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彩色の星春を待つ  No.3249  [メール]  [HomePage]
   作者:海風  投稿日:2010-08-12 10:04:49  (萌:12  笑:33  感:28
【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】【No:3196】【No:3205】【No:3233】から続いています。









 鞄持ちというか、付き人というか、舎弟というか。
 教室を出たところで、そこで待ち構えていた女生徒が歩み寄ってきた。

「今日もお努めご苦労様です」
「…………」
「私、お弁当作ってきました。ちょっと失敗しちゃったけど、食べてくれませんか?」
「…………」
「ええ、もちろん嘘です。よく見抜きましたね。でもちょっとくらい嬉しそうな顔をした方がキュートですよ?」
「…………」

 ――確実に上級生を、自身が言うところの師匠に敬意を払う気がないのであろうことが丸見え……というより隠す気がなさそうな"竜胆"を、蟹名静は見るものを凍えさせそうなほどの冷たい瞳で見詰めていた。




 昼休みと放課後、"竜胆"はこうして静に会いに来る。
 別に静がそう決めたわけでもなく、そのように打ち合わせをしたわけでもなく、自然とそうなっていた――というよりは"竜胆"がそう決めた、と言うべきだろう。静は弟子としての彼女に求めたものなどほとんどない。

("これ"と関わって五日くらいだっけ)

"冥界の歌姫"蟹名静の心中は、なんというか、微妙だった。
 これほど可愛げのない下級生、今まで静の周りにいなかった。しばらく一緒にいればそれなりに好きになるだろうと思っていれば全然そんなこともなく、"竜胆"を可愛いと思ったことは一度たりともない。
 冷静に考えると、逆に不思議なくらいだ。
 死んだ魚のごとき無気力な目で静を慕い、時々笑えるどころかなんかムカッとする冗談を言うくらいには親しくなっているし、他は色々引っ掛かるが言い付けは厳守するくらいには義理立てしているのに。なぜこんなにも可愛くないのだろう。
 普通であれば、慕って懐いている時点で、多少なりとも可愛く思うものなのに。
 なんだろう。
 なぜだろう。
 やはり今日も微妙に可愛くない。

「私の顔に何か付いてますか?」

 じろじろ見ていたら、図太い"竜胆"も変に思ったらしい。

「――解禁」
「はい?」
「今日これから、争奪戦に参加していいわよ」

“契約書”争奪戦への参加を禁止していた静は、前触れもなく解禁を申し渡した。
 つまり、これで静と“竜胆”の一方的な師弟関係は解消となる。
 本当に不思議なくらい可愛いと思わなかった。期間は短いが、過ごした時間はだいぶ濃かったはずなのに。

「…………」

"竜胆"はちょっと考えてから、静を驚かせた。

「そもそも静さまは、なぜ今まで私が争奪戦へ参加することを禁止していたんですか?」

 それは予想外の返しだった。
 争奪戦への参加は"竜胆"が渇望していたことだ。本人は今まで禁止した理由を問わなかったものの、参戦はしたがっていた。その許可が下りた今になって、その理由を訊いてくるとは思わなかった。解禁を言い渡せば、すぐにどこぞへと駆けていくと思ったのに。

「あなたはなぜだと思う?」
「いじわる?」
「…………」
「好きな子だからいじめちゃう、みたいな?」
「…………」
「"竜胆"の困った顔かわいー。って、毎晩ベッドの中で思い出してバタバタしたり悶えたりしているとか?」
「よしわかった。むかつくからその辺でやめときなさい。私の手が出る前にやめときなさい」
「え? 違うんですか?」

 本気で言っているのか冗談で言っているのか判断できないが、どちらにせよ図太い奴だ。死んだ目のままきょとんとしやがって。

「あなたに勝利を与えないためよ」
「勝利を与えない……?」

"竜胆"は強い力を持っている。経験不足のルーキーでありながら、普通にその辺の中堅くらいと張り合える――相性によっては簡単に勝利を得られるだろう強力な異能と、強靭な基礎能力がある。
 だから禁止した。争奪戦と私闘を。
 簡単に勝ちを拾ってしまうと、不必要なプライドが芽生える。そのプライドが敗北を認めず……敗北を受け入れられないだけならまだいい。その結果、確実に勝てる相手としか闘わなくなるような、そんな歪んだ成長をしてほしくなかったからだ。
 静は力に溺れる者、力に振り回される者をたくさん見てきた。
 たとえスタートラインで優遇されているとしても、物事には順序があることを知ってほしかった。それだけだ。

「己の力さえ知らないくせに、誰かに勝とうだなんて百年早いからよ」

 静はかなり端折った。だが伝わろうが伝わるまいが、あまり関係ないだろう。
"竜胆"は己より強い存在をちゃんと認識できている。"玩具使い(トイ・メーカー)"島津由乃とのいざこざでわかっていたつもりだが、何より"紅蓮の魔犬(ケルベロス)"との一件で確信できた。
 なんでも、手負いの“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”を前にしても途中で身を引いた、とか。
 闘争心も薄いが、勝利への望みと敗北への恐怖も薄い。そもそも感情自体が薄い。生きる気力もあまり感じられない。
 それなら大丈夫だ。
 この一年生は、決して歪まない。

「そうですか」

 伝わっているのかいないのか。"竜胆"は特に変化と感情を見せなかった。

「私はてっきり居残りだと思ってましたが」

 居残り。つまり「静が定めた一定の強さに達していないから」と思っていたわけか。
 そんなことはない。
 強かろうが弱かろうが、その辺のことは静は一切気にしていない。“竜胆”の師事の動機は「当時の自分より強くなりたい」だ。少なくとも出会った時よりは確実に強くなっている。だから別にいつ放り出しても構わなかった。可愛くないし。

「最低限だけれど、必要なことは全部教えたわ」

 それも基礎の基礎を。スタートラインで優遇されていた彼女の優遇部分をあえて補完した。
 ――実戦経験の乏しい彼女に、「一勝を挙げるために十回は敗北しろ」を、その身に叩き込んでやった。
 別に静の性格が悪いだとか、いじめただとか、そういうことではない。
 戦闘の最中で試行錯誤し、自分の力だけで困難を乗り越えるだけの基礎的思考を芽生えさせるためだ。それが叶わない時は逃走や仕切り直しといった抜け道も一緒に仕込んである。
 単純な意味で、“竜胆”はそう簡単には負けないくらいには強くなっている。

「本当はもう一日か二日は仕込みたかったけれど、私にも用事ができたから」
「白薔薇との約束ですか?」
「そう。これから"契約書"を奪いに行く」

 昨日、静にも争奪戦に参加する理由ができてしまった。それさえなければまだ“竜胆”を放り出すこともなかっただろうけれど、こうなってしまっては仕方ない。
“契約書”持ちは、山百合会の蕾二名である。
 どう見積もっても無傷で済むとは思えない。勝っても負けてもだ。
 大怪我でも負えば、“竜胆”の面倒なんて見ている余裕もなくなってしまう。だから解禁して自由を与えたのだが――

「ご一緒しても?」
「ダメよ。あなたに解禁を言い渡した以上、私達はもうライバルだから」
「あ、そうですか。じゃあ後ろからこっそり付いていくことにします」
「……いい性格してるわね、本当に」
「よく言われます。主に静さまに」

 本当に図太い奴である。そして本当に可愛くない。

「ああ、私も聞いておこうかしら」
「私がこれからも尊敬する人は蟹名静さまだけです。本当です」
「誰も信憑性のあやしい宣誓をしろなんて言ってない。――あなたが闘う理由は何?」

 今まではあえて聞かなかった。生意気な一年生を鍛え上げるだなんて、まったく気が進まない行為でしかなかったからだ。しかも慣れれば慣れるほど可愛くないことが浮き彫りになるだけであまり好奇心も湧かなかった。
 しかし、今ならわかる。
"契約した者"に約束された、負の感情を取られる浄化のせいなのかどうかはわからないが、"竜胆"はどこまでも戦闘向きの性格をしていない。強いことも根気強いことも、感情が乏しいおかげで戦闘スタイルに斑がないのも安定していて大変結構だ。
 だが決定的な、そして致命的な闘争心のなさ。そして野心のなさ。
 望んで闘いたいとは全然思っていないのだろう――さっき見た、彼女の仲間の"雷使い"と違って。

「私の闘う理由は、私達の正義のため?」
「なぜ疑問系?」

 ここで悪ふざけか。図太いにも程があるだろう。

「闘う理由はないからです。目的はあっても。……痛いし怖いし静さまは強すぎるし怖すぎるし鬼のようだし容赦も遠慮もしないし可愛がってくれないし。一番尊敬してますけど。でも私はやっぱり闘うのは好きじゃないです」

 でも、と"竜胆"は続けた。

「闘いたくないから闘う。今なら、かつて静さまが取っていた矛盾している行動の意味がわかります」

 静の闘いは、だいたいいつも組織の勧誘を断るためだった。単純に静自身が戦闘が嫌い、というのが第一の理由だが、その理由は「人を傷つけたくないから」である。
 組織に入ってしまえば今度はその組織のために闘うことになる。
 一度でも受け入れれば、それこそ終わりのない闘いが始まってしまう――面倒臭いことこの上ない話である。組織同士の対立だの抗争だの、報復だの不意打ちだの、静はもううんざりしている。巻き込まないでほしい。
 一度始めたら終わりが見えなくなる。闘い続けることになる。それが“竜胆”にもわかったらしい。

「だから争奪戦に参加する、と」
「はい。本当は頂上なんてどうでもいいんです。それを望まない私がそこに立てるわけがないですし。半端な覚悟で臨むのも、本気の人に悪いですし。――でも頂上に立ってほしい人はいます。私はこれから、その人のために闘おうと思います。その人のためなら闘えるから」
「あの"契約者"?」

"竜胆"はそれには答えず微笑んだ。

「静さまのためにでも、闘えますけど?」
「いやいらない。帰れ」
「そのクールなところがステキです」

 本当に可愛くない下級生だ。




 とあるクラブハウスの一室に、七名の女生徒達が集まっていた。

「昼休みに招集を掛けてごめんなさい。すぐに終わらせるから付き合って」

 全員この部の部員ではなく、ツテで場所を借りただけである。
 この場を仕切っているのは、白薔薇勢力総統"九頭竜"だ。そして“九頭竜”に向かい合っている六名は、白薔薇勢力の各幹部になる。
"九頭竜"は、まとまりなく壁に寄りかかったりパイプ椅子に座っていたりしている面々を見回す。くつろいでいるようで隙はない。
 全員に共通しているのは、これから通達されるだろう情報に誰もが緊張していることだ。
 戦闘部隊隊長と副隊長。
 隠密部隊隊長と副隊長。
 諜報部部長。
 特務処理班長。
 そして、それらをまとめている総統"九頭竜"。
 目立つ者も目立たない者も、そうと知られる者も知られない者もいる。これが白薔薇勢力の各部トップ達だ。――ちなみに山百合会にいる各薔薇の蕾から下は発言権はあっても幹部的な権限は持っていないので、藤堂志摩子はこの場にいない。
 緊急招集にも関わらず全員が応じ、誰もその理由を尋ねようとはしなかった――誰もが招集が掛かるだろうことを予想していたからだ。
 リリアンにある巨大な三勢力の一つが、それを支える薔薇に背を向けることを決めたのは、今朝のことである。
 便宜上は一時解散となっている白薔薇勢力は、恐らく今後、白薔薇である佐藤聖を支持しない。「紅薔薇勢力との対立に手を貸さない」という決定は、つまりそういうことである。
 そして勢力のトップにいる"九頭竜"が、白薔薇に……いわゆる「宣戦布告」をすることになっていた。
 その「宣戦布告」に対する白薔薇の返答が、今明かされる。
 ――この決定に対し、もしも白薔薇が不服として、実力行使に出たら?
 長きに渡る不信が募ったのが裏切りの原因だが、決して誰も白薔薇の実力を軽んじてなどしていない。この七人が、いや、白薔薇勢力総員が束になったって白薔薇一人に勝てるかどうかわからない。佐藤聖はそれほどの存在である。

「三時間目の休み時間に、私達の意向を伝えてきたわ。返答は――」

 強い視線が集まる。

「『好きにしろ』ですって」
「ハッ、やっぱりね」

 戦闘部隊隊長は鼻を鳴らした。

「白薔薇は私達のことなんてどうでもいいのよ」

 大小の差はあるが、憤りはほぼ全員が感じている。
 白薔薇は勢力を無視していた。向こうから助力を求めなければ、勢力からの要請にもほとんど応えなかった。
 白薔薇の義務として会議などには応じるけれど、それ以上のことは何もない。
 ――利用されたって捨て駒扱いされたって、それはそれでよかった。白薔薇が女帝になる踏み台になるのなら、それこそ白薔薇を支える勢力としての存在価値がある。
 しかし、無視されるのではどうしようもない。
 そんな不信感が積もり積もった結果が、これである。

(まあ、仕方ないか)

"九頭竜"は、この結果はやむなしと思っている。白薔薇自身もきっとそう思っている。
 佐藤聖はリーダータイプではなく一匹狼タイプだった。ただそれだけだ。自分の都合だけで他人を動かしたくないし、だから自分も他人の都合で動きたくない。タイプ的に結構似ている"九頭竜"にはよくわかる。
 紅薔薇勢力総統"紅蓮の魔犬(ケルベロス)"は、人をまとめることに長けている。あそこは紅薔薇・水野蓉子の方針もあるが、その方針を遵守する彼女の存在があればこそ強固な信頼関係が機能していた。組織の内外関わらず人望が高く、敵対はしているが"九頭竜"も"紅蓮の魔犬(ケルベロス)"のことは信じている。
 黄薔薇勢力総統"銃乙女(ガン・ヴァルキリー)"は、実際なら特攻隊か遊撃隊の一員くらいで丁度いい。好戦的で闘争心豊か、一番最初に切り込ませる役には適任だ。しかし誤算は、その圧倒的な強さだ。組織に埋もれる一員ではなく、組織の顔にしたかった黄薔薇・鳥居江利子の気持ちはよくわかる。彼女には強さの他に、上手く言えないが、妙な魅力がある。カリスマ性とでも言えばいいのか、それとも強さ以外は皆が支えないといけないような心配かつ不安定極まりない欠点だろうか。
 そして白薔薇勢力総統"九頭竜"。
 特に人望が篤いわけでもなく、無茶をして心配を掛けるわけでもない――まあ普通のリーダーだ。可もなく不可もなく、というのが白薔薇勢力ほぼ全体の認識である。"九頭竜"自身も前に前に出るようなタイプではないので、これまで総統として特に目立つこともなかったし、むしろ目立たなすぎてその手腕を問われるくらいだった。
 しかし、実際は違う。
 元から白薔薇と勢力側の仲が悪い、という状況で引継ぎをし、これまでどちらも立ててきた"九頭竜"の功績は、目立たないだけで決して無視できるものではない。
 あえて獅子身中の虫に触れないことで、今日まで白薔薇勢力を生かしてきたことに気付いているものは、非常に少なかった。

「それともう一つ。白薔薇から伝言があるわ」

 再び視線が集まる。

「『自分はそんなに器用じゃないから、あなた達と上手くやれなかった。その点は謝罪する。だからあなた達がそう結論を出したのなら甘んじて受け入れるつもりだ』」

 反応はマチマチだ。今更謝罪しても遅い、と眉を吊り上げる者。真摯に言葉を受け止める者。聞いてるんだか聞いてないんだかわからないポーカーフェイスを貫く者……
 しかし、次の言葉でそれらは大きく変化する。

「『そして白薔薇として、最初で最後のお願いをする。命令ではなく、お願いをする』」

"九頭竜"は少しの間を取って、溜めた。

「『次の白薔薇をよろしくお願い』、ですって」
「「…っ!」」

 ガタッ、と椅子を倒して立ち上がる者。目を見開く者。やはり反応に乏しい者――だが全員が息を飲んだ。
 次の白薔薇?
 つまり――

「……志摩子さん?」

 小さく呟いた諜報部部長に、全員の視線が向けられた。

「そんなの無理よ! だって彼女は"反逆者"じゃない!」

 誰かの上げた声は、言葉通りの意味だ。藤堂志摩子は闘わない。そんな者を白薔薇に立てるなんて正気じゃない――という反論は、当然あるものだと思っていた。
 だから"九頭竜"は当然のように、それに対する答えも考えている。

「無理かどうかを決める権利なんて、私達にあると思う?」
「は……?」

 言葉の意味がわからない――そんな視線を受け、"九頭竜"は笑った。

「佐藤聖に背を向けた私達は、もう組織じゃないでしょう。おあつらえ向きに一時解散もしているし。
 でも、形式に乗っ取ってちゃんと言い渡すわ。
 白薔薇勢力総統の名に於いて、この白薔薇勢力は現時点を以って永久的な解散とします」
「「えっ!?」」
「当然でしょう? トップと離別した以上、この組織に存在意義はないのだから」

 開いた口が塞がらないとは、このことだ。
 この幹部達の数名には、反乱分子の息が掛かっている。白薔薇というリーダーを失って、これから自分達の意のままに――そんな待望の瞬間が訪れたという時に、まさかの勢力解散が言い渡された。
 白薔薇勢力に潜り込んでいた反乱分子は"九頭竜"を軽視していた。勢力側が白薔薇を裏切るように仕向ければ、巨大な身体を振り向かせるほどに拡大成長している反乱分子が、そのまま勢力を乗っ取れるとでも思っていたのだろう。確かにその影響力は無視できるものではないし、傍観していればその通りになっただろう。
 しかし、種を育てていたのは、向こうだけではない。
"九頭竜"が密かに育ててきた種も芽吹き、広がり、もう間引きできない状態になっていることに気付いている者も、この時点では限りなく少なかった。

「そして同時に、"純白たる反逆の蕾"藤堂志摩子を次期白薔薇とする新生白薔薇勢力を立ち上げることを宣言します」

 三薔薇勢力とは、その薔薇を支えるためだけに存在する。だから白薔薇に背を向けた時点で、白薔薇勢力は盲目の巨人となってしまった。
 そして、新しい頭を取り付ける前に、巨人の死が言い渡された。
 更に、その死を自覚する前に新たな巨人を造る宣言をされた。
 目まぐるしく状況を変える現実に混乱するのも無理はないが――混乱する者達ばかりでもない。
 目立たないが確実に動いていた"九頭竜"の手腕をきちんと見抜いていた者達は、この展開も充分予想できていた。
 カタンとゆるやかに椅子から立ち上がる隠密部隊副隊長と、隅っこにいた特務処理班長が"九頭竜"に歩み寄った。

「志摩子さんにはたくさん借りがあります。だから私は志摩子さんなら構いません」
「同じく。いっぱい助けられましたから」

"九頭竜"は頷く。

「志願者は歓迎します。近い内に新聞部に広報も頼むつもりだから、すぐに数も揃うでしょう」

 反乱分子の植えた種は不信を育て、"九頭竜"の種は後継者になった。
 決してバレないように志摩子を"反逆者"として活かしてきた"九頭竜"の動向は、志摩子本人にさえ知られていない。

(三分の一がいいところか……五分の一くらいと見積もった方がいいかも)

 幹部達の反応を見るに、旧白薔薇勢力から藤堂志摩子に流れるだろう人員は、恐らくそれくらいだ。反乱分子の種はそこまで脆弱ではない。
 ただし、それは勢力内のみの話だ。"九頭竜"の狙いは勢力内にはない。
"九頭竜"の目は、リリアンで孤軍奮闘している、組織に属さない二つ名持ちの方に向いている。同じ勢力にいる者達より、彼女らの方がよっぽど志摩子の世話になっているからだ。
 組織に属さない二つ名持ち――それも二年生から三年生は、とんでもない実力者が多い。経験と実績、一人でもやっていけるコミュニティと情報源の確保……彼女らが各自持っている要素は、全てが貴重な財産である。
 たとえ一人でも二人でも、人数は少なかろうとそれでも助力してくれるのなら、これほど心強い味方はいない。

「そ、そんな勝手が通るわけないでしょう!?」

 戦闘隊隊長は声を荒げる。

「解散はいいわ! でも総統はそうやって新しい組織でもまたトップに立つつもりなの!? ちょっと都合が良すぎるんじゃない!?」
「ああ、私はこの機会に引退するから」
「……い、引退!?」
「ええ。藤堂志摩子を支える次の総統が決まったら、諸々の引継ぎが済み次第、即座に引退することを約束する。勢力としての体裁を整えるまでは微力ながら尽くすつもりだけれど、白薔薇勢力総統として白薔薇を裏切った責任くらいは取らないと。引退くらいはしないと白薔薇にも白薔薇の蕾にも、そしてあなた達にも合わせる顔がないわ。
 新勢力が落ち着くまでは努めさせていただくけれど、まあ遅くとも来月くらいまでじゃない? 三勢力総統としては随分早い引退だけれど、仕方ないわね」

 緊急招集は、方々にまさかの衝撃を与えて「総統の引退」で終了した。
 勢力解散。
 次期白薔薇を据える新勢力の発足。
 ――反乱分子に一泡どころか二泡くらい食らわせた白薔薇勢力総統"九頭竜"は、やれやれと伸びをした。
 これで肩の荷が下りた。
 聖と勢力につっつかれる中間管理職ともおさらばだ。
 元々自分でリーダー向きではないと思っていたのだ、総統の立場に固執なんてしない。引退後はのんびり残りの学園生活を楽しむも良し、最後の花道とばかりに頂点を目指すのも悪くない。さすがに妹を探すのは遅すぎるだろうか。隠居後の生活に夢は膨らむ。
 唯一の懸念は、藤堂志摩子が「白薔薇の座に着きたくない」と言い出した場合だが……いや、そんなものは考える必要もない。
"反逆者"の名を冠しながら山百合会に入った以上、それは「上に立ってから理想を叶える」という志摩子のメッセージに他ならない。そうじゃなければ山百合会に入ることもなかっただろう。“反逆者”の活動には組織も力も必要ないのだから。
 あとは、ちゃんとした勢力が立ち上がるまでの間、志摩子の身を護ることだ。巨大なオモチャを取り上げられた反乱分子がいらないことをしないように。


 ちなみに、白薔薇・佐藤聖の伝言は、すべて"九頭竜"のでっちあげである。あんな殊勝なことが言えるような人なら、勢力に裏切られるような失態など侵さないだろう。
 「好きにしろ」と言われたから好きにやったまでだ。文句を言われる筋合いはない。
 ――まあ、文句が出るどころか、聖はどうせ他人事のように笑うだけだろうが。




 今日も見事な秋晴れだった。
 白薔薇勢力の一大事が決まっていた頃、多くの目が中庭に向けられていた。
 のんびりお弁当を広げていた者はすでに避難を済ませ、ひと気のなくなった中庭には三人の女生徒が立っている。
 それぞれ注目すべき重要人物だが、とりわけ目を引くのは"疾風流転の黄砂の蕾"支倉令だろう。山百合会一の穏健派(志摩子除く)にして実力者。目覚めていない者の擁護をすることも多く、校内の人気はかなり高い。
 相対するは校内で非常に有名な実力者、"冥界の歌姫"蟹名静。珍しい空間系の使い手だ。
 そして、もう一人。
 黄薔薇勢力の一年生を束ねている、黄薔薇勢力一年生担当長"疾駆戦車(スピード・マシン)"田沼ちさとだ。
 向かい合う静とちさと。ちさとの後ろに令は立っている――これが闘う順番だ。

「もう一度言うけれど、あなたは勝てないわよ?」
「そういうセリフは勝ってから言ってください」

 やはりちさとは引く気がないらしい。「仕方ない」と静も覚悟を決めた。

「肩慣らしくらいにはなってね」

 ――当たり前だ、とちさとは思った。
 勝てるとは微塵も思わない。ちさとの目的は、後ろに控える令のために、少しでも静の手の内を晒させることだ。ダメージを与えることも疲労させることも選択肢には入っていない。
 だから、最初から全力で行く。静の予想を越えられればとっさにでも実力を出したりするだろう。それで倒されても構わない。

「"疾駆戦車(スピード・マシン)"起動」

 ちさとの声に合わせ、ちさとの右手には抜き身の小太刀が具現化した。そして彼女の周囲には七枚の"小さな鏡"が発生し、浮いていた。

(具現化か……あの"鏡"はなんだろう)

 考えている暇はなかった。ちさとはそれまで秘めていた強烈な殺気をぶつけるように肉薄すると、小太刀を振るった。
 一連、二連、三連。
 静は余裕を持って回避する――が。

(あ、これって)

 ちさとの周りにあった"鏡"が、今の接触で静の周囲に移動していた。距離的に1メートルから2メートルほどの距離を取り、静がどう動こうとその距離と位置をキープして浮いている。
 ピンと来た静は、大きく横に飛んだ。

  キン

 小さな金属音を立て、静の背後にあった"鏡"が一瞬光を帯び――静が立っていた地面をピシッと刃がえぐった。
 斬撃の反射だ。ちさとが飛ばした真空のような見えない刃を、“鏡”が反射したのだ。

(なるほど、"スピード・マシン"ね)

 一対一を前提とした能力だ。通常の刀ではなく刃渡りが短い小太刀を使用する理由は、一つ一つの振りが速いから。
 つまり、こういうことだ。

  キンキンキンキンキンキンキンキン

 ちさとの斬撃が正面から。そして当たらなかった斬撃から発生する飛ぶ刃を"鏡"が拾い上げる。
 多重構造で四方八方からものすごい速さで襲い来る、刃の雨と表現したいほどの手数。ちさと自身の速度はそれなりだが、手数の多さと速さは、二つ名に"スピード"を加えるに値する。
 感心している静だが、ちさとの胸中は穏やかではいられない。

(う、嘘でしょ!?)

 今まで闘ったことがない相手なのに、静には掠りもしない。初見でこんなにも回避を許すだなんて初めてだった。
 型にハマれば無類の強さを発揮する"疾駆戦車(スピード・マシン)"のスピードを、静は軽々と凌駕していた――いや、正確には凌駕しているわけではなく、ただ単にちさとの斬撃の角度と"鏡"の位置を把握し、二つが結ぶ直線上を注意して動いているだけだ。
 それと、ちさとは気付いていないかもしれない。たぶん速く攻撃を繰り出すことだけを考えて訓練を重ねてきたのだろう。
 この"鏡"に反射する刃は、きっと当たればちさと自身をも傷つけるのだ。だから彼女の動きと移動方向でなんとなく“鏡”の反射角度まで読むことができた。
 ちさとの猛攻。
 回避し続ける静。
 そんな状態が5分は続いただろうか。ちさとの動きが目に見えて鈍くなってきた。
 ――スタミナ切れだ。
 異能を駆使しつつ全力で飛ばせば、当然そうなる。

「はあっ、はあっ、はあっ」

 やがて、ちさとの動きが完全に止まる。
 集中力が途切れたのだろう"鏡"と小太刀は消え、肩で息をし、額からは汗が滲んでいる。しかし疲労を訴える目だけはまだ静を睨んでいた。

(屈辱だ……)

 静は、あれだけ攻め立てても服に掠らせることも許さず、しかも汗さえ見せず平然としている。
 何より屈辱なのは、静に異能を使わせることもなく、攻撃もされていないのに、自分が勝手に潰れてしまったこと。運動部の自分が、文化部を相手に。これが屈辱でなければなんだと言うのだ。

「ちさとちゃん、もういい」
「え……」

 振り返ると、すぐそこに令がいた。令は優しくちさとの両肩に手を乗せた。

「ご苦労だったね」
「で、でも、まだ勝負はっ」
「付いてるよ。決着はもう付いてる」
「…………」

 ちさとは押し黙る。――そうだ、どう見てももう勝負は付いている。ガス欠してしまった以上、もう闘えない。

「すみません、令さま……」
「気にしないで。これは元々私の闘いだから」
「……くっ」

 邪魔になると判断したのか、それとも敗者の顔を見られたくなかったのか、ちさとは言葉なく校舎へと足を向ける。

「可愛い後輩ね」

 きっと悔し泣きするのだろう。そんなところも可愛いと静は思った。

「最近私が知り合った後輩なんて、可愛げの欠片もないのよ。あれの半分もないわ。一割でも微妙なところよ」
「"竜胆"だっけ?」
「あら。知ってた?」
「一応これでも山百合会の幹部だから。他はともかく、華の名を語る者の情報は入ってくるよ」
「へえ」

 見送るちさとの背中が見えなくなると、二人は向かい合った。

「怪我をさせなかったことには感謝する」
「別に? あなたに能力を見せたくなかっただけよ」

 その会話を皮切りに、緩く穏やかだった二人の気配が変貌する。
 自分のテリトリーを押し広げるかのように、膨張する敵意が絡み合う。
 静の穏やかだった瞳からは感情が失せ、ただ目の前の敵を倒すことだけを最優先する殺戮マシンのような冷たい光を宿す。対する令は、ピンと張り詰めた緊張感を称えた眼差しを向けている。
 毎日鍛錬し、何年もの間飽くことなく練磨を繰り返す令の佇まいには、もはや武道家と呼ぶべき風格がある。独自にして我流の気が強いリリアンの子羊達には、どこまで行っても野生を捨てきれない、どこかしら荒々しい気配が付きまとうものである。それは静も例外ではなく、漏れる暴虐の敵意には品性など微塵もない。
 しかし令のそれは違う。
 全てにおいて種類が違うと言わんばかりの洗練された気配と体格と強い精神力は、毛皮も肉も必要ない、とばかりに他所事への可能性を捨て、目的だけを目指すよう品種改良されたボルゾイという犬種を思い出させる。
 爪先から指の先まで強い理性を感じさせる令の気配は、闘争心に狂う闘犬などではない。
 
「ふっ」

 静は「こりゃまずい。本気で勝てないかも」という本心を隠しつつ、勝気に笑って見せる。

「あなたの後輩のおかげで、身体は充分温めさせてもらったわ」

 ――最初からわかっていたはずだ。山百合会の一員が、弱いはずなどない。
 しかしそれでも、こうして、これまで闘ってきた者とは誰とも似ていない毛色が違いすぎる存在を前にすると、嫌でも動揺してしまう。

「最初から飛ばしていくから」
「わかった」

 静を含めて、誰も彼もが原石なのに対し、令はもうすでに輝き誇る宝石だった。

(でも、負けられない)

“冥界の歌姫”蟹名静の挑戦が始まる――




 中庭から、ちさとがやってくる。
 悔しげに顔を歪ませて。

(……やめとこう)

 そんな彼女を見て、一連の動向を最初から見ていた“竜胆”は、蟹名静に刃を向けた同じ一年生に声を掛けるのをやめた。
 二つ名や立場などは知らないが、田沼ちさとのことは知っていた。
 強い一年生を挙げろ、と言われれば、五番目以内には確実に名前が上るような人物。観戦していた限りでもちさとの闘いっぷりは見事だった。きっと自分では勝てないだろう、とも思う。
 ちさとが弱いのではなく、静が強いのだ。
 終わったらちょっと話でもしてみようかな、と思っていたが、どうもタイミングが悪すぎるようだ。今はまともな精神状態ではいられないだろう。
 話し掛ける代わりに、“竜胆”は逃げるように階段を昇り、三階の窓際へと移動した。
 そこに“雪の下”がいた。

「“雪”」

 後ろ姿を見つけて歩み寄ると、彼女は振り返って微笑んだ。

「ああ、“竜胆”。無事でしたか」
 
 無事も何も闘っていないが――きっと三時間目の休み時間に“鳴子百合”がやられたところを見ていたせいで出た言葉だろう。

「見てた?」
「ええ。ここのところは窓際から離れられませんね」

“竜胆”もまったく同感だった。
 経験不足のルーキー達にとっては、観戦も大事な経験の一つ。得るものは大きい――強い人に解説などをしてもらえると更に大きい。経験不足では普通に見逃してしまうような小さいフェイクや些細な行動の不思議などを拾い上げて説明してくれるからだ。

「……“雪”じゃ無理か」
「なぜ私を失望の目で?」
「気のせい」
「そうですか」

 いつも間の抜けている“雪の下”だが、今は普段以上に抜けている。どうやら眼下の一戦の方に意識が向いているらしい。
 それはそうだ。
 今現在、山百合会は自分達の最大の敵である。そのメンバーの一人が今まさに闘おうとしている――静に師事している“竜胆”は二重の意味で興味を引かれている。
 だからこそ、たった一つの些細な動きも見逃したくない。観るもの全てを己の糧にしたい。
“疾風流転の黄砂の蕾”支倉令の実力はわからないが、“冥界の歌姫”蟹名静の実力なら、思い出すだけで身体が震え出すほどよく知っている。
 静が負けるはずがないとさえ思う。
 ――もちろん、山百合会がそんなに甘くないことも知っているが。弟子の贔屓目だ。

「“竜胆”、あれ」
「ん? ……あ」

“雪の下”の視線を追うと、ちょうど隣の窓から同じく下を見下ろす人がいた。
 見間違うわけがない美貌――紅薔薇の蕾・小笠原祥子だ。紫のオーラを放つ“契約書”を首から下げて、堂々とそこに立っていた。
 と、祥子の目がこちらを向く。
 二人の視線に気付いた、というのもあるのだろうが、実力に伴わない駄々漏らしの力を元々感じていたに違いない。
 しかもこちらにやってきた。

「あの時以来ね」

“竜胆”も“雪の下”も、祥子と会うのは例の福沢祐巳の一件以来だ。
 冷ややかな瞳に、情を含まない雰囲気。今すぐにでも戦闘に入れると言わんばかりの隙のなさ――祥子に斬り刻まれたことのある“雪の下”は、彼女の実力をほんの少しだけ垣間見ているだけに、少し緊張しているようだ。

「ごきげんよう、祥子さん。調子はいかが?」
「可もなく不可もなく。普通かしら。――でも、誰にも負ける気はしないわね」

 祥子から敵意と殺意が漏れ出す――ものの、次の瞬間には消え失せていた。

「丁度良かった。ぜひ下の一戦の解説をお願いします」
「……は?」

 ケンカを売るに等しい祥子の発気は、図太い“竜胆”に軽く飛び越えられてしまった。

「バカを言わないで。なぜ私があなた方に付き合わねばならないの?」

 失笑せざるを得ない。なぜ敵と、華の名を語るような連中と仲良く観戦などしなければならないのか。

「困っている一年生が上級生のお姉さまに助けを求めるのは、何かおかしいですか?」
「……う」

 何気に反論に困る発言だった。プライドの高い祥子には特に効果的だった。
 そんなことを言われたら、リリアンの上級生として聞き入れないわけにはいかないではないか。
 冷静に思う。
 これでは、敵意のない、今は敵視さえしていない相手――下級生含む二人に、いきなりケンカを吹っかけている祥子の方が大人げない、不躾で下品、みたいな構図ではないか。

「……あなたは華の名を語る、山百合会に敵対する者でしょう? 敵に塩をねだって恥ずかしくないの?」

“竜胆”は一歩前に出た。まるで祥子の言葉に反抗するかのように。
 そして、

「よろしくお願いします」

 頭を下げた。反抗する気も反対意見を述べる気もないらしい。

「……はあ」

 祥子はなんだか頭が痛くなってきた――こいつ塩をねだりやがったよ、と思うと、自然と溜息が出た。
 だが、悪くはないと思った。
 華の名を語る者は、大なり小なり山百合会を敵視する。華の名を語ることをプライドにし、それに固執し過ぎて身を滅ぼす者も少なくない――黄薔薇と闘った“鳴子百合”もそういうタイプだろう。
 しかし、この一年生……

「ああ、私からもお願いします。祥子さん」

 ……この二人は、そういうプライドはほとんどないらしい。

「ちゃんと観てなさい。あの二人が本気になったら、間違いなく死闘になるわよ」

 祥子は、おねだりされた塩を送ってみることにした。
 困っている下級生を見捨てるのは、リリアンの上級生としてはただの恥だから。“雪の下”はついでだ。
 



 静と対峙する令も、静と同じ印象を持っていた。

(――強い)

 さすがは有名な二つ名持ち。どこの勢力にも属していないのが信じられないくらいだ。これだけ強ければ、相応の組織であれば幹部クラスは当然だろう。
 噂に聞いていた「蕾と並ぶほど強い」というのも、あながち嘘じゃない。
 これで異能同士の相性が悪ければ、確実に負ける。それは静も一緒だが、恐らくは「小笠原祥子より支倉令を選んだ」という時点で、少なからず祥子よりは令の方が闘いやすいと判断したのだろう。多少のミスマッチは覚悟した方が良さそうだ。

(“冥界の歌姫”って、確か)

 希少な空間系……無差別支配領域の使い手。その能力は――

(ああ、そうだった)

 静の背後に浮かぶ、白い人影……“思念体”だ。人をそのまま拡大した比率の2メートルを超える長身は地面から三十センチほど浮いており、向こう側が透けて見えるほど存在感のない白一色の人影は、リリアンには馴染み深い「マリア像」に非常に良く似ていた。
 目を伏せ、穏やかに微笑み、両手を広げて立っている。
 ――そして、消えた。

「…っ!」

 ぞっとした。
 背筋に走った悪寒は、未だ慣れない死線に触れた証拠。令の意思など関係なく、生存本能を死の恐怖が縛りつけようとする。
 反射的に横に飛んだのは、身体が反応してくれただけに過ぎない。

  ボッ

 生み出される突風が令の身体に砕け、周囲の砂を巻き上げた。

(危なかった……背後からの強襲。なるほど、空間系か)

 令の背後には、いつの間にか静の後ろに立っていた“思念体”が居て、暴力とは無縁の笑みを浮かべた「マリア像」が、その巨躯からなる右の拳を放っていた――令が反応しなければ後頭部を直撃していただろう。巻き起こる風圧から推測できる拳の速さは、もしかしたら弾丸並かもしれない。
 この“思念体”こそ“冥界の歌姫”。
 そして空間系、いわゆる無差別支配領域ということは、限られた範囲内ならどこであろうと自由に“思念体”を発現させることができる、ということだろう。
 静の戦闘は“思念体”の遠隔操作――いや。
 さっきの“疾駆戦車(スピード・マシン)”田沼ちさとの猛攻でも身体に触れさせない見事な体術は、本人も闘えることを示唆している。接近戦ができる者じゃないと、あの速さに付いて行けるわけがない。
 今はまだ様子見なのだろう。しかし勝機が見えれば、静本人と“思念体”の同時攻撃を仕掛けてくるはずだ。

(仕掛けてみるか)

 令の右手に白木の木刀が具現化し――駆ける。強く大地を蹴り、一直線に静へと迫った。
 初見なら、まず驚くのが令の素早さだ。
 相手からすれば充分な距離を取っていて、何があろうと反応できる体勢を取っていたとしても、その余裕が一瞬にしてなくなってしまう。
 令の接近は、速すぎるのだ。

「くっ…!」

 静も例外ではなかった――というより、戦闘慣れしている者ほど引っ掛かりやすいのだ。見切りに優れ、異能を遠隔操作……集中力を己の身体以外にも向けなければならないタイプは、特に引っ掛かる。
 慌てて防御体制を取る頃には、令はすでに己の攻撃可能距離を支配し、木刀を上段に構えていた。
 そして、必要以上の力みもなく、自然の理に従うように振り下ろす。
 風どころか光を連想させるような速度――真正面にいながら静にはその剣線が見えなかった。
 しかし。

(さすが)

 慌てようが焦ろうが、やはり静は並ではない。
 多くの者が陥る初手のミスに引っ掛かりながらも、それを見事にカバーして見せた。
 木刀が静の肩に当たるか否かというタイミングで、“思念体”を自分に重ねて呼び出すことで、“思念体”で令の一撃を止めた。鋼鉄に打ち込んだような感触に令の手が痺れる……こともなく、手首の操作だけで反動を受け止めた。あれだけの速度を保っていながら手首の柔軟さを殺していないのも、日々の稽古の賜物だ。
 半透明でありながら砕くことも斬ることもできない“思念体”は、まだ「そういう特性」なのか「攻撃力不足」で排除できないのか、見極めは難しい。鋼鉄の板くらいなら簡単にへこませ、その気になれば木刀でも斬ることができる令でも、これほどのレベルの相手となると常識的な解釈だけでは通用しないことを悟っている。
 しかし、だからこそ、当然これくらいは読んでいる。

「“疾風”」

 木刀は一度は“思念体”に受け止められたものの、直後にそれをすり抜け、狙い通り本体である静の左肩に食い込んだ。

「うぐ…っ!」

 木刀から伝わる感触で、大よそのダメージはわかる。
 静の左の鎖骨が折れた。わずかながらに身をよじり、肩への直撃だけは避けたのだ。恐らくは本人さえ意識していない回避だったはず――肩をやられたらその下の腕の動きが制限されることを嫌ったからだろう。
 だが――

「――」

 直後、令は声どころか、息を吐くこともできなかった。
 肩を打たれよろめく静は、それでも集中力を欠かなかった。
 自らが打ち込まれ痛みが走るとほぼ同時に、“思念体”を操作し令に攻撃を仕掛けた。
 左の拳。
 至近距離であり、かつカウンター気味に放たれた豪腕を防ぐ術を、令は持っていなかった。
 顔面に直撃する。
 ドゴンと、鈍く重い打撃音が空高く広がる。

「……桁違いとはこのことね」

 しかし、それだけだった。
 静が呆れたように言うと、“思念体”も消える。
 ――拳は食らった。まともに入った。
 しかし令は、それでも揺れることさえなく、そのまま立っていた。

「強いね、静さん」

 口端から流れる一筋の赤だけが、直撃したことを物語っていたが、ダメージなんてその程度のものだった。




 これはまずい。本気でまずい。
 山百合会を舐めていたわけではない。
 だが、支倉令の基礎能力は、静の予想をはるかに上回っていた。
“常時肉体強化”という異能を持ち合わせている令の速度と腕力は、基礎能力だけを比べるのであれば誰よりも優れている、とは聞いていた。
 しかしあれはもう反則だろう。
 まず速度に驚いた。
 今後、あれだけのスピードで迫られれば苦戦は必至。しかし体感した今、これはすぐに認識を修正できる。いつもより気をつけるしかないが、いつもより気をつけるという対策方がすぐ浮かぶだけマシだ。
 問題は――色々あるが、まず“疾風”だろう。

(令さんの異能は具現化。“疾風”と“流転”だったわね)

 適当に距離を取りつつ、折れた鎖骨辺りに右手を当て、令の周囲を歩きながら目まぐるしく頭を回転させる。
 基本的に山百合会メンバーの突っ込んだ情報は、ほとんど流れてこない。下手に口にすれば本人達による報復が本当に来るからだ。その辺のガードの厚さ、暗黙の了解と化している緘口令は、巨大な組織ならではである。どこで誰が見聞きしているかわからない、そんな状況でおいそれと話すことなどできない。油断した者は次の瞬間には潰されている、なんてこともよくあるのがリリアンだ。用心するに越したことはない。
 そんな理由から、静は令の異能をよく知らない。知っているのは名前と、大まかな特徴くらいだ。
“疾風”と“流転”は、どちらも具現化した武器の名である。
 そしてその二つの武器は、それぞれ特性を持っている。
 その片方“疾風”は、さっき見た通りだ。

(“疾風”の特性は、“物理干渉無効”ね)

 令の意思で“木刀が物質をすり抜ける”のだ。
 さっきの“冥界の歌姫”の防御も、それで通過して静の肩を抉ったのだろう。
 ほんのわずか、静本人と木刀の一撃の間は1センチの間隔さえなかったものの、その間に“冥界の歌姫”を挟んでギリギリ防御には成功したはずなのだ。そして確かに“冥界の歌姫”は木刀の衝撃を受け止めた。
 にも関わらず静は打たれた――ならばそうとしか考えられない。“すり抜けた”のだ。
 それからもう一つ。
“疾風”は非常に厄介そうだが、同じくらい厄介なのが、やはり令の基礎能力だ。
 木刀は一度、静に当たるスレスレで止められていた。なのに打たれた静は鎖骨をやってしまった。すごく痛い。
 ――肉薄するスピードにも驚いたが、振り上げてさえいない木刀で骨を折られるくらいの腕力があり、それを可能とする繊細な体重移動もできる、ということだ。具現化が得意ではない静の骨力はそう高くもないが、普通に木刀で殴られたくらいで折れるほど貧弱でもない。
 更に、もう一つ。
“冥界の歌姫”にまともに殴られて、よろめきもしなかった相手なんて、令が初めてだ。
 打たれ強さも、速度も、力も。
 支倉令の基礎能力は、静や多くの者と比べて桁違いの領域にいる。

(こうなってくると、もう一つの“流転”が異常に気になる)

 文字通り防御を素通りする風のような“疾風”と、対をなすであろう“流転”の存在。
 スタイル的に、令の闘い方は周囲にバレてもあまり影響がない。異能の謎は確かに重要だが、令の場合は「リリアン一の基礎能力」みたいな方向で有名で、“疾風”“流転”を使わなくても充分強い。これなら素手のままでも問題なく闘えるはず。
 それはつまり、極端に言えば異能を使わなくても強い、ということだ。“疾風”も、きっと“流転”も、その特性を使わなくても普通に武器として機能すれば、令の戦闘力にそのまま上乗せできるのだろう。毎日剣を振るっているのであれば、なおのことだ。
 この状態……能力を使っている現在は、令は静を相応の敵と見なしている、ということになるのだろう。嬉しくはないが光栄ではある。
“疾風”は怖いが、特性に目星がついた今なら、警戒くらいはできる。特性の見切りはまだ正確とは言えないが、“すり抜ける”だけなら「木刀を全て回避すればいい、防御がNGなだけ」である。あの速度を全て回避できる自信はないが、対策が浮かぶならまだいい方だ。
 恐らく“疾風”は初手専用の殺し技だ。「とりあえず受け止めよう」とした相手を一撃必倒するための、正面から仕掛けるタイプの奇襲技。誤算があったのは、本当にギリギリで静の防御が間に合ってしまったがために、予想外に一撃必倒の攻撃を止められてしまったこと。防御行動がもっと早ければ、逆に静は“防御をすり抜け”られてまともに食らっていただろう。
 無論、ただの偶然だ。刹那の幸運を拾っただけ。
 しかし偶然だろうと幸運だろうと初手の奇襲は凌いだ。“疾風”の特性を知る、というおまけ付きで。
 鎖骨と引き換えなら安いくらいだ。

(それにしても、笑えない冗談より性質の悪い冗談みたい)

 令の基礎能力には驚嘆するしかない。
 あの“竜胆”もかなり頑丈で丈夫だが、令ほどではない。静としては“竜胆”でも充分驚かされたのに、更に軽々と上を行く者がいることを知った今、なんだか笑いたくなってきた。
 あなた冗談きついわよアハハー、とでも言って笑い飛ばしたいくらいだ。
 だが、笑ったところで現状が変わるはずもない。

「――今引くなら追わないけど?」
「冗談きついわあはは」

 ついつい笑い飛ばしてしまった――令がよこした引き際を。
 まあ、別に後悔するわけでもないが。引く気などまったくない。

「山百合会にケンカを売ったのよ? この程度では引けないわね」

 覚悟は決めてきた。蜘蛛の糸に手を伸ばす気はない。
 それに、戦闘開始からまだ五分と経っていないのだ。もう少しは頑張らないと、約束を交わした白薔薇と、他称弟子に顔向けできない。
 
(……久しぶりに、ちょっと気張ろうかしら)

 ――静の感情を捨てた硬質な瞳に、チラチラと闘志が燃え上がる。








 その頃、保健室では。

「これね」
「これだわ」
「これしかないですね」
「なんという極上……今まで考えもしなかった理想の味が、こんな身近にあったとは……」

 だらだらと食べ物話を続けている飢えた獣四匹は、

「“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”の炎で焼肉パーティーか……近い内に必ずやりましょう!!」
「「おう!!」」(掛け声)




 きらきら輝く夢を見ていた。


 とってもとってもくだらない夢を。
















海風 > たまにはこのお話について語ってみたいと思います。 …………と思ったんですが、特に語りたいことがありませんでした。イエー。 (No.18876 2010-08-12 10:11:55)
福沢家の人々 > キタ〜待ってました。うんうん最高す。わくわくします。 (No.18879 2010-08-12 12:40:26)
ハスかっぱ > 投票ボタンに「かっこいい」が欲しい。あるいは「熱い」ww とりあえず「感動」に入れときます (No.18882 2010-08-13 13:37:00)

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