がちゃS・ぷち
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No.3883
作者:杏鴉
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2018-09-09 00:13:48
萌えた:7
笑った:0
感動だ:6
『この事態を回避するくじけない心がほしい』
前話を投稿したのは5年程前なのですが……完結できたので久しぶりにやって来ました。
※百合的表現がございますので、苦手な方はご注意ください。
これは以前掲載したお話を別視点から描いたものです。
先にこちら↓をお読みいただかないと、理解しづらい迷惑な代物です。
『祐巳side』
【No:2557】→【No:2605】→【No:2616】→【No:2818】→【No:2947】→【No:2966】→【No:3130】→【No:3138】→【No:3149】→【No:3172】(了)
『祥子side』別名:濃い口Ver.
【No:3475】→【No:3483】→【No:3486】→【No:3540】→【No:3604】→【No:3657】→【No:3660】→【No:3722】→【No:3727】→【No:3751】→【No:3811】→これ。
私が泣かせたあの日以来、サチコは祐巳への依存がいっそう酷くなった。
全力で祐巳だけを求めるその姿を私は複雑な思いで見ている。
これまで感じていた憎しみも、怒りも、苛立ちすら今はもうない。
眠る祐巳に口づけるサチコを目の当たりにしても私の心は静かなままだった。
サチコはあれから毎晩、祐巳にキスをしている。
けれど初めて唇を奪ったあの日のような楽しげな様子はもうない。
「私の大切な人にキスしておいて、それはないのではなくて?」
私のつぶやきにも反応せず、サチコは祐巳にしがみついて眠ってしまった。
サチコが怯えている。
祐巳がいないことに怯えている。
べつに祐巳がサチコに愛想をつかしてこの家から出て行ったわけではない。
ただ学校に行っているだけだ。
夕方になれば祐巳はまたここに帰ってきてくれる。
それなのにサチコはベッドの上で丸まり、あの子のいない時間を必死に耐えている。
様子を見に来た母に、祐巳を学校に行かせないよう訴えるなんて暴挙にまででたサチコだったけれど、当然だがきっぱり断られた。
母は一見頼りないけれど、道理をわきまえない娘のワガママを聞き入れるような愚かな親ではなかった。
そしてサチコは絶望の中、ひとりきりで自室に篭っている。
誰も居ない部屋で祐巳の名前だけをくり返している姿は哀れだった。
お風呂上り、祐巳がサチコの髪を乾かしてやっている。
鏡越しに見るサチコは気持ち良さそうに目を閉じていた。
昼間怯えていたのは、よく似た別人ではないかと思える程幸せそうな様子だけれど。
こんなふうに安心した表情をみせるのは、もう祐巳が傍にいる時だけだった。
「もしも祐巳を失ったら、あなたはどうなってしまうのかしらね?」
そんな疑問など無意味だと言わんばかりに2人は仲むつまじく過ごしている。
寄り添うようにベッドに横になり、祐巳が紡ぐ白雪姫の物語にサチコは耳を傾けている。
「たぶん、耐えられないでしょうね……」
他人事のように私はつぶやいた。
透明な壁にもたれてぼんやりと2人を見つめる今の私には、ここに閉じ込められた当初の切迫感や絶望感はない。
既にここから出たいという気持ちすら薄れていた。
どうすればいいのか――
何が正解なのか――
もう、私には分からない。
まるで部外者のように、私はここから2人を見ていた。
――今夜の2人はいつもと少し様子が違っていた。
もう眠る時間だというのに、茶色くした部屋で2人は白雪姫について語り合っている。
やがて王子様と白雪姫の口づけの話になり、
「わたくしのおうじさまは、ゆみなの」
サチコがさらりと告白した。
サチコのくせに生意気な。
そんな気持ちとは裏腹に、私の心臓は速度を上げた。
祐巳はどういう反応をするのだろう。
そんな必要も無いのに私は息を潜め、じっと外の様子を窺った。
やがて――、
祐巳が、
サチコに、
――キスをした。
……もう、認めてしまおう。
私は祐巳に恋をしている。
ずっと前から。
どうしようもないくらいに好きで。
誰にも取られたくなくて。
自分だけを見てほしくて。
その笑顔も、唇から紡がれる声も、すべてをひとりじめにしたかった。
私は祐巳に、そんな幼い恋をしていた。
そしてもうひとつ。
サチコの正体についても、私は認めなければならない。
少し前から薄々気付いていたけれど、わざと考えないようにしていた。
それももう終わりにしよう。
逃げるのは嫌いだから。
サチコ……
あれは、
――私だ。
本心という名の、小笠原祥子そのものだ。
それに気付いてみれば、サチコが私をあれほど嫌うのも納得できる。
自らを否定し、存在すら認めず、無視し続けてきた人間を好きになれるわけがない。
かといって、私という存在が完全に消えてしまうのもサチコにとって不味いのだろう。
だからこそ私の様子を見に、ここまでやってきた。
なんてやっかいな相手だろう。
マイナスの感情しか持っていないのに、けして離れられないなんて。
目の上の瘤とはよく言ったものだ。
ひょっとすると今私が居るここは、元々はサチコが居た場所なのかもしれない。
なんとなく、そう思った。
ここからでも分かる程の甘やかな空気の中で、2人は眠りについている。
それはとても幸せな光景で……
私はどうしたらいいか、いっそう分からなくなった――。
サチコの秘め事は祐巳の知るところとなり、今では2人の秘密となった。
夜ごと交わされる口づけを私はここから盗み見ている。
瞳を閉じ、恥じらいながら唇を寄せる姿をまじまじと見られていると知ったら、祐巳は怒るだろうか。
……それでもいい。
私に……サチコではなく私に感情を向けてほしかった。
「お姉さま。少しお話をしたいのですが、いいでしょうか」
茶色くなった部屋で、祐巳がひどく真面目な顔をしている。
どうしたのだろう?
普段とは違う雰囲気を纏う祐巳の言葉に、サチコも大人しく耳を傾けている。
「私は、お姉さまがずっとこのままだったらいいと思っていました」
「……不安だったんです。
祥子さまが卒業してしまったら、どうなってしまうんだろうって……」
「こんなふうに、すぐ傍でお姉さまを見つめる事も……」
祐巳の手が、そっとサチコの頬を撫でる。
「こうして触れる事も、二度とできなくなるんじゃないかって……」
「……不安だったんです」
これまで抑えてきたのだろう感情と共に、祐巳の目から雫が零れ落ちた。
「このままずっと二人でいられたらいいと……そう思っていたんです」
ごめんなさい、と言った祐巳の顔がくしゃりと歪む。
「私には王子さまの資格なんてないんです……っ!」
祐巳は両手で顔を覆い、泣き出してしまった。
泣きじゃくりながら、ずっと「ごめんなさい」とくり返している。
その姿に私は胸に杭を打たれた気分になった。
祐巳は、――誠実だ。
自らの過ちに気付き、認め、心からの謝罪をする祐巳は人間として美しい。
祐巳の誠実さに比べて自分はどうだ……
「ねぇ、ゆみ。それっていけないことなの?」
「だいすきなひとと、いっしょにいたいっておもっちゃいけないの?」
「すきだから、ゆみのそばにいたいのに。ダメなの?」
サチコというもうひとりの自分に願望を口にさせている卑怯者だ。
「――このままでいいじゃない」
サチコが甘やかな言葉を祐巳に囁く。
たぶん私だけが気付いている。
サチコの焦りに。
「――それはダメなんです」
サチコの悲しみが流れ込んでくる。
いや……私の、だろうか?
「大切に思ってくれている人たちを悲しませることは、間違っています」
サチコの手を取り、祐巳が頬を寄せる。
やわらかな感触が私の手にも伝わったような気がした。
サチコが抱きしめられると、私も温もりに包まれているようだった。
それはとても懐かしい感覚で……
ここから出ようと思った。
「ゆみはわたくしがおおきくなっても、そばにいてくれる?」
サチコも感じているのだろうか。
この不条理で、利己的で、愛おしい日々の終わりを。
「もちろんです」
涙の残る目を細め、祐巳が微笑む。
薄暗い部屋でもキラキラと輝いて見えて、綺麗だなと思った。
「ごめんなさい祐巳。もう、けして泣かせたりしないわ」
「臆病な私も、卑怯な私も、全てここに置いていくわ」
捨てはしない。
捨ててしまったら、いずれ忘れてしまうから。
忘れてしまったら、いつかまた同じ事をくり返すから。
だから私は置いていく。
祐巳の顔が近付いてくる。
サチコが最後の口づけをねだったからだ。
そう。こうして祐巳のキスを盗み見るのもこれで最後……。
はしたないとは思いながらも、ジッと見つめてしまう。
祐巳が近付いてくる。
初めてしてくれた時と同じ、緊張した顔で。
毎晩していたのに、あなたはちっとも慣れないのね。
本当に可愛い子。
不意に、祐巳が驚いた顔で目を開けた。
それは初めて出会ったあの日と同じ表情で。
「そろそろ祐巳のタイを直したくなってきたわ」
私の独り言が聞こえたかのように祐巳がふわりと笑った。
そして私は透明な壁越しに、祐巳と初めての口づけを交わした。
☆ ★ ☆ ★ ☆
気が付けば外に出ていた。
“サチコの外”どころではなく、屋外だった。
もう少々の事では動じなくなっている私は冷静に周囲を見回した。
ここは公園だろうか?
見た事があるような、ないような、そんなあやふやな印象を受ける。
きっと、どこでもない場所なのだろう。
ずっと聞こえていた涼しげな音に目を向けると、大きな噴水が水飛沫を上げていた。
きちんと整備されており、憩いの場として需要がありそうだけれど人気は無い。
噴水沿いに歩いてみると、そこに祐巳がいた。
噴水から少し離れたベンチに座り、静かに目を閉じている。
正面に立ってみたけれど祐巳は私に気付かない。
眠っているわけではないだろう。
毎晩ずっと寝顔を見ていたのだからそれくらい分かる。
祐巳は自分の意思で目を閉じていて、すぐ傍に立つ私にも気付かない。
まるで祐巳が世界を拒絶しているように思えて……
寂しくなった私は知らないうちに祐巳の名を呼んでいた。
祐巳が、すっとまぶたを開ける。
サチコの中に居た時とは違い、私の声は無事に届いたようだ。
けれどそれに喜ぶ暇はなかった。
私の姿を認めた祐巳は眩しそうに目を細めると、――涙を流した。
「……お姉さま」
不思議と、うろたえはしなかった。
「どうして泣いているの?」
「分かりません。でも、どうしてか涙が止まらないんです」
「そう」
今のこの気持ちを何と呼べば良いのだろう?
分からない。
気付けば私の両手が祐巳の頬を包んでいた。
やわらかな頬。
温かな雫。
僅かに震える呼吸。
私は今、祐巳の心に触れている。
このまま融けてひとつになればいいのに、と思った。
けれどそれでは祐巳を祐巳と認識できなくなるから、やっぱり今のままがいいなと思い直した。
そんな益体も無い事を考えているうちに、祐巳の涙は止まっていた。
それでも、ずっと留守番させられていた猫のように祐巳は私の手に頬をすり寄せている。
「今日はずいぶん甘えてくれるのね」
「すいません。なんだかとても久しぶりにお会いするような気がして……」
祐巳からすればそうだろう。
けれど私はずっとあなたを見ていた。
誰よりも近くで、ずっと。
「あら。私はいつだって祐巳の傍にいたわよ? それなのにあなたったら、まるで気が付かないのだもの」
再び祐巳に見つめられた喜びとは裏腹な言葉が口をついて出る。
生来の天邪鬼がそうさせたのか、ただ照れくさかっただけなのかは自分でもよく分からない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
どこか必死さを感じさせる声に驚いて見る。
ギュッと握られた手の先で、祐巳がまた泣き出しそうになっていた。
「ばかね。べつに怒っていないわよ」
ばかは私だ。
もう泣かせないと誓ったのに。
落ち着かせるように頭を撫でる。
ほっとした後、恥ずかしそうに目を伏せる祐巳が可愛くて、ずっとこうしていたいと思った。
そんな2人だけの時間に割り込んでくるように、それは耳に届いた。
――誰かの泣いている声が聞こえる。
かすかに、けれど確かに。
声の方を向いても姿は見えないが、"そこ"にいるのは間違いない。
……仕方がないわね。
「そろそろ行くわ」
「……え?」
名残惜しいけれど、祐巳に背を向けて泣き声の方へと歩き出す。
祐巳と一緒では恐らくあの子は姿を見せないだろうから。
まったく面倒くさい子だ。
後を追ってくる祐巳を安心させるように振り返り、笑ってみせる。
どうか泣かないで。
大丈夫。すぐにまた会えるから。
「絵本、読んでくれてありがとう。嬉しかったわ」
これは別れの言葉。
幼い私の姉になってくれた祐巳への、別れの言葉だ。
次に会う時は私が姉であなたが妹。そんな日常が戻っているから。
だから、さようなら。
私のお姉さま。
そして、
「――魔法、解いてくれてありがとう」
私の王子さま。
小さな背中が震えている。
私の気配には気付いているだろうが振り返ろうとはしない。
座り込み、顔を隠すようにして泣きじゃくっている。
「――サチコ」
呼びかけてみても返事はない。
ただ、当て付けるように泣き声が大きくなった。
ちゃんと聞こえているんじゃないの。
私は聞こえよがしに大きなため息を吐いた。
泣き声がピタリと止む。
勢いよく振り返ったサチコが憎悪を剥き出しにした目で睨みつけてくる。
そんな涙でぐしゃぐしゃになった顔で睨まれてもちっとも怖くないのだけれど。
黙って見つめ返していると、サチコの食いしばった歯の隙間から低い声が漏れてきた。
「……何しに来たのよ」
「泣き喚いているんじゃないかと思って、心配で見にきてあげたのよ」
いつかの意趣返しをしてやる。
サチコは自分の発言を忘れているらしく、私に怒鳴り声を返してきた。
軽く耳を塞ぎながら、サチコが息切れするのを辛抱強く待つ。
やがてサチコは口をつぐみ、私を睨みつけるだけになった。
「気が済んだかしら?」
「……っ!」
表情が一層きつくなったが、サチコは無言のままだった。
「こんな所で泣いていても祐巳は迎えに来てくれないわよ?」
「……うっ……うぅ……」
サチコは声を押し殺して泣き出した。
もう私に怒りをぶつける事もできなくなっているようだ。
本当に面倒くさい子だ。
「泣くのはお止めなさい」
「……ぁああぁ……っく……」
「あなたも小笠原祥子なのでしょう? だったら、しゃんとなさい!」
ビクッと顔を上げたサチコをまっすぐに見つめる。
「涙を拭いて、お立ちなさい。一緒にここから出るわよ」
「……え?」
ぽかんとしているサチコにハンカチを渡す。
反射的に受け取ったものの、今ひとつ事態が呑み込めていないらしいサチコはまごまごしている。
サチコの手を取り「ほら、急いで」と、立たせた。
振り解かれないのをいい事に、そのまま手を引いて歩きだす。
「……どうして?」
「もういいかげん閉じ込められているのは飽きたわ。さっさと外の世界に戻りたいのよ」
「そうじゃなくて、どうして私も一緒なの?」
「あら、残りたいの?」
「…………」
私の意地悪な言葉にサチコは黙り込んだ。
「祐巳と一緒に居たいのでしょう? だったらここから出なければ駄目よ」
「でも、祐巳は……」
「これまでのような勝手をしなければ、祐巳は私たちの傍に居てくれるわ」
「ほんとう?」
「えぇ。本当よ。だから涙をお拭きなさい」
ハンカチで顔を綺麗にしたサチコは背筋をしゃんと伸ばし、まっすぐ前を向いて歩き出した。
それでこそ小笠原祥子だ。
周囲の景色が白み始める。
この鳥籠のような世界が終ろうとしているのだろう。
やがてどこもかしこも白に染まり、今はもう何も見えない。
それでも私たちは立ち止まらず前へと進んでいく。
「……迎えに来てくれて……ありがとう」
サチコがぽつりと呟いた。
返事をする代わりに、繋いだままの手にギュッと力を込める。
眩い光が私たちを包み、思考があやふやなものになっていく。
意識を手放す寸前、楽しそうな笑い声が聞こえた気がして、私も少しだけ口角を上げた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
「ごきげんよう紅薔薇さま」
「ごきげんよう」
銀杏並木を歩きながら私は挨拶を返す。
もう二度と取り戻せないのではないかと思っていた日常に、今私はいる。
あの日――、
目覚めた私の傍にサチコは居なかった。
けれど消えてしまったわけではないだろう。
私たちはあるべき姿に戻ったのだ。小笠原祥子という、ひとりの人間に。
不自然に別れていたものが突然元に戻ったことによる弊害か、
たった一晩で10年以上の成長をしてしまったことへの身体的な負担からか、
私はしばらくの間、一連の出来事に関する記憶が曖昧になっていた。
けれどそれも程なくして納まり、今は全てを思い出している。
サチコという、もうひとりの私のこと。
祐巳と過ごした愛しくほろ苦い日々のこと。
あの鳥籠の中で知り、学んだことを。
「ごきげんようお姉さま」
大きく跳ねた鼓動を悟られないよう澄ました顔で振り返る。
「――祐巳。ごきげんよう」
つい頬に触れそうになった手の軌道を修正してリボンの位置を直す。
嬉しそうにはにかむ祐巳は小笠原の家で一緒に過ごしていた頃よりも幼く見える。
私が元の姿に戻った事で、祐巳も妹に戻ったのだろう。
……いつかまた私に見せてくれるだろうか?
祐巳の慈愛に満ちた表情を思い出して、そんな事を考えてしまった。
我ながら欲の深い人間だな、と苦笑する。
「祐巳にはずいぶん迷惑をかけてしまったわね」
「いいえ。そんなことはありません」
あなたが居てくれたから、今の私がある。
春のように私を温めてくれたあなた。
分厚い外套を取り払い、私を変えてくれたあなた。
「ありがとう」
ジッと私を見上げてくる祐巳に、また鼓動が速くなる。
幸い、息が切れる前にマリア様に手を合わせる事ができた。
サチコに閉じ込められている時には、これはマリア様の罰だと考えた事もあったけれど……
私がこれからしようとしている事を知ったら、やはりマリア様は罰をお与えになるかしら?
目を閉じて祈る祐巳の横顔を見つめる。
たとえ罪だとしても、罰を受けるのだとしても、私は――
お祈りを終えた祐巳がそっと目を開ける。
こちらを見た祐巳は、私と目が合うと少し驚いた顔をした。
「ねぇ、祐巳」
「は、はい……っ!」
目を見開いて落ち着きのない返事をする祐巳に、思わず笑みが零れる。
私の言葉を聞いたら、あなたはどんな表情を見せてくれるかしら?
「もしも祐巳が私と同じ目に遭ったら、今度は私があなたの魔法を解いてあげるわ」
これ以上ない程の驚いた顔で固まっている祐巳に背を向け歩き出す。
本当はもっと見ていたかったけれど、噴き出してしまいそうだったので仕方がない。
背後から慌てたような足音が追いかけてくる。
本当に、可愛い子。
「お、お姉さまっ。もしかして憶えていらっしゃるんですか……?」
「さぁ? どうかしら?」
意地悪く顔をそむける私と視線を合わそうとして、祐巳がくるくると周りを駆けている。
「教えてくださいよー」
――ぷいっ。
「もう。お姉さまぁ」
「ふふっ」
「わ、笑わないでくださいよぅ」
「だって、おかしいんだもの」
「むぅ……」
拗ねてしまった。
可愛らしく尖った唇を見てあの頃の日課を思い出す。
さり気なく周囲を確認してみる。
薔薇の館へとつづくこの道には他の生徒の姿はない。
「祐巳」
「……なんでしょうか?」
「持って」
拗ねながら返事をした祐巳だったけれど、鞄を差し出すと「はい」と受け取ってくれた。
条件反射なのかもしれないが、祐巳のこういった素直さには尊敬の念を抱いてしまう。
私にとってはとても難しい事だから。
けれど、今は自分の気持ちに素直になろうと思う。
「祐巳ったら、バタバタするからタイが曲がってしまっているじゃない」
私の言葉に、拗ねていた祐巳の顔が嬉しそうなものに変わる。
近づくと恥ずかしそうに目を伏せてしまった。
手を伸ばす。
タイではなく、祐巳のやわらかな頬に。
不思議そうに顔を上げた祐巳の唇に、私はそっと自分の唇を重ねた。
数秒してから顔を離すと、祐巳と目が合った。
驚きすぎて目を閉じられなかったらしい。
その様子が可愛らしくて、思わず笑みが零れる。
祐巳の顔が見る見るうちに朱に染まっていく。
口からは「あぅあぅ」とよく分からない声を漏らしている。
少し悪戯心を刺激された私は意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「何をそんなに驚いているの? この間まで毎晩していたのに」
「あ、あれはだって、魔法を解くためで……」
動転している祐巳は、先ほどの質問に私が半ば答えている事にも気付いていないようだ。
「そうね。私の魔法はもう解けているものね」
頬に触れたままだった手を下し、身体を離す。
「ごめんなさい。もうしないわ」
祐巳は残念そうな顔をした。
……ように見えたけれど、私の願望がそう見せただけかもしれない。
『相変わらず意気地がないわね』
そんな声が聞こえた気がして、心の中で苦笑する。
祐巳に持たせていた鞄を取って、代わりに手を繋いだ。
祐巳はびっくりしたように私を見上げたけれど、すぐに手を握り返してくれたからそのまま歩きだす。
「ねぇ、祐巳」
「はい」
祐巳はなんだか真面目な顔をしている。
何を考えているのかしら?
いつもより大人びて見えるその表情に私はしばし見惚れた。
「お姉さま?」
きょとんとしている祐巳はいつもより幼く見えて、つい笑ってしまう。
「ごめんなさい。なんでもないのよ」
笑いながらそう言うと、祐巳はまた唇を尖らせた。
わけも分からず笑われて不満です、とその顔が言っている。
「ふふっ」
「もう。何がおかしいんです、お姉さま」
答えない私に抗議のまなざしを向けてくるものの、祐巳は手を振り解きはしなかった。
「ねぇ、祐巳」
「なんですか」
精いっぱい怒った顔をつくっている祐巳は可愛い。
少しだけ握った手に力が入る。
「あのね」
サチコだった頃のように言ってみた。
すると祐巳は何かに気付いたように立ち止まり、ジッと私を見上げてきた。
手が震えてしまわないよう、強く握る。
「もしも私が――」
更に強く握ってしまった後で、痛い思いをさせているかもしれないと気付いた。
慌てて力を弛めたけれど……
私の手は今も祐巳と繋がれたままだった。
祐巳の温かな手が、私を掴んで離さない。
その痛いくらいの強さとまっすぐなまなざしが、私の気持ちを後押しした。
「あなたを愛していると正直に告白したら、またキスしてもいい?」
−了−
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