冗談だってば」
「冗談になってない! ――あと武嶋蔦子! なんでさっきカメラ構えてた!? 私が漏らすこと期待してたの!?」
「え、なんのこと? 蔦子わかんない」
「……」
由乃の体力はだいぶ削られているものの、闘争心だけは誰よりも燃えたぎった。どいつもこいつもいつか思い知らせてやる、などと物騒なことを考えるのも、人並み外れた持ち前の闘争心のせいである。
「由乃ちゃん」
“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”がポケットから“折りたたみナイフ”を取り出した。圧縮していたものを解除したのだ――再び圧縮はできそうにないが、“結界”内でも解除はできるようだ。
「恨みを晴らすのは後にしてね。そろそろ始まる」
「――わかってます」
頼もしいまでに殺気走っていた由乃の表情が、違う意味で引き締まる。それを見届けて由乃を戒める縄に刃をあてた。
白薔薇勢力の精鋭と闘える。
具現化使用禁止というハンディがあるものの、由乃の心は躍った。
――藤堂志摩子の安全が確保された今、もう静観などしなくていいのだ。聖が黙ってやられる理由はなくなったし、ここにいるメンツは聖にとっての人質にはならない。
もう立場を考えて我慢する必要はないのだ。
暴れようが負けようが構わないのだ。
卑怯な手で薔薇が手折られることもないのだ。
「まあ、アレだわね」
縄を解いて立ち上がる由乃に、全員が注目する。
「目覚めていない者を巻き込むような連中、許せないわよね」
それに対する答えは決まっている。
「「当然」」
まずは逃走。体育館からの離脱。
――後に、殲滅だ。
二度とふざけたことができないように一人残らず叩き潰す。
11分前
神聖なるお聖堂には、気が触れそうなほどの並々ならない殺意と闘気が入り混じる。
まるで聖なる存在を完全に塗りつぶすかのような悪意の中央に、二人の生徒が立っている。
“白き穢れた邪華”佐藤聖と、“冥界の歌姫”蟹名静。
目撃者さえいれば確実にリリアン史に残るであろう、激しい一戦が始まった。
「――」
前動作もなく静が駆ける。半透明のマリア像“冥界の歌姫”を背負ったまま。
殺された足音も、走りながらでも相手の動きに必ず付いていけるよう呼吸を読み、相手のあらゆる動きを想定している瞳も。肌が焼けるような闘気に反した精密機械のような冷徹さを感じさせる。
(ああ、こりゃ本当に強いわ)
静の挙動を粒さに観察する聖は動かない。ほとんど身構えることなく静の攻撃は始まった。
ボッ
静の正拳を最小限の動きで回避し、すかさず“冥界の歌姫”が追撃を加えてくる。大気に穴を開ける巨大な“拳”は風を巻き上げる。直撃しようものなら聖でも一撃で沈んでしまうかもしれない。間近で感じると寒気がするほどだ――令はこれを食らってよく平然としていられたものだ。
だが、この交互の攻め手は読んでいた。聖は余裕を持って“冥界の歌姫”の攻撃も回避し――更に続く静の連携にも対応し、紙一重で華麗にかわし続ける。
もちろん、それだけではなく。
静が攻撃を繰り、どう追い込んでいくか、聖は見抜かぬまでも予想を立てねばならない。
“輝く紅夜の蕾”小笠原祥子などは、回避させることで相手を追い込んでいくという高度な技術を駆使する――そして静も同じタイプだ。
ただ、違う点を上げるとすれば――
「おっと」
横手、死角、完全に虚を突いた不意打ちの一撃を、聖は頭を下げてひょいと回避した。
祥子と違う点を上げるとすれば、静の“冥界の歌姫”は、一度に複数体操れることである。単純に手数が違う。
「ちっ」
静は舌打ちした。
これが昨日、支倉令を相手に手の内を明かした代償だ。“冥界の歌姫”の一撃は、頭部に入れば一撃必殺。「複数使える」という事実さえ聖にバレていなければ、ギリギリまで一体だけを使用し続け、土壇場で二体、三体で一気にけりをつける手も使えたのに。
――もっとも、そう簡単に勝てる相手だとは思っていないが。バレていようがいまいが。簡単に勝てるような相手ならすでに誰かが倒しているだろう。
そのまま静本体と“冥界の歌姫”二体で攻め立てる。
しかし、それでも聖の身体に触れることは適わない。昨日の支倉令の時より手数も多いのに。
静は舌を巻いた。
(さすが)
聖はまだまだ余裕がありそうだ。
それに聖はまだ攻撃を放っていない。
聖の異能“シロイハコ”は、一度だけ間近で見たものの、特性がわかっていない。まさかただの物理攻撃具というわけではないはずだ。
(ならば――)
静は鋭い上段蹴りを放った。綺麗な弧を描き側頭部を狙うつま先を、聖は放たれる前からそれが来ることを悟っているかのようにしゃがんでかわす。振り上げた足が地に着く前に“冥界の歌姫”で聖の追撃を放つも、これもジャンプで回避される。その回避を読んで先読みで動かしていた二体目の“拳”も、両手で受けて浮いた身体を泳がせて威力を殺す――
(かかった!)
静の読み通り、聖は細い長椅子の背に緩やかに降り立った。
そう、狙いはここだ。
聖の背後を取るように出した三体目の“冥界の歌姫”が、聖の左のつま先が着地した瞬間、その椅子を“拳”で破壊した。
「お?」
降り立つ予定だった場所が瞬時に瓦礫と化し、宙にいる聖の身体が傾ぐ。
完全に仰向けになって背中から落ちる聖の目の前に、二体のマリア様が現れる。光を受け透き通る神々しい姿とは裏腹に、彼女らは罪人に罰を与えるが如く掌を固めるのだ。
容赦なく振り下ろされる“拳”を、聖は両腕を交差させてガードし――身体はいとも真下に叩きつけられ、簡単に椅子の瓦礫と床板を抜いた。
両腕の隙間から、聖の瞳が輝く。
間髪を入れない二発目が、がら空きの腹部に飛んでくる。これもガードする。身体が沈む。また“拳”が飛んでくる。これもガードする。身体が沈む――繰り返しである。
しかし、その速度はまるで豪雨である。何年も、何十年もかけて岩に穴を穿つ雨が、局地的に集中する。三体による1秒に数十発の“拳”の雨に聖は溺れる。破片が舞い、往復する腕で聖の様子は見えないが、“冥界の歌姫”を操る静は聖がそこにいることがわかっている。
――だが、静が知ったのは驚愕である。
一滴一滴が致命傷になるような雨に降られながらも、聖はそれら全てを極めて冷静にガードしている。
だから迷った。
(このまま押し切れる? それとも――)
静の“冥界の歌姫”は、一体ならともかく、複数体の使用は非常に燃費が悪い。しかも動かし続けると更にエネルギー消費量は増す。今この状況を続ければ、きっと5分も掛からず闘えなくなるだろう。
果たして、このまま5分間攻め立てて、聖に勝てるのか?
相手はこの乱打全てを確実にガードするような存在だ。もはや静の想像も及ばないような反射速度で反応している。
ダメージは、なくはないだろう。
痛みや衝撃は蓄積し、いつか必ず聖のガードを突き破るはず。
しかしそれが5分以内に訪れるかどうか――それはもう賭けだ。
迷った隙をついた、というわけでもないが、殴りつける“拳”の伝わる感触が変わった瞬間、静は反射的に大きく跳び退り距離を取った。それから“冥界の歌姫”を解除する。
巻き上がる埃は、一瞬にして粉々になった椅子や床の破片である。
その煙のようなもやを掻き分けるようにして、人影が揺れる。
「――っ!」
ギリギリだった。静はわずかに身を引くことで、そこから伸びてきた何かを回避した――ほとんど偶然、静の意識より早く身体が動いていた。
白い、何かが飛んできて、もやの中に戻っていった。
(“シロイハコ”か……)
はっきり見えなかったが、ミルクホールで一度見た“骸骨の腕”だ。
実際向けられるとよくわかる。
聖の“シロイハコ”の攻撃は、攻撃の気配がないのだ。元々聖から発せられている闘気だの殺気だのはまったく変化がなく、気配の変化による先読みができない。
それがこんなにも恐ろしいだなんて、向けられてみないとわからない。
「ふー」
息を吐きながら、埃っぽくなった聖が歩み出てくる。
右袖が肩からなくなり、左袖の肘から下が吹き飛んでいた。白く美しい腕が痛々しく赤くなっているのは、受けた“拳”のせいで内出血でも起こしているのだろう。
「――静さん、私は考えを改めた」
「……」
「インしないのも、いいんじゃないかな?」
――またしても何を言い出す佐藤聖。
「静を見ててずっと考えてた」
――戦闘に集中しろ佐藤聖。
「ロンTのように着こなすのも悪くないように思えてきたんだ。成長期のせいだろうか、夏休みを越えたら裾が短く感じられる上着、それを恥らう少女……そして体操服という中途半端な長さの体操服(ドレス)からチラチラ見えてしまうブルマ……」
「……」
「それに私は忘れていた。――そう、腹チラを。躍動感溢れる少女達の健康的な汗がはじける時、時折り覗くなだらかかつ美しい腹部の曲線……まさに芸術。これはインしていては見られないのだから」
「……」
「国は間違ってなかったんだ。両方とも楽しめと。両方を兼ねたいがゆえに規制しないと。時の権力者はそう言いたかったんだと思う。その深い思慮を読み切れないなんて……はは、私はまだまだ未熟者だ(エロ的な意味で)」
「……」
「でもどうしてブルマを禁じたんだろう? そこだけは国の失策だと思うね」
「国は一切関係ないと思いますが、聖さまみたいな人がいるからブルマは廃れたんだと思いますよ」
「ブルマを愛でる人がいるから?」
「そうです」
「いいじゃない」
「ダメです。絶対ダメです」
聖の殺意が、また一段高くなる。
「――じゃあ、続きやろうか? 私もだいぶ身体がほぐれてきたし、そろそろがんばるよ」
静はこの時、改めて思った。
――佐藤聖は、三薔薇は、間違いなく化け物である。
ごめんなさい。重いです。とことん重いです。
「祐巳のこと、お願いします」
雨の中、祐巳は傘もささないまま聖さまの胸に飛び込んでいた。
……これは私の罪。
……私が、祐巳をここまで追い詰めたのだ。
「祥子お姉さま」
側に居た瞳子ちゃんが迎えが来たことを教えてくれる。
今は祐巳に構ってはいられない。
大丈夫、祐巳は分かってくれる。
きっと。
祐巳を聖さまに託し、迎えの車へと向かう。
耳障りな音がした。
クラクションの音。
振り向けば、そこに雨でスリップしたのかバイクが横を見せて向かってきていた。
「えっ?」
「お姉さま!」
祐巳の大きな声が響く。
瞬間、何かがぶつかった。
そのまま迎えの車に体を打ち付ける。
痛みの中に、雑音と悲鳴が聞こえた。
傘を手放してしまい雨に打たれ、道路に溜まった雨水に制服が濡れた。
頭を振り、何が起きたのか確認しようとする。
祥子は、その光景が何なのか分からなかった。
スクーターと呼ばれるバイクが倒れていた。
その向こうにヘルメットをした人がフラフラしながら、立ち上がろうとしていて、周囲には傘を差したリリアンの生徒たちが、取り巻いている。
側では、傘を落とした瞳子ちゃんがガクガクと震え。
何かを見ていた。
「?」
視線をそちらに向ける。
誰かが倒れている。
制服はリリアンのもの。
髪は左右で祐巳のように結んでいた。
祐巳のように……。
それは祐巳だった。
雨の暗さに反応したのか街灯が点く。
その明かりの中に浮かんだのは、真っ赤な水溜りに横たわる祐巳の姿だった。
「……あっ、ゆ、祐巳?」
先ほどぶつかったのは祐巳だったのか?
祐巳が運転ミスをしたバイクから祥子を助けてくれたのか?
祥子は汚れるのも構わずに、四つん這いで祐巳に近づいて触れる。
冷たかった。
きっと雨なんかに打たれているから。
「祐巳」
祐巳を揺り動かす。
起きない。
駄目よ、こんなところで寝ていたら風邪をひいてしまう。
「祐巳」
祐巳は動かない。
汚れた顔で、赤い水溜りに寝そべっている。
何処かで、聖さまの声が聞こえた。
瞳子ちゃんの悲鳴が聞こえた。
……そして、私の声がした。
リリアン女学園のお聖堂。
真っ赤な薔薇が祭壇を埋め尽くしている。
その中央に、笑った祐巳の写真。
微笑んでいた。
其れなのに、祥子の周りは皆泣いている。
どうして泣くのかしら、ほら、祐巳はあんなに笑っているじゃない。
赤い薔薇はやっぱり祐巳に良く似合う。
きっと、来年、祐巳は紅薔薇として大きな花を開くだろう。
「祥子」
側に、蓉子さま……お姉さまが座る。
そのまま祥子の頭を抱え、抱き寄せる。
「泣きなさい、今の貴女は泣かないといけない」
泣く?
どうして?
そんな資格、私にはない。
だって、私は……。
……祐巳を。
…………。
「そうね」
お姉さまはギュッと力強く抱きしめる。
限界だった。
「お、お姉さま……お姉さま!」
お姉さまの暖かい体温が、疲れた心と体を優しく包み込み。
抑えていた心が噴出す。
「祐巳を!祐巳を!」
お姉さまは何も言わない。
ただ、優しく包み込んでくれていた。
祥子は泣いた。
ただ、ただ。
泣いた。
……。
…………。
「申し訳ありません、お姉さま」
「いいのよ、祥子は妹なのだから甘えてくれて」
今、お聖堂には祥子とお姉さまの蓉子しか居ない。
いや、三人。
ここには祐巳も居るのだから。
きっと、皆、紅薔薇一家に遠慮したのだろう。
「少し、眠りなさい。居てあげるから」
「お姉さま、すみません」
蓉子さまは無理に連れて行こうとはしない、ここで眠りなさいと優しい声で包んでくれる。
祥子は、祐巳を包んでやれなかった後悔をしながらも、疲れた心と体は休みを求め。
いつしか、眠りへと落ちた。
マリア様……祐巳を返してください。
私の祐巳を。
新学期。
長かった夏休みが終わった。
確かに、人の傷というものは時間が癒すことがあるのだろう。
ただし、それは人によってはまだ癒されてはいないと言うこともある。
しかし、これは何の冗談か。
新学期早々にこれは無いのではないか?
乃梨子は騒がしい教室の中を見渡すこともなく。
ただ、正面を見ていた。
一年椿組はざわめきに満ちていた。
壇上。
担任の先生さえも動揺を隠しきれて居ない。
全てはそこに居る転校生が原因。
「ふくざわゆみと言います。父の都合でこちらに引越ししてきて、母の母校ということでこちらの学校にお世話になることに成りました。皆さん、よろしくお願いします」
左右に分けたツインテールが、ゆみと名乗った転校生の頭で揺れる。
そして、黒板に書かれていた彼女の名前は……。
『福沢祐巳』
彼女の自己紹介で、教室のざわめきは静寂へと変わった。
本当に、何の冗談?
優しく笑うその微笑みは、乃梨子の良く知る。あの先輩の笑顔だった。
「……」
ただの転校生だったら、ここまでは無かっただろ。
一年椿組の空気は一言で異様だった。
乃梨子の経験から言えば、ここのお嬢様たちは転校生に色々世話を焼こうとするものだが、今は皆、遠巻きに離れ眺めている。
そして、廊下には異常なほどの生徒たちが溢れていた。
中には、二年生、三年生の上級生たちの姿も見える。
それ程の生徒が溢れているというのに、そこに声一つ、物音一つ無かった。
転校生の彼女は、外の様子や教室の様子に戸惑いながらも自分の席に着いている。
この異様な状態は以外に早く、当然だとは思うけれど。次の休み時間には破られた。
この休み時間も廊下には生徒が溢れていたが、突然騒がしくなり。見てみると、そこに黄薔薇の蕾である由乃さまと蔦子さま、真美さまの三人が立っていた。
三人とも転校生の姿を見て、固まっている。
「……祐巳さん」
由乃さまのその言葉が騒動の引き金を引いた。
先程までの静寂は何だったのかと言うように、ざわめきは廊下でも教室でも大きくなる。
騒動は、時間を追って大きくなっていく。
昼休みには、こんな騒動には無関心なはずの乃梨子のお姉さまである白薔薇さまでさえ姿を現し、その横には黄薔薇さまである令さまも来られていた。
その表情は……?
令さまは由乃さまたちのように驚きだったが、志摩子さんは……?
怒っているような。
悲しんでいるような。
よく分からない表情。
「乃梨子」
その志摩子さんが呼んだ。理由は分かっているので、お弁当を持って廊下に出る。
向かうのは薔薇の館だろう。
あそこなら一般生徒は来ないから。
予想通り、志摩子さんたちは薔薇の館に入り、乃梨子も後に続いた。
「来たわね」
薔薇の館には、由乃さまに蔦子さま、真美さまの三人が揃っていた。
由乃さまは挨拶も無く、お弁当を開く。
だが、箸はつけない。
「アレは何?」
いきなりそれは無いと思います。由乃さま。
「転校生です」
「彼女の名前、聞いたけれど。本当?」
「本当です。字も同じでした」
乃梨子もお弁当を開くが、やはり箸をつけてはいない。いや、ここにいる誰も箸を動かしてさえいない。
「やはり、別人よね?」
「名前も字も同じで、身長も同じ位で、同じ顔の別人?」
「声も同じでした」
沈黙が支配する。
「学年が違うから、年下よね?」
「一つ年下の、名前も字も同じ、身長も同じくらい。同じ声の同じ顔の別人?」
由乃さまは意地悪く笑う。
「ねっ、乃梨子」
「何ですか?」
「彼女は教室ではどんな感じなの?」
そう言った志摩子さんは何時ものように優しく微笑んでいる。
んっ、問題は無い。志摩子さんも戸惑っているだけなのだろう。
「今は誰も話しかけないので、一人でいます。教室の様子や廊下の人だかりに、驚いた顔をしているようでした」
「乃梨子は?話しかけていないのかしら」
志摩子さんの言葉に、乃梨子は頷く。
「ごめんなさい」
「いいのよ、乃梨子が謝るような事ではないわ。付き合いが短かった貴女にしても、流石に複雑でしょうから」
確かに志摩子さんたちにしてみれば、まだ付き合いは浅かった。それでも世話を焼いてくれ、色々な話もしたのだ。
「瞳子ちゃんは?」
その名を出したのは由乃さまだった。
「瞳子は……震えています。一度も彼女の方を見ようとはしません」
その姿は痛々しい。
瞳子は目の前で見ているのだから。
瞳子の事を聞かれ、紅薔薇さまのことを考える。
「あの、紅薔薇さまには……」
聞かれることを予想していたのか、令さまは溜め息をつく。
「現状、三年松組が結束して、その情報は祥子の耳に入らないようにしているみたい。まぁ、夏休み前の祥子の様子を直に見ているから、彼女たちも必死に守っているんだろうね。それで三年の方全体も、廊下ではそのことに触れないような空気に成っているよ」
祥子さまは、三年生たちによって守られている。
祥子さまには今、包み込んでくれる姉も支えになる妹もいない。
ただ、一人。傷を負いながら立っている。
「ふぅ、まいったね。夏休みが明ければ少しはと思っていたけれど、この騒動か。本当に、何者なんだろうね彼女は」
「双子とか?……ごめん、今のは聞かなかった事にして」
「真美さん……はぁ、あっ、そうだ。新聞部としてはどうするの?」
真美さまの見当違いの話に、溜め息をついた由乃さまは突然新聞部の話を切り出す。
「彼女のこと、記事にするの?」
あっ、そう言う事か。
「そんな事、出来るわけ無いじゃない。相手はただの転入生よ……基本は」
「ただのって」
「だから、基本はなの。何?似ているから?同じだから?それでどう取材しろと、無理よ。流石に逸脱しているもの、まっ、学校新聞の限界とでも思っていていいから」
確かに、普通に見れば彼女はただの転入生。
騒ぐことではない。
それにしても……。
「それにしても、私たち彼女のこと名前で一度も呼んでいないわよね?」
乃梨子の思考を代弁するように、由乃さまが呟く。
仕方が無い。
余りにも重い名前なのだから。
結局、乃梨子たちは誰もお弁当に箸をつけることなく。
お昼休みは終わった。
午後は午前中の騒動が嘘のように、静かな時間が流れた。
クラスメイトの話だと、たぶん高等部の一年から三年までのほとんどの生徒が彼女を見に来たと考えられる。
今は、クラスメイトたち同様、それぞれが彼女に対して思案の中にあるのだろう。
だが、これは嵐の前の静けさにも似ていた。
そして、嵐は放課後に吹き荒れる。
「貴女は!何者なんですか!?」
今まで脅え、彼女から逃げて震えていた瞳子がついに爆発した。
「祐巳さまの姿で声で名前で、貴女は誰なのよ!」
瞳子の表情に余裕は無い。
蒼白な顔色は、一日中振るえ脅えていた証なのだ。
一方の彼女は、何が起きているのか分かっていない様子だった。
いや、驚いて脅えているようにも見える。
「ちょ、ちょっと瞳子!」
「乃梨子さんは黙っていて!」
「そういう訳にもいかなじゃない」
乃梨子は彼女を見る。
「で、ですが!」
「彼女は祐巳さまではなく。祐巳さんよ」
乃梨子は意を決して、その名を口にした。
瞳子も黙ってしまう。
重い。
人の名前が、こんなに重いなんて知らなかった。
「あ、あの松平さん?」
突然、祐巳さんは乃梨子の横から顔を出してそう言った。リリアンでは決して使われない呼び方。
「すみません、私がどうかしていました。許してもらえると助かります」
瞳子は落ち込んでいた。
「ううん、いいよ。何か事情あるみたいだし、でも私はお友達に成りたいんだ……ねっ」
祐巳さんの様子に驚いていた瞳子の手を取って、笑う。
あの人の屈託の無い笑顔のままに。
「ごめんなさい、まだ、心の整理がつきませんの」
「うん」
瞳子は顔を伏せたまま、祐巳さんの前から下がった。
「ありがとう、二条さん」
「えっ?」
不意に自分の名前を呼ばれ驚く。
「松平さんに怒られているの助けてくれたでしょ?」
「あっ、うん」
「だから」
「あ〜、いいの。其れよりも、祐巳さん。人の呼び方が違うよ」
「呼び方?」
「そう、ここリリアンでは苗字ではなく名前で呼ぶの。私の場合は、乃梨子さんに成るわね」
祐巳さんは、そうなのと笑った。
その笑顔は、間違いなく祐巳さまだというのに。
「それなら二条さんは……」
「乃梨子さんね」
祐巳さんにリリアン風に呼ばれ、背筋が寒くなる。
どうしても祐巳さまに呼ばれたようにしか聞こえなかった。
「申し訳ないけれど、色々教えてね」
「えっ、う、うん」
乃梨子はただ頷いた。
彼女……祐巳さんは目立っていた。
翌朝、乃梨子は銀杏並木の先を歩く祐巳さんを見つけたが、周囲を取り巻く生徒たちの視線にも気がついた。
多くの生徒は、廊下から遠目で見ていただけだで、間近に見て改めて驚いているようだ。
意を決して祐巳さんに近づく。
「ごきげんよう、祐巳さん!」
出来るだけ明るく大きな声で。
「おはよう、乃梨子さん」
「あっ、あはは。祐巳さん、アドバイス。リリアンでは何時でも挨拶はごきげんようなんだよ」
「そうなの?」
「うん」
「そう言えば母が、そんな事を言っていたなぁ。すっかり忘れていた、あはは」
その笑い方は、どこまでもあの方に似ていて。
「乃、乃梨子さん?!」
「うん、ごめん。何でもないの、ははは」
涙を流してしまう。
「ふぅ、大事な友人の乃梨子さんを泣かせてしまうなんて、年上失格ね」
「えっ?」
今、何か聞き流してはいけないことを聞いた。
「あ、あの、今さぁ。年上って言った?」
「うん、私、留年しているんだ。だから、本当だったら二年生なの」
由乃さま!
同じ名前で同じ字で同じ身長で同じ声で同じ顔で同じ年齢の別人です!
「ち、ちなみに誕生日は?」
祐巳さんが語った誕生日は祐巳さまと同じだった。
本当に祐巳さんは祐巳さまではないのだろうか?
こんなこと、あって良いのだろうか?
同じ名前で同じ字で同じ身長で同じ声で同じ年齢で同じ誕生日で同じ顔の別人?
真美さまの双子の話の方がまともに聞こえてくる。
「と、言うことでリリアン風だと……」
「乃梨子ちゃん」
「……に成るのかなぁ」
ゾクッとした。
乃梨子さんと呼ばれたときの非ではない。
祐巳さんに乃梨子ちゃんと呼ばれた瞬間。乃梨子は間違いなく、祐巳さんを祐巳さまとしか思えなくなる。
「あはは、冗談、冗談だってば。そんな怖い顔しないでよ」
「えっ?あぁ、ごめん」
「そうそう、笑って、ほらマリア様」
祐巳さんは、祐巳さまの笑顔で笑っていた。
……比べてはいけないのに。
そう思いながら祈りをささげる。
「祐巳?」
その声に乃梨子は体を硬くした。
「えっ?」
「はい、何でしょうか?」
横で祐巳さんがゆっくりと体で振り返る。
「ごきげんよう」
祐巳さんは微笑む。祥子さまに向かって。
「ゆ……祐巳なの?」
「はい、祐巳ですが?」
今にも泣きそうな祥子さまとポッカンとしている祐巳さん。
どう見ても反応が違う。
「祐巳!貴女は!」
「祥子さま!彼女は違います別人です!」
乃梨子はまずいと、祥子さまの前に出て祐巳さんとの間を塞ぐ。
「別人?」
「信じられないかも知れませんが、彼女は転校生なのです!」
「でも、祐巳って言ったわ」
「彼女の名前は……ふ、福沢祐巳さん。でも、別人なんです!」
祥子さまは不振な表情で乃梨子を見ている。
「乃梨子ちゃん、ここまで姿が同じで名前が同じ人なんていると思うの?」
「それでも居るんですよ!」
「事実ですよ。紅薔薇さま」
援護は祐巳さんから飛んできた。
「昨日、こちらの転校して来ました。福沢祐巳と言います。先ほど、紅薔薇さまがおっしゃった祐巳さまとは別人に成ります。確かに、名前も姿も似ていると思いますが別人ですので、お忘れなく」
「祐巳?」
祥子さまは驚き戸惑っている。
乃梨子も驚いている。
「乃梨子さん、行きましょう。それでは紅薔薇さま、ごきげんよう」
「ゆ、祐巳さん?!」
乃梨子は祥子さまに頭を下げて、祐巳を追った。
追いつき、気に成ったことを聞いてみる。
「祐巳さんは、祐巳さまのこと知っていたの?」
「うん?ううん、知らなかったよ。でも、余りにも周囲の反応が気に成って調べたら、簡単に分かった。紅薔薇の蕾だった人のこと」
「そう」
「乃梨子さん、白薔薇の蕾なんでしょう?」
「そ、それも調べたの?」
「残念ながら、オマケのように出てきたよ」
「オ、オマケ?」
「うん」
少し意地悪そうに笑う祐巳さん。確かに乃梨子もこの学園では有名人ではある。
「教えなくって、ごめん」
「だから、いいって、だって乃梨子さんにしても大事な人だったのでしょう?紅薔薇の蕾は」
祐巳さんの言葉に、乃梨子は頷く。
「そうか」
溜め息のような祐巳さんの声が、空に消えていった。
「はい、お父さま……えぇ、大丈夫。こちらには志摩子もいますし、えぇ、それでは……お母さまにもよろしく。おやすみなさい」
電話を切った。
今時珍しいアンティークのダイヤル式の電話機。
「ごめんなさい、少しお喋りが過ぎたわ」
家の本堂くらいの広さはあるのではないかと思うようなリビング。
彼女は微笑みながらお茶の用意を始める。
「かまわなくっていいわ、それよりもどうしてリリアンに来たの?」
「んっ?」
彼女は、何のことと言うように志摩子を見た。
その姿は、彼女を思い起こさせる。
いや、彼女は彼女なのだけれど……。
「変なことを聞くのね。それは予定通りのことでしょう?」
「これが……予定通りと言うの?」
「そう、祐巳が消えて祐巳がリリアンにやってくる。これは最初から決まっていたことよ。もっとも、それが何を引き起こし何が終わり始まるのかは、私も知らない話ではあるけれどね」
彼女は笑っている。
志摩子はただ目の前の友人の少女を睨んでいた。
「すべてはここから始まるのよ。私は私の人生がどう始まり終わったか知っていたけれど、今の私がどうなるのかは知らない。ここからは、この福沢祐巳の人生の本当の始まりなの」
彼女は自分で淹れたコーヒーに口をつける。
砂糖もミルクも無しに。
「……ね」
そして、笑った。
「……祐巳さん」
志摩子は小さな声で彼女たちの名前を呟いた。
銀髪祐巳の前に出来上がってはいたのですけれど……反応を見ながらと思っています。
クゥ〜。
冷たい風が、肌を突き刺す十二月の放課後。
白薔薇さま藤堂志摩子は、白磁の様な頬を赤く染めて、薔薇の館に足を踏み入れた。
ギシギシと軋む階段をゆっくりと昇り、ビスケットと称される扉を、静かに開く。
「ごきげん……よう?」
挨拶した彼女の声は、何故か尻上がりになっていた。
『ごきげんよう志摩子さん』
「ごきげんよう白薔薇さま」
「ごきげんようお姉さま」
「んさ子摩志うよんげきご」
室内にいた顔ぶれが、若干の違和感を醸し出しつつ、志摩子に挨拶を返す。
紅薔薇のつぼみ福沢祐巳、黄薔薇のつぼみ島津由乃、紅薔薇のつぼみの妹松平瞳子、白薔薇のつぼみ二条乃梨子。
しかし、そんな彼女たちをさておいて、一番最初に志摩子の目に入ったのは、部屋の中央に位置する人物の姿。
昨年までのクラスメートであり、また個人的にも世話になっている友人、自称写真部のエース──武嶋蔦子。
そして彼女は何故か、上下逆さまだった。
蔦子は、最近は見かけないがバラエティ番組などで人間ルーレットに使われるあんな装置みたいなものに固定されており、ちょうど天地が逆になった状態だ。
(??????)
志摩子は、困惑の表情で、同僚たちの行動を見つめるばかり。
「大丈夫? つらくなったら言ってね」
「よいいてけ続ままのこ、らかだ夫丈大だま、ぁま。ぇねのるえ考とこな妙、くたっま」
この面々の中では、体力面においては一番の蔦子だが、流石に長時間の逆さまはツライのだろう、大丈夫と言いつつも、顔は真っ赤。
いくら固定されているとはいえ、身体は無意識に己を支えようとするし、結果あちこちに無駄な力が入る。
そうなれば当然血流が早くなり、頭に血が上るのも早くなる。
「なか界限ろそろそ、ンメゴ〜〜ん」
「じゃぁ戻すよ」
ゆっくりクルリと円盤が回り、蔦子の上下が元に戻る。
「あ〜、思っていたよりキツイわねコレ」
「ゴメンね無理言って。まだいける?」
「ちょっとぐらいならね」
「じゃぁ、休憩してからもう一度」
「うん」
何をしているのかサッパリ分からず、口出しもままならない。
志摩子は、今この中で一番頼りになるであろう妹に、視線を送った。
しかし乃梨子は、祐巳、由乃に目を向け、小さく首を振ると、あからさまに志摩子から目を逸らした。
なんのことはない、妹もワケが分からないまま、ただ従っているだけのこと。
とりあえず志摩子は、事の推移を見守ることにした。
「それじゃ、もう一度いくよ」
「はいな」
グルリンと円盤が180度回転し、再び蔦子が逆さまの人となる。
逆立ちなんて、一分も出来れば良い方。
30秒も経てば、蔦子の顔は嫌でも赤らむ。
「?るれくてし戻。わだメダ然全りよきっさ、ーあ」
返事も待たず、回転を担当していた瞳子が、再び円盤を180度回転させた。
「はぁ〜〜〜……。もういいかな?」
「あぁ、うん。ありがとう蔦子さん」
円盤を回転しないようにロックし、瞳子と乃梨子が、固定ベルトを外してまわる。
蔦子を降ろし、装置を部屋の片隅に押しやり、テーブルを元の位置に戻す。
そして蔦子を上座に座らせ、
「はい蔦子さんお疲れ様。お礼とお詫びに、イイトコ見繕ったからね」
彼女の前に差し出されたのは、切り分けられたロールケーキ。
しかも、真ん中の一番いいところだ。
香り立つミルクティーも添えられる。
全員が席に着き、ケーキと紅茶で一息吐いた。
「で、結局何をしていたの?」
ようやく落ち着きを取り戻した会議室、志摩子はやっと疑問を投げかけることが出来た。
「寒いでしょ?」
「そうね、冬だし」
疑問符に疑問符で返してきた祐巳に、とりあえず相槌を打つ。
「それでね」
「ええ」
「欲しいと思ったの」
「何を?」
「暖房器具なんて、あったら良いと思うよね」
「そうね」
「だから」
「だから?」
イマイチ要領を得ないが、辛抱強く、相手から答えを聞きだそうとする。
「だから、蔦子さんにお願いしたの」
「どうして蔦子さんなの?」
「ほら、『蔦子』を反対に読んだら、『コタツ』になるでしょ」
それを聞いた志摩子は、思わず瞳子見た。
しかし彼女は、あからさまに志摩子から目を逸らした。
「コタツになったら、少しは暖かくなるかなと思ったけど、そんなこと無かったねぇ」
今尚語る祐巳を、どうしたもんだろう、と思い悩む志摩子の隣から。
「バッカねぇ祐巳さん。蔦子さんを逆さまにしたところで、暖かくなったりしないわよ」
あまり当てにはしていなかった由乃が、一応まともに祐巳を諭しているので、一安心。
「でも、コタツだよ?」
「だからぁ……」
しかし志摩子は、由乃の次の一言で凍りついてしまった。
「だってコタツは、入らなければ意味がないでしょ?」
彼女らとの付き合いは割と長いが、それでも時折見せるこの様な突飛な言動には、困惑させられることしばしば。
志摩子は、来年から薔薇さまとなる彼女らと、生徒会の仕事を問題なくやっていけるのか、不安な気持ちにならざるを得なかった。
※恒例の宣伝SSです。
ネタバレ注意!!
薔薇の館。
「事件です」
「ごきげんよう」抜きに部屋に飛び込んできた乃梨子がそう言った。
「おおっ、乃梨子ちゃんがこの台詞でここに来たって事は――」
中にいたメンバーはいい加減わかっているので盛り上がる。
「集英社BOOKNAVIにて2010年12月28日『マリア様がみてる ステップ』が発売されることがが告知されました」
乃梨子の台詞を聞いて全員がキタ――――(・∀・)――――ッ! と叫ぶ。
【うp主からの忠告】
ここから先はデンジャラスゾーンです。
勘のいい人は2010年12月28日発売の『マリア様がみてる ステップ』がどういう話かわかってしまったり、そのギミックに気づく可能性が高くなりますので、お引き取りください。
「それは、今年のコバルト7月号で載っていた短編だね」
祐巳が確認する。
「はい。短編は『私の巣』のように読み切りから展開した長編になるか、もしくは類似のテーマの書き下ろしを含んだ『バラエティギフト』になりますので、どちらかと見ていいでしょう」
「じゃあ、また環さんや百さんのようなニューキャラで展開していくの? 黄薔薇の出番はあるのかしらね」
由乃がため息をつく。
「えっ」
乃梨子は息を飲み、そして目を伏せた。
「乃梨子、どうしたの」
志摩子が乃梨子の様子を見て尋ねる。
「ええと、皆さん雑誌はお読みには――」
「私は文庫本が発売されるまでは読まないけど」
瞳子が答える。
「私もです」
菜々が相槌を打つ。
「私は主人公特権で自分が出てないCDも貰った」
「それは中の人のネタじゃないですか!」
祐巳の中の人は自分の出てないコバルトの全プレのCDをもらったことがあるらしいです。
「私は雑誌も読むわよ」
「私も」
と答えたのは志摩子と由乃だった。
「ま、待ってください。これ以上は『ステップ』を読む楽しみとギミックを台無しにしてしまうほどの強烈なネタバレになってしまう可能性が――」
「どうして?」
志摩子は微笑んで聞く。
「ええと、ですから、その――」
「コバルト7月号の『ステップ』を読んだけど、何がどうしてネタバレになってしまうのかしら?」
「ええっ!!」
乃梨子はうろたえた。
(読んだはずなのに『気づいて』ない人もいる。って、いうか、ここにいる人で『気づいて』いるのはおそらく私一人。私さえ口をつぐんでしまえばネタバレは起こらない……しかし、『ステップ』は『マリみて』主要登場人物に密接に関係のある話で、その人物のファンには絶対に買ってほしい、読んで欲しい物語……駄目だ、やっぱり言えない……○○が☆☆の◇◇だなんて)
「そういえば、このうp主さんブログにコバルト7月号の感想書いてたわよね」
瞳子が思い出す。
「馬鹿っ! そんなことは思い出しちゃいけないっ!! あれは『気づいた』ら面白さが半減するのにっ!!」
いつもと違う乃梨子の強い口調に全員が驚く。
「あ、あのう。乃梨子さまは一体何をご存知なんですか?」
「……」
「乃梨子。正直に言って頂戴。一体何が起きたの?」
志摩子に問い詰められ、乃梨子は差しさわりのないことを語ることにした。
「このうp主さんはある主要キャラクターの周辺人物としか今は言えない人物二人を使ってSSを書いていました。ところが、『ステップ』が発表され、うp主さんは驚いたそうです」
「回りくどい言い方ね。で、何がどうして驚いたわけ?」
由乃が促す。
「なんと『ステップ』はそのうp主さんが書いていた二人の登場人物を彷彿とさせる二人のエピソードで、うp主はいくつかのキーワードによって前半で『気づいて』しまいました。そして、後半の盛り上がり部分は正に『志村ーっ、後ろーっ!!』状態だった、と。うp主はショックのあまりネタバレと称して作者が特定していない書き方なのに○○が☆☆の◇◇だと自らのブログに曝したそうです」
「乃梨子ちゃん、これってうp主のサイトの宣伝?」
祐巳が突っ込む。
「違います! 2010年12月28日『マリア様がみてる ステップ』が発売されるという宣伝SSです!」
「ええと、それで何がどうネタバレなの?」
「『気づいて』なければいいんです。ええ。『気づいて』ない方が幸せなこともありますから」
乃梨子もまた『気づいて』しまった一人であった。
「ええと、よくわからないけれど、ネタバレにならないように2010年12月28日『マリア様がみてる ステップ』発売って連呼すればいいだけだったんじゃないの?」
由乃が突っ込む。
「そ、それはそうですけど……」
「もう、そんなわけのわからないうp主の愚痴なんて放っておいて、みんなが出られるかどうかの予想を立てましょう」
皆に由乃が話題を振るが。
「うわわわわわっ!!」
乃梨子は動揺する。
「だから、乃梨子はどうしちゃったの?」
瞳子が乃梨子を押さえつける。
「お願いです。今日はどうしてもこれ以上は2010年12月28日『マリア様がみてる ステップ』発売の話はやめてください」
「乃梨子さま、どうなさったんですか。2010年12月28日『マリア様がみてる ステップ』発売の宣伝SSで2010年12月28日『マリア様がみてる ステップ』発売の話題をやめろだなんて」
菜々が呆れる。
「乃梨子がそこまで言うのであれば、一度棚上げしましょう」
志摩子がため息をついてそう言った。乃梨子は泣きそうになっていた。
「仕方ない。『お釈迦様もみてる』の話題でもするか」
「そういえば、前回由乃さんが『お釈迦様もみてる』で祐麒と電話で会話してたよね」
祐巳が話題を振った。
「ええ。そっちが来るかと思って、実は用意していたらしいわ。お姉さまの誕生日と発売を記念して……その……わ、私が超時空シンデレラとして、お姉さまに『星間飛行』を歌って踊るというSSだったらしいけど、見事にお蔵入りしたそうよ」
内心ほっとしたように志摩子が言う。
「まあ、『お釈迦様もみてる S-キンシップ』もフタを開けたら家族がテーマで『私の巣』を意識したような話だったじゃない?」
「うわわわわわわわわっ!!」
乃梨子がまた叫ぶ。
「ど、どうしたの?」
由乃が聞く。
「もう、やめてくださいっ!!」
乃梨子がなぜ醜態を曝しているのか。
それは、今の時点では雑誌で『ステップ』を読んで『気づいて』しまった人にしかわからない話だったが、もし、あなたが2010年12月28日発売の『マリア様がみてる ステップ』を読み、『気づいて』しまうか、作者がご親切に○○は☆☆の◇◇と教えてくれると納得します。