がちゃS・ぷち
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No.3617
作者:海風
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2012-01-13 13:55:53
萌えた:6
笑った:1
感動だ:125
『偉大なる先輩達』
【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】
【No:3196】【No:3205】【No:3233】【No:3249】【No:3288】
【No:3327】【No:3380】【No:3397】【No:3443】【No:3464】【No:3498】【No:3501】 解説書【No:3505】
【No:3509】【No:3515】 【No:3538】【No:3541】【No:3589】【No:3593】【No:3597】【No:3601】【No:3613】【No:3616】から続いています。
☆
――悪夢である。
「聖!?」「白薔薇!?」
その拳は、“シロイハコ”をたやすく貫通し、佐藤聖を殴り飛ばした。
「まずい――!」
その速度に誰よりも一瞬早く反応できた“鋼鉄少女”は、鳥居江利子を突き飛ばすと同時に全身を“鋼鉄化”した。
予感はあった。
“鋼鉄化”など意味がないだろう、と。
その足が直撃する寸前、“黒”に触れた瞬間、それは“呑まれた”。
強制的に解除された無防備な腹に、一撃で大木を倒そうとする戦斧のような重い蹴りがめり込み、壁を突き抜けて飛んでいった。
「お姉さ――」
「そのまま封鎖!」
“鋼鉄少女”が庇ったのは、このメンツで彼女を止められるのは自分しかいないと判断したから――
「令、絶対に動かないで。動いたらそっちに行くかもしれない」
己の役割をきちんと理解している江利子は、“黒い悪夢”と正面から向き直る。
「今のあなたは私の敵だから。一切加減しないわよ」
“黒い悪夢”――“獣”と化した福沢祐巳は、理解しているのかしていないのか、その言葉に退くことはなかった。
異変と兆候は、顕著だった。
なぜかいる福沢祐巳は跪いて血を吐き、
祐巳の友人らしき少女は心配そうに祐巳の肩に触れ、
支倉令は、なぜか憑依を解除している、加害者と思しき“鵺子”の胸倉を掴んでいた。
ミルクホールで前代未聞の昼食無差別強奪事件が起こったのも異変と言えば異変だが、その異変が起こっているこの時この場所に祐巳が現れたことこそ、最大の疑問点だった。
一つの事件が解決したかに思えたところで、新たな事件が発生した。
何が起こったのかわからない黄薔薇・鳥居江利子と白薔薇・佐藤聖、協力者である“鋼鉄少女”の三人は、新たな事件が起こったミルクホールの出入り口付近にやってきた。
「……あれ? もしかしてやっちゃったの?」
血を吐く祐巳を見て、聖の目付きが変わった――元は海老天うどんの核である海老天を奪われたせいで怒り狂っていた聖だが、今は違う意味の怒りの感情を湛える。
「あーあ。知ーらない」
聖の本気の怒りを見た江利子は一歩引いた。聖を止める気がないのは、江利子も多少なりとも憤りを感じているからだ。
聖の目は、“鵺子”に向けられている。
「…………いやいやいやいやいや! 違う違う違う! 違うって! 手ぇ出してないって!!」
ようやく視線の意味を察した紅薔薇勢力突撃隊副隊長にして凶悪昼食無差別強奪犯“鵺子”は、いきなり冷や汗だらだら垂らしながら激しく首を振る。
聖も、江利子も、黙って成り行きを見ている“鋼鉄少女”さえも、“鵺子”が祐巳に何らかの攻撃を加えたと思っている。令につるし上げられているせいで余計そう連想した。
「はいはい」
聖はポキポキと指の骨を鳴らした。怖い目をしたまま。
「やった奴はみんなそう言うのよ」
「いやほんと違うんですって! 令さん説明して! 早く!」
いきなり話を振られた令だが、
「手を出してないのは本当です」
けど、と話を繋いだ。
「祐巳ちゃんの吐血の原因は、間違いなく」
「ほらやっぱり」
「私は被害者ですって!」
「私もあなたに海老天盗られた被害者だけど」
「それはっ……その……」
「私もあなたに海老天盗られた被害者なんだけど」
「それは謝りますよ! でもそれとこれとは話が別です!」
「諦めたら?」
「庇う気ないなら黙ってろ!」
“鋼鉄少女”がしれっと言った一言に激しく噛み付く“鵺子”――どちらも実力派の二年生だ、それなりの因縁がある。
「まあ庇う気はないですけど、そいつは嘘つけるほど頭は回りませんよ」
「でも私の海老天盗ったし」
「それは個人的に仕返しするか弁償させてください」
薔薇二人に蕾一人という豪華な四面楚歌があまりにかわいそうで口出しした“鋼鉄少女”だが、あまり口を出すと勢力問題に踏み込んでしまうので、このくらいで引き上げることにした。
“鵺子”の脅威は去った。
この直後に今度は“鵺子”に脅威が及ぶかもしれないが、それは自業自得なので知ったことではない。
それよりだ。
「私の記憶が確かなら、あそこまで“進化”した“鵺子”さんが自力で憑依を“解除”できるとは思えないんですけど」
“鵺子”を締め上げるのはいつだってできる。紅薔薇から話を通す正攻法も、今この場でやってしまう理由も探す必要がないくらい沢山ある。
それより問題は、「どうして“鵺子”が“解除”できたのか」の方が重要だ。
特に――“鋼鉄少女”自らが口にした通り、単純で猪突猛進な“鵺子”は嘘がつけない。つまり彼女の言葉には誤解はあっても嘘はないということになる。
「一般生徒に手は出してない」し「自分は被害者だ」という言葉も、“鵺子”にとっては真実だと考えたら。
――なぜ祐巳は吐血したのか? 怪我をしたのか? いったい何があったのか?
何が起こっているかはわからないが、普通じゃないことが起こっているのは確かだ。
やばい臭いがする。
無所属で通してきた“鋼鉄少女”は、こと厄介事と事件と危険には敏感だ。そうじゃないと無用の事故に巻き込まれ、ずるずると勢力間の抗争に引き込まれることが多々あったからだ。
鍛え抜いたトラブルを嗅ぎ分ける鼻が、今、働き始める。
幸いここにいなければならない理由はない――そもそもの理由である“鵺子”の持つ“契約書”は、薔薇二人と蕾一人に睨まれている現状、このまま所持し続けられるとは思えない。このまま逃走しても、少なくとも紅薔薇勢力の独り占めは防げることになる。
“鋼鉄少女”がこの場から逃げることを考え始めたその時、
「ゆ、祐巳さん……」
桂が苦悶の混じった声を上げた。
「……これ以上は、無理、だって……」
無理――?
言葉の意味は誰にもわからなかったが、言葉の意味なんて気にならなかった。
「な……何!?」
祐巳の異変は、この場の全員が見ていた。
虚ろにどこかを見ていた祐巳の瞳が“紅く”なり、
黒い霧のようなものが身体を覆う。
肌に感じ始める力はどこか儚く、力強さの欠片もないが――しかしどんどん量は増していく。止め処なく。まるで自身を余すことなく塗りつぶしていくかのように。
黒い霧が深くなるにつれ、“紅い目”の色も深くなっていく。もはや身体は霧の奥に隠れつつあるのに、“紅い目”だけが爛々と、しかし淡く輝いていた。
――異常だった。
――どう見ても、どう考えても異常だった。
「白薔薇、これって……」
「うん……聞いてた通りだ――うおっと!?」
声を潜める江利子に同意した聖は、――意識より早く身体が反応していた。
黒い霧の塊――祐巳が飛び掛かってきたのだ。
殺意も敵意もなかったがゆえに反応は遅れたが、あいにく祐巳自身のスピードがそこまで速くなかったのが幸いした。
幸いした、かに、思えたが。
よくよく考えると、「それを誘うために」、祐巳はわざと速度を殺いでいたのかもしれない。
聖が反射的に盾にした“シロイハコ”を“呑む”ために。
霧をなびかせる祐巳が姿を現し、ぎょっとした。
茶色の髪がどこか灰色掛かり、その強い“紅い目”の瞳孔の形状も人間のそれではなかった。
(まさか憑依!? これって“鵺子”の……!)
聖は動揺した。
だから反応できなかった。
祐巳が放つ右拳は暖簾ほどの抵抗もなく“シロイハコ”を貫き、聖の肩辺りを捉えていた。
「聖!?」「白薔薇!?」
江利子と“鋼鉄少女”の声が重なる。
強固にして超重量の“シロイハコ”は霧散し、聖は吹き飛ぶ――それだけで祐巳の拳の威力がわかる。“シロイハコ”を貫いたのは別要因だろうが、体術も得意な聖を殴り飛ばすのは至難である。
「まずい――!」
“鋼鉄少女”も、聖と同じく体術に秀でている。この距離、角度からでも、祐巳が一息で攻撃できることを知っている。
狙いは自分ではなく、江利子だ。
聖と同じものを見ている“鋼鉄少女”も江利子も、多くはわからないが、確信を持ったことが一つだけある。
それは、「祐巳に触れてはいけない」ということだ。
あの“シロイハコ”を貫いた拳は、厳密には触れていないのだと思う。あるいは「触れた瞬間“無効化”した」かだが、可能性が高いのは「“吸収”した」だろう。そう考えると“鵺子”の“解除”の理由に繋がる。今の祐巳の姿形にも説明がつく。
祐巳は異能を“吸収”し、自分の力として使える。
条件が接触か接触寸前かはわからない。
わからないなら、より距離を取って安全な接触寸前を選ぶべきだろう――それが現時点で立てられた推測だった。
――だから“鋼鉄少女”は覚悟した。
祐巳の次なる攻勢を先読みできた“鋼鉄少女”は、江利子を突き飛ばして全身を“鋼鉄化”した。
“鋼鉄化”の意味はないかもしれないが。
それは、自分にとってのみ。
意味は他の人が見出してくれる。
「ぐぅっ!?」
祐巳の蹴りが“鋼鉄少女”の腹に突き刺さった――やはり“鋼鉄化”も“吸収”されたようで、久しぶりに生身で食らってしまった。
重い。想像以上に。
身体は軽々宙に舞い、内臓が悲鳴を上げ、景色がぐるぐる回り、壁を突き抜けて地面を転がった。
気がついたら“鋼鉄少女”は空を見上げていて。
それから、牙を剥いて笑った。
「……やりやがったな、一年坊」
かなり力を“呑まれた”が、元々“鋼鉄少女”の力量はそう多くない。だから力に頼りきらない体術をメインに磨いてきたのだ。
――この程度の蹴りなら、生身でも大丈夫だ。
闘気を漲らせ、“鋼鉄少女”は立ち上がった。
この一戦は、相手に触れない闘い方を基本とする黄薔薇に譲った。
そのつもりで庇ったし、黄薔薇の目の前で、もう一度祐巳の“吸収”を身を削って見せたつもりだ。
黄薔薇なら、己のやることに気付くはずだ。
――だが、それはそれとして。
良い一発を貰ってしまった以上、先輩として、お返しはしなければならない。それをしない者、できない者は、無所属ではまずいない。
つまり行く末を見守る理由ができてしまった、ということだ。
うずく闘争心を押さえながら、“鋼鉄少女”は現場に戻るべく動き出した。
“鋼鉄少女”の意志は江利子に通じていた。
動こうとする令に強く封鎖を指示し、“黒”の奥に光る“紅い目”を見据える。
江利子の目と鼻の先で、祐巳は“鋼鉄少女”の“鋼鉄化”を解除して見せた――詳しい原理はわからないが、今はそれだけわかればいい。
灰褐色に染まる髪と、人間じゃない瞳孔は、明らかに憑依の類だ。何らかの“獣”に成りつつあるのだろう。
つまり祐巳に触れられると、能力を“奪われる”か“コピーされる”か、だろうか。あの“シロイハコ”でも平気でどうにかできるのだから恐ろしい話である。
江利子なら、祐巳に触れずに対処できる。
(恐らく“QB”は通用しないだろうけれど……)
力で攻撃を加えるのは、きっとNGだ。具現化武具もそれに当たり、だから“シロイハコ”も易々と排除できた。それ以外の方法で抗せねばならない。
ただ、色々わからない。
こうなってしまうと考えるのが後回しになってしまうものの、まず気になるのは動機である。
江利子は何も祐巳と闘いたいわけではない。この場にいる全員がそうだろう。闘う理由がなくては闘えない、なんて青臭いことは言わないが、闘う理由がはっきりしないと立場的にも手を出しづらい――敵意も闘気も見せない相手と、自分達を恨んでいるとは思えないし思いたくない相手は特にだ。
そもそも祐巳はなぜ自分達を襲うのだろう?
近くにいた、というのなら、祐巳の一番近くにいたのは桂だ。しかし彼女は呆然と友人の変貌振りを見ている。
きっと理由がある。それを満たせば大人しく――
(……いや、大人しくはならないかな)
“獣”と化しているのが根拠である。
山百合会を襲う理由がないものとして考えると(単純に、やれば山百合会と三勢力全てを敵に回すから)、今こうして襲い掛かっている現状は、恐らく祐巳が自制の利かない状態にあるか、理性をコントロールできない状態にあるか、だ。
この理性が見えない状態で、仮に自分達を襲う理由を突き止めてそれを満たしたとして、しかし次の行動が読めない。行動が読めないから“鵺子”もミルクホールに逃げ込んでしまった。理性がないとはそういうことだ。
「今のあなたは私の敵だから。一切加減しないわよ」
とにかく、止めるべきだろう。
理性がなかろうがなんだろうが、祐巳はすでに江利子への攻撃を行っているし、これから行おうともしている。そしてそれを大勢が見ている。
ならば、ここで江利子自身が決着を、あるいはケジメをつけておかないと、本当に三勢力に睨まれることになる――今の祐巳ならそれでも平気そうではあるが、無名どころかきっと初陣である。そんな今の祐巳に、三勢力レベルの責任を負わせるのは厳しいだろう。
この先、祐巳がどうするかはわからないし、どうなるかもわからないが。
しかし、今は止めてあげようと思う。
「祐巳ちゃんには“消しゴム”をあげる」
ポケットから取り出しこれ見よがしに見せ付けた新品の“消しゴム”は、しかし、そこにあったはずなのにもう見えない。
「――光栄に思っていいわ。ルーキーに“何か”をあげるのは初めてだから」
どこへ行ったのか――なんて、考える必要はない。
すぐにそれは相手に“与えられる”からだ。
急に、祐巳の上半身が“弾かれた”。
大きく後方に反り返り、床に頭をぶつけ、倒れた。
何をしたのか傍目にはわからないし、音もないが、祐巳のいたそこには“消しゴム”だけが残されていた。
物質の圧縮。
それは“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”の得意技だが、江利子は物質に作用するのではなく“空間”ごと物を小さく圧縮するので、多少原理が違う。
圧縮と解除で“空間”を武器にするのが、江利子の二つ名である“QB”の由来だが。
しかし、明確な物質を圧縮すると、凶悪なまでの威力を発する。
それは圧縮率の問題で、極端に言えば小さくすればするほど、圧縮解除した時に起こる反動エネルギーが大きいという理屈だ。
おまけに肉眼では見えないほど小さいのだから、“QB”をそのまま強化したような形になる。派手さは一切ないが、島津由乃の弾丸より与える衝撃は大きいのだ。
今の祐巳には、力での接触はできない。
だから江利子は物質を使った――あの“消しゴム”は普通に買った江利子の私物だ。たまたま持っていただけで、通常の戦闘なら、身の回りの物をそのまま使う。地面でも壁の一部でも何でもいい。それらは物質だが、江利子は空間から作用するので、物理法則に煩わされない。
空間も力によって生まれるものなので、祐巳の“吸収”対象である可能性は高かった。だからこっちの奥の手を使った方が早いと判断した。
――それにしても。
「これは理性云々じゃないわね……」
額に食らわせた“消しゴム”で、祐巳は倒れた。
狙い通り意識を失ったらしく、例の“紅い目”も見えないし、灰褐色に染まっていた髪も元の色に戻っていた。
だが。
祐巳の放つ“黒い”オーラは、依然として消えやしない。
普通なら能力者の意識がなくなれば、具現化した物や操作した物は消えたり停止したりする。力による供給が絶たれるのだから当然そうなる。中には「振り込み型」という、あらかじめ力を注いでおく方法もあるが、祐巳の現象に適応されるとは思えない。
と、思ったのだが。
(ん? 振り込み型……?)
引っかかるフレーズが頭に残るものの、後方から聞こえる声に思考は中断させられる。
「うぇ……吐くかと思った……」
天地無用を無視して飛んでいった聖が、気持ち悪そうに腹を擦りながら戻ってきた――祐巳の一撃の方は案外平気らしく、ダメージらしきものはない。
「どんな感じ?」
「うどんが喉まで戻ってきて」
「そっちじゃない。気持ち悪いわね」
いらん説明を始めようとした聖を遮った。
「とにかく黄薔薇がいてよかったね」
「あなた……ああ、いいわ」
聖は暗に「ここで話したくない」と言っているのだ。――そう、事はその辺の異能使いの謎解きなどではない。
祐巳の力は、かなりまずい。
特に“獣”化はまずい。“吸収”も相まって“鵺子”よりはるかに厄介なことになっている。
「聖、祐巳ちゃんを保健室に」
「え? 私が? というかこんな時に名前で呼ばないでよ」
――ちなみに三薔薇の間で決めたことは、「名前で呼ぶ時は三薔薇としてではなく個人として言っている」という約束事だ。こっちで呼んだ場合は利害関係の問題ではないとして、可能な限りお互い協力しあうことを決めている。
「聖、お願いね」
「……わかったわよ」
江利子は言っている――「あなたもう今日はかなり消耗してるんだし、これ以上“吸収”されてもたかが知れているでしょう?」と。「もうすでに“吸収”されたんだからいいでしょ?」と。
聖もわかっている。
これ以上、誰彼構わず祐巳に能力を“吸収”させるのはかなり危険だろう、と。たぶん祐巳は、“吸収”した力をそのまま使える。今ならその気になれば聖の“シロイハコ”と“鋼鉄少女”の“鋼鉄化”もできるかもしれない。まだ疑惑止まりで確証はないが、疑惑の時点で最悪であるならやはり回避したい。
“鵺子”の憑依が、この騒動の全ての引き金を引いたのだろう。
そう考えると、やはり結論は一つだ。
「海老天うどん、弁償だからね」
倒れた祐巳を抱き上げる聖は、未だ令に胸倉を掴まれたままの“鵺子”にそう言ってやった。
「ちょっと待った」
事件はまとまったかに思えた時、更なる人物が場をかき回した。
「その子、こっちで引き取るから」
令の背後からにゅっと出てきたのは――紅薔薇勢力突撃隊隊長“十架(クロス)”だった。
「“十架(クロス)”さま!?」
「出迎えご苦労、副隊長」
胸倉掴まれていてたまたま出入り口付近にいた“鵺子”は、どう見ても出迎えには見えないが。
一年桃組に祐巳を尋ねた“十架(クロス)”は、クラスメイトから「ミルクホールに行った」という返答を受け、こちらにやってきたのだ。
「あれ? “十架(クロス)”だ」
「ほんとだ。元気?」
「眠い」
眠いのならばいつも通りの健常である。
「それより、その福沢祐巳さん。私が引き取っても?」
「おーおー。いきなり現れて連れ去ろうってか。王子さまもびっくりだ」
「というかあなた復帰したの?」
「ええ。ついでに言えば、今の騒動も途中から見てた」
まあ、首を突っ込んだからには復帰したのだろうという予想はつくので、それはいい。
騒動を見ていたのであれば、“十架(クロス)”も祐巳の疑惑を知っているはずだ。常に眠たそうでとぼけた印象はあるが、“十架(クロス)”もかなりの切れ者である。
「引き取ってどうするの? というかどういう理由で引き取りたいの? 事と次第によっては渡してもいいけれど、理由がないなら渡せない」
聖の返答は真っ当だ。
“十架(クロス)”は温厚だ。たとえ祐巳を渡しても、悪いようには絶対にしない。
三年間の付き合いでそれくらいはわかる聖と江利子だが、しかし、祐巳は事もあろうか三薔薇の内の二人にケンカを売る行為を働いてしまった。理由もなく引き渡すわけにはいかない。何をどうするかはまだ決めかねているが、祐巳には何かしらのおとしまえは付けてもらわないと、三勢力――今は黄薔薇勢力が祐巳を敵視することになる。だから当人同士で話をつけて、それを公式な形で下に伝えなければならない。
で、話をつける前にどこぞへと連れて行くというなら、理由が必要だという話になる。
まあ、江利子としては、自らの手で祐巳を倒したので最低限の面目は立っている。だが聖は一撃食らったままの状態である。たとえ白薔薇勢力はなくなろうとも、こっちは確実に話をつける必要があるだろう――たとえ聖自身が「別にいいよ」と言おうとも。
「理由は、その子が紅薔薇勢力の一員だから」
「「え?」」
江利子と聖は顔を見合わせた。
「黄薔薇、そんな話聞いてる?」
「初耳よ。祐巳ちゃん関係の隠密は撤退させてあるから、最近の話ならわからないけれど」
――隠密云々は、劇の稽古前後のことである。その頃は白薔薇勢力の隠密も一応動いていた。
「その首のロザリオが証拠よ」
「「え?」」
江利子と聖は顔を見合わせ、ちょっと寂しい祐巳の胸元を見た。
そして声を揃えて言った。
「「どれが?」」
祐巳は相変わらずロザリオじゃらじゃらである。この分なら――
「可能性の問題なら、私の勢力の誰かが、このロザリオの持ち主かもしれないわね」
「あ、ずるい。こっちは解散してるのに」
「ずるいってことはないでしょ。あなたの人望のなさのせいだし」
そして“十架(クロス)”は核心をついた。
「可能性の問題じゃない。どれかは祥子さんのだから」
「「え?」」
その声には、桂も、令も、“鵺子”も、ちょっと離れて見ている“鋼鉄少女”の声も重なっている。
「うそ? 本当に姉妹になったの?」
「初耳……というか、ありえないでしょ」
これまで祐巳の(眉唾ものの)覚醒話は確かにあったが、それを発現したという報告は聞いていない。いくら隠密を撤退させようと、ここまで特殊な異能使いなら、使用すれば必ず江利子の耳には入ったはずだ。聖はしらないが。
それがないということは、即ち、小笠原祥子の妹になる資格というか、可能性自体がゼロだったのだ。いくらなんでも力のない(使えない)者を妹に選ぶわけがない。祥子なら特にそうだ。彼女は山百合会という組織と立場と責任を理解している。
それとも、江利子の耳に入らないよう、こっそり発現を確認し確保していたとか?
それこそありえないだろう。
どこで誰か見ているのかわからないから隠密というポジションが生まれ、今も存在するのだ。江利子と聖が気付いていないだけで、今この騒ぎを見ている隠密はかなりの率でいるはずだ。それくらいどこにでもいると考えていい。
複雑に絡み合った監視網を掻い潜り、姉妹関係に?
こちらの可能性は限りなく低いが、確かにゼロではない。
ないが、しかし、それは考えづらい。
「見せないけど物証もあるのよ」
「「え?」」
物証。
そもそもそれがある方が珍しい、姉妹になったことを証明するための「物証」という言葉を聴いて、まさか、という共通の心当たりを瞬時に見出し、江利子と聖は顔を見合わせた。
「ひょっとして」
「あの写真?」
その写真である。であるが、二人はそれを知らない。
だからカマを掛けてみることにした。
「あの写真、“念写”で撮った未来予想図よ?」
「えっ!?」
ビンゴ。“十架(クロス)”は露骨に驚いた。
やはり“十架(クロス)”は何らかの形で、“罪深き相貌(ギルティ・アイ)”武嶋蔦子渾身の一枚を見てしまったようだ。今は確か祥子が持っているはずだが――それを見た経緯は気になるが、今はいいとして。
「じゃあやっぱりおっぱい揉もうとしてるってこと?」
「やっぱりの意味がわからない」「祐巳ちゃんのおっぱいは私のだ」
ピントのズレた発言に、切り口の違う二つのツッコミを受け、“十架(クロス)”は寝癖頭に手を突っ込んだ。
「……浅からぬ縁がありそうだからそれでいい、ってことにしない?」
「つまり“十架(クロス)”は、祐巳ちゃんを祥子に渡そうと思っていると?」
「そのつもりだけれど、とにかく今はあなた達に祐巳ちゃんを預けておきたくないという気持ちの方が大きい。――だって未来の敵でしょう?」
江利子と聖は納得した。特に、祥子に引き渡すつもりなら何の問題もない。
それに、さっきの祐巳を見てしまった以上、「未来の敵」というフレーズも今ならすんなり受け入れられる。
祐巳が山百合会に入る、というのも、荒唐無稽の夢物語という遠い話ではなくなってきた。あの写真の未来予想図も可能性が見えてきた。
ただ、問題は――いや。
祐巳の可能性を探るのは、もはや「未来の敵」になるかもしれない黄薔薇と白薔薇のやるべきことではない。
だが、
「もし祥子の手に余るようなら、」
「遠慮なく貰うわよ」
祐巳の能力の詳しいことはまだわからないが、ポテンシャルと可能性は間違いなく、例の“契約者達”と並ぶ。いや、並ぶどころか頭一つ分抜きん出ている。
もし祐巳を確保できれば、確実に戦力になる。そして敵に回したくない。
だがそれ以上に、「山百合会に迎える一員」という一事の方が、どちらの理由よりも重い。
山百合会は正義の象徴である。
それは「強者こそ絶対」などという狂った正義ではあるが、これがなくなると、リリアンは更に大変なことになる。
だから、祐巳ならいい。
祐巳はすでに、山百合会のことを知っている。江利子と聖の勘違いじゃなければ山百合会に好意を抱いてもいる――つまり山百合会の役割を理解しているということだ。
実力にしろ何にしろ必要なものは沢山あるが、何より、正義の御旗を折らないこと。それが山百合会の役目である。
それを理解している祐巳なら、決して正義の御旗を傷つけることはないだろう。
――あとのことは祥子の責任だ。
実力にしろ何にしろ、山百合会に必要なことは祥子が全て面倒を見ればいい。
少なくとも、祐巳の力はすさまじい。素質不足なんてことは絶対ない。
「じゃあ連れて行くわ――と、その前に」
聖の前に歩み寄った“十架(クロス)”は、右手を固めて力を集中する――これが“十架(クロス)”の“簡易結界”の形の一つであり、本来の二つ名の由来である。
“クロス”――即ち“十字架”である。
“十架(クロス)”の手には、銀に輝くシンプルな“ロザリオ”が具現化していた。
力なく垂れている祐巳の右手を取り、その甲に具現化した“ロザリオ”を押し付け、更に“押し込む”。
ジリジリと皮膚が焼ける音がし、わずかに煙が上がった。
すると、祐巳から漏れていた“黒い霧”が止み、傍目にはいつもの力も何も感じない、隙だらけの少女が残った。
“十架(クロス)”が手をどけると、祐巳の右手の甲に“十字架”の“烙印”ができていた。
――“十字架を背負わせる”ことに成功したのだ。
これは祐巳の力を“封じる”ものだ。力が及ぶギリギリの表面に膜のように張り、外へ漏れるのを防ぐ、というのが原理である。今の意識のない祐巳にできるのかどうかはわからないが、祐巳の“吸収”の及ばない距離で“封印した”ということになる。
まさか、復帰早々こんなことをすることになるとは思わなかった――と、“十架(クロス)”は思った。まるで祐巳に必要とされたから自分はここにいるんじゃないか、そう思わせるくらいの出来すぎたタイミングだ。
いや、このタイミングを狙って祐巳がやってきた、と言った方が正しいのかもしれない。
あの“紅目”が紅薔薇のものと同じなら、祐巳も未来を“視て”いた可能性がある。
「それじゃ行くわ」
「その前に」
ガッ!
“十架(クロス)”の両手に祐巳をゆだねた直後、聖の拳が“十架(クロス)”の顔面にめり込んだ。
「――眠気が醒めるじゃない……これで清算ね?」
「うん。行っていいよ」
今の一撃は、祐巳が聖に叩き込んだお返しだ。これを済ませないと「あの白薔薇に一撃入れたルーキーがいる」などという形で名が売れ、いらない敵が増えてしまう。
同勢力(になるかもしれない)の一年生のツケである。先輩が払っても問題はないだろう。聖と同じことを考えたから“十架(クロス)”は避けなかったし、文句も言わない。これくらいで済むなら安いくらいだ。
「“鵺子”、行くわよ」
「はい!」
「――ちょっと待ってください」
次に待ったを掛けたのは、令だった。相変わらず胸倉掴んだままである。
「あなたの“契約書”、渡して」
「あ」
そうだった、と“鵺子”は今更納得した。そうだ、だから自分は闘っていたんだ、と。
「え? 持っているの?」
「ああ、だから憑依してたのか」
対“鵺子”要員の助っ人として呼ばれた江利子はその事実を知らず、聖もそもそも争奪戦にあまり興味がないので知らなかった。知っているのは、目の前の支倉令と、遠巻きに見ている“鋼鉄少女”である。二人はそれを求めてやってきたのだから。
そして“鵺子”は、もう一つ思い出した。
「紅薔薇……」
そう、確か、自分は紅薔薇・水野蓉子を探していたのだ。現在闘っている同勢力遊撃隊隊長“鍔鳴”を止めてもらおうと思って。
「ん?」
“鍔鳴”を止める?
ならばうってつけの人物が、目の前にいるではないか。能力も仲裁に向いているのだから。
「“十架(クロス)”さま、来て!」
「え? こんなところで? もうちょっとつつしみを持ちなさいよ。……まあ見られるのも嫌いじゃないけれど……」
「タイをほどきながら何言ってるんですか! いいから来てください! ほら早く!」
令の手から逃れた“鵺子”は祐巳を抱く“十架(クロス)”の腕を掴み、強引に引っ張っていく。
「えー? どこ行くのー? 眠いんだけどー」
「いいから早く!」
――のんびりしすぎている“十架(クロス)”と、それを急かす“鵺子”。
かつてよく見た二人の姿は、時を経てもあまり変わりはなかった。
「堂々と逃げたわねぇ」
そう、江利子の言う通り、堂々と逃げたものである。
保健室前。
出入りを封鎖している元白薔薇勢力隠密部隊副隊長“鼬”と、保健室から追い出された華の名を語る者“竜胆”という一年生二人が溜まっていて。
今し方、“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃が保健室から出て行き、フラフラになった紅薔薇の蕾・小笠原祥子がやってきたところだった。
統一性のない三人が集ったところで、更に顔は増えた。
「――あ、祥子さま」
保健室から出てきた藤堂志摩子である。
「悩みは解決したー?」
窓際にいる“鼬”がのんびり問うと、志摩子は晴れやかな笑顔を浮かべて「ええ、すっかり」と答えた。どうやら由乃は不足なく役目を果たしてくれたようだ。
志摩子の用事が済んだので、もう封鎖の必要もない。
“治癒”を求めてやってきた祥子と、志摩子の護衛である“鼬”と、ついでに枕を持った“竜胆”が保健室に入室した。
「それでー? 今日はどうしたんですかー?」
「お腹痛いんですか? じゃあ、はい、脱いで」
「恥ずかしがらなくていいんですよー。脱いで脱いでー。聴診器を当てますよー」
「睨んだって怖くないですからね」
「……追い出すわよ」
あの手この手でゆるい尋問をする生意気な一年生二人を威嚇しつつ、椅子に座って“治癒”を受ける祥子。
「祥子さまが怪我を負うなんて珍しいですね」
志摩子までそんなことを言った――こちらは他意はなさそうだが。
「珍しい」と言うのなら、相手がどうこうより、まず症状に触れるだろう。
祥子の身体は、満遍なく筋肉の疲労が溜まり、全身がくまなく悲鳴を上げているような状態である。本人が言った通り、全身がひどい筋肉痛だと思えば早い。
内部から痛んでくるこんな特殊な症例、様々な外傷に“触れて”きた志摩子にも経験がないはずだ。
「今後こういうことも増えるでしょうね」
「そうなんですか?」
「出番が回ってきているから」
「……そうですか」
その言葉が、三年生の引退を指していることは、鈍い志摩子にもすぐわかった。他人事ではないからだろう。
「祥子さま、本当にそれ何なんですか?」
「髪の変色ねー。聞いたことないなー」
「その内わかるわ」
“治癒”に伴い、変色していた祥子の髪も元に戻りつつあった。見たことも聞いたこともないそれに、一年生達が怪訝な顔をするのも当然と言えば当然だろう。
だが、数多の注目を集めているあの場所で、切り札を見せてしまったのだ。抜け目のないリリアンの子羊なら必ず正体を暴き出す。
――もっとも、原理がわかっても実際使用できるかどうかは別問題だが。
あの“回転”の技術は、自身の姉で常勝無敗、全てにおいて優秀以上の結果を出す水野蓉子でさえ会得できず諦めたものだ。
祥子の基礎能力や力量は、並よりちょっと良いくらいのレベルをキープしている。平均値は高いが何かが飛び抜けて優れているわけではない――と、自分でも思っていたのだが。
しかし祥子の強みは、力の操作が誰よりも上手いこと。これは数値やランクでは割り出せないカテゴリーだ。
力の操作が上手い。
だから、ある者にとっては越えられない壁である、具現化の遠隔操作さえ多少の努力でできるようになった。あの“回転”も、祥子の誤差の少ない正確な力の使い方があってこそである。
謎はすぐに解けるだろう。
さっき闘った“鴉”も、前例があるようなことを言っていた――確か“巡凶者”。聞いたことはないがかつての薔薇だったらしい。
ならばすぐに、原理も割れるだろう。
だが、使えるかどうかは別問題だ。
果たして何人の子羊が、祥子と同じ領域に踏み込んでくるのか――不安も不満もなくはないが、何にせよ、祥子は誰にも負けるつもりはない。
そんな考え事をしていると、保健室のドアが開いた。
「――祥子さん、いる?」
福沢祐巳に伝言を頼んだ、紅薔薇勢力暗殺部隊所属“bS”である――祥子はまだ知らないことになっているが。
「あの子は教室に帰したわ。必要なら今からまた呼んでくるけれど」
と、祥子が闘った現場にいたらしく、祥子が脱ぎ捨てた制服を持ってきてくれた。
「いえ、もう時間も押しているしいいわ。ありがとう」
制服を受け取ると、“bS”は余計なことは言わず、早々と保健室を出て行った――他の目があるので情報を漏らすことを避けたのだ。固有名詞も出さなかった。
――さて。
「ありがとう、志摩子」
“治癒”が終わり、祥子は立ち上がった。
流した血は戻らないし、力を使いすぎたので万全ではない。体調を鑑みるに、できれば今日いっぱいは戦闘は控えたいところだ。
「お気をつけて」
そんな言葉を受け、祥子は保健室を出て――行こうとしたのだが。
「たのもー。“竜胆”さんいるー?」
“bS”と入れ替わりで、別の来客がやってきた。
黄薔薇勢力遊撃隊、二つ名は“重戦士(ウォーハンマー)”。百戦錬磨の三年生だ。単純に闘うだけならかなりの強敵となる、近接戦闘においては天性の才を持つ者だ。普通に闘えば祥子より強いかもしれない。元白薔薇勢力“鬼人”とはライバル関係にある。
わりと好戦的だが、陽気で裏表がないので、意外と勢力や下級生からの信頼はあったりする。
「“竜胆”さんは私ですけど」
自分にさん付けというふてぶてしさで、“竜胆”は前に出た。
――彼女が何をしに来たのか、なんとなくわかったからだ。先の返答も含めて。
「朝のツケを払ってもらいたいから、顔貸して」
「朝のツケ?」
「あなた私達にケンカを売ったでしょう?」
「え? ……ちょっと心当たりないんですけど」
一時間目の休み時間、保健室前で揉めていたあの一件である。
聞き逃せない一言についつい口を出してしまった“竜胆”だが、特別自分がケンカを売ったなんて自覚はなく、だから心当たりもなかった。
相手が闘いに来たことは、なんとなくわかっているが。
「じゃあ謝れば許してあげる」
「すいませんでした」
「でも華の名を名乗る以上、謝って逃げるなんて恥ずかしいことしないよね?」
「前言撤回します。勝負だ」
「でもルーキーだから謝れば許さなくもないけど」
「ごめんなさい」
「でも何について謝ってるかわからない状態での謝罪ってほんとに謝罪になるのかな?」
「私は紅薔薇の蕾とか“九頭竜”さまとか知ってるんだぞ。言いつけるぞ」
「私は黄薔薇知ってるし、“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”なんて友達だけど」
「――早く行きなさいよ面倒臭い」
出入り口を塞がれているので待っている祥子は、二人のだらだらしたやり取りにイライラしていた。
追い出すように“竜胆”を退室させ、ぴしゃりとドアを閉めた。
ドアの向こうで数名が話す気配があり、そして高らかな足音達が遠ざかっていった。
「相変わらずあの人達は……」
今度の華の名を語る者は、面倒臭い。強い弱い以前に面倒臭い。
やれやれと首を振り、今度こそ祥子は保健室を出て――行こうとしたのだが。
「早く早く早く! もっと早く! ほら早く!」
「そんなに早くは動けないよ」
「実戦じゃ私より早いでしょ! 早く!」
騒がしい奴らがやってきた。
いや、騒がしいのは一人だが。
先程会った紅薔薇勢突撃隊副隊長“鵺子”と――
「……“十架(クロス)”さま」
“鵺子”の上役に当たる、突撃隊隊長“十架(クロス)”と、
「なぜ祐巳ちゃんを?」
その両腕には意識を失っている福沢祐巳がいた。
「あ、祥子さん。私復帰したから。これからよろしくね。あとこれ」
寝癖頭も変わらない色々ゆるい上級生は、これ、と祐巳を突き出す。祥子は思わず受け取ってしまう。
「確かに渡したわよ」
「え? なぜ? というかどうして“十架(クロス)”さまが」
「ごめんちょっと説明してる時間ないあっちょっほんと痛いひっぱらないで痛い痛い痛い痛い」
ぴしゃり
突撃隊の隊長と副隊長は、嵐のようにやってきて、嵐のように去っていった。
「な、何なの……?」
残されたのは、どういう経緯で自分に届けられたのかわからない荷物だけだ。
まあ、好都合だが。
「あれー? “烙印”があるー」
「“十架(クロス)”の復帰」という無視できない大ニュースを耳に入れておいて、しかし口を挟む間すらなかった“鼬”は、めざとく祐巳の右手の甲にできた黒い“痣”を見つけた。
祥子も確認し、眉を寄せた。
確かに“烙印”だ。
これがあるということは、祐巳は“十架(クロス)”に何かしらの“十字架を背負わされた”ことになる。解除自体は簡単にできるし、解除すれば“痣”は消えるが、問題はこれを“刻まれる”に至った経緯にある。
“十架(クロス)”は、遊び半分や悪ふざけでこんなものを一般生徒に施すような人物ではない。ならば相応の理由があって“刻んだ”ことになる。
問題は何か――いや、
(……まさか……!)
顕現したのか。
例の“契約者”と交わした能力を――
「あ、いた」
思考を遮るように、更なる来客がやってきた。
「……令」
黄薔薇の蕾・支倉令だ。こちらも祥子に負けず劣らずボロボロで、どこかで闘ったのだろう。
「“鵺子”さんは? もう行った? ……ほんとに逃げられたわね」
令は祐巳を追ってきた。“鵺子”と“契約書”はおまけのようなものだ。
“十架(クロス)”の行く先が気になったのと、祐巳が目を覚ました時にちゃんと事情を説明できる人が必要だろうと思って追ってきたのだ。
「令、これ、どういうこと?」
祐巳の“烙印”を見せると、令は入室してドアを閉めた。
「説明はする。たぶん祥子は知る権利があるから。でも――」
令の視線が、白薔薇の蕾とその護衛に向けられた。
「超聞きたーい」
なんてふざけたことを抜かす“鼬”の手を取り、志摩子らしからぬ強引さで引きずり何も言わず保健室から出て行った。
祐巳の異変を祥子に伝えたのは、志摩子だ。
だから、これから話すことが祐巳にとってとても重要であることがわかっているのだ。
「説明はするけれど、その前に祥子。一つ確認させて」
「何?」
「あなた、祐巳ちゃんを妹にする気、ある?」
いつもなら答えないだろう。令は同志ではあるが、敵でもある。
だが、この質問は、好奇心などという俗な理由から発せられたものではない。
――たぶん、祐巳の問題を一緒に抱える覚悟はあるのか、と。そう聞いている。
「山百合会の一員としての業務に耐えられると思えたら、その時は真剣に考える」
問題の先延ばしのように聞こえるかもしれないが、祥子は真摯に答えたつもりだ。
祥子は由乃の苦労を見ている。
力の見合わない、実力に不安があるという現実を前に、しかし由乃は果敢に立ち向かい、這い上がってきた。それは言葉にすれば簡単だが、実際は奇跡に近い。
だからそれは、誰もができることではないし、そんな過酷な道を祐巳に歩ませたくはない。
傷つきながらなお立ち上がり困難に立ち向かうほどの闘争心を、祐巳が持ち合わせているとは思えないからだ。
「そう……その点は安心していい」
「何が?」
「祐巳ちゃんは山百合会の一員として、耐えられる」
「……あなたは何を見たの?」
「白薔薇を殴り飛ばすところを見ていた」
「……」
「ついでに、私のお姉さまにケンカを売ったところも見ていた」
「冗談でしょう?」
「冗談じゃない。だから私がここにいるのよ」
令は祐巳を見る。
祥子も祐巳を見る。
祐巳は、まだ、意識が戻っていない。
「その“烙印”は、一時的に能力を“封じた”証よ」
「……派手な戦果ね」
まるで祐巳の今後を暗示しているかのような、悪夢のような初陣としか思えなかった。
(コメント)
海風 >言わなくてもわかるかと思いますが、祐巳編がスタートしてますよ!! 私信・えろちさん>いつも楽しんでいただいてありがとうございます。色々疑問と質問もあるかもわかりませんが、ネタバレを含むのであまり答えることができません。ごめんなさい。あと、できれば、ほんとうにできれば、先の展開の予想などはあまり書かないでいただけると嬉しいなと……時々「あっ」と言うようなところに当たってるんです……orz(No.20453 2012-01-13 14:01:08)
キチガイ猫 >はじめまして。ずっと読んでるんですが、初めてコメさせてもらいます。祐巳編やっときましたね・・!すごく楽しみです。これからもがんばってください(No.20455 2012-01-13 22:28:30)
えろち >了解です。発言には注意します。今回も楽しかったです。紅薔薇突撃隊のほほえましいことにはにまにましてました。(No.20456 2012-01-14 03:17:48)
愛読者v >祐巳がぁ・・・祐巳の静かな学園生活が、この時完全になくなってしまったのですね(No.20457 2012-01-14 12:06:06)
くま一号 >そろそろ通り名と技の辞書が欲しいなー。鯖移転前ってがちゃS辞書ってなかったっけ? 【QB】(きゅーびー) 1.ボクと契約して云々のかわいにくたらしい生物。 2.自虐モードのbqexさま。 3.“黄薔薇”の技名。由来は……あれ? Quick Bombだっけ、量子爆弾だっけ? やっぱり辞書〜。(No.20459 2012-01-18 08:51:42)
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