がちゃS・ぷち

[1]前  [2]
[3]最新リスト
[4]入口へ戻る
ページ下部へ

No.2428
作者:杏鴉
[MAIL][HOME]
2007-12-27 09:09:47
萌えた:9
笑った:3
感動だ:1

『何かちょっとヤバイこの胸のときめきを』

『藤堂さんに古手さんのセリフを言わせてみる』シリーズその2

これは『ひぐらしのなく頃に 綿流し編』とのクロスオーバーとなっております。
本家ひぐらしのような惨劇は起こりません。しかし無駄にネタバレしております。
そしてある人物の設定が、かなりおかしなことになっています。
諸々ご注意くださいませ。

【No:2386】【No:2394】【No:2398】【No:2400】→これ(!!百合注意報発令中!!)。






朝の澄みきった空気の中、私はマリア様の前で手を合わせた。
今日も一日、正しくすごせますように。それと――、

『もう一度、カナコさんに会いたいです』

ついそんなことを考えてしまってから、ふとマリア様を見上げると、なんだかジッと見つめられているような気がして私は慌てて歩きだした。
私ってばマリア様に何を言ってるんだろう……。
まだ覚醒しきっていない頭ゆえに出た自分の本音に赤面してしまう。
私は鞄を持っていない方の手でパタパタと顔を扇ぎながら、足早に校舎を目指した。

何人かの生徒を追い抜くと、縦ロールを揺らしながら歩く瞳子ちゃんの後ろ姿が見えた。
私は今日初めてのごきげんようを言う為に、瞳子ちゃんの背中に駆け寄った。

「瞳子ちゃんごきげんよう!」
「あ。……ごきげんよう祐巳さま」

瞳子ちゃんはちょっぴり驚いた顔で、ひかえめにあいさつを返してくれた。
急に大きな声を出したから、ビックリさせてしまったのかもしれない。悪い事しちゃったなぁ。
それから特に何か話すわけでもなく、私たちは並んで歩きだした。
私の隣を伏し目がちに歩く瞳子ちゃんは、初対面の時とはずいぶん印象が違って見える。

……まつ毛長いなぁ。眼鏡をかけたらレンズに当たっちゃうんじゃないだろうか。
昨日抱きついた時にも思ったけど、瞳子ちゃんってば肌のきめが細かいよね。スベスベしてたし。……いいなぁ。

あれ?どうしたんだろう。瞳子ちゃんのほっぺたが赤くなってきた。暑いのかな?
六月とは思えない気温だもんね。雨だってほとんど降らないし。
濡れちゃうのは嫌だけど、たまにはお気に入りの青い傘をさしたいんだけどなぁ……。

私は瞳子ちゃんに向けていた視線を空へとずらした。そこにはちっとも泣きだしそうにない機嫌良さげな空があって、鮮やかな青色が目に染みた。
今はまだ早い時間だから平気だけど、これから時間が経つにつれて肌を突き刺すような強い光が降りそそぐんだろう。
軽くため息を吐きながら空を見続けていた私は、ふと視線を感じた気がして首を傾げるように横を向いた。すると瞳子ちゃんと目があった。
だけどすぐに、ぷいっと顔をそむけられてしまった。それがちょっとだけ寂しくて、こっちを向いてほしくて私は口を開いた。

「ねぇ、瞳子ちゃん」
「――なんでしょうか祐巳さま」

上級生に呼びかけられたから仕方なくそちらを向いているんですよ、という声が聞こえてきそうな顔で瞳子ちゃんは私を見た。
その仕草が妙に可愛く見えて、つい笑みをもらしてしまった。

「いったい何がおかしいんですのっ?」

瞳子ちゃんは私が笑ったのが気に入らないらしく、ムッとした顔になって突っかかってきた。
その怒った表情ですら可愛く見えてしまうのだから不思議だ。恐るべし、下級生マジック。
とはいえ、そんなことを言ったら余計に怒られそうだから、ここはごまかしておこう。

「昨日は面白かったなぁって……」

上手くごまかせたと思ったのに、瞳子ちゃんはさらにムスッとした顔になってしまった。

「山百合会では、いつもあのようなことをされているのですか?」
「いつもはミスをした人が罰ゲームなんだけど、昨日は仕事がなかったからね」
「まったく。薔薇さまに憧れている方々には、到底お見せできない光景でしたわ」
「あはは……。たしかにそうかも。この間なんて、私メイド服に着替えさせられたりしたしね」
「祐巳さまがメイド服!?なぜに瞳子を呼んでくださいませんでしたのっ!?」
「へ?瞳子ちゃん、メイド服に興味あるの?」
「――っ!?い、いえ、メイド役になった時の参考になるかと思いまして……。けしてメイドの祐巳さまにご奉仕してもらいたかったとか、何か粗相をしたメイド祐巳さまにご主人さまたる私が調きょ――じゃなくてお仕置きをしたかったとか、そのようなことはこれっぽっちも考えてやしませんわ。えぇえぇ、これっぽっちも」
「えーっと……よく分からないけど、メイド服はわりと出る罰ゲームだからまた誰かが着るんじゃないかなぁ。だから昨日みたいに用事がある時だけじゃなくて、ちょくちょく遊びにおいでよ」
「大変魅力的なお誘いですけれど、当然私も罰ゲームに巻き込まれるのでしょう?」
「あー……うん。そうなるだろうねぇ」
「せっかくですが遠慮させていただきますわ」
「あはは……」
「それにしても、いったいどなたがあのようなことを始めたんですの?」

……すいません。うちの姉です。
祥子さまのことを考えたら、ついうっかり昨日の馬ヅラお姉さまの姿まで思い出してしまって笑いを堪えるのに苦労した。
うぅ……。しばらく油断できないなぁ。

「――祥子さまは、ずいぶん変わられましたわ」

私の微妙な沈黙と挙動不審な様子から、瞳子ちゃんは誰が言い出しっぺなのか察したらしい。
いけない。このままでは祥子さまのイメージが残念なことになってしまう。
昨日の時点でもう手遅れな気もするけれど、今からでもフォローしなければ。妹として。

「えーっと、祥子さまがああいうことを始めたのには深い理由が……」
「まぁ、そうなのですか?ぜひ、その理由というのをお聞かせいただきたいですわ」
「うっ。えっと、それは……私なんかには分からないけど、そりゃあもう深い深い理由がある……気がするんだけどなぁ」
「祐巳さま。思いっきり視線を逸らしながら、適当なことをおっしゃらないでくださいませ」
「……すいません。でもっ!でもね瞳子ちゃん。本来の祥子さまは聡明で、気高くて、えっとえっと……とにかく、とても私なんかとは比べものにならないほどの凄い人なんだよっ!」

ただ、たまに困ったさんになるだけなの。――そう続けようと思ったけれど、できなかった。
呆れたような、でもどこか楽しげなようにも見えていた瞳子ちゃんの表情が、すうっと消えてしまったから。
それは本当に一瞬の出来事で、私の気付かぬうちに誰かが瞳子ちゃんに彼女そっくりの面を被せたんじゃないかと思うほどだった。
もしもその面が実在しているとしたら、タイトルはきっと無≠セ。それくらい、今の瞳子ちゃんの顔からは感情が見えてこなかった。

「祐巳さまは――」

無という名の面を被ったまま、瞳子ちゃんが色のない声で私の名前を口にした。
私は相槌をうつこともできず、ただ黙って瞳子ちゃんの次の言葉を待った。

「――本当に、祥子さまに心酔されてますのね」

聞こえてきたのはそんな言葉だった。私は肯定の返事はおろか、うなずきもしなかった。
瞳子ちゃんの言葉を否定する気なんてない。それは私自身、自覚していることだから。
ただ瞳子ちゃんの言い方に少し……うっかりすると気が付かないくらいほんの少し、悪意のようなモノが含まれている気がして、私は素直にうなずくことができなかった。

「あぁ、そういえば」戸惑いながら見つめる私の様子には知らんぷりで、瞳子ちゃんはいかにもたった今思い出したというように口を開いた。
そんな面を被ったまま、私に何を言う気なんだろう……。
瞳子ちゃんの次の言葉を待つ間、私は身も心もしぃんとさせていたけれど心臓だけが妙に元気だった。

「祥子さま、最近どなたかにひどく傷つけられたらしいですわよ」
「……え?」

一瞬、瞳子ちゃんが何を言ったのか分からなかった。元気の良すぎる心臓のせいで聞き間違えたのかと思ったくらいだ。
それくらい考えもしないことだった。
どうやら聞き間違いではなさそうだと私の思考が気付いた時には、すでに瞳子ちゃんは私に背を向けて歩いていた。

「ま、待ってよ瞳子ちゃん!お姉さまが傷つけられたって……いったい誰に?」

呼びとめておいてなんだけど、瞳子ちゃんは振り返ってくれないような気がしていた。
瞳子ちゃんのまっすぐに伸びた背中が私を拒絶しているように見えたから。
けれど瞳子ちゃんは実にあっさりと振り返ってくれた。

――が、

「どうかなさいまして?祐巳さま」

そこにいたのは背を向ける前の、無の面を被った瞳子ちゃんではなく……、

「……え?あ、あの、瞳子ちゃん?」
「はい。何でしょう?」

初めて会ったあの日のような笑顔の瞳子ちゃんだった。
私の身体のどこかで、何かがチリチリと音をたてている。こんなにも暑いというのに、冷たい汗が背骨を撫でた。
今、いったい何が起こっているのだろう?
分からない……。ただ、瞳子ちゃんの笑顔の裏側にある、非難の感情だけは辛うじて読み取ることができた。そしてそれは間違いなく私に向けられているものだった。
私は何か、瞳子ちゃんの気に障るようなことをしたのだろうか。
瞳子ちゃんがこんなにも機嫌を悪くするようなミスを、私はいったいどこでしでかしてしまったんだろう……。

「祐巳さま?急がないと遅れてしまいますわよ?」

そう言って再び背を向けようとする瞳子ちゃんに、私は声を絞りだした。

「……瞳子ちゃん。さっき、お姉さまが誰かに傷つけられたって……言ったよね?」
「えぇ?瞳子そんなこと申し上げました?覚えていませんわ」

呆然と立ちつくす私に、クスクス笑いを残して瞳子ちゃんは去っていった。




今朝の瞳子ちゃんの言葉は細く小さな棘へと形を変え、昼休みになった今も私の胸に刺さっていた。
それはとてもとても小さな棘で、べつに痛みは感じない。ただその場所に触れた途端、自分の存在を忘れるなと言わんばかりにチクリとする。
大したことはないと放っておけば、いずれ化膿してしまうだろう。指先に刺さった棘と同じように。

お姉さまが誰かに傷つけられた。瞳子ちゃんはそう言った。
薔薇の館で祥子さまと一緒にお弁当を食べている間も、私の頭の中はそのことでいっぱいだった。
そっと隣を窺ってみるけれど、祥子さまはいつもとお変わりないように見える。
それとも私が鈍いから気付けないだけなのかな……。

いったいいつ、誰に?
……分からない。
瞳子ちゃんは最近≠ニ言った。もしかしたら、昨日今日の話ではないのかもしれない。
分からないのも問題だけど、それよりもっと重大な問題は、――祥子さまの変化に私がまったく気付けていないということ。
このところ私と祥子さまは毎日会っている。どれだけ短い時間であろうと、必ず毎日顔を合わせて言葉をかわしている。
それなのに私は祥子さまに何かあっただなんて、ちっとも気が付かなかった。
瞳子ちゃんは気付くことができたのに……、私は祥子さまの妹なのに……。

今朝の瞳子ちゃんの奇妙な様子……。今思えば、あれは瞳子ちゃんなりの忠告だったんじゃないだろうか。
いつまで経っても祥子さまの異変に気付けない、うっかり者の私へヒントをくれた。たぶん、そういうことなんだろう。
これは祥子さまの妹として私自身が気付き、考えなければならないことなのだ。

うつむきがちになる顔をのそのそと持ち上げて、もう一度祥子さまの様子を窺う。
でも私の目に映っているのは、いつもどおりの祥子さまで。――私は泣きたくなった。

「どうかして?祐巳」
「えっ?い、いえ何でもありません……」

首を傾げる祥子さまの横で、私はずっと止まったままだったお箸を慌てて動かす。
祥子さまは首を傾げたまま少し何かを考えるようなそぶりを見せた後、なぜかご自分の卵焼きを私のお弁当箱の中にそっと置いた。

「あの……?」
「あら。それではなかった?」

どうやら物欲しそうな目で見ていたと勘違いされたらしい。

「えっと、……ごちそうさまです」

不審に思われなくて助かったなんて気持ちはなく、優しいまなざしを向けてくれる祥子さまに、ただ胸が温かくなった。刺さったままだった小さな棘を蕩かすぐらいに。
だから私は照れながらお礼を言った。

祥子さまの卵焼きは、ほんのりと甘い味がした。
卵焼きと祥子さまの優しさを噛みしめながら、私は考える。
今、薔薇の館には祥子さまと私の二人しかいない。
だから内密の話をするなら今がチャンスだ。でも余計なことをと叱られるかもしれない。
いや、私が叱られるだけなら別にいい。祥子さまに叱られるのは嫌いじゃない。――というより、むしろ好きだ。
でも私が聞くことで、祥子さまをさらに傷つけてしまうとしたら?
……それだけは嫌だった。だから聞けない。怖くて聞けない。

私がまたうつむいていると、これまで黙っていた祥子さまが何か思い出したように「あぁ、そうそう」と口を開いた。
そのセリフが今朝の瞳子ちゃんを思わせて、私は危険を察知した小動物のようにビクリとなった。
そんな私のリアクションを気にとめることもなく、祥子さまはポケットから何かを取り出して私に差し出した。

「はい。祐巳のカギって、これでしょう?忘れないうちに渡しておくわね」
「……へ?」
「あら。これ祐巳のお家のカギではなかったの?」
「あっ!いいえ。これです。どうもありがとうございますお姉さま」

そうだ。この間エンジェルモ−トでカギを落としちゃって、祥子さまに預かっておいてもらうことになってたんだった。すっかり忘れてた。

「もう落としてはダメよ?」
「はい。本当にありがとうございました」
「私はただ言付かっただけだから」

あ、そうか。私のカギをエンジェルモートで見つけてくれたのは、カナコさんってことになってるんだった。
――その時ふと、ある考えが浮かんだ。

「あの、お姉さま。ぜひ、直接カナコさんにお礼が言いたいのですが……」
「――そんなに大したことではないでしょう?私が代わりに伝えておくわよ」
「でも……っ!」

祥子さまには聞きたい事も聞けない……言いたい事もろくに言えない。
でも、カナコさんにならどうだろう?
ひょっとすると――

祥子さまは私の顔を見つめながら、思案するように黙り込んでしまった。
ジッと見つめられて、頬が熱くなってきた。心臓なんて、どこかのカーニバル状態だ。
でも目は逸らせない。逸らしたら、そこでこの話は終わりになってしまう。そう思った。

とはいえ、人間やはり限界というのはあるもので。
見つめられて数分(実際は1分も経っていなかったのかもしれないが)。私はクラクラする頭と身体を支えられなくなっていた。
うぅ……。もうダメ……。
耐えきれなくなった私が「やっぱり、いいです」と言うより一瞬早く、祥子さまが沈黙を破った。

「――分かったわ。いつ会えるかは分からないけれど、それでもいい?」
「は、はい!いつになってもかまいません。よろしくお願いしますっ」

首を縦にブンブン振りながら、私は言った。
やったぁ!もう一度会えるんだ!カナコさんに会えるんだっ!

――浮かれている思考の片隅で、一ミリほど残っていた冷静な自分が苦笑をもらす。
私はただ会いたかっただけなのかもしれない。お姉さまだけどお姉さまじゃない、カナコという名の不思議な少女に。




今日は薔薇の館の集まりはない。
途中までお姉さまと一緒に帰りたいなぁ、と思ってお伺いをたててみたけれど、お家の用事があるからと断られてしまった。
残っていても特にすることのない私は早々に帰り支度をして、マリア様にお祈りというかお礼を言っていた。

『マリア様。今朝は突拍子もないことを言ってすいませんでした。でも、どうやら叶っちゃいそうです。ありがとうございました。えへへ』

マリア様に手を合わせながらニヤニヤしている私は、きっと危ない人に見えてるんだろうな。
下校ラッシュで結構人がいるのに、誰も声をかけてこないし。でも嬉しいんだから仕方がない。
だってカナコさんに会えるんだよ?もしかしたら、もう二度と会えないかもしれないと思っていたカナコさんに!そりゃあ、ニヤケもするよ!

おっと、いけない。嬉しさのあまり拳を天に突き上げてしまっていた。
うん。気のせいでもなんでもなく視線が突き刺さってる。さっさと帰ろう。

まだ遠く離れた門の所で、車に乗り込む祥子さまの姿が小さく見えた。
祥子さまは学校に送り迎えをしてもらうのはあまり好きではないみたいだから、今日はよっぽど急がないといけない用事があるんだろう。
私はこういう時、大変だなぁと思う気持ちと同じくらい寂しさも感じてしまう。

私と祥子さまは姉妹だ。姉妹というのは、とても特別な関係だと思う。
でもそれは、ひょっとするとリリアンの中でだけの話ではないだろうか。時々そんなふうに考えてしまう。
今日のように、私には想像もつかないお家の用事≠ナ黒塗りの車に乗って去っていく祥子さまの背中を見てしまった時などは特に。
自分でもいじけた考えだと思う。でも――

もっとかまってほしい。もっと叱ってほしい。もっと、……傍にいてほしい。

なんて私はワガママなんだろう。
姉妹になれた。ただそれだけで、私は十分幸せなはずなのに。いつからこんなに欲張りになっちゃったんだろう。
私がこんなふうに思っているって祥子さまに知られたら、たぶん呆れられる。嫌われてしまう……。
だから黙っていよう。これは誰にも言えない、私だけの秘密。





バスを降りてまっすぐ家へと歩いていると、向かう先に髪の長いすらりとした女性が立っていた。
風に遊ばれた髪が邪魔をして、その横顔はハッキリと見えない。
でも分かる。あの人は相当な美人さんだ。だって――

「お姉さま……?」

あそこにいるのは小笠原祥子さまなんだから。

優雅な仕草で髪を撫でつけた祥子さまがこちらを向いた。目があった途端、嬉しそうに笑って手を振ってくれた。
お家の用事があったんじゃなかったっけ?なんて疑問が浮かぶより先に私は駆け出していた。
祥子さまがそこにいる。――私が全力で駆け寄るのに、これ以上の理由なんて必要ない。
私はご主人さまにボールを投げてもらった子犬のように、祥子さまのお傍に飛んでいった。

「お姉さま!こんな所でどうされたんですか?」

満面の笑みで聞く私に、祥子さまは笑顔を浮かべるだけで答えてくれない。
どうしたんだろう?怒っている……ようには全然見えないけど、でも何も話してくれないしなぁ。
私はどうしていいか分からずに首を傾げるばかりだった。
そんな私を見て祥子さまはおかしそうにクスクス笑っている。なんだかその瞳がイタズラっ子みたいで……って、まさかこれは……。

「もしかして、お姉さまではないのでしょうか?」
「えぇ。カナコです。二日ぶりですね、祐巳さん」

お姉さま――ではなく、カナコさんは綺麗な歯をチラリと覗かせて笑った。
激しく動く心臓に身体を揺さぶられながら、私はなんとか言葉を発した。

「えっと、あの、こちらへは何か御用があって来られたんですか?」
「あなたに会いに」
「へっ!?あのっ、ど、どどど――」
「ふふっ。姉さんの言ってたとおり、祐巳さんって可愛いですね」
「か、かわっ……!?」

うわっ、うわっ。心臓どころか頭の中までどっかのカーニバル状態にぃっ!

「姉さんから、祐巳さんが私に会いたがっているって聞いて、さっそく会いにきちゃったんですけど……迷惑でしたか?」

とんでもありません。迷惑だなんてそんなこと、思うわけがないですよ。
あぁ……。だからそんな道に迷った小さい子みたいな不安げな顔しないで下さい。

私はツインテールが顔にべしべし当たることにもかまわずに、目を閉じ激しく首を横に振りまくった。
そうでもしないと、胸の中で打ち上げ花火みたいに咲き広がったよく分からない激情に突き動かされて、何かとんでもないことをしでかしてしまいそうだった。
ムチ打ちでも何でもドンとこい!
半ばヤケ気味にそう思っていたのに、何かに両頬をはさまれて私の首振り運動はピタリと止まってしまった。

「祐巳さん。そんなに首を振ったら、目を回してしまいますよ?」

驚いて開いた目に飛び込んできたのは、おかしくて仕方がないというような笑顔の超絶美人さんで。
彼女の柔らかな掌に包まれた私は顔をそむけることもできず。……いや、そむける気なんてカケラもない。
私の視界いっぱいに広がる、まるで一枚の名画から抜け出てきたようなこの美しい人を網膜に焼き付けるのに、ただ必死だった。
目を閉じればいつだって思い描けるように必死だった。
もう少し。あと少しだけこのままで……。

ふいに、風が吹いた。
甘い香りと共に、艶やかな緑の黒髪が私をふわりとくすぐる。

「きゅぅ……」
「えっ!?ちょ、ちょっと祐巳さん?どうしたんですかっ!?」

どうやらあまりに刺激が強すぎて脳がシャットダウンしてしまったようだ。
ごめんなさいお姉さま。私はまだまだ修行が足りないようです。
意識を失う直前に見たビックリ顔のカナコさんがとんでもなく可愛くて、私は気絶しながら微笑みを浮かべてしまった。




目を開けると、そこは私の部屋だった。
まだ頭がぼぅっとしている。目をしばしばさせること十数秒。ようやく意識がハッキリしてきた。

――ずいぶんリアルな夢だったなぁ。

あの柔らかな掌の感触といい。花のような甘い香りといい。本物そっくりだったよ。自分の脳を褒めてやりたい。
でもどうせ夢の中なんだったら、もっと積極的になっても良かったんじゃないだろうか。
我ながら無茶言ってるとは思いながらも、夢の中での自分の不甲斐なさに私は「むぅ……」と不満の声を上げた。

「どこか苦しいんですか?祐巳さん」
「――っ!?」

心配そうに眉を寄せた祥子さまが私の顔をのぞき込んで……って、え?……あれ?私まだ寝てる?

「……お姉さま?」
「祐巳さん、まだ寝ぼけてます?」

寝起きで変な声の私が呼びかけると、祥子さまはイタズラっぽく笑いながら私のほっぺたをうりうりしてきた。
また遠のきそうになる意識を必死に繋ぎとめながら、さっきの出来事は夢ではなかったのだと私は理解した。
目の前の人が祥子さまではなく、カナコさんなのだということも。

「えっと……、私どうしたんでしょう?」
「私と話している時、急に気を失ってしまったんですよ。熱射病かと思って驚きました」

まさかあなたの魅力にノックアウトされました、なんて言えるわけもなく、素直に迷惑と心配をかけたことを謝った。
身体を起こそうとする私を、カナコさんはまだ寝ていた方がいいとやんわり押し戻した。

「あの、家まで運んでくださったんですか?」
「さすがに私ひとりでは無理でしたから、助っ人を頼んだんですよ」
「助っ人?」
「たまたま近くに小笠原の関係者がいたので、姉さんのフリをしてその人に手伝ってもらいました」

私は「はぁ、そうだったんですか」と返事をしながら、あんなタイミングで出くわす程この界隈に小笠原家の関係者さんが氾濫しているとは思えないので、たぶんお姉――じゃなくて、カナコさんの乗ってきた車の運転手さんか誰かだろうと思った。
自分は隠し子のカナコだと言い張っている手前、そのへんのことはボカしたいのかもしれない。

「その方にもお礼を言っておいていただけますか?」

だから私はあえて自分でお礼を、とは言わなかった。
カナコさんはホッとしたように「必ず伝えます」と笑ってくれた。

もう大丈夫だからと言っても、カナコさんは私が起き上がることを許してくれなかった。
なんだか申し訳ないような気分でそわそわしていると「そんなに気を遣わないでください」と苦笑された。

「私は姉さんじゃありませんから、つまらないことで叱ったりしませんよ?」
「えぇと……」

これはどう答えればいいのだろうか。
あぁ、そうなんですか、なんて言うと祥子さまがどうでもいいことで私を叱りつける怒りんぼさんみたいだし……。

「やっぱり姉さんと同じ顔だから落ち着きませんか?」
「え?」

なんだろう。さっきからカナコさんの口ぶりには、祥子さまをあまり良く思っていないような、そんなニュアンスが含まれているような……。

「私、ずっと思っていたんですけど、姉さんは祐巳さんに厳しすぎます」
「そんなことは――」
「ありますよ」

バッサリと言い切られて私はベッドの中で小さくなった。
状況がつかめない私はとりあえず黙ってカナコさんの主張に耳を傾けることにした。たぶん何か意味のあることなのだろうから。

怒ったような顔で祥子さまに対して批判的な言葉をひとしきり吐き出した後、カナコさんは黙り込んでしまった。
次の言葉を言うべきかどうか、悩んでいるように見える。
うー……。これ以上の祥子さま批判は、いくらご本人の口からとはいえ、いたたまれない。
何か別の話題を振ろうと口を開きかけた矢先、カナコさんが意を決したように顔を上げた。

「――本当はもっと祐巳さんに優しくしたい。甘えさせてあげたいって思っているくせに、姉さんは妙な意地を張っているんです」
「え……」

祥子さまがそんなふうに思ってくれていたなんて。
どうしよう。頬が熱い。

「祐巳さんもいいかげん呆れているんじゃないですか?姉さんの天の邪鬼なところに」
「そんなっ!呆れるだなんて!」
「……時々、不安になっているみたいなんですよね。いつか祐巳さんに嫌われてしまうんじゃないかって」

そう言ってカナコさんは自虐的な笑みを浮かべた。
その姿には、ほんのちょっとでも目を離したらどこかへ行ってしまいそうな、そんな危うさがあった。
だから私はカナコさんの手を握った。どこへも行ってしまわないように、その手をギュッと握りしめた。

「祐巳さん?」
「嫌いになんてなったりしません。私はお姉さまのことが……大好きですから」

伝えたくても伝えられなかったこの気持ち。
面と向かって祥子さまに言うなんてとてもできない。でも――
驚いたように私を見つめているのは祥子さまじゃなくて、カナコさんだから。
だから言える。今なら言える。

「姉妹になる前からずっと、ずっと私は祥子さまを見つめていて……。妹に選んでもらえて、すごく幸せで……。私、お姉さまが大好きなんです!!」

――やった。言えた。ちゃんと最後まで言えたんだ。
遣り遂げた気持ちでいっぱいの私は興奮ぎみのまなざしをカナコさんに向けた。
驚いた顔のまま、カナコさんは固まっている。
やがて水の中に溶かした赤い絵の具のように、カナコさんはじんわりと頬を朱に染めた。

「ゆ、祐巳さん……。あの、そういうことは、その……」

私の視線から逃れるように、お姉さま――いや、カナコさんはそわそわと瞳を動かした。
その仕草がたまらなく愛しい。

お姉さま――いや、カナコさんは……
カナコさん……?いや、やっぱりお姉さま……?

私の目の前にいる愛しい人は、本当は細川カナコ≠ニいう少女のフリをしたお姉さまだ。
間違いなくこの人は小笠原祥子さま≠セ。そのはずだ。いや、でも……、
それで、あっているのかな……?
もしかすると、この人は本当に祥子さまの妹さんなんじゃないだろうか。
いや、そんなわけない。そんなわけ……ないの?
どっちの本当≠ェ、本当なのか、私には分からなくなっていた。

――確かめたい。

「そ、そういえばさっき祐巳さんのお母さまにお会いした時、姉さんのフリをしたんです。その方がややこしくならないと思って。姉さんのしゃべり方をマネしたら全然バレなかったですよ」

慌てたように早口で喋るカナコさんに、私は返事をしなかった。
私は握ったままだった祥子さまの手を、そっと自分の頬へといざなった。
カナコさんは戸惑いの表情を浮かべたけれど、やがておずおずと私の頬を掌で包み込んでくれた。
掌に頬をすり寄せながら私は考える。

――この人はお姉さま?それともカナコさん?

この温もりも、柔らかな肌も、お姉さまと一緒。
でも、まだ分からない。

「……祐巳さん、どうしたんですか?」

本当に私はどうしてしまったんでしょうね?
答えるかわりに私は目を閉じて、祥子さまの掌を自分の頬に押しあてた。
私の唇がカナコさんの親指に触れた。
ビクッと掌が私から離れていきそうになったけれど、ギュッと頬を押しつけて逃がさなかった。
耳に入ってきた震えるような吐息が、頭の中をかき乱す。

目を閉じたまま、私は掛け布団代わりにしているタオルケットの中に入っていた手を、祥子さまに差し出した。
さぁ、カナコさん。どうか私の手を取ってください。あなたにはまだ空いている手があるでしょう?

祥子さまは、なかなか私の手をとってくれなかった。
でも私の頬に触れた手を離そうともしなかった。
目を開けると、泣き出しそうなくらい瞳を潤ませたカナコさんがいた。そんな祥子さまに私は懇願する。

「お願いです。手を……」

伸ばしかけられた手を私は絡め取るように掴んだ。そして繋がれた手を、そっと引く。
前屈みになったカナコさんはベッドの端に肘をつき、その肩から零れ落ちた絹糸のような美しい髪が私に甘い香りを運んだ。

花のような、この甘い髪の香りもお姉さまと一緒。
やっぱりこの人は私のお姉さま……?
でも……、

そうだ。あとひとつだけ確かめる方法があった。

最後の確認をする為に、繋いだ手をさらに引こうとする私を、カナコさんは肘を突っ張って止めた。
「祐巳さん……」掠れた声で私の名をつぶやく祥子さまの表情は、焦っているようにも急かしているようにも見える。
もう一度引っ張ってみるけれど、カナコさんは私と重なってはくれない。

私は哀しくなってきた。
これを実行しさえすればちゃんと分かるのに。この方が祥子さま≠ネのかカナコさん≠ネのかが、きっと分かるのに。

「お願いです。私を抱きしめてください」

堪りかねた私が想いを口にすると、カナコさんの抵抗する力がふっと抜けた。

「姉さんに叱られてしまいますよ……?」

吐息のかかる距離で、揺れる瞳に私を映しながらカナコさんがそう囁いた。
むしろ叱られたい私はカナコさんを促すように握る手にさらに力を込める。
すっと真剣な表情になったカナコさんはゆっくりと私に覆いかぶさってき――

――トゥルルルル!トゥルルルル!

突然、聞き慣れない電話の音が鳴り響き、私は我に返った。

わ、私いったい何やってるのぉおおぉっ!?なななんでこんなことにぃ!?うわぁあぁぁ……恥ずかしいよぅ。
私は繋いでいた手を離すと、至近距離で固まっている祥子さまの目から逃れるようにタオルケットの中に潜った。
うぅ……。恥ずかしすぎて合わせる顔がない。

しばらく視線を感じていたけれど、やがてベッドから身体が離れていく気配がして鳴りっぱなしだった電話が沈黙した。
そして明らかにご機嫌が悪い時の祥子さまの声が聞こえてきた。

「はい。――そんなことはいいから、早く用件をおっしゃい。――分かったわ。すぐに戻ります。あぁ、待って。あなたの名前と所属を聞いておくわ。――そう。覚えておくわ。しっかりとね」

電話を切る直前のセリフが呪詛的な響きを持っていたような……。
私の気のせいだろうか。

「まったく……。空気の読めない人ね。状況を推し量るということができないのかしら?」

あいかわらず無茶言いますね……。
だいぶ落ち着いてきた私はタオルケットから頭を出して、困ったさんの背中を眺めていた。
ぶつぶつ言いながら携帯にやつあたりしていた祥子さまが、急にこちらを振り向いた。

「ごめんなさい祐巳。ちょっと急用ができてしまって……」
「あ、はい。私はもう大丈夫なので、どうぞお気になさらず行ってください」
「あなたがどうしてもと言うのなら、私はすべてを捨ててでもさっきの続きを――」
「言いませんからさっさと行ってください」
「……」
「そんな拗ねた顔されましても……。いけませんよ?用事をすっぽかしたりしては」
「でも、続き……」
「責任感のある方ってとても素敵ですよね」
「行ってくるわ。用事が私を呼んでいるもの」
「……そうですか。それは良かったです」

颯爽と立ち去っていったお姉さまの気配が福沢家から消えてしまった後、私はそっとツッコミを入れた。

「言葉遣いが元に戻っていましたよ?――お姉さま」






(コメント)
杏鴉 >さりげなく修正。(No.18597 2010-05-22 16:47:35)

[5]コメント投稿
名前
本文
パス
文字色

簡易投票
   


記事編集
キー

コメント削除
No.
キー


[6]前  [7]
[8]最新リスト
[0]入口へ戻る
ページ上部へ